マネジメント寺子屋「日新塾」

《おかげさまです思考(生命論パラダイム)に基づく「ドラッカーマネジメント」》



                ■ マネジメントとは、「組織をして生産的ならしめるもの」である。
                ■ 組織とは、「特定の目的・ミッションを共有した集合体」。       



日新塾の日新塾の特徴
日新塾の日新塾の特徴

 未来において何かを起こすためには、新しいことを行わなければならない今日とは全く違う【何を起こす】ことを望むかを進んで問わなければならない。事業の未来として、これが起こるべきことだそれを起こすために働こうと進んで言わなければならない。

 今日のイノベーションの議論において、意味なく強調されている創造性なるものは、問題の鍵ではない。すでに企業だけでなく、あらゆる組織体に、「構想」は利用しうる以上に存在している

 通常、欠落しているのは、製品を超えて構想するということである製品やプロセスは、構想を実現するための「道具」にすぎない。すでに述べた例からも明らかなように、具体的な製品やプロセスは、想像さえされないのが普通である。


  (デュポン社が、やがてナイロンを生むことになった高分子化学の研究を始めたとき、最終製品が「人造の繊維になる」とは考えていなかった

  デュポンは、有機物の分子構造の操作が何らかの重要な経済的成果をもたらすであろうという考えのもとに研究を進めていたそして、研究を始めて6、7年後、ようやく人造の繊維が、大きな成果として生まれた)。


 IBMの経験が示すように、構想を成功に導く製品のプロセスは、極めてしばしば、現在の事業とは関係のない研究から出てくる

 しかし実際には、平均的な企業人には、構想を温め、そこからもたらされる事業やその貢献、さらには、そのもたらす顧客満足や市場や経済について考えることは、至難であるしかも、一般の企業人は、しばしば、そのような構想に資源をゆだねるという勇気に欠ける

 だが、未来において何かを起こすために投入する資源は、「少し」でよい。ただしそれは、「最善のもの」でなければならないそうでなければ、何も起こらない

 一般の企業人に最も欠けているものは、構想の「有効性」と「実用性の「判断である。構想が、事業の未来を築く能力を持つためには、厳格な試験を通らなければならない

 まず構想は、「実用的な有効性」を持たなければならない。すなわち、その構想に基づいて行動を起こすことができるか。それとも、話ができるだけか」を問わなければならない。

 そして起こしたい未来を起こすためには、「行動」しなければならない


  (シアーズ・ローバックは、「孤立したアメリカの農民に市場を与える」という構想のもとに動くことによって、直ちに成果をあげることができた

  デュポンは、「高分子化学の利用」という構想を持って、直ちに小規模な研究活動を組織したデュポンに出来たことは、一人の第一級の研究者の研究活動を支援することだけだった

  しかし、シアーズとデュポンのいずれもが、直ちに何らかの「行動」をとった。)

                                                   

 単に研究に金を使うだけでは、十分ではない。研究開発は、構想の実現に向けたものでなければならない。デュポンの研究プロジェクトのように、得ようとする知識は、一般的であってよい。しかし、研究の成果が「実用的な知識であるべき」ことは、あらかじめ明らかにしておかなければならない

 構想はまた、「経済的な有効性」を持たなければならない実行に移した時、「経済的な成果」を生むことができなければならない

 もちろん実現したいことを実現するためには、長い時間が必要なこともある。あるいは、永久に実現できないこともある。しかし、実現した暁には、成果としての製品やプロセスやサービスには、「顧客や市場や最終用途」が存在しなければならない利益をあげて売ることができ、欲求やニーズを満たすことができなければならない

 構想自体、社会的な改革を目的としている場合もあり得る。しかし、その構想の上に事業を築くことができなければ、それは企業家的な構想ではない

 評価の基準は、選挙での得票数や、哲学者からの喝采ではない。それは、経済的な成果であり、業績である。たとえその事業の目的が、事業としての成功ではなく、社会の改革にあったとしても、構想の評価の基準は、事業としての成果であり、事業としての生存である


  (経済的な成果ではなく、社会的な成果を上げるための事業の例は、さほど多くはない。

  もちろん、ロバート・オーエンや若き日のヘンリー・フォードのように、社会改革者としての目的をもち、社会改革者としてのアプローチによって、企業家として成功した者もいる。しかし、事業を通じて社会的な目的を達成することに成功した者の全てが、必ず、「経済的有効性」という評価の基準を容赦なく適用している

  ネーションワイド・インシュアランス社のマリ・リンカーンが今日行っていることも、それである。革命担当副大統領を称するマリ・リンカーンは、その生涯を協同組合運動に捧げてきている

  彼は、営利というものを良く言わない。しかしその彼も、保険と金融という事業を通じて、協同組合運動を推進していく上で、競争相手の本格的な営利企業がそれぞれ自らに課している業績よりも、さらに厳しい業績を自らに課している。)


 そして最後に、構想は、「全人格的なコミットメントを必要とするその構想を心底から信じているのか本当に実現したいのか」「本当にその仕事をしたいのか。本当にその事業を経営したいのかである。

 未来に何かを起こさせるには、勇気を必要とする。努力を必要とする。信念を必要とする。その場しのぎの仕事に身を任せていたのでは、未来はつくれない目の前の仕事では、足りない

 いかなる構想も、万事が順調というわけにはいかない。むしろ、そうであってはならない未来にかかわる構想のうち、必ず失敗してしまうものは、確実なもの、リスクのないもの、失敗しようのないものである

 明日を築く土台となる構想は、不確実ならざるを得ないそれが実現したとき、どのような姿になるかは、誰にもわからないリスクを伴う。成功するかもしれないが、失敗するかもしれない

 もし不確実でもなく、リスクを伴うものでもないならば、そもそも、未来のための構想としては現実的ではない。なぜならば、未来それ自体が不確実であって、リスクを伴うものだからである。

 いずれにせよ、構想に対する全人的なコミットメント信念がないかぎり、必要な努力も持続するはずがない

 もちろん、企業に働く者は、狂信的であることはもちろん、熱狂的であってもならない「起こることは望めば起こる」というものでもなく、たとえ、起こるように最善の努力を傾注したからといって必ず起こるものでもない、ということを認識しておかなければならない

 したがって、未来において何かを起こすための仕事は、他のあらゆる仕事と同じように、今日までの成果と明日の見通しからして、続けるべきか否かを決めるべく、定期的に検討していかなければならない

 しかし同時に、未来において何かを起こすために働く者は、「これが本当に望んでいる事業だ」と、信念をもって言うことができなければならない

 あらゆる企業が、未来において何かを起こすための構想を絶対に必要とするわけではない

 現在の事業を効率的なものにすることさえ出来ていない企業や、マネジメントが多い。そのような企業でも、しばらくは存続しうる。特に大企業は、前の代のマネジメントの勇気や努力やビジョンに長い間依存していくことができる。

 しかし、明日は必ず来るそして、明日は今日とは違うその時、今日最強企業といえども、未来に対する働きかけを行っていないならば、苦境に陥ることになる個性を失い、リーダーシップを失う。残るものといえば、大企業に特有の膨大な間接費だけである。

 起こっていることを理解できなければ未来に対する働きかけを行うことはできないそしてその結果新しいことを起こす」というリスクを避けて、「起こってくるものに脅かされる」というはるかに大きなリスクを負うことになる

 リスク」とは、「最も豊かで最大の企業でさえも処理できないもの」であると同時に、「小の企業でさえ処理できるもの」である

 マネジメントたる者は、自らの手にゆだねられた人的資源に仕える怠惰な執事以上のものであろうとするためにも未来において何かを起こす」という責任を受入れなければならない

 進んでこの「責任」、すなわち「企業における最大の経済的課題にかかわる責任」に意識的に取り組むことこそ単なる優れた企業から偉大な企業を区別し、サラリーマン重役から真の事業家を区別するものである。

  『創造する経営者』より

 
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 「将来いかなる製品やプロセスが必要になるか」を推測しても、意味はない。しかし、いかなる構想を実現するか」を決意し、そのような構想の上に、今日とは違う事業を築くこと可能である

 未来において何かを起こさせるということは、新しい事業をつくり出すことである。すなわち、未来において何かを起こす」ということは、「新しい経済新しい技術新しい社会についての構想を事業の中で実現する」ということである

 大きな構想である必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない

 構想は、企業家的なものでなければならない。すなわち、事業上の行為と行動を通じて実現すべき構想でなければならないそれは、富を生む機会や能力についての構想でなければならない

 それは、「未来の社会はどのようなものになるべきか」という社会改革家や、革命家や、哲学者の問いからは出てこない

 未来をつくる企業家的な構想の基盤となるものは、経済、市場、知識におけるいかなる変化がわが社の望む事業を可能とし最大の経済的成果を得る経営を可能にするかという問いでなければならない


  (このアプローチは、歴史家の目には、極めて自己中心的なものに見える。そのため歴史家は、このアプローチの重大さを見過ごし、その影響になかなか気がつかない。

  もちろん、偉大な哲学的構想の方が、深遠な影響を与えることもある。しかし、実際には、世の中に影響を与えるような哲学的構想は、ほとんどないと言ってよい。

  これに対し、事業上の構想は、より限定された世界のものではあってもその極めて多くのものが、世の中に実質的な影響を与える

  したがって、イノベーションを行う企業人は、全体として見るならば、歴史家たちが認識しているよりも、はるかに大きな影響を与えている。)


 しかも企業家的な構想は、社会や知識のすべての領域にわたるものではなく、一つの狭い領域についてのものであるという事実にこそ、活力の源がある

 事業上の構想を持つ者が、経済や社会における他のあらゆることについては、間違った考え方をしているということは大いにあり得る。しかし、自らの事業の焦点に関してほぼ正しくありさえすれば、そのようなことは問題ではない。彼らの成功に必要なものは、ある特定の一つの小さな発展だけである


  (IBMを築いたトーマス・ワトソンは、技術の進歩そのものについては、まったく理解していなかった。しかし彼は、事業を築く基礎として、データ処理なる構想を持っていた

  彼の事業は、長い間、タイムレコーダーという日常的な製品に限られていた。しかし、彼とは全く関係のなかった戦時中の研究から、彼が構想していたデータ処理を可能とする技術、すなわちコンピュータの技術が生まれた時、彼の事業は、すでに飛躍の準備が出来ていた

  1920年代、ワトソンがパンチカードを機器の設計、販売、据え付けというなんの変哲もない小さな事業を経営していたころ、アメリカのブリッジマンやオーストリアのカルナップなど、論理実証主義の数学者や論理学者たちが、数量化と万能測定法にかかわる方法論について研究し、発表していた。

  彼らが、歴史もなく、苦闘しているアメリカのIBMなどの企業を知っていることなど全くあり得なかった。自分たちが考えていることをIBMに結びつけることなど、さらにあり得なかった。しかし第2次大戦中に、新しい技術が現われたとき、それを実用化したのは、ワトソンのIBMであって、彼らの哲学的な構造ではなかった


  リチャード・シアーズ、ジュリアス・ローゼンウォルド、アルバート・ローブ、ロバート・E・ウッド将軍など、シアーズ・ローバックを築いた人たちは、社会に対して積極的な関心と想像力を持っていた。

  しかし、彼らのうち一人として、「アメリカの経済を変える」ことなどは、考えてもいなかった。彼らが、伝統的な階層別市場に対立するものとして大衆市場という概念を持つに至ったのでさえ、かなり後のことであったと思われる。

  だが、シアーズ・ローバックは、その設立の当初から、「貧しい者の金もまた、金持ちの金と同じように、購買力に転ずることができるはずである」と考えていた

  もちろんそのような考えは、特に目新しいものではなかった。社会改革者や経済学者が、すでに何十年も前から唱えていたものだった。現実にヨーロッパでは、この考えから、協同組合運動が生まれていた。しかしアメリカでは、この考えに基づく最初の事業が、シアーズだった。

  シアーズは、「いかにして農民を小売業の顧客にすることができるか」という問いからスタートした。答えは、「そのためには、都市の人間と同じように、信頼できる製品を低価格で手に入られるという保証が必要である」という簡単なことだった。

  しかし当時においては、そのような考えは、極めて斬新で、革命的でさえあった。)


 偉大な企業家的イノベーションは、理論上の仮定を現実の事業に転換することで実現される


  (最大の影響を世の中にもたらした企業家的イノベーションは、フランスの社会哲学者サン・シモンの理論的命題を銀行へ具体化したことである

  サン・シモンは、セイの企業家の概念から出発して、「資本の創造的役割を中心とする哲学的なシステム」を構想した。そしてその構想は、サン・シモンの弟子であるペレール兄弟が19世紀半ばにパリに創立したクレディ・モビリエにおいて、現実のものとなった。

  クレディ・モビリエは、「社会の流動的な資源に方向づけを行うことによって、産業を発展させる」ことを目的とした。それは、当時まだ産業の発展を見ていなかったヨーロッパ大陸、すなわちフランス、オランダ、ベルギーの銀行の原型となった。

  そしてさらに、ドイツ、スイス、オーストリア、スカンジナビア諸国、イタリアにおいて、それぞれの国の産業の担い手となる銀行が設立された。

  この構想は、南北戦争後のアメリカにも、大西洋を渡ってやってきた。産業発展に寄与したジェイ・クック、大陸横断鉄道の資金を賄ったアメリカン・クレディット・モビリア、JP・モルガンに至る銀行家たちは、すべてペレール兄弟の追随者だった。

  近代日本の経済を築いた銀行家兼産業家である日本の財閥も、同じだった。

  しかし、ペレール兄弟の最も忠実な弟子は、ソ連である。資本の配分による計画化」という考えは、まさにペレール兄弟のものであるソ連が行ったことは、銀行家の代わりに国家を持ってきたことだけだった

  そもそもマルクスには、そのような考えはなかった。特に経済の計画化の考えはなかった。

  今日、発展途上国で設立されている開発銀行の類は、すべてクレディ・モビリエの後裔であるしかしそれでも、ペレール兄弟自身は、一国の経済を変えるために銀行をつくったのではなかった彼らは、利益をあげるために、銀行という事業を始めた。)


 同じように、近代化学工業は、すでに存在していた構想を事業に発展させることによって生まれた


  (近代化学工業は、本来はイギリスで育たなければならなかった。19世紀の半ば、イギリスには、化学製品にとって主要な市場となるべき高度に発達した繊維産業があった。

  しかも当時、イギリスは、科学の世界においてリーダーシップを握っていた。事実、近代化学工業は、イギリス人による発見、すなわち1856年のパーキンによるアニリン染料の発見から始まった。

  しかし、パーキンによる発見の20年後の1875年ごろには、この新しい産業のリーダーシップはドイツに握られていた。ドイツの起業家たちが、イギリスにはなかった企業家的な構想、すなわち「有機化学における科学的探究の成果を、市場向けの応用に発展させる」という構想をもって、仕事をしたのだった。)


 企業を偉大な存在へと成長させる構想は、更にはるかに簡単なものであることがある


  (歴史上最も強力な民間企業は、第2次大戦後に解体される前、世界中で百万人を雇用していたという日本の三井家と思われる。この数字は、三井の解体を命じたGHQ当局による公式の推定である。

  三井の起源は、三井家の初期の一人によって、17世紀半ばに当時の江戸で開かれた世界最初の百貨店だった。三井の事業の基底にあった企業家的構想は、単なる仲介者としての商人ではなく、経済活動における主役としての商人という考えだった

  このことは、一方において、顧客に対する定価販売を意味した。そして他方において、「職人や生産者の代理人として活動はしない」ということを意味した。三井が、自らの責任において、自らの仕様に従った標準製品を仕入れるということを意味した。

  元々海外貿易においては、商人が主役だった。日本の場合、1650年頃に海外貿易は禁止されたが、三井は、その「海外貿易の考え方」を使って、「国内における商業」を築いた。)


 企業家的構想が、他の国や他の産業でうまくいっているものを真似するだけのこともある


  (スロバキアの靴職人、トーマス・ベータは、第1次大戦後アメリカからヨーロッパに戻った時、「スロバキアやバルカンでも、アメリカと同じように、みな靴を履けるようにできるはずである」と考えた。

  彼は、「農民が裸足なのは、貧しいからではなく、靴がないからだ」と言ったという

  この「靴を履いた農民」というビジョンを実現させるために必要なものは、アメリカと同じように、標準化された安い靴、しかもデザインが良く、長持ちする靴を供給することだけのはずだった

  この類推に基づいて、べータは、わずか数年にしてヨーロッパ一の製靴業を築き、ヨーロッパ一の業績の企業をつくり上げた。)


 言い換えるならば、未来において何かを起こすためには、創造的な想像力は必要ない必要なものは、天才の業ではなく「仕事」である。したがって、ある程度は、誰にも行うことができることである。

 想像力に富む構想の方が、成功の確立が高いわけではない。平凡な構想でもしばしば成功するアメリカを手本に靴づくりを行うというベータの構想は、特にフォードとその流れ作業に強い関心を寄せていた1920年当時のヨーロッパでは、目新しいものではなかった意味があったのは、ベータの才能ではなく、勇気だった

  『創造する経営者』より
 『未来を築く構想の力(その2)・製品を超えて構想する』へ続く《http://bit.ly/Xibuhl
 
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政治的な国境

 今日の世界的な規模の構造変化と乱気流の時代にあって、経営戦略の前提とすべきもう一つの新しい現実が、政治の論理との乖離の増大である

 経済はグローバル化する一方であるが、経済活動にとっては、国は障害であって、コスト・センターにすぎない企業はもちろん、その他の組織にとっても、もはや国民経済や国家に視野を限定することはできない世界的な視野にたつ必要がある

 しかるに、政治的な国境はなくならないそれどころか、EUNAFTA、南米のメルコスールなどの地域経済共同体の成立が、国境の意味を減ずることは到底考えられない国境を超越することはさらにありえない


  (主権国家の消滅は、1918年(第一次大戦の終わった年)以前から論じられている。しかし、国民国家や国家主権に代わるべきものは何も現れなかった。むしろ1914年(第一次大戦の始まった年)以降、世界の趨勢は国家の分裂に向かっている

  今日では、広大な地域を統一していた1914年以前の帝国の数々、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、大英帝国、フランス、オランダ、ポルトガル、ベルギーの帝国、そしてユーラシア大陸でツァーが支配し、共産党が引き継いだ帝国のすべてが消え去っている。

  しかも、金と情報が国籍を失い、グローバル化したために、小国でさえ経済的に自立しうるようになったその結果、1950年以降は、自らの政府機構、軍隊、在外公館、税制と財政を持つミニ国家が次々と生まれるにいたった

  しかし、経済の領域においてさえ、税制や通貨政策を世界的にコントロールするグローバルな機関はもちろんのこと、通貨の跳梁をコントロールするグローバルな中央銀行など、真にグローバルな機関が実現する見通しは立っていない

  地域経済共同体の内部においてさえ、各国の国内政治が経済合理性よりも優先されているEU内にしても、同一企業の効率の悪いベルギー工場を閉鎖して、わずか三十マイルの近さのフランス工場に仕事を移すことは出来ない状況にある。)


三つの世界

 つまるところ、三つの世界が重なり合っているまず、金と情報に関わる真にグローバルな経済の世界がある次に、物の移動が自由であって、サービスと人の移動の障害が大幅に除去された地域共同体の経済の世界があるそして第三に、国とそのそれぞれの地方からなる、経済的というよりも優れて政治的な世界があるこれら三つの世界のいずれもが、それぞれ力を強めている

 企業にせよ、大学その他の非営利組織にせよ、これら三つの世界から逃れることはできない三つの世界を同時に生きなければならないあらゆる組織が自らの経営戦略の前提としなければならないものが、この現実である。しかし今日のところ、この現実が意味するものを理解している経営陣はどこにもいない。ほとんど暗中模索の段階にある。


  (製造業、金融業、保険業のグローバル企業の多く、おそらくはそのほとんどが、国境を越え事業別に組織されている時代である。たとえば、スペインや香港でのリース事業は同じ部門が扱っている。スペインや香港での外国為替業務とは別にマネジメントしている。

  ところが、進出先の政府や労組などいわゆる公的機関にとっては、それらの企業の事業別の組織構造など大きな関心外のことである。スペインや香港の公的機関にとっては、スペインや香港だけが意味ある存在である。

  しかるに、私の知る限りでは、経営上の意思決定や行動のうち、「いずれを事業上の必要に即して行い、何れを進出先国の事情に即して行うべきか」を事前に知りうるところまでいっている組織はひとつもないグローバル事業の一環としての必要と、スペインや香港の主権にかかわる政治的な現実の双方を同時に満足させる意思決定や行動を、いかにして行うか」を知っている企業などさらにない。)


行ってはならないこと

 しかし、すでにいくつかのことが明らかである。

 第一に、行ってはならないことである。それは、誘惑に負けて、経営上の判断をおろそかにすることである今日では、ますます多くの政府、自治体が、自らの経済力の低下を補うために、ありとあらゆる種類の餅を用意している減免税による優遇であり、高関税による保護であり、独占の約束であり、諸々の補助である

 その典型が、アメリカの南東部諸州が工場誘致のために日欧の自動車メーカーに約束した気前のよいインセンティブだった。この種のものは今日枚挙にいとまがない。その多くは、あまりほめられたものではない。たしかに日欧の自動車メーカーには、アメリカに工場進出するだけの経営上の理由があった。あるいは少なくともそう考えた。

 ところが実際には、小国への工場の進出や、現地企業救済のための進出の実に多くのものが、提供されるインセンティブの魅力だけで行われている悲惨な結果に終わることは当然と言ってよい

  

  (1960年代の終わりから70年代にかけて、アメリカのあるメーカーが南米のある小国へ工場進出した。そのメーカーは、「市場での独占を約束された」というだけの理由で進出していた。)


 昔から、「ただほど高いものはない」という。

 したがって、政治との乖離に関して肝に銘じておくべき原則は、経営上の理由以外の行動は一切慎む」ということである。いかに魅力的であっても誘惑に負けてはならない。結局は高い代償を払わされる。

 たとえ経営上の判断がイエスであっても、賄賂のごときインセンティブに対しては、ノーと言うべきである。これまでの経験によるならば、そのようなインセンティブを享受しても、結局は大きな損失を被る。

 これと関連して、行ってはならないことがもうひとつある。それは、自らの事業の定義と経営戦略に合致しない事業に進出する」ことである特に買収よる企業の拡大は避けなければならない


  (国や地方が違えば、製品やサービスも変わって当然である。例えばコカ・コーラは、フランスではジュースで成功している。日本では自動販売機によるコーヒーで成功している。ジュースやコーヒーはコカ・コーラの事業の定義と経営戦略に合致している。ジュースやコーヒーは、コーラとは異なるが、事業としては全くの同類である。)


 繰り返すならば、機会とは、経営戦略を確立することによってのみ掴むことができるもの」である。機会に見えても、経営戦略に合わなければ機会ではない。脇道である。国や政治の要請であっても、避けるべき道である。失敗するに決まっている。

 これが、行ってはならないことである。


行うべきこと

 それでは、行うべきことは何か。すでに明らかなように、二つある。

 これからは、世界中いずれの地においても、事業の発展は、投資や買収以外の方法で見られるようになる提携、パートナーシップ、合併など進出国の他の組織との協力によって実現されるようになる。すなわち事業の発展は、法的、政治的な枠組みではなく、あくまでも経済的な枠組みのもとにおいて実現される。


  (これからは事業の発展が、所有権や命令権ではなく、パートナーシップによって実現されるようになることには、いくつかの理由がある。

  なかでも特に重要な理由が、「これからはあらゆる事業が経済と政治の乖離という現実のもとで行わざるを得ないこと」である。もちろんパートナーシップも、この現実を解決する上で完璧な答えではない。問題はある。しかし、経済の枠組みを政治の枠組みから外し、両者を分離することのできるパートナーシップや提携、あるいは合併事業が、経済と政治の摩擦を緩和してくれることは間違いない。)


 もう一つ行うべき重要なことが為替変動への対応である。今日では、完全な地場産業さえ、グローバル経済の荒波にもまれる時代である輸出もせず輸入もしない企業が突然為替の影響を受ける


  (数年前のペソ暴落時には、メキシコの田舎の中小企業も大打撃を受けた。1998年のルピア暴落時には、インドネシアの田舎の中小企業も大打撃を受けた。)


 今日では、為替レートの変動に無縁でいられる通貨はない。世界中に、バーチャルな通貨、つまり実体経済における利益を目的としない通貨があふれかえっているからである。

 あらゆる国に、事業や資産ではなく、有価証券に投資されただけの尻の軽い資金があふれている。それらの投資に対する金利の支払いに必要な外貨を準備できている国はほとんどない。いわんや元本が逃避するならば、とても支払いきれない。つまり、経済的な理由などなしに移動する短期資金の犠牲にならないで済む通貨は存在しなくなったということである。


  (これは1973年にニクソン大統領がドル変動為替相場制に移行させたときの約束とは逆の状況である。当時は、為替変動は微調整程度のものになるとされた。

  だが、アメリカをはじめ、ほとんどあらゆる国の政府が、変動相場制によって得られた国内政策上の自由を濫用したために、通貨が恐ろしく不安定となった今後ともずっと不安定さは続くにちがいない政治的存在としての各国政府が、自らの政治権力を犠牲にしてまで、財政政策、金融政策を健全なものにすることは、全く期待できない

  もちろん、新設のヨーロッパ中央銀行は、地域共同体の通貨たるユーロの安定をはかろうとするであろう。しかしEU加盟国が、それぞれの国内政策よりもユーロの安定を重視するだろうというのは甘い期待にすぎない。)


 つまり、これからの経営戦略は、「通貨は野放図に動くものであり、不安定きわまりないものである」との前提にたたなければならない。すなわち、ほとんどの組織が実現しえていないこと、すなわち「為替変動への対策に万全を期さなければならない」ということである。


経営戦略の前提とすべきもの

 本章で述べた二十一世紀の現実を認識し得たからといって、組織が行うべきことが自動的に明らかになるわけではない。それをいかに行うべきかなどは、さらに明らかにしようがない。

 しかしそれらの認識は、それぞれの組織が、自らの経営戦略を考えるにあたって答えるべき問いは明らかにする。しかもそれらの問いは、経営戦略を考えるにあたって、ほとんど検討されていないものである。

 本章で述べた二十一世紀の現実を検討することなくして、経営戦略を持つことは不可能である今後数十年どころか、今後数年のうちに顕在化してくるに違いない諸々の問題に対し、準備することは不可能であるそれらの問題に対処しない限り、この乱気流の時代、構造変化の時代、経済、社会、政治、技術の転換期にあっては、いかなる組織といえども、繁栄することはもちろん、生き残ることさえできない

  『明日を支配するもの』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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