【地球の裏側で!!】 食べて・踊って・恋をして☆ in アルゼンチン♪

南米のパリ☆ と謳われたブエノスアイレスを起点に、海外あれこれをお届けします。

「恋の話をしよう。」

※この話は大概作り話かもしれません。

例えば、真冬のNYをベンツのオープンカーに乗って、大音量でその人の好きだという音楽を聴きながらぶっ飛ばした。「時間の無駄だ。」が口癖のお金儲けが大好きだと言ってはばかからない、ドバイ人とは言うが出身はシリアというNYにありがちそうな怪しいダンサー。
そんなものは恋にはならなかった。
ブラジリアン・ミュージックを聴かせるBar に連れて行ってくれようと、スペイン料理を食べに連れて行ってくれようと、「僕はこの道を真剣に研究している。」と言って快楽の極みを共有しようとしてくれようと。

33

“離れられない人”
NYのBarで、有名なピアニストと同じ舞台に立たせてもらって、毎回、吐きそうなくらい緊張するそこに、彼はいつも来てくれた。寒い寒い真夜中のバス停で長時間待たないといけない時は一緒に待ってくれた。慣れない雪道を歩く時は手を取ってくれたし、煙草の匂いの浸み付いた手袋を私に付けさせてくれて、その手を握ってポケットに入れてくれもした。
それが恋だった気がする。
あの時、私はひどく誰かを必要としていたからかもしれない。
遠く離れた南米の地で独りぼっちだと思い込んで、カサカサになっていた心に、彼が温かく溶け込んだだけなのかもしれない。
ただ、離れることができなくて、あの人の腕から何か特別な何かが出ていて、それが私を吸いつけて離さないような、そんな何か。
冬の人気のないコニーアイランドに行ったことよりも、ブルックリン橋の下を一緒に歩いたことよりも、思い出すのはあの人の腕の中で眠って目覚めたという日々。
IMG_20170220_180331

“永遠の片想い”
どうしてあんなに夢中だったのか、胸が張り裂けそうなくらい好きだったのか、それはブエノスアイレスとタンゴの魔法だったのかもしれない。右も左も分からないアルゼンチンで、そしてタンゴ界で初めて仲良くなった人。私の憧れのステージで、私の大好きな音楽を奏でる人。助手席に乗せてもらって通った街並みや、お店やお家でのおしゃべりや教えてもらったこと達は今だって私の心の中でキラキラと蘇る。
生演奏をするからと呼んでもらったミロンガで、彼のピアノを聴きながら踊る時間、演奏後の仲間たちとのおしゃべりから読み解くタンゴというもの。
私みたいな女は他にもいるという受け入れがたくも、ありがちな事実…、と今は笑える。
それでも、二人にしか分からない美しい時間があったと信じたい日々。
あの人は、永遠の片想いの方がずっといいのだ。
IMG_20151225_040733

“言葉が要らなかった、恋にならなかった本当の恋?”
「この曲、いい曲だよね」だったのか「この楽団、最高だね!」だったのか、言葉ではなくて目でそんな会話をして彼とは踊り出した気がする。踊ってみると離れられない人、というものが存在する。何曲も何曲も踊り続けて尚、踊りながらお互いの考えや感性や経験を語ることなく伝えあって、離れられない人。話をしないのだから、何も進展しなかった…、といえば嘘になるのか、ならないのか。何もなかったと言えば何もないし、何かどころじゃないと言えば何かどころじゃない。
ブエノスアイレスの歴史深い建物と建物の間の中庭で、いろんな顔や髪や形の人達がひしめきあって踊っていて、そこがヨーロッパなのか南米なのか、はたまた中近東なのかさえ分からなくなるような空間で、真夏の蒸し暑さが去った夜風の下で、私達は何回も恋に落ちたのかもしれない。
IMG_20160115_015041

“日々の小さなコトバタチ”
「僕の太陽が顔を見せてくれないから、僕は悲しみに打ちひしがれていたよ!元気だったかい?」大声で笑いながら、近所のお店のおじさんが言う。「君が来てくれるのは僕の喜びだよ!いつになったら僕の彼女になってくれるのかな?」店の奥からわざわざ出てきて挨拶するパン屋の店主。もはやお世辞にもならない挨拶のコトバタチ。でも、こんなコトバタチがアルゼンチンのどんなお婆ちゃんだって“女であること”を忘れさせない魔法なのかもしれない。

私は恋のエネルギーを使い果たしてしまったような気がする。
恋というものは、もう、いいかな。
結局、私のエゴだ。

でもね、その分のエネルギーがね、上手く循環してない気がするのだよ。
多分、タンゴもね、同じエネルギーで私は恋するんだと思うんだよ。
それか、それを忘れるくらい。
59


日本とブエノスアイレスの狭間で。

私はこのブログの記事を書く時、ファイル名を「祈り」としていた。
ブエノスアイレスでの日々は、祈り、願う日々でしかなく、文字通り“夢を食って”生きていた。
NYを経て日本に帰ってきてみて思う。かなりハードな日々を送ったもんだ…、と。
それでも、秋に、これまで健康だけが取り柄だった私が大きく体調を崩した。
夢への遠回りをしているような、“生きてる”実感を感じられないような、日本での生活がよほどストレスだったのか、それとも、数年分の毒出しをしたのか。

01

 帰国した時に予想した通り、そしてそれに怖れを感じた通り、私の視界?視線?視点?はすっかりぼんやりしてしまった。殺気を感じることもなく、安全でキレイで快適なこの国で、眼光鋭く生きる必要がないのだ。当然である。
 私の笑顔は増えただろうか?安心できる仲間がいて、心許せる友達がいて、言葉の壁や文化の違いに悩む時間はぐっと減って。きっと私は前よりも笑ってるんだろう。年がら年中流れていた涙は、今はほとんど姿を見せることはない。

02

 日本での時間というのは、安心して自分の生き方、考え方、進むべき道を見直すための時間なのだと思う。どんなに頑張ってみたって、私が日本人だという事実は変わらない。夜毎、私の脳裏によぎるブエノスアイレスの通りや建物や、なんでもない風景たちが今すぐにでもあの国に帰りたい気持ちにさせるけれども、決めてしまえば手段を選ばない弾丸の様な私が、足踏みをしているのは、心がカサカサになってしまう様なあの国の現状の中で、生き抜く術を考えろと心が騒ぐからかもしれない。
 長年、向こうで暮らした人達が次々と帰国してきている。詳しい理由は聞いてはいないけれども、ブエノスアイレスはどんどん暮らしにくくなっている。デモやスト、暴動に慣れっこになってしまう街ではあるけれでも、数週間前のものは酷かった。「早くブエノスに帰って来い!」と言ってた友人でさえ、「1、2年は帰って来ない方がいい…。」と言ったくらいだ。

 それでも、帰りたいのは、あの街で踊りながら聴くタンゴ、あの街の人達が歌い演奏するタンゴ程、心震える瞬間に日本でなかなか出逢えないのだ。出逢えたとしても共感できる人が少なすぎる…。
当然だ。タンゴはブエノスアイレスの街で育まれ続けている音楽であり、踊りであり、文化だ。それを「タンゴを学ぶのにブエノスアイレスに拘る必要はないと思う」とさらっと言ってのける、タンゴの上澄みだけを楽しんで踊ってるような人達に、いくら伝えたくても伝わらない想いというのが積り続けるのだ。

03

「考えすぎだ」という人もいる。でも、何かに真剣に向き合う時、その背景にある歴史や文化、人々の生活や生き方、考え方まで知りたいと思わないのだろうか…、その方が私には不思議なのだ。…とはいえ、踊りよりは歌に練習時間を割きたいので、技術という面ではタンゴの踊りは上達してないと思うので、偉そうなことを言うのはやめようか(笑)。

 しかしながら技術ということに関して。
技術だけに傾倒していては本当のタンゴの深みや面白さを理解することはできないと思っていたし、日本では特に“学ぶこと”が好きな国民性上、どうしても“正解探し”=“間違い探し”になって相手に対して文句を言う人が多すぎて悲しくなることも多かった訳だけど、踊りの先生達と仕事をする中で考えも少し変わってきた。
楽しく踊るために、やはり技術は必要である、練習やミロンガでの実践は言うまでもない。でも絶対的に大前提なのが、ミロンガで踊る時間というのは「二人で音楽を楽しむ時間」であって、相手の粗探しをする時間でもないし、まして自分の美しさや技術を周りに誇示する時間でもない。
私が一番、日本に帰ってきて違和感を覚えているのが、タンゴを煌びやかに飾り立てる風潮な訳だけど、それに対して“下町タンゴ派w”として反抗してきた訳だけど、敬愛する日本人女性ダンサー(ブエノス在住)と話す機会があったので、この問題について話してみてすっきりした。「私は、自分がやっているタンゴというものに対しての敬意を込めて、ドレスアップしてミロンガに行くのはいいと思う。けれどもそれが、自分を美しく見せたいがためのお洒落なら違うと思う。」と。感服…。
という訳で私も来年から、少しは反抗期を終了して、タンゴに対するリスペクトという意味でエレガント路線に戻ってもいいかな、なんて考えている年末。

03

そして私の歌に関する光明。
感情表現、歌の世界観の理解・表現ということに関して横に出る人はいないというくらい、素晴らしい先生に私はブエノスで出逢えた訳だけど、いつも技術的な部分に対する不安がぬぐえずにいた矢先、しかも日本で自分のタンゴの歌が衰退していくだけのような気がして苦しかった矢先、同じ日本人として素晴らしいタンゴを歌うKaZzma さんとの再会。
自分がタンゴの歌に向き合ったからこそ分かる、その素晴らしさ。
「僕たち日本人がアルゼンチン人と肩を並べようと思ったら技術しかない。」
…、…、…。
…、…、…、…、…、…!!!。
そりゃ、そーだ。何考えてたんだ、私!?
勿論、Sandraに最初に習ったことは微塵も後悔してない。柔らかい幼稚園児みたいな頭で、何の先入観も無しに学んだから、あんなに短期間でなんとかタンゴを歌えるように(表現できるように)なったと思うし、彼女と一緒に“歌詞の世界を生きる術”を学んだ時間は、かけがえないのない宝物だと思っている。
これからは、粗削りな私の歌をブラッシュアップしていく時期なのかな。

mensaje de mumu
photo by Mumu

ということで、歌い続けなくては、私は死んでしまう。
ということで、よそ見をしたら、私は死んでしまう。
ということで、そんなことが分かった大晦日。

地に足つかない私が、根の張りかたを覚えられたら、どこでも生きていけるんだと思う。
どこにいても、そこが私の居場所でないように感じてしまう自分を変えられたら、
私はやっと幸せになれるんだと思う。
居心地が悪いからこそ、独りになりたくて、自分から出ていくくせに寂しくて死にそうになる悪循環、教えてもらえたからね。

どこにいたって、誰といたって自分が変わらないと世界は変わらないんだよ、
Kaorita。

「あのシンプルで小汚くて美しい人達とその人生」

昨日、今はチリにいる写真家のMumuが連絡をしてきた。「今、話せる?」と。

16143714_1336077299790639_1474620309719262357_o
Photo by Mumu

何事かと思って連絡してみると、「君がNYで歌ってる動画を友達の音楽家達に見せたの。」と。相変わらずアーティスト達と楽しく過ごしている様子が羨ましい。というか、南米は皆がアーティストなのだ。汚ったない通りでボッサボサの恰好をしてるおじちゃんだろうと、“女性である”ということを忘れてしまってるんじゃないかってくらい野性的なお姉ちゃん達だって、音楽や踊りが身近にあって、歌ったり踊ったり、画を描いたり詩を読み上げたり、自分を表現することが本当に自然なことなのだ。

17015924_10158657649735144_2076047490375890741_o
Photo by Mumu

(ちなみに、彼女の作品が本当に素敵に変化し続けていると思うので、Mumuの下記サイト是非見てみて下さい♪)
https://www.mumuko.com/single-post/2017/07/19/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E8%AF%9D%EF%BD%9C%E4%BD%A0%E7%9A%8450%E5%B2%81%E8%BF%98%E4%BC%9A%E8%A3%B8%E5%A5%94%E5%90%97%EF%BC%9F%EF%BD%9CWill-you-still-run-naked-when-you%E2%80%99re-50

電話をかけるとやたら流暢なスペイン語が…。Mumu!?かと思いきや、「あなたの歌、感動したわ!いつチリに来るの?私も歌うのよ!いつか一緒にコンサートしましょう!!」と、まるで笑顔が見えるような明るい話し声。“お金に頼らない生活をしてみたい”と世界各地を渡り続けるMumuの近況を聞いていると、またどこからか違う声が入ってきて「チリにおいでよ!一緒にピスコ・サワーを飲もう!!僕たちはもう、何時間も飲み続けてるけどね。」とまた楽しい声。
 たまらなく南米が恋しくなる。あの、人の距離感なんて全く考えもしない、感情を120%表現しきって生きている彼らが。どんなに不便で不条理な社会で生きていようとも、そんなことを笑い飛ばして生きている彼らが。大人なのに子どもみたいに泣いて笑って大騒ぎする彼らが。小汚い街で美しく生きている彼らの暮らしが。

IMG_20151213_165819


最近の私と来たら、遅れて来た反抗期のように(遅すぎるという話もなくもない)、日本や日本人の全てを斜に構えて見てしまうのだから手に負えない。とてもとても“可愛らしく”収まった女性陣はすごく不自然に映るし、甲高い笑い声や喋り声は時に耳につく。とてもとてもキュートなメキシコ育ちのハーフの女の子とその件について話していたら、彼女は本当に可愛い女の子だけど、「日本の女の子達が可愛らしすぎて、自分が男みたいに思える時がある。」と。私なんて、ステージのある時くらいしか化粧もしなくなったし(日本では失礼に当たると友人に指摘されつつ)、以前は追い求めていた可愛らしさなんて微塵も必要性を感じないので、“態度がデカい”だの、“ガサツ”だの客観的に自分を認識しつつも今のところはこの方向でいくつもりである。ただ、タンゴにやはりエレガンスを最重要事項だと認めるのであれば、いくらか方向転換しないとかな、と思いつつ、今のところ“下町のタンゴ”でいいや、と思っている。

IMG_20150929_004323
もちろん大好きですよ、こーゆー感じも。

先日、大好きな人達とまさかの“角打ち”で大騒ぎしながら呑んだ。昔の、少しでも“上品で教養のある私”を目指していた私が見たらひっくり返るだろう(笑)。オシャレなレストランで、この国のワインがどーだなんて言いながら時を過ごすことを良しとしていた私が、壁中に手書きで焼酎や日本酒の値段が驚きの価格で張り巡らされている酒屋で立ち飲みして大騒ぎするのである。
とっても楽であるw。

IMG_5687


どうしてあんなにも頑張って背伸びしてたんだろう。もっと楽に生きても良かったのにね。仕事だって、学歴にお給料、職種で他人を見ていた部分は未だ抜けきれない部分かもしれない。でも今の私は週に2、3回はウェイトレスもするし、お給料なんて昔の何分の一?とかでも、大好きな楽しい仲間とこれまた大騒ぎしながら仕事できて幸せだなと思う。
今の私が日本や日本人を斜めに見てしまうのは、昔の自分自身に対する怒りかもしれない。自分自身に嘘をついて生きるコト、そうさせた私自身や家族、社会に対する怒り。
そして、その大好きな人達と大騒ぎした翌日から夏風邪で私は苦しんだ訳だけど、体調を崩すのはもっと根本的な問題から来るという説を信じる私としては、ただの気温の変化とかエアコンの問題とかだとは思っていない。あの日、大好きな彼らに私の根本的な問題?弱点?を言い当てられたから。認めたくなかった事実を突きつけられたからだと思う。

そんなこんなで自分の課題が分かったところで、これからどう生きてくかだな。
あのシンプルで小汚くて美しい人達のように生きていれば、本当に自分が望むものにたどり着けるだろうか?この日本という国で?それとも全く違う国で?

20155846_1331573013625490_6193937420516116007_n

ギャラリー
  • 「恋の話をしよう。」
  • 「恋の話をしよう。」
  • 「恋の話をしよう。」
  • 「恋の話をしよう。」
  • 「恋の話をしよう。」
  • 日本とブエノスアイレスの狭間で。
  • 日本とブエノスアイレスの狭間で。
  • 日本とブエノスアイレスの狭間で。
  • 日本とブエノスアイレスの狭間で。