マネジメント寺子屋「日新塾」

《おかげさまです思考(生命論パラダイム)に基づく「ドラッカーマネジメント」》



                ■ マネジメントとは、「組織をして生産的ならしめるもの」である。
                ■ 組織とは、「特定の目的・ミッションを共有した集合体」。       



カテゴリ : 求められる政治リーダー(P・ドラッカー)

 本稿執筆中の今、ワシントンではジョージ・ブッシュが大統領就任の宣誓を行なっている。これまでにも退屈な大統領選挙はあったが、今回ほど退屈なものはなかった。政策論争らしいものは皆無だった。この選挙では、政策を論じることによって熱烈な支持者を失う恐れがあった。民主党候補はリベラルや進歩派という民主党の核の支持を失ったに違いなく、共和党候補も保守派の支持を失ったに違いない。いずれの候補も、支持層を分裂させることなしにはプログラムを提示できなかった。

 

■政策抜きの政治

 だが、政策を避け、公約を最小限にとどめ、迫力を失っているのは、アメリカの政治だけではない。最も政権歴の長いイギリスのサッチャーさえ、在職10年間に力を入れた政策課題は三つしかなかった。労働組合の軛(くびき)からの解放であり、産業、住宅、教育の民営化であり、対米関係悪化の回避だった。これら三つ以外については、実務を処理してきたにすぎない。


 
1981年、ミッテランは社会主義の理想国フランスをつくり上げるために大統領に就任した。しかし、就任後5カ月でその夢を捨てた。爾来、問題意識は二つしか持っていない。大統領にとどまることと、友人と支持者を要職につけることである。西独の首相コールもまた、いかなる政策、いかなるプログラムも持っていない。持ち込まれる問題を処理するだけである。しかし、ドイツで社会民主党が勝ったとしても、コール流の政治が変わることはない。


 日本も同じである。
30年前には、10年間で所得を倍増させるプログラムを手に就任した首相がいた。しかし、竹下登が首相に選ばれたのは、事情通の日本の友人によれば、堅実な能力が実証済みであること、何事にも深入りしないこと、波風を起こしたことがないことによる。


 アメリカのマスコミは、
1988年の大統領選挙戦の迫力のなさを、両候補のカリスマ性の欠如によって説明しようとする。しかし全世界的な現象を、国内の要因や個人の性格によって説明することはできない。現象は一般的である。したがって、そこには共通の原因がある。アメリカの大統領候補たちは、あらゆる政策、プログラム、公約が現実味を失ったからこそ、それらのもの抜きに選挙を闘ったのだった


 今日のところ、かつての政策、公約、路線に代わるものはない。政治も政治家も退屈たらざるを得ない政策志向ではなく、実務的、個別的たらざるを得ない有権者を引きつけるかもしれないものよりも、有権者から嫌われるかもしれないものに気をつけざるを得ないマスコミや学者や評論家は、興奮、対立、選択を伴う伝統的な政治をほしがるしかし、彼らよりも政治家の方が現実を知っている。そして当選する。しかも今日の政治家は、政府は働き続けなければならないことを認識している。有能であること、波風を起こさないこと、仕事をすることが重要である個々の問題の解決が重要である


 国民が伝統的な意味における政治リーダーに不信を抱くことは正しい伝統的な政治リーダーには、アジテーターとしての役割しか残されていない。さもなくば失脚する。ちょうど大統領就任直後のミッテランが、その瀬戸際にあった。伝統的な意味の政策、プログラム、路線、姿勢はもはや不要である革命、ニューディール、フェアディール、新しい社会も無用である。スローガンにさえなりえない。


 もはや「社会による救済」も「利害による政治勢力の結集」も機能しない。いずれもリーダーシップの基盤とはなりえない。せいぜい誤ったリーダーシップがもたらされるだけである


                             『新しい現実(P・ドラッカー)』より

 
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■カリスマを警戒せよ

 新しい現実を踏まえた政治のモットーは、「カリスマを警戒せよ」でなければならない。今日、カリスマは流行である。いたるところで論じられている。本も無数にある。政治が興奮をもたらす華やかな存在だった時代に対するノスタルジアもあるだが今日、カリスマ待望は政治的自殺願望にすぎない


 (20世紀ほどカリスマに恵まれた世紀はなかったし、20世紀の4人の巨大なカリスマほど、政治的なリーダーが害をなしたこともない。スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、毛沢東である。われわれにとって重要なことは、カリスマ性の有無ではない。重要なことは、「政治のリーダーが正しい方向に行くか、間違った方向に行くか」であるしかも今日の状況下では、カリスマは間違ったリーダーシップを発揮せざるを得ない。新しい現実に向かってではなく、過去に向かって進まざるを得ない)。


 カリスマは危ない存在である。カヌート王が潮の流れを動かせなかったと同じように、カリスマといえども現実を動かすことはできない。現実こそ主人であることを知ったとき、カリスマは偏執的となる
20世紀のカリスマは、すべて荒れ狂う狂人として幕を閉じた。あらゆるものを破壊し、ついには自らを破滅させた。スターリンの粛清、ヒトラーの最終解決、毛沢東の文化大革命、みな同じだった


  (ナポレオンは、1813年と14年の戦いに敗れた後でさえ、国境内におけるフランス皇帝の地位を保障する五指に余る提案のすべてを拒否し、ヨーロッパ全体の主人の座にとどまることを要求した時、もはや健全な精神を失っていた現実は主人であるカリスマの公約、プログラム、思想に対し、現実のほうが膝を屈することはない)。


 カリスマは傲慢である。アメリカの軍人のうち、最もカリスマ的だったのがマッカーサー元帥だった。最も優秀な軍人も彼だったかもしれない。彼は、そのカリスマ性から来る傲慢さのゆえに、朝鮮戦争において最高指揮官であるトルーマン大統領の命令のみならず、中国の反攻の前兆まで無視し、無用で悲惨な軍事的敗北の道を歩んだのだった


 プログラムのないカリスマ的リーダーは何事もなしえない今日、プログラムは全く存在しない。カリスマを求めるアメリカ人は、つねにジョン・
F・ケネディを持ち出す。しかし実際問題として、ケネディ政権は何を成し遂げたか。内政的には何もしていない。外交的にはベルリンの壁をめぐって東側に敗れ、キューバに侵攻してビッグス湾で大敗し、その結果キューバを舞台とするソ連の冒険を招き、世界を第三次大戦の淵に引き込みかけただけだった。


 何がしかの政治的な実体を伴っているかいないかにかかわらず、今日カリスマ的リーダーは全く不要である目を見晴らせることなく、劇的でもなく、退屈なだけの存在であっても、波風を立てることのない有能さのほうが、はるかに望ましい

                    『新しい現実(P・ドラッカー)』より

 
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■偶然の大統領

 今世紀における建設的な成果は、カリスマ性と縁のない人たちの手によるものである。第二次大戦で連合軍を勝利に導いた二人の軍人は、有能だが退屈なアメリカ人、アイゼンハワーとマーシャルだった。


 また西ヨーロッパを、ヒトラーと第二次大戦から記録的な早さで復興させた二人の政治家は、戦後ドイツの最初の首相アデナウアーと、同じく戦後アメリカの最初の大統領トルーマンだった。アデナウアーは、
12年に及ぶナチスの恐怖と敗戦からドイツ社会を復興させた。新しいヨーロッパを生み出す上で重要な役割を果たし、そこへナチ後の孤児ドイツを組み入れた。だが彼は、学者風の地味な官僚であって組織の人間だった。イギリスの占領軍は、政治的に無能として、彼のケルン市長への返り咲きを拒否したほどだった。ハリウッドでもらえる役も会計主任といったところだった。彼が持っていたのは、カリスマ性ではなく、ヴィジョン、信仰、責任感、意欲だった


 偶然の大統領と言われたトルーマンにいたっては、カリスマ性はさらに欠如していた。もらえる役も紳士服売り場の主任といったところだった。事実、彼は紳士服売り場の主任だった。はじめて政治的なポストに着いたのは、その店が潰れたためだった。しかし、崩壊したヨーロッパを無政府状態、共産主義、絶望から救ったのはトルーマンだった彼が持っていたものも、誠実さ、責任感、謙虚さ、意欲だった

                                             『新しい政治(P・ドラッカー)』より

 
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■問題は手段

 とはいえ、われわれの前には巨大な政治課題が山積みしている。「軍拡競争を押し戻し、軍事の負担から世界を解放する」という緊急の課題がある。やがてはあらゆる国が苦しむことになる「公害から環境を守る」という人類共通の課題がある。「ロシア帝国の崩壊への対処」という外交上の問題がある。


 単一目的の利益集団に占拠された政治状況、すなわち「政治的多元主義における政府の限界と役割を見直す」という課題がある。そして、「脱ビジネス社会における多数派としての知識労働者の政治的な位置づけと役割にかかわる問題」がある。


 これらの新しい課題において、敵はわれわれ以外の誰かではない敵はわれわれ自身である伝統的な政治のメカニズムでは、この敵を扱うことはできない。しかし、希望を持てる兆しはいくつかある
25年前には想像もできなかった新しいアプローチが、成果を生み出しつつある分野がいくつかある


 わずか
10年前、地中海は公害によって死に瀕していた。しかし今や地中海の汚染は、スペイン、フランス、イタリアの協力によって改善されつつある。軍縮におけるレーガン大統領の成功は感銘的でさえある。おそらく彼自身にも予測できなかった成功だった。彼は1988年、米ソ中距離核ミサイル削減協定をまとめ上げ、世界最初ともいうべき軍備の実質的な削減を実現した。


 そして、楽観的であるために必要な最大の希望の光は、おそらく知識労働者という新しく登場してきた多数派にとって、昔ながらの政治は意味をなさないという事実にある彼らにとって、意味のあるのは実務能力だけである


 今日の課題は、いずれもイデオロギー上の問題ではない。特定の人たちの利害にかかわる問題でもない。そのほとんどは、それぞれの国家の問題でさえない。しかも対立的な問題として扱えるものはほとんどない。伝統的な政治問題として対処できるものもない。


 それらの問題のほとんどは方法にかかわるものである。軍拡競争が全人類の脅威であることを疑う者はいない。環境汚染を制御し、その進行を止めることの必要を疑う者もいない。単一目的の利益集団による政治汚染を制御することの必要を疑う者もいない。


 かつての政治は、目的をめぐる対立だった。だが諸々の新しい現実は、目的はほぼ明らかとする。問題はそれらの目的を達成するための手段である。伝統的な政治のリーダーシップは問題を中心に組織されていた。目的にかかわる対立を中心に組織されていた。しかしこれからは、政治のリーダーシップの課題は、目的にかかわる合意を中心に総力を結集することである。この道だけがおそらくすべてを麻痺させる少数派の力を抑える唯一の方法である。


 今日の政治リーダー、ブッシュ、サッチャー、ミッテラン、コール、竹下、その他彼らと同種の地味な働き中毒の専門家は、偶然にその地位に就いたのでも、過渡的な存在でもない。われわれが必要としているものは、問題への真面目な取り組み、一つか二つの最も重要な問題への集中、そしておそるべき重労働と有能さである


 しかし、はたしてそれだけで十分か。
1986年、レーガン大統領は軍備制限交渉のためにはじめてゴルバチョフに会ったとき、「2000年に核兵器を全廃することが目標である」と宣言した。しかし、世界中から笑いものにされるや直ちに後退した。彼は自らのヴィジョンに固執すべきではなかったのだろうか。われわれはカリスマもプログラムも必要としないしかし、明確な目標は必要とするヴィジョンは必要とする

                  『新しい現実(P・ドラッカー)』より

 
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