【地球の裏側で!!】 食べて・踊って・恋をして☆ in アルゼンチン♪

南米のパリ☆ と謳われたブエノスアイレスを起点に、海外あれこれをお届けします。

アルゼンチンで「日本人である」ということ

「秋晴れ」というのは、どの国でも美しいもので、まだ冬が来たわけでもないのにやってきた大寒波が去った今日、ブエノスアイレスの午後に爽やかな青空が広がっている。
私の住むMonserrat は通りという通りに建物がぎっしりと立ち並んでいるので、通りに光が届く時間というのは限られている。時と街の変化によってすさんでしまっている薄汚れた白い壁が、それでも建築当初はさぞや美しかっただろうなと思わせる姿で光を反射しているその先に、青空が見える光景というのは、理由なく心が晴れ晴れとする。
あまりの寒さに家の中に引きこもりがちだけど、お昼間は気分転換に外に出るに限るな…、なんてコトを考えつつ。

誰かの文章を読みたくなる時というのは、その人の考え方やセンスや生活に触れたい時なんだろうなと思う。モノの見方とか生き方とか。海外で暮らしている、もしくは暮らしていた友人達の文章というのが私は好きだ。
私は多分、人一倍おしゃべりで日本語の繊細な表現力から切り取る世界観とかがとても好きなので、そんな言葉が通じる彼女達ととめどなくおしゃべりするのが大好きだった訳だけど、離れている分、彼女達との会話は彼女達が書き綴る文章を通してのものになるのかもしれない。

「ねぇねぇ、ブエノスで暮らしてて思うんだけどさぁ。」
日本にいるなら、彼女達が横にいるなら、こう始めて彼女達の意見を聞きたいトコロ。

仕事柄…(といっても問題ないくらいには少しは板についてきただろうか?)、日本語の生徒ちゃん達から日本の繊細さ、美しさについて再認識させられることが多すぎる。
私達が想像している以上に私達の国は繊細で美しくて、“静か”だ。

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この「静けさ」の生み出す美しさがお分かりだろうか?
この騒音大国(失礼!)アルゼンチン(いや、ブエノスアイレス市内限定か!?)に住んでいると、
自然を愛してきた民族ということもあるだろうし、「もののあわれ」なんて、もはや思い出しただけで美しくてため息がでる。
私の生徒ちゃん達は、空手の先生に合気道の先生、墨絵や日本画の先生と、日本文化を愛してやまない人達だ。そして大概、日本に行ったことがある。皆、日本が大好きだ。
「ZEN」というのはこちらでも流行りの一つなんだろうけど、ファッションとしてやる人に「禅」ができるはずもない。私の大好きな生徒ちゃんの一人は、日本の大学で日本画を勉強していたのだけど、日本にいる時、修行中は一言も喋らない(私、無理だ!!w)という瞑想をお寺で数日間したらしい。同じプログラムがブエノスであるというので楽しみに参加したところ、「アルゼンチン人には無理なんだって分かった…。」とがっかりしていた。
もともとお喋りな国民である。それに加えて”決まり”(って何?くらいの勢い)を守る人達は少ない(スミマセン。)。ということで、瞑想中はなんとか頑張れたとしても、例えばトイレで顔を合わせたら喋り出す等々、全く修行の意味がない!と、彼女は憤慨していた。
彼女に頼まれて日本語で書かれた日本画の本の説明をしていた時のこと。あまりに絵を描けるに至るまでの準備が繊細で複雑で、「なんて大変なんだ!」と二人で叫びながらも、「いや~、すごいねぇ、美しいねぇ…。」と感嘆したものだ。貝殻や天然石から作られた色の粉を、固まらないように温めながら何度も何度もこねるとか、紙を貼るのは晴れた日だとか、紙を準備するのは曇りか雨の日だとか(反対だったらゴメンナサイ)。

そんな繊細さを持ち合わせ、素晴らしい教育の賜物である上品さが日本人の美しさなのだ。
「海外で長く暮らした人は日本に帰ってくるとすぐ分かる。」
と、こちらでお世話になっている素敵な日本人のお姉さんが話してくれた。
「“雑”になってくるんだよね。」と。
いやしかし、日本人の繊細さを持ち合わせたままでは海外では潰れてしまうということもある。海外で生きるというコトは随分と図太くならざるを得ないし、細かいことなんて気にしてたらストレスで死んでしまう。特にこの愛すべき大雑把な国、アルゼンチンでは(笑)。
「あ~、やだやだ!気を付けようね…。」とお互いに戒めつつ…。

ブエノスアイレスには思ってた以上に多く日本人が暮らしている。私からしたらTango 以外でこの国に来る理由があるのか?と不思議でならなかったりするのだけど(だってスペイン語やサッカーの勉強したいなら他にも選択肢はある訳だし…。)、でも人は自分の知らないところで必要なものを選んで生きているのだと思う今日この頃。

最近、この街に暮らす友人達での女子会で至った結論。「ブエノスアイレスで暮らす日本人女子は“面倒くさい女”(日本では)なんだ!」というコト。(あくまで我々論ですw)。
例えば、Aちゃんは、好きな人には常に抱きついてチューしたいし、恋人なら「愛してる」と毎日何回でも言いたい。Bちゃんは、多分、異常すぎる(日本なら)エネルギーで感情を常に爆発させて生きている。Cちゃんは言葉が通じないから、一言一言“Google先生w”に聞かないと会話が成立しない。日本なら面倒くさい女達だろう(笑)。しかし、この国では日本ほど深刻な問題にならない気がする。
(本人たちは悩んだり、諦めたりを繰り返す訳だけど。)
特に感情面においては、そこにいた女子達だけではなくて、ここに住む日本人女子達からもよく聞くのが、「日本にいたら絶対見せなかったような感情を見せて、“泣いたりわめいたり叫んだり”するようになったよね~。」という件。アルゼンチン人は勿論、自分の言いたいコトを言いたいだけぶちまけるので、私達が少々騒いだところで動揺しない(笑)。で、私が思うには極論「自分中心」なので、あまり他人の感情に左右されないのではないだろうかというコト。
日本人だったら感情移入してしまったり、自分が悪かったなと罪悪感を感じてしまったりして事態が複雑化するのではないだろうか。言いたいコトをぶちまけあって、後はスッキリしてしまっている彼等というのはある意味、羨ましい限りである。そして、そんな彼らに私達は救われていたりもする。

ということで、この記事を温めている間に第二弾まで書いてしまったので、今日はここまで(笑)。

Tango 新旧について考えてみた。

「Tangoとは何か。」この街でもこの話題は尽きることがないし、Tango を愛している人であればある程、思い入れがあるので、時に自論を展開するのはタブーに近いこともある。
多分、Tango をやってる人なら少なからず一度は考え、答えを探し続けるものではないだろうか。
 
「Tango とは生き様なんだ」「Tango は人生だ」というのは、よく耳にする言葉だけど、
・・・ということはである。「Tango とは何か?」を語るということは「人生とは何か?」とかについて討論するのと同じだから、結論があるはずもない。
100人いれば100通りのTango があるのだ。それなら考えてみよう、私なりのTango。

まず話題を複雑にさせる理由の一つが、Tango は踊るTango 、聴くTango、演奏or歌うTango の立場があるというコト。
踊るTango にも色んなスタイルがあるので、「あれはTango じゃない、これがTangoだ。」的な主張をする人達もいる訳で…。
特に現地のTango界が地元のオリジナルとしてのTangoに誇りを持ちつつも、世界のTango Loversに引っ張られてる感は否めない事実としてある訳で。
この前、映画「Un Tango Más」の舞台挨拶で、María Nieves も「Tango なんてこの街じゃ何にもならないけどね、世界中から観光客呼び込んでる訳でしょ。」と皮肉めいた冗談をとばしていたし、観光客の減るオフシーズンのMilonga なんて閑散としたもので、海外で人気のある先生達は海外に教えに出てしまう。

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やっぱり、「道」を極めた人ってのは、オーラが違いますよね…。かっこいい…。

私は踊るTango はのらりくらりと楽しんでいるレベルなので、真剣に踊りに向き合っている訳ではない(スミマセン)。ダンサーを目指してこちらでエネルギーを燃やし尽くしてる親友を見ながら「た…、大変そうだわ…。」と傍観してるくらいなので、そんな人種の意見とご理解下さい。歌もこちらで始めた一年生、濃く色々見聞き考えはしてると思うけれど、あくまで“今現在”の私論。

こちらに来てよく現地の人が話していて考えるようになったのが「輸出用」もしくは「観光客用」のTango。何事においてもそうだと思うのだけど、星の王子さまも言ったように(笑)「大切なものは目にみえない。」のだ。
Tango の、一緒に踊って音楽と相手と溶け合う瞬間だったり喜びだったりというのは、すごくすごく繊細で本人たちにしか分からないと思う。分かる人には分かるみたいだけど、よほど観察力のある人とかじゃないと“目に見える”ものではないと思う。
あ、でも本当にすごい人達は見てるだけで涙出たりするか…。

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私の親友はものすごいエネルギーで大会でどんどん勝ち進んでマス。尊敬…!!

分かりやすくするには刺激が必要なのだ。だから音楽だってすごくスピード感があったりリズムを刻んでくれるようなものが喜ばれたりするし、それに合わせて派手な動きをする方が観ている方としても楽しいのは分かる。
だから、Tango を踊ったことがない人がサロンTangoを観てもあまり面白くないだろうし、Show Tango が海外や観光用としてはもてはやされる訳である。観光客向けの舞台で仕事で演奏してるバンドネオン奏者の知り合いは、「僕の好きなTangoな訳じゃないから、たまに疲れる。」と言ってたのも分かる気がする。Show Tango を否定している訳ではなくて、素晴らしい芸術だと思うし、それはそれとして好きだけど、私の求めるTango ではないというだけ。はい。

あぁ、だめだ。この文章、終わりがない。どこに辿り着くのやら…。

新しいTango というのを全否定する人も少なくない。「僕にとって新しいTango とか、新しいバージョンとかはTangoじゃないんだ。だってもう、何千という完成されたTango があるのに何でそんなもんが必要なんだ?」とまで言ってのける人もいたけれど、トラディショナルはトラディショナルで良しとして、時代にそった表現を人は必要としてくるんじゃないだろうか…。
と、考えるようになった今日この頃。(あ、踊りもそうなのか?)
というのも、私も今はTradicional なTangoが好きだし、「新しいTango なんて」と思っていた類なのだけど、でも Nuevo の流行がなかったら、もしかしたらTango をやらなかったかもしれない訳で…。

中途半端な新しいものは要らない。でも本当に心に響くものであればそれはTangoだと思えるようになった出来事があった。 
友達の可愛いキレイなギタリストちゃん Mirta の紹介で友達になった女性歌手Vivi。彼女のCDがGardel 賞にノミネートされたというのでそのお披露目ライブに足を運んだ時のこと。彼女がコンセプトを伝えて作詞家やミュージシャンと何度も何度も語り合いながら作り上げたという、オリジナルのTangoを歌ってくれた時のこと。「あ、このTango歌いたい!」と思ったのだ。

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http://www.viviverri.com/
 ご興味ある方は、彼女のHPトップにある "Dejámelo Pensar" 聴いてみて下さい♪ 

歌の合間に「昔の女性なら、ここでめそめそしてたんだろうけど、私達、もう、そんなこと言わないわよ!ねぇ!?」なんて大きな笑顔で笑い飛ばしながら舞台で語る彼女。
そういえば“Cantando”という曲を練習していた時、先生に「昔だったら、弱々しく可愛らしく歌っただろうけど、現代女性は違うのよKaori!もっと力強く歌いなさい!本当のあなたはそんな女性じゃないでしょう!?」と叱られたのを思い出した。
時代が変われば人も変わる。例え同じ歌詞だったとしても、違う解釈をして違う感情を込めて歌うことができるのだ。昔の歌手を聴きながら、「どうやったら、こんな風に歌えるかな~。」と必死だったのだけど、「昔の映画で、話し方が今と違うように、歌い方だって今と違うのよ。」と言われた時は目からウロコ。「今、ブエノスアイレスで演奏してる Orquesta が D'Arienzo だ Troilo だ Puguliese だって、それぞれのスタイルを真似てるけど、真似で終わるならオリジナルのCDを聴いた方がずっといいわよ。だって、完成してるんだもの。だからKaori だってKaoriにしか歌えないTangoを表現できないなら、意味がないのよ。」と。

オリジナルという話で思い出したけど、お友達が何人か演奏してる Pablo Valle Sexteto の曲も、彼らの想いとかストーリーを知ってるのもあるんだろうけど、好きだなぁ。

 
"Para siempre" by PV6


・・・・・・と、一日ねかせて分かった!“Tango風”なものが私は嫌いなんだ。多分。
そこに魂がないように感じるもの。

私が歌いに行くのが好きな場所の一つに、Mandyju という場所があるのだけど、24時に行ったって誰もいやしない。平日夜中の2時3時に大盛り上がりするその場所は、プロからアマチュアまでTangoを愛してやまない人が集まって、その時に集ったミュージシャンによってギターだったり、バンドネオンだったり、バイオリンだったり、コントラバスだったり、その場で練習もなく「これ、歌います。このキーで。」と言って一緒に一曲二曲作り上げるのだ。
聴く方も真剣で、大好きなTangoにともに酔いしれている。
なんだか、そういう“Tangoへの愛”が詰まった場所、好きだな。

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大好きな Osvaldo おじいちゃん♪
 
ま、そういう場所では“新しいTango”が披露されることはまずない訳だけど、トラディショナルを現代の人たちが解釈して演奏しているという意味では“新しいTango”なのかもしれない。
そういえば、サラリと歌詞を変えて笑いを誘うおじいちゃんとかいるしな…。

昔ながらのMilonguero スタイルを愛してその先生もしている私の日本語の生徒くんは、「最近のTangoが失ってしまったものはコネクションなんだよね。もっと胸で感じて動くっていう意味のコネクション。最近の女性はそれがないから、ほうきと踊ってるみたい。」と嘆いていた。

踊りを追求してる訳ではないので、あまり意見できる立場ではないと思いつつ、こちらでMilonga に行くと、特にフランスの人とかはヌエボ系の人が多い気がする。それはそれで楽しいのだけど、うむむ。後、最近勢いがあるらしいロシアの人は技術的にはすごいんだけど、何も感じない(笑)。で、ヨーロッパ勢が多いヌエボ系?の場所(動きが大きくて激しい…)は私は身体能力的についていけないという自負wもあるし、怖くて足を踏み入れないけど、トラディショナルなTango を愛するこちらの人に言わせれば「上に上にエネルギーがいってるよね。もっとTango は下へ下へいくものだと思うんだけどなぁ。床とのコネクションがなくて、なんだかねぇ。」とのこと。
100人いれば100通りのTango、と前置きしたのでどれが正しいという話がしたい訳ではない。
もしかして、人と人の距離感というか親密さというか、そんなものが現代社会で薄れてきているのも関係あるのかしらん?なんてぼんやり考えたり。

音楽としてよいかは別として、今日「僕はFacebook が嫌いだ」というタイトルのオリジナルTangoを披露してる人がいたので、面白かったのでシェア。
単にウケルってだけなんですけど、はい。
魂があるかは別にして、現代に生きる人を笑わせる社会風刺という意味ではアリではないだろうか。 



まぁ、結論に至るはずもないこのテーマ。
流行り廃れがあったり、好みがあったりするのは当たり前。
ただ私が好きだし大切にしたいのは、“魂を感じることのできるTango”ってことかな。
それを表現できるように、今日も修行に励むとするとしよう…。

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 私の100倍くらいのエネルギーと集中力で踊りに生きる彼女と、のらりくらり歌人生な私w

”神様の宿題”ドラマ出演について~その2~

可愛らしい日本語の生徒ちゃんカップルのレッスンを終え、墨絵の先生をしているJulieta のお兄ちゃんのレッスンは午後から。向かいのBlock に住んでいるので、角にあるお気に入りのカフェ "Le Ble" で時間潰し。のつもりが、“通りに面したガラス張りの、角にある見晴らしのいいカフェ”というのはリスボンにいた時からお気にいりなのだ。このツボすぎるお店で文章を書かずにいられようか…。

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街はすっかり秋めいて、お昼で学校が終わった子ども達が楽しそうに横断歩道を渡ってくる。赤や黄色に染まって、秋晴れの青空とのコントラストを楽しませてくれていた木々も葉々を通りに散らしている。
もうすぐ、この街に来て一年になる。
 
資金の問題で「1カ月いられるかな…、2ヶ月いられるかな…、」なんてドキドキしながら過ごしていたのに、たくさんの人に助けられ、たくさんのご縁が繋がって今もこの街で暮らすことができている。

一年前の今日、ブエノスアイレスで、とりあえずは人前で歌えるようになったなんて、日本語を教えてるなんて、ドラマに出演してるなんて、予想もできなかった。
Tango が嫌いになりそうなくらい、この街の現実やTango界の現状を目の当たりして、悶々と悩もうとはw思ってもいなかった。
それでも、そんなものが全部“芸の肥やし”だと思えるくらいにはたくましくなった。
「結局、私は悩むのが好きなだけか…。」と自分を笑うことができるようにもなった。
「なんとかなるし、なんとかする。」
そんな私の人生の課題を相変わらずクリアし続ける日々。

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この街に住むようになって、「キレイなものだけ見て、美しいコトだけを良しとして」生きてきた自分の価値感を覆さざるを得なかった訳だけど、それがTango を理解するのにも多いに役立った。
更に最近は、「キレイな部分だけを見せて、美しいコトだけを語る」ことをしたがる生き方も覆されている模様。

というのがドラマの現場での強制修行w。
毎回、「そろそろ私の出番、終わりかな…、終わりかな…?」と思いながら現場に行っている訳だけど、「とにかく楽しもう。」「やれるだけやってこよう。」と腹をくくってから流れが変わったように思う。
本当に必死で、心の中ではパニックで、「分かってないことを悟られないようにしよう。」とか無駄なことを考えていたのだけど、「言葉の分からないオリエンタル役で採用されたのだから、いいじゃないか。」と開き直り、撮影の前の日や長い道中は、現場の皆と笑顔で大笑いしてる様子をイメージしながらスタジオに向かうようにした。(というのも、大笑いできた撮影の日のカットというのはテレビで観ていても分かる程、よい感じに仕上がるから。)

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直訳すぎるやろ…(笑)。ま、こんな笑いを求められてる訳だな、うん。

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撮影現場にも、もちろんマテ茶!!! いいんだよ。リラックスしてやればね。はい。


テレビに映る自分を見ながら、「あ、この表情変だな」とか、「うわ、この顔嫌だな」とか色々思うわけだけど、誰も“キレイなKaori ちゃん”を求めている訳ではない。いかにコミカルに面白くそのシーンを盛り上げてくれるかなのだ。
主人公と絡むシーンが多くなってきたので、「間違えても主役様の邪魔をしてはいけない。」と緊張していたのだけど、そんなことを考えていた時はあまりいいものにはならなくて、とにかく楽しもう!と思うと主役さんとの息があってきた。
そんなこんなしてると、台本には私は現れてないのだけど、「とりあえず使うからいて。」と呼んで頂けるようになった。…のは有り難いのだけど、使い方がヒドイ…(笑)。
こんなコトしたことないし…、というようなおバカっぷりをやらされる。
その時ばかりは、恥ずかしいとか、どう見えるかとか全部捨てて体当たりするしかない。

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セットのバスもロケになればメイク室に早変わり☆ 

主役のGriselda Siciliani は周りの話によると40代(超カワイイっす!)。有名人カップルらしく、ゴシップネタの雑誌に旦那様と可愛らしい子どもちゃんと登場してたりする。私は午後入りのことが多いけど、彼女は主役かつ一人二役なので結構、平日毎日朝から出ずっぱり。しかもフル回転で台詞を「これ、もっと面白いのに変えよう!」とどんどん変えていく。しかも先週の金曜なんて夕方までの撮影の後、主役のミュージカルの舞台に立っていた(一体いつ練習してて、いつ休んでるんだ!?)。
基本、彼女から笑顔が切れることがない(これがエネルギー源なのかな?)。
「アクション!」の監督の一言前、私の変顔を真似ながら一緒に面白いシーンを作り上げてくれる。最近は私は台本に現れてる訳ではないので、完全にスタッフ陣と彼女がどんどんクリエイトしてくれている。二人で顔を見合わせて大声で「キャー!」って叫んだり、全く打ち合わせもなく色々出来上がっていくのは、まさに彼女の力量。感謝、感謝。
なんか、言葉を越えて伝わるものがあるんだな、というのを彼女と演技していると感じさせられる。
(だって、台本もなければ打ち合わせもなく形になっていくのだから。)

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ちなみに、この真ん中の俳優さんも日本で観てたドラマに出てた人で、その話したら喜んでくれました☆

初めてCMの仕事をさせてもらった時、現場のクリエイティブなエネルギーが好きすぎて、「クリエイティブな人達と仕事したい。」と手帳に書き続けたことに対する、神様のプレゼントだと思う。

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皆、リラックスモードでお茶目なんだな、これが。 

 エネルギー使い果たして、帰る頃にはぐったりしてしまうけれど、これも神様のプレゼントだなと思う。一人でいると悶々と考えだす私を、笑うしかない現場に引っ張り出してもらえたこと。昨日なんて皆ツボにはまりすぎて、これ以上撮影を続けられない!と思うくらい涙を流して大笑いした。なんだか怖いな、と思ってた迫力ありすぎる女優さんとかも仲良くなって、楽屋で一緒にTango を歌ったりなんかした。

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ドスの効いた声が凄みを増すNola、面白すぎて涙でる!と、共通の知り合いがいたPia。

共演の子が「仕事だから笑ってるけど、貧しさとか性や人種を笑いのネタにしてるし、酷いわよね。」と言っていて、「今、アルゼンチンで教養ある人はこんな番組みないよな。」なんてなんだかんだとオタカクとまっていた私は、複雑になったりもしていたのだけど、私が現場で笑うことで自分が救われたように、私がおバカなことをやって、それで笑って辛かったこととか、悲しかったこととかを忘れられる人がいるならいいな、と思っている。

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通勤路。Retiro 駅近く。
 

電車に乗れば、平日の昼間から物乞いに近い仕事をしてる子ども達とかも多くて、「この子達を食べさせるために」とか「私は病気で薬が必要なんです」とか、その裏に組織があって働かせてるとかいう話も聞くと、信じることも何かすることもできなくて悲しくなったりする。
根本的には教育や社会の問題とか数十年かけて改善できるかできないかの問題なんだろうけど、今の段階で、私が彼らにTango の歌を届けることはできないし、彼らがTango を聴きたいと思うかも怪しい。せめて、テレビを観られることはあるだろうか。…書きながら、それも難しいような気もしてきたけれど。
 
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そんなこんなで日曜日のブエノスアイレスは昨日から霧雨が降ったりやんだりしている。
音もなく、上から下へ落ちてるのかも分からないくらいの繊細さで空を舞うこの雨が私は好きだ。

ちょっとだけ、気分転換に日本に帰りたいな。
気の合う親友達といつも集っていたお気に入りのカフェで、とりとめもなく何時間と話し続けたり、繊細で美しくて美味しい料理とお酒を楽しみながら皆で大笑いしたいな。
そんなことをポツリと考えつつ、考えてもどうしようもないので、いつか歌いに帰れる日を夢見ながら、ここでの生活を続けていくしかない。
Tango の神様は、たまに(結構よく?)すごいプレゼントを用意してくれてるから。
がんばれ、私!
 
 
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