【地球の裏側で!!】 食べて・踊って・恋をして☆ in アルゼンチン♪

南米のパリ☆ と謳われたブエノスアイレスを起点に、海外あれこれをお届けします。

「何処に住んで何をしたいか?」

 NYは春の日差しが目に眩しい気がしても、気まぐれに降った先日の大雪が各所に残っていて、今の季節を何と呼ぶべきなのか迷わせる。
もともと海外は好きだけど、“NYに住む”という選択肢は今まで私の人生になかった。そもそもアメリカに興味がなかったのだ。多分、Tango が美しいと思う感覚とか、ヨーロッパ調の街並みが好きなのも、私はどこか“古臭さ”だったり“歴史”に美しさを感じるのだろう。懐古趣味。

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 冬という季節も手伝ってか、NYの街はブエノスアイレスと比べるとどうしてもモノトーンで味気なく見えたりもする。そりゃあ、スペインだ、イタリアだ、フランスだの建築様式で造られた豪奢な100年ものの建物が立ち並ぶブエノスの街並みは美しい。そこに、今や南米だけでなく世界中からの移民がごちゃごちゃと集まり、その街並みをぐちゃぐちゃの落書きで汚し、通りにはホームレスがファミリーで普通に生活!? していて、毎日デモやストライキで爆音が響き渡り、都市機能は簡単にマヒする、街中に“変な”活気が溢れているのだ。彼等の色遣いのセンスはピカイチだし、意外にNYでダサイ広告がどんどん目に飛び込んできて、ブエノスが世界中のCMやアニメーションを手掛けている理由に妙に納得したりする。

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 かたや、同じ移民大都市とはいえ、イギリスベースの合理的な建築が整然と立ち並び、発展を遂げ続けるこの街(NY)は、それぞれの移民がキチンとコミュニティーを形成していて見えない壁が存在している感じがする。
ラテンの明るすぎる人懐っこさに、移民の悲しさ・郷愁がプラスされたとしても尚、人との距離が近すぎるあの“おせっかい”おじさん・おばさんポルテーニョ(ブエノスっ子)が懐かしい。きっとアメリカ人は日本人に比べれば数段オープンだし、気軽に「あなたのそのブーツ素敵ね!」とか「素敵な一日をね!」とか声をかけてくれる雰囲気は好きだ。それでも、この街は個人・国の“経済的”発展に向けて皆、いつも先を見ているような、人を見ていられないというような、そんな雰囲気が少し人を寂しくさせるのかもしれない。
「マンハッタンを歩いていると、たくさん人がいるんだけど、なんだかすごく孤独を感じる。」冬のこの街に来てすぐの私だからの感想かと思いきや、ここに来て数年の友人も、子どもの頃から何十年とここに住むあの人も同じことを言っていた。

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 でも結局、どこにいても埋められなかった孤独感を、安心感で包んでくれる人に出会えたので、ブエノスへ帰るチケットを私は捨てた。「相変わらず、人生をドラマティックにするのが好きだねえ。」という親友の声が聴こえてきそうである。

 私にとってこの数年、Tango が全てだった。悲しみの逃がし場だったし、心震える喜びを感じる時間だった。だからこそ、ブエノスに帰らない(当面は)という選択は、Tango を捨てるようで、自分の生き方を自分から捨てる?ようで、本当に悩んだ。帰りのフライトの当日まで「このままアルゼンチンに帰ってしまうこともできるんだよな…。」と考えたりもした。

 “穏やかで温かい日々。”
私が本当に望んでいたものはそれなのだ。ただ、好きな人と笑いあって一緒にゴハンを食べる。安心して眠りに落ちて、幸せな気分で朝目覚める。そんな簡単そうなことがなかなか手に入らなかった。

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 私のことを応援してくれてきた人達、一緒に頑張ってきた人達に何と話そうか悩んだ。「そんなんで本当にいいの? Tango どうするの?」と叱られるんじゃないかと思ってた。でも、ブエノスアイレスで共に過ごした親友達が「他人のことで号泣するのは初めて」と泣いて喜んでくれた。ブエノスアイレスで私を可愛がってくれたお姉さんが「あなたが求めていたものは愛でしょ。」と、喜んでくれた。もはや家族同然の関係になった寂しがりやの家主君も泣きそうになりながら「こんな大変な国に帰ってくるな。そっちで幸せになれよ!」と強がって背中を押してくれる。大好きな先生達も「いつだって側にいるし、助けるから、分からないことがあったら聞いておいで!」と言ってくれる。
 改めて、私は幸せ者だったんだなと思う。どれだけの愛を皆から受けておきながら寂しいとか言っていたんだろう、と反省してしまう。いつも私にエネルギーをくれていた可愛い日本語の生徒ちゃん達、いつも楽しく笑いあいながら授業をさせてもらっていた時間がなくなることを惜しみながらも、こんなわがままな、なんちゃって先生の今を喜んでくれる。

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 彼は私の安全基地なのだ。安心できるパートナーがいると人は思い切って冒険ができるという話。(十分、冒険してきたじゃないかという話もありますが。はい。)

 私がブエノスアイレスで「日本人だから」と悩んだ話をした時、「僕も色々、“自分は何人なのか”っていうので悩んだけど、良いトコどりをすればラッキーだと思うようになった。」と教えてくれたり、私の比でない複雑さに見える家庭環境も、淡々と受け止めて生きてきた強さや、彼の生き方や考え方には、ハッとさせられる事が多い。

 あまりに趣味趣向が違いすぎるし、日本にいた頃の私なら絶対選ばない相手なので(向こうもそうだろうけど)、たまに大丈夫かな?と思うこともある。けれど、いつも逃げ出す私をしっかり向き合わせてくれたこと、「この年齢になるまで独りというのは、お互いに譲れないものがあるから」と、実は私にもその面があったことに気づかせてくれたこと、そんなコト達が彼と私を繋ぎとめた。

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 未だ整理のつかない思いは正体不明のまま心の奥にある。始まったばかりで決断しなければならないことが多すぎて、お互い面倒くさがりなので投げ出しそうなところを、頑張って向き合った。本当にこれからなので、どうなるかなんてよく見えない。
 ただ、「自分の魂に嘘をつかない」で生きていけるように。
それだけは忘れないようにしようと思う。

 ビザのことがあるので、4月にいったん日本に戻ります。
お父さんとお母さんの命日のある4月。お母さんが「人生は一度きりだから好きなコトをしなさい。」と最期に言ってくれて、私の出発日に合わせるかのように他界して二年。これまで溜まっていた、たくさんの感情と向き合いすぎて、動けなくなる程泣き続けたりもして、それでも Tango を歌い踊り続けた日々。
 それはそれで、とても美しい日々だったけど、NYに暮らしたらどうなるだろう。
ブロードウェイ・ミュージカルを観に行って思った。この国は「希望」を歌う国なのだと。
私は“今”、何がしたいだろう。

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 「何処に住んで何をしたいか?」
そんなコトを考えられること自体、すごく贅沢なのだと北朝鮮を脱出した女の子のスピーチを見ながら思った。
 でも、他人に“見せる”ために何かを頑張る必要がないし、やる必要もないと思う。
私が求めた居場所はいつだって“愛する人の腕の中”だし、どんなに平凡に思えたって、私にとってはその場所を見つけられたことは奇跡に近いのかもしれない。
 でも、そこに執着してはいけないのかもしれないと思ったり。
“そこで生き続けるために何をすべきか”、そう考え出したら本末転倒なのかもしれないし。

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 そんなことをイロイロ考えながら、Tango が歌えなくなったり、Tango に救われたり。
一度、日本に帰ってゆっくり眺めてみるとしましょう。ブエノスアイレスとNYの日々を。
モノトーンに見える街なみの中に見つけた気になるカフェなんかに足を運びながら。

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自分のHappy は何か?

 全く価値観の違うブエノスアイレスからNYに来て、全く真逆の平和すぎる生活をして、全然アウトプットができなくなった。穏やかすぎて思考がストップしてしまったのか、“自分が本当に求めていたコト”が目の前に現れてしまったからなのか。

 最近の私は日々、友人とその赤ちゃんと毎日を過ごしている。数時間毎にタイマーがかかっているかのように泣きだす Babyを愛おしく抱きしめてミルクをあげたり、こんなにオムツって替えなきゃいけないのか!? と驚くくらいオムツ替えをし続けていたり。とにかく何をしたって可愛いのだ。真夜中に2~3時間毎に起こされて睡眠不足になろうと、“抱っこしてくれるまで泣き止まない”嘘泣き!? に振り回されようと。
 本人は不快で泣いてるのかもしれないけれど、私達はそんな赤ちゃんを見て大笑いしたりしている。心の声をモノ真似て遊んだり、すっかり私達のおもちゃである。でも、この赤ちゃんのお世話というヤツを一人でやるとなると話は別だな…、といつも思う。シングルマザーなんて本当に尊敬以外の何物でもない。とにかく私は世界中の全てのママに脱帽である。本当に大変な仕事である。

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 合理主義の国、アメリカで過ごし結婚しママになった私の友人の選択は賢かったと思う。いち早く、“一人じゃ無理だ!”と判断し、産前産後のヘルプを求めてきた。私だって、ちょっとブエノスアイレスの生活に疲れ果てていたところだったし、そもそも違う国で暮らすのが大好きだ。気分転換のノリで来たものの、私の価値観を大きく揺るがす日々になっている…。
 彼女は出産だって「痛いの耐えられない!」と無痛分娩を選んだし、それでも死にそうな程苦しんだ姿を私は目にした。「日本で普通に出産するって想像を絶するよね…。」と、毎日の様に話し合う。私だって、彼女の出産に立ち会うまでは、やっぱ“産みの苦しみ”は経験した方がいいんじゃないか!? と思っていたクチである。
 日本は“忍耐”が美徳なので、私自身の思考回路や生き方を考えてもそうだけど、何かと苦労してナンボって刷り込まれてるな、と思ったりする。この国は“ママがHappy じゃないと赤ちゃんもHappyじゃないでしょ!?”が基本なので、ママの本当の意志が尊重されている気がする。それは何もママだけじゃなくて、“個人主義”といったトコから来る“個人のHappy”が最優先事項という文化だからなんだと思う。
日本に住んでいる訳でもなく、ママでもない私が偉そうに意見するのは非常に気が引けもするのだけど、もう少し“楽すること”“Happy になるコト”にママは罪悪感を覚えなくていいんじゃないかな、と思ったりする。

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   私の妹のような彼女は“無理なコトは無理!”って言うのや、“助けて下さい♪” って言うのが得意だから、変に自分の首を絞めない気がするし、周りに助けてもらうのが得意。そうしないと、自分が上手く赤ちゃんに接することができないのもよく分かってるから賢いと思う。
 もちろん、環境的にそんなコト、とても言えない環境にある人もたくさんいるかもしれない。でも、“こんな価値観もありますよ”“こんな生き方どうでっか?”っていうのをアウトプットしてくのも私のやるべきコトだと感じているから、あえて書く(笑)。
 
「自分がHappy になれる状況、環境を整えるコトが、私達の人生の最優先課題かもしれんぞ!」

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私のHappy を求めてアルゼンチンに移り住んだ。
いつだって Tango が私の救いだったし、喜びだった。それなのに、こんなにHappy オーラに包まれているとTango を歌う気に全くなれくなったり、久々に足を運んだMilonga も何だか別世界のようで、何か前のように琴線に触れてこなかったり。
(もしたけど、やっぱり Tango は好きで歌ってますよ~☆)

色んなことが起こりすぎて、“私のHappy” を真剣に考えた結果出した答えについては、また後日☆

NYで出産に立ち会うの巻

 私の人生でこんなにも美しくて感動的な光景を初めて見た。
赤ちゃんがお母さんの子宮から出てくるその瞬間。ママが気を失ってしまうんじゃないかとか、体力が持たなくてどうにかなってしまうんじゃないかとか、そんな心配をしてしまうくらい壮絶な時間。私は何をすることもできなくて、でも、ただただ少しずつ出てくる赤ちゃんの頭と、頑張っているママと、それをヘルプするパパにドクター、病院スタッフさん達を見守るしかない。
 赤ちゃんが出てきたその瞬間は、赤ちゃんは灰色に近くって宇宙人みたいな顔をしていて苦しそうで、でもあっという間に真っ赤になって、あまりにも可愛らしい声で泣き始めて、その場にいる全員を笑顔にする。私は涙が止まらなくて、陣痛に苦しんで死にそうになっていた彼女が赤ちゃんを胸に抱き「可愛い!可愛い~!」と心から発する言葉に、また涙が溢れてしまう。

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  出てきたことを見ていたにも関わらず、こんな生命体がお腹に入っていたなんて信じられない…。分かってはいたし映像でも見たことはあるけど、そんな気持ちでいっぱいになる程、赤ちゃんは思っていたよりも大きい。お腹の中でこんなになるまで育ててきたなんて、本当にすごい。赤ちゃんのへその緒を切ったり、体重をはかったりバタバタしている横で、彼女の身体から真っ赤な胎盤が出てきている。これだけの赤ちゃんを包んで育ててきたのだから当然なのだろうけど、胎盤はとても大きくいレバーみたい。ドクターが両手で抱えてそれをトレーに移す。グロテスクとか怖いとかいう思いは全く起きなくて、ただただ、すごいな~、と思う。これでこの子をここまで育ててきたなんて。
 出産の直前までダンスのクラスで激しく踊っていたり、自分の愛する生徒さん達のいるボディケアのレッスンで、私なんかよりずっと軽やかにボディワークをこなしていた。本当に彼女には脱帽ものである。
 そんなスーパー妊婦の彼女にも、どの妊婦とも同じく陣痛がやってきた。よろよろと「痛いよ~、痛いよ~。」と言いながら歩く彼女に私達は何もしてあげることができない。ただでさえナーバスになる妊娠・出産という経験を彼女はアメリカで体験しているのだ。早口のナースやドクターの英語に時に戸惑いながらも、大切なことはきちんと勉強して答えている彼女。痛くてそれどころではないはずなのに、しっかりと答える彼女の姿は「母親なんだなぁ」と強さを感じて感慨深い。
 
 無痛分娩を選んだとはいえ、“無痛”なはずがない。陣痛の痛みは彼女を苦しめ続け、旦那さんに八つ当たりしてるようにも見えるその姿は、本当にどうしようもない痛みなんだろうなと感じさせる。
 数時間前、お出かけしていた私は「陣痛が来たから、明日の朝、病院に行くと思う。」との連絡を受けた時、痛みに耐えている彼女には悪いのだけど、「ついに太陽君がやってくる!生まれる、生まれる♪」とワクワクな気持ちで家に帰った(私は今、彼女の家に住まわせてもらっている)。
 私が帰宅した真夜中の時点で、既に陣痛は夕方からずっと5分おきに続いているらしいのだけど、病院から「本当に痛くなるまで待て。」と言われたと苦しんでいる。出血したというのですぐさま病院に行くも、麻酔をしてもらえるまでの時間が長い。痛みがくる度に熱を帯びる額にはじっとりと汗がにじんでいる。
 ぽたぽたと落ちる点滴が終わるのを今か今かと待ち、やっと麻酔ができた頃、痛みは完全にはなくならなかったけれど、今だとばかりに一緒に写真を撮った彼女は満面の笑みだ。これで安心、あとは出てくるのを待つだけだと皆でしばしの眠りに入る。気が付けば明け方に近づいていて、「あと30分もすればでてくるわよ」と教えてくれるナースは天使に見える。お腹の左側に痛みの残る彼女を的確な指示でケアしてくれる病院スタッフの様子を見ながら、既に泣いてしまいそうである。何人もの子ども取り上げてきたであろう熟練した様子は、本当に頼もしい。

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 今、ハドソン川の向こうにマンハッタンの広がる景色を眺められる病室で、赤ちゃんはママの腕の中ですやすやと眠っている。赤ちゃんってこんなに動くんだ!とびっくりする程、取り上げられてすぐにバタバタと手足を動かしていた太陽君も今は夢の中なのだろうか。目が覚めればおっぱいを探し、可愛らしい声で泣き、そしてまた眠ってしまう。
 皆、皆、こうだったのだ。
何もできなくても皆を幸せにする力を持っていて、ただご飯を食べて眠るだけで十分。
理由があってパパ不在で赤ちゃんを産む人のことを彼女とよく考えた。とんでもない強さだ。出産の途中で命を落とす人もいるだろうことが想像できた。おっぱいがなかなかでないと悲しむ母親の姿が浮かんだ。皆、状況は違ったかもしれない。でも、私達一人一人が生きている以上、この“赤ちゃんだった”という事実は同じなのだ。
 赤ちゃんを初めて胸に抱き、おっぱいをあげている彼女の姿は本当に本当に神々しくて美しかった。旦那さんと二人で赤ちゃんを見つめるその光景は、そこに光が当たっているようにも見えるくらい特別なものに見えた。

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  本当に出産に立ち会わせてくれてありがとう、愛ちゃん。
本当に頑張ったね。私よりも10歳も年下で、この前まで少女みたいだったのに。
凄まじい痛みの中で、彼女はステージが見えたそうだ。「こんな痛い思いをしたなら、私のやりたいことをやらなくちゃ!」と。そう、彼女はダンサーになるためにこの街に来たのだ。
人生で、家庭を持つこと、子どもを持つことが自分の人生の中断になるように感じてしまうのは彼女も私も、そしてきっと大抵の人は同じかもしれない。
 でも、こんな光景を目にしてしまうと、なんだかなんでもどうでも良くなってしまう。変な話だけれど、私はこの素晴らしい光景を目にしながら「ああ、こんなに素晴らしいものを見たから、私の人生はもうこれでいいかな。」と思ってしまった。いやいや、だからこそ頑張ろうと思わないといけないのだろうけど、そんな不思議な感覚になるくらいの経験だった。
 人生で一番大切なものは何だろう。
 私が欲しいものは何だろう。
ただ、今言えるのは、「お母さん、私を産んでくれてありがとう。」その言葉だけ。
世界中の全てのママは素晴らしい!!

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