【はじめに:お断り】
●以下の文には、現に「固定ド」を実践している読者は反発を感じるかもしれません。しかし、私の批判は、優れた音楽教師であってもその不合理さに気づかないほどまでに習慣化している言葉遣いに向けたものであり、決して「固定ド」実践者の知性批判・人格批判をしているわけではありません(ただ、「ドレミ」を音名として用いる癖は意識的に克服してほしいと思っています)。なので、感情論や個人的利害を抜きにして冷静にお読みください。
●以下の文は、前記事の「音名と階名の違い」を踏まえた上で読んでいただければ分かりやすくなります。



 私がたびたび引き合いに出す音楽学者、東川清一氏と同じく、私は「固定ド」反対論者です。というより、少なくとも「いかなる音楽用語も音楽の理解を促すために存在していなければならず、それを逆に混乱に導くような音楽用語は矛盾したもの、間違ったものだと言わざるをえない」という立場から見れば、「固定ド」が間違った用語法に基づくメソッドであることは、私個人の思想を超えた客観的事実です。

 そのように言うと、(いずれも「移動ド」と対比する意味合いを込めた)「固定ドには固定ドの良さがある」「無調音楽のソルフェージュでは固定ドの方が有利だ」「同主調転調する曲では固定ドの方が主音の共通性が分かりやすい」などの反論が返ってくる場合がありますが、いずれも反論として的外れです。

というのも「固定ド」の誤りは、音高把握の手段として音名を使っている点自体にではなく、その音名として本来音名である「CDE」や「ハニホ」ではなく、階名と混同して「ドレミ」という言葉を使っている点にあるためです。つまり、「固定かつC」あるいは「移動かつド」であれば正しいですが、「固定かつド」というのは「円い四角形」と同様に奇妙な概念です。
 そもそも、「無調音楽の場合には階名よりも音名で認識した方が音を取りやすい」というのであれば、最初から「
CDE」(あるいは「ハニホ」)を使えば良いですし、そもそも音名として「ドレミ」を使ったら、何のために「CDE」が存在しているのか分かりません。それに、そのようなことをしたら、「ドレミ」の本来の階名としての、音名とは独立した重要な役割が忘れられてしまいます。
 これらの諸点については、東川氏が以下のように述べている通りです。


 音名唱ならなぜ、普通音名とみなされているハニホ……なり、cde……を使わないで、ことさらに階名とまぎらわしいドレミ……を使うのだろうか…(中略)…。私の考えでは、ドレミ……を音名として使うことは誤りである。このことに疑問の余地はない(強調は原著)[1]

 …(前略)…私はわが国の固定ド支持者にいわなければならない。あなた方がドレミ……を音名として使ったのでは、階名として使うべきシラブルが無くなってしまうではありませんか。それともドレミ……はあるときには音名として使い、あるときは階名として使うというふうにしても、混乱はおきないというのでしょうか、と。[2]

 …(前略)…私はふたたび固定ドの支持者に言わなければならない。あなた方が唱法として音名唱を採用するのはよいとしても、階名なり階名法はいつ、どのようにして学習者に教える計画なのですか、と。(強調は原著)[3]

 これらの引用を含む東川氏の著書は1981年出版のものです。しかし、この時に東川氏が懸念していたような「ドレミを音名として使っている結果、本来の階名としてのドレミが忘れられる」「ドレミが階名にも音名にも使われているために混乱が起こる」という事態は、今日ではまったく現実化しています。

次回以降の記事では、私が日頃から教育、研究、実践に携わっていてそうした「現実化」を感じる具体的シチュエーションを挙げ、また、今日の音楽学生がこうむっている「固定ド」概念の具体的弊害を指摘する予定です。(⇒続きの記事はこちら

【この後の話の結論だけ、以下に先に書いておきます】
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 私は本当に、…

●最初から「固定ド」というものは生まれずに、常に「音名=
CDE/階名=ドレミ」の区別が徹底していれば、人々が旋法・調などについての知識をどれほど円滑に得られただろうか…。
常に音名と階名が明確に区別されていれば、どれほど多くの人々がソルフェージュの際に音名唱と階名唱を(これらの無意味な二者択一を行うことなく)必要に応じて使い分けることができ、能力を容易に伸ばせただろうか…。

 ……と考えると、歴史上のある時期に何らかの原因によって「固定ド」という蛇足が発生したことが残念で仕方ありません。私自身もかつて音名・階名の概念について誤解していたという点では「固定ド」概念の被害者であるため、ますますそのように感じます。

 いずれにしても、…


●音名と階名はどちらも違ってどちらも大事であること

●音名唱と階名唱(あるいは音名読みと階名読み)もどちらも違ってどちらも大事であること

●言葉の混乱ゆえに階名の存在が消失している社会よりも、階名が健全に生き続けている社会の方が良いこと

●音名と階名に同じ言葉(「ドレミ」)が使われていて混乱している社会よりも、両者に異なる言葉が使われていて分かりやすい社会の方が良いこと


…は疑問の余地のない事実です。なので、私たち音楽人はこれから、そのような社会を一刻も早く取り戻せるよう真剣に取り組んでいかなければなりません。この点に関して、現状放置は許されません。(⇒続きの記事はこちら




[1] 東川清一『退け、暗き影「固定ド」よ!』 東京:音楽之友社、1981年、5頁。東川氏のこの著書は、個人的には日本の音楽学史上でも上位に入る名著だと考えており、私が以前は何気なく使っていた「固定ド」の間違いに気づき、音名と階名の区別の重要性を認識するきっかけとなった著書でもあります。特に、音楽教育にたずさわる人には一読をお願いしたい好著です。中でも本記事に挙げた引用文はいずれも、問題の本質をズバリとついた東川氏の「名言」だと評価しています。

ただ私には、この著書のタイトルが『退け、暗き影「固定ド」よ!』(「『固定ド』反対!」を柔らかく表現したものらしい)ではなく、例えば『CDEは音名、ドレミは階名、混同するな!』だったら東川氏の真意がもっと人々に正確に伝わったのではないか、ということだけが惜しまれます。(東川氏の論考はしばしば、それが音名唱そのものへの批判であるかのように誤解されているように見受けられるため)

[2] 東川清一同著、6頁。

[3] 東川清一同著、6頁。