マネジメント寺子屋「日新塾」

《おかげさまです思考(生命論パラダイム)に基づく「ドラッカーマネジメント」》



                ■ マネジメントとは、「組織をして生産的ならしめるもの」である。
                ■ 組織とは、「特定の目的・ミッションを共有した集合体」。       



カテゴリ : 事業の定義について・いろいろ

 第一に、環境、使命、強みについての前提が、それぞれ「現実」に合致しなければならない


  (1920年代の初め、イギリスのマンチェスターで、サイモン・マークスと3人の義理の兄弟が、自分たちの安売り店によって社会に変革をもたらそうと踏み出したところ、ちょうどイギリスの社会構造が、第一次大戦によって根底から揺さぶられていた。ランジェリー、ブラウス、ストッキングのような、品質とセンスがよく、しかも安い商品を購入する新たな買い手が、大量に生まれていたマークス・アンド・スペンサーにとっては、それらの商品が最初の成功をもたらした

 同時に、同社は他の小売にない強みを手に入れることにした。それまで、小売りにとっての強みは買いつけ能力だった。しかし同社は、「顧客を知っているのはメーカーではなく、自分たちである」としたもしそうであれば、メーカーではなく自分たちが商品の設計と開発を行い、その仕様通りの商品がつくれるメーカーを見つけなければならない小売りの下請けになることなどを夢にも思っていなかった当時のメーカーに、新しい定義を受け入れさせるには、5年から8年を要した。)


 第二に、事業の定義に関わる三つの前提は、それぞれが「互い」に合致していなければならない GM が数十年にわたって隆盛をきわめた理由が、ここにあった。 GM は、市場についての前提生産についての前提完全に合致させた。しかも、同社はすでに20年代半ばに、他社にはない特有の強みが必要であるとの結論に達した。それが、製造プロセスの財務的なコントロールであり、投資についての意思決定手法の開発だった。こうして GM は、自ら原価計算と投資評価の手法を開発した。

 第三に、事業の定義は、組織全体に周知徹底しなければならないこれは、組織が若いころには容易であるしかし成長するに伴い、その定義を当然のこととし、特別に意識しなくなる万事が当たり前になり、手軽に済ますようになる正しいことよりも、都合のよいことを追いかける考えなくなる疑問を持たなくなる。答えを覚えていても、問題が何であったかを忘れる。事業の定義がいわば習慣となる。習慣を持って規律に変えることはできない。しかるに、事業の定義はそれ自体が「規律」である

 第四に、事業の定義は、たえず検証していかなければならない。定義は、石板に刻んだ碑文ではない。仮説にすぎない社会、市場、顧客、技術という、つねに変化してやまないものについての仮説であるしたがって、自己変革の能力そのものを、定義のなかに組み入れておかなければならない
 

『チェンジリーダーの条件(P・ドラッカー)』より

 
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何を廃棄するか

 新しいことの開始の決定と同じように重要なこととして、企業の使命に合わなくなったり、顧客に満足を与えなくなったり、業績に貢献しなくなったものを計画的に廃棄することがある

 われわれの事業は何か、何になるか、何であるべきか」を決定するための手段として、既存の製品やサービス、工程、市場流通チャネル最終用途について体系的に分析していくことがあるそれらのものは、今日も有効か。明日も有効か」「今日顧客に価値を与えているか。明日も顧客に価値を与える」「今日の人口や市場、技術や経済の実態に合っているかもし合っていない場合には、いかにしてそれらを廃棄するかあるいは少なくとも、いかにしてそれらに資源や努力を投ずることを中止するか

 これらの問いを真剣にかつ体系的に問い続け、得られた答えに従って行動していかないかぎりたとえ「われわれの事業は何か、何になるか、何であるべきか」という問いについて最善の定義を下したとしても、単に立派な手続きを取ったというだけに終わるエネルギーは昨日を防衛するために使い果たされる。明日をつくるために働くことはもちろん、今日を開拓するために働く時間も、資源も、意欲ももちえないことになる。

 事業を定義することはむずかしい苦痛は大きく、リスクも大きいしかし、事業の定義があって初めて、企業は目標を設定し、戦略を開発し、資源を集中し、活動を行うことができる事業の定義があって、初めて業績をあげるべくマネジメントできるようになる


目標を具体化する

 事業の定義は、目標に翻訳しなければならない。そのままではせっかくの定義も、決して実現されることのない洞察、よき意図、よき警告に終わる。

 ここにいう目標とは第一に、「われわれの事業は何か。何になるか。何でなければならないか」という問いから導き出される具体的な目標である。抽象的であってはならない。目標とは、使命を実現するための公約であり、成果を評価するための基準である言い換えるならば、目標とは、事業にとって基本戦略そのものである

 第二に、目標は行動のためのものである。仕事のターゲットと割り当てにそのままつながるべきものである仕事と成果にとって、基準となり、動機づけとなるものである

 第三に、目標は、資源と行動を集中させるためのものである事業活動のなかから重要なものを区別し、人、物、金という主たる資源の集中を可能にするものである。したがって、それは網羅的ではなく、めりはりのあるべきものである。

 第四に、目標は一つではなく、複数たるべきものであるところが最近の「目標によるマネジメント」をめぐる論議は、正しい目標を一つ求めている。しかしそのような目標は、錬金のための賢者の石のように益がないだけでなく、害をなし、人を誤り導く。つまるところ、マネジメントとは、多様なニーズをバランスさせることであるそのためには、目標は複数でなければならない

 第五に、目標は、事業の成否に関わる領域すべてについて必要なものである。目標の内容は組織によって違う。しかし目標を設定すべき領域は、あらゆる組織に共通している。なぜならば、事業の成否を決める要素は、いかなる組織でも同じだからである。

 企業はまず、顧客を創造しなければならない。したがって、マーケティングの目標が必要である。企業はイノベーションを行わなければならないさもなければ、陳腐化するイノベーションの目標が必要である。さらに企業は、経済学のいわゆる生産の三要素、すなわち人的資源、資金、物的資源を必要とする。したがって、人、物、金の補給、利用、開発についての目標が必要である。企業が生き残るためには、それらの資源の生産性を向上させていかなければならない。したがって、資源の生産性についての目標が必要である。さらに、企業は社会のなかに存在する以上、社会的な責任を果たさなければならない少なくとも、自らが社会に与える影響について責任を果たさなければならない。したがって、社会的責任についての目標が必要である。

 そして最後に、利益をあげなければならない。さもなければ、いかなる目標も達成できない。あらゆる目標が何らかの活動を必要とし、したがってコストを必要とする。それらのコストは利益によって賄われるしかも、あらゆる活動がリスクを伴うそれらのリスクをカバーするための利益を必要とする。利益自体は目標ではない。しかしそれは、企業それぞれの戦略、ニーズ、リスクに応じて設定すべき必要条件である

 したがって目標は、次の八つの領域において必要とされる。すなわち、マーケティングの目標イノベーションの目標人的資源の目標資金の目標物的資源の目標生産性の目標社会的責任の目標必要条件としての利益の目標である。目標は絶対のものではない。方向づけである。拘束ではない。献身である。未来を決めるものではない。未来をつくるべく資源を動員するための道具である
  『チェンジリーダーの条件(P・ドラッカー)』より

 
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定義は必ず陳腐化する

 事業の定義のなかには、長く生き続ける強力なものもある。だが、人間がつくるものに永遠のものはない。特に今日では、永続しうるものさえほとんどない。事業の定義も、やがては陳腐化し、実効性を失う

 

  (1920年代に創業し、その後繁栄してきた大企業が基盤とする事業の定義に今日生じているものが、この陳腐化である。これが、 GM AT&T IBM に生じたことであり、ユニバーサルバンクとしてのドイツ銀行に生じていることである。さらには、急速に解体に向かいつつある日本の系列に生じつつあることである。)


 通常、事業の定義が陳腐化してきたときの最初の対応は、防衛的である。現実を直視せず、何事も起こっていないかのように振る舞うその次によく見られる対応は、80年代の GM や今日のドイツ銀行に見られるように、小手先の対策である。ドイツ銀行をメインバンクとするドイツの大企業の多くが、今日突然の危機に見舞われているのは、もはやドイツ銀行の定義が通用しないことを示している。事実ドイツ銀行は、かつて意図した融資先会社の統治に関わる自らの機能を果たせなくなっている。小手先の対策は長く続かない。事業の定義が陳腐化の兆候を示し始めたときには、それまで成長の基盤となってきた前提が古くなってしまったことを認識し、自らの環境、使命、強みを、現実に照らし合わせてみなければならない

 では、具体的には何をしなければならないか。予防策を講じなければならない。事業の定義を定期的にモニターし、検証するシステムをつくっておかなければならないそのうえで、兆候を早期に診断しなければならないその結果、事業の定義が陳腐化しつつあることがわかったならば、その定義を見直し、新たな定義を行い、事業の方針と方法を変革しなければならないこうして自らの行動を、まわりの環境の新しい現実と、自らの使命として規定すべきものと、獲得すべき強みに沿ったものにしなければならない

 具体的な予防策は二つしかないしかしその二つを一貫して行うならば、水も漏らさぬ体制のもとに、事業とその定義を急速に変革していくことができる

 第一の予防策は、私が体系的廃棄と呼んでいるものである3年おきに、すべての製品、サービス、流通チャネル、方針を根本的に見直すことである。「もし今行っていなかったとして、なおかつそれを始めるか」を検討しなければならない。こうして仕事や方針を見直すことは、事業の定義を問い直すことにつながる諸々の前提について検証をせざるをえなくなる5年前に始めたときは有望と思われていたが、今日いまだに成功していないのはなぜか判断が間違っていたのか方法がよくなかったのかどこかに思い違いがあったのか

 廃棄を体系的かつ意識的に行わないかぎり、単に仕事に追われるだけになる行ってはならないことや、もはや行えないはずのことに資源を浪費するその結果、資源の欠乏を招くとりわけ、市場や、技術や、強みの変化を利用するうえで不可欠な人材が不足するそのため、事業の定義が陳腐化したときに生ずるに違いない機会に対し、攻撃的に対応することができなくなる

 第二の予防策は、外で起こっていること、特に顧客でない人たち(ノンカスタマー)について知ることである。数年前、歩きまわりのマネジメントなるものが流行した。たしかに、それは重要である。また、顧客について知ることも重要である。今日、そのための情報技術は急速に進歩しつつある。しかし、基本的な変化の最初の兆候が、組織の内部や、すでに顧客になっている人たちに現れることはあまりないそれは、ノンカスタマーに現われるノンカスタマーの数は、顧客よりも多い。今日、小売りの巨人たるウォルマートさえ、消費財市場の14%しかカバーしていない。つまり、86%は顧客ではない。


  (ノンカスタマーの変化の大切さを教える最近の例として、アメリカのデパートがある。デパートは20年ほど前の絶好調のころ、食料品を除く小売市場の30%をカバーしていた。しかも、自分たちの顧客について定期的に調査し、研究し、分析していた。しかし、顧客でない70%を占める人たちについては、関心を持たなかった。持つべき理由がなかった。デパートの事業の定義では、デパートで買い物をする余裕のある人たちは、すでにそうしているはずだったからである。たしかに50年前は、この前提は現実と合致していた。

  しかしベビーブーム世代が成人したとき、この前提が効力を失った。アメリカでは、新しい世代のなかで増えつつある最も重要な消費者、すなわち教育を受けた共働きの女性にとって、どこで買い物をするかを決める要因は、価格ではなくなっていた。時間だった。デパートで買い物をする時間がなかった。

  デパートは顧客しか見ていなかった。そのため、このことに気づいたのはわずか数年前だった。そのときには、すでにデパートの商売は干し上がっていた。ベビーブーム世代を顧客とするには手遅れだった。こうしてデパートは、顧客志向は大切であっても、それだけでは十分ではないという教訓を与えてくれた。組織は、つねに市場志向でなければならない。)


問題を早期に発見する

 問題の発生を早期に発見するには、状況の変化に注意しなければならない事業の定義は、組織が目標を達成したときに陳腐化する目標が達成される時とは、お祝いをすべき時ではなく、定義を考え直すべき時である


  (AT&T は、「すべての家庭と企業に電話を提供する」という使命を、50年代半ばに達成した。当時、マネジメントのなかには、事業の定義の見直しを主張する人たちがいた。しかし、すでに目標を達成したローカル・サービスを、成長分野である長距離サービスや国際通信から分離すべきであるとの主張は無視された。同社は数年後、苦境に陥った。その状態から脱するには、独占禁止法に基づく分割命令によって強制的に改革がなされるのを待つしかなかった。)


 急速な成長も、事業の定義の危機を意味することがある短期間に2倍、3倍に成長すれば、いかなる組織も、それまでの定義を超えて成長しているに違いない。シリコンバレーの中堅企業であっても、従業員に名札をつけさせなければならなくなると、もはやビールパーティーでコミュニケーションを図ることはできないことを知る。

 それだけではない。そのような成長は、より深いところで、事業に関わる前提や方針や慣行に、問題を投げかけていることを知らなければならない成長はもちろん、健全性を維持するためにも、自らの環境と、使命と、強みについて、繰り返し自問自答しなければならない


予期せぬ成功と失敗

 事業の定義が有効でなくなったことを示す兆候は二つある一つは、自らのものであれ、競争相手のものであれ、予期せぬ成功であるもう一つは、同じく自らのものであれ、競争相手のものであれ、予期せぬ失敗である

 

  (デトロイトのビッグスリーが、日本車に打ちのめされていたまさにそのとき、クライスラーが、予期せぬ成功をおさめた。乗用車は急速にシェアを失っていたが、ミニバンとジープが急激な伸びを示した。当時、 GM は軽トラック市場で業界トップの地位にあり、デザインと品質に抜きん出ていた。その GM が、クライスラーの成功に注意を払わなかったしかも軽トラックやミニバンは、乗用車として購入されていたにもかかわらず、統計上では商用車に分類されていた

  もし、 GM がクライスラーの成功に目を向けていたならば、自動車市場の区分や自らの強みについての前提が効力を失っていることに気づいたかもしれない軽トラックやミニバンの市場は、所得階層で区分される市場ではなかった。したがって、下取り価格の影響を受ける市場ではなかった。皮肉なことに軽トラックは、 GM 15年も前に、すでに今日のリーン生産方式によって生産していた車種だった。)


 予期せぬ失敗は、予期せぬ成功と同じように、事業の定義の陳腐化を示唆する重大な兆候である60才を過ぎてからの軽い心臓発作と同じように、真剣に受け止めなければならない。


  (シアーズは60年前、大恐慌さなかにあって、「自動車保険が金融商品ではなく、自動車アクセサリーの一種になった」と判断した。そこで、「アメリカの一般家庭のためのバイヤーという自らの使命と、自動車保険の販売が合致している」と結論した。誰もが、シアーズは突飛なことをすると思った。だが、自動車保険はただちに高収益事業へと成長した。

  その20年後の50年代にも、シアーズは、「ダイヤモンドの指輪が、贅沢品ではなく生活必需品になった」と判断した。その後シアーズは、世界最大の、しかもおそらくは最も高収益のダイヤモンド商となった。

  1981年、シアーズは「証券投資が消費財になった」と判断した。そこで、証券会社ディーン・ウィッターを買収し、その営業所をシアーズの各地の店内に設けた。だが、大失敗だった。消費者は金融上のニーズを消費財とは考えなかったシアーズはあきらめ、証券部門の営業所を店舗の外に出したところ、すぐに業績が上がり始めた92年、シアーズは証券部門を売却し、大きな利益をあげた。

  もしシアーズが証券の店内小売りに失敗したとき、それを単なる失敗の一つと見なさず、自らの本業の定義の陳腐化の兆候として捉えていたならば、実際よりも10年は早く、しかも実質的な市場リーダーでいる間に、事業の立て直しにかかれたはずだった。なぜならば、そのときシアーズは、大規模流通業が長年にわたって戦略の基本としてきた市場の同一性という前提について、JC・ペニーと同じ疑問を抱くことができたかもしれなかったからである。)


定義を見直す

 組織の蘇生というと、これまでは魔法の力を持つ奇跡の人を探すのがお決まりだった。だが事業の定義の見直しに、ジンギスカンやレオナルド・ダヴィンチはいらない必要なのは天才ではなく、勤勉さである賢さではなく、問題意識であるそもそも CEO とはそのための存在である事実、事業の定義の変革に成功した CEO は多い


  (メルク社の CEO は、高収入が見込める新薬の研究開発に注力することによって、大きな成功をおさめたその同じ人物が、事業の定義を変え、大衆薬の卸会社を買収して成功したしかも彼は、業績がよいなかでこれを行った

  同じように数年前、家電メーカー、ソニーの CEO が事業の定義を変え、ハリウッドの映画制作会社を買収した。ソフトを求めるハードのメーカーから、ハードへの需要を生むソフトのメーカーへと変身した。)

 

 このような奇跡を起こす人たちがいる一方で、同じように有能でありながら、組織をつまずかせる人たちが大勢いる。

 われわれは、陳腐化した事業の定義の見直しを、奇跡を起こす人に頼るわけにはいかない。奇跡を起こす人に頼って病気を治療できないのと同じである。実際に奇跡を起こしたと目されている人たち自身が、カリスマ性、予知能力、超能力の類を一切否定している

 彼らは、診断と分析から始める目的の実現や急速な成長には、事業の定義の見直しが必要であることを知っている予期せぬ失敗を部下の無能や偶然のせいにしないシステムの欠陥の兆候とみる。逆に予期せぬ成功についても、自らの手柄とせず、自らの前提に課題が生じていると見る。

 彼らは、事業の定義の陳腐化は、進行性の病、しかも生命に関わる病であるとする。彼らは、外科医の昔からの原則、すなわち決断に関わる原則を知っている。それは進行性の病は先延ばしにしても治らない、手術でしか治せないという原則である

 『チェンジリーダーの条件(P・ドラッカー)』より

 
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