【地球の裏側で!!】 食べて・踊って・恋をして☆ in アルゼンチン♪

南米のパリ☆ と謳われたブエノスアイレスを起点に、海外あれこれをお届けします。

NYで出産に立ち会うの巻

 私の人生でこんなにも美しくて感動的な光景を初めて見た。
赤ちゃんがお母さんの子宮から出てくるその瞬間。ママが気を失ってしまうんじゃないかとか、体力が持たなくてどうにかなってしまうんじゃないかとか、そんな心配をしてしまうくらい壮絶な時間。私は何をすることもできなくて、でも、ただただ少しずつ出てくる赤ちゃんの頭と、頑張っているママと、それをヘルプするパパにドクター、病院スタッフさん達を見守るしかない。
 赤ちゃんが出てきたその瞬間は、赤ちゃんは灰色に近くって宇宙人みたいな顔をしていて苦しそうで、でもあっという間に真っ赤になって、あまりにも可愛らしい声で泣き始めて、その場にいる全員を笑顔にする。私は涙が止まらなくて、陣痛に苦しんで死にそうになっていた彼女が赤ちゃんを胸に抱き「可愛い!可愛い~!」と心から発する言葉に、また涙が溢れてしまう。

image1

  出てきたことを見ていたにも関わらず、こんな生命体がお腹に入っていたなんて信じられない…。分かってはいたし映像でも見たことはあるけど、そんな気持ちでいっぱいになる程、赤ちゃんは思っていたよりも大きい。お腹の中でこんなになるまで育ててきたなんて、本当にすごい。赤ちゃんのへその緒を切ったり、体重をはかったりバタバタしている横で、彼女の身体から真っ赤な胎盤が出てきている。これだけの赤ちゃんを包んで育ててきたのだから当然なのだろうけど、胎盤はとても大きくいレバーみたい。ドクターが両手で抱えてそれをトレーに移す。グロテスクとか怖いとかいう思いは全く起きなくて、ただただ、すごいな~、と思う。これでこの子をここまで育ててきたなんて。
 出産の直前までダンスのクラスで激しく踊っていたり、自分の愛する生徒さん達のいるボディケアのレッスンで、私なんかよりずっと軽やかにボディワークをこなしていた。本当に彼女には脱帽ものである。
 そんなスーパー妊婦の彼女にも、どの妊婦とも同じく陣痛がやってきた。よろよろと「痛いよ~、痛いよ~。」と言いながら歩く彼女に私達は何もしてあげることができない。ただでさえナーバスになる妊娠・出産という経験を彼女はアメリカで体験しているのだ。早口のナースやドクターの英語に時に戸惑いながらも、大切なことはきちんと勉強して答えている彼女。痛くてそれどころではないはずなのに、しっかりと答える彼女の姿は「母親なんだなぁ」と強さを感じて感慨深い。
 
 無痛分娩を選んだとはいえ、“無痛”なはずがない。陣痛の痛みは彼女を苦しめ続け、旦那さんに八つ当たりしてるようにも見えるその姿は、本当にどうしようもない痛みなんだろうなと感じさせる。
 数時間前、お出かけしていた私は「陣痛が来たから、明日の朝、病院に行くと思う。」との連絡を受けた時、痛みに耐えている彼女には悪いのだけど、「ついに太陽君がやってくる!生まれる、生まれる♪」とワクワクな気持ちで家に帰った(私は今、彼女の家に住まわせてもらっている)。
 私が帰宅した真夜中の時点で、既に陣痛は夕方からずっと5分おきに続いているらしいのだけど、病院から「本当に痛くなるまで待て。」と言われたと苦しんでいる。出血したというのですぐさま病院に行くも、麻酔をしてもらえるまでの時間が長い。痛みがくる度に熱を帯びる額にはじっとりと汗がにじんでいる。
 ぽたぽたと落ちる点滴が終わるのを今か今かと待ち、やっと麻酔ができた頃、痛みは完全にはなくならなかったけれど、今だとばかりに一緒に写真を撮った彼女は満面の笑みだ。これで安心、あとは出てくるのを待つだけだと皆でしばしの眠りに入る。気が付けば明け方に近づいていて、「あと30分もすればでてくるわよ」と教えてくれるナースは天使に見える。お腹の左側に痛みの残る彼女を的確な指示でケアしてくれる病院スタッフの様子を見ながら、既に泣いてしまいそうである。何人もの子ども取り上げてきたであろう熟練した様子は、本当に頼もしい。

28

 今、ハドソン川の向こうにマンハッタンの広がる景色を眺められる病室で、赤ちゃんはママの腕の中ですやすやと眠っている。赤ちゃんってこんなに動くんだ!とびっくりする程、取り上げられてすぐにバタバタと手足を動かしていた太陽君も今は夢の中なのだろうか。目が覚めればおっぱいを探し、可愛らしい声で泣き、そしてまた眠ってしまう。
 皆、皆、こうだったのだ。
何もできなくても皆を幸せにする力を持っていて、ただご飯を食べて眠るだけで十分。
理由があってパパ不在で赤ちゃんを産む人のことを彼女とよく考えた。とんでもない強さだ。出産の途中で命を落とす人もいるだろうことが想像できた。おっぱいがなかなかでないと悲しむ母親の姿が浮かんだ。皆、状況は違ったかもしれない。でも、私達一人一人が生きている以上、この“赤ちゃんだった”という事実は同じなのだ。
 赤ちゃんを初めて胸に抱き、おっぱいをあげている彼女の姿は本当に本当に神々しくて美しかった。旦那さんと二人で赤ちゃんを見つめるその光景は、そこに光が当たっているようにも見えるくらい特別なものに見えた。

16734813_1766340133685063_1723539502_o

  本当に出産に立ち会わせてくれてありがとう、愛ちゃん。
本当に頑張ったね。私よりも10歳も年下で、この前まで少女みたいだったのに。
凄まじい痛みの中で、彼女はステージが見えたそうだ。「こんな痛い思いをしたなら、私のやりたいことをやらなくちゃ!」と。そう、彼女はダンサーになるためにこの街に来たのだ。
人生で、家庭を持つこと、子どもを持つことが自分の人生の中断になるように感じてしまうのは彼女も私も、そしてきっと大抵の人は同じかもしれない。
 でも、こんな光景を目にしてしまうと、なんだかなんでもどうでも良くなってしまう。変な話だけれど、私はこの素晴らしい光景を目にしながら「ああ、こんなに素晴らしいものを見たから、私の人生はもうこれでいいかな。」と思ってしまった。いやいや、だからこそ頑張ろうと思わないといけないのだろうけど、そんな不思議な感覚になるくらいの経験だった。
 人生で一番大切なものは何だろう。
 私が欲しいものは何だろう。
ただ、今言えるのは、「お母さん、私を産んでくれてありがとう。」その言葉だけ。
世界中の全てのママは素晴らしい!!

NYが教えてくれたコト

 ブエノスアイレスの喧騒をもう思い出せない、もしくは思い出したくなくなる程、ひどく静かで穏やかな日々を私は過ごしている。
 二年ぶりに再会した、もうすぐママになる友人と、ひたすらおしゃべりをして、笑いあって、物音ひとつしない部屋の窓から大きな木を眺めたり、隣りの家の屋根や柱をリスがトントンと駆け上がっていく姿を微笑ましく見つめていたりする。週に何回かでかけるマンハッタンで刺激を受けては、家路で川越しにきらめく夜景になったその街を眺めるだけでいいやとほっとしたりする。

16
 
 最近のお気に入りは Bryant Park とそこを二階から眺められるカフェスペース。いつだって、広々とした通りに面したガラス張りのカフェというのは私のお気に入り。日本と何ら変わらない快適さと、日本よりちょっと劣ってもブエノスアイレスとは比べものにならない街の清潔さが、こんなに安心感を与えるものだとは知らなかった。
 
 ただ、相変わらず私を混乱させるのは街中に溢れかえる商品や美味しい食べ物や、それらを売るための必要以上すぎないかと思わせる多くのお店達。この前なんて、素敵な感じだったので Macy’s に入ってみたら、久しぶりに感じる百貨店というものにくらくらしてしまった。床が一つの埃も許されない感じでピカピカしてるとか、香水のいい香りが漂ってるとか、全てが上品にディスプレイされてる感じとか。日本でいくらでも慣れ親しんでいた空気のはずなのに、情報量が多すぎて処理できない。友人の誕生日プレゼントを探したかったのに、二階に上がろうと階段を半分上っては、「あぁ、無理だ…。」と引き返してしまう。冬の独りの寂しさを感じさせる通りから見えた素敵なスタバも、お店の中に入ったとたんに賑やかすぎて、これまた階段を半分上がっては引き返してしまう。
 マンハッタンを歩くと、どんどん色んなものが目に飛び込んで来て「情報量が多すぎる…。」と混乱するコトが多い。賑やかな Broadway のネオンや映像広告だったり、街行く人達の個性に富んだファッションだったり、次々に現れては消えるたくさんの商品がディスプレイされたお店達だったり。
“目に飛び込んでくるモノ達から私達が受け取る情報量”が、私達が想像している以上なんだということを思い知らされる。ずっと住み慣れた街なら刺激も減るのだろうけど、それでも私達は日々、多くの情報を街から受け取っているのだ。

51


 ブエノスアイレスも移民の街だけど、NYの“移民感”はブエノスのそれとは全く違う。とにかくブエノスはたくさんの移民が“ぐちゃぐちゃに”混じり合い続けているという感じを受けるけれど、NYは“整然と”色んなルーツの人が街を構成しているような、そんな感じ。それだけに、肌の色による無言の(もしくは無意識の)差別感が少し衝撃的でもある。レジやウェイターに“白い人”を見かけることは比較的少ない。アルゼンチンだって、街中にインディオ系やアジア系も溢れている中、テレビでキラキラしている人達はほとんど“白い人”というのにはすごく違和感を覚えるけれど、なんだかこの街は“冷たく交わらない”感じを受けるのだ。それは移民どうこうの問題ではなくて、人と人の間のスタンスなのかもしれない。
 ブエノスアイレスの、あのひどく人懐っこい感じがひどく懐かしい。この街の人達は基本的に他の人に無関心なのだそうだ。カラフルなチュチュで作った帽子なのかカツラ?なのか分からないものを頭にかぶり、ひらひらのスカートをはいてるおじさんがいようと誰もジロジロ見たりはしない。ブエノスアイレスなら、ちょっと気取ったおじさんおばさんは「ちょっと、見てみて!クレイジーねぇ…。」と見ず知らずの私に声をかけてくるかもしれない。若い子なら「ねぇ、あれ、どう思う?ウケルね…。」と目配せしてくるかもしれない。知り合いにあったら、それが昨日会った人であろうと大袈裟に「寂しかった!会いたかった!何してんの?」と大声で叫んで抱きしめてキスをする。そんな挨拶ができないのもなんだか寂しい。ぎゅぎゅっと抱きしめて、お互いの温かさを感じて、思ったことを正直すぎるくらいに口に出して挨拶するって、本当に素敵な文化だと思うな。うん。

16295980_1755842571401486_1138795745_n
 
 こちらで穏やかな生活が保証され、素敵な日本人に囲まれて笑いながら暮らしていると気付く。ブエノスアイレスでは、生活の問題だったり、言葉の問題だったり、治安の問題だったり、Tango をいつになっても歌えないように感じることへの焦燥感だったり、そんな全てですごく張り詰めて生きていたんだなと。
 私の友達は、本当に私が見ていても嬉しく幸せになるくらい、素敵で面白すぎる日本人に囲まれていて、私もその恩恵を受けている訳だけど、先日、本当にお腹が痛くなるくらい皆で大笑いした。私はスッピンだし、ほぼパジャマな訳だけど、その様子をビデオでみてすごくいい顔をしているのにびっくりした。ブエノスアイレスでどんどん自分が嫌いになりかけていた。なんだか街に合わせたようにガサツで小汚い自分になっている感じがすごく嫌だったのだ。「日本にいる頃はあんなにキレイにしてたのにな。」と、ケアできる余裕だったり、キレイなお洋服を買ったりもできない生活にも少し嫌気がさしていたのかもしれない。こちらにきて余裕ができた訳でもないし、すごくキレイにしてるかといったらそうでもない。ただ、違うのはリラックスして毎日笑ってすごせているというコトだと思う。

53
 
 私の友人はスーパー妊婦なので、周りの心配をよそに臨月であろうが構わずに激しいダンスレッスンに行く(笑)。そこの先生がものすごく衝撃的だった。アフリカルーツの彼女は太陽のように明るく元気なオーラを当たり中に放ちまくっていて、妊婦かと一瞬疑ってしまう立派なお腹や、お尻をフリフリする度に目が離せなくなるボリューミーすぎる下半身は、日本の感覚だととてもダンスの先生として許される体型ではない。
 そんな彼女があまりに可愛くて、魅力的で目が離せなかった。多分、プライドとは別の“自分が好き”だし“自分がやってるコトが好き”という揺るぎない自信からきてるんだろうな、と。それは、ブラジリアン・ミュージックを観に行った時にも感じたことで、シンガーのブラジル人の女の子が底抜けの明るさで、弾けるような笑顔で歌っている姿が、あまりに“華がある”という言葉そのもので、すごく勉強になった。
 いつだって、自分の容姿に自信がなかったけれど、そんな輝く彼女達だったり、日々身体が変化していく妊婦の友人も「今のこの身体の私も愛しい!」と言う姿なんかが、私にもいい影響をくれている。前より腕も足も太くなったし、ちょっと前なら、そんな姿で歌ってる自分を見るのは嫌だっただろうけど、なんだか「可愛いじゃん、頑張ってるじゃん、私。」とステージに立つ私のビデオを微笑ましく見ることができるようになった。

 16295478_1755842564734820_1411545223_n

 ブエノスアイレスのタンゴ人は、ちょっと批判的な人が多いという話をよく聞く。踊りにしろ、歌にしろ、“ケチをつける”ためにその場にいて人の踊りや演奏を見聞きしているのだと。だからこそ、どう思われるか怖かったんだと思う。でも、人の評価を基準にしたらいけないのだ。
 自分が自分に自信をもてて、自分を愛せるかどうか。
 そして何より、“リラックスして笑顔ですごすコト”。
それは環境によるところもすごく大きいから、どこでどのようにどんなマインドで暮らすか、は自分で決めないとなと思う今日この頃でした。

33
 

NYでブエノスアイレスと日本について考えるの巻

人生とは面白いもので、私は今、ニューヨークにいる。
そして頭の中は大混乱している。
きっと日本からニューヨークに来たなら、ここまで色々感じることはなかったと思う。たった一年半といえばそれまでだけど、Buenos Airesのカオスを経験した後で見るNY=先進国は、違和感だったり感動だったり、不思議なことでいっぱいだ。

33

とにかく、この街には何でもある。品質が良くてオシャレで“買いたくなって”しまうようなものがマンハッタンには溢れているし、五番街は華やかに煌めいていていて、自分もショーウィンドーの中の服やバッグや靴で着飾って、オシャレをしてこの街を“楽しまなくては!”。
街全体がそんな気にさせるしかけになっている。
“大量消費”、“物質主義”。そんな言葉が頭を巡ってやまない。

 ブエノスアイレスだって都会でない訳ではない。ただ、物の種類は限られるし、クオリティーの低さに消費意欲は失われていく。建物だけをとれば、四角い無機質なビルディングが立ち並ぶNYよりは、南米のパリと謳われたブエノスアイレスの装飾美を感じる建物の方が味わい深いし、優雅で私は好きだ。
 ただ今や、栄えていた時代は過去の栄光であるブエノスアイレスの通りはゴミが溢れかえり、道路はガタガタで壁は落書きだらけだ。当然のことなのだけど、足元を心配しながら歩く必要もない、きちんと整備されたNYの歩道に私は感動してしまうのだ。そして、自分がそれよりもさらに清潔で美しい国に住んでいたことを思い出すのである。

26

到着してから三日間、「え?これもあるの?」「え?そんなのもあるの?」と、一々大騒ぎするので、今回、私をNYにくる機会をくれた友達は“アフリカの子どもが日本に来たテレビ番組みたい”と、苦笑の連続である。それは、黒豚トンカツだったり、高級ブランドのお店達だったり、オシャレなカフェやバーだったり、厳密に言えば、それに近いものがブエノスにない訳でもない。私が衝撃を受けているのは、日本と全く同じ様で、同じ気軽さで次々に目に飛び込んでくるから混乱するのだ。
「そうか、私もこんな国に住んでいたんだっけ…」と、ものすごい違和感なのだ。

 私がブエノスアイレスを出発する数日前、たったの二カ月なのに、情の厚いラティーノらしく、友人達が大げさに別れを惜しんでくれた。歌の先生は涙ぐんでしまうし、家主君なんて何度“Kaoriの行ってらっしゃい会”と称してアサードや乾杯をしてくれたことだろう。彼はまさに現代のアルゼンチン社会に苦しめられている中流階層の人なので、「Kaori が帰ってくる頃にはまた物価が上がってるぞ(ちなみに私が来て一年半、物価は上がり続けている)。こんな大変な国に帰ってくるんじゃないぞ。NYでチャンスを掴んで帰ってくるな!」と、しみじみしている。そんな気はさらさらない私は「へっ?」となる訳だけど、これがアルゼンチンの庶民の痛切な想いなのかもしれない。
 
44
 
飛行機の中で考えた。アルゼンチン人は「この国では暮らせない。」と、次々に新天地を求めて外国に出ていく。海外に出ていく日本人で“生活が苦しいから”という理由で海外に出る人が果たしてどれだけいるだろうか。
 私が快適な日本での生活を捨てて、その日暮らしで苦しい思いをしてまで、犯罪も多くてめちゃくちゃな国に来ていることを「勇気がある」というアルゼンチン人もいれば「お前はバカだ」とか「理解できない」という人もいた。私自身、「何で、こんな思いまでしてこの国にいるんだろう…。」と、何度考えたことか。


今回、NYに来るチャンスをくれた親友(彼女はもうすぐママになる。)と話していて思うのは、まさに“当然”に“疑問を持つ”ために私たちは海外に出たのだというコト。彼女の周りは面白くて素敵な日本人や日本好きで溢れている。本当に皆に愛されて、助けられて生きている彼女を見るにつけ、とてもとても温かい気持ちになる。本当に幸せそうな姿に、この姿を見れただけで、ここに来た甲斐があったと思う。
 私と彼女は二年前、ちょうど彼女はダンサー、私は歌手の勉強をしに、それぞれNY、ブエノスアイレス行きを決めていた。仕事でなく夢を追いかけて海外で生きていくというのはなかなかハードだ。良くここまで来たもんだ、と、濃密すぎるこのお互いの二年間の話をしながら思う。私たちは、“助けてもらっていい”ことや、“お金では買えない人との繋がりや温かさ”を学んだんだな、と。

16108059_1749143062071437_520740219_o

 日本にいれば、何だって買えるし、買えないなら働いて手に入れるのが“当然”かもしれない。人に助けてもらったり、お古をもらったりするのは、どこか後ろめたさがあるかもしれない。今回、「生まれてくる赤ちゃんにかけたお金は初診料だけ。」と笑う彼女は、ベビーベッドやベビーカー、お洋服と、あらゆるものを周りの人から譲り受けている。それらを貰いに行くのに着いていくと、そこでの温かい言葉や想いまで受け取って、本当に幸せな気持ちになる。日本でもそれが当然の人達はいるだろうし、“お金至上主義”のように見えるNYで、こんな人達は稀なのかもしれない。
 少なくとも、私と彼女は海外に出なければ、それを学べなかったというだけ。

「夢は叶うし、叶えるもの。」というのが、私の座右の銘な訳だけど、マンハッタンを歩きながら、またも小学生の私に教えてあげたい。“海の向こうで暮らしてみれば”という本を読みながら、遠い遠い外国に思いを馳せていた山奥に住む女の子に。「NYにも来ちゃったよ。しかも今はブエノスアイレスに住んでるよ。」と。
 ブエノス生活に結構疲れ果て、それでも「今年はもっとたくさんのミュージシャンと“音楽したい”」と、ぼんやり夢見た最近の私に教えてあげたい。「なんか、Fernando Otero とかゆー、なんかすごいらしい人のステージに上げてもらえるらしいよ。」と。
 小さなことだけど、喧騒のブエノスアイレスで私が切望していた“静けさ”も手に入った。真夜中まで心静まることの無いうるさすぎる街。ここは、正確に言えばWest New York といって、住所的にはニュージャージーらしい。でも、川越しにマンハッタンを望むことができて、水面に反射する朝日に照らされるビル群だったり、川沿いにずっとずっと続く夜景を眺めることのできる風景は最高に贅沢。賑やかなマンハッタンが川向かいだからこそ、ここの静けさはなんとも言えない。

31

アメリカ人はおしゃべりしないのか?と思うくらい、誰の話し声も聞こえてこなければ、勿論ブエノスアイレスのように大音量の音楽やデモの騒音が街中に響いている訳でもない。今思えば、終わることを知らないブエノスのおじちゃん達の井戸端会議姿が愛おしい。

“日本はアメリカの一つの州”。日本からくれば、「そんなことないよー。全然、違うじゃん!」と思ったかもしれない。ブエノスアイレスから来た私の目には間違いなくそう映る。だからこそ、日本がどんどん失い続けている、日本ならではの美しさにもっと価値を見いだしたいと思う。ちょうどアルゼンチンがアメリカにどこか憧れだして、自国の素敵なモノを失い始めているように。アメリカの罠とまでは言わない。でも、明らかに“消費マインド”の罠があることを忘れてはいけない。“買いたい”と思わせる罠にハマって、自分の人生を回してはいないか?、“効率”という名のもとに正当化された“自国文化の美の破壊”に加担してはいないか?
そんなことに気づくためにも、人は自分の“枠を外す”経験が必要なのだと思う。

15


ギャラリー
  • NYで出産に立ち会うの巻
  • NYで出産に立ち会うの巻
  • NYで出産に立ち会うの巻
  • NYが教えてくれたコト
  • NYが教えてくれたコト
  • NYが教えてくれたコト
  • NYが教えてくれたコト
  • NYが教えてくれたコト
  • NYが教えてくれたコト