2012年01月31日
近況:SEAA5
国際東アジア考古学会第5回世界大会に関連して、以下の発言をTwitter(mizog88)とFacebookにておこないました。
「SEAA5 の準備をしていて折に触れて思うこと:日本考古学は、海外の考古学者にとっては、ドライにいって、いまだに「謎の国」。たしかに断片的な情報は伝わっているし、先端<技術>的交流は深まっている。しかし、全体像となると、本当に、くやしいくらい、知られていない。
ましてや、そこから、World Archaeologyに貢献するような一般理論的・方法論的成果が出てくるなどとは、思われていない。例外はいくらでもあげられるだろう。しかし、僕の経験のなかで、この印象は圧倒的だ。なぜなら、僕自身が、なんどもくやしい思いをしてきたからだ。
意図的に変えようとしないかぎり、状況は決して変わらない。残酷な近代史や言語障壁に、ルサンチマンをいだいてもなにも始まらない。一本の英語プレゼンをすること、一本の論文を国際誌に投稿することから、すべては始まる。そこからしか、何もはじまらない、なにも。」
「SEAA5 の準備をしていて折に触れて思うこと:日本考古学は、海外の考古学者にとっては、ドライにいって、いまだに「謎の国」。たしかに断片的な情報は伝わっているし、先端<技術>的交流は深まっている。しかし、全体像となると、本当に、くやしいくらい、知られていない。
ましてや、そこから、World Archaeologyに貢献するような一般理論的・方法論的成果が出てくるなどとは、思われていない。例外はいくらでもあげられるだろう。しかし、僕の経験のなかで、この印象は圧倒的だ。なぜなら、僕自身が、なんどもくやしい思いをしてきたからだ。
意図的に変えようとしないかぎり、状況は決して変わらない。残酷な近代史や言語障壁に、ルサンチマンをいだいてもなにも始まらない。一本の英語プレゼンをすること、一本の論文を国際誌に投稿することから、すべては始まる。そこからしか、何もはじまらない、なにも。」
2011年12月08日
近況55
第33回英国理論考古学グループ大会がいよいよ近づきました。
私は:
Time for a Change? Practice Theory and Tradition in Archaeology
座長とペーパー一本、
Life After ‘Death’: How We Do Theory and What Theory Should Do for Us
でペーパー一本を報告してきます。
前者ではLuhmannの社会システム論とGiddensの構造化理論の節合が考古学にもたらし得るブレークスルーについて、土器を用いたケース・スタディで発表します。(ただ、なぜか、abstractsをアップしてくれていません。)
後者は、最近の(悪しき)トレンドになっている'The death of archaeological theory'という身振り・物言いに対して、その「あり得なさ」を、考古学史と/としての近代をケースに、「理論的」に話してきます。
冬の底の、冷たく暗いイギリスで、初心にもどってきます。
私は:
Time for a Change? Practice Theory and Tradition in Archaeology
座長とペーパー一本、
Life After ‘Death’: How We Do Theory and What Theory Should Do for Us
でペーパー一本を報告してきます。
前者ではLuhmannの社会システム論とGiddensの構造化理論の節合が考古学にもたらし得るブレークスルーについて、土器を用いたケース・スタディで発表します。(ただ、なぜか、abstractsをアップしてくれていません。)
後者は、最近の(悪しき)トレンドになっている'The death of archaeological theory'という身振り・物言いに対して、その「あり得なさ」を、考古学史と/としての近代をケースに、「理論的」に話してきます。
冬の底の、冷たく暗いイギリスで、初心にもどってきます。
2011年11月19日
近況54
若い同僚から、
Knappett, C. 2011. An Archaeology of Interaction: Network Perspectives on Material Culture and Society. Oxford: Oxford University Press.
に、私の
Mizoguchi, K. 2009. Nodes and edges: A network approach to hierarchisation and state formation in Japan. Journal of Anthropological Archaeology, 28(1): 14-26.
が引用されていることを教えてもらいました。ネットで確認できる限りでの、同論文の10件目のcitationです。2年間でのこの数字は、同誌のcitation indexが7前後であることを考えると「まあまあ」と考えられますが、この分野でもそろそろ二の矢をつがえないと、置いてけぼりを食いそうな状況になってきました。
国内でも、ネットワークをキーワードにして研究集会が行われるようです。(第17回東北・関東前方後円墳研究会『東日本における前期古墳の立地・景観・ネットワーク』)
最近では、Mizoguchi 2009(上掲)の肉付けを『古代学研究』191号: 28-25, 41-44 で素描しましたが、弥生関連のものを早く論文化しなければと心があせります。
身体が二つあればと思いますが、これは人間の定めです。
じりじりと進んでゆくしかありません。
**********************I have to walk away from the forest of resentment, and walk into where endless endgame awaits.****************************
Knappett, C. 2011. An Archaeology of Interaction: Network Perspectives on Material Culture and Society. Oxford: Oxford University Press.
に、私の
Mizoguchi, K. 2009. Nodes and edges: A network approach to hierarchisation and state formation in Japan. Journal of Anthropological Archaeology, 28(1): 14-26.
が引用されていることを教えてもらいました。ネットで確認できる限りでの、同論文の10件目のcitationです。2年間でのこの数字は、同誌のcitation indexが7前後であることを考えると「まあまあ」と考えられますが、この分野でもそろそろ二の矢をつがえないと、置いてけぼりを食いそうな状況になってきました。
国内でも、ネットワークをキーワードにして研究集会が行われるようです。(第17回東北・関東前方後円墳研究会『東日本における前期古墳の立地・景観・ネットワーク』)
最近では、Mizoguchi 2009(上掲)の肉付けを『古代学研究』191号: 28-25, 41-44 で素描しましたが、弥生関連のものを早く論文化しなければと心があせります。
身体が二つあればと思いますが、これは人間の定めです。
じりじりと進んでゆくしかありません。
**********************I have to walk away from the forest of resentment, and walk into where endless endgame awaits.****************************
2011年11月14日
近況53
2011年11月11日
近況52
九州大学百周年記念国際シンポ“Cultural Diversity in a Hundred Years: Prospects and Policies”(2012年1月7〜8日.九州大学西新プラザ)にて報告・討論参加します。
文化財、世界遺産、民族分断と文化財と国際法、真正性、本質主義、これらと考古学との関連性、などなど、について、国際的なエキスパートが集まって討論します。僕も、精一杯の報告と討論参加をするつもりです。
どうぞご参加ください!
文化財、世界遺産、民族分断と文化財と国際法、真正性、本質主義、これらと考古学との関連性、などなど、について、国際的なエキスパートが集まって討論します。僕も、精一杯の報告と討論参加をするつもりです。
どうぞご参加ください!
2011年08月07日
近況51
この東の、暑く湿った国では、夏が死ぬ頃に、すべての想い出が還ってくる。僕たちに、それでも普通の顔をして、生きてゆかねばならないことを、思い出させるために。
人間は、やり過ごしてきたのだから。西のはてのあの島で、地面を掘ったり埋めたりしながら。東のはてのこの島で、不思議な形に土を盛ったりしながら。
やり過ごしながら、ひとびとがやり過ごしてきたやり過ごし方を、掘り出し、考え、書いてゆくしか、ない。
今日、そんなことを考えました。
**************************At times it feels unbearable to be chronically exposed to ressentiment, but life has to go on.*******************************************
人間は、やり過ごしてきたのだから。西のはてのあの島で、地面を掘ったり埋めたりしながら。東のはてのこの島で、不思議な形に土を盛ったりしながら。
やり過ごしながら、ひとびとがやり過ごしてきたやり過ごし方を、掘り出し、考え、書いてゆくしか、ない。
今日、そんなことを考えました。
**************************At times it feels unbearable to be chronically exposed to ressentiment, but life has to go on.*******************************************
2011年08月03日
近況50
7月11日から8月1日まで、イギリスのヘリフォード州で、新石器時代前期のHill-top enclosures (the Early Neolithic)の試掘調査をおこなってきました。マンチェスター大学とヘリフォード州考古局との合同調査です(http://bbc.in/neXc3j)。担当したWindy Ridge地点では、2×16mのトレンチを手堀りで開けて埋め戻す荒技などで、すっかり疲労しましたが、最終日ぎりぎりで、溝底部からleaf-shaped arrowheadの破片がようやく検出され、狙い通りの遺跡である可能性が高まりました。来年から3年計画で、調査をすすめてゆきます。プロジェクト全体の狙い(2km半径以内に存在する三つのenclosuresの性格・機能の解明、圏内に存在するlong barrowとの関係の解明、等、social archaeologyの実践)とは別に、個人的には、縄文・弥生集落、社会との比較研究も志向してゆきます。
参加した三名の院生の活躍に、拍手と感謝を送りたいと思います。
参加した三名の院生の活躍に、拍手と感謝を送りたいと思います。
2011年03月21日
今、即、私に実行できること
今、即、私に実行できること。海外考古学関連学会等に連絡・アピール等必要な場合、私の能力の限り文章作成、連絡等をおこないます。ご連絡ください。
☆急ぎのご依頼・お問い合わせはTwitter、mizog88までおよせください。*
*2011年3月28日追記
☆急ぎのご依頼・お問い合わせはTwitter、mizog88までおよせください。*
*2011年3月28日追記
2011年03月01日
番外(非特殊)
Manuscript, "The Archaeology of Ancient Japan: From the Earliest Rice Farming Villages to the State"が、ケンブリッジ大学出版局にアクセプトされました。
世界考古学の言説空間は、暴力的に単純化すると、二層構造になっていると思います。一層目は、おおまかに、欧米。もっと細かくいうと、合衆国、英国、場合によってはオランダとスカンディナヴィアもこれに入ります。二層目は、それ以外。
一層目は、<理論化/理論生産>を、自らの<縄張り>のケース・スタディを事例にしておこないます。
二層目は、一層目で生産された<理論>を参照したり、しなかったりして、自らの<縄張り>のケース・スタディをおこないます。
一層目は、二層目のケース・スタディを時々参照して、自らの<理論化/理論生産>をおこないます。
一層目は、二層目の<理論化/理論生産>の成果/動向は[言語障壁の存在によって(と認識される場合が多い...)]ほとんど参照しません。
このような構造が/を再生産する言説空間を、どのように生きるのか?
ひどくひとりよがりに、ひどくわがままに、やってきました。
--------------------
外は、ほのかに明るい、春の雨です。今日は、すこしだけ、笑います。
世界考古学の言説空間は、暴力的に単純化すると、二層構造になっていると思います。一層目は、おおまかに、欧米。もっと細かくいうと、合衆国、英国、場合によってはオランダとスカンディナヴィアもこれに入ります。二層目は、それ以外。
一層目は、<理論化/理論生産>を、自らの<縄張り>のケース・スタディを事例にしておこないます。
二層目は、一層目で生産された<理論>を参照したり、しなかったりして、自らの<縄張り>のケース・スタディをおこないます。
一層目は、二層目のケース・スタディを時々参照して、自らの<理論化/理論生産>をおこないます。
一層目は、二層目の<理論化/理論生産>の成果/動向は[言語障壁の存在によって(と認識される場合が多い...)]ほとんど参照しません。
このような構造が/を再生産する言説空間を、どのように生きるのか?
ひどくひとりよがりに、ひどくわがままに、やってきました。
--------------------
外は、ほのかに明るい、春の雨です。今日は、すこしだけ、笑います。
2010年10月19日
特殊番外 全 後記
2010年10月16日に開催された日本考古学協会臨時総会において、連合王国(イギリス)セインズベリー日本芸術研究所への日本考古学協会蔵書の移管を提案する日本考古学協会理事会提示議案は否決されました。
当該臨時総会において、私は、以下の発言をおこないました。* (例によって、註も必ずお読みください!!)
--------------------------------------------
「福岡の溝口です。真摯な意見交換に感銘を受け、深く感謝いたします。私の以下の発言は、協会理事会議案を支持するものでありますが、会員の皆様の議決権行使の結果がどのようなものとなりましても、将来への私の日本考古学協会員としての希望を主題とする発言といたしたいと思います。その旨お含みおきいただきたく存じます。
私は、いわゆる「国籍条項」を除外して、協会蔵書移管希望機関を公募され決定された、考古学協会理事会に、大いなる敬意を表します。
日本考古学協会は、英語では”The Japanese Archaeological Association”と正式に表記されていると思います。「日本「の」考古学協会」、これは、どのような人間集団の利益を代表するのでしょうか?
第一に日本国民である考古学者の、日本国内における活動の、利益。加えて、日本国民で、日本という領域国民国家の外で、種々の考古学的活動をおこなう日本国民の考古学者の、利益。そして、日本国民でない人々で、日本(国内)の考古資料に興味を持ち、研究をする人々の利益。そして、日本の、日本国内の、そして、もしくは日本国民が日本国外でおこなう考古学すべてに興味を持つ、世界のすべてのひとびとの、利益。これらを、The Japanese Archaeological Associationは代表しているはずです。そして、これは、諸外国の考古学的組織、国際的考古学組織、学協会においてもそうであると思います。ある種の「国際的合意」です。
好むと好まざるとにかかわらず、どのような形をとるにかかわらず、考古学は国際化してゆきます。そんなことは考えられない、とおっしゃる方もおられるかもしれません。しかし、将来、いつの日か、日本考古学協会の会員の半分が日本国民以外、半分が日本国民、という日がくるかもしれません。いや、「学協会」の精神を、先に述べたようなものと理解すれば、そのような日は、いつでもやって来得るのです。
そのことを考えるとき、本日おこなわれた議論の一つの筋道が、「そのようなものでよかったのか」、は、大きな問題であった、そして問題である、と思います。
報告書は、「唯一のものだ」、と、おっしゃいました。しかし同時に、報告書は、唯一のものをできるだけ多数の人々のために共有する<最大限の公開性>、<世界に対する開かれ>をも、その本質とするものです。そこには、日本国民「以外」のひとびと、当然、世界のひとびとが含まれます。(なのに、なぜ、「放出」と表現されるのでしょうか?)**
“The Japanese Archaeological Association”、これは、いったい何なのか?<日本人>の<日本人>による、<日本人>のための<組織>なのか?それとも<開かれた行動体>であるのか。
議決権行使の結果がどのようなものになろうと、”The Japanese Archaeological Association”の<定義>を、みなさま、ぜひ考えて、今後の活動がなされますよう、深い思考の上に、ご判断がなされますよう、お願い申し上げます。よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。」
-------------------------------------------
いわゆる『日本考古学協会蔵書問題』に関する理事会提案が否決されたことにともない、本問題は、同時代社会における、継続的<問題化>として再生産されてゆきます。そのような認識に基づき、本問題に関する公開思考、『特殊番外』も、継続(断続)することにします***。
【註】
*<記憶の美化作用>が、確実に作用しています。発言の言い回しの細部につきましては、「溝口はこのような発言がしたかった」ものとしてご理解いただければと思います。ただ、その趣旨と、基本的文言、構造については、まったく改変を加えておりません。
**()中、緊張・興奮しすぎて、言い忘れました(!?)。
***`
『特殊番外n』エントリーを、おりに触れて、継続します。
ブリュッセルのホテルの一室で、このエントリーを書いています。ずいぶん気温の下がった夜、人影のない舗道を、冷たい霧が濡らします。二年前、モネ劇場近くの落書きだらけの教会の、ガムだらけの階段に座って、花を売っていたロマの女性(2008年7月11日のエントリー参照)は、どうしているでしょうか?フランスのロマ達のように、ルーマニアに戻って(戻されて)いったのでしょうか?それとも、いまでも、この街のどこかにいるのでしょうか?
今、もし、僕が、この街で、ヨーロッパの考古学をするとき、それは、誰のためになされるのでしょうか?誰のために、と、うけとられるのでしょうか?僕の利益は、だれに/どのような組織に代表されるのでしょうか?
もし、あのロマの女性の(もし、あれば)子供が、日本の考古学に興味を持ったとき、彼/彼女のする考古学は、だれのためになされるのでしょうか、だれのためになされると、うけとられるのでしょうか?彼女/彼の利益は、だれに/どのような組織に代表されるのでしょうか?
ロマ人?ルーマニア?EU?世界の<マイノリティー>?それとも、人類?The Japanese Archaeological Association? European Association of Archaeologists? World Archaeological Congress? The International Union of Pre- and Protohistoric Sciences? そして、過去のひとびとのため?未来のひとびとのため?
故郷。国家。過去に、ある場所に、ある人々が生きたという、事実。故郷喪失/故郷希求。原理主義の誘惑。そして、それでも、お互いに、わかりあいたいという、希望。グローカル化。グローバル化。
複雑な世界と、それが複雑であり、その複雑さは増大しつづける、という、単純な、あまりに単純な、事実。<日本考古学協会蔵書問題>に媒介されて、私たちが<生きざるを得なくなった>、とても、とても、とても複雑な、リアリティ。
<日本>考古学協会会員の多数が、日本国民以外となる/なりえること。可能性の問題としてではなく、そのことを、「良い」、と認識するのか、「そうなればそうなったで仕方ない」と認識するのか、「いやだ/あり得ない」と認識するのか?
霧は、静かに、舗道を濡らし続けます。
You tubeで、"Don't Look back in Anger" (The Oasis)でも聴きましょうか。ごぞごぞとやっていれば、夜もあけるでしょう。

