【地球の裏側で!!】 食べて・踊って・恋をして☆ in アルゼンチン♪

南米のパリ☆ と謳われたブエノスアイレスを起点に、海外あれこれをお届けします。

自分の「居場所」について

帰って来ないなんて微塵も予想せず、エセイサ空港を飛び立ち、アンデス山脈を超えてチリ経由でNYに向かってから、気が付けば半年が経っている。NYだって、帰る気満々でJFK空港で彼に手を振ったけれど、なんだかんだと、しばらく日本にいることになりそうだ。
だから、地球の反対側や海の向こうに心を置いて来てしまったようで、時々自分がどこにいるのか分からなくなったりもする。

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日本はとてもとても平和だ。とてもとても清潔で、人も街も“きちんと”していて、油断するとしっかりと焦点を合わせた自分の考えや生き方がぼんやりしそうでギクリとする。そんなに片意地はらなくてもいいのかもしれない。ここは砂埃舞い殺気漂うブエノス市内の果ての学校への道のりでもないんだし、同じ市内とは思えないくらい優雅な街並みのベルグラーノの屋外ミロンガに向かうガタガタのバスの中で、全然進まない日曜日の夕暮れの喧騒にうんざりする必要もないんだし、明日食っていけるのかとか、いつか日本に帰れるのだろうかとか、いつになったらちゃんとTangoを歌えるんだろうかとか、アルゼンチン男に振り回されなくなる日は来るんだろうかとか、何も心配する必要もない国に今私はいるのだから。
日本人は概して、とても“良い人達”である。その優しさや親切さ、上品な感じに感動すら覚える程である。きっと私が元々人との距離を取りたがるからだからこそなんだろうけど、ラテンのあの距離感、親密さが恋しくなったりする。

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photo by Mumu

迷いに迷い、悩みに悩んだ末、という程でもないが、もっと“地に足つけて”これからの人生を生きていくには!?とか、もっと本格的に翻訳をする道や、バリバリ働く?とか、ビジネスをする道も考えたけれど、結局、私の人生はいつだって直観と流れに従うだけ。
元々、福岡でTango を習っていた場所に歌わせてもらえないか話しに行ったところ、気が付けばそこで働くことになって今日に至る。スタッフも半分はアルゼンチン、キューバ、チリ、ブラジルの人達、日本人スタッフもほとんどスペイン語圏生活経験者。スタッフ間の公用語はスペイン語、日本にいながらにしてラテン圏。タンゴだけでなく、サルサ、フラメンコ、ベリーダンス、スペイン語を学び楽しむ場所を提供し、本場から次々にアーティストを招聘し、信じられない規模のイベントを次々にやってのけ、センスのいいその感じは日本人だけだと実現できないんだろうな、と常々思っていた。
で、そこには上の階に素敵なテラスのあるレストラン部門があるのだけど、そこの仕事もしていて、最初は「う~ん。。。飲食かぁ。。。」なんて思っていたのだけど、これが面白い!コンセプト上というのもあるんだろうけど、来るお客さんが面白くて“一緒に楽しい時間を過ごす!”と開き直ったら、お客さんとお話しして力をもらっている感じ。シェフのチリ人と南米人が大好きな下ネタで大笑いしたり、優しいフランス人のスタッフに助けてもらったり、本当に恵まれているなと思う。

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そして、その場所でもっと音楽イベントをやりたいという方針のもと、その担当になって、“Noche de Tango”なるものを開催させて頂き、歌わせて頂くという、この上ない感謝。
帰国してすぐ、ずっと私を応援してくれた友達で「女将になりたい!」という夢を叶えた彼女の素敵スペースで“女将Bar”にゲスト参加させて頂いて、私も女将やりたい!アルゼンチンばばあBarやる!」って言っていた夢が一か月で叶った…。
んでもって、それは「福岡がもっとブエノスみたいに気軽に音楽を楽しめる街になったらいいのに」と思っていたコトを自分でやることになるという流れだった訳で、ずっとずっと私を応援し続けてくれた友人達が集ってくれて、満員御礼の賑わいを見せ、本当に幸せな夜だった。

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ここでいいの?と自問自答する日々は続いていなくもない。でも、今のところ私にとってはパーフェクトなことに気づいてしまったのだ。スペイン語が公用語、タンゴに触れ続けられる、サクッとフライヤーを作ってもらえて告知までしてもらえる、イベントやレッスン、レストランで知り合った人たちが歌を聞きにきてくれる。何よりも私の夢であった、ミュージシャン達とTangoを楽しむことができる!練習や打ち合わせをしてるとワクワクが止まらない。ここまでお膳立てして頂いて文句を言えるだろうか?
。。。
はい。言ってしまいますよね、私はw。いかんせん好きなことをやってるとはいえ、久々の社会復帰、休み時間に歌の練習、下のスクール部門の仕事を覚えつつ、自分の企画を進め、イベントの入った日なんて5階のレストランから3階のイベントホールまで食べ物を運んで、テラス席と厨房を行き来して疲れ果てた私は、「楽しいし、ココの方針もやってるコトも大好きだけど、肉体的に無理です!」ってw。だって、従来早起きさんの私が朝起きれないし、夜は身体のあちこちが痛くて眠れないし、ご飯が食べれなくなるし、かと思ったら食べ過ぎるし。

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で、悲鳴をあげてみて良かった。私の上司はアルゼンチン人である。(彼のクリエイティブなところ、信じられないようなコトをどんどん形にしていく姿を私はリスペクトしている。)彼と話しながら、“まずは自分を一番大切にすること”に行きつき、楽になった。
今の私は我慢しない!…、と思っていたけど、久々に日本で働き出せば、それはすぐに日本社会のスイッチが入る訳で、自分でも気づかないうちに「皆ががんばってるのに私だけ楽する訳には…」とか、「苦しくても頑張らねば!」の思考に早くも陥っていた模様。
考えてみれば働き出して一か月弱で全力疾走しすぎた。パニックになるのも当たり前である。「とりあえず“Noche de Tango”が成功すれば自分に良しを出してあげよう」と思っていたのに、意外と完璧主義なので、他の仕事が中途半端になっている感じが許せなかったのだ(いや~、本当に意外に真面目、私。)

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ということで、頑張りすぎてる日本の皆さま。まずは自分を大切にしましょう。
そうしないと、自分が本当に大好きなものまで分からなくなりますから。

FUKUOKA は、本当に心地の良い場所である。
大好きな友達がたくさんいて、私のことを応援してくれる人がどんどん増えて。
でも、もしかするとまた私は、ふっとどこかに行ってしまうのかもしれない(私が言ってるのではなく、周りが予言するのである)。

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しばらくは、この地で楽しみながら頑張るとしましょう。
私が大切にしている「本当の豊かさ」=芸術と異なる文化(言語・人)が運んできてくれることを一人でも多くの人と共有するために。
“静かで穏やかな”魂を内に持つ日本人の皆と“激しく賑やかな”魂が外に出がちなラテンの人達の間で。


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Photo by shoko

日本でブエノスアイレスとNYの日々を考える

人生とは奇妙なもので、自分の予測に反してというか、予想もしなかったけど、日本に帰ってきた。
NYに行かなかったらこの展開はないし、本当に不思議なものである。

久々の日本は全てがあまりに小ぎれいで、街ゆく人はみんな上品で、テレビに映る女の子は気持ち悪いくらい皆“可愛らしく”て、本当にびっくりする。
通りにゴミが落ちてない~!(てか、ゴミ箱から人が出てこないw)とか、皆ちゃんとした服着てる~!(ブエノスとNYはホームレスの服のグレードが違うと思ったけど、日本の地下鉄で見かけることはまずないし。)とか、誰も大声で怒鳴りあって大笑いしたりしてない~!とか、夜中出歩いてるのは若者だけか~!?(ブエノスならじいちゃんばあちゃんも明け方まで元気なものである。)とか、どこいってもキレイで快適な建物ばっかだな、おい!とか、良くも悪くもカルチャーショックの連続である。
本当にNY滞在してからの帰国で良かったと思う。そうでなければ、ひどいショックで混乱してしばらく動けなかったと思う

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ブエノスアイレスでの日々は、本当に苦しくて楽しくて幸せで美しかったと思う。あの街は本当にぐっちゃぐちゃだけど、とにかく皆、“生きて”いる。
日本で住んでいた家は、友達にシェアしてキープしていてもらっていたので、家に入った途端に「こんな綺麗で快適な家に住んでたのか…。」としばし唖然としてしまった。といっても日本の平均的なお家な訳だけど、私が使っていた物一つ一つにさえびっくりする。「こんな美しいものに囲まれて生きてたんだっけ!?」(これも特に日本では何の変哲のない雑貨とかなのだけど)と。デコボコすぎるブエノスの道路では無理だ…、と、履くことを諦めた女性らしいヒールの靴たちだったり、服なんてスーツケースで持って行った分と、友達にお願いして運んでもらった数点を着古していたのに、今となってはあまりに“可愛らし”すぎて着られないものも多いお洋服の数々だったり、一つ一つ引っ張り出してはびっくりする。「よく、こんな暮らしを捨てれたもんだな…」って。

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それでも、あの生活をしたかったのだ。とにかくTango にまみれて、底辺の様な暮らしをして、Tango の原点みたいな生き方をして、Tango を歌えるようになりたかったし、朝までMilonga で踊りたかったし、美しいOrquesta の生演奏に身を浸したかったし、苦しい思いもしたけど、アルゼンチン男に振り回されてもみたかったんだろうし、苦しくてもう食べられない!って程、アサード(お肉)を家でふるまってもらって、ワインを飲みながら、Tango を皆で聴いて「くぅ~!たまんないねぇっ!!」って大騒ぎしたかったんだろうし、1kg 買いは常識の美味しすぎるジェラート屋さんで「何味がどうだ、この味はどうだ」ってきゃいきゃいしたかったんだろうし、日本語の生徒ちゃんたちと時に大笑いしながら、日本語の美しさに関心したりもしたかったんだろうし、メディアルナ(クロワッサン)とカフェコンレチェ(カフェオレ)をヨーロッパ調のカフェでおじさん達の笑い声をよそに楽しみたかったんだろうし、カオティックなサンテルモを歩いてみたり、洗練されたパレルモのお店をひやかしてみたり、友達とあーでもない、こーでもない、と朝まで語ってみたり。とにかくどんなに苦しかったとしても、私の夢見た日々を過ごした訳である。

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でも、そんな日々で擦り切れてしまっていたのは確かで、どんどんどんどんガサツになっていく自分が嫌になっていたし、歌だって“好き”よりも“あれができない”“あれもしなきゃ”“これもしなきゃ”とHave to が増えていって、自分で自分の首を絞めていたなと思う。どうしても「日本人の私にTangoが歌えるのか?」に捉われていたし、それは決定的に発音で使う筋肉が違うとか、日本語にない音とか、そんなトコまで教えてくれる友達に恵まれたのは感謝ではあるのだけど、いつも“足りない所”ばっかり見ちゃってたなと思う。

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せっかく、“今を楽しむ”ことが得意なアルゼンチン人の中にいたのに、だいぶ変わったとはいえ、私はやっぱり日本人なのだ。
ある時、「あなたが日本人だから歌えるTango があるよ。だから無理に完璧にアルゼンチン人みたいに歌おうと思わなくていいんじゃないかな。」と、私が好きなTango を歌う女の子が教えてくれた。
NYに行って、アルゼンチン人とか日本人とか気にしなくて歌える環境で歌えたことはすごく大きかったと思う。もっと純粋に“表現することを楽しむ”とか、演奏してくれるミュージシャンと“音を楽しむ”とか、すごく貴重な体験をさせてもらったと思う。

NYは私にとってリハビリみたいな時間と場所だったなと思う。自分が日本人だったことを思い出す時間。文明社会で育って、望めばある程度なんでも手に入る生活ができたということを思い出す時間。繊細で優しい日本人の中に戻っていく時間。

出産をする彼女が呼んでくれなかったら絶対に行けなかった場所。命が生まれる瞬間に立ち会って、一緒にきゃーきゃーいいながら子育て体験をさせてもらって。
あまりに静かで穏やかな日々。
あまりに静かで穏やかな日々。。。
ブエノスアイレスの喧騒と騒乱の中で私が求めていた日々。
あまりに全てが正反対の日々。
そんな中で Tango が歌えなくなったり、また恋しくなったり。

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ブエノスアイレスでは男子が現れる度にぶんぶんに振り回され、でもアルヘンティーナさながらに泣きわめいて大騒ぎして感情をぶつけられる人に出会えたり、本当に心揺さぶられる演奏を聴かせてくれる人に出会えたり、今思えばいい想い出だけど、本当に彼等は私の手には負えなかった…。芸の肥やしにはなったけど(笑)。

私が到着したNYは真冬で、大雪の中つないだ手がとてもとても暖かかった彼は、どうしても離れられない存在になってしまって、わがままを言って滞在をぎりぎりまで伸ばして一緒にいさせてもらった上に日本に帰れるようにしてもらった訳だけど、“一緒にいたい”だけでは越えられない壁を一つずつ壊していくしかないか…。

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彼といると、国境とか国籍とかを考えさせられる。アルゼンチンは比較的簡単に長期滞在できたけど(違法といえば違法だけど)、アメリカはそうはいかない。それに彼は日本で小さい時育って、両親と渡米した後も日本の歌や番組や本に触れ続けているから、周りは彼を日本人だと思うみたいだけど、彼は国籍的には日本と関わりがない。大好きな国で、しかも自分が育った国なのに、そこで暮らすことは難しいのだ。
考え方や話す言葉は本当に住む場所によってこんなにも左右されるものかと、私自身ブエノスにいた時の自分、NYにいた時の自分、日本にいる自分をみても感じるけれど、社会というシステムの中で生きる以上、どんなに他の国の文化に触れ続けて、その考え方や風習を理解していたとしても、国籍というものが制限するものがあると気づかされる。

さて、散々好き勝手やって自由に生きた私なので、この、もしかすると世界一“きちんとしている”国でどうやっていこうか。どこに向かおうか。
久々に会って全然変わらないという人もいるし、本当に変わったという人もいるし、でも嬉しかったのは「いい子ちゃんをやめたから、今のかおりさん好きですよ。」という言葉と、「明るくなりましたね。経験したから“芯”ができた感じ。」という言葉。ブエノスでは悩むのが趣味みたいになっていたけど(今思えば暇だったんでしょうw)、とことん自分と向き合ったので、もう考えなくていいようなスッキリ感はあるかもしれないし、皆に教えてもらって、後ろを見るエネルギーがもったいないと思えるようになったかな。

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難しいと思えば何だって難しいよ。
でも大丈夫、今まで乗り越えてきたじゃない。

「何処に住んで何をしたいか?」

 NYは春の日差しが目に眩しい気がしても、気まぐれに降った先日の大雪が各所に残っていて、今の季節を何と呼ぶべきなのか迷わせる。
もともと海外は好きだけど、“NYに住む”という選択肢は今まで私の人生になかった。そもそもアメリカに興味がなかったのだ。多分、Tango が美しいと思う感覚とか、ヨーロッパ調の街並みが好きなのも、私はどこか“古臭さ”だったり“歴史”に美しさを感じるのだろう。懐古趣味。

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 冬という季節も手伝ってか、NYの街はブエノスアイレスと比べるとどうしてもモノトーンで味気なく見えたりもする。そりゃあ、スペインだ、イタリアだ、フランスだの建築様式で造られた豪奢な100年ものの建物が立ち並ぶブエノスの街並みは美しい。そこに、今や南米だけでなく世界中からの移民がごちゃごちゃと集まり、その街並みをぐちゃぐちゃの落書きで汚し、通りにはホームレスがファミリーで普通に生活!? していて、毎日デモやストライキで爆音が響き渡り、都市機能は簡単にマヒする、街中に“変な”活気が溢れているのだ。彼等の色遣いのセンスはピカイチだし、意外にNYでダサイ広告がどんどん目に飛び込んできて、ブエノスが世界中のCMやアニメーションを手掛けている理由に妙に納得したりする。

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 かたや、同じ移民大都市とはいえ、イギリスベースの合理的な建築が整然と立ち並び、発展を遂げ続けるこの街(NY)は、それぞれの移民がキチンとコミュニティーを形成していて見えない壁が存在している感じがする。
ラテンの明るすぎる人懐っこさに、移民の悲しさ・郷愁がプラスされたとしても尚、人との距離が近すぎるあの“おせっかい”おじさん・おばさんポルテーニョ(ブエノスっ子)が懐かしい。きっとアメリカ人は日本人に比べれば数段オープンだし、気軽に「あなたのそのブーツ素敵ね!」とか「素敵な一日をね!」とか声をかけてくれる雰囲気は好きだ。それでも、この街は個人・国の“経済的”発展に向けて皆、いつも先を見ているような、人を見ていられないというような、そんな雰囲気が少し人を寂しくさせるのかもしれない。
「マンハッタンを歩いていると、たくさん人がいるんだけど、なんだかすごく孤独を感じる。」冬のこの街に来てすぐの私だからの感想かと思いきや、ここに来て数年の友人も、子どもの頃から何十年とここに住むあの人も同じことを言っていた。

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 でも結局、どこにいても埋められなかった孤独感を、安心感で包んでくれる人に出会えたので、ブエノスへ帰るチケットを私は捨てた。「相変わらず、人生をドラマティックにするのが好きだねえ。」という親友の声が聴こえてきそうである。

 私にとってこの数年、Tango が全てだった。悲しみの逃がし場だったし、心震える喜びを感じる時間だった。だからこそ、ブエノスに帰らない(当面は)という選択は、Tango を捨てるようで、自分の生き方を自分から捨てる?ようで、本当に悩んだ。帰りのフライトの当日まで「このままアルゼンチンに帰ってしまうこともできるんだよな…。」と考えたりもした。

 “穏やかで温かい日々。”
私が本当に望んでいたものはそれなのだ。ただ、好きな人と笑いあって一緒にゴハンを食べる。安心して眠りに落ちて、幸せな気分で朝目覚める。そんな簡単そうなことがなかなか手に入らなかった。

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 私のことを応援してくれてきた人達、一緒に頑張ってきた人達に何と話そうか悩んだ。「そんなんで本当にいいの? Tango どうするの?」と叱られるんじゃないかと思ってた。でも、ブエノスアイレスで共に過ごした親友達が「他人のことで号泣するのは初めて」と泣いて喜んでくれた。ブエノスアイレスで私を可愛がってくれたお姉さんが「あなたが求めていたものは愛でしょ。」と、喜んでくれた。もはや家族同然の関係になった寂しがりやの家主君も泣きそうになりながら「こんな大変な国に帰ってくるな。そっちで幸せになれよ!」と強がって背中を押してくれる。大好きな先生達も「いつだって側にいるし、助けるから、分からないことがあったら聞いておいで!」と言ってくれる。
 改めて、私は幸せ者だったんだなと思う。どれだけの愛を皆から受けておきながら寂しいとか言っていたんだろう、と反省してしまう。いつも私にエネルギーをくれていた可愛い日本語の生徒ちゃん達、いつも楽しく笑いあいながら授業をさせてもらっていた時間がなくなることを惜しみながらも、こんなわがままな、なんちゃって先生の今を喜んでくれる。

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 彼は私の安全基地なのだ。安心できるパートナーがいると人は思い切って冒険ができるという話。(十分、冒険してきたじゃないかという話もありますが。はい。)

 私がブエノスアイレスで「日本人だから」と悩んだ話をした時、「僕も色々、“自分は何人なのか”っていうので悩んだけど、良いトコどりをすればラッキーだと思うようになった。」と教えてくれたり、私の比でない複雑さに見える家庭環境も、淡々と受け止めて生きてきた強さや、彼の生き方や考え方には、ハッとさせられる事が多い。

 あまりに趣味趣向が違いすぎるし、日本にいた頃の私なら絶対選ばない相手なので(向こうもそうだろうけど)、たまに大丈夫かな?と思うこともある。けれど、いつも逃げ出す私をしっかり向き合わせてくれたこと、「この年齢になるまで独りというのは、お互いに譲れないものがあるから」と、実は私にもその面があったことに気づかせてくれたこと、そんなコト達が彼と私を繋ぎとめた。

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 未だ整理のつかない思いは正体不明のまま心の奥にある。始まったばかりで決断しなければならないことが多すぎて、お互い面倒くさがりなので投げ出しそうなところを、頑張って向き合った。本当にこれからなので、どうなるかなんてよく見えない。
 ただ、「自分の魂に嘘をつかない」で生きていけるように。
それだけは忘れないようにしようと思う。

 ビザのことがあるので、4月にいったん日本に戻ります。
お父さんとお母さんの命日のある4月。お母さんが「人生は一度きりだから好きなコトをしなさい。」と最期に言ってくれて、私の出発日に合わせるかのように他界して二年。これまで溜まっていた、たくさんの感情と向き合いすぎて、動けなくなる程泣き続けたりもして、それでも Tango を歌い踊り続けた日々。
 それはそれで、とても美しい日々だったけど、NYに暮らしたらどうなるだろう。
ブロードウェイ・ミュージカルを観に行って思った。この国は「希望」を歌う国なのだと。
私は“今”、何がしたいだろう。

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 「何処に住んで何をしたいか?」
そんなコトを考えられること自体、すごく贅沢なのだと北朝鮮を脱出した女の子のスピーチを見ながら思った。
 でも、他人に“見せる”ために何かを頑張る必要がないし、やる必要もないと思う。
私が求めた居場所はいつだって“愛する人の腕の中”だし、どんなに平凡に思えたって、私にとってはその場所を見つけられたことは奇跡に近いのかもしれない。
 でも、そこに執着してはいけないのかもしれないと思ったり。
“そこで生き続けるために何をすべきか”、そう考え出したら本末転倒なのかもしれないし。

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 そんなことをイロイロ考えながら、Tango が歌えなくなったり、Tango に救われたり。
一度、日本に帰ってゆっくり眺めてみるとしましょう。ブエノスアイレスとNYの日々を。
モノトーンに見える街なみの中に見つけた気になるカフェなんかに足を運びながら。

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