2005年03月18日

日限萬里子

2005年3月14日、日限萬里子さんが死んだ。

思えば、今から約25年前、日限さんがプロデュースした
アメリカ村のディスコ・パームス
大晦日パーティは、当時伝説になっていた。
大学に入った頃、パームスのそのパーティはもうなくなっていた。
僕は結局、行けなかったのだ。

大学の頃、南堀江の西の外れに、確か「life」という名だったと思うが
小さい箱のディスコがあった。
そこも、記憶が確かなら日限さんだったように思う。
この頃、「日限さん」という名は、あちこちでよく耳にしていたような
ことを漠然と覚えている。
何度か遊びに行ったが、ご本人と遭遇することはなかった。

今から10年ほど前、そのディスコの跡地に、
シーラカンス」という名のレストランバーができたときは、
当時の仕事場が近かったこともあり、結構足を運んだ。

そこも日限さんがつくった箱で、当時よくご本人も
そこに来ておられたようである。
僕の知人はよくお会いして、談笑したりしてたのだが、
僕はいつもすれ違いだった。

お亡くなりになられる直前、
関西のクリエイターをまとめる新規事業プロジェクトを
NPO型でやろう、というプランが、
日限さんが中心になって始まる予定だった。
その文脈で、近々僕が日限さんとお会いするセッティングに
なっていた。

長い年月をかけ、お名前とご活動の軌跡だけをずっと
耳にしてきたあの方と、ついに会うのか、と楽しみにしていた矢先、
突然の死である。

仮通夜に伺い、その場で初めてお顔を見た。
こんな形でお会いすることになるとは、なんとも
「生前のご縁」がなかったのだなあと。


4月3日、16時から「イベント葬」が盛大に行われる。

昨日は、たまたま、彼女がつくった最後の店、「ミュゼ大阪」で
夕食を食べた。
弔いの気持ちで、昨日の夜を過ごした。


彼女の大きな足跡を、
何かの形で未来へ繋いでいきたいと、
「死んでからのご縁」を繋いでいこうと、そんなことを思っている。

合掌


fireworks555 at 06:57│Comments(0)TrackBack(3)WORK 

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2. 日限萬里子さんの死  [ 思考遊戯主義〜Bな男塾〜 ]   2005年04月10日 20:15
 約一ヶ月前、3月14日に日限のおばちゃんは亡くなったらしい。僕にとってHANAKOやMEETSに出てくるおばちゃんは憧れの存在だった。ディスコブームの時にQOOのオーナーをやっていてブームが去る直前に売り払って当時、廃墟と化していた堀江にMUSEを作った事。何もかもが人
3. アメ村のママ、日限萬里子さんの想い出  [ 神戸っ子の“目指せ!道楽の達人” ]   2007年06月24日 01:19
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