【地球の裏側で!!】 食べて・踊って・恋をして☆ in アルゼンチン♪

南米のパリ☆ と謳われたブエノスアイレスを起点に、海外あれこれをお届けします。

”神様の宿題”ドラマ出演について~その2~

可愛らしい日本語の生徒ちゃんカップルのレッスンを終え、墨絵の先生をしているJulieta のお兄ちゃんのレッスンは午後から。向かいのBlock に住んでいるので、角にあるお気に入りのカフェ "Le Ble" で時間潰し。のつもりが、“通りに面したガラス張りの、角にある見晴らしのいいカフェ”というのはリスボンにいた時からお気にいりなのだ。このツボすぎるお店で文章を書かずにいられようか…。

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街はすっかり秋めいて、お昼で学校が終わった子ども達が楽しそうに横断歩道を渡ってくる。赤や黄色に染まって、秋晴れの青空とのコントラストを楽しませてくれていた木々も葉々を通りに散らしている。
もうすぐ、この街に来て一年になる。
 
資金の問題で「1カ月いられるかな…、2ヶ月いられるかな…、」なんてドキドキしながら過ごしていたのに、たくさんの人に助けられ、たくさんのご縁が繋がって今もこの街で暮らすことができている。

一年前の今日、ブエノスアイレスで、とりあえずは人前で歌えるようになったなんて、日本語を教えてるなんて、ドラマに出演してるなんて、予想もできなかった。
Tango が嫌いになりそうなくらい、この街の現実やTango界の現状を目の当たりして、悶々と悩もうとはw思ってもいなかった。
それでも、そんなものが全部“芸の肥やし”だと思えるくらいにはたくましくなった。
「結局、私は悩むのが好きなだけか…。」と自分を笑うことができるようにもなった。
「なんとかなるし、なんとかする。」
そんな私の人生の課題を相変わらずクリアし続ける日々。

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この街に住むようになって、「キレイなものだけ見て、美しいコトだけを良しとして」生きてきた自分の価値感を覆さざるを得なかった訳だけど、それがTango を理解するのにも多いに役立った。
更に最近は、「キレイな部分だけを見せて、美しいコトだけを語る」ことをしたがる生き方も覆されている模様。

というのがドラマの現場での強制修行w。
毎回、「そろそろ私の出番、終わりかな…、終わりかな…?」と思いながら現場に行っている訳だけど、「とにかく楽しもう。」「やれるだけやってこよう。」と腹をくくってから流れが変わったように思う。
本当に必死で、心の中ではパニックで、「分かってないことを悟られないようにしよう。」とか無駄なことを考えていたのだけど、「言葉の分からないオリエンタル役で採用されたのだから、いいじゃないか。」と開き直り、撮影の前の日や長い道中は、現場の皆と笑顔で大笑いしてる様子をイメージしながらスタジオに向かうようにした。(というのも、大笑いできた撮影の日のカットというのはテレビで観ていても分かる程、よい感じに仕上がるから。)

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直訳すぎるやろ…(笑)。ま、こんな笑いを求められてる訳だな、うん。

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撮影現場にも、もちろんマテ茶!!! いいんだよ。リラックスしてやればね。はい。


テレビに映る自分を見ながら、「あ、この表情変だな」とか、「うわ、この顔嫌だな」とか色々思うわけだけど、誰も“キレイなKaori ちゃん”を求めている訳ではない。いかにコミカルに面白くそのシーンを盛り上げてくれるかなのだ。
主人公と絡むシーンが多くなってきたので、「間違えても主役様の邪魔をしてはいけない。」と緊張していたのだけど、そんなことを考えていた時はあまりいいものにはならなくて、とにかく楽しもう!と思うと主役さんとの息があってきた。
そんなこんなしてると、台本には私は現れてないのだけど、「とりあえず使うからいて。」と呼んで頂けるようになった。…のは有り難いのだけど、使い方がヒドイ…(笑)。
こんなコトしたことないし…、というようなおバカっぷりをやらされる。
その時ばかりは、恥ずかしいとか、どう見えるかとか全部捨てて体当たりするしかない。

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セットのバスもロケになればメイク室に早変わり☆ 

主役のGriselda Siciliani は周りの話によると40代(超カワイイっす!)。有名人カップルらしく、ゴシップネタの雑誌に旦那様と可愛らしい子どもちゃんと登場してたりする。私は午後入りのことが多いけど、彼女は主役かつ一人二役なので結構、平日毎日朝から出ずっぱり。しかもフル回転で台詞を「これ、もっと面白いのに変えよう!」とどんどん変えていく。しかも先週の金曜なんて夕方までの撮影の後、主役のミュージカルの舞台に立っていた(一体いつ練習してて、いつ休んでるんだ!?)。
基本、彼女から笑顔が切れることがない(これがエネルギー源なのかな?)。
「アクション!」の監督の一言前、私の変顔を真似ながら一緒に面白いシーンを作り上げてくれる。最近は私は台本に現れてる訳ではないので、完全にスタッフ陣と彼女がどんどんクリエイトしてくれている。二人で顔を見合わせて大声で「キャー!」って叫んだり、全く打ち合わせもなく色々出来上がっていくのは、まさに彼女の力量。感謝、感謝。
なんか、言葉を越えて伝わるものがあるんだな、というのを彼女と演技していると感じさせられる。
(だって、台本もなければ打ち合わせもなく形になっていくのだから。)

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ちなみに、この真ん中の俳優さんも日本で観てたドラマに出てた人で、その話したら喜んでくれました☆

初めてCMの仕事をさせてもらった時、現場のクリエイティブなエネルギーが好きすぎて、「クリエイティブな人達と仕事したい。」と手帳に書き続けたことに対する、神様のプレゼントだと思う。

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皆、リラックスモードでお茶目なんだな、これが。 

 エネルギー使い果たして、帰る頃にはぐったりしてしまうけれど、これも神様のプレゼントだなと思う。一人でいると悶々と考えだす私を、笑うしかない現場に引っ張り出してもらえたこと。昨日なんて皆ツボにはまりすぎて、これ以上撮影を続けられない!と思うくらい涙を流して大笑いした。なんだか怖いな、と思ってた迫力ありすぎる女優さんとかも仲良くなって、楽屋で一緒にTango を歌ったりなんかした。

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ドスの効いた声が凄みを増すNola、面白すぎて涙でる!と、共通の知り合いがいたPia。

共演の子が「仕事だから笑ってるけど、貧しさとか性や人種を笑いのネタにしてるし、酷いわよね。」と言っていて、「今、アルゼンチンで教養ある人はこんな番組みないよな。」なんてなんだかんだとオタカクとまっていた私は、複雑になったりもしていたのだけど、私が現場で笑うことで自分が救われたように、私がおバカなことをやって、それで笑って辛かったこととか、悲しかったこととかを忘れられる人がいるならいいな、と思っている。

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通勤路。Retiro 駅近く。
 

電車に乗れば、平日の昼間から物乞いに近い仕事をしてる子ども達とかも多くて、「この子達を食べさせるために」とか「私は病気で薬が必要なんです」とか、その裏に組織があって働かせてるとかいう話も聞くと、信じることも何かすることもできなくて悲しくなったりする。
根本的には教育や社会の問題とか数十年かけて改善できるかできないかの問題なんだろうけど、今の段階で、私が彼らにTango の歌を届けることはできないし、彼らがTango を聴きたいと思うかも怪しい。せめて、テレビを観られることはあるだろうか。…書きながら、それも難しいような気もしてきたけれど。
 
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そんなこんなで日曜日のブエノスアイレスは昨日から霧雨が降ったりやんだりしている。
音もなく、上から下へ落ちてるのかも分からないくらいの繊細さで空を舞うこの雨が私は好きだ。

ちょっとだけ、気分転換に日本に帰りたいな。
気の合う親友達といつも集っていたお気に入りのカフェで、とりとめもなく何時間と話し続けたり、繊細で美しくて美味しい料理とお酒を楽しみながら皆で大笑いしたいな。
そんなことをポツリと考えつつ、考えてもどうしようもないので、いつか歌いに帰れる日を夢見ながら、ここでの生活を続けていくしかない。
Tango の神様は、たまに(結構よく?)すごいプレゼントを用意してくれてるから。
がんばれ、私!
 
 
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"神様の宿題" ドラマ出演について

アルゼンチンでテレビの中にいる自分を見ながら、あまりに自分の人生に起こってるコトに現実味がなくて、「なんか、神様の宿題をこなしてるみたいだな~。」なんて思う今日この頃。

あれよあれよという間にオーディションに受かってしまい、
(あれは完全に一緒に組んだ韓国移民のパワフルな女優さんのおかげだと思う…。)
え、本当?嘘や~ん!と疑っている間に撮影に入った。
最初の撮影が3月末で、4月末まで空いたので、未だ信じられないし状況をよく理解していない私は、
「あれで終わりかな~。」なんて思っていたのだけど、5月末に差し掛かっている今日、
気が付けばチョイ役ながら毎日テレビに現れているらしい。

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© Televisión Federal S.A. 

スタジオはブエノスアイレスの郊外にあって、うちから少なくとも1時間半はかかるのだけど、地下鉄と電車とバス(もしくは徒歩)を乗り継いでたどり着くそこは、
「こういう場所ならブエノスアイレスに長く住んでもいいな~。」と思わせてくれる緑豊かな閑静な住宅街といった雰囲気だ。(ブエノスの中心で静かな場所というのはまず難しい。)
本当にこの国は地区や街であまりに雰囲気が変わりすぎて、違う国なのかと思ってしまう。

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 天気のいい日のスタジオまでのこの道のりは最高のお散歩コース!

そもそも女優になりたい訳でもない、演技の勉強をした訳でもない、台詞は日本語でいいらしいし、と、軽~い気持ちで現場に行ってしまった訳だが、いやはや今思えば、頑張った、私!

一応!? 一国のキー局のスタジオである。セキュリティチェックを抜け、連れて行かれるままに衣裳さんのお部屋に行き(さすが衣裳さんはオシャレである。フランスマダムみたいな気取った感じのお姉様とか、NYガールみたいなラフ~な感じのお姉ちゃんとか。)、「アルゼンチンでのサイズ分かりません。」と言ってのけると、「そうねぇ、あなたならコレね。」と渡された服はさすがぴったり。
「楽屋に案内するから。」と言われるも、“楽屋”というスペイン語が分からず、とりあえずついて行って単語の意味を理解する。そんな日々…。
主役級の人たちの楽屋をすり抜け、ちょっとした迷路みたいな先に案内される。
着替えてメイク室に行くと、3人のメイクさんと2人のヘアスタイリストさんが準備に追われている。
とりあえず部屋の端っこにちょこんと座って呼ばれるのを待ってみる。
飛び交うスペイン語は、早いし若者言葉?(業界用語なのか?)だし、もちろんタンゴの話でもないので、何の話か理解しようと必死なうちに話題は次に移ってしまう。
ボリューミーな身体(日本人と比べればだけど)をものともせず、お洒落を楽しんでいる赤縁メガネのお姉さんはいつも「音楽ないの?音楽?」と仲間にDJを任せては踊り出す
(えっと…、仕事中なハ…、ハズ!?)。
 
さすがはメイクさんである。メイクマジックである。この“平たい顔族”の私の顔をそれなりに派手に仕上げてくれる。「彼女は刑務所の中にいる設定だから、メイクは薄めね。」
…ってこれで薄いんかい!!と突っ込みたくなるw。
しかし、ヘアメイクをしてもらうのが嫌な女子がいるだろうか?
心の中で「よし。これからの人生、ヘアメイクをしてもらえる人生にしよう♪」と、密かに野望を書き足す。
左手に大切な日付だという数字のタトゥーを入れたイマドキなお兄ちゃんに髪を整えてもらい、
「はい、完成。」とほっぽりだされる(笑)。

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ブエノスアイレスに長く住む人の口からよく出るのは
「こっちの人は冷たいから、入ってかないとほっとかれるからね。」。
移民が多いのもあるだろうし、外国人だからといって(そもそも話さない限り、私だってこっちで生まれたオリエンタルと思われたって不思議はない。)特別扱いしてくれるなんてことはない。
(それでもたくさん助けてもらってるけれど。)

結局、こっちでよくしてくれるのはやっぱり外国から来た子たちなのだ。
初日、どうしていいか分からず心の中であたふたしているのを救ってくれたのはブラジルから来たMalu。その後、本当に天使かと思うくらい助けてくれているのがスペインから来たCarmen。
外国人として女性が独りでこの街で暮らすということの大変さを痛い程知っているから、本当によくしてくれた。

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Malu が作ってくれたブラジル料理☆ 

のんびりモードのアルゼンチン気質はドラマの現場でも変わらず。
1時間押しは朝飯前、2時間、3時間押して予定のシーンが撮影できなくても18時には撮影終了、皆、笑顔で帰っていく。どうやって形になってるのか謎である…。
あ、でも仕上がり粗いから、そーゆーコトか。“クオリティより形になるか、楽しくできるか。”これ、基本(笑)。
そんなんなので、カフェでお茶してお喋りしながら出番を待つ。

このドラマは、超非常識なお嬢様がスペインに旅行した際に罠にかかって刑務所に入り、そのお嬢様にうり二つの育ちの悪い人気バンドのダンサー(実は双子というドラマの王道w)が、お嬢様になりかわって超ハイクラスな生活を送り、彼女のラインのファッション雑誌の仕事をするのに悪戦苦闘、というのがざっとした内容なのだけど、私はその収容先の刑務所でそのお嬢様の妬みを買ったりする スペイン語を話せないオリエンタルの役なのだ。

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© Televisión Federal S.A. 

 
これがまた落とし穴…。ただでさえ早口なスペイン語が飛び交う現場で頭がフル回転なのに、メキシコ人のスペイン語だ、スペイン人のスペイン語だ…、しかも刑務所での汚い言葉である。事前に台本を読んだとしても、コメディなので現場でどんどん台詞が変わっていく。
…お手上げである(笑)。

お嬢様の超豪華な家のセットや、お嬢様の彼氏のオサレなマンションのセット、育ちの悪いダンサーの庶民すぎる家のセットを抜け、刑務所のセットへ。
まさか、アルゼンチンで囚人になるとはねぇ…、と多少複雑な気持ちになる(笑)。
私と同じ房(お嬢様の隣)に収監されているメキシコ人の役をしているのは、
……
……!!!
なんと私が日本にいる時、スペイン語勉強のために毎日観ていたドラマ“Guapas”に出ていた彼女ではないか!(後で気付いたら、主人公の婚約者、彼氏役もそうでした。)
メイク室にいた時から「どこかで見たような…。」と思ってましたよ、はい。
で彼女にそのいきさつを話しお互いにびっくり!右も左もほぼ分からない私に「これを持ってみて」等、演技の面でたくさん助けてくれました。

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も~、慣れない現場、分からないスペイン語の山…、ちょっとした優しさが本当に身にしみました…(涙)。

主役の女優さんにも「この子、日本からTangoの歌勉強しに来たんだって。」と紹介してくれて、
「私のこのタトゥー、日本語?」となぜか手首に“兄弟”の文字。
さすが主役。現場を爆笑の渦に巻き込む才能の豊かさ。どんどん台詞を面白おかしく変えていくので、ついていくのが大変…。
私だけじゃなく(役的に)誰にたいしても暴言吐き放題の役柄なので、私は“オリエンタル”をネタにされる訳で、「ごめんね。」と気にしてくれたり。

私は、スペイン語がわからなくて、「イヒヒ!!」と笑うおバカっぷりがツボらしく、その話をお気に入り君に話していたら「あぁ、セニョリータ・リーだね!」と言われ、「ほへ?」となっていたのだけど、続けて現場に呼ばれているうちに、何を求められているのかちゃんと勉強しようと思い検索。
80年代にアルゼンチンで人気を博した韓国系の移民の方で、最初は何も喋れないことを面白がられて抜擢されたのだけど、「馬鹿にされるのが嫌ですごく勉強したの。」という彼女は、今やコメンテーターとして中国・韓国・日本の文化の違いを説明したり、K-POPをパロディにするアルゼンチンコメディアンに本気で説教したり、年齢不詳だが美魔女っぷりでモデルをしていたりと、尊敬しかない。

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や~、やっぱり韓国の方ははっきりしてて強いですよね。

そんな彼女や、アルゼンチンで悔しい思いをしているオリエンタル系の人たちが、オリエンタルを笑いにされる私の役をみたら複雑だろうな、とか考えたり。

色んなこと(現場のことだけじゃなくて)が積み重なって、帰りはバスで高速とかを通りながら二時間近くかかる道のりを、「私、独りぼっちだ…。」と泣きながら帰った日もありました。
でも、この一年で ”悩み癖” がついてしまったんだなと気付いた今日この頃。

” いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。全てことに感謝しなさい。”
感謝♪ 感謝♪ 感謝♪
”全ては上手くいってるよ~。” それを自分に教えてあげるだけなのだなと。 

学んだこと、気付いたことが多すぎて書ききれないので、(十分長いの、知ってマスw)
今日はここまで。
“その2”に続く(近々書きます。)

セックスについて考える in アルゼンチン の巻。

筆が進まない…、とはこういう状況を言うのか。
書きたいことがない訳じゃない。
むしろ色んなことが蓄積されていく。
でも、何か醸造させないといけないような、何かが起こるのを待ってるような、
そんな時間たち。

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最近、写真を撮ってないので、大好きなクリムト・シリーズ。 『ダナエ』


ブエノスアイレスは急に冷え込んで、秋を飛び越えて冬が来た様な毎日。
カフェ・コン・レチェとメディア・ルナを陽だまりのカフェの片隅で楽しめる時期が来たな、なんてことがちょっと嬉しかったり、空気はピンと張り詰めて冬の寒さでも、秋空のなんともいえない澄み切った青空とまだ少し強さの残る日差しが嬉しかったり。

最近、酷く呼吸が浅い日々があった。日本でストレスフルに働いてた頃はよくこんなんだったな、なんて思いつつ、何が起きているのか考えてみる。
不安が理由であることは知っている。
でも、何に対する不安だろう。
皆が私の歌に拍手してくれるのは、“私が日本人だからか”とかまた無駄に悩み始めたから?
穏やかな日々がもう少ししたら覆されることに怯えていたから?
撮影の仕事が入ると必ずといっていいほど、日本語のレッスンが調整できない状況になるから?
でもきっと一番は幾つになっても、うだうだ考えて動けなくなる自分が嫌だからだろう。
 
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はい。ブエノスアイレスはすっかり秋です♪


とある親友に「Kaori のブログは読んでて切なくなる。」と言われて複雑な気持ちになったことがある。
でも、あえてこのジメジメじとじとした気持ちは書き綴ろうと思う。
キラキラした部分だけ見せていくのは嘘だと思うから。
たくさん悩んで、泣いて、動けなくなって、そんなダメダメな自分を、死にたいと思う程大嫌い!と思いながらも、その中に見出す希望にしがみついて、夢を食って生きているのが私だから。

最近のキーワードは「“うわべだけ”はやめよう。」な気がする。 
ブエノスアイレスに来て、“美しい”の基準が変わったというか、変わらざるをえないというか、変えられるように努力しているというか…。
この街はとても“美しいもの”と、とても“醜いもの”“汚いもの”が同居する。
それは例えば、街並みや人々の格好といいったところから、考え方や生き方までだったり。
日本は素晴らしい国だと思う。基本的にいい人たちで思いやりがあって。
全てが素晴らしく機能していて清潔で快適で美しくて。
アルゼンチン人から言わせれば日本人は“inocente”なのだそうだ。良く言えば“純粋”悪く言えば“世間知らず”といったところか。この街で“生きていく”ということは、“inocente”なままではいられないのか?そのままでいたら傷ついてしまうのか?
答えは真逆なような気もしてきた。

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『死と生』 


怖がるのをやめればいい。ただ、それだけなのだ。
私達は大人になるにつれて、どんどんどんどん怖いことが増えていく。失いたくないものだったり、こうしてほしいのにそうしてもらえないことだったり。

日本にいたら書けなかっただろうことについて敢えて書いてみる。
賛否両論ありすぎるだろうネタについて敢えて書いてみる。
つまりは、セックスについて。
勿論、一概には言えないけれど、この国は「人類みな兄弟なのね…。」というのを別の意味で理解させられてしまう(笑)。

全ての善悪は、どんな社会で育ったか、何を信じて生きてきたかで全く変わってしまうのだ。
「たった一人の人を愛して一生生きていく。」
と、聞いた時に反応は本当に人それぞれだと思う。
“なんて美しいの!”と思う人もいるだろうし、“そんなん無理無理!信じらんない!”と言う人だっているだろう。
でも多分、大概の日本人(多分)は「や~、そんなん無理でしょう…。」と思いつつも、
「でも、美しいよね、それ。」と思うのではないだろうか。
もしかしたら「あら、私はそういう人に出会って幸せに生きてるわよ、あなたはまだ出逢ってないのね。」と可哀想に思って下さる方もいるかもしれない。

人が苦しくなる時、一番悲劇的なのは、勝手に自分で「こうでなければならない」というルールを作り上げて(それは社会の刷り込みだったりする可能性もある訳で)、それでがんじがらめになってしまう時ではないだろうか。
国というものがあって、法律というものがある以上、そこに反するレベルのことは避けたいと思うものの、そこもまた難しい問題だな…、う~ん…。
(や、不倫してるとかそういうコトではないのですよ。)

と、前置きが長くなりすぎるので本題へ。
最近すごく感じるのが、「感動的なセックスを楽しもう。」ということ。

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 『水蛇Ⅱ』


こちらで日本人とかアルゼンチン人とかと話していて思うに至ったのだけれど、東洋人と西洋人(特にラテンなお国)ではセックスに対する重み?意味合い?が違うのであって、どちらがいいも悪いもないかもしれない。
そりゃ、そうだ。ハグとキスがご挨拶のお国と、ちょっと手が触れただけでドギマギしてしまうお国なのだ。一度、初めてTango を踊る時の大概の日本人の反応(べったりくっついて踊るので普通は嫌がるか大緊張)という話をした時、「なるほどね~、初めてセックスする時のようなもんなんだね。」と言うアルゼンチン人の友達の意見に、そー言えばそうか?いやいや、違うだろ~、とか思いつつ。とにかく、「日常のハグとキスの延長にセックスがあると考えても言い過ぎではない気がするよね」、とは日本人の友人との共通認識。

ある時、こちらの人に「僕がよく行くスーパーの中国人は夫婦なのに、一度も手をつないでるの見たことないし、子どももいるのにキスしてるのも見たことないよ!どういうこと?」と言われて、私としては ”そりゃ、そーだ" と思いつつ、「おぉ、アルゼンチン人にはそれが衝撃なのか。」と面白く思ったものだ。
やっぱり我々は地球の反対側の生き物なのだ。当たり前は当たり前でないのだ。

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である日、Milonga でいつも女の子をとっかえひっかえしてる男子に聞いてみた。(聞く相手を間違えてるという話もなくもない)。「なんでアルゼンチン人の男はそんなんなの?本当に理解できないわ~。本当、悩まされたんだよね、私。」と。
すると「こんなに可愛くてキレイな女の子がいっぱいいるんだよ?どうやって一人に絞れってんだ?」と開き直ってきた(笑)。でも、そこでなんだかストンときてしまったのだ。
「あ、イケてるカッコイイ男の子だって山ほどいる訳じゃないか。なんで私も一人に絞る必要があるんだ?」と。(かと言って男漁りしてる訳でもないですよ。悪しからずw)
つまりだ。「セックスとは愛し合う(将来的にも)二人がするものである」という大前提を作ってしまうと、「あなた私とずっと一緒にいてくれる訳?」とか、「あなた私を愛してくれてる訳?」とか諸条件が発生してしまうのだ。
その諸条件が必要で、それをクリアした上でそういう関係に至りたいという方は多いだろうし、それを否定するつもりもないのですが、大切なことは“勝手に自分で作り上げたルール”であるに関わらず、それを相手に求めたり、守ってくれないからと言って相手を加害者扱いしたり、自分を被害者扱いしない方がいいということなのだ。

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なんかね、この夕陽を見て「キレイだな~」って感動したように、感動するセックスってある訳ですよね。
 

で、どこに至るかというと、セックスってすごく感動的で美しいものだから、それは楽しむに限る!ということ。

私を子どもの頃から知ってる人なんて、よくご存知のことと思うけど、私は肥満児だったので身体に対するコンプレックスといったらハンパない。なんとか肥満というレベルは脱したものの、相変わらずおデブちゃんなので(この国では標準と言ってもらえるが未だ信じがたいw)、本当に裸になるというのはツライのである。
でも最近、そこ、越えてみることにしてみた。

これは結構前から考えてることなのだけど、私にとってセックスはその人の人生観、性格、生き方、そんなもの全部をひっくるめた“エネルギーの交換(交感/交歓)”なのだ。
だから自分の形とかあまり関係ないのだ(と思うようにしているとも言うw)。
(多分、”形” に人生の美しさを見出してる人は、私には与えられないエネルギーがあるのだと思う訳で。)
相手が求めてることをどれだけ与えてあげられるかとか、お互いにどんな発見ができるかとか、安心感を与えあえたりとか、「今」というその瞬間に集中できる瞑想みたいなもんだなと思う。
少なくとも、そんなコトを考えてる私に魅力を覚えるなり、面白いと思ってるなりする人と過ごす訳だから、私が余計な心配だったり嫉妬だったりというネガティブな感情さえ捨てさえすれば、それはそれは素晴らしい時間になるということが分かってきた。

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『接吻』


言葉以上に伝え合えるものがある。
これを信じた方がいい。
「同じ言語を話す人達どうしだとしても“バベルの塔”なのよ。」と歌の先生に教えてもらった。
結局、各人はそれぞれの経験・思想・信念で言葉を使う訳で、一つの話をしたとしても受け取り方は千差万別だ。だからもっと確実なもの。
肌を通して感じあえるもの、伝え合えるものがあるんだから、それを感じて楽しむことをしてみたらいい。きっと人は頭でっかちになりすぎているのだ。
もっとシンプルでいいと思う。
抱きしめて愛おしいと感じたら、その時に送れるだけの想いを言葉じゃなくて、エネルギーとして相手に送ってあげたらいい。

本当に美しくて感動的な経験。
実は、自分の考え方次第なのかもしれません☆


そして同時に、セックスをしない関係だとしても愛ある関係もあるということも学ぶ日々。
や~、もう、こうなると悟りを開くしかないな…(笑) 

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