2009年11月

2009年11月29日

「画質が写真の時間印象に与える効果」について2

pb280462

この論文で一つだけ結論にうまく収められていない違和感がある箇所があったのでそこを中心に、再度雑感など。

論文の基本的な構成は、
1. 過去的な印象を与える画質要因を調べ、
2. 論点を色相に絞り、
3. 特にセピアに注目し、
4. 過去印象がメディア特性に起因する可能性を指摘する
という流れになっている。

1では、
・標準画像
・低彩度
・高コントラスト
・高色温度
・低色温度
・黒白
・セピア
・粒状ノイズ
に加工した写真を被験者に閲覧させ時間印象に影響している要因を調べている。結果としてはセピアや黒白、色温度によって時間印象が異なるので、色彩が影響していると結論づけている。(写真内容は一応関係ないという結果のようだ。)

色彩の中でも「緑味」の強弱で時間印象が変わることが結果として出ている。緑が強いと未来的な、弱いと過去的な印象という結果のようだ。また褐色があると過去を感じるということも実験結果から読み取れる。
論文ではここからメディア特性の方へと進むが、この結果で気になる点がある。

それは「緑」について我々が持つ時間印象が、人間の本質的なところから来ているのか、それともあくまで文化的なものなのかである。
色彩については、絵画における色彩の時間印象についての先行研究があるようなのでそちらに目を通してからでないとまずいが、とりあえず自分メモとして書いておきたい。

メディア特性についてもそうだが、われわれが目にしているすべての写真や絵画はそれなりの伝統を持っており、それを創作するための、またそれを観賞するための、それを解釈するためのおおまかな枠組が決まっている。それはこの社会に深く深く浸透していて日常的には明示的に考えることもなく、いわゆる当たり前のこととして受け入れている。

被験者たちも同様で、彼らは大学生でありそういった文化的社会的背景を背負った上で実験に参加している。彼らの印象がそうだからといって、本当にそうなのかというのはもっと何かを掘り下げなければ明言はできず、端的に論点先取になってしまっている可能性を否定しきれない。

「緑は未来的な印象として表現しています。だから画を描くときには、写真を撮るときにはそのことに留意してください」という共通理解を無意識的に文化的社会的に教えられてしまっているだけなのかもしれない。
まったくわれわれと異なる土壌を持つ人々が緑をどのように捉えるのか。何か本質的に人間の認識に「緑」が関わっているのか、そこが知りたいのである。

ではどういう状況で実験すればよいのかというのは、専門の方に任せるとして、カメラ好きとして気になったのは「緑」の扱いについてである。特にオリンパスのデジカメが第2章になって以降の色の傾向について。

長くなったので、続きは次の記事で。

filmanddigidays at 12:14|Permalink 写真 

2009年11月27日

「画質が写真の時間印象に与える効果」について

pb080159

取り寄せ依頼していた論文が来たので、とりあえず雑感。

この論文は、映像情報メディア学会誌に掲載されていたもの。(書誌情報は、佐藤他「画質が写真の時間印象に与える効果」,2008, 映像メディア学会誌 Vol.62, No.3,pp.398-407。)

われわれは写真を見たときに時間の印象(現在・過去・未来)を抱くことがあるがそれはなぜかという考察。抱いたその印象に対して画質がどのような効果を持つのかについて実験した結果からその原因を推測してみるという論文。

だいぶ端折ることになるが結論としては、セピア・白黒・低色温度に過去の印象を持つデータが採れていること、さらにセピアでも明度によって彩度が異ならない画像について、過去を感じるというデータが出ていることから、銀塩プリントの「画質的特性(メディア画質)」が影響しているということを述べている。
というのも、銀塩プリントは経年劣化することで印画紙の黄色さと彩度の均質さが特徴となるようなメディアだから。
それゆえ銀塩プリントが一般的でない世代にとってみれば画質と時間の関連は異なってくる可能性があるというものである。

いろいろと示唆されていることがあるので是非当該の文献にあたってほしい。以下とりあえずセピアの部分についての雑感。

論文中でも指摘されているように、写真が持っている時間の印象は、われわれが持っていたメディアに大きく依存している。Born Digitalな写真しか知らない世代にとっては、セピアな写真を見ても「変な色」としか思わないし、そういう世代がすぐそこに迫ってきている可能性がある。彼らにとっての過去とは、画素数が少ないことであるかもしれないし、ノイズが多いことかもしれない(端的に技術が古いから古い写真という具合。対して銀塩は有体物が劣化しているという意味での古さ。)。
とにかくデジタルと銀塩の間には大きな溝がすでにできあがっていることだろう。実際に論文中でも世代間ギャップの大きさが述べられている。

ここでフィルム好きができることといえば、フィルムを憧れの対象にしてしまうことだろう。フィルムにはごく自然な「古さ」というものがあり、それがわかることはカッコいいんだぜという価値をチラ見させつつ内面化させてしまうことで、フィルムを引き継いでいってもらうことだろうか。

これらはデジタル処理でもかまわないかもしれない。大切なのは時間印象そのものを理解できるスキーマを継承していくことだからである。このスキーマが理解できていれば、古さを表現するためにセピアにするだろうし、その理由がフィルムに由来していることもわかるだろう。
デジタル処理でセピアにしたときに「何その色?キモい」とならないようにすることがフィルムを守ることであり、そうならないうちはまだまだフィルムは大丈夫なのかもしれない。

実際にセピアな写真にしてみようと思ったが、GIMPではLabモードというのが無いようだ。うーん、検証が遠のきそう。
他にもいろいろと面白い内容があるので、それはまた後日に。


filmanddigidays at 00:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 写真 

2009年11月18日

10月撮影の一枚

200909AOTO01

帰省したときに撮影した一枚。
小さいころ遊んでいた公園でノスタルジーに浸りつつ撮影しています。

かつてはこの公園でこんな風に遊んでいる写真に写っているのは自分だった。同じ場所でありながら写真に写っているのが自分ではなく自分の子供になっている。

いつの日か、この子がこんな風に孫を遊ばせている写真を撮りたいものです。

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Contax Planar 1.4/50mm
Kodak GOLD100
EPSON GT-X970

filmanddigidays at 19:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) フィルム 

とりあえずデジタルで

pb140379


広報担当ということで会場を巡りカメラに記録を残していく。
こういう場面ではデジカメがとても便利なので、とりあえずデジタルで。

夕方に見かけたこの風景。フィルムならどんな風に写るのかが楽しみですが、思いっきりとばしてしまいそうなので、おとなしくデジタルで撮っておきました。


filmanddigidays at 01:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) デジタル