このあいだの金曜ロードショーは「火垂るの墓」でした。
スタジオジブリ、高畑勲監督による名作ですね。





小学校時代に初めて見てから、「やっぱ怖えーって」って思って長いこと見てなかったんですが、今日はもう勉強終わり!ってことにして見てました。
ちなみに今年はオバマ大統領の核廃絶に向けた演説があったせいか、なんだか夏の原爆や戦争への追悼ムードが例年より高かったように感じます。



その「火垂るの墓」ですけど。



やっぱこの年になって(?)、いろいろ新たに知ることがあって興味深い。
今日はそれについて。
※主にtwitterで教えてもらいました



久々の「続きを読む」へいきまーす



この映画の監督は高畑勲。以前の記事でも取り上げましたけど、この監督さんは明快です、いろいろ。その監督さんの言葉が深い。


「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは含まれていない」


へ??∑('◇'*)エェッ!?
日テレが2年に一度流すほど、今では「戦争の悲惨さを訴える」ものの代表的ポジションを確立した映画に対し「そんなメッセージはない」!?




どういうことか。




これはそもそも、アニメ(≒原作)にある不自然さが鍵です。

・清太は親の貯金7,000円を持っていたがこれはとてつもない大金。(当時は白米10kgで6円)
 →そう簡単に使い切れる額じゃないし、あんなすぐ生活は行き詰らない

・なぜ清太は叔母の注意も聞かず、毎日防火訓練にも職探しもなにもせず暮らしていたのか
 →叔母のいきどおりも、ある意味では当然に見えてくる



ほかにも幾つか不自然な点は見られます。なぜか。簡単です。



原作がフィクションだから。



僕もこの年になって初めて知りましたけど、「火垂るの墓」は実話といえば実話ながら、かーなり小説的改変が加わってます。

アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)
著者:野坂 昭如
販売元:新潮社
発売日:1972-01
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


<事実>

・清太や妹のモデルは作者である野坂自身
・確かに神戸に住んでいた
・空襲により家族や家を失った


<小説と事実が違うとこ>

・防空壕で2人で暮らしてなどいない
・西宮の親戚宅では妹そっちのけで、そこの娘さんとの淡い恋に夢中
・親戚の叔母によるイジメや嫌味はなかった



Σ(´д`;) マジカ



更に言うと、野坂は妹をうとましくすら感じており、泣き喚く妹を黙らせるため脳震盪を起こすほど頭をたたいたこともあったという。(!)




Σ(´д`;) イメージトゼンゼンチガウー




つまりこの小説は、

「こんな素敵な兄だったら妹もいくらかはうかばれていただろうに」

という野坂の後悔の念が色濃く投影された虚構の物語ということだ。




だからこそ、野坂小説の中に「反戦」メッセージが入り込む余地はなかったんじゃないかな。
一貫して「過去の自分の払拭」だとか「妹を荼毘に付す」ことにあったんじゃないか。

だからこそ高畑監督は「反戦ではない」と断言し、かつこうも言っている。



「兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々に通じるもの。
特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたい


ここからは個人の解釈ですケド、



この小説は野坂からの 「オレみたいになるなよ」 というメッセージなのではないでしょうか。
(実際、最後に清太は死んでいく)

清太は自らの行動を省みず、今の境遇を叔母や戦争のせいにし、たいした努力もせず、父親の帰還を神頼みのように頼り、そして大切な、なにより大切なはずの妹を死なせてしまう。
一番やっちゃいけないことを兄は、とうとう回避しきれないわけです。
しかもその責任の多くは、彼にあるという状況。


子供ならではのモラトリアムから脱却しきれなかった。

すべてがいい方向に向かうとむやみに信じていた。

自分の責任で行動することの重さを甘く見ていた。


そういう面が少なからず清太からは感じられました。
そして背中がギクリとするような感じを覚えました。
これは、完全に、現代の若者に通ずる話なんじゃないか、と。
おそるべし「火垂るの墓」。