2017年01月

本日は加藤和樹「冬恋」リリースイベント@銀座 山野楽器本店でした。

火曜担当 G:モリダイゾウ

山野楽器。

全国のギターキッズ達なら一度は聞いたことがあるであろう名前。

もちろん有名なのは「楽器店」としての名前だけでない。

少し前までFenderやGibsonの楽器を日本に輸入する際の代理店をしていた店!

の!

銀座本店!!

で!

本日は加藤和樹くんの「冬恋」リリースイベントの演奏をしてきました!



今回はシークレット的にKK-Stationメンバーでの演奏だったもんで、告知等はしてなかったんだけどさ

昼と夜の二回公演、凄い楽しかったぜぃ!

リリースと言えば!

僕も3/1に、8年ぶりのCDリリースを控えております!

それに先駆けて、2/27に恵比寿 天窓switchで先行リリースイベントやりますー!!

これまた月曜なんだけどさ 笑

2/27のLIVEは3ピースのバンド編成で、エレキも弾くので

皆さん是非お越し下さいませ!!!!!!

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愛の武将2

金曜担当 D:ヤマダコウ


私は直江兼続の得意分野は
戦ではなく関ヶ原の戦い後の
困窮した米沢藩を復興させた
内政手腕ではないかと思う。
上杉家は貧しいながら
兼続には6万石を与えていた。
しかし兼続自身は5千石ほどで生活し
石高のほとんどは家臣達に
分け与えていたそうだ。
藩、家臣、民のことを思い、
自ら苦しみを皆と分かち合い
政治を行う直江兼続の姿を
現在の国会議員の方々にも
勉強して見習って欲しいものである。

西軍についた上杉景勝は
家康に謝罪し
上杉家の存続は許されたが
会津120万石から
出羽米沢30万石になり
大幅な減移封になってしまう。
そもそも米沢は
直江兼続の領土であり
主人が家臣の領土に移るという
なんとも屈辱的でいやらしく
家康らしい裁定である。

しかし、直江兼続はここで本領を発揮する。
一時は120万石にまでになり
繁栄していた上杉家は、
多くの家臣を召し抱えていたため、
30万石に激減し
全ての家臣を養って行くのは
非常に厳しい状況になってしまった。
重臣達が減員を提案する中、
「復興するのに人程大切なるものはいない」と
家臣が去る事を許さなかった。

兼続は少しでも石高を上げる為に
新たな土地の開墾を進め
それに伴い治水事業に力を入れ
『直江石堤』と言われる堤防を作った。
これにより新田開発が進み
表向きは30万石だが
実際は51万石と言われるまでになった。

また殖産興業に力を入れ
木綿が普及していなかった当時
衣服の材料として貴重だった
青苧(あおそ)や漆を栽培して利益をあげた。
そして兼続は
自ら質素な生活をし
家臣達の家には栗や柿
そして生垣にはウコギを植えさせ、
食用に出来る植物を植える事により
生活の助けになる様に心を配っていた。

後の上杉鷹山も兼続を手本にして
藩政改革を行ったそうだ。

次週は直江兼続の人物について
書こうと思う。

写真は上杉謙信所用の
色々威腹巻だ。
戦勝の神「飯綱権現」を兜の
前立にしている。

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占い

木曜担当 B:スドウシンゴ

占いなんて、信じなかった俺が、なんか今なんとなく占いが身近にあるんですよ。

古くからの友達(地元のちょーカリスマ美容師)が、事情があって仕事を数ヶ月休まなきゃいけなくなり、休んでる間に占いを勉強して、占い師になってたので!プロじゃないと思うけど、びっくりだよね。笑

なので、早速、生年月日、出生時間、名前の画数、いろんな方面から占ってもらった。


2016年は、エリート気質が強まる反面、バンドにもまた興味が出てくる運勢。

42~51才は、ゆっくり出来ると思ってたのに、仕事が忙しくなっていく。

親元を離れた方が上手くいく運勢。

などなど。

意外と面白い。



かなり細かく占ってもらって、一番気になったのは、、


62歳から71歳は、感性、表現の星が廻る。
癖のある個性的な仲間と楽しく過ごせて、人生で一番輝けるとき。
バンドが成功するってことかもね。

と言われた。


え!?62歳まで成功しないってこと!?

って感じでちょい落ち込みましたが、すごく面白い経験でした!!

写真は、帰り道の夜景。はりつめていてすごく綺麗だったんだよね。

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赤の中の青

火曜担当 G:モリダイゾウ
 
このブログが掲載される時間軸から言えば昨日になるが

今日は2017年初のFF0000LIVEでした。

皆様ご来場ありがとうございました。

年末にかけて「より激しく!」ってな感じで弾いてきたエレキギターだったけども

年明け一発目の今日のステージは

「燃え盛る炎」というよりも「ガスバーナーみたいな青い火」だったように思う。

実際問題、赤い炎より青の方が温度が高いらしいしね。

自身のリリースLIVEも控えた2017年。

より熱量を上げて挑んでいきたいと思う。

そんなこんな?で幸先いいぜ。

ふいに思い立って買ってみたパックンチョ。

ハートのやつ発見。

 unnamed

愛の武将

金曜担当 D:ヤマダコウ

私がとても大好きな町の一つである山形県米沢市。
周囲を険峻な山々に囲まれ
夏は暑く、冬は豪雪、
鮮やかな春、紅葉の秋、
四季折々の美しい景色を織り成す。
米や牛肉、果物や野菜などの食べ物が大変美味しく
何度も訪れたい魅力的な町である。

上杉家の城下町米沢市は
非常に歴史情緒溢れる町である。
伊達政宗生誕の地であり、
上杉謙信はじめ上杉歴代藩主、
直江兼続や前田利益(慶次)の甲冑、刀剣、文書、
国宝『洛中洛外図』など
多くの歴史遺産を有している。
そして上杉家の御廟所があり、
愛の前立で有名な直江兼続ゆかりの地でもある。

直江兼続は
樋口兼豊の長男として生まれた。
上杉謙信の跡継ぎ争い
(御舘の乱)後の
家臣同士の争いによって
家老の直江信綱が殺され、
越後の名家直江氏は断絶する事になる。
そこで上杉景勝は
直江信綱未亡人のお船の方と
樋口兼続を結婚させ
婿養子として直江家を継がせ
直江兼続と名乗る事になった。

才知武道を兼ね備えると言われた直江兼続だが、
最上義光との戦いで山形攻略に失敗したばかりか
反撃されて庄内地方を失ってしまう。
長谷堂城の戦いの撤退戦は
敵の徳川家康や
最上義光に賞賛され
旧日本軍参謀本部『日本戦史』に
記されるほど
見事であったそうだが
関ヶ原の戦いの行方を読み違えるなど
私が思うに
戦はそれほど得意では無いのではないかと思う。
彼が本領を発揮するのは
関ヶ原の戦い以後の
経済復興ではないかと思う。
次回は私が思う直江兼続の得意分野について書こう。

写真は愛の前立で有名な
直江兼続所用の
金小札浅葱糸威二枚胴具足だ。
前立の『愛』を
愛情の愛と思っている方もいるかと思うが、
実は軍神『愛宕権現』の愛である。
直江兼続が崇拝する上杉謙信が
戦勝の神『飯縄権現』を兜の前立にしていた。
それを真似たのではないだろうか。


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