■生産性革命は終わった
生産性の急激な向上は、過去百年間で最も重要な社会的事件であっただけでなく、史上例のないものだった。
(豊かな人々と貧しい人々は常に存在した。しかし1850年に至ってなお、中国の貧しい人々は、ロンドンやグラスゴーのスラムに住む人々よりも、はっきりと分かるほどひどい状況にあったわけではない。1910年当時の最も豊かな国の平均所得は、最も貧しい国の平均所得のせいぜい三倍にすぎなかった。ところが今や、余暇、教育、医療を差し引いて、なおかつ両者の間には二十倍から四十倍の開きがある。)
生産性の急激な上昇性がなかった時代には、一つの国が先進国になるには、少なくとも50年を要した。ところが、1955年までまさしく世界の遅れた国の一つだった韓国が、20年で先進国となった。昔から当然のこととされていたものをかくも劇的に覆したのは、すべて1870年から80年にかけてアメリカで始まった生産性革命のなせる技だった。
物を作ったり運んだりすることの生産性は、同じような割合でいまだに向上している。一般に信じられているのとは逆に、アメリカにおいても、日本やドイツと同じように向上している。それどころか、アメリカの農業における生産性の伸びは、いかなる時代のいかなる地域と比較しても、ずば抜けて高い。そのうえ、アメリカの製造業における生産性の向上は、絶対値で見るならば、日本やドイツの製造業よりも大きい。なぜならば、アメリカでは基礎となる数値が依然高いからである。
しかしもはや先進国では、これまでのような生産性革命は終わった。肉体労働の分野では、その生産性が決定的な要因になるほど十分な人数が雇用されていない。先進国では労働力人口の五分の一以下である。わずか30年前には、それが過半を占めていた。
他方、今日重要性を増してきた知識労働者の生産性は全く向上していない。分野によっては低下してさえいる。インフレ調整後の数値でみると、先進国のデパートの店員一人当たりの売り上げは、1929年当時の三分の二である。1991年の教師は、1901年の教師ほど生産的でないという意見に異論を唱える人もあまりいない。
知識労働者には、研究活動を行う科学者や心臓外科医から、製図工、小売店の店長、保険会社の保険請求処理部門で働く者まで多様な職種が含まれる。だがこのように多様な知識労働者も、彼らの生産性を向上させる上で「何が役に立たないか」という点では同じである。その知識、技術、地位、給与がいかに異なろうとも、生産性を向上させる上で、「何が役に立つか」という点でも同じである。
『プロフェッショナルの条件(・ドラッカー)』より
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
白仁田の考えとは違うマネジメント・マーケティング・経営についてとても参考にしています!
コチラに参加のブログも是非参考にして下さい。