金曜担当 D:ヤマダコウ
大河ドラマ『真田丸』により
真田の赤備えが多く世間に知られる様になった。
しかし、赤備えで最も著名で最強の武将は
武田24将そして四天王の
一人である山県昌景であろう。
そもそも赤い具足や朱槍などの朱色は
大きな武功を収め
大名に認められ賜る色であり、
誰もが自由に使う事は出来なかった。
山県昌景は文武に秀でた武将で
武田信玄の右腕となり
内政、軍事、外交に携わり
武田家の発展に大きく貢献した。
山県昌景の赤備えは
騎馬隊のみで編成された精鋭部隊で、
戦場に姿を現しただけで
敵は恐れおののいたそうだ。
後の天下人、徳川家康も
三方ヶ原の戦いで山県の赤備えに
本陣近くまで突破され大敗し、
恐ろしさのあまり脱糞しながら
命からがら浜松城に逃げ帰り
側近に『恐ろしきは山県である』と
語ったそうだ。
同じ武田家に仕えていた
若き日の真田信繁(幸村)は、
その当時最強であった
山県昌景の赤備えに
間違いなく憧れを抱いていたと思う。
おそらく、大坂夏の陣で
徳川家康を心理的にも
揺さぶるつもりがあったのではないだろうか。
真田信繁(幸村)は
真田の赤備えを編成し徳川本陣に突撃する。
家康は肉薄する真田信繁(幸村)を見て
三方ヶ原の山県昌景を思い出し、
さぞかし恐ろしかったであろう。
武田家が滅んだ後
徳川が武田家の遺臣を多く召し抱えた。
家康の意向により
山県昌景の赤備えは
徳川四天王の一人
井伊直政に受け継がれていった。
そして井伊の赤備えとして
最強の戦闘集団を
継承していくのである。
来年の大河ドラマは
『おんな城主 直虎』とのことだが、
資料に信憑性が乏しく
実は女城主ではなかった
と言う説が浮上している。
歴史上存在が明らかな
『井伊の赤鬼 直政』に
興味があるのは私だけだろうか。
山県昌景所用の甲冑

大河ドラマ『真田丸』により
真田の赤備えが多く世間に知られる様になった。
しかし、赤備えで最も著名で最強の武将は
武田24将そして四天王の
一人である山県昌景であろう。
そもそも赤い具足や朱槍などの朱色は
大きな武功を収め
大名に認められ賜る色であり、
誰もが自由に使う事は出来なかった。
山県昌景は文武に秀でた武将で
武田信玄の右腕となり
内政、軍事、外交に携わり
武田家の発展に大きく貢献した。
山県昌景の赤備えは
騎馬隊のみで編成された精鋭部隊で、
戦場に姿を現しただけで
敵は恐れおののいたそうだ。
後の天下人、徳川家康も
三方ヶ原の戦いで山県の赤備えに
本陣近くまで突破され大敗し、
恐ろしさのあまり脱糞しながら
命からがら浜松城に逃げ帰り
側近に『恐ろしきは山県である』と
語ったそうだ。
同じ武田家に仕えていた
若き日の真田信繁(幸村)は、
その当時最強であった
山県昌景の赤備えに
間違いなく憧れを抱いていたと思う。
おそらく、大坂夏の陣で
徳川家康を心理的にも
揺さぶるつもりがあったのではないだろうか。
真田信繁(幸村)は
真田の赤備えを編成し徳川本陣に突撃する。
家康は肉薄する真田信繁(幸村)を見て
三方ヶ原の山県昌景を思い出し、
さぞかし恐ろしかったであろう。
武田家が滅んだ後
徳川が武田家の遺臣を多く召し抱えた。
家康の意向により
山県昌景の赤備えは
徳川四天王の一人
井伊直政に受け継がれていった。
そして井伊の赤備えとして
最強の戦闘集団を
継承していくのである。
来年の大河ドラマは
『おんな城主 直虎』とのことだが、
資料に信憑性が乏しく
実は女城主ではなかった
と言う説が浮上している。
歴史上存在が明らかな
『井伊の赤鬼 直政』に
興味があるのは私だけだろうか。
山県昌景所用の甲冑
