プロフィール

2006年10月20日

やはり一昨日はカレー4

納豆オクラ納豆とオクラのシチューカレーは¥900。

結構納豆の香りが広がりまくる・・・

今度、会社の若者5〜6人で押しかけて、全員でこれを注文したら、店の香りはどうなるのだろう??

 

少し心配になるくらいであった・・・味は悪くないですね。

外食を楽しむというよりも、健康的としか言いようのない面もありますが。



fine1919man at 09:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年09月15日

ゲーム代わりにトライしたあほ・・・

3年前のおっさんの京大実戦模試にて・・・思い立って、金出して、受験生に混じったのだった。

恥知らずな一位

この志望学科だけ平均点が低く、1人だけランクされてしまったのだった。

後輩も受験しよう!

小松明峰の後輩も、社会恐怖に負けず、アグレッシブに、ゲーム感覚で挑戦しよう!



fine1919man at 00:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月19日

私の紹介1

大阪生まれ 1964年
小学5年生のときラ研という通信添削を受けさせてもらい、
電気・電子回路にしたしんだおかげで、灘中の入試問題でも
理科だけは満点取れるようになった小6時代しかし、算数、国語、社会は落第・・・
父の町工場がつぶれ、石川県小松市に転居 中学1年夏
野球部の補欠で体力をつけた
電話もなく、風呂もなく、銭湯には週に2回くらいしかいけず、
歯医者にもいけない極貧の4人姉弟妹と暮らした時代、
高校野球にあこがれ、勉強は踏ん張らず、適当に小松明峰高校に進学
5人兄弟姉妹となり、さらにしんどい生活で、野球部も中退
勉強は英語しかできなかった
貧乏を脱出するのには、頭が悪く、父のように人にだまされるのはいやなので、自然科学を学ぼうと徐々に決心していくが、勉強の仕方はわからない・・・気づくのが遅い(野球にはまったが、結局肩を壊した)
毎年国立大学を1校受験するが、共通一次で失敗を繰り返し、
かつ毎年偏差値を5〜10あげで挑戦し、3度目には理系に転向し
いきなり東大理科一類をなめて足切りにあう。
一年後輩との付き合いで、数学の微積分を独習し、大学への数学の学コンで二人で半分ずつといたら満点だったので、調子こいてしまった・・・
さらにその春、挑戦心から、上京して新聞配達奨学生として、駿台の選抜試験を受験し午前部理科一類に331番で入学した・・・これが無理なことだった
(理科の勉強の仕方がわからんのだった:一年や二年で化学が身につくほうがおかしいと思うが・・・・誰も止める身内はいなかった:というか身内には夢も希望もなかった)
結局、二次募集で合格したで福井大学工学部電子工学科に進んだ。
が、貧乏には電子回路やコンピュータとは縁が遠く、
理論物理に興味快楽を覚えたものの、ここの講義は古い内容で、物理の基礎はまったく幼稚なものだけだった・・・・といって、独習するのは無理だった:K主任教授に応用物理学科に移動したいといったが、前例のないことはできないといわれ、かつ、説得もできないガキだったので引っ込んでぐれて、部室で無料で遊べたドラムにのめりこんだ4年間だった。


fine1919man at 08:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)