政治的な国境

 今日の世界的な規模の構造変化と乱気流の時代にあって、経営戦略の前提とすべきもう一つの新しい現実が、政治の論理との乖離の増大である

 経済はグローバル化する一方であるが、経済活動にとっては、国は障害であって、コスト・センターにすぎない企業はもちろん、その他の組織にとっても、もはや国民経済や国家に視野を限定することはできない世界的な視野にたつ必要がある

 しかるに、政治的な国境はなくならないそれどころか、EUNAFTA、南米のメルコスールなどの地域経済共同体の成立が、国境の意味を減ずることは到底考えられない国境を超越することはさらにありえない


  (主権国家の消滅は、1918年(第一次大戦の終わった年)以前から論じられている。しかし、国民国家や国家主権に代わるべきものは何も現れなかった。むしろ1914年(第一次大戦の始まった年)以降、世界の趨勢は国家の分裂に向かっている

  今日では、広大な地域を統一していた1914年以前の帝国の数々、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、大英帝国、フランス、オランダ、ポルトガル、ベルギーの帝国、そしてユーラシア大陸でツァーが支配し、共産党が引き継いだ帝国のすべてが消え去っている。

  しかも、金と情報が国籍を失い、グローバル化したために、小国でさえ経済的に自立しうるようになったその結果、1950年以降は、自らの政府機構、軍隊、在外公館、税制と財政を持つミニ国家が次々と生まれるにいたった

  しかし、経済の領域においてさえ、税制や通貨政策を世界的にコントロールするグローバルな機関はもちろんのこと、通貨の跳梁をコントロールするグローバルな中央銀行など、真にグローバルな機関が実現する見通しは立っていない

  地域経済共同体の内部においてさえ、各国の国内政治が経済合理性よりも優先されているEU内にしても、同一企業の効率の悪いベルギー工場を閉鎖して、わずか三十マイルの近さのフランス工場に仕事を移すことは出来ない状況にある。)


三つの世界

 つまるところ、三つの世界が重なり合っているまず、金と情報に関わる真にグローバルな経済の世界がある次に、物の移動が自由であって、サービスと人の移動の障害が大幅に除去された地域共同体の経済の世界があるそして第三に、国とそのそれぞれの地方からなる、経済的というよりも優れて政治的な世界があるこれら三つの世界のいずれもが、それぞれ力を強めている

 企業にせよ、大学その他の非営利組織にせよ、これら三つの世界から逃れることはできない三つの世界を同時に生きなければならないあらゆる組織が自らの経営戦略の前提としなければならないものが、この現実である。しかし今日のところ、この現実が意味するものを理解している経営陣はどこにもいない。ほとんど暗中模索の段階にある。


  (製造業、金融業、保険業のグローバル企業の多く、おそらくはそのほとんどが、国境を越え事業別に組織されている時代である。たとえば、スペインや香港でのリース事業は同じ部門が扱っている。スペインや香港での外国為替業務とは別にマネジメントしている。

  ところが、進出先の政府や労組などいわゆる公的機関にとっては、それらの企業の事業別の組織構造など大きな関心外のことである。スペインや香港の公的機関にとっては、スペインや香港だけが意味ある存在である。

  しかるに、私の知る限りでは、経営上の意思決定や行動のうち、「いずれを事業上の必要に即して行い、何れを進出先国の事情に即して行うべきか」を事前に知りうるところまでいっている組織はひとつもないグローバル事業の一環としての必要と、スペインや香港の主権にかかわる政治的な現実の双方を同時に満足させる意思決定や行動を、いかにして行うか」を知っている企業などさらにない。)


行ってはならないこと

 しかし、すでにいくつかのことが明らかである。

 第一に、行ってはならないことである。それは、誘惑に負けて、経営上の判断をおろそかにすることである今日では、ますます多くの政府、自治体が、自らの経済力の低下を補うために、ありとあらゆる種類の餅を用意している減免税による優遇であり、高関税による保護であり、独占の約束であり、諸々の補助である

 その典型が、アメリカの南東部諸州が工場誘致のために日欧の自動車メーカーに約束した気前のよいインセンティブだった。この種のものは今日枚挙にいとまがない。その多くは、あまりほめられたものではない。たしかに日欧の自動車メーカーには、アメリカに工場進出するだけの経営上の理由があった。あるいは少なくともそう考えた。

 ところが実際には、小国への工場の進出や、現地企業救済のための進出の実に多くのものが、提供されるインセンティブの魅力だけで行われている悲惨な結果に終わることは当然と言ってよい

  

  (1960年代の終わりから70年代にかけて、アメリカのあるメーカーが南米のある小国へ工場進出した。そのメーカーは、「市場での独占を約束された」というだけの理由で進出していた。)


 昔から、「ただほど高いものはない」という。

 したがって、政治との乖離に関して肝に銘じておくべき原則は、経営上の理由以外の行動は一切慎む」ということである。いかに魅力的であっても誘惑に負けてはならない。結局は高い代償を払わされる。

 たとえ経営上の判断がイエスであっても、賄賂のごときインセンティブに対しては、ノーと言うべきである。これまでの経験によるならば、そのようなインセンティブを享受しても、結局は大きな損失を被る。

 これと関連して、行ってはならないことがもうひとつある。それは、自らの事業の定義と経営戦略に合致しない事業に進出する」ことである特に買収よる企業の拡大は避けなければならない


  (国や地方が違えば、製品やサービスも変わって当然である。例えばコカ・コーラは、フランスではジュースで成功している。日本では自動販売機によるコーヒーで成功している。ジュースやコーヒーはコカ・コーラの事業の定義と経営戦略に合致している。ジュースやコーヒーは、コーラとは異なるが、事業としては全くの同類である。)


 繰り返すならば、機会とは、経営戦略を確立することによってのみ掴むことができるもの」である。機会に見えても、経営戦略に合わなければ機会ではない。脇道である。国や政治の要請であっても、避けるべき道である。失敗するに決まっている。

 これが、行ってはならないことである。


行うべきこと

 それでは、行うべきことは何か。すでに明らかなように、二つある。

 これからは、世界中いずれの地においても、事業の発展は、投資や買収以外の方法で見られるようになる提携、パートナーシップ、合併など進出国の他の組織との協力によって実現されるようになる。すなわち事業の発展は、法的、政治的な枠組みではなく、あくまでも経済的な枠組みのもとにおいて実現される。


  (これからは事業の発展が、所有権や命令権ではなく、パートナーシップによって実現されるようになることには、いくつかの理由がある。

  なかでも特に重要な理由が、「これからはあらゆる事業が経済と政治の乖離という現実のもとで行わざるを得ないこと」である。もちろんパートナーシップも、この現実を解決する上で完璧な答えではない。問題はある。しかし、経済の枠組みを政治の枠組みから外し、両者を分離することのできるパートナーシップや提携、あるいは合併事業が、経済と政治の摩擦を緩和してくれることは間違いない。)


 もう一つ行うべき重要なことが為替変動への対応である。今日では、完全な地場産業さえ、グローバル経済の荒波にもまれる時代である輸出もせず輸入もしない企業が突然為替の影響を受ける


  (数年前のペソ暴落時には、メキシコの田舎の中小企業も大打撃を受けた。1998年のルピア暴落時には、インドネシアの田舎の中小企業も大打撃を受けた。)


 今日では、為替レートの変動に無縁でいられる通貨はない。世界中に、バーチャルな通貨、つまり実体経済における利益を目的としない通貨があふれかえっているからである。

 あらゆる国に、事業や資産ではなく、有価証券に投資されただけの尻の軽い資金があふれている。それらの投資に対する金利の支払いに必要な外貨を準備できている国はほとんどない。いわんや元本が逃避するならば、とても支払いきれない。つまり、経済的な理由などなしに移動する短期資金の犠牲にならないで済む通貨は存在しなくなったということである。


  (これは1973年にニクソン大統領がドル変動為替相場制に移行させたときの約束とは逆の状況である。当時は、為替変動は微調整程度のものになるとされた。

  だが、アメリカをはじめ、ほとんどあらゆる国の政府が、変動相場制によって得られた国内政策上の自由を濫用したために、通貨が恐ろしく不安定となった今後ともずっと不安定さは続くにちがいない政治的存在としての各国政府が、自らの政治権力を犠牲にしてまで、財政政策、金融政策を健全なものにすることは、全く期待できない

  もちろん、新設のヨーロッパ中央銀行は、地域共同体の通貨たるユーロの安定をはかろうとするであろう。しかしEU加盟国が、それぞれの国内政策よりもユーロの安定を重視するだろうというのは甘い期待にすぎない。)


 つまり、これからの経営戦略は、「通貨は野放図に動くものであり、不安定きわまりないものである」との前提にたたなければならない。すなわち、ほとんどの組織が実現しえていないこと、すなわち「為替変動への対策に万全を期さなければならない」ということである。


経営戦略の前提とすべきもの

 本章で述べた二十一世紀の現実を認識し得たからといって、組織が行うべきことが自動的に明らかになるわけではない。それをいかに行うべきかなどは、さらに明らかにしようがない。

 しかしそれらの認識は、それぞれの組織が、自らの経営戦略を考えるにあたって答えるべき問いは明らかにする。しかもそれらの問いは、経営戦略を考えるにあたって、ほとんど検討されていないものである。

 本章で述べた二十一世紀の現実を検討することなくして、経営戦略を持つことは不可能である今後数十年どころか、今後数年のうちに顕在化してくるに違いない諸々の問題に対し、準備することは不可能であるそれらの問題に対処しない限り、この乱気流の時代、構造変化の時代、経済、社会、政治、技術の転換期にあっては、いかなる組織といえども、繁栄することはもちろん、生き残ることさえできない

  『明日を支配するもの』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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