「固定ド」音感者のための「移動ド」習得ソルフェージュ講座

◆◆音楽学(楽理)を専門とする講師によるソルフェージュのレッスン◆◆ 池袋にある音大受験予備校、東京ミューズ・アカデミーで行っている「『固定ド』音感者のための『移動ド』習得・ソルフェージュ講座」(担当:大島俊樹)からのお知らせ用ブログです。 またあわせて、音名と階名の区別の認識、階名唱および階名法の重要性の認識を人々に呼びかけるためのメッセージも発信します。 ★★受講生随時募集中★★

◆◆◆ 教本(教材、教則本)販売中 (^^♪ ◆◆◆
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/77

* 本ブログでの見解は大島個人のものであり、東京ミューズ・アカデミーおよび同校の他講師の見解と一致するわけではありません。


🌟 講座の概要はこちら: http://music-square.jp/school/3338/
🌟 興味のある方には講座についての詳細パンフレットを差し上げますので、下記メール・アドレスあるいは本ブログ右下の「メッセージ」にてご連絡ください。
fixeda.moveddo.to◎gmail.com(◎を@に変更)

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------ 本ブログの基礎となる七大記事 ------

❶ 「移動ド」とその長所について:
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/2541278.html
❷ 「音名」と「階名」の違いを認識していますか?:
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1000971572.html
❸ 客観的事実として 「固定ド」は間違いです。(また、「移動ド」は当たり前です):
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1001255612.html
❹ 人々に絶対に改めてほしい誤解(「移動ド」と「固定ド」の関係について) :
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1017696210.html
❺ 「移動ド」と「固定ド」は二者択一するものではありません。 :
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1007630308.html
❻ ピアノの先生が生徒に言ってはいけない言葉:
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1019180935.html
❼ 「固定ド」はイタリア音名ではない:
http://blog.livedoor.jp/fixeda_moveddo/archives/1022250322.html

演奏をしない人にも「楽譜が読めること」には意味がある? ― その1

  教師(男性30代)  ――  最初に、「楽譜が読める」とはどういうことか確認してみましょう。こちらの記事をご覧ください。

  生徒(社会人男性、40代) ――  なるほど。つまり「楽譜を見て音楽が頭に思い浮かぶ」ということが「楽譜が読める」ということなのですね。

 すると確かに、すでにピアノなどの楽器を習っている人やサークルで音楽活動をしている人には、楽譜の読み方を習うことには意味があるかもしれません。
 しかし、私は音楽は好きですが聴くのが専門で、特に楽器を演奏するわけではありません。私のような
いわゆる「聴き専」の者でもソルフェージュを習い、楽譜の読み方を勉強することには意味があるのでしょうか?

  教師 ―― はい、大変に意味があります。そもそも楽譜を読むことは自分の体さえあればできます。
 また、その長所には、楽器演奏やサークルでの活動を前提としないものも少なくありません。
 それが、以下で私が述べるような長所です。

 まず、音楽書の中にある譜例から音楽を読み取れる(想像できる)ようになるということです。
 音楽に関する書籍を開いてみると、(音楽を取り巻く社会的背景や作曲家の生涯などとは別に)楽曲そのものを対象とした本であるほど、譜例が沢山登場しますよね。
 しかし、もしそれらの譜例が読み取れなければ、著者がその本で言いたいことが分からず、内容の理解度や楽しさが半減してしまいます。
 特に、掲載されている譜例に対する何かしらの説明文が文章部分にある場合は、譜例から音が読み取れなければ、その文章部分の理解が難しくなります。
 もっとも、譜例の曲がもともとよく知っている曲であれば、それほど問題は起こらない可能性もあります。
 しかし、馴染みの薄い曲や初めて目にする曲である時には、楽譜から直接音を想像できるようになることは不可欠でしょう。

 実際、学術論文などのような専門的な音楽書になるほど、楽譜をまったく掲載しない書籍というのは少なくなります。
 また、クラシック音楽の専門的な解説文などになると「変ホ長調」「ロ短調」のような言葉が当たり前のように登場しますよね? これらの言葉を理解するためにも、楽譜が読めることは前提となります。

  生徒 ―― 単なる雑学レベルの表層的な知識を超え、音楽のより高度で深い知識へと至るためには楽譜が読めることが不可欠だ、ということになるのでしょうか。

  教師 ―― その通りです。しかし、そのような「高度な理解」以前のより初歩的な音楽理解のレベルでも、楽譜が読めていることが重要になる場合もあります。

 というのも、専門書ではなくより易しい本であっても、「このドソドソという音形は…」のような、階名を使った簡単な旋律説明が文章中に登場することはよくあります。
 例えば、以下の本はそもそも音楽書ではなく哲学の本、それも入門書である新書です。



 しかし、この本の162ページでは、哲学者フッサールのいう「直接経験」という哲学的概念を説明するために、以下のような説明がなされています。

「咲いた、咲いた、チューリップの花が……」というメロディにしよう。「咲・い・た」の部分は「ド・レ・ミ」である。このド・レ・ミというメロディにおいて、レの音が鳴っている時には…(以下略)。*

  生徒 ―― 本当ですね。音楽関係のではない新書の中にさえ当然のように階名が登場するというのには、驚きました。

  教師 ―― そうです。階名や楽譜を理解することは、音楽関係の文章に限らず知的な内容の文章を読みたい人にとっては必須であると言えるでしょう。

  生徒 ―― でも先生、今挙げた引用文の中にあるような「ドレミ」というのは階名を文字で書いただけであり、楽譜とは異なるのではないですか?

  教師 ―― それが違います。文字で書いた階名も一種の簡易楽譜であり、立派な楽譜です。
 モデュレーターやハンドサインなどと同じです。
 そもそも楽譜というのは「音楽を決められた約束事に従って記号化した媒体」であり、五線譜には限りません。
 我々は楽譜というと五線譜ばかりを想像しがちですが、世の中にはそれよりも易しい簡易楽譜が沢山あることを忘れてはいけません。
 読譜の訓練でも、まずはこのように「文中の文字譜」のような簡易楽譜を読める(それを読んで音楽が思い浮かぶ)ようになるレベルから訓練を始めると効果的です。
 なお、この「簡易楽譜から五線譜へ」という学習順序、また、「最初から五線譜で学習してはいけない」という原則は、ソルフェージュおよび読譜学習全般にとって必要となります。

  生徒 ―― 分かりました。「聴き専」の人が楽譜を勉強することの意味は、他にはありますか?

  教師 ―― それは、以上で述べたこととも関連していますが、楽譜を見ながら音楽鑑賞をすることにより、鑑賞の楽しみが広がるということです。

(次回記事へ続く)


_____
注)
* 同著162頁より引用。なお、私(大島)が参照したのは2004年発行の第3刷であり、上掲画像とは表紙のデザインが異なる。

「楽譜が読める」ってどういうこと?

楽譜が読めるとはどのようなことでしょうか?

 

それは、目の前に楽譜があるときに、それが知らない曲であっても、その楽譜が記している音楽を頭に思い浮かべることができるということです。

 

楽譜の記す音楽を正しく想像でき、頭の中だけで一から構築できるということです。

 

_____

例え話をしてみましょう。

 

今、あなたは広い野原の真ん中を歩いているとします。

 

手には一切の楽器も、音が出る器具も持っていません。

 

すると、突然空からあなたの目の前に一枚の楽譜がヒラヒラと降ってきて、それをあなたが手で受け止めたとします。

 

それを見ると、次のような楽譜が書かれています。*

空から降ってきた旋律000

 

あなたが今までに音で聴いたことも、その楽譜を目でみたこともない曲の楽譜です。

 

それをじっと見つめるあなた。

 

見つめ始め数秒後、あなたは「なるほど、この楽譜が記しているのはこういう音楽か!」と合点します。

 

そもそも楽器を持っていなかったので、音を鳴らして確かめたわけでもありません。

 

また、声を発して歌ってみたわけでも、手拍子などでリズム確認してみたわけでもありません。

 

しかしあなたは楽譜を見ただけで、それの記譜する音楽を頭の中で想像・構築できました。

 

これこそが「楽譜が読める」ということです

 

_____

なお、ソルフェージュというととにかく歌っている時間が多いため、あたかも歌うことがソルフェージュの目的であるかのように思っている人も多いかもしれません。

 

しかし、歌うという行為は、決してソルフェージュの目的ではありません。

 

歌うことは、頭の中に想像した音楽が本当に正しいのかを確かめるための手段にすぎません

 

つまり、それを自分自身で確かめるため、あるいは、周囲にいるチェック役の人が確かめるための手段にすぎません。

 

特に楽譜を見ている本人以外の周囲の人にとっては、本人の頭の中でどのような音楽が想像されているかということは、本人に歌って「現実音」化してもらい、聴かせてもらうことによってしか確かめようがありません。

 

他方で、ソルフェージュの目的はあくまで「楽譜を読めるようにすること」イコール「楽譜から音楽を想像できるようにすること」の方にあります

 

この点を常に意識し、手段(歌うこと)がいつの間にか目的化してしまわないよう注意しましょう。

 

あるいは、一時的に目的化するだけならばまだしも、最後まで目的化したままで終わらないよう注意しましょう。

 

ソルフェージュ学習における「確認手段と確認対象の混同」あるいは「強化手段と強化対象の混同」に対する注意喚起はこちらの記事にもあります。



_____

注)

* 初級の視唱課題として使えます。実際に視唱してみましょう。変ホ長調の音名と階名についてはこちらの(11)にて。「調号の一番右の♭はファ」です。


絶対音感は「音楽家の皮肉な職業病」

(講師 Twitterより)
スクリーンショット (8)


今回の記事では、以上の言葉が意味することについて具体的に説明します。

_____
絶対音感は「音楽的才能」ではありません。

というのも、音楽というのは和声にしても旋律にしても、音の相対的音高関係の上に成り立つものであるからです。
したがって、単音の高さ(周波数)を特定する能力にすぎない絶対音感は音楽的才能ではあるとはいえません。
それについては、宮崎謙一氏もこちらの記事の568頁で指摘している通りです。

ところで、ここで誤解しないようにしてほしいのは、「音楽的才能ではない」という表現には「音楽とは無関係」くらいの意味しかないことです。

したがって、この表現には「劣っている」や「価値が低い」などの良い・悪いのニュアンスは含まれていません。
また、絶対音感を持っているということ自体も、その人が「優れている」か「劣っているか」ということとは関係ありません。


また、絶対音感は「人格」でもありません。

というのも、人格というと一般的には、例えばその人のもはや変えられない全体的性格や容姿のように身体の一部と化していて、(たとえそれが好きではなかったとしても)取り除いたり克服したりすることの困難なものを指すからです。
しかし絶対音感というのは、確かに取り除くのは難しいかもしれませんが、それを凌駕する相対音感を身に付けることにより一応の「克服」は可能だからです。


しかし、だからといって絶対音感は「障害」でもありません。

というのも、障害というと多くの場合は(本人の意思とは関係なく)先天的に与えられるものを指す一方で、絶対音感は主として幼児期の音楽的訓練などを通じて後天的に身に付くものであるためです。

また、障害というと一般的には、これもまた人格と同様に「治したくても治せないもの(あるいは治しにくいもの)」を指すことが多い一方で、絶対音感は、確かに無くすことこそ難しいですが、やはり相対音感の習得により一種の「治療」は可能だからです。


では、絶対音感とは何か?
それは、一種の「病気」のようなものというのがもっとも適切かもしれません。

しかし、病気は病気でも、音楽家の「職業病」だと考えると良いでしょう。

つまり、難聴や腱鞘炎などと同じような意味での職業病です。

ご存知の通り、難聴や腱鞘炎とは、音楽家として活動するからこそ発症し、その結果として音楽的活動の順調さを妨げるような「音楽家の皮肉な職業病」といえるものでしょう。

絶対音感もこれらと同類、同レベルのものと見なすことができます。

________
では、なぜ私がこのようにいうのか?

それは、世の中には絶対音感の問題点を指摘されると反発する(あるいは怒る)人がいて、彼らの大半が絶対音感を「音楽的才能」「人格」「障害」のいずれかだと考えているように思えるからです。


確かに、自分の才能や人格だと信じているものを否定される時や、自分の障害について悪くいわれて「差別された」と感じる時に、人は怒りたくなるでしょう。

しかし、世の中がこのような人ばかりであふれると、(例えば宮崎謙一氏の本に書かれているような)絶対音感についての正当な問題点の指摘でさえも受容されにくくなります。

実際日本では、彼らのような反発する人々に(ある意味過剰に)配慮している結果として、絶対音感の問題点についての周知が遅れているように思えます。


しかし、絶対音感は病気、それも一種の職業病だという捉え方が浸透すれば、絶対音感の問題点について指摘されても、人々は反発しなくなるのではないでしょうか。

これはつまり、腱鞘炎や難聴の問題点を指摘されて怒り出す腱鞘炎患者や難聴患者が(普通は)いないだろうことと同様です。

実際、私は絶対音感保有者なのですが、絶対音感については昔から病気という意識を持っていたため、絶対音感の問題点を指摘されてもまったく腹が立ちませんでした。
「ああ、その通りだよね」と思うだけでした。


_____
絶対音感の問題点についての適切な知識が浸透するためには、人々の間に、まずはそれを受容できるような心構えが浸透していることが重要です。

そのためには、絶対音感は職業病だという考え方が広まることが重要でしょう。

そうすれば、問題点を指摘されて反発する人も減り、絶対音感の問題点についての知識がより滞りなく広まるようになると考えられます。

そのためには、まずは本ブログ読者の皆さんが絶対音感は職業病だと考えるようにしてください。

(以下は補足です)
_____
そして、職業病としての絶対音感の問題点をしっかり見つめた上で、では、もし音楽の可能性を本当に広げたいと思うのであれば、今後の人生においてどのように絶対音感を治療・克服すべきかを考えてください。

そのためのもっとも効果的な訓練が階名唱(いわゆる「移動ド」唱)などを通じて相対音感を磨くことであることは、すぐに明らかになります


【関連記事一例】
この本を必ず読んでください(宮崎謙一『絶対音感神話』)

ドレミ階名唱に慣れている人への、ボチェディ階名唱のすすめ

 本ブログでもたびたび紹介してきたように、私は本講座では、ボチェディ階名(以下)を用いるボチェディ階名唱も導入しています。


ボチェディ階名(変ホ長調)


そして、ボチェディ階名唱は基本的に、すでにドレミで絶対音感が付いていてドレミを階名として使うことがどうしても困難な生徒を対象としています。

 しかし、実はボチェディ階名唱は、すでにドレミ階名唱に慣れている人にとっても大変有意義なものです。本記事ではこのことについて説明します。

_____

 東川清一氏の『移動ドのすすめ』には以下のような一節があります。

 

トニック・ソルファ法では、生徒にいつも階名つきで歌わせてはいけないとされています。さもないと生徒は、階名を発音することなしには音が取れないという、いわゆる「階名の奴隷」になってしまうからである、……。ジョン・カーウェン[1]は、生徒が階名唱によって音が取れるようになったら、すぐにすべての音をラーで歌うラー唱(Laa-ing)に移るべきであるといいます。(強調は原著)[2]

 

そして、この引用部分の直後に東川氏は、ラー唱というのが「階名は頭の中に留めるだけにしておき、口ではラーを発音する歌い方」であり、階名唱と歌詞唱の中間段階に位置付けられるものであることを指摘しています。

 

 確かに、階名唱は音楽の基礎訓練手段として重要であり、音楽学習者の誰もが通過すべきものです。しかし上記引用のように、階名唱自体が目的化し、階名を言わなければ音が取れなくなってしまうのは本末転倒です。

 実際、私も今までに、合唱の指導で私が「音は取れてきたからそろそろ歌詞に切り替えて」と指示してもなかなか階名唱をやめられない生徒や、視唱の試験の際に私が「無歌詞で歌ってください」と指示してもドレミで歌い始める生徒に会ったことがあります[3]。もっとも、後者の生徒については、私の指示の意味を理解していなかった可能性と、意味を理解していてもドレミで歌うことがすでに癖になっていて「体がついていかなかった」可能性があります。しかしいずれせよ、これらはいずれも「ドレミ過剰依存」あるいは「階名過剰依存」と呼びうる状態の例であり、望ましくはありません。
 階名を言うこと自体が目的化してしまうという倒錯[4]を避けるためには、やはり、階名で音が取れるようになったらなるべく早めにラララ[5]や歌詞に切り替えるべきでしょう。

 

 しかし、ドレミ階名唱から急にラララや歌詞に切り替えるのが難しいという人も中にはいるかもしれません。そのような人には良い方法があります。それがボチェディ階名唱の導入です。つまり、ドレミ階名唱とラララ唱の間に、さらにもう一つ中間段階としてボチェディ階名唱法を挿入するというやり方です。以下のように。

 

ドレミ階名唱 →ボチェディ階名唱 →ラララ唱 (→歌詞唱など)[6]

 

そうすれば、ドレミから急にラララに移行する場合よりも、より無理なくラララ唱(さらには歌詞唱)に移行できるようになります。少なくとも私の場合はそうであり、特に歌詞付きの曲の場合には、

 

ドレミ階名唱 →ボチェディ階名唱 →歌詞唱

 

というように、ラララ唱を通過しなくても直ちに歌詞唱で歌えるようになります。この移行のスムーズさは、同じ3段階からなるやり方であっても、 


ドレミ階名唱 →ラララ階名唱 →歌詞唱

 

のようにボチェディ階名唱を通過しない場合を上回るように感じます。

 

 そして、この中間段階としてのボチェディ階名唱を行う際には、(上記の言葉を使えば)「ドレミ階名は頭の中にとどめるだけにしておき」、口ではボチェディ階名を言うことになります。これは一見難しそうですが、実はまったく難しくありません。というのも、こちらの記事でも説明したように、ドレミ階名とボチェディ階名では母音がまったく同じなので、言い替えはまったくスムーズにできるためです。

 もちろん、このような中間段階のボチェディ階名唱の代わりに、ドレミ階名の母音だけを取り出して歌う、いわば「階名中の母音」唱法を用いることもできるかもしれません。以下のように。


*「階名中の母音」唱法

ド → o

レ → e

ミ → i

ファ → a

ソ → o

ラ → a

ティ → i


この場合も、頭の中ではドレミ階名を想像しつつ口ではそれらの母音のみを歌います。しかし、やはり子音がついていた方が歌いやすいという人には、ボチェディ階名唱の方が使いやすいでしょう。

 もちろん、ボチェディ階名で視唱する場合は、事前に既知の曲をこの階名で歌い慣れることなどによりボチェディ階名自体に馴染んでいることが必要になるので、その準備だけ整えておいてください。[7]


 ドレミ階名への「過剰依存」やドレミ階名唱の不適切な「目的化」を避けるために、また、音取りにおけるドレミ階名唱からラララ唱や歌詞唱への移行をより滑らかにするために、ボチェディ階名唱の併用をぜひお試しください。


__________
注)
[1] John Curwen(1816~1880)。トニック・ソルファ法の完成者として知られるイングランドの音楽教育家。

[2] 東川清一『移動ドのすすめ ― 正しい読譜法と視唱指導』(東京:音楽之友社、1985年)、63ページ。

[3] このことについてはこちらの記事もご参照ください。なお、ここではドレミが階名(いわゆる「移動ド」)であるのか、それともハ長調読み(いわゆる「固定ド」)であるのかは問いません。

[4] この「ドレミを言うこと自体の目的化」が日本における「固定ド」蔓延の大きな原因であることについては、こちらの記事などで指摘した通りです。

[5] 私は個人的には「ラララ lalala」よりも「ナナナ nanana」の方が歌いやすいと感じています。

[6] 東川氏の上掲書ではラララ唱と歌詞唱が一括りにされています。しかし、そもそも歌詞付きの曲とそうでない曲がある点、また、歌詞付きの曲の場合にはラララ唱と歌詞唱の段階を分けた上でラララ唱、歌詞唱の順に訓練するのが合理的であると考えたため、このようにまとめ直しました。

音楽家のための標語 ― 1日1つ唱えましょう

今回もまた私のツイッターでの投稿の紹介となります。

私はツイッター上で、今までに「音楽家のための標語」を3つ考えてみました。
それが以下。


① 標語1
スクリーンショット (7)

② 標語2
スクリーンショット (6)

③ 標語3
スクリーンショット (5)


いずれも、楽典およびソルフェージュの教育をする際の大事な心構えについて、私なりの言葉でまとめたものとなっています。
各標語が具体的に意味することについては、すでに「本ブログの基礎となる7大記事(上記参照)」をはじめとする、本ブログ内の記事の読んできた読者には分かるのではないかと思います。


また、いずれの標語も7音節あるいは5音節から成る行の組み合わせでできていて(標語3のみ変則的ですが)、リズミカルに唱えやすいものとなっています。


さあ、知的で上質な音楽家になりたい皆さん。
生徒に分かりやすく、かつ適切に楽典・ソルフェージュを指導できる音楽教師になりたい皆さん。
生徒の将来の可能性をつぶさず、しっかり広げられる音楽教師になりたい皆さん。

毎日この中から好きなもの1つを選び、声に出して唱えてください。


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