2016年10月17日 22:10

投稿小説「THE HIGH PRIE STESS」

こんばんは。

本日は、OBAKE氏の投稿小説を更新いたします。

題名は「THE HIGH PRIE STESS」

レナが主役の短編。第383話終了〜第384話の裏側を描いた作品です。

先に自分の感想を。
実は、レナに関しては短編を書こうという意識があり、6年ほど前から「桜色の君に」という仮題でテキストファイルだけ用意はしていたのですが、今の今まで、形にならないままでいました。

今回のOBAKE氏の小説が、実質、自分が描きたかったものではないかと、投稿小説を読ませていただいて思いました。

自分の感想はあえて、深くは書きません。
それでは、投稿小説は続きを読むからどうぞ。



被害者はアンナさん。刺されたナイフは内臓にまで達していた。
犯行現場はギルバートさんと共に訪れていたここ、エスタの五つ星ホテル。その用具倉庫。

犯行時刻は約30分前。

ちょうどギルバートさんがアポロンのハープに選ばれた事が報告されていた時刻。
容疑者は、幸いながらと言うべきか残念ながらと言うべきか、一名。トロイアの女性学者。
動機は……よそう。道は彼と彼女らが決めるべきなのだから。
だからこそ、今この場で事件をはっきりさせないと。
魔力を大量に消費して、霞がかろうとする頭を左右に振って推理に集中する。

「……問題はこの大きな棚ね」

アンナさんの発見時、用具倉庫の扉の前には、重厚な造りの木棚が据え置かれていた。
女性ひとりの力で押し引きして動かせる重量ではないし、容疑者には魔法力がなく、
魔具も有していなかった事は、会議前のボディチェックで確認済み。
ただし、不審な行動として容疑者は犯行時刻前にホテル内でドライアイスを調達していた。

「つまり、何かを冷やす必要があった……?」

私は屈んで、問題となっている倉庫の扉前の床を手のひらでなぞってみる。
……床がわずかに窪んでいる……?それに湿り気も感じる。

「ど〜だい、レナちゃん。
 何かわかったかい?」

背中に掛けられたラグナさんの声には、
こちらにプレッシャーを与えまいという心遣いが感じられたものの、
自国がホストとして召集した国際会議の場で、一国の王子の婚約者が被害者となったのだ。
各国の首脳、そしてホテルの従業員の行動を制限しておける時間は、もう残り短いだろう。
急がなければ。

「窪みに水分……。
 床下を凍らせれば摩擦を減らして、木棚を押し動かすことが出来る……」

「う〜ん、いいアイデアっちゃあいいアイデアだと思うけど、
 ブリザドも使わずにこんなところで氷を張らせるのは、難しいと思うぜ」

確かに、ショコラ・デイも間近に迫った肌寒い日とは言えホテル内は空調で温かい。
冷凍機のようなものも周囲に無い中、簡単に水を凍らせる事は出来ないわ。

「……ラグナさん、ドライアイスって0℃よりかなり低いんですよね?」
「ん。
 大体……マイナス80℃くらい、だった、ような?
 でも水にドライアイスを突っ込んでも、なかなか氷は出来ないぜ?」

思考を集中する。
頭の奥から私の意志に従って浮かび上がってくる、“薬の知識”。
そう。ドライアイスを直接水に投入しても、水との間に薄氷と二酸化炭素の層ができて、
二重の断熱層となり、熱の伝わりが上手くいかない。
容疑者が調達した量のドライアイスでは、とてもじゃないけれどこの面積を凍らせられない。

……焦っちゃだめ。答えには近づいているわ。何か…、何かトリックがあるはず。

少しでもヒントを得ようと、私は手にまとった湿り気を鼻に近づけてみる。

「……アルコール臭」

再度、薬の知識に検索をかける。
エタノールの凝固点はマイナス145℃……そうか!

「ラグナさん!
 大至急、バーテンダーにアルコール度数の高いお酒の瓶の数をチェックさせてください!」



主要な人物に現場へと再度集まってもらい、
私はその中心で事件の真相を自らの推理に従って紐といていく。

「……ですが、もしこの棚の下に氷を張らせる事が出来れば、
 女性の力でも押し動かすことができます」
「しかし、こんな何も無い廊下でどうやって…?」
「まずはドライアイス。そしてもう一つ、これを使います」

と、近くに待機していたバーテンダーからウォッカの瓶を受け取る。
そのラベルを見て、容疑者の顔色が真っ青に変わる。
……やはり、そういう事か。

「このウォッカのアルコール度数は98度。ほぼ純粋なエタノールと見なせます。
 ホテルのバーからすでに一瓶、これと同じものが消えている事は確認済みです。
 まずはこれを床の窪みに垂らし、次にドライアイスを放り込みます」

浸されたドライアイスは、最初はモクモクと白い水蒸気を上げるが、やがてそれは収まっていく。

「エタノールの凝固点は水よりもはるかに下。
 充分に冷却されたエタノールの上に、こうやってゆっくり水を撒けば……」

次いで受け取った手掬いで水を撒いて行く……と、見る間に床面に広がっていく氷の膜……層。
そしてそれ以上の速度で、実験に立ち会った各国の首脳陣にもどよめきが広がっていく。

「この状態であれば、女性の力でもなんとか木棚を動かすことが出来ます。
 ……実演、してみていただけますか」

胸に刺すような痛みを感じつつも、私は容疑者を木棚へ手招きする。
最早、蒼白な顔色となった彼女は、同じく血の気を失った唇から震えながら声を絞り出す。

「その必要は、ありません……。
 全て姫のおっしゃった通りですわ。
 私が…アンナ様を……。どうして私は、あんな馬鹿な事を……っ」

沈痛な静寂の中、容疑者が泣き崩れる。
のと同じくして、ホテルの従業員が息を切らせて駆け込んできた。

「病院から連絡がありました!
 アンナ様の意識が戻られたそうです!後遺症も、傷跡さえなくご健勝と!」

吉報に、ワッと室内の雰囲気が180度反転する。

良かった……。
全身が弛緩し、冷や汗が引いて行くのを感じる。
発見時のアンナさんに脈があって……フェニックスの詠唱が間に合って本当に良かった。
安堵と共に、魔力を消耗した身体が崩れ落ちたいと訴える。
けれど、意識をしっかりと繋ぎ留め、あくまでも凛々しく“神姫レナ”として振舞う。

「ギルバート王子」
「ありがとうございます、レナ姫。本当に、感謝の言葉もありません」
「なら……」
「ええ、判っています。
 彼女の気持ちを充分に汲むことができなかった、私にも責任があります。
 アンナが無事であるならば、私からは今回の事、不問にさせていただきたいとおもいます」
「ギルバート様……っ」

ギルバートさんは瞳に柔らかな光を取り戻し、容疑者に、
次いで会議の出席者でもあるのトロイアの大神官へと向ける。
大神官の白い顎が上下し、肯定の意が示されるのを合図にして、周囲から大喝采が巻き起こった。

「おお…、流石は名高き“神姫”。
 その頂点に立つ、最も強く優しいと謳われるレナ姫。
 見目のみならず、お心まで神々しい……!」
「ええ……。
 推理の冴えも見事でしたが、それにしても不死鳥を喚びだしたときのあの美しさ。
 “灼光の翼の姫神(ひめがみ)”、この目にできて僥倖でした」
「神鳥の炎と水のクリスタルの加護を纏う、“再生と豊穣を司る女神”。
 正しく我らが連合のシンボルにふさわしい。
 まさか自分が生きて伝説に立ち会えるなど、想像もしておりませんでした」

意識的に聴覚をシャットアウトする。これ以上聞いていられない。我慢できなくなる。
……溜息を?自嘲を?

…………嘲笑を?

“田舎姫”がついに“女神”にまでなってしまったのだから、
私本人としては喜劇と評する他ないのだけれど、ここまで来てしまったからには……、
これからの事を考えれば、演じ続ける以外に道は無い。

「全てはクリスタルの導きです」

一辺倒の決まり文句を口にして、周囲を促しながら会議室に戻る。
早く身体を椅子に預けたい。

「さっすがレナちゃん!
 俺は最初っから、やってくれると信じてたぜ〜」

トロイア大神官と、農作物の輸送の件について今後の方向性を確認していたラグナさんが、
周囲同様、喜色満面で革靴を鳴らして私の横に並ぶ。
豊かな土壌に恵まれ、比較的戦火から離れていたトロイアは、
連合への物資協力に及び腰だったけれど、これで流れは大きく変わっただろう。

「ありがとうございます」

それで、どこからがラグナさんの“予定”通りだったんですか?

と口にしかけて、飲み込む。
そうまで疑うようになってしまった自分を反省しながらも、それもひとつの成長だと納得させる。
ラグナさんの善意は、出会った頃のまま疑うべくもないけれど、
大国の大統領がそれだけで動いている訳でもない。
とは言え、全てを狙って動かすには不確定要素が多すぎたのも事実だ。
ならばこそ、曖昧なままでこの場は終わらせておけばいい。
大国エスタに対して“貸し”を作っておけば、戦後に様々な形の手札に変えられる。

道を誤ってはいけない。けれどもっと強くならなくてもいけない。
私の目に、やっとはっきりと映りだした未来に進むためには。

「さあ皆様、残りの議題を急ぎましょう」

……私は今、上手に笑えてますか、お父様?
……エアリスさん……。



私の朝の目覚めは、いつもクリアだ。
睡眠時間は短くとも、睡眠薬との併用で深い眠りを得られているし、
クリスタルから素養を与えられ、戦闘で鍛えあげた自律機能は、
半年前には想像もつかなかったレベルで私自身を自在にコントロールしている。
いつものように近侍(ヴィレット)が淹れてくれた紅茶を口にしながら、
サイドテーブルに置いていた手帳を開いて今日の予定を確認……、

「ああ、そうか」

今日から私は休暇に入ったのだったわ。

あの“人”…ザンデさんとの決戦の後、もちろん各位は休息を取ったけれど、
エドガーさんも含めてリターナーのメンバーはそれぞれの方面でどうしても多忙になっていた。
だけど、今度こそ最後となるだろう戦いに赴く前に、
エドガーさんから各員に完全休暇が発令されたのが昨日。
今日は休暇の予備日で、移動前の準備をしたり、最後のひと仕事を片付けたり…のための日で、
本来なら私も最後の公務が予定されていたのだけれど、
昨日の事件を知ったエドガーさんの計らいで、全てキャンセルにして貰えたんだった。

「昨日しっかり聞いていたはずなのに……。思ったより疲れているのかしらね」

眉間を指で軽くほぐしながら、体調を自己診断する。
確かに連日の激戦と公務で、多忙の極みだったけれど……大丈夫。
僅かに気怠さはあるけれど、身体は軽いし、頭痛も感じない。

さて、こうなるとどうしたものかしら?

休日の使い方に悩む自分へ向けた自嘲をどうとったのか、
近侍がカーテンを開けながら明るく声を掛けてきた。

「レナ様、嬉しそうですね。
 天気も良いですし、やはりお買い物に出かけれるのですか?」
「え?
 ええ……、そうね……」

特に必要なものや欲しいものはないし、下手に出かけるのも“面倒”があるけれど……、
と少し思案に暮れた私へと、近侍は華やかな響きで言葉を続ける。

「今日はショコラ・デイですものね。
 かの英雄様に贈り物を選ばれるのでしょう?」

――ショコラ・デイ――女性が男性にショコラを贈る事で好意を伝える記念日。
そういえば、そうだったわ。
フェイスでは一般的で、タイクーンにも同じ風習があったけれど、
城での暮らしではまるで関わりのない事で、それにこのところの多忙もあってまったく頭になかった。
近侍は若い女の子(といっても、私より3つ年上だけれど)だから、さっきの声の華は、
私とバッツの関係を想像してものだろう、と思い当たる。

私からバッツにショコラか……。

自分がバッツにショコラを手渡している姿を思い描く……あまり明確な形にならない。
上手く言えないけれど、私たちはそうではない気がする。
もちろん、私はバッツを誰よりも愛している。
パラメキア帝国との決戦で伝えた想いは、真に真なる心だ。

「私はまだお会いできておりませんが、
 バッツ・クラウザー様は百篇の英雄譚を以てしても伝えきる事かなわない、
 正しく救世の英雄に相応しいお方であらせられると、お聞きしております。
 そのような素晴らしいお方と、神姫の頂たるレナ様の恋物語。
 憧れてしまいます」

けれど“神々の黄昏”のプロバカンダの一つとして伝えられているような、私と彼との関係とは、
剥離があるのが事実なのよね。

――何よりも、今は彼から会いに来てくれるのを待たなければならない時だ。

……だけど、確かにこんなに天気の良い日に外に出ないというのは、あまりにもったいないかしら。
立ち上がり、まぶしい日が差し込む窓から中庭を眺める。
私たちのみならず、職員のリフレッシュの為に多種多様な草花が整えられた庭園は、
明るい日差しを受けて生命の瑞々しさに輝いている。……中心にある一本の木を除いて。

「あの木、やっぱりダメなんでしょうか……。
 せっかくウータイから友好の証として植樹された記念樹なのに……」
「桜っていうのよ。春にはとても綺麗な花が咲くの」
「サク、ラ……?
 聞いた事のない花ですね」
「そうね。ウータイやエブラーナにしかない、珍しい植物だから。それに扱いも難しくて。
 ただ、向こうの国々ではとても特別な意味を持つ花なのよ。
 花言葉は『清純』、『高貴』、『優れた美人』……だったかしら」
「すごい花ですね。まるでレナ様のようです」
「ありがとう」

国交でエブラーナを訪れた時に何度か目にした、満開の桜並木を思い出す。
薄紅色の花びらがはらはらと風に舞い散る風景は、言い表せないほどに美しくて、
幼い頃は花弁を集めて瓶にとっておいたものだった。
今眼下にある一本の桜の木は、開花にはまだ早すぎる時期とはいえ、表皮の一部が灰色がかり、
何らかの病気か、あるいは土が合っていなかったのだろう事を推測させる。
……あるいは、土のクリスタルが砕け散った事による影響か……。

薬の知識に検索をかけ、植物への栄養剤に関しての情報を引き出す。

「外へ出る為の服を用意してくれるかしら?」

私の今日の予定は、こうして決まった。

「畏まりました。
 ……差し出がましいですがレナ様。
 何故かはわかりませんが最近、時代錯誤の赤いマントを羽織った下男が近辺を徘徊しております。
 お出かけの際は充分にお気を付けください」

………………………。



“三神姫”というのはもちろんただの戦意発揚のための呼び名で、
連合内に実際にそのような立場があるわけではない。
ただ、バッツの個人情報をあまり公にするわけにはいかなかったという事情、
そして幸いと言うべきか私、姉さん、クルルの容姿が分かり易いシンボルと成り得た事から、
その効果と伝搬力は、おそらく発案者が当初想像していたであろう以上のものを持つに至った。
もちろん思う所は沢山あるけれど、明るいニュースを一つでも増やさなければならないのが、
現状であると理解しているし、タイクーンという実体のある後ろ盾の無い私の活動にとっても、
今や必要なものとなっているのも事実だ。
……前置きが長くなってしまったけれど、結局のところ“神姫レナ”は人の注目を集めすぎる。
だから私が自由時間に外出するには、変装という面倒が必要なところまで来てしまった、という事。

「ふぅ……」

目の前に用意された、少女趣味の過ぎるワンピースに思わず溜息が漏れる。
純白の布地の胸元と腰の後ろに結ばれた、ラベンダー色のリボン。
スカートの前側に入ったスリットが珍しい特徴だろうか。
変装の為にはやり過ぎるくらいが必要とは言え、
こうまで幼いデザインはあんまりではないだろうかといつも思う。革のブーツがせめてもの救いか。
とは言え、出かけると決めたのだから手早く着替えなければならない。
近侍の申し出を断り、私は自らワンピースに袖を通す。
変装、といっても後は暗めのオレンジのウィッグとブルーのカラーコンタクトを入れるだけ。
私は国際的な会議を含め、公式に露出する際は意識して濃いメイクをしているから、
ノーメイクにこの少女趣味の服装とあわせれば、充分に“神姫レナ”の印象から離れられる。
ウィッグの上から更に白いセーラー帽をかぶり、姿見の前でくるりと一回りしてみる。
スカートの裾が舞い降りるのに合わせて、笑顔。
………つくづく、自分の童顔は政治には向かないと気が滅入る

『とてもお似合いですよ』
「ッ!?」

突如頭の中に直接響いてきた“声”に驚いて喉が引きつる。
危なく悲鳴を上げて、侍従たちを用なく呼び集めてしまう所だった。

『す、すみませんレナさん。
 驚かせるつもりはなかったのですが』

静かな湖面を思わせる声が伝えてくれた謝罪を、同じく頭の中で意識として返す。
最初の頃は自分でも奇妙な感覚がしていたけれど、もうずいぶん慣れたと思う。

『いえ、構いませんアクアさん。
 ……似合ってますか?』
『ええ、とても可愛らしいと思います』
『……ありがとうございます。
 でも、政治の世界で戦っていく事を考えると、幼く見られる容姿というのは難しい事も多くて。
 私はアクアさんの凛々しい美しさが羨ましいです』

ちゃんと彼女と出会えたのは数度だけ、それもいつも戦場の中でだったけれど、
腰まで届く、幾千の澪の糸を牽いたような髪、雪のように白くなめらかな肌、
優しい水煌を湛えながらも強い意志が灯る瞳はとても印象的で、
それこそまさに“女神”と呼ぶに相応しい美貌だった。

『やめてください。
 神姫様にそんな事を言われると、1000年前の田舎娘は困ってしまいます』
『アクアさんまでその呼び名を使って……。
 ……多分これ、バッツとウィンさんも同じやりとりをしてそうですね』
『間違いなく』

姿見の中に、今度こそ自然な笑顔が映る。

『お出かけされるんですね』
『ええ、エスタの商業施設に少し。
 本格的な休養は明日からなんですが、その間は進めておきたい手続きもあって。
 今日行っておかないと』
『……バッツさんには会われないんですか?
 もうあまり時間がありませんけれど……』

気を遣ってくれたのだろう、アクアさんが遠慮がちに提案してくれる。
けど、これについてはもう私の答えは決まっている。

『ありがとうございます。
 でも、今はバッツから会いに来てくれるのを待つ時ですから』

ザンデさんに道を説かれたバッツは今、真に真なる神々の黄昏に辿り着こうとしているはずだ。
そのためには、バッツ自身が穏やかな心で全てに答えを出さなければならない。
もうあまり時間が無いからこそ、バッツには残りの時間を自分のために使って欲しい。
それがきっと、最もこの世界のためになると、私は確信している。

………本当に?
彼の口から私の想いに対する答えを聞くのが怖いだけじゃないの?

『凄いですね、レナさんは』
『……え?』
『いえ、男の人って、独りになりたがってるときは放って置いてあげた方が良いんですよ。
 だけど私たち女って、なかなかそういう“甘え”を許してあげられないじゃないですか。
 でもレナさんにはできている。彼を信じているから。
 私、旅をしていた頃は自分では面倒見が良いって思ってたんですけれど、
 後で思い返せば中々に“鬱陶しい女”だったなぁって反省しきりでしたから』

『もちろんウィンも今より更に子供だったから、構ってあげないといけなかったんですけど』と、
明るく笑うアクアさんの声はとても朗らかで、私の心は少し軽くなった。
かなわないな……。

『……逃げているだけかもしれませんよ』
『年長者として言わせていただくと、レナさんのその心配は無用なものですよ。
 正直に言って、傍から見れば、もっと以前から勝利宣言を出してしまえば良かったのにって、
 ずいぶんやきもきしてました。
 今日だって、バッツさんは朝からあなたのために……あっと』
『え?』

私の問いかけはアクアさんの『Roaming sheep in search of the…』という歌声に無視されてしまう。
その響きはどこまでも愉快そうで、意地悪な女神さまは私が口をとがらせるのにも構わずに、
しばらくの間、歌い続けた。



「出かけるのか?」
「姉さん」

ちょうど部屋を出たところで、いつもの深紅のフルドレスに身を包んだ姉さんと鉢合わせした。
ドレスは深く美しい光沢のワインサテンと絶妙なグラデーション染めのチュールが眩いばかりに輝く、
豪奢なデザインに、銀河を思わせるように散りばめられたメレダイヤが更なる高貴さを演出していて、
姉さんによく似合っている……ううん、姉さん以外には着こなせないと思わせるくらいの絢爛さだ。
そして右手に握られているのは、これもいつものように白銀の騎兵槍・グローランス。
彫刻のように整った精悍な面立ちと鋭い眼差しは、戦姫としての威厳に満ちていて、
妹である私ですらその威に気圧されるほど。

姉さんが生来に備えている強い輝きは、ドレスをどんなに過剰に装飾してもなお負けることなく、
ひたすらに華としての価値を高める事が出来る。
その武器は、外交においては大きな価値をもたらすもので、姉妹であるからこそ羨望してしまう。
今思えば、タイクーンにいた時にお父様が私をほとんど外交に連れていく事が無かったのも、
先に姉さんという最高級の原石を目にしていて、私の適正限界を見ていたからだろうと推察する。
もちろん、姉さんに続いてお母様まで失った“男性”としての本能が、
それ以上に失う事を過剰に恐れて、私を箱入りにしたがったというのもあるのだろうけれど。

「姉さんは会議?」
「ああ。
 ミスリル装備を含めたパラメキアからの戦利品の分配と、今後の協力体制についてだ。
 こっちにしても向こうにしてもお互いに思う所は多いが、使えるものは全部使わにゃあ、な。
 ……『私も出席する』なんて言うなよ」

まさに口から出ようとしていた言葉を塞がれて、唇が意味なく開閉してしまう。
姉さんは、海竜を象った金細工のイヤリングを揺らして苦笑いしながら続ける。

「お前は休めよ。いくら何でも働き過ぎだ。
 今日の会議はカルナックのエディス女王も出席する。しっかり勉強させてもらうさ。
 それに俺たち神姫三人が揃うのは、戦場だけってのが喧伝なんだからな。
 ……何よりいつまでも妹におんぶ抱っこじゃ、姉としての面目も立たない」
「そんなこと……」

開きかけた私の口を、姉さんの人差し指が塞ぐ。
目の前には、私と同じ色彩の、けれど私とまるで違う鋭さのエメラルド。

「そんなことはある。
 “神姫”は実際のところお前だけで、
 俺とクルルはお前の負担をできるだけ減らすためのお飾りに過ぎないさ。
 だが、タイクーンを治めるって俺の決意も確かなものだからな。
 精一杯、お前に追いつけるようやってやる。
 ……できればコルセットとこの高いヒールは、勘弁してもらいたいところだがなぁ」
「私だっていつも、お腹の中身が出そうになるを我慢してるんだから」
「やれやれ、道は長いな」

姉妹の笑い声に、「サリサ姫」と呼ぶ声が廊下の向こうから重なる。

「じゃあ行く。お前は休めよ」
「わかった」
「せっかくなんだ、あのポンコツ勇者にショコラの一つも用意してやれ。
 死ぬほどもったいなくて、おまけに頭にくる話だが、それくらいはっきり脅迫してやらないと、
 あの男はいつまでも答えを先延ばしにするぞ」
「……うん、ありがとう」
「休めよ。
 それと、ショコラを渡す前にあいつには必ず土下座させろ」

カツン、とヒールとグローランスの石突が廊下を打ち鳴らし、堂々たる風格で焔姫は進んでいった。



「レナお姉ちゃん!」
「クルル。
 あなたもお仕事?」

彼女の頭部と同じくらい大きな大きな赤いリボンを結わえたクルルと会ったのは、
庁舎前のハイヤー乗り場だった。
鮮やかなレモンイエローのドレスには、絶妙のバランスでレースリボンが配されていて、
クルルの妖精のように可愛らしい容姿を良く引き立てている。
……ちょっとスカートが短すぎるかしら?
でも、オレンジ色のストライプが入ったオーバー二―ソックスと、
右足首を飾るモーグリの描かれた金のアンクルが綺麗に映えるわね。
ブラウンのローファーも、上手くアクセントになってる。

「うん、まあ、色々……お仕事だからね……。
 頑張ってくるよ……」

途端、クルルの瞳から星屑の輝きが消えて死んだ魚のようになってしまう。
そして反比例するように、隣に立つセルフィは喜色で眩しい程に輝く。
……スーツはいいのだけれど、その伊達メガネに意味はあるの?

「ショコラ・デイに合わせたイベントと、新曲のレコーディングです。
 ドレスも今日のために、私がデザインに関わりました」

セルフィは眼鏡を指で押し上げながら、不敵に笑う。
……ゴルベーザさんに課された特訓や、学園祭の準備に多忙なはずなのに、
何時こういう事をやっているのかしら、この娘は……?

「私の発案した『まみむめも』も、クルルちゃんのお陰で見事に流行語になりましたからね。
 セルフィP……いえむしろセルPと呼んでください!」

ごめんなさい、ちょっともう、そろそろついていけないわ……。
あとあなた……上手く言えないんだけど、本来の歴史を変えてしまってないソレ?

「セルフィ、手伝ってくれるのはありがたいんだけれど、あまりクルルに無理をさせないでね」
「大丈夫です!ポロリはありませんから!」

セルフィの笑顔は本当に清々しくて、激しい不安を覚える。
……まぁ、今日だってちゃんと他にも引率護衛役がいるのだし、大丈夫だと思うけれど。

「すみません。二人の事、本当によろしくお願いしますね、イリーナさん」
「ご安心ください、レナ姫。タークスは必ず任務を果たします。
 クルル姫は連合のシンボルを担う、最重要人物のおひとりですからね。
 私の身に代えても守り切って見せます」

タークスは要人の警護も主要な任務としていると聞く。
このはきはきとした応答には、嘘偽りはないだろう。

……と、思うのだけれど……。イリーナさんの目が虚ろで心配になってしまう……。

「まあ、とはいえ、クルル姫は私なんかよりはるかにお強いんで、
 私なんかがお役に立つかどうかビミョ〜ですけどねぇ〜。
 なんせ模擬戦ではクルル姫に30連敗、しかも全て秒殺ですからぁ〜…。
 先輩にも1勝するまでは帰ってくるなって言われて…有給休暇がどんどん……。
 ……もう田舎に帰ろっかな……」

しゃがみこんで地面に『の』の字を書き始めたイリーナさんに向かって、
クルルが声をかけようとする。
けれど、クルルには“才能の有無”のフォローが上手くできないだろう。
だから私はそれを制して、イリーナさんの肩にそっと手を置いた。

「イリーナさん、私やクルルはクリスタルに力を与えてもらうまでは、
 戦いに関して完全な素人でした。
 ……面と向き合って始める模擬戦ならこの子は本当に強いけれど、
 不測の事態には、まだまだ正確な判断が下せません」
「……レナ姫……」
「イリーナさんのプロフェッショナルとしてのお力を、私は信じています。
 改めて、この子たちをよろしくお願いしますね」

イリーナさんが瞳に涙を溜めながらも、背筋をシャンと伸ばして立ち上がってくれたのを確認して、
私は改めてクルルに向き合う。

「クルルも、本当に辛かったら無理せずに断ってね」
「いいの、レナお姉ちゃん。お姉ちゃんこそ働き過ぎなんだから。
 私がお姉ちゃんの負担を少しでも減らせるなら、嬉しいよ」

そう言ってくれるクルルの笑顔はとても純真で、胸が詰まる。

「さすがにもう、色紙にサインは書きたくないけど……。
 そろそろ腱鞘炎が怖いよ……」
「……………」

プラプラと振る右手から目をそらす。見ていられない……。
と、彼女の左手にいつも握られていた包み…陸奥守が無い事に気付く。

「クルル、今日は刀を携帯しないの?」
「うん。
 市内で安全……じゃなかった事もあったけど、これ以上あんまり、ね……」

沈むクルルの表情が意味しているのは、
自分のファッションや発言が世間に与える影響への恐れだろう。

一般兵や市井への影響度という点で見れば、クルルは三神姫の中で最も高い。

この子には周囲の全てを惹きつける、天性の“華”がある。
金糸の髪と天剣絶刀の銀閃をひらめかせながら、戦場を縦横無尽に駆け巡る姿は、
如何なる苦境に押し込まれた状況であっても、友軍の士気を最大限に引き上げる。
“一騎当千”……ううん、この場合“一姫当千”と言うべきかしら。
クルルの進軍は、その戦意高揚を持って偽りなく千の兵を動かすに等しい戦力を生み出す。
更に先日エスタ市内で起きたマシンの暴走事件の映像は、“神姫”の価値を市井へ一気に広めた。
クルルが好んで選んだメーカーの小物や食品、コスメは飛ぶように販売を伸ばし、
逆に他のメーカーは見るも無残に失墜していく。
クルルの聡明さは、自分の行動が容易に多くの他者の運命を変えてしまう事を理解して、
けれどまだコントロールしきれていないが故に、恐れているのだ。

クルルにとって現状は、精神衛生上苦しいのだとは痛い程に想像がつくけれど、戦後を考えれば、
「頑張ってね」と精一杯の笑顔で送りだしてあげるしかないのが、悲しいところ。

……フェイスとフロントの世界融合によって、バルは大国フィンの領土内に現れてしまった。
もちろん、ヒルダ王女はバルの独立性に充分に配慮してくださっている……今のところは。
戦時中にもめ事を起こさない良識は信じられる。
でも、彼女に野心を全く感じないのかと問われれば、口をつむがざるを得ないのが現実。
バルという国は、フロントの国家としては大きく歴史も古いけれど、
情報通信を含めた物理技術レベルの高いフェイス国家と比較して考えた場合、
可能な限り存在感を出しておく方が好ましい。
そういう意味では“神姫クルル”という“資源”はとても大きいものだし、
エスタの後ろ盾で喧伝を広めている事もまた有効に作用するだろう。
……エスタとしても、地理的に離れた、しかもフィンの領土内に同盟国を持てるのは有意性が高い、
という配慮もしなければならないのが、政治のやっかいなところなのだけれど。

「お姉ちゃんはその変装、お出かけなんだね。
 バッツにショコラを買いに行くの?」
「……うん、そうね。そうしようかなって」
「そっか、バッツにあげるのはすっごくもったいないけど、よかった。
 ゆっくり選んできてね」
「ありがとう。クルルは誰かに贈ったの?」
「えへへ……、秘密」

頬を染めて健やかに笑うクルルを見ると、こういうイベントもいいものねと改めて思える。
この子は、本当にいつでも、私たちに活力を与えてくれる。
そう、クルルを慕って人々が集まるのは、純粋に美点なの。
だからこの“恐れ”は悪い事じゃない。克己する心に繋げられているのだもの。
クルルが身に溢れる才覚を十全に使いこなす日は、きっとそう遠く無いと、私は思う。

「そう。とっても気になるけど、クルルが秘密にするなら我慢して聞かない事にするわ。
 セルフィはどう?アーヴァインが待ってるんじゃない?
 クルルと出かけてしまっていいの?」
「お〜い、ハイヤーさんこっちですよ〜!
 ……あっ、はいはい。1ギルチョコをあいつ部屋の前の廊下に転がしときましたから。
 さあクルルちゃん行こっか!」

バタン、と車のドアが閉じて彼女たちは彼方へと消えていく。

……………………。

自分のハイヤーを待つ間、何とはなしに正面の道路を眺めてみる。
そこかしこで、クルルと年頃の近い少女たちが「まみむめも!」と、
元気に挨拶(?)を交わしているのが目に入る。

……その左手に、刀の収まった鞘を手にして……。

中身はナマクラがほとんどだろうけれど、世の中というものは何が流行するのかわからない、
というよりも、セルフィのプロデュース力を侮っていたというのが正直なところね。これに関しては。
もちろん大統領府の宣伝部やプロフェッショナルの企画があってこそのもので、
刀の産出国……ウータイやエブラーナ(地方)、ドマは財政的に厳しいのが現状だから、
これもまたプラスに作用している影響の一つ……、

「そろそろセルフィには、強めに注意した方が良さそうね……」

既に遅きに失しているのかも知れないという恐怖が、私を苛んだ。



一歩足を踏み入れた瞬間、思わず感嘆の声を上げてしまう。
外から見た時も、ずいぶん大きな建物と思ったけれど、中に入ると華やかさと活気が段違いだ。
沢山の人々が行き来しているけれど充分な空間が取られているし、
室内とはいえ天井もかなり高くて、おかしなな話だけど外よりも解放感があるくらい。

「これが“ショッピングモール”か……」

自分の呟きが田舎者そのものであるという自覚はあるけれど、やっぱり驚きを隠せない。
エスタでも1、2を争うほど大きな施設だとは聞いていたけれど……、
キャラバンをそのまま建物に入れて、しかも空調環境も整えてしまうなんて、
なんて豪勢なのかしら。
けど、こんなに広くて商店が沢山あると、自分の目的物を探すのも一苦労ね。
そう考えながら首を巡らせたところで、さっそくげんなりとさせられてしまう。

……なるほど、一階部分は施設全体の高級感を演出するために、宝飾や皮革製品といった、
高級品を取り扱っている店が多いのね。
流石は先進国。
タイクーンの王宮で取り扱っていた宝物と比べても遜色のない品々すらもちらほら見られて、
私も目を奪われるわ。

…………そこかしこに、私や姉さんの写真が大々的にモデルとして飾られていなければ。

そう言えば、公務の合間にそういった撮影に応じた記憶があるけれど、
こうやって、こんな大きな施設に貼りだされているのを実際に見てしまうと、
拷問以外の何物でもないわねぇ……。
これも戦意発揚の一環……そろそろ、戦後にどう収拾をつけるかが怖くなってきたわね。
……ガストラ、パラメキアもそうだったけれど、なりふり構わずなのは連合も変わらない面がある。
一手、二手しくじっていれば、先に倒れていたのはこちらだったかもしれないと、
今更ながらに背筋が冷える。
そんな事を考えながら、宝石や革のバッグを持った自分の写真から極力目を逸らしつつ、
店内を進んでいくと、ひとつの宝飾店に目が留まった。
ううん、正確にはその店の中央のケースに飾られている、三つの金細工に。

不死鳥のブローチ。海竜のバングル。モーグリのバレッタ。

少し驚いて、近づいて確認してみる。
間違いない。レプリカなんかじゃなく、私たちの使っている本物だ。
バッツが治金について師事を請うた(というより、行き倒れていたところを助けてもらった)、
カルナックの外れにアトリエを持つ細工職人のご老人は、他では真似できない独自の彫りや、
磨きの技術を用いるから、こうやって近くで見れば間違えようがない。

何より、ラグナさんの提案……口車によって私、姉さん、クルルが身に着けるようになった、
この金の装飾具は、私たちが“三神姫”として犯した最初の失敗だったのだから。

そう、私たちが軽い気持ちで選択した結果、今やあのご老人の元には、
人生を10回やり直しても足りないくらいの注文が殺到してしまっている。
幸い、バッツと付き合いが長い人にふさわしく、
気分の乗った時にしか仕事をしないマイペースな方だったから大事には至らなかったけれど、
私たちの行動や発言が連鎖によってどんな結果を生み得るのか、本当に勉強になった。
それにしても、よくこの宝飾店は三種類とも揃えられたものね。
ひとつだけでも、辺境国とはいえ王族である私ですら驚くような金額になるはずなのに……。

「お客様、申し訳ありませんがそちらは非売品でございまして」
「あッ!
 い、いえ。そうですよね。あんまりにも見事な金細工だったのでつい」

いけない、ちょっと思考の海に潜りすぎていたみたい。
店員に話しかけられただけなのに、こんなにうろたえてしまって、みっともないわ。

「ええ、こちらに飾られているのはかのレナ姫、サリサ姫、クルル姫が、
 実際にお使いになっていた装具を、弊社がジドールのオークションにて競り落としたものでして」

……私たちが実際に使っていた?
確かに自分たちでは装具の管理までしていなかったけれど……、
勝手にオークションにかけられていたいたという事?ううん、そうか。
価値を何倍にも引き上げてからこうするところまでが、ラグナさんのシナリオだったと考えるべきね。
確かにさっき想定した額なら、それなりの予算として利用できるギルになる。
まさか、こんな細かいことにまで布石を打ってるなんて。
ここまで来ると、利用されていた事や身に着けていた物を流通された生理的嫌悪なんかも飛び越えて、
むしろ感心してしまう。まだまだ反省と勉強が足りていなかったみたいね……。

「……?
 お客様……?えっ、いえ、まさかッ!?」

と、私が再度思考の海を漂っている隣で、店員の表情がそれ以上の驚愕に染まっていく。
不死鳥のブローチの横に立てかけられている“神姫レナ”の横顔と、私の顔を交互に見やって。

いけないっ。

「どっ、どうもありがとうございました。
 それでは私はこれで……」

冷や汗をかきながら、早足でこの場を去ろうとするけれど、店員の方が僅かに早かった。
右腕を強く引かれて――

「レイナちゃん!
 レイナ・リュウグウちゃんじゃない!」

レイナ…変装中の私の偽名を大声で呼んでくれた方角へ向かって、私も急いで声を返す。

「ああ、マリアさん!
 お久しぶりです」
「本当に久しぶりね。エスタに来ているなら連絡頂戴よ」
「あの、ええと……、レイナさん、ですか」

突如現れたラベンダー色のロングヘア―を流し、同じ色のニットを着込んだ精悍な女性が、
ぐいっと近づいてくるのに合わせて、
店員が目を白黒させながら、私を掴んでいた手を放す。

「ええ、レイナ・リュウグウ。私の古い友人なの。今年で16よね?
 ずいぶん昔に……ああっと…」

すみません、童顔がひどくて。

「子供の頃に両親の都合でウータイに引っ越していて。
 ごめんなさい、マリアさん。一昨日こっちに着いたばかりだったんです」
「じゃあ、偶然会えてよかったわ。
 それにちょうどよかった。一緒に選んでもらいたいものがあるの」

そうやって、急いで指輪のコーナーへ移動したところで、やっと一息つく。
ふぅ……。

「助かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして。
 有名人は大変ね。コンタクトって、違和感が辛いでしょう?」
「仕方ないと割り切れば、何事にも慣れられるものですよ」
「なんにせよ、騒ぎにならずに済んで良かったな」
「フリオニールさん」

銀髪の魔法戦士はいつものバンダナを外し、
鍛えられた身体を濃紺のポロシャツとカーキオレンジの薄手のダウンジャケットで包んでいた。
シャツは確かクルルが贈ったのだと聞いたから、フリオニールさんにとって一張羅なんだろう。
だから悪いとは思うけれど少し……かなりチグハグなファッションだ。
それに、宝飾店という場所も、フリオニールさんにしてはとても珍しいと思う。

「ええ、本当に助かりました。
 髪も瞳も色を変えてあるから大丈夫とは思ってたんですが、
 こうも自分の顔がそこかしこに展示されてるなんて、想像もしてませんでしたから。
 お二人のデートを邪魔してしまって、すみません」
「いや、いいさ。
 マリアも言ったが、こちらとしてもちょうど良かった。
 ちょっと教えてくれないか。俺はどうも、こういうのが良く分からなくてな……」

そう言って、フリオニールさんが指し示したのは、
いくつものデザインやサイズが並べられた、ダイヤを頂くプラチナの指輪たちだった。
それは恋人にとって、更なる幸福の訪れを意味するとても重要な意味を持つ指輪。

「ああ…っ。
 おめでとうございますマリアさん。フリオニールさん」
「ありがとう、レ…イナちゃん。
 隣の堅物、プロポーズが酷いものだったから。
 その分指輪は素敵なものを選んでもらわなくちゃって、今日は二人で見に来てたの」
「……それは悪かったと何度も言っただろう。
 その分、もう三時間も付き合ってるじゃないか」

フリオニールさんが心底疲れたと溜息をつくと同時に、とびっきりの笑顔だったマリアさんが、
途端に眼を鋭くする。

「なにか言いまして?」
「いっ、いや。何でもない。
 しかし凄いなエスタは。いったい何百種類あるんだ、ここの指輪は……」
「女性にとっては一生の宝物ですから。どんなにあっても、多すぎるって事はないんですよ。
 マリアさんは、候補は見つかってるんですか?
 イメージが固まってるなら、メーカーによってはセミオーダーでアレンジできるものも……」
「そうなの?それも心惹かれるわね」
「おいおい、オーダーメイドというのは作るのに時間がかかるんじゃないのか?
 今日中に持って帰れなくなるぞ」
「何言ってるの。どれを選ぼうと、今日はオーダーするところまでしか出来ないわよ。
 受け取れるのはずっと先なんだから」
「何ッ!?」

大仰なくらいにのけぞって驚くフリオニールさんを見て、マリアさんも私も思わず呆れてしまう。

「当たり前ですよ、フリオニールさん。この世界で一つだけのリングを作ってもらうんですから。
 ベースデザインは同じでも、ダイアのカラットやクオリティ、リングの裏側に嵌める誕生石、
 彫り込む文字も決めないと……マリアさん、お二人の指のサイズはもう計ったんですか?」
「それもまだなの。これだけ種類があると、やっぱり目移りしちゃって。
 やっと10種類くらいまで絞り込んだんだけど、さっきのセミオーダーも気になるし……」
「……すまんが、俺は少し向こうで休んでくる……」
「すぐ戻ってきてよ。あなたにも選んでもらわないと、意味がないんだから」

いつも堂々としているフリオニールさんにはとても珍しく、
背を曲げてとぼとぼと歩み去る後姿には、悪いと思いはしたけれどつい吹き出してしまった。

「もうっ、信じられないわね。ちゃんと昨日説明したのに」
「あんまり怒らないであげてくださいね。
 ……本当に、おめでとうございます」

両手を腰にやって怒っていたマリアさんも、そこで笑顔になって私に向き直る。

綺麗だな。

心からそう思う。
故郷を失い、妹と兄に分かれて戦い合った辛い思い出が沢山あるマリアさん達だからこそ尚の事、
それを大きく塗り替えた“幸福”は、とても凄い事だと。

「ありがとう。
 ……ありがとうございます。何もかも、レナ姫のおかげです」
「え?
 あの、それはどういう……?私は何も……」
「男って、壊すことしか考えられないところがあるでしょう?
 フリオニールも兄さんも復讐するは我にありって、ヴェルヌを倒すところまでしか考えて無くて…。
 そこからエクスデスを倒して、その後の事は何も描いてなかったの。
 でもあの日、バッツがあなたと手を取り合って、その先の道を見せてくれたから。
 だからあの二人も、まだ何も終わってないんだ、これから全てを始めていくんだって。
 男の自分たちにも“生み出す”道があるんだって、そう思い至れたから。
 そうじゃなくちゃ、私との結婚なんて、いつまで経っても辿り着けなかったわ、フリオニールは」

語るマリアさんの瞳は、七色が溶け合ったような深い慈愛に満ちていて、
覗き込まれた私の胸が詰まる。
あのときはただただ必死で、そんな事まで考えていなかったのに、
こんなにも真っ直ぐに感謝を告げられると、本当に困ってしまうわ。

「マリアさん、私……」

口に出しかけた言葉は、私の手を包んだマリアさんの両手の温かさによって止まってしまう。

「ありがとう、私たちに道を示してくれて」
「……そう言ってもらえて、私もとても嬉しいです」

そうか。いつの間にか私も、誰かに新しい可能性を示せる人間になれていたんだ。
いつも追いかけていた、あの赤いマントに。

「さあっ、レイナちゃん。こっちのリングを見てくれない?
 あなたのセンスの方が、あの朴念仁よりもずっとずっと頼りになるわ」
「はい、喜んで」

幸せ。
こんなに嬉しい事なんて無い。



指輪選びがとても楽しくて、最初の一歩から思ったよりも時間を取ってしまった。
時間は早くもお昼過ぎだ。
マリアさん達は最後の詰め合わせをすると言っていたので、
私は一足先にランチに向かわせてもらう事に。
そうして、レストランが軒を連ねているらしい地下一階に降りようとしたところで、
真剣な表情でポプリを選んでいる女性が目に入った。
若草色のカーディガンとコーデュロイのパンツの落ち着いた服装の彼女は、
長い金髪をポニーテールにしている事もあって、いつもとずいぶん印象が違うけれど、
整った細い顎と、姉さんに似た鋭いエメラルドの瞳は間違えようがない。

「セリスさん?」
「ッ!?
 あ…ああ、レ、イナ。だったわよね?」
「ええ、レイナ・リュウグウです。面倒ですみません」

苦笑する私に向かって、セリスさんは表情を柔らかくする。

「そんな事言わないで。あなたこそ、本当に大変ね。
 今日は休みが取れたのね」
「はい。セリスさんもなんですね。
 ポプリ、ロックさんにショコラと一緒に贈られるんですか?」

問いかけに、セリスさんは少し頬を赤らめる。
私が言うのも変な話だけれど、セリスさんにも年相応のところがあって良かったと、
微笑ましい気持ちになる。

「い、一応彼にも用意しているものはあるけれど、こっちはおじい…シド・マケルズ博士に。
 このところ各国のシド博士が集まって、毎日遅くまで研究しているから、
 リラックスできる香りの物があればって……。
 そうだ、申し訳ないけれど協力してくれないかしら?」

「ランチを奢るから」というセリスさんの魅力的な申し出に、私は喜んで薬の知識に検索をかけた。



明るい日の差し込む中、パスタの後のローズヒップティーを口に含んで、食後の一息をつく。
店には悪いけれど、茶葉も淹れ方もあまり上質なものではなくて。
でも、賑やかな雰囲気の中、友人と二人っきりでゆっくりと昼食を取るなんて初めての事で、
今まで飲んだどんなお茶よりも美味しく感じられた。
セリスさんの事も、もうずいぶん知ったつもりでいたけれど、
こうやってゆっくりと話をすると、まだまだ新しい発見があったというのも、
また格別な調味料だったな。

「セリスさん、本当に薔薇にお詳しいんですね」
「職務の間を見つけてではあったけれど、ずいぶん長い間、博士の温室で世話をしていたから」
「『おじいちゃん』でいいじゃないですか。
 セリスさんと同じ名前の薔薇の株までつくってくれたんでしょう?」
「……判っているけれど、私にだって“これまで”があるのだから。
 これから自分のペースで変わっていくわ」

これから、か。
……そうね、マリアさんの指輪もそう。帰って来てからの楽しみがあってこそ、だものね。

「レイナは、まだ時間はある?
 もし良ければだけど……一緒にショコラを選ばない?
 その、せっかくだから、と、“友達”と一緒に選んでみたくて……」

不意に。
戦場においてはいつも冷静なセリスさんが、耳まで真っ赤にして口にしてくれた素敵なお誘いに、
思わず私も顔が熱くなる。
ああ……なんだか今日は幸せな事ばっかりね。出かけてきて良かった。
思いもよらず降って湧いた幸運に感謝しながら、私も蚊の鳴くような声で「是非」と返事する。
セリスさんがそれを受け取った時の可愛らしい笑顔は、きっと一生忘れないだろう。

「良かった。
 お互い贈る相手が自由人だから、きっと意見を参考にしあわえるわ」
「ふふっ、そうですね。お互い苦労しますね」
「……………」
「どうしました?」

弾むように会話をやり取りしていたところで、セリスさんの表情が突然苦いものになる。
何か不用意な事を言ってしまっただろうか?
ロックさんも方々を巡る人だけれど、
バッツと違って長い間リターナーの任務として行動していたから、
一緒にしちゃったら良くなかったかしら?
でも、セリスさんの方からお互いって言ってくれたんだし……。

「いえ、違うの。
 私は立場的にもある程度割り切る事ができるし、割り切る覚悟もとっくについているけれど、
 貴女には、彼に贈る事をそんなにも屈託なく幸せに笑って欲しくなかったって、ちょっとね」
「?」

未だに趣旨が理解できない私を見やって、セリスさんは軽く溜息をついてからティーカップを降ろし、
もう一息、覚悟を決めるように軽く頷いてから再度言葉を紡ぎ出した。

「笑わないで聞いて欲しいのだけれど」
「……?
 ええ、もちろんですけど……」
「……私だって、生きていれば小さな少女の時代というものがあって、
 その頃は絵本に出て来る“お姫様”に憧れたわ。
 白いお城の、バラがいっぱいに咲いた庭園で、綺麗なドレスを着て。
 それらの何よりも美しく、そして誰よりも強く優しいお姫様。
 そういう女性になりたいって」

語るセリスさんの目は、カップに残る紅茶に注がれているけれど、その頬ははっきりと赤い。
もちろん、私の顔はもっと赤いだろう。

「えっと、セリスさん……」
「私だって恥ずかしいのを我慢してここまで口にしたのだから、最後まで言わせて。
 …それで、もちろん自分が大人になっていく間に、
 自分じゃ“お姫様”になんてとてもじゃないけれどなれないし、
 どこにも居ないって現実を知るの。私だけじゃない。世界中の女性がよ。
 だけど、“神姫レナ”を目にしたとき思うの。『ああ、“お姫様”は居たんだ』って」
「……あの、セリスさんにそこまで言って頂けるなんて、すごく光栄なんですけど…」
「最後まで聞きなさい。
 クリスタルに選ばれたから、なんて言わないで。
 私は貴女が此処に辿り着くまでに、どれほど傷ついたかを知っている。
 その度に立ち上がって来たのを間近で見てきたわ。
 貴女は“絆”こそが力なのだと、全身を持って私たちに教えてくれた」

セリスさんは最後の紅茶を飲み干して「出会った頃の貴女からは想像もつかなかったけれど」と、
続ける。

「だから、私だって私を紡いでくれている絆のために変わりたいって、心から思えるの。
 ……でもね、だからこそそんな理想のお姫様を迎えに来た竜殺しの英雄が彼では、
 文句のひとつふたつも言いたくなるのが、まっとうな女性というものよ。
 彼に英雄としての資質が充分にあれば、貴女だってこんなに苦労する事はなかったのに」

セリス将軍にしたり顔でこうもきっぱりと言い切られると、こちらとしては中々反論しづらい。
それでもやっぱり、バッツのこれまでと今の立場を考えれば、どうしても仕方ない所があって、
私は反論の為に口を開く……セリスさんも、もちろん分かっているのだろうけれど。

「バッツの立場は、為政者から見れば危うい部分もありますから……」
「それは、もちろんそうよ」

“神々の黄昏”、“黄金の剣を携えた救世の英雄”そういった分かり易いワードは前面に出している。
けど、バッツ個人を特定されてしまうような情報は可能な限り流出を制限せざるを得ない。
戦場を共にした兵士たちの口伝といったものは、どうしようもないとしてもだ。
だから私たち“三神姫”は、表に出られない彼の代用として考えられた苦肉の策だったの。
もちろん、彼が平民の出自であるという事、フェイス人とフロント人のハーフである事、
フロントの英雄・暁の戦士の忘れ形見であるという事……そういったプロバカンダに使える情報は、
意図的に流しているけれど。

けれどラグナロクを自分の物としつつある……名実ともに“地上最強”となったバッツの扱いは、
ラグナさんやヒルダ王女も含めて、連合各国で見極めかねているというのが本当のところだ。
……仕方ない、部分はある。
次元の狭間の魔物たちがセリスさんに口にした通り、神と厄災は表裏一体でもある。
一個師団……あるいは一国の軍事力にすら匹敵する“力”が、どの国家にも所属せず、
しかも自由な旅人として流浪し続けるというのは、為政者にとっては気持ちの良いものではない。
もちろん、バッツ本人と接した王侯貴族は、彼の人柄を疑うわけではないけれど、
彼が自由な平民であるがゆえに、よからぬ事を謀略する集団や思想が生まれないとも限らない。


彼を想うとき、いつも胸にぐるぐるともやが渦巻いて、喉から何かがせり上がってくる。
心地よいのに叫び出したいような、苦しいのにずっと浸っていたいような、不思議な胸の痛み。
忙しく過ぎ去っていく日々の、ほんのひとときのやり取りすら、時が経つ毎に色を変えて、
いつまでもいつまでも私に微笑みをくれる。


だからこそ、私が“これから”のために。
私がバッツを護るために。
もっともっと強くならなくてはいけない……強くなりたい。

エアリスさんのように。


「でも、そうではなくて」
「……え?」

肩を透かされた私の目の前で、セリスさんが形の良い唇をへの字に曲げる。

「私が言いたい事はそういう事では無くて、彼の普段の生活態度よ。
 吟遊詩人の語るようなエメラルドの瞳もハープのような声も諦めてあげられるけれど、
 あの大らか過ぎる素行は直せるものだし、直すようあなたもキツク言うべきだわ」
「そこを取ってしまったら、バッツじゃなくなっちゃいますよ。
 それにいつも自然体で世界を巡り見渡しているからこそ、
 どんなときでも最後まで諦めないでいられるのが、バッツですから。
 だから、私たちも一緒に立ち上がってこれた」
「いつ見ても跳ねまわってる髪」
「バッツの髪の毛、太くて癖が強いですからね。
 ああ見えて実は、本人も結構なコンプレックスで、陰で色々工夫してるんですよ。
 そういう所、可愛いなって思います」
「……いつでもどこでも、TPOをわきまえず赤いマントを羽織っている事や」
「街中でもすぐに見つけられて、助かる時だってありますよ。
 ……戦場でだって、他の兵士を狙うなら自分を狙えって、誰よりも傷つこうとして……」
「………自由時間にはいつも、いつの間にか居なくなって」
「不思議ですよね。
 バッツは気付いてないかも知れないけれど、バッツが通る前と過ぎ去った後だと、
 いつも“何か”が変わってるんです。いつだって、どこでだってそう。
 誰かの背を押してくれてる」
「…………大事な会議でも平気で居眠りをする。イビキまでかいて」
「戦場では、バッツの勘の方が頼れる事も多いですから。
 咄嗟の指揮に対する判断も正確です……戦術基礎もドルガンさんから教わってたみたいですよ。
 ……でも確かに…、いつもすごく健やかな表情で眠ってるから、
 なんだか起こすのが可哀想になって、ちょっと気になっちゃって、
 私も会議に集中できなくなってしまう時があるのが、良くないですけどね」


「あなたの欠点は、彼に甘すぎるところね」


………実はちょっと、自覚があった。



綺麗に包装されたショコラを小さな紙袋に入れて携え、エスカレーターで二階へ上がる。
予定にはなかったけれど……今日渡せるかどうかもわからないけれど、
日持ちするものを選んだのだし、次にバッツに会った時に渡そう。
どんな顔をするかな?喜んでくれるかな?
心の中にまた新しい風が吹いて、胸がドキドキと高鳴り、
自然に頬が緩んでは眉が寄ってしまい、でもまた頬が緩む。
いけない、ひとりで百面相なんてしちゃって。でも楽しみ……うん、楽しみね。
我ながらゲンキンなもので、新しい幸せが増えた事で自然と足が軽くなる。

「あれ?
 レナさんじゃないですか」
「人違いしてるわよ、アーヴァイン。私はレイナ。
 レイナ・リュウグウ」
「バァカ。アーヴァインお前、お忍び中は別の名前を使うって話、前に聴いてたろうが!
 注意しろよ!」
「……それを大声で言うお前も注意が足りて無いんじゃないのか、ゼル」
「うぐっ」

ワイワイと、エレベーターの脇で盛り上がっているのはいつものSeeDの男の子たち三人。
アーヴァイン、ゼル、そしてスコール。
アーヴァインはいつものコートとハットではなくて、黒のシングルジャケットにジーンズの、
買い物に合ったスタイルで、足元のウィングチップシューズもよく似合っている。

「いいのよ。でも、次からは気を付けてね。
 男の子達でお買い物?」
「や、買い物っつーか、ちょっとアレなんスけど」
「今日中に、ゼルにショコラをくれる女の子を見つけるために、ナンパです」
「ナニあっさりばらしてくれちゃってんの!?ぶっ殺すぞ!」

もごもごとはっきりしないゼルの声から、アーヴァインが明快な答えを引き継ぐ。
隠し事を暴露されてしまったゼルは顔を真っ赤にして、
太い両腕を長身の首に回して締め付け、怒りを表現する。
もちろん冗談……よね?アーヴァインの顔が真っ青になっていってるけど……。

「ギブ……、ギブアップ……」
「その辺りにしておけ」

見計らったところでスコールがゼルを後ろから羽交い絞めにして、引きはがす。
アーヴァインは苦しそうにせき込んでいるけれど、ゼルがあっさり離れたところから、
ここまでがこの子達三人の予定調和なんだろう。

「うがー!
 テメェはどうせリノアからもらえるからって、余裕見せやがって!
 死ね!」
「ごほっ……。
 ちょっといくら何でも見苦しいよ、ゼル。
 女性はそういうガツガツしたところを見抜いてるんだよ。気を付けなきゃ〜、ね」

アーヴァインは息を整えたところで、いつもの軽薄な仮面を被り直す。
彼の本質であるナイーブな面はもう皆が知って、その上で受け入れているのだから、
無理をしてそういった演技をする事もないのに、とは思うけれど、
男の子としては目指す姿があるんだろうな。

「うるっせーよ!
 くそっ、自分ばっか宿舎の給仕の娘とか、いろんなとこからもらいやがって、
 いつの間にちゃっかり声かけてんだよ!
 俺らは世界の平和の為に最前線で戦ってる、光の戦士の一団なんだぞ!
 真剣に、全力で使命に向き合えよ!!ていうかひとりふたり、俺に紹介しろ!」

言ってる事が矛盾してるわよ、ゼル?

「いやぁ〜。僕はいつも、僕らの為に頑張ってくれている女性たちに、
 丁寧に『ありがとう』を伝えてるだけさ。
 女性には、ちょっとした、けれど細やかな心遣いが大事なんだよ。わかるかい?」

チチチ、と人差し指を振るアーヴァインは、細面と長身が合わさって、
なるほど劇団の役者のようねと少し感心する。
その姿を見上げて、ぐむむ…と唸っていたゼルだったけど、パッとその表情を、
相手を挑発するようなものにつくり替えた。

「ヨユーかましてるけどよぉ、お前、本命のセルフィからはもらったのかよ?
 っつーか、何?ショコラ・デイに一緒に出掛ける約束とか取り付けられなかったワケか?
 あのアーヴァインさんが?」

痛いところを突かれたのか、今度はアーヴァインが唸る。

「そ、それはその……セルフィもああ見えて奥ゆかしいところがあるからね。
 今頃きっと、僕の為にショコラを手作りしてくれているのさ。
 今夜は月が綺麗だし、楽しみは取っておいて、こうやって友人のために協力してるんじゃないか」
「はぁ〜?あの女がオクユカシイ〜?
 お前、頭ダイジョウブか?」
「そ、そこがキミの浅はかなところだって言ってるんだよ。
 僕にはわかるんだ、セルフィが恋の駆け引きを心得ていることが」

…………切ない……。

「んじゃあ、もしあいつが手作りのを用意してなかったら、昼飯一ヵ月オゴリな」
「も、もちろん構わないさ。なんだったら三ヵ月でもかまわないよ」
「えっと……あのね、アーヴァイン。
 もちろんセルフィは、きっとあなたにショコラを用意していると思うけれど、
 もうちょっと、何ていうか、強気になり過ぎない方がいいんじゃないかしらって思うの」

売り言葉に買い言葉で、こめかみに汗を垂らしつつ突撃していくアーヴァインへ、
それとなく助け舟を出してあげる。
けれどもう、男の子としては引き返せないところまで来てしまっていたみたい。
アーヴァインはあくまで強気に、というより自棄になったように、
三ヵ月という条件を押し通してしまった。
……まあ、色んな女の子に声をかけているのはあまり褒められたことではないし、
たまにはいい薬になるかしらね。
セルフィだって、ショコラを用意してくれた事は本当なんだし。一応。

「お前たち、じゃれ合うだけで時間をつぶすつもりなら、俺はもう帰るぞ」

そんな二人をしばらく静観していたスコールが、掛け合いがひと段落したところで踵を返そうとする。
そしたら今度は、さっきと逆にゼルがスコールを羽交い絞めにして引き留めた。
今度はお互いかなり本気で力比べをしているみたいで、
二人の身体、その筋肉がぶるぶると震えている。
ほとんど拮抗しているようだけれど、流石は格闘家。
ゼルの方が若干勝っているのか、じりじりと後退していく。

「行かせるかー!ひとりだけ幸せになろうったってそうはいかねえぜ!」
「ぐ…くっ……!はな…せ……っ!!」
「キミねぇ……。
 レイナさん、見苦しいゼル君にひとこと言ってあげてください。
 ズバッと。ズバァアッと」
「え?ええっ!?」

目まぐるしく移り変わる展開から、急にボールを投げ渡されて、私は戸惑いの声を上げてしまう。
アーヴァインだけでなく、さっきまで全力で力比べをしていたゼルとスコールからも、
視線を集中されて、喉か少し引きつる。

ええっと………。

「男の子は、元気なのが一番良い事だと思うわ。
 ゼルの明るさには、私も何度も助けられてきた。苦しい戦場でほど。
 ……二人だって、そうでしょう?
 いつも一生懸命頑張ってくれて、ありがとう。
 きっとそんなゼルに心を寄せてくれている女の子が、ガーデンにも沢山居ると思うわ。
 だってもし私がガーデンの生徒だったら、ゼルとお友達になりたいって、
 そう望んだと思うから」
「レ、レナ様……っ」
「そんな涙ぐまなくてもいいからね。
 それと私はレイナよ」
「レイナさん、そんな無理にオブラートに包んだ言葉をひねり出さなくてもいいんですよ〜」
「……むしろコイツには、厳しい現実を突きつけてやるべきです」
「お前らなあ!!」

私の正直な言葉で鎮まりかけた状況を、だけど正直になれないアーヴァインとスコールが蒸し返す。
このままもう少し、この子たちの賑やかさを楽しんでもいたかったけれど、
でも、私が言葉にしたゼルへの気持ちはは本当だったから。
だから、手にしていた小さな紙袋をそっと差し出す。
少しだけ、一緒に選んでくれたセリスさんに罪悪感を感じながら。

「だから、いつも頑張ってくれているゼルに、私から『ありがとう』」

男の子三人の顔がポカンとして、停まる。
「お口に合えば嬉しいけれど」ともう一言付け足したところで、
ゼルがきょろきょろと周囲を見回し、自分の人差し指で自分を差す。
笑ってしまいそうになるのをこらえながら頷いてあげると「うおっしゃああっ!」…びっくりした。

「見たか!みーたーかお前ら!
 ひれ伏せ!このショコラの重みの前に!神姫から俺に贈られたんだぞ!!
 もうこれで俺は完全に、男として、人間としてお前らより圧倒的に上に立ったからな!!」

ううん……そこまではちょっとどうかしら?
大げさに大声で喜び踊るゼルを前にして、ちょっとの間パクパクと口を動かしていた残り二人。
たったのだけれど、おもむろにスコールが沈痛な表情になって切り出した。

「……ゼル。悲しいが次の戦場でお前とはお別れだな……。
 運を使い果たした戦士が戦場で辿る末路は……。
 お前の事は忘れない」
「そうだね。
 各国の軍で評価を受ける僕の狙撃で、全力で援護をさせてもらうけど、
 それでも間違いなくカバーしきれないよ。さよなら。今までありがとう、ゼル」


「ぶ っ こ ろ す ! !」


わーっとそれぞれに叫びを上げながら逃げ出したスコールとアーヴァインを、
ゼルが顔をこれまで以上に紅潮させて追いかける。
途中、逃亡者側はふた手に分かれたけれど、ゼルはアーヴァインの方を優先させたみたい。
そしてフロアの端で狙撃手を追いつめた格闘家は、なんだか複雑な形の関節技をかけて、
さらに大騒ぎになった。

「はははははっ!」

要領良く私の隣に帰って来たスコールが、お腹を抱え、声を上げて笑う。
その表情には、何の仮面もかぶっていない本物のスコール・レオンハートの心が映っていて、
見ている私も嬉しくなる。

「スコールも、よく笑うようになったわね」

ただ、こうやって言葉に出してしまったあたり、私もまだまだ男の子に対して不用意だったなと、
反省する事になった。
私の指摘を受けて彼の表情はパッと無表情に…なり切れない、気まずさの浮かぶ複雑な形に変わる。

「……そ、そうでもありません」

耳が赤いわよ、とは彼のプライドを尊重して黙っておく。

「良い友達に出会えたっていう事は、とても幸せな事よ」
「……わかっています。
 俺だって、貴女と出会った頃の自分が酷く子供だったと判るくらいには、
 分別がついています」
「…そうね。そう思うわ。スコールはとっても素敵な男性になった。
 でも、男性には付き合いがあるっていうのはわかるけれど、
 大人なのだからこそちゃんと、ゼルには感謝を伝えてあげなさいね」

ああ、こういう言い方も男の子には良くないなぁと、また口に出してしまってから思う。

「……………………」

今度こそ、彼の機嫌を大きく損ねてしまったみたい。
スコールは鋭い瞳をさらに細めて、まだ組み合っているゼルとアーヴァインを見やる。

「ごめんなさいスコール。子ども扱いしたみたいに聞こえ……」
「大人になれば、見え方が変わるんでしょうか?」

その声は硬質で、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。

「…………変わる事も、あるわ。
 私も沢山変わった」
「俺は、大賢者ノアのやった事がどうしても許せません」

この子はそうなのか、と思う。これまでのスコールを思い返し、そうなのだろうと納得する。
私の中で『そうじゃないの』と言いたい心と、『そうね』と言ってあげたい心がせめぎ合う。
スコールに……スコールが正面から向かい合えるようになった“正義”に、
どう答えてあげるのが一番善い道なのか戸惑って、言葉に迷ってしまう。

「……バッツさんもセシルさんも……貴女も。
 一番惑わされて1000年以上を彷徨った賢者ドーガやウィンさん達まで。
 大賢者のやった事を受け入れている。……受け入れているように、俺には見えます。
 だけど、クルルの言った事が本当なら……」
「許せない?」

問いかけへと、スコールはゆっくりとこちらに振り向いて首肯する。

「俺はまだ子供で……それでもバラムで候補生だった頃よりもずっと、
 “責任”というものの意味が分かるようになりました。
 大賢者ノアは三闘神から世界を任されて、使命を引き継がせるために三人の弟子を育てて……。
 生きているという限り、苦しい事もあったんだって俺にもわかります。
 可能性を信じたいって心があったんだと。
 だけどそれでも、ノアが最期にやった事は、あんまりにも滅茶苦茶だ」

澄んだ黒色の瞳は、“子供の自分でも判るくらい簡単な事なのに”と、
仄かな怒りの炎すら映している。

「たったひとこと。それだけで良かったはずなのに。
 それを伝えるだけで、この世界の運命は………。
 リノアも……エアリスさんも、誰も傷つかずに済んだはずなのに」

……でもね、スコール。これもクルルが言っていた通り、ノア様もきっと“人”だったの。
人の心を持っていたからこそ、世界を護りたいと真に想う事ができたの。
でなければ、大賢者という重すぎる役目を神から任され、果たす事はできなかった。

自分の言葉にする事は簡単だけれど、誰が正しくて、何が間違っていたのか、
本当の答えは私にもわからない。
何よりも、彼の正義を私が決めてはいけない。
スコールという少年が、彼自身の意志で道を選ぶ事が最も大切なのだから。
……そうね。彼の怒りもまた、ひとつの道なの。

「……スコールは、怒っているのね」
「強く在るために、荒ぶる心を鎮めなければならないとは思っています」

私はゆっくりと、かぶりを振る。

「スコールの怒りは正しいわ。
 だから、ねえ。これからも、いっぱい怒って。
 あなたが生きて進んでいく限り、怒って、怒って、怒り続けて」
「………ラグナロクは怒りの心で輝いてはいません。
 パラメキアとの戦いで……あの金色を自分で目にして、貴女の“声”を聴いて、
 俺はそう思いました」
「ありがとう。そう感じてくれたあなたの優しい心は、とても嬉しいわ。
 でも、それはバッツの道がそうだったというだけ。彼の答えだけが正しいわけじゃないの」

石の家の孤児院で、バッツに救ってもらったというスコールにこう言ってしまうのは、
きっとこの子を更なる混迷に落としてしまう残酷な事。
けれどスコール。あなたはもう、自分自身の足で立って歩き出しているのよ。

「リノアが長い眠りについてしまったとき、宇宙に放りだされてしまったとき。
 深い封印を施されそうになったとき、あなたは怒ったでしょう?
 それは、正しい怒りだった。
 そして今のあなたは、力ない人たちが傷つくのを見て、その理不尽な厄災に対して、
 素直に怒る事ができている。
 それでいいの。
 一番大事なのは、あなた自身の心に嘘をつかない事」
「…………俺の答えを探せということですか?」
「ええ。
 あなたも、ゼルも、アーヴァインも、それぞれにバッツを目指しているのはわかってる。
 私もそうだったから。よくわかるわ。
 でも、彼と支え合う仲間になりたいのなら尚の事、彼とは別の道を探して欲しいの。
 恐れないで。同じ未来を探し求めていれば、きっとまた、いつかどこかで道は重なるから。
 ……ごめんなさい、抽象的な答えで」
「いえ、わかります。
 今、レナさんが進まれている姿を見れば」
「ありがとう。
 スコールが往く先で、私たちとは違う景色を見つけたら、きっと教えてね」

スコールがはっきりとした声で即答してくれた事が嬉しくて、私の表情にふわりと笑顔が浮かぶ。
と、見上げていた少年の頬が赤く染まって、ふいっと明後日を向いてしまった。

「「隙ありッ!!」」

突然、私の視界から今度はスコールの長身が消えてしまう。
代わりに入って来たのは、ゼルとアーヴァインが飛び蹴りから着地した姿。
慌ててベクトルの方向へと振り向くと、スコールが腰を押さえて声も出せずに痛がっていた。

「ヘイヘイヘイどうしたんスかスコールさん!?
 スコールさんともあろうお方が隙だらけでしたよ!!」
「さっき僕がやられてるのを見て、思いっきり笑ってただろ!
 僕の目にははっきり見えてたよ!
 そういう上から目線って、一番腹が立つんだよね!」

ゼルとアーヴァインが中腰になって両手を振り、倒れたスコールを煽りに煽る。
「お前たち……っ」と痛みに抗いながらゆっくり立ち上がるスコールに向かって、
私が笑いながら口の動きだけで『ほら、怒って』と伝えてあげると、それを合図にしたように、
男の子たちはまた元気よく走り出していった。



三階に上がってまず目に入ったのは、大きな書店だった。
エスタの技術にはもっと遥かに効率的な書籍の閲覧媒体が存在しているのだけれど、
それでも何千年も“紙に書かれた字を読む”という行為を続けてきた人間にとっては、
まだまだ書店で本を買う事から離れられない。らしい。キロスさんの話では。
辺境国出身の私には実感が無いけれど、理屈としてはそうだろうなと納得できる。
あの薄いプレートに、ケアルの魔法書が表示されるようになってしまっては、
なんというか有難味というものもなくなってしまう気がするし……こういう考え方が田舎者かしら?
でもやっぱり、こうやって大きな棚に隙間なく色々な本が詰まっている方が心が躍るわね。
自分や姉さん、クルルの写真が表紙となっている女性誌等からあえて目を逸らしながら、
そんな考えを巡らせる。

……ここでもやっぱりクルルの写真集は売り切れなのか。

自分の事は棚に上げておいて悪いとは思うけれど、あんなに可愛らしい写真集、
私も一冊欲しかった。
庁舎にもサンプル本が回って来たけれど、中身を見たバッツが大笑いしたせいで、
クルルに念入りに焼かれちゃったのよね。……バッツごと。
デリカシーが無いと、クルルを含めてみんなから怒られていたけれど、
あの子の健やかさを大切にしてあげるためには、バッツの反応が必要だったと私は思う。
……ああ、でもやっぱり一冊は手元に残しておきたいな。
なんて気を散らしていたせいで、私はすぐ目の前に迫っていた台車に気付かずぶつかってしまった。

「きゃあっ。
 すっ、すみません。私がよそ見をしていたせいで」
「い、いえ。こちらこそ」

台車にいくつもの段ボール箱を積んで運んでいた女性は、ストレートロングの金髪が綺麗だけれど、
サングラスとマスクで顔のほとんどを覆っている上、
今の時期には少し暑いだろうロングコートを羽織っている、少し奇妙な……あら、でもこの声?

「あっ……!レナ…じゃなくてレイナちゃん!?
 マズッ……!」
「ああ、やっぱりローザさんですか。
 お互い大変ですね、ちょっとした買い物でもこんな格好をしなくちゃならないなんて」

国王不在のための応急的対応とはいえ、セシルさんは軍事大国バロンの代表として、
各国首脳との会談の場に幾度も出席している。
となれば、セシルさんの重要なパートナーであり、
元々バロンでもその美貌を賛辞されていたローザさんの知名度も高くなっている現状は、
必然と言える。
……一国の姫…いいえ、クリスタルに選ばれたという立場が無ければ、
“神姫”なんてシンボルは、私である必要性なんてさして無かったという事の証左なのよね。

「そっ、そそそ、ソウネェ〜。
 本当にもう、別に大したこと無い、極めて一般的なお買い物なだけなのに、
 まったく大変よね〜。
 オホホホホ」
「???」

なんだろう?ローザさん、声がずいぶん上ずって……何かに焦ってる?
……ああ、私にぶつかったせいで、箱に入っていた本が何冊かこぼれてしまったからね。

「すみません、ローザさん。せっかくの本が……」
「ああああああっ!いいのいいの拾わなくて!!自分で拾うから!!
 ねっ!?」

よほど大切な本だったのね。
急いで手に取って、着いてしまった埃を払う。私の不注意で、本当に申し訳ない事をしてしまった。
分厚い本のタイトルは……、

「流通経済学の専門書……。
 この段ボール箱全部ですか!?すごいですね!!」

思わず大きな感嘆を上げてしまう。
エスタは、科学技術だけでなく、政治や経済についても学問が進んでいて、
他国では手に入らないような高度な経済学の学術教養本ですら、
こういった一般の書店で手に入ってしまうのが凄いけれど、
こんなにも沢山の事を学び取ろうとするローザさんの姿勢は、もっと凄いわ。

「へっ……?
 あっ、一番上に積んでた箱は……ッ!
 そ、そうなのよ〜!今は臨時的な対応だけれど、セシルの次のステップを考えると、
 私もちゃんと勉強しなきゃって!本当、エスタは何でも揃って素敵よね!!」
「……そうですね。
 バロンほどの大国を率いるセシルさんを支えるには、大きな力が必要ですよね……」

タイクーンにいた頃は、もちろん私もそういった事を学んでいたけれど、所詮小国に必要な範疇で、
今となっては付け焼刃を重要な会談で披露する綱渡りの毎日だ。
何とか時間を作って、私も私のステージに必要なレベルの知識を、本格的に学ばなくちゃ。

「……ええ。私はレイナちゃんと違って完全な凡人だから。
 せめて努力する姿勢だけは、貴女に負けないようにしないと」
「そんな、私なんて……。
 ローザさんの白魔法と弓の腕が無かったら、私たちはずっと前に……」
「……貴女って妙なところでバッツと似ているのね」 

大慌てする私を見て、ローザさんは静かにはにかみながら首を振り、続ける。

「多分、私が今何を言ってもあんまり意味が無くて、そこが貴女と彼の美徳だと思うけれど、
 それでも覚えておいて。
 本当の“救世の英雄”は……今、私たちがみんなで紡いでいる物語は、貴女の物語なの。
 本当の主役は、レナ・シャルロット・タイクーン姫なのよ」
「……目の前の状況に振り回されてきただけです。
 最近になってやっと、自分の意志で一歩踏み出せたくらいですよ」
「その一歩をこれからの世界のために踏み出したからこそ、貴女は神姫と呼ばれている」

サングラスの奥に輝く理知的な瞳はあたたかな輝きを湛えて、私を見据える。
それは大きな海に漂うような心地よさを感じさせて、
ただ自分のわがままで前に進んでいるだけの我が身の器の小ささが、恥ずかしくなってしまう。

「ローザさん……。
 私は本音のところで言ってしまえば、バッツを護りたいってだけの……」
「ねえ、人の出会いって不思議ね。
 私……貴女の前でこんな事を言うとおこがましいかもしれないけれど、
 バロンではそれなりの貴族の家で、子供の頃はずいぶんと狭い世界で暮らしていたの。
 温かい暖炉と美味しいスープ、柔らかなベッドで子守唄を聞きながら眠る幸せ。
 そういったものが世界中を満たしているって疑わず、まどろみながら生きてた。
 いつも隣に居てくれたカインもそうだったから、ますます疑う事なんて無かった」

瞳は、私を見つめたまま遠くを見やる。
きっとそこに映っているのは、彼女の根源。遥かなる故郷。

「セシルに出会った時の驚きは、子供の頃の思い出だけど、今でも鮮明に覚えてる。
 彼は何も持っていなかったのに、誰も恨む事をせず、誰よりも優しかった。
 子供の私には、それがとても不思議で……。
 ……お父様とお母様に、孤児と一緒に遊ぶんじゃないって言われてしまった夜は、
 とても哀しくて、一晩中泣いてしまったわ」
「……でも、ローザさんは強くなる道を選んだんですね。
 そんなにも子供の頃に」

……私なんて、その選択肢を見つけるだけのために、19年もかかってしまったのに。

「それこそ目の前に迫ってくる状況に、何も考えず必死で手を伸ばしてきただけよ。
 軍に入った時も、もちろんセシルの事を考えていたけれど、両親への反抗心もずいぶんあった。
 ずっと自己満足で進んで、お互いを高め合えるパートナーなんて理想は遥かに遠くて、
 私は長い間、ただセシルに依存していただけだったわ。
 バッツのように、セシルの“道”そのものを変える力にはなれなかった」
「そんなことありませんよ!」

きっと、ローザさんという立場の違う理解者が居なければ……希望がなければ、
セシルさんは自分の理想を信じて進み続ける事はできなかった。
変わるきっかけを作ったのはバッツであっても、変わるための強さを支え、育て上げたのは。
そしてセシルさんに王たる資質をもたらせたのは、間違いなくローザさんの存在です。
そう口にしようとした私を、ローザさんの明るい笑顔が引き留める。

「ええ、わかってる。
 今の私は、世界中の誰よりも彼のパートナーとして相応しいって、自信を持って言えるわ。
 そう成れたし、これからも彼を支える人間であろうって決意もある。
 手を取り合って、もっと高くへ。
 そういう、貴女達と同じ道を歩めるようになったのは私にとっての誇りよ」

「でも……」と、再び意識を私へと戻したローザさんは続ける。

「私とセシルは、結局“状況”のひとつでしかなかったとも思うの。
 ……勘違いしないでね?今の平和を形作っているのは、私たちの意志と力よ。
 誰にとっても、自分の人生の主役は自分自身で、誰もが幸せを目指しているわ。
 その根源をちゃんとわかる事ができたから、間違えずにここまで来ることができた。
 けれどもし、セシルが最期までバッツと戦う道を選んでいたとしても、
 大局は今と大きく変わらなかったんじゃないかって、そうも思うのよ。
 別の誰かが、私たちの役目を果たしていた。
 幸い、リターナーにはそう思わせてくれる頼りがいのある人達が何人もいるわ」
「それは……。
 個人と世界の関わりを考えれば、一面では誰だってそうじゃないですか?」
「そうね。少し残酷なことだけれど、誰もがそう。
 ただね……こんな事を言うと夢見がちな女だって思われそうだけれど、
 貴女とバッツだけは……ううん、貴女だけは違う気がするの。
 もしも貴女がバッツと出会わなければ。
 貴女が大きな選択肢を間違ってしまっていたら。
 この世界の姿はまるで違っていたんじゃないかって、そう思うの」

ローザさんには悪いと思ったけれど、その意見はあんまりにも突拍子の無いもので、
私は苦笑してしまう。
同時に、こんなに長い間一緒に戦って来たローザさんにまで買い被り過ぎられていたのかと、
少しショックを受けてしまったくらい。

「先日のパラメキア帝国との停戦は、確かに自分でも大きな出来事だったと自覚はありますけど、
 それこそラグナロク…バッツが居てくれたからこそですし、私こそただの状況です。
 もしも本当に運命があるとしたら、やっぱりそれはバッツの事ですよ」

バッツの中で育まれたラグナロク……その金色を育て上げてきた多くの人々の願いと祈り。
運命と称するに相応しいものは、それ以外にはないわ。
そしてそのラグナロクですら、バッツの心が生んだ奇跡なのだから。
だから、今の世界を形作っているのは一人の英雄なんかじゃない。
バッツは言った。みんなが居るって。きっとそれが答え。
でも私の苦笑の前で、今度はローザさんが不敵に笑ってロックさんのように指を振る。

「そのバッツが、私の理論の根拠なのよ。
 だって彼、なぁ〜んにも考えてないじゃない」

あっけらかんと。
本当にその声はあっけかんと、まるで空気のように軽くて、
何を言われたのか脳が理解するのに数秒を要してしまった。

「……いえ、あの、ローザさん………」

ごめんね、バッツ。
否定してあげたいんだけど……あなたに長期的なビジョンがあるかと問われると……。

「まったくもう。
 ドーガさんもザンデさんも、賢者なんて大仰な肩書きを背負ってても、
 結局は男の論理からは離れられないのよね。自分たち男こそが偉いぞって、思いこんでる。
 “神々の黄昏”?“幻想の終焉”?
 何にも考えずぶらぶらと歩きまわってる旅人が、そんなに大層なもののわけがないわ。
 いいこと、レイナちゃん?ちゃんと覚えておいて」

ローザさんの白い指が、小さな妹を諭すように、私の首元をトンッと突く。

「貴女の想いが“神々の黄昏”の切っ先の向きを決めるの。
 貴女の心こそが“幻想の終焉”を定めるのよ。
 バッツはねぇ、典型的な、独りじゃなぁんにも産み出せないただの“男”なんですからね」
「………はい」

と答えてしまってよかったのかしら?
ローザさんの勢いに押されて思わず首肯してしまってからそんな事を思っていると、
目の前の女性の表情が、申し訳なさそうに歪んだ。

「……なんて、ごめんさない。重いプレッシャーをかけるみたいなセリフになってしまって。
 ただ、あなたにはもっと自信を持って欲しかったの。
 見て、この場所に満ちているみんなの笑顔を」

言われて、ローザさんと共に周囲を見渡す。
それぞれの道を行き来する、沢山の人々。
手を繋いだ恋人、はしゃぎまわる子供、仲睦まじい老夫婦……誰もが前を向いている。
誰も明日を諦めてなんていない。

「あなたの強さと優しさが、この景色を選び取ったの。それだけは忘れないで。
 このところのレナ姫は、ずいぶん表情が沈んでらしたから」

はっと、ここまで来てやっとローザさんの真意を読み解く。
思い返してみれば、姉さんにもクルルにも、他に皆にもずいぶん心配されていたわ。
……少し張りつめ過ぎていたのかも知れないわね。
反省と共に、私を見つめてくれる友達が沢山いるのだという事実を再確認して、嬉しくなる。

「ありがとうございます、ローザさん」
「いえいえ。
 ずいぶん先に行かれちゃってるけど、
 私もまだまだあなたのお姉さんのひとりのつもりですからね。
 これからも、私の白魔法のサポートにはばっちり期待しておいて!」

パチンとウィンクするローザさんを見て、私の心にまたひとつあたたかな思い出が積み上がる。
そう、私は独りじゃない。みんなが居る。……みんなの中にも“私”が居る。
幸せだな。

「さて、ちょっと立ち話が長くなっちゃったわね。
 レイナちゃんは、我らがポンコツ勇者様にショコラを買いに来たんでしょ?
 早く行ってきてあげて」

リルムの決めたバッツのあだ名、流行っちゃったなぁ。

「ローザさんはいいんですか?」
「私はもちろん準備済みよ。
 既製品だけれど、奮発しちゃったわ」

ローザさんはそう言って、上段の段ボール箱をずらして下段からショコラを取り出し……、

「きゃっ」

損ねて、上段の箱を床に落としてしまった。
中からこぼれ出てしまった本、本、本。
そのどれもが、表紙に……その……上半身をはだけた男の人同士が抱き合っている絵柄が……。

「ちちち違うのよ!誤解よレイナちゃん!これはアレなの!
 アレっていうかほら……友達!友達のなの!!
 私のじゃなくてバロンにいる友達にどぉ〜〜〜〜してもって頼まれて!
 私はもう、本当、絶対に嫌だったんだけど、とにかく仕方なくて!!」



「………あら?」

さっき見た店内図では、ここの角が園芸用品の専門店だったはずだったけれど……。
思い描いていたものとは違い、目の前に広がるのはいくつもの置時計と腕時計が飾られた、
全く別の専門店。

「さっきの分かれ道を斜めに進むべきだったのかしら?
 ……ええっと、館内図は……」

周囲を見渡して、館内見取り図を記したプレートを探したけれど、手近にはみつからない。
最寄りのエスカレーターまでもどるべきか、人に訊いてみるべきか……、
違う店の店員に訊いても構わないものなのかしら、この場合?

「何か探し物?
 一緒に探そうか?」

と、声をかけて来てくれたのが店員なら有り難かったのだけれど、相手は見知らぬ男性三人。

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

反射的に丁寧に対応してしまった時点で、“しまった”と後悔する。
ナンパされたときは、とにかく冷たく、別の相手を待っている事を明確に伝える事と、
あれだけエアリスさんにレクチャーされてたのに……。
この半年、激動の経験を経ても結局私の地のところ、無防備な性格は変えられていないのだと、
こういう時に思い知らされる。

「遠慮しなくてもいいって。俺らこの店に超詳しいし。
 なあ?」
「そうそう。
 大丈夫、大丈夫。そんな警戒しなくてもいいって。
 ほんと俺ら、キミが困ってそうだったから教えてあげようと思っただけだし」
「いえ、お構いなく。待ち合わせの相手も、もうすぐここに来る予定ですから」
「探し物はこの階でしょ?
 パパッと行って戻ってくれば問題ないよ」

穏やかな物腰を装いつつも、右手首をそれなりの力で掴まれ、
さりげなく肩に手を置かれた状態にもちこまれてしまい、私は困惑してしまう。
うぅん、投げ飛ばすのは簡単だけれど、こんなに地面の堅い所でやってしまったら、
痛いじゃ済まないかも知れないし……。
私、『確実に相手を傷つけないように投げる』レベルの体術にまではあと一歩達してないのよね。

「とりあえず、歩きながら話そうよ」

ぐっと右手が引かれた瞬間、また別の誰かの腕が男性の腕を掴んだ。
ミシリ、と骨が軋む音が聞こえそうなほど強い力を込められた男性は「ギャッ」と悲鳴を上げて、
私を離す。

「待たせたな、レイナ」
「なにすんだテメ……え〜っと」

捕まれている男性とは別の男性が、乱入者に荒い声をかけようとして、萎んでいく。
彼の鮮やかなダークブルーの瞳を……魔導をその身に注ぎ込まれた証を目にして。

「そ、その目は……ソルジャー!?」
「元ソルジャーだ。
 ……だが折角の機会だ。最強のクラス1stの力、味わってみるか?」

もちろん、そんな酔狂な人間はこんなところを歩いているはずが無くて。

一息ついたところで、私は改めて、黒いロングコートに身を包んだ仲間にお礼を送る。

「ありがとうございました、クラウドさん」
「いや。気にするな。
 俺はこのところバッツに借りを作ってばかりだったからな。
 あんたには悪いかもしれないが、いい機会だった」
「バッツに借り、ですか?」

私の問いかけに、クラウドさんは出会った頃には考えられなかった朗らかな表情で笑う。

「ああ。藁細工や釣りや人脈の紹介や……かなり色々な。
 しかし俺からあいつに返せるものが中々見つけられなかったから、困っていたんだが……。
 こうやってあんたにちょっと返しておくだけで、簡単に釣り合いが取れる。
 そういう理屈だ」

語る“理屈”の意味が、私を気恥ずかしくさせる。
どうかな?バッツは私の事を、そんなに大切に想ってくれてるのかな?

「そんなカッコつけなくていいから、“元ソルジャー”さん」

後ろから、これも黒を基調としたレザートップスとパンツスタイルに身を包んだティファさんが、
パシンとクラウドさんの背中をたたく。
軽く叩いたように見えてさすがティファさん、結構な力が籠っていたみたいで、
頑健な身体を持つはずのクラウドさんがごほごほとせき込んだ。

「ぐ……、いいだろう。必要な嘘というのはある」
「でも、久しぶりのフレーズでしたね。ちょっと懐かしかったです。
 良ければまた聞かせてください」
「あんたまで言うか……」
「ねぇ、レイナちゃん。わざわざ“最強”だって。
 いくつになっても子供なんだから」
「……悪かったな。たまには俺も、恰好を付けたいときもある。
 ソルジャーなんて肩書が“最強”にまるで関係ない事をちゃんと分かって使ってるんだから、
 許せよ、これくらいは」

クラウドさんの表情は渋いものだったけど、いつかの時はいつも感じていた重さは無くて。
これがきっと、クラウドさんが探していたものの全てが見つかった証拠、なのね。

「ティファはともかく、あんたまでそう笑うな。
 俺だって傷つく」

いけない、笑い声まで漏れちゃっていたみたい。

「すみません、助けてもらったのに」
「……まあ、いい。
 俺は最強にはなれなかったが、あの金色の強さを素直に受け止めて、
 あいつの仲間……旅人の前衛を務められる程度には、強くなれた。
 今日、こうしてあんたを助ける事も簡単にできている。
 だから、昔の俺も間違ってはいなかった。それでいい」
「理屈ですね?」
「そういう事だ」
「あらら?クラウド、私との約束はどうなったのかな?」
「ちゃんと果たしてるだろう。
 ……これからも、ずっと果たすさ」

“これからも、ずっと”。
クラウドさんがそっぽを向いて口にしたセリフで、ティファさんの顔がボッと赤く染まる。
私まであおりを受けて頬が熱い。

「レッ、レイナちゃんは何を探してるの!?
 良ければ一緒に探すけど!」

ティファさんが赤い顔のまま、上ずった声で話題を変える。
私としては、もう少しお二人の将来について尋ねてみたいのだけれど……ガマン、ガマン。

「ええ、実は園芸用品店に用があったんですが……」
「ああ、それならひとつ向こうのブロックよ。ここ、広いもんね。
 私たちの用事は済んだし、一緒に行ってあげるわよ」
「ええっ、そんな、悪いですよ」
「気にしないで。
 ねえ、クラウド」
「ああ。
 男としては、あんたみたいな美人と一緒に歩けるんだ。断る理由は無い。
 ………どうした?」

自分で想像しているよりも更にキョトンとしているであろう私に向かって、
クラウドさんが不思議そうに問いかける。

「いえ……なんていうか、クラウドさんもそういう軽口を言うんだなって。
 ちょっと驚きました」
「……出会った頃は、人間味が無かった自覚はある」

大げさな仕草で肩をすくめるクラウドさん。
そこでやっとその右手に、カラー写真がたくさん載った冊子が握られている事に気付いた。

「カタログ……モーターバイクの、ですか?
 今日のご用事って」
「しかも、エスタだけじゃなくて神羅や各国のメーカーの最新モデルのを根こそぎ、よ。
 全くもう……。
 新しい生活を考えたら、私たちのフトコロはあんまり豊かじゃないんだからね」

ティファさんが腰に手を当てて憤慨するのを受けて、
クラウドさんは気まずそうに眉根を寄せ、逃げ出すように歩を進めだす。

「何度も聞いたし、何度も話しただろう。
 ミドへの依頼に使うためで、自分で購入するわけじゃない」
「ミドに?」

と、クラウドさんの口から意外な名前が出てきたのに驚いて、思わず復唱してしまう。

「そうなのよ。
 難しくてよくわからなかったけど、各国のシド博士たちが集まって、ジセダイドウリョク、
 っていうのを開発してるんだって。
 魔導船の技術の応用で、魔導アーマーの出力を維持しながら環境に優しいとかどうとか」

ティファさんの説明を、やや興奮口調のクラウドさんが引き継ぐ。

「開発コードは、月に追い迫る者『フェンリル』だ。
 ミドがその動力のテスト用の外装…要は何を造るかを任されてな。
 色々あったが、最終的に俺がテストドライバーになる条件で、バイクにしてもらった。
 カタログは、その参考資料として活用するためのものだ」
「どっちかって言うと、クラウドがあれこれ要望するためにでしょ。
 まったく……最近休憩になるとすぐどこかに消えるなって思ってたら、
 ミドくんの研究の邪魔してたなんて思わなかったわ」
「協力、だ。整備技術も含めて俺も勉強しているし、
 ちゃんとあいつの仕事の合間を見極めてやりとりしている」
「……あなたの部屋の机に散らかってた、妙に複雑な剣の設計図は?」
「あれはだな、ガストラで素材強度の問題でお蔵入りしていたギミックウェポンのものを、
 ジオット王が珍しい鉱石があるから試しにと……別に迷惑をかけているわけじゃない。
 アルテマウェポンは、平時には強力すぎるんだ。代わりが要るだろう。
 それよりも、勝手に俺の部屋に入るな」

そんな、ティファさんのジト目に、一方的に攻め込まれているクラウドさんの姿が可笑しくて、
私は思わず吹き出してしまう。

「ふふふ……」
「笑い事じゃないわよ、レイナちゃん!
 男って放っておくと、勝手に寄り集まって悪だくみを始めるんだから!」
「でも、最近ミドがゼルに弟子入りして、そのミドに今度はクラウドさんが教わってって、
 なんだか可笑しくて」

もう一つ、今のやりとりでお二人の力関係がはっきりわかって、
という理由は、特にクラウドさんに対して失礼かなと思い、口には出さないでおく。

「まあ、それがバッツ・クラウザーの力というわけだ」
「あなたね、そう言っておけば何でもかんでも許されると思ってない?」
「俺はミドの才能を純粋に尊敬している。
 ……まあ個人的な欲も無きにしもあらずだった事は認めるが、
 研究に協力したいと心底から考えたのは本当の事だ」
「……そうね、確かにクラウド、ミドくんの歳の頃はただナマイキなだけの男の子だったもんね。
 オレはみんなとは違うんだ〜って。
 背だって、ずいぶん負けてるんじゃない?」
「えっ、クラウドさんって小さい頃は背が低かったんですか?」

「ミドだってどちらかと言えば低い方なのに」と口に出してしまった私の言葉は、
クラウドさんのプライドを痛く傷つけてしまったようだ。黒いコートの肩が、目に見えて震える。
けど、ティファさんはますます面白がって昔話に花を咲かせていく。

「そうそう、近所の同い年くらいの子の中じゃ一番低かったんだから。
 っていうか、村を出る時も私の方が高かったもんね?」
「……うるさいな」
「それにね、レイナちゃん。クラウドってばすっごく意地汚くてね?
 おばさんがアップルパイを焼いた時は、いつも最初に自分の分だけ大きく取り分けて……」
「ちょっと待て。俺は公平性の面ではキッチリしてたぞ。
 それを言うなら、ティファこそ自分が人気があるのを自覚して、
 いつも俺たちに無茶な要求を持ってきただろう」
「あっ、ウソウソ!
 レイナちゃん、騙されないでね!これはクラウドの嘘だから!」
「いいや、はっきり覚えてるぞ。
 10歳の夏に、お前が急に新しい靴が欲しいからって……」

いつの間にか足を止めて、近所の空き地の所有権だとか収穫祭での貸し借りだとか、
二人は、二人の世界に忘れ物を拾いに帰っていく。
その故郷は既に灼炎の中に消え去ってしまっているけれど、飛び交う声にもう陰は無い。
此処に至るまでの二人には沢山の困難があって、沢山の血と涙が流された現実を、私は知っている。

ありがとうございます。

お二人が今日も、こうやって笑って居てくださるから。
だから私は、例え失ったとしても、必ず残るものは在ると。
在るのだと、心から信じられたんですよ。

「…――だー!かー!らー!!
 給水塔の裏口のカギは私が盗んだんじゃなくて……って、もうっ!
 クラウドが根も葉もない嘘ばっかりつくから、レイナちゃんに笑われちゃってるじゃない!」
「火のない所に煙は立たない!
 まったく……宿舎に帰ったら白黒はっきりつけるからな。
 レイナ、あんたもいちいちそんなに笑ってくれるな」
「い、いえ済みません。
 お二人が本当に仲がいいんだなって、ふふふ……」

あんまり可笑しくて、目じりに溜まってしまった涙を人差し指で拭う私に向かって、
クラウドさんは、これもまた初めて目にする口端を奇妙に釣り上げた“ニヤリ”とした表情で、

「まあな。
 もうティファとはイロイロとナカヨクしてぐふぅ!」

言葉の途中で床に倒れてしまった。
原因は、彼の肝臓に拳を深く突き込んだティファさんである事は明白だ。

「あのぅ…、クラウドさんがのたうち回って苦しんでますけど……?」
「いいのいいの。
 レイナちゃんも、ユーモアと下品を勘違いした大バカには気を付けてね。
 男はちょっと甘やかすとすぐつけあがるから」

赤く染まりながらも、今まで見たこともない恐ろしい形相になったティファさんに、
肩をガクガクと揺らされる私にできる事は、ただ人形のように首肯を繰り返す事だけだった。



今日はいっぱい、お土産ができたな。

樹木用の栄養剤といくつかの機材を入れた袋を手に、新しい思い出の数々を心に、
軽い足取りで帰路へつく。
弾む心のリズムに乗って、あたたかな気持ちが唄となって紡がれる。

「見知らぬ場所を捜して さまよえる羊よ
 風にみみをすましなさい 導きの声が聞こえるように」

巨大な液晶画面に色とりどりの広告を投影したショッピングモールのセンタースペースでは、
ガラス張りの天井から届く黄金の黄昏の下で、沢山の人々が笑顔で行き交っている。

「かたく閉ざされた門の前で さまよえる羊よ
 大地の上で休みなさい 鏡が見つかるように」

店内のお店で少し豪華な夕食かしら?
買い出した珍しい食材で工夫を凝らした夕餉を支度をするのかしら?

「愛に満ちた人を捜して さまよえる羊よ
 水でからだを清めなさい 魂が再び静まるように」

誰もに物語があって、誰もが精一杯毎日を紡いでいる。
みんなが勇気を出して昨日から踏み出し、いたわりあって今日を繋がり、希望の明日を信じてる。

「夢のない深い眠りに さまよえる羊よ
 そばに火があるでしょう 心をあたためなさい」

きっと、もっと、ずっと輝く未来を探し求めて進む。これまでも、これからも。いつまでも。

「たどり着けぬ場所を捜して さまよえる羊よ」

でも今日は、みんなちょっとだけお休み。

「あなた自身をいつくしみなさい」

旅人さんだって、歩いてばかりじゃ疲れちゃうでしょ?

「きっと明日は光が見えるでしょう」

ああ、そうか。

口ずさむ詞の意味が、今やっとわかった。
素敵な発見に、胸がまたドキドキと高鳴る。
このことは必ず私の娘に、そのまた娘にも教えてあげよう。
1000年先の“私”がこの唄を謳ったら、水色の髪の女神さまもきっと驚くだろうな。

きっと今朝の意地悪への、最高の仕返しになる。

ふわり、と誰かの手から離れた赤い風船が宙に昇っていく。
代わりに小さな輝きが、ゆらりゆらりと堕ちて来る。


―――強大な魔法力!!


首筋が泡立つ。
神姫は戦姫でもある。それは後衛の要たる私とて例外ではない。
幾つもの戦場を駆け抜けてきた勘が状況を把握する前に、
手近の柱にあった非常警報のスイッチを叩き押させる。


ジリリリリリリリリリリリリリリ!!


けたたましく鳴り響く警報音の下で、ついさっきまで笑い合っていた人々の表情がひきつり、
悲鳴と破砕音の飛び交う混沌に引き込まれる。
堕ちてきた輝きを中心に空間が歪み、機械やコンクリートが引き込まれていく。

「センタースペースから逃げて!」

何が起こっているのか、何処に逃げればいいのか把握できずに右往左往する巨大な波に向かって、
全力で声を張るけれど、みんなの指針となるには小さすぎる。
焦る間にも機械片は寄せ集り、不格好ながらも人型を取り始める。
ヴン…、とマシン音を響かせて赤いセンサーアイが妖しく輝く。
向けられた方向には……まずい、小さな女の子がしゃがみ込んで泣いている!!
脳が認識すると同時に、革のブーツが全速力で床を叩く。

メタルパーツで構成された一本の腕が少女に向けられ、

少女を私の身体全体で包み込み、

腕部とワイヤーで接続された手刀が高速で射出され、

私自身の背を盾として、


お願い、この子だけでも……!


「おぅりゃあ!!」

目の端に白銀の流星が、赤と紫電を従えて降りきたる。
轟音と共にワイヤーが破断され、金属手刀は力をなくして地に転がる。

「妹へのアプローチは、まず俺を通してもらおうか!!」
「姉さん!」

深紅のドレスに身を包んだ姉姫が、突き立てたランスを勢いと共に跳びあがって引き抜き、
着地……しきれず、高いヒールがたたらを踏む。

「チッ!
 三階から跳び降りての疑似ジャンプだったが……いくら竜騎士の力があっても、
 こんなハイヒールじゃやってられんぜ!」

姉さんは、悪態をつきながら履いていたヒールを脱ぎ捨てる。
その様子を、完成形に近づいた機械の人型が憎々し気に睨んで来たが、
当然、神姫サリサが退くわけもなく、中空で双方の視線が火花を散らした。

「どうして、姉さん!?」
「パラメキアからの戦利品を、ココの三階の故物商に横流ししやがったクソが居てな!
 灸を据えるために急いで来たが…くそったれが!
 俺がフルドレスを着ると、ロクな事がねぇ!!」

姉妹の意思疎通は短かったけれど、相手はついに完成したようだ。
鈍く光る機械部品の寄せ集めで構成されたその背丈は、4メートルはあるだろうか。
ギシギシと音を立てる異形。
その中でも特に目を引くのは幾つあるのか数える事も出来ない程の、無数の腕部。

「報告書にあったのは、G.F.ヘカトンケイル!!
 ヴェルヌ経由だろうが、アートフィシェル・クリスタルのデッドコピーで、
 G.F.とチャージ済みのテレポストーンを包んで、誰でも疑似召喚を行えるようにした“魔石”だ!
 大方、連合への嫌がらせのテロ目的で、時限発動するようセットされてたんだろうよ!!」

抱えていた少女を、駆け寄って来た父親に引き渡して私も立ち上がる。
同時にカラーコンタクトを外して捨てる。ああ、目が軽い。
クリアになった視界に映る敵の威容は、戦場と化しつつあるセンタースペースから人々を遠ざけるが、
周囲から完全に人が居なくなるにはまだ時間がかかりそう。特に二階、三階の混乱が激しい。
一触即発のこの状況、敵の注意をこちらにひきつけられている間はいいけれど、
無防備な群衆にあの赤い眼が向けられたら……!

「レナッ!!」
「しま…ッ!?」

周囲の状況確認のため、一瞬敵から目をそらしてしまったのが仇になった。
新たに射出された三つの手刀は、銀槍となって私を貫かんと、

「斬り捨て御免!!」

新たに割り込んで来た閃光。
振り抜かれた目にもとまらぬ剣閃は、メタルワイヤーを残らず両断し、
私の身体は再度迫りくる厄災から守られた。
神速の居合い。成せるのはこの世にただ一姫。

「クルルッ!」
「夜にここでイベントだったから来たんだよ!
 イリーナさんたちは、避難誘導に当たってくれてる!」

続けて現れた、場違いなまでの大きなリボンの妨害者に、今度こそ敵意がこちらに収束する。
正面から相対する私を守護するように、姉さんが右手前、クルルが左手前に並んでくれる。

「やれやれ……三神姫が並ぶのは戦場(いくさば)のみってのが、
 レナを休ませるための喧伝だが、図らずもになったな」
「……そうね。
 警備カメラ!私をメインモニターに映しなさい!!」

ウィッグを帽子と共に投げ捨てる。
解き放たれる薄紅色の髪。
三神姫の頂点たる“神姫レナ”の幼さを残しながらも凛々しい横顔が、巨大液晶全体に投影される。
姉さんがめいっぱい息を吸い込み、

「市民よ!この地に降り掛かった厄災は、神姫レナの名において調伏します!
 心を強く持ち、恐れることなく、センタースペースより離れなさい!!」

吟遊詩人の声量が喧騒の分厚い壁を貫く!

高い天井に反響して響き渡るアルトボイス。
狙いの通り、行き場に迷っていた人の波は蜘蛛の子を散らすように素早く周囲から離れていく。
残ったのは私たち三人と、散乱した商品、机、椅子……刀まであるのが今のエスタらしいわ。
クルルは、少女たちが落としていったこれらの刀から、適当なものを拾ったのね。

さて。

「これで心置きなく戦えるわね。
 問題は、杖も法衣もない事かしら」
「っつーか、ディフェンスの俺に盾が無いのがキツいな。
 コルセットもいい加減吐きそうだぜ。
 しかも、いくら周囲から人が掃けたっても場所が場所だ。召喚魔法は封印だな」
「ああーっ!さっきのだけでもう刃が零れてる!
 いくら達人は得物を選ばないって言ったって、こんなナマクラじゃ竹光の方がマシだよ!」

立ち塞がるヘカトンケイルはマシンボイスで『ギシャァァ!』と咆哮をあげる。
突き動かすのは魔石から解放された歓びか。裡からあふれ出る破壊衝動か。
状況は、

「はぁ……。
 どれほどの被害額になるのかしら……。ただでさえ予算が足りないのに……」
「あぁ〜あ……。
 あのおっさん、この映像もどうせまたプロバカンダに利用すんだろうなぁ。
 内海の覇者ファリスが堕ちぶれたもんだぜ……」
「あううぅ……。
 私もう、今後一生、スカートの時は絶対スパッツを履くよ……」

最悪なんてほど遠い。
溜息の向かう先は、目前の敵のずっと向こう。“これから”に向かって。
こんなのどうってことないわ。
だってこのくらい、旅人と一緒にいくらでも乗り超えて来たんだもの!

「クルル、景気づけに思いっきりやれよや!!」
「りょーかいッ!!」

クルルがいつもの通り「光の戦士…」と見得口上を切ろうとしたところで、一寸停まる。
セイクリッド・ブルーの瞳が私たちを見やり、誰かを思い起こさせる悪戯な笑みが浮かんだ。

……嫌な予感。

左手に立つ剣戟の妖精はいつもと違い、白銀の刃を引き抜き魔性へと突きつける。

「聴け!そして慄け厄災よ!
 我ら威を以て百邪斬断、心を以て万精駆逐せし光の戦士にして、千早振る神姫!
 土なるクルル!」

右手に立つ紅蓮の焔姫は、露骨に顔をしかめたもののすぐさま切り替え、
グローランスを一振りして、威風堂々と石突で床を叩き鳴らす。

「火なるサリサ!」

えぇ…そんなアドリブ急に振られても困る……。
私、無手なのにトリを務めなきゃいけないのって、ハードルが高いわ……。
若干の混乱を交えながらもとりあえずソレっぽく、
魔力を込めて輝かせた右手を精一杯厳かに掲げてみる。

「水なるにして、頂上たるレナ!」

ああ恥ずかしい!!
後でお説教よ、クルル!

とにもかくにも口上は張本人に引き渡し、私は続けて小声で詠唱開始。

「クリスタルの導きに従い、今此処に三神姫!!
 破邪顕正の戦場に立たんッ!!」
「ヘイスト!」

大見得に見得を切ったクルルへ、時魔法をかける。
同時に、射出された幾本もの手刀が彼女へ殺到し…すり抜ける!

「それは残像!
 真あぁっ向っ!兜割り!!」

瞬時にヘカトンケイルの頭上に移動したクルルが、
両手で持った無銘の刀を全体重と共に上段から振り下ろす。

バキィンッ!

甲高い音を立てて真っ二つになったのは刀の方。
けれどクルルもそれは織り込み済みだったのだろう、
イエローのショーツを丸出しにしながら着地してすぐサイドステップで飛び退き、
すぐさま神行歩で敵を中心に私たちと反対方向、時計回りに駆け出す。
もちろん、道中に転がっていた新たな刀を拾うのも忘れない。
細い脚が上がる度、派手に下着が露出するけれど、
戦場に立ったならば、恥ずかしがるのは後でもできると妖精は当然理解している。

「鬼さんこちら!」

後を追って次々と射出されるワイヤーハンドが、磨かれた床面に無惨な弾痕を残してゆく。
無数の腕は外れた手刀のワイヤーを巻き取っては、また撃ち出すのを繰り返す。
気持ちいいくらいに陽動に乗ってくれる。相手の知性は高くないと判断。

「スロウ!」

さっきとは逆ベクトルの時魔法を、
今度は痴呆症のように無駄弾を撃ち続けるヘカトンケイルに向かって放つ。
鋼鉄の巨躯が一瞬鈍い光に包まれ……射出速度は変わらない。時魔法には耐性あり。

『ヴッ!』

赤いセンサーが私へ向く。攻撃された相手に単純に標的を切り替えた。やはり知性は低い。
私の身体は既に近場のコンクリート柱に向かって駆け出している。
その速度はもちろんクルルと比べるべくもないけれど、
ディフェンスの姉さんがその場に留まってくれたおかげで敵の判断力が散漫し、
私へと向かい来るワイヤーハンドの精度は低い。余裕すら持って柱の陰に逃げ込めた。

「ぜえいっ!」

姉さんはグローランスを横薙ぎにし、鋼鉄の手刀を叩き落とす。
けれど本来左手に在るべき盾が無いせいで、二の腕や脚、
致命傷からは遠い箇所が鮮血に染まってしまう。
……被弾が浅くない。姉さんの動きに、いつもの精彩がないわ。

「ちっ!ドレスもコルセットも邪魔で!」

鋭い美貌が歪んで、怒声を吐き捨てる。
その声を聴いて、敵対する女たちの中で最も狙い易いと判断したのだろう。
ヘカトンケイルの本体が、緩慢な動きながらも深紅のドレスの正面に向き直り、
これまでで最多の腕が射出体勢に入る。

「頭上注意だ、アホがっ!」

突然、巨体の上から太い電気ケーブルが二本垂れ落ち、接触する。
瞬時に目も眩むようなスパークが炸裂。姉さんが風水士の力で引き寄せた電撃ね。
これだけの大型施設、流れる電圧はサンダガさえも凌駕するはずだわ。

「清らかなる生命の風よ、天空に舞い邪悪なる傷を癒せ!
 ケアルラ!」

柱の陰から姉さんの回復を済ませ、再度ヘイストの……いや、ケアルラの詠唱に入る。
スパークの収まった跡からは、機体各所が焼け焦げ黒煙を上げるヘカトンケイルが現れた。

『ヴ……ヴッ!』

僅かに身体をぐらつかせながらも、しつこく姉さんにワイヤーハンドが射出される。
速度に変化は無い。本体の見た目ほどにはダメージが入って無いわ。

「ぐっ!
 マシンボディのくせに、電撃が弱点じゃねえのかよ。
 G.F.の属性耐性を引き継いでるなら……特に弱点無しだ!」

今度は姉さんの脇腹が浅く切り裂かれる。すかさず、もう一度回復魔法でフォロー。
クルルがわざと脚を止めて魔法を発するのを目の端で確認してから、
今度こそヘイストを詠唱開始する。

「鬼さんこっちだってば!
 サンダー!」
『ヴ!』

ヘカトンケイルは、細い電光が飛び来た方向へ照準をまた変える。
そのような散漫な凶手に、なびく金髪が捉えられようはずもない。
また次々と残されていく、無為な弾痕。
金鳳花の幼姫の足は、広いスペースを早くも無傷で一周し終えようとする。

「クルル!俺を斬れ!
 大地の精霊よ!」
「もとよりそのつもり!」

二人の神姫が交差する。瞬間、無数の凶弾の斜線上に降り落ちたる巨大なコンクリート片。
風水士の造った盾に、鈍色の手刀がガガガガッと耳障りな音を立てて次々とめり込んでいく。

「斬り捨てするけど、御免して!」

姉さんの背後で数度煌めく剣閃。
ハラリハラリ。紅いスカートは膝丈まで短くなり妖艶な黒のガーターベルトが露わになる。
上半身を覆っていた衣服は下着ごと千々に舞い、形の良い乳房が、

「こいつは寄越せよ!」

晒される前に、姉さんはクルルの頭から大きな赤リボンを奪い、サラシのように巻き付けた。

「ヘイスト!」

姉さんの身体が仄かに輝く。
のと同じくして、クルルはローファーから煙が上がりそうなほどの勢いで急停止し、
さっきとは逆の反時計回りに瓦礫から飛び出した。
コンクリート製の盾を砕かんと手刀を撃ち込み続けながらも、
妖精がついさっきまでの進行方向から飛び出すのを予測して放たれた十数本は、丸ごと無駄になる。

「あかんべ!」

コケティッシュに舌を出すクルルに向かって、鋼鉄の頭部が激高した。ように見えた。
けれど冷静さを欠いた攻撃では、絶妙な緩急をつけて駆け抜ける彼女を貫くのは夢のまた夢だろう。

「ナマクラだって、ワイヤーなら!」

対してクルルはすでにスピードを見切ったみたいね。
何本かの手刀は、本体から切り離されて明後日の方角へと飛び去っていく。
無機体で構成顕現したヘカトンケイルはますますムキになって、
天駆けるが如く舞い踊る、剣戟の妖精へと執心していく。

「だぁら、注意力散漫っつってんだろ!!」

穴だらけになって今にも崩れ落ちそうなコンクリート片の裏側から、
姉さんがグローランスを構え、全身のバネにヘイストの加速を上乗せして突撃する。
神槍は紫電となってひび割れた瓦礫を易々と破砕し、巨躯の心臓部へと向かう!

『ヴヴッ!?』

ヘカトンケイルは原始的な行動パターン、故に防御には本能レベルの厚みを残していたか。
胴体部付近の、これまで攻撃に使っていなかった十数本の両腕が幾重にも折り重なり、
文字通りの鉄壁を構築する。
けど、流石は我が敬愛する姉姫。
素早い判断で、ランスの穂先を無防備な左ヒザに切り替える。

『ヴッ!』

この上なく粉砕される鋼鉄の左脚。
バランスが崩れて倒れ……ない!
右側の腕の十本ほどをアンカーとして床に打ち込み、無理矢理に姿勢を維持する。
次いでヘカトンケイルは、懐に飛び込んで来た銀槍の主へ報復しようと足元を見下ろす。

「ノロマっ!」

無論の事、百戦錬磨たる火の神姫は既に、死角となる敵の右腕方向に飛び退いている。
置き土産として数本のアンカーワイヤーを突き崩し、黒い下着も顕わに駆け抜けていく。

『ヴゥゥッ!』

右手のアンカーを追加し、巨躯は紅い背中に向かって、
自由な数が残り少なくなった右腕に加え、無理矢理体を捻って左腕からも手刀を発する。

「斬り捨て御免!」

あからさまに生じた隙を見逃すクルルではなく、今度は左側の腕が大きく減じる。
ここで、刀はまた一本寿命を迎える。柄と鞘を放り捨てるクルル。
前衛が作ってくれた余裕の間に、やっと私は自身にヘイストの加速を施し終えた。
相手の注意は私から完全に離れている。まだ余裕。
隠れている柱から少し遠くに転がっている、他よりも分厚い幅を持った鞘を、
バックステップで退がっていくクルルの進行方向へ向かって蹴り飛ばす。自身は次の柱の陰へ。

「クルル、使って!」
「まみむめも!」

クルルは後退しながらも器用に足で鞘を蹴り上げ左手で拾い、直後に進路を直角に曲げる。
紙一重で真横を通り過ぎるワイヤーに一閃。放たれた刃は、予想通り通常より厚みがある。
見届けてから、私も攻勢に加わるために詠唱を攻撃魔法へと切り替える。

「やたっ!鎬造り(*)!
 無銘でも、これならちょっと無茶できそう!」
(*刀身の断面が分厚い頑丈な造り)

歓声と共にクルルは再び進路を変更。今度は敵の本体へと向かっていく。
予想外の動きに、射出される手刀が乱れる。
白刃であるいは斬り裂き、あるいは火花と共に弾いて矮躯が肉薄。
交差ざまにアンカーが数本斬断される。
ヘカトンケイルの巨体がよろめき、もう少ない右腕の残数全てを床に撃ち込んで、
なんとか体勢を維持する。

「ファイラ!」

間髪入れず、完全に死角になった敵の右腕側から、姉さんが火球を撃ち込む。
鋼鉄の身体が今度こそ大きくよろめいた。

「よしっ、これで私もバスター・マジ…ッッ?!」

同じく死角側で充分な距離をとり、近接強襲から法撃戦主体に切り替えようとしたクルルが、
大きく飛び退いた。
彼女に溢れる才。
その一つである第六感は、時折僅かな未来を垣間見ているのではと疑うほどに正確に、
華奢な矮躯に襲い来る厄災を予測する。
果たして、何の前触れもなく。
先ほどまでクルルが立っていた位置の地面から鉄手刀が飛び出した。
……アンカーとしてではなく、一部の右手は地中を潜って狙って来た!?

「お姉ちゃん!」
「くっ!」

警告を受けて、咄嗟に柱の陰から飛び出す。直後に先ほど同様、床から伸びて襲い来る手刀の群れ。
本体を見れば、今度は左腕の一部が床に撃ち込まれている。
留まっていたら、身体に幾つ穴が空いていたかわからなかったわね……。
時魔法で引き延ばされた私の認識時間に、ワイヤーを巻き戻されて床から消えゆこうとする手が、
“ゆっくりと”投影される。
頭を使った、つもりでしょうけれど!

「ブリザラ!」

唱えていた氷結魔法を解き放つ。
ヘカトンケイルの巨体に…ではなく、床から伸びているワイヤーに向かって!

『!?』

抵抗の大きい地中を経由したのが運の尽きよ。
氷塊で更に固定されたワイヤーは、本体の回収の意志に従えなくなる。
ただでさえ移動を制限されていたヘカトンケイルの身体は、一層不自由に置かれる事になった。
遂に見えた勝利への道筋に従って、姉さんは停止したエスカレーターを駆け登り始め、
クルルはブリザラを詠唱する。

「次のタイミングは……ちょっと遅れるかな……」

法撃戦主体に切り替えて速度を落としたクルルが、詠唱を完成させてもしかし解き放たず、
軽く唇を嘗めて足元の気配に集中する。

「…今だっ!
 ブリザラ!」

大きく跳び上がると同時に、さっきまでの足元から現れた手刀を凍らせるクルル。
ヘカトンケイルは時間差をつけて直線方向からも彼女を貫かんと、左腕から直接射出。
が、その程度で捉えられる土の神姫では無い……いえっ!

「うあっ!?
 しまった!」

いったん外れた左手刀はすぐに巻き上げられて反転する。
空中で、それでもなんとか直撃は回避したクルルだったけれど、一本に足首を掴まれてしまった。
まずい!クルルは近接戦闘力も高いけれど、身体の耐久力自体は私以下……一撃が致命傷になる!

「くっ、あああぁぁ!」

クルルは咄嗟に居合で、自身を掴むハンドのワイヤーを切断しようとするけれど、
ヘカトンケイルは勢いを伴って彼女の身体をスイングし、残弾がまだ充分残る左腕側に放り投げ、
追撃で幾本もの左手刀が射出される。

「南無三!!」

放り投げられた空中で、クルルは両腕両足を屈めて最大限の防御姿勢を取ったけれど、
彼女の矮躯では薄布で鉄槌を防ぐに等しい行為だ。
魔法で援護を……ダメ、間に合わない!

「大地の精霊よ!」

迫りくる惨劇に、全身の汗が退いたその時。
アルトボイスが二階から響いて、幼姫の進行方向にあった観葉植物から、
みるみる蔦が伸びてネットを作る。
それでも勢いを受け止めきれず、蔦はブチブチブチと盛大な音を立てて引きちぎれるけれど、
小さな身体の速度は大きく減じられ、予測されていた進路から大きく外れる事となる。
結果、メタルハンドの群れは何も無い空間を通り過ぎるのみ。
地面に落ちたクルルは、残る慣性を丸まった体勢のまま転がって徐々に殺し、受け身を取る。

「にゃんとぉ!」

更に道中、右手の刀を床に突き刺して急停止して、その身をもう一度予測進路から大きく外し、
再追撃の手刀をまた空しく床に突き立たたせていく。

ベギンッ!

けれど、無理な方向から負荷をかけられた鎬造りの刀は、音を立てて折れ飛んでしまう。
けれどけれど、妖精の左手にはすでに新たな鞘が。

その鞘には、漆の下地に金箔で描かれた菊の華が咲き乱れ、
鍔もまた透かし彫りにて菊の花弁を象っている。

「刃渡り二尺四寸!」

膝立ちになったクルルが声を上げるのを合図としたかのように、左手刀の第三陣が殺到する。
二度ある事は三度ある。伸ばされた手は、またも華が咲き誇る高嶺には届かない。
ただし今度は、全てが斬り落とされて、だけれどね。

「刃文は直刃状小乱れ!」

輝く笑顔で神姫クルルが、左手にした鞘に右手の白刃を納める。
同時にその身に収束、研ぎ澄まされていく莫大な闘気。

……ファッションとして流行した刀だとしても、これだけの規模の商業施設だもの。
中にはハイソサエティの少女が持ち込んだ、業物があったって不思議じゃないわ。

「菊一文字!
 こうなっちゃったら私は、カッコいいからね!
 アサルトバスター!!」

解き放たれる最大戦速。
ヘカトンケイルもまた、これまでで最大の脅威を本能的に感じたのだろう。
残った左腕の全てを、その一点へ向けて一斉に発射する。
けど甘い。一姫当千たる彼女を止めるには、まるで数が足りないわよ!

「サンダラ×3!
 プラス、瞬殺百閃!!」

滅茶苦茶な詠唱省略、であっても眩く輝く稲妻。
その数は“4”条。
自らの身体をも電光へと変えたクルルが、先行した3条を潜り抜けた手刀の群れを、
もはや目視できない速度となった縦横無尽の刃の結界で、残らず斬り飛ばしていく!

「うぅおぉりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃあっ!!」
『ヴヴヴッ!!』

迫りくる嵐に押し込まれ、恐怖を感じたヘカトンケイルが、
ついに自身の守護にまわしていた奥の手を迎撃に向かわせる。

心臓部、魔石の固定箇所が―――


「「「見えた!!」」」


「最後にもっかい言ってやる!
 頭上注意だ!!」

再び“落盤”するコンクリート片。
姉さんがエスカレーターを駆け上がりながら呼び掛けたせいで、さっきの盾よりも小さいけれど、
姿勢制御として撃ち込まれているアンカーワイヤーの真上に着弾する。
鋼鉄の巨躯は大きくバランスを崩して…しかし残った右の一本足でなんとか自立を保とうとする。

「頑張ってるところ、悪いけれど!」

その膝の裏側へ、私の身体全部を使って肩からタックルをかける。
如何に重量差があっても、この体勢、このタイミングなら崩せるわ!!

『ヴヴッ!?』

ガクンと倒れる巨体。
曲がった右膝を、零距離のブリザラで凍らせて固着させた私は、
先ほどのクルルのように丸まり転がって受け身を取る。
……今ちょっと、私も下着が丸見えになってしまったわね。はしたなかった。

「ごめんね!もうちょっと寝てて!」

崩れ落ち、それでも起き上がろうとする機体の上半身。
その比較的細い首を菊一文字が貫通し、床に縫い付ける。
すぐさま私とクルルは、膝のバネを最大限に使って跳躍する。

これでっ!

…――天空より降り注ぐ白銀の神槍に、三神姫の身体が収束する。
六つの手が、グローランスの長い柄を強く掴む。往く道はただ一つ。


ほらね。
手を取り合えば、こんなのどうってことなかったでしょう?


「「「ラストぉッ!!!」」」


鋭い穂先が分厚い鉄塊を――…



積み重なっていた書類の、最後の一枚にサインを書き入れる。
これで私の担当分は全て終わりね。………この一枚は、後で確認するとしましょうか。

「お疲れ様です、レナ様」

政務の秘書官が終わった書類を整え、柔らかな声音で労いをかけてくれる。
26という若年ながらも、シルバーフレームの眼鏡の奥に輝く鋭い目つきと、
一糸の乱れもないスーツ姿、真っ直ぐな背筋の外見に違わず、
その手腕は確かで、彼女のおかげでいつも助かっている。

「あなたもありがとう、こんなに遅くまで」

時計を見れば、もう深夜の0時半だ。日付が変わってしまっている。

「微力であっても、レナ様のお役に立てるならば、この上ない幸福です。
 ……むしろ本日の日中も大きな立ち回りがあらせられたというのに、
 結局このような決済を通していただく事となり……」
「気にしないで」

むしろ、黄昏時の立ち回りは、触れないで欲しいわ……。

「代わりと言っては私も申し訳ないけれど、明日からの執務も補助をお願いするわ」
「姫様の往く道のお手伝いをさせていただき、光栄の極みです」

「大仰ね」と私は微笑むけれど、彼女の真剣な表情は全く崩れない。
気負い過ぎる仕事は、失敗を生むというのが浅いながらも私の経験だけれど……、
こうも真摯に想ってくれるなら、任せるべきか。

「それじゃあ、今日はご苦労様。
 明日もお願いするわ」

「はい」と肯定が返ってくるのがいつもの常だけれど、今日は何故か返事が返ってこない。
不思議に思って視線を上げると、彼女が窓の外、神々しく輝く二つの満月を見つめながら、
何やら思慮に浸っているようだった。

「……何か、心配事?
 私の体調は大丈夫よ」
「……レナ様」
「何かしら?」
「かの英雄殿には、私としてはひと言ふた言……、
 いいえ、さん言もよん言も言いたい事がありますが」

そんなにあるのね……。
昼間のセリスさんの言葉が脳裏に再生される。
これはつまり、彼女も“真っ当な女性”という事かしら?
私はただの田舎姫……いえ、そこに甘えてはいけないのね。超えて、進むためには。

「明日から補助をお願いする手続きは、彼の今後の指針に関するものよ」
「存じております。
 が、それでもかの御方は、姫様に相応しい男性であるとは私は思っておりません。
 ……けれど、お可愛らしいところも持っていらっしゃると知りましたので、
 今日のところはこれにて失礼させていただきます」

………?

秘書官が執務室から退室したのを確認して、執務机の引き出しにカギをかける。
後は自室に帰り、明日に備えなくては……なのだけれど、やはり気になって、
閉じられたカーテンを捲り、中庭を見下ろす。

煌々と輝く二つの月光。
その煌めきにさえ負けず、儚くも高貴に佇む“満開の”桜の木……。

「……最後まで、こうなっちゃうのね」

だから私は彼を好きになったの。
だから私の心は苦しみを訴えるの。

「…………………」

静かにカーテンを戻す。
椅子に掛けてあった薄紅色のショールを羽織り、部屋の電気を消して扉を開ける。
もうすっかり暗くなり、非常灯の灯りのみに照らされた廊下。
その欄干に背を預け、赤いマントに身を包んだ彼は佇んでいた。

「びえっくしゅ!
 う〜〜、寒っ……」
「バッツ」

私が声をかけると、彼が嬉しそうに……まるで春の陽気を運ぶ風のように、顔いっぱいで笑った。
なんとなく、柴犬の耳と尻尾を幻視してしまい、私にも微笑みが浮かぶ。

「仕事、終わった?」
「うん。
 待っててくれたの?遠慮せず、入ってきてくれればよかったのに。
 寒かったでしょ?」
「ん……。
 いや、レナの仕事を邪魔しちゃ悪いと思って。
 それに………」

いつも朗らかに言葉を口にするバッツには珍しく、頬を掻きながら俯いた口からは、
もごもごと判別できない声が続く。

「?
 それに、どうしたの?」
「うー、あー……。
 それに、だってさ。あの秘書さん、ちょっと…かなり恐くてさ……。
 とてもじゃないけど、入れなかった」


…………………………ぷっ。
 

「あはははははははははっ!」

深夜の庁舎に、悪いとは思うけれど、私の笑い声が響き渡る。

「なっ、何だよ。そんなに笑う事無いだろ」
「あはっ、あはははははっ!
 おなか、痛い……っ!
 だって、バッツ…あはは!ドラゴンや魔王と正面切って戦った英雄が、何言ってるの!
 く…くくっ……あははははっ!だめ、面白過ぎて……!」
「それはそれ、これはこれだ。
 誰にだってできる事とできない事ってのはあるもんだろ」

いつものように、子供のように、頬を膨らませて怒るバッツ。
私の大好きな人。

「そんなに笑うなら、プレゼント持って帰るぜ」
「ああ、ごめんなさい。
 ……プレゼントって何かな?カマキリの卵?大きな甲虫?」
「俺の事を何だと思ってるんだ……」

流石にからかいすぎちゃったか。
もう少し、小さな子供のように怒る可愛い彼を見つめていたかったけれど、
これ以上は可哀想よね。

「ごめんなさい、バッツ。許して。
 あなたからのプレゼント、とっても気になる」
「………まあ、そんなに期待されるとそれはそれでプレッシャーなんだけどさ……。
 これ」

赤いマントの中から取り出され、私に差し出されたのは紙の箱。小さなケーキボックス。

「ありがとう。
 今、開けていい?」
「ああ。折角だからなるべく早く食べて欲しい、かな。
 こんな時間に女の子に渡すのは、その……ダイエットとか悪いと思うけど……。
 ああ、やっぱり俺、デリカシー無いかなぁ」

ひとりあれこれ問答を始めだしたバッツをとりあえず置いておいて、
ケーキボックスを開けてみる。
入っていたのは、ショコラケーキ。
長方形の生地にクリーム、ガナッシュ、モカシロップが層を成し、
一番上のグラサージュには金箔でチョコボが描かれた、最高級のケーキの一つ、オペラだ。

「バッツ、これ……」
「うん……。
 ハッピー・ショコラ・デイって事でさ。
 俺から、いつも頑張ってくれてるレナに、お礼の気持ち。
 ………ごめん、今日は…っていうかもう昨日なんだけど、ちょっとその、
 反則だけど、これだけ渡しに来た、んだ。今回は……」

バッツの顔は、マント以上に真っ赤に染まっている。
可哀想だけれど、やっぱりその姿も可愛くて、私はまた心から笑ってしまう。

「な、何だよ。
 いいだろ、男から贈ったってさ!頑張って朝からあれこれ苦戦して作ったんだぜ。
 まあ、もう日付も変わっちゃったけど………。
 ………やっぱ、変、かな?」

だんだんと勢いを失い、ついには下を向いてしまったバッツ。
その彼の右手を、私の右手でぎゅっと握る。
はっと、彼の群青色の瞳が前を向いてくれる。一直線に私を映してくれる。

「ありがとう、バッツ。すごく嬉しい」
「……魔法瓶に、紅茶も淹れてきたんだ。
 ちょっと冷めちゃったけど、少しだけティータイム。いいかな?」

ああ、幸せだな……。



執務室のフカフカなソファに身を沈め、ケーキを、
これもバッツが用意していたソーサーに乗せてもらう。
銀のケーキフォークと、同じくバッツが用意してくれていた紅茶。
私の好きな人が、私の為に用意してくれたお茶会。

「それじゃあ、いただきます」

目の前で、味の感想をすぐ聞きたいって、幻想の尻尾を激しく振るバッツが可愛くて、
もっと見ていたい衝動にも駆られたけれど、我慢してフォークを通し、ひとくち。
舌に広がる、種類の異なるいくつかのショコラの風味。砕き交ぜられたクルミの心地よい歯ごたえ。

………懐かしい、味。

「これ……」
「さすがはレナ、気付いてくれた!
 そう、なるべくタイクーンの味を再現した…つもりだったんだけど、上手く行ったみたいだな!」

ガナッシュの柔らかな舌触り。
クルミの新鮮な香り。
モカシロップの鮮烈な甘み。

いつかに、いつも味わっていた、思い出の味。

「トラビアの食材って、実はタイクーンの風味に近くてさ。
 こないだファリスがそっちに仕事があったから、着いて行って自分で材料選んできたんだ。
 トラビアの食材の中でも、さらになるべくタイクーンの物に近いのを、
 自分の舌で確かめたくて……レナ?」

あ、ああ……。
こ、ころがあたたかく、て……。嬉しくて……。

涙が、止まらない……。

「ああっ、ごめっ…!
 そうだよな、タイクーンの今を考えたら、軽率だったよな!
 ゴメン、ほんと!俺、いつも考えが足りなくて……っ!」
「ちがっ…うの……。ふぐっ……。
 あり、がとう、バッツ……。
 私、凄く……うぅ……。
 すごく、嬉しいよ……」


少しの間、私の嗚咽が室内を満たす。
彼はいつものように、私を待っていてくれる。いつものように、すぐ隣で。


「紅茶も、なるべくタイクーンの味に近い葉を選んで来たつもりなんだ。
 あったかいもの、ゆっくりとどうぞ」

私は目じりの涙を人差し指で拭い、ティーカップを受け取る。
目を閉じて、香りを吸い込む。
ゆったりと駆け巡る、お父様、お母さま、ダイジ、ジェニカ、ゾック……城のみんなの顔。

過ぎ去った時間。これから取り戻しに向かう大切な、大切な思い出たち。

ひと口、舌に含んで、ゆっくりと味わい、飲み込む。

「……あったかいもの、ありがとう」
「どういたしまして」

甘いケーキをもう一口。
暖かな紅茶をもう一口。

「ああ、でもほんとに良かったよ。
 ひっさしぶりにケーキを焼いたからさ。最初はスポンジが膨らまなくて本気で焦った〜。
 多めに材料を準備しといたっていっても、限度があったし。
 紅茶の淹れ方も、本格的なのを初めて勉強したんだぜ。
 本とか、昔世話になったトラビアのレストランのシェフにも聴いて」

いつまでも、この幸せが続いてくれればいいのに。
いつまでも二人、出会ったあの日のままで居られれば幸せにまどろんでいられたのに。

「ねえ、バッツ」
「ん?」
「人の出会いは不思議だね」
「そうだな。
 俺は、レナに出会えて本当に良かった」
「私も、バッツに出会えて本当に幸せだよ」

温かくて、暖かくて、あたたかくて。

私の大好きなバッツ。
そして、

「ずるいバッツ」
「?」
「本当はね、あなたに会ったら怒ってあげようって、そう決めてたのに」
「……え〜っと、俺、何かやったっけ?」

ポリポリと右のこめかみを掻きながら、目線を明後日に逸らすのは彼の癖。
気まずい時、ウソを吐いた時。彼は必ずこうなる。
愚直なまでに正直な旅人。そんなところも好きだよ。

「桜。
 あなたが咲かせたんでしょう?」

ショッピングモールから帰ってきて、最初に驚いた事。
桜の木が元気になって、あまつさえ季節外れの薄紅色の花が満開になっていた。
今、こんな事ができるのは世界中でただ一人。推理の必要もない。
私の視線に負けたと観念したのか、その犯人は気まずそうに真実を語りだす。

「………はい。俺がやりました。
 あの木と周りの土のライフストリームを読んで、必要なベクトルをあげたんだ。弱ってたから。
 まあ、ちょっと力加減を間違って、あげ過ぎちゃったみたいだけど」

黄金の剣ラグナロク。
その本質は“与える”事。だから彼にはできる。彼だけには、できてしまう。
……彼自身の生命を削って。

「バッツ、私もあの花が好きだから、すごく嬉しいよ。だからこの事は許してあげる。
 でもこの時期に、ラグナロクを安易に使ったのは……」

そこでバッツは窓際に立ち、カーテンを開ける。
二つの銀月に照らされた横顔は凛々しく、群青の瞳がより幻想的に染まって、
胸がまたひときわ高鳴る。痛いくらいに。
窓から桜を見下ろしながら、バッツがゆったりと笑う。

「レナにだけ特別に、先に見せるよ」

バッツが両腕を広げ、目を閉じて穏やかに深呼吸する。
集まるのは金色の燐光……彼の“両手”に……!

「バッツ、それ……っ!」
「ザンデさんに言われた“真に真なる”ってところまではまだだよ。
 でも、かなり近づけたと思う」

両の手の黄金の光球、その輝きの一部はまるでバッツ自身に還元するように、
彼の胸に戻っていく。

「ここからは、ザンデさんから教えてもらった知識。
 質問がある生徒は手を上げるように」

黄金を解き放って、いつもの悪戯っ子に戻ったバッツは、喜色を顕わに語る。

「内的宇宙……人の心の中にも宇宙があるんだ。
 そしてオニオンソードは元々、生命情報を物質に変換する半物質・半精神体であること。
 それが俺の心の奥深くに埋まって融合していることも、ご存じの通り」

そう、そこまではドーガさんとアクアさんから、既に解は示されている。

「ソードは俺と一体化したことで、俺の生命情報に対しては受容リミッターが作動しなくなった。
 加えて俺はメリュジーヌを前にしたとき、想いのまま、自分の全てをソードに注いだんだ。
 結果、許容量を超えたデータを与えられたソードは、オーバーロードして……、
 風船が破裂するみたいにバーストした」

「パアン」と口にしながらバッツは腕を大きく広げて、破裂を表現する。

「でも、風船と違って中身に詰まっていたのは、莫大な俺の生命情報。心そのもの」

ここで、私は挙手する。先生、質問です。

「風船が割れれば、中の気体は空気に交じるだけ。
 じゃあ、あなたの心は、どこに交じり込むの?」

まだこの範囲は、ザンデさんが断片的に口にした真実から、推測はつく。
けど、せっかくだから先生にちゃんと答えてもらおう。
期待通り「いい質問です」と、バッツは得意満面の表情で人差し指を掲げる。

「バーストしたソードから放出された俺の心は、この現実宇宙のライフストリームと繋がる。
 つまり、俺の内的宇宙と物理宇宙が直結するんだ、ラグナロクを使っている間は。
 もちろんソードの許容量を超えて流し込み続ける必要があるから、
 使ってる間はどんどん俺の生命が、ライフストリームに流れ出していってしまう。
 でもその代わり、俺の心の宇宙で想像したエネルギーベクトルを、
 そのままこの宇宙に創造する事ができるようになるんだよ。
 ポイントは、生命情報の消費とベクトルの生成は、まったく別の要因からだという事」
「なるほど。
 メリットは二つね。
 一つ、この宇宙に本来は存在しない方向、大きさのベクトルを創生する事ができる。
 二つ、バッツが失う生命エネルギー以上のエネルギーベクトルを生み出す事ができる」

言いたかった言葉を盗られてしまったからか、バッツはちょっと口をパクパク開閉させたけど、
上機嫌の講義はまだ続く。

「実はもう一つあるんだな。
 ラグナロクを使ってる間は俺の感覚も世界と交じり合うから、周りの全てのライフストリーム、
 相手の生命情報を直接認識できるようになるんだ。
 メリュジーヌを前にしたとき、俺にはレナの身体と、レナの心と、メリュジーヌの心の、
 三つがはっきりと別々に認識できた」
「そしてバッツは、この世界には本来無かった、
 メリュジーヌという存在と真逆のベクトルだけを創造して、叩き込んだ。
 だから私の身体と心には傷をつけず、メリュジーヌだけを斬る事ができたのね。
 ……という事は、ゼロムスに最初にダメージを与えられたのも、同じ理屈か。
 そして暗闇の雲が空けた穴の周囲のライフストリームが見られたのは、その認識能力のおかげ」
「ああ。
 もうちょっとタネ明かしするとさ、物理的には存在していないラグナロクが、
 物を斬ったように見えるのは、実は対象と真逆のベクトルを生成して付与してるから、
 単にその箇所が対消滅してるだけなんだ。だから防御も意味を成さなくなるってわけだ。
 もうひとつ、黄金色に見えるのはただの偶然。
 オニオンソードがオーバーロードして……これも物理的に存在していないのにおかしな話だけど、
 “概念的に”暴走熱で熱発光したソードの色が、たまたま金色っぽく見えてるだけ」

どんなに不思議な手品も、タネが分かってしまえば案外つまらないもの。
……でも私たちが見つけた“神々の黄昏”は。
バッツが歩んできた道は、神算で仕組まれたものじゃない。
私たちは確かに、ぬくもりを感じた。

「じゃあ、ここからは私が問題を出すね」
「おう、どんと来い!」
「黄金の輝きの、本当の理由は何?」

彼が、笑う。穏やかに。あたたかに。
全ての憎悪を、恐怖を、孤独を……拒絶を、笑い飛ばす風のように。

「みんながいるから。
 あの色は四つの心の……みんなの心の色だよ」

それは1000年を超えて彷徨った迷い人が、旅人に託した希望。
幻想の終焉に向かう為の道しるべ。

「俺一人じゃ、都合よく際限無き力を生むなんてできやしなかった。
 そもそも自分の生命が惜しくて、全部を流し込むなんてとてもじゃないけど無理だったよ。
 でもさ、俺が好きなみんながいる。みんなが俺を信じてくれてる。
 みんながいるから、この金色を輝かせる事ができた。
 ……だったら、俺自身もみんなから、ちょっとだけもらおうって。
 もらってもいいんだって、そう思えたんだ。
 心から」

さっきバッツに戻っていた、黄金の輝きの一部。
つまりバッツは、“流し込んで失った情報をラグナロクで生成して、自分に流し返す”事で、
使用時間の制約を克服したという事なのね。

なんて荒唐無稽でご都合主義なおとぎ話かしら。
矛盾どころか論理破綻にもほどがあるわ。

「バッツはひどい夢想家ね。完全に詐欺師だわ」

全ての現実を知ってなお、揺るがない彼の世界。
“理解”と“理想”の両輪を揃えたが故に辿り着いた、更に先の“神々の黄昏”。

「ああ。俺は結局、何処まで行っても愚かな旅人だよ。
 目の前が真っ暗なときほど、その先に何があるんだろうってワクワクする。
 闇の向こうには何も“無”いだなんて、想像もしたことさえない」

だって1000年前も、今も、1000年先も。
いつだっておとぎ話は、ご都合主義のめでたしめでたしになるって決まってるもんね。

「だけど、だからきっと、みんなを幸せに導ける。
 ……もちろん俺も、幸せだよ」

柔らかな微笑み。それこそが答え。
無限の“無”に応えてあげるための、際限なき有限。

「どうでしょう、レナ先生?」
「100点満点です。花マルもあげますね」

「やった!」とバッツが満面で笑う。
ただそれだけでいいの。
その太陽が照らしてくれるだけで、私の世界は明るくなり、華やぎ、あたたかくなる。

ねえバッツ。本当に、出会いは不思議だね。

あなたに出会えて幸せだよ。
もっともっと幸せになりたいって、出会った日からずっと前に進んでこれた。
夢幻のまどろみの中から、果てしない世界へ一歩、また一歩と。
あなたへの想いさえあれば、灼光の翼を広げて、大空へだって翔び立てる。

これまでも、これからも。いつまでも。

「と、まあ、そんなわけで。
 改めてありがとうを伝えたくて、本日のショコラケーキをお持ちしたわけですよ。
 姫様」
「うん?どういうの?」
「パラメキア兵への呼びかけの時にさ、やっとわかったんだ。
 ラグナロクは“繋がり分かち合う”のが正しい使い方だったって。
 だからザンデさんにも伝える事ができた。教わる事ができた。
 俺は…俺だけじゃきっと、“斬り裂く”所から離れられなかったから。
 だって最初はメリュジーヌを倒す為の“剣”として生んだからさ」
「私を助けるために差し伸べてくれた“手”だったよ、最初から。
 だから私にとって、あの日パラメキア兵に伝えられたのは、当たり前の事だった」
「そっか。
 なんだよ、こんなに苦労したってのに、正解は最初からすぐ隣にあったなんてさ。
 ……知ってたなら、教えてくれたって良かったんじゃないか?」

口を尖らせるバッツに向かって、私は穏やかに微笑みかける。

「ごめんね。
 みんなから、あんまりバッツを甘やかしちゃいけないって言われちゃってて」

回答に満足いかなかったのか、バッツはしばらく口を尖らせ続けたけれど……すぐにまた、
風はいつものように穏やかな凪へ。

「まあ、いいよ。ちゃんと間に合ったから。
 行く前にちゃんと桜を咲かせて、見る事ができた」
「……あれ?
 花を咲かせたのは、元気をあげ過ぎちゃったからって言ってなかった?」

そしてまた嵐へと。風向きはいつも、コロコロと変わっていく。

「……えぇ〜〜〜っと」
「正直に自分から言うなら、私は怒ったりしませんよ」

バッツの群青の瞳。空の藍と海の碧と、そして大地の蒼が混じり合った、私の愛する色。
いつも見つめて来たその色は、けれど今夜は今までになかった揺れ方をする。
はてさて、隠し事をしているのはもう知ってるんですけれどね。

「……桜の木には時期外れになって悪いと思ったけれど……花が咲くように力をあげたんだ。
 本当は。
 まだ見たことのない花だったから……」
「大丈夫よ。桜だって、助けてもらったんだもん。きっとバッツに感謝してる。
 でもそんなに桜の花が見たかったのね」

「バッツらしいよ」と私が笑うと、彼は気まずそうに頭の後ろを掻いた。

「うん……どうしても、見たかったんだ」

そこで何故か旅人は俯いて、耳まで真っ赤になって黙ってしまう。
あれ?

「どうしたの?」
「…………に…てるって、聞いたからさ……」
「……?
 なあに?」

私の声を聴いて、紅潮が更に深まる。
こんなに血が上ったら、危険なんじゃないかなって心配になり始めたその時。
紅に映えた群青色の瞳が、私へと真っ直ぐに向いた。

「レナの髪に似てるって聞いたから、どうしても見たかったんだ!」


…………………………。


「えっとね、バッツ……」
「いや俺は別にエドガーみたいな事を言いたかったわけじゃなくてただ純粋にまだ見たことのないも
 のを見たいっていう性分がそうさせたからであってでももちろんレナを意識してなかったかってい
 うとそれも違うんだけど本当に見られて良かったって思うんだよだって凄くレナに似てる花だとお
 もうんだ何ていうか綺麗で上品で華やかだけど穏やかででも芯の強さが感じられてレナそのもの」


『花言葉は『清純』、『高貴』、『優れた美人』』


今朝の自分の言葉が脳裏にフラッシュバックして、私の頭は更に沸騰する。

「そうだよそうすごくレナって感じる花なんだ可愛いけど凛として賢そうで綺麗で」
「もっ、もういいから!」

恥ずかしすぎる言葉を紡ぎ続ける彼の口を塞ごうと、慌てて立ち上がる。
全速力で駆け出した右足は、見事なまでにテーブルに引っかかり、
私の身体は重力に従って落ちて行く。

「きゃっ」
「危ない!」

満月の下。
私の身体は、彼の力強い腕に熱と共に支えられる。

熱い。

私の顔も身体もこんなに熱くなっているのに、肩に触れる彼の大きな手はもっともっと熱い。
認識が、私の心臓を更に跳ねさせる。

「あ、ありが……」

見上げた先には、これまでに無かったほど近くに迫った群青。
まるで高熱に浮かされたように潤み、彷徨っている。

肩を支えてくれている手に、いっそうの力が籠る。



抱いて。



頭にその一言がまるで浮かばなかったと言ってしまえば、嘘になる。

けれど今、私の身体が感じているのは懐かしさ。

想いに従って目を瞑り、ゆっくりと額を彼の胸板に押し当てる。

どっくん。どっくん。どっくん。

肌を通り伝わってくる、彼の生命の鼓動。

私の心は覚えてる。


「ねえ、バッツ」


「うん」


私は覚えてるよ、あなたと初めて出会ったあの森での夜を。
傷ついた私を護り抱き上げてくれた、あなたの腕の強さと熱を。
何も知らない世界に突然放り込まれた私に安らぎをくれた、あなたの鼓動を。

ずっと忘れない。

ねえ、あなたはあの月夜の出会いを覚えてくれてるかな?


きっとそれは、


悠久の時の流れの中の瞬きにも満たない、小さな出来事。


私の物語を始めてくれた、かけがえの無い奇跡。


「もうあと少し、だね」


「うん。もうちょっとだ」


だから二人、まだとても不格好な、月下の抱擁。
すぐ先に待ち受けている暗闇の中で、離れ離れになってしまうかもしれない。


大丈夫。怖くないよ。


―――たどり着けぬ場所を捜して さまよえる羊よ あなた自身をいつくしみなさい


隣に居てくれるのは破滅の厄災でも、創世の神でもない。
ただ往く道にうずくまって泣いてる誰かに手を差し伸べてくれる、優しい旅人だから。

手は、とてもあたたかいって、もう知っているから。

だから、


―――きっと明日は光が見えるでしょう


往こう。

私たちの世界を。

未来へと。



銀に輝く二つの満月の下。
薄紅色の花は風に乗って、高く高く舞い上がった。











けど往く前に、もうひとつ。

「ねえ、バッツ」
「うん」
「私の決裁書類に混じっていた、
 あなたの宛名の『蜂蜜の館エスタ支店 8000ギル』の領収書だけど」


<了>



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