新年 あけましておめでとうございます。
旧年中は大変にお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、『元気の素』は、2002年10月に設立を致しまして(活動開始は2003年3月)、
昨年…みなさま方のおかげをもちまして、10周年を迎えることができました。
私、上野は…1990年に、それまで勤めていた東京都○○市役所を退職し、“フリー” になりました。
つまり、「誰からも給料をもらわず、誰からも束縛されず、誰からも守ってもらわず(自己責任= “龍馬” 的に言うと「脱藩」)…自分の “存在と能力” だけで生きていく。(ちょっと大袈裟ですが…自分の力で新たな世界を創り出す)という “道” を選びました。その時に(敢えてリスクを背負うのだから)「あと30年(60歳頃まで)元気で!自分の納得する仕事をしたい。そして、ぜひとも世の中のために…」と考え、10年スパンで「Change&Challenge」する『◎◎計画(マル秘)』を立てました。
☆第1ステージ(30代)…しかしフリーになった当初は、予想どおり(!?) 仕事が全く無く、毎日がヒマでヒマで(苦笑)、でもその時にいっぱい勉強ができた。そして “ある仕事” がきっかけで…全国に名が知れるようになり、そのおかげで(結果的に)30代は、年間 200本近くの講演依頼(しかも講座以外の “単独単発” 講演ばかり)をいただき「毎年…約 40都道府県を仕事で訪れる」という “伝説” が通常となりました。
焦らずに、腐らずに、目の前のことから逃げずに…どんなことでも与えられたことは “一所懸命” やった。
依頼された仕事は全て…条件を問わずお引き受けした。あの頃は仕事をさせてもらうだけで幸せだったなぁ。
もちろん講座等も、おかげさまで毎回定員を越える盛況でした。(みなさま…ありがとうございました!)
☆第2ステージ(40代)…僕は「30代は “上野バブル” 」と、自ら命名した(自戒のためにも…笑)。
ですから上野バブル真っ直中の30代半ば頃から “シフト” を変え始めました。その具体的 “Change” が『もの』を考えるようになったことだ。それが今に至る『FUNシリーズ(※)』であります。
そこで…30代後半から40代は、それまでの講演・講座・定期指導を中心に全国行脚する『ひと』へ…の仕事に加え、FUNシリーズの考案・開発が始まりました。(そのおかげで「特許」が2つも☆☆取れました!)
それらを世に出してくださったのが、『(有)コムス』『高島屋スペースクリエイツ(株)』そして『Panasonic』等々の各企業であります。「この “出会い” がなければ…」ということで、僕はとても幸せ者であるなぁ…と思っています。(みなさまに…感謝!)
ところで、Twitter 等の、僕のプロフィールには…
「僕の仕事場は “47都道府県・全国津々浦々” で、年間の半分は、人前で話(講演等)をしています。
ちなみに…大阪を拠点にしていますが、大阪生まれでもありませんし大阪に親戚も縁もゆかりもありません。でも現在…大阪在住です(笑)」と書いてあります。
確かに10年前までは、14年間…東京を拠点に “47都道府県…” の毎日でした。
ですから「なぜ(わざわざ)大阪に?」と、多くの方から不思議そうに聞かれます(笑)。
その理由は、話せば長くなるので短くしますが…30代後半から建物の設計・監修の依頼が増え始めたのです。いわゆる『はこ』です。
その代表格で、僕が初めて “総合監修” をさせていただいたのが、大阪市生野区にある『特別養護老人ホーム 甍』なのです。そうです…今『元気の素』がある “お隣” です(正確に言うと、僕が “隣” へ行った…苦笑)。
理事長の出口秀作氏からご依頼をいただいたのが1998年。
当時、計画は半ば進んでいて、図面もほぼ出来上がっていたのですが、お会いして…僕の考え方をお話しをさせていただいた後、出口氏が一言「 “白紙” からお願いします」と、周囲をも驚かす “英断” をされたのです。それを “意気” に感じた僕はそれから完成まで、毎月…東京から大阪へ通いました。
「この世界の “常識と基準” が変わるかもしれない…否、きっと変えるぞッ!」と、夢と希望を持って。
(そんな意味で、出口秀作氏は…僕にとってはもちろん、介護界にとっても “大恩人” なのであります)
そして、まったく!今までになかった(古い常識を根底から覆した)特養ができあがりました。
それからオープン後も、毎月指導に通わせていただくことになりました。
しかし、ある時考えました「東京にいるのは毎月数日だけ。ならば“拠点”は日本中どこでもイイのか !?」と。
「今までなかった空間(はこ)で、今までなかったもの(FUNシリーズ)を使って、新しい発想(ひと)で、最重度の高齢者の “生活を変える” 」そんな場面を「直ぐ近くで実感しよう! それらを日本のために…そして未来のために “普遍化” しよう!」そう思い、それこそ “清水の舞台から飛び降りるつもりで” (笑)大阪に…そして『元気の素』を設立しました。そして、早…10年。(長々と申し訳ありませんでした)
つまり…この23年間は
100mも泳げない若造が、大海に泳ぎ出し、やがて小舟を造り、帆を張って風を受け、進路を定め加速して、10年前に “エンジン” を搭載し…(おかげさまで)現在さらに “航行中” ということであります。(笑)
そして、いよいよ「第3ステージ」に “舵” を切る時がやってまいりました。
(そのつづきは…近々にまた。少しだけ重要なお知らせとともに…)
※『FUNシリーズ』とは
「間(六角テーブル)・EASER」「FUNレストテーブル」「V6」「アクアムーブ(FUN mo-ve)」等々。