2007年01月05日

でも、自分のペースを超えるのは信頼性を落とすことも間違いないな

年末に欲張って、時間内に大量にこなそうと、あせり、いい加減な結果を書いてしまった。

結局、自分のペースで、自分の領分をしっかり勤めた方が、良い成果がでる。

人と比較して、焦っても、無駄でした。

点数や、解いた量を、比較することは、結局、自分の信頼性を高めることには繋がらない。

確実に正確に、かつ効率的にであるべきだが、

急いで、無理な要求をこなすのは、やはり、大きな間違いに繋がると思います。

そんなことが、結果的に、難易度の高い模擬試験でも試されているといえる。

なんとしてでも、信頼性だけはキープしなくてはならない。

受験生諸君、度胸を据えて、自分のペースで、信頼性高い答案を一問一問完成させるようになろう。そうでないと、将来必ず大きな壁がやってくる。

そんな今だからこそ、肝を据えて、平野啓一郎 著

「本の読み方-スロー・リーディングの実践」を薦めます。

 



fine1919man at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 考えるヒント 

2007年01月03日

うなされて寝付けなくなった。。。2

寝付けなくなた・・・(なったと書かないオタクの気持ちが分かった!2度打ちタイプはリアルタイムに非効率的なんだ!!)

夜中、寝付けず、昔塾で数学で教えるのに失敗した経験、それと、最近の模試でも実力がかなり低下したことを思い知ったことを、思い起こした。

自信を取り戻すにはどうしようか?寝れなくなったので、慶大入試プレの数学と物理を復習した・・・それもアホやが・・・今年、数学検定や情報処理の資格試験を受験するのでそうでもない。とても有効のはずだ。

正確に題意をいち早く把握し、正確にスムーズに効率的に計算をできなくてはならない。

明らかに今の自分はそれが、予想をはるかに下回るレベルにとどまっている。

努力して伸びた人間が、努力を辞めれば、堕ちる。それが真実だ。

そうすると、生き延びて、さらに満足いく人生にするには
努力し続けるしかない。本気で努力の重要性を常に意識するしかない。

そう思う。

ところで、慶大入試プレのH型(医学部)の数学の靴(1)には私の別解がある。

腹痛で15分ロスったので、おそらくそれがないと、この答案を書いただろう:試験が終わったあと、すぐ3分で思いついた。

設問>
座標空間に3点O(0,0,0),P(x,y,z),P'(x',y',z')があり、x,y,zとx',y',x'の間には関係式、
x'=-2x/3 -1y/3 +2z/3
y'= 1x/3 +2y/3 +2z/3
z'=-2x/3 +2y/3 -1z/3
が成立している。但し、x^2+y^2+z^2≠0とする。
(1)
座標が(0,2,1)の点をQとする。このとき、点Pを直線OQを軸として適当な角度αだけ回転させると、点P’に一致させることができることを示せ。
(2)
こちは・・・計算するだけだ(だけど、cosとsinを高校生の時みたいに、無意識に間違えた・・・なぜだろう?実際、三角関数を考えるのは模試を受けるときの年2,3回だけだからか?・・・)

さて、(1)の別解。
ベクトルPP’とベクトルOQが垂直である⇔内積がゼロである
ことを言えば、直線OQに垂直な平面上に点PとP’が位置することが分かる。
そして、あとは、解答のように、点Pから直線OQに引いた垂線の足点Hに関し、
PH=P’Hであることがいえれば、題意は示せる。
内積ゼロはちょろっと計算するだけ。
後半は、OP=OP’であるなら、前半の垂直性とあわせてPH=P’Hであると言える。
OP'^2は計算すると、2分でx^2+y^2+z^2であると分かる。

以上でした。

電気回路の最後の方で、三角関数の合成の公式が頭の中にないので、オワタ・・・
ので、さっき、全部手計算でもとめたら、正解となっていたので安心。

といっても、公式は使わず、AsinP+BcosP=(B,A)・(cosP,sinP)を使うので、
このベクトルの間の角が、P-x :tanx=A/Bなので、
位相をP-x+π/2としてcos(P-x)=sin(P+(π/2-x))とし、tan(π/2-x)を求める必要がある。ここで、tan(A+B)=sin(A+B)/cos(A+B)に戻る必要があった・・・
そしたら、tan(A+B)=(sinAcosB+cosAsinB)/(cosAcosB-sinAsinB)にπ/2と-xを代入すると、=1/tan(A+B) = R(ωC−1/ωL)となりOK//いっとき、先にcosAcosBで割ってしまい、無限大がでて驚いたが、あの公式はtanxのxに制約があるので注意しなくてはならないことを、先ほど再確認でき、感動した。ついでに、次の公式を確認した、合成公式と、グラフを二種類(単位円と、正弦波波形)使って・・・

sin(A+π/2)=sin(π/2-A)=cosA

続く問題は、計算だけだった。
どれも普通の式変形でよい。ただ、sinP^2の時間平均は(1-cos2P)/2の時間平均として計算すると1/2だと言うことは覚えていた・・・ので計算していない。が、再度やっておこう・・・3分以内目標!???



fine1919man at 06:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 大学受験 

2007年01月01日

謹賀新年3

あけましておめでとうございます。

昨日の慶大入試プレ医学部型。

化学はかなり難問が50%。やはり、中途半端に考えてしまい、基礎的なものでも失敗。5点しか取れないあほな結果でありました。いっそのこと物理だけ二時間解けばよかったが、それでは練習にならないので、半々程度で解いたのだが・・・頭が悪くておかしな式変形ばかり発生した。どう考えても、ゼロに収束する結果が、次の問題を読み違えたため(nについての極限と、xについての極限を混同して乱雑にイメージした)、ゼロなものが、xの関数になるのかもしれないと思い込み、途中、腹痛のため15分トイレに行き、トイレで考えたが、やはり上手くいかない(ゼロはゼロだったのである)。またまた、数学のシンボル操作に対する疎遠さが、思考の根拠薄弱な混乱をもたらしました・・・

昨年の夏以来、自分に自信をなくしたためか、精神的に滅入っている状態が、無意識に続き、その状況を突破し切れていない。突破するための努力のきっかけや方向性が見えないため、手が打てない。そういった悪循環の結果であるかもしれない。

朝一番の数学。これも、確率の場合の数が重複して少なく数えて崩壊・・・普通の部分積分も、パニックでか?勘違いして訳わからん結果・・・・何もかも、式変形がしどろもどろになってしまって、悪い癖がでた。史上最悪であろう。

物理は完全答案なし、さすがに電気回路だけは最後までいけそうだった。64点だな。最後のバネの連立方程式を立てる勇気と自身がなくなった・・・(今の私には時間足りない) さらに、やっぱり、ドップラー効果の式を導き損ねた・・・。

英語はそれなりに。

反省というか?頭の悪さは直らないということでしょう。

私の場合、もっと手を動かして考えることを普段実行しないと、紙で答案を書く能力がやや低下していると思います。普段パソコンに頼る程度が予想以上であるためでしょうか。

時間と空間の限られた勝負で、精神的に優位に立ちながら、常に優れた成果を出すということは、ものすごいことだと思います。

中学から高校にかけて、家計がぼろぼろ、生活はどん底の生活で、それを跳ね飛ばすような、特技も、恋も、学業成果もなにも無く、精神的に滅入った状態(言い換えると、頭の悪い人の、気分の中身がそのまま、私の気分の中身だったとき)。そのころのことが思い起こされた。何をやっても、精神的に落ち着いて、集中して、注意深く自制して、最後まで完成されたレベル(満足できるレベル)まで達成することがない・・・・人生の失敗と言うにも値しない、人生の無駄でしょうか。

今年は、紙で書いて考えるトレーニングを定期的にすることを継続してみよう。その材料に、昨年の模擬試験の問題と、付録の過去分模擬試験問題を使えます。そして、年末に効果が現れなかったら、これは本当に自分の頭脳の限界なのだと諦め、その上で、自分の人生テーマに対する意識改革を実行したいと思います。

しかし、自信を取り戻すには、仕事の成果が、給与に現れるようにならないと、社会人の場合、無理ではないか?仕事の成果が社会的に意味のある、付加価値のある成果でないと、本当の自信はできないのだろうか?また、別の次元の自信をしっかりと持つための生き方、生活態度といったものが重要なのではないだろうか?今年は、この悩みを解消しないと、10年後はまっとうな生き方をしていないだろうと思うので、この連休はしっかりと、自信とは何かを、考えに考えつくしたい。



fine1919man at 02:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 反省 

2006年12月30日

大掃除ですね!4

今年もあと2日・・・NovaのVoiceチケットが3冊残ったまま・・・

あと二ヶ月で消費するには、毎日行くか、違う教室に転々と土日に7校ほどふらつくか・・・・

来月は台湾出張なので、しばらく通おう。

 レベル4の会話力も、既にいんちきくさいほどぼろぼろでしょう・・・ Level4 名前のiが抜けてる・・・

明日の模試の申し込みに行って、帰ったら大掃除だ・・・ Voiceにも寄るか。

因みに日本のNovaは英会話学校ですが、新竹の"Nova"はパソコン・電化製品ショップ街なのです。



fine1919man at 11:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 男女の人生 

2006年12月29日

今年最後の仕事5

昔途中で、学生に暴行を受け、1.5日分受講できなかったのに修了できたVDECのコースなど・・・

VHDLコース修了

大昔取った情報処理二種の資格もいまでは古びた・・・また取り直しだろう。高速SRAM設計の社内表彰も、チームでやった成果。来年は何かまたチームで表彰されるような(そんな制度今の会社には無いけど・・・制度作ってみるか?)

情報処理の資格など

日立には研修制度というのがあった、2年間、半導体の基礎を学びながら、あるテーマについて仕事の成果を論文?にまとめ、発表した。年に1回、設計競技会というテストがあった。私は、高速SRAM設計には関係ない設計ツールの名前や種類を覚えるのがとても苦手だった・・・

謎の設計競技会第1位?

あさっては、慶応入試プレ・・・・今から申し込みにいってこよう。いや・・・明日、奥歯の腫れが痛くなかったら行こう。



fine1919man at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 会社・仕事 

2006年12月27日

2001年4月〜12月住んだ佃寮!冷暖房なし!

月島の専売所に奨学生として勤めた約8ヶ月。

佃1丁目

クリックすると見えるピンクの丸のあたり。

向かいにフェリエという美容院があり、近くのでかいマンションに住んでいるらしい(店で配達している:田原総一郎さんが住み、松井選手もいたらしい?)作家の家田荘子さんが、金髪で店から出てくるのを見かけ、自分もそこで髪の毛を茶色ぽく染めてもらった。今思えば、理論固体物理の青木教授の顔がなんとなく引きつっていたのはその髪の色のためだろうか?(・・・あほな私は、気づかなかったが)。いや、樽茶研の大野助手が私を疑いの目でいた時か???いつか忘れたか確か、この4年生のときだ。なにやってんだろうか・・・だって、出家した荘子さんが金髪やんけ!

一箇所で500部以上(荷台付きバイクで)配っていたのは、下のビュータワーだ。ここの集合ポストを早業で配れるようになったのは、師匠のおかげ!?

ビューハイツ

ここ、極楽トンボのYAMAMOTOさんの家という噂を聞いていたのだけど・・・(真に受けないでね!そこのお姉ちゃんたち!)

ちなみにそのとき、彼のことなど知りませんでした。だって、数年TVなど観てないんだから!!

 

9月12日の早朝と、12月中旬、同専売所ないの同じ学生がら二度暴行を受け、肋骨を痛めて、バイトを辞め、本採用失格となり、奨学生も辞めて、借金して借りた金を返した。その後、再び豊島学生寮に戻り、奨学金で勉強して卒業したと言う、劇的な変動があったが、とりあえず一番落ち着いて、学生同士のチームワークで一番管理できていた店だった(売り上げ日本一?程の店らしい)。

大島から来ていた浪人生は生命科学を目指していたが、合格しただろうか?

ERの医師を目指す、青学の経済学部を卒業し、再度受験に向けがんばっていた彼にはいろいろと世話になりました。合格して今は医学部でインターン受けているかな???これ読んだら、連絡くださいね!!

いろいろ思い出がいっぱいだ。



fine1919man at 22:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 学生生活 

TOPに50から60点も差が付いた早稲田入試プレの結果2

先月日曜日、暇をもてあましてYゼミに申し込んで受験した。今年申し込み損ねた来年の数学検定の前哨戦として、年末も慶応入試プレに再挑戦予定。

先月初めて受験”早稲田入試プレ”の成績

もし本当に行くのなら、TOPとって、入学金や授業料を免除にしてもらわないと金は無い・・・因みに、今回の結果から、それは無理と言うものでしょう。

行っても、大学院の音声認識LSIを研究している教授のところかな・・・。

とにかく、化学を解く本当の力を増やしたいのであるが・・・

いい加減、大晦日誰か止めて、遊びに誘ってくれないかなあ・・・?!

受験生にはどんどん負けてゆくなあ・・・



fine1919man at 22:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 大学受験 

1年休学の後、奨学生として夏に復帰したものの・・・・3

2000年春から、理学部物理学科3年生として復学した。はじめは、豊島学寮に住んで、早稲田大学商学部の掃除扶をして通学していたが、夏の暑さに耐えられなさそうなのと、学費が必要なのとで、思い切って本郷前の専売所に面接に行ったら、半年とりあえずきちんと奨学生扱いで雇ってくれた。

しかし、代配という結構厳しい仕事で、かつ集金、拡張、電話当番毎週月曜8時〜10時、折込当番毎週日曜午前中〜昼過ぎまでを皆がこなしているので、それが条件だった・・・・この半年は普通の店の1年分、先日の池の上の店の2年分の労力を費やしたと思われた。もっともハードで、もっとも思い出深い店であった。

店はその当時、下図のピンクの○印のところと、少し南の大通りに面したところの2件に分かれていて、この印のところに男子学生4人が住み込みで働いていた。石川県の同郷である、ものすごい足の速いボクサーのような体力をもつ学生と、早稲田を目指すなんとなく松田優作に似た3浪生と、代々木アニメーション学院で声優をめざしている子と親しくなった。

ASA本郷前

図の左上あたり・・・

右は東京大学の正門の銀杏並木と安田講堂です。

正門真正面にコンビニがあり、冬はそこでよく夕刊の途中であんまんを食っていた・・・

安田講堂の真後ろに新築ホヤホヤの、有馬名誉教授が建てさせたといわれる、理学部1号館があり、3年次はそこで、物理学演習、物理学実験を行った。下図のように、後ろにそそり立ってしまっています・・・

3D1号館回り

 

 

←こいつらが、奥が1号館、手前が4号館です。

4年生となる春には、実験や演習がハードになるので、この店から逃走し、大変運良く、月島の専売所を発見し、そこで1年契約の奨学生をはじめることになりました。

代配では、この北西の区域、西の区域(春日通りまで)、そして北東の坂を下った根津?付近の区域(物理学科のはるかさんがデートしているのを見かけた!)+東大農学部を自転車で配達したので、へっぺれけにつかれた・・・演習と実験のため夕刊を平日二日休み、その代わり朝刊は”毎朝”休み無く(新聞の日以外)配った!!つまり、付随業務のことを含めると、殆ど休み無く活動、思考していた日々であった(このとき私は35歳だよ!精神年齢は22、3歳だが・・・)オマケに日曜日の午後運動会でダッシュする日もあった・・・。7日程、池之端の区域の代配を手伝ったが、これも結構大変だった。この区域は美人の心臓の強い、音楽専門学校に通う女の子が担当で、ほんと、この店には女子が彼女のほか、御茶ノ水女子大家政科3年生、音楽学校ボーカル科の娘、写真専門学校の子、そして、もうひとりメガネの小柄な娘、あわせて5名が他の男達6人とともに同じ釜の飯を食って(なんと、毎週土曜日はオリジナルカレーの日で、常に御茶ノ水女子大家政科3年生による手作りであった!いつもご馳走様でした。感謝です!)いたのでした。ですが・・・単位は結構落としましたね・・・(和達先生の新しい内容の物理数学靴呂海稜不可をくらい、翌年月島から通学して優を頂きました)

よく生きて卒業できたものだと感無量です。ここで生き抜いた学生は何をやっても生きてゆく根性が叩き込まれたはずに違いありません!

ホントものすごい思い出になった・・・少々大げさですかな?

おーい、みんなー、元気か!?



fine1919man at 00:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 学生生活 

2006年12月26日

物質を理解することの根幹には化学が必要ですね!5

1990年に初めて会社に入社してすぐ、コンピュータープログラミングが仕事の大切な一部であると、思い知らされたのです。今でいう、C++やRubyなどのような高級言語というよりも、マシン語よりのプログラムですので、ライブラリの使いまわしがどうとかは、全く知りませんでした。半導体メモリーをテストして、良品として出荷するには数億円するテスターを使って、効率的に信頼性高く不良品と振り分ける必要があり、そのためには、担当製品ごとにテストプログラムを設計者が書ける必要があったのです。

ところが、1989年から90年春にかけては、私のやっていたのは、大学での結晶作りと、ESR実験用サンプル作り。電子工学科の中の光物性研究室とはいえ、分子量から試料の適量を精密天秤ではかり、試験管をガスバーナーで加工して、アンプルを作成するのは、まさに化学者の仕事でした。

ドラフトチャンバーの中に、臭素Br2の液体の入ったビン?(いやいや、臭素は入れやすいように、あらかじめ小さいガラス管に封じているので、このガラス管に傷をつけたもがこれ)と、固体サンプルの入った試験管を用意し、左手でガラス管を加工しながら、右手で、少量の(気化するとちょうど試験管に充満する程度に、空気を外に追い出す量だけ)臭素をサンプルに加え、つづいて、右手を近くに持ってきておいたガスバーナーに持ち替え、噴射調整し、まずバーナーの炎で臭素のビン?のふたをする。続いて、臭素が空気を十分追い出したころに、サンプルの入ったガラス管をバーナーの炎で溶かして封じる。こうしてできたアンプルを、電熱線を巻いて作られている、ストック・バージャー炉の中で、約300〜400℃で(試料が溶けない、できるだけ早く反応が進む温度)温度を試行錯誤しながら、料理する?のだった。

2度くらい、「ぱんっ!」と言う音と共に、アンプルを爆発させ、臭素ガスを排気させることを繰り返しながら、やっとそれらしいサンプルを一個つくったところで、タイムアップ。卒業論文を書く必要があったため、実験計画やサンプルの収率や精度の目標を立てることも無く、とっとと、光学測定結果をまとめた。このころは、生まれて初めて、ワープロを打つだけで、冷や汗ものでした・・・

物性の研究は、化学の知識と経験がないと、オリジナルは出せないとこのとき思い知ったのでした。その後、基礎力不足・知識不足のまま家族を見捨てて研究を続けることはできず、修士課程を途中で辞めて、会社で稼ぐことに決めたものの、
このような泥臭い仕事は、十分な知識を持った上で体系的にトライするならば、とても充実した日々が送れる仕事だ、と思うようになりました。

そんな理由で、化学を勉強したくて、二度目に東大理科二類を受験したのでした(東京理科大理学部化学科・応用科学化を滑り止めにして)。

実は理由はもうひとつあって、福井大学工学部の4年生の実験が原理的に本当に期待される実験なのかどうか?自分の頭で考えることができるようになりたくてしょうがないからでした。果たして、臭素Br雰囲気中で、試料ないの分子間結合に銅原子がインターカレートしうるのか?イオンのCu++かCu原子なら、最外殻に不対電子があり、ESR測定にかかる可能性がある。前者は電気的中性を保つためには、再結晶や、結晶合成でないと組み込めるわけが無く、後者の原子の状態で層間に進入しなくてはならない:その時にはレドックス反応が正方向に進む必要があり、臭素イオンは解離後、臭素などの中性分子になる必要がある。もっと平衡状態を臭素がCuBr2からどんどん解離する方向にずらす媒質はないだろうか?写真の撮影・現像の仕組みが応用できないだろうか?もっと、化学の文献を読めなくてはならない。一方、原子のサイズが分子層間のサイズに対し、大きすぎても小さすぎても駄目だろう。クーロン力学的にだけなら、PCで量子モンテカルロシミュレーションを実行することもそのうちできるので、確認可能だろう。その実行のためには、効率的なプログラムを自分で書けるようになるしかない。

このような経緯でして、
会社に入って初めてパソコンを覚え、やっとのことで、マシン語を覚え、C言語のプログラムで初等力学の問題を解いたりすることで遊んだりしました。

したがって、基本的にはプログラミングの得意な人間ではないですね。
電子工学科2年生のときのFortranの講義は課題3つのうち、1つは自力でデバッグしたけど、僕の得意なのは"こんなもの"じゃないと思い、その後レポート無提出で諦めたくらい、ひどいものだった・・・お給料もらうためには仕方なく覚え始めたのがいい薬だったと思えます。

それから、10年後、私は、HEMTをつかって、直接露光マスクや、EB露光装置を使って、量子デバイスを手作りする経験もさせてもらいました。剃刀で切り出したサンプルは1mm×1mm×1mm程度の大きさのチップ。サイコロをレジンで固定し、金ワイヤを手でボンディングして試料をつくる。このときは、今素粒子を研究する博士学生のS君がいつのまにか、ボンディングテクニックを体得していたので重宝し、彼に任せましたが・・・(内心、やりゃあ、誰でもできるのだ!と思いつつ(笑)嫉妬・・・)確か、7〜8Kくらいまで、電磁石もつかって、スタンフォード社の低温装置で冷却した時の、素子のコンダクタンスが量子化されているのを測定し、感動したものでした。貧乏人の私はそのような研究を続けるため大学院に進学するためにはお金も無く、受験勉強もしていませんでしたので、サンプルのすべての特性を確認するまではできないままですね。しかも、生活のため、毎日朝刊を配達し、夕刊配達も週5日あったので、十分コミットできませんでした(残念)・・・

あれは、どの程度ものになったのかなあ???それは研究室の秘密でしょう!



fine1919man at 09:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 考えるヒント 

2006年12月25日

1998年駒場の近くの新聞店へ

吉祥寺駅前の店から、諸般の事情で、井の頭線沿いの大学近くの専売所に配達のみの奨学生として異動させていただいたのが、1998年の春。

残念だったのが、付き合い始めた?非常に年下の女子学生の友達?とお別れになってしまったことだ。同じ吉祥寺の新聞奨学生であった彼女とは、一度府中競馬場でデートし、しかも、すべて予想が外れたという貴重な経験をしただけで、私が異動後、一度携帯に向こうから連絡が来ただけで、それ以来全く音沙汰なしとなってしまった。当然こっちは進学振り分けで全く余裕が無く、いかに点数を取るかで日々頭が一杯なのであったし、むしろまた、基礎科学実験や体育のテニスやソフトボールが気分転換としても結構楽しかったので、あちらはあちらでがんばってくれるだろうと、連絡の来ない限りこちらからアプローチするような気持ちにはならなかった。よくあるパターンの自然消滅だ・・・(映画「春の雪」のようなブルジョアの香りは全くしなかったが)。いずれにしても、貴重な思い出である。

例の異動場所は下図にあたる。

池ノ上

駒場まで新聞配達の自転車でそのまんまで5分強!!ありがたかったです(昔自分が葛飾区の店で奨学生として御茶ノ水の駿台予備校の午前部理一に通っていたときに憧れたはずの、まるで夢を見ているかのような日々でした。あの年も雨が多く朝刊配達後のシャワーも洗面器の列が待ち行列だった結果、朝一の秋山仁師や今は亡き伊藤和夫師の講義には行けなくなり、自暴自棄になった辛い思い出・・・)。

下図のように、隣が東大駒場前の駅なのだ!山を少し上れば後は一気に正門まで下り坂だった・・・

池ノ上駒場

 



fine1919man at 23:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 学生生活