【はじめに:お断り】
 以下の文には、現に「短調の主音をドと読む移動ド」(下記に言う「ミラシ半音下がり移動ド」)を実践している読者は反発を感じるかもしれません。しかし、私の批判は、本来明確に区別すべき言葉を区別しない世間の言葉遣い全般に向けたものであり、決して「短調の主音をドと読む移動ド」実践者の知性批判・人格批判をしているわけではありません(ただ、「ドレミ」を音度名として用いる癖は意識的に克服してほしいと思っています)。なので、感情論や個人的利害を抜きにして冷静にお読みください。


こちらの記事
で私は、
「固定ド」という概念が
音名と階名を混同している点で誤りであることについて書きました。

ところで、
私が「固定ド」と同じくらい間違いだと考えているものに、
短調の主音を「ド」と読む、非本来的な「移動ド」があります。

※この非本来的な「移動ド」は「機能移動ド」などと呼ばれることもありますが、以下では「ミラシ半音下がり移動ド」と呼ぶこととします。というのも、短調の主音を「ド」と読めば、本来の「移動ド」の場合と比較してミ、ラ、シが半音低くなるためです。


短調の主音を「ラ」と読むのが本来の「移動ド」法(正確に言えばドレミ階名法)です。

しかし、広い意味での「移動ド」実践者の中にすら、
「ミラシ半音下がり移動ド」を良しとする人や、それどころか、「短調の主音はラではなくドと呼ぶことがふさわしい」と考える人がいます。このような方は音楽学者の中にもいて、私は正直驚いています。

しかし、私はどうしても「ミラシ半音下がり移動ド」には賛同できません。
その理由は、以下の諸点に要約できます。


①「固定ド」が音名と階名の概念を混同しているのと同様、
「ミラシ半音下がり移動ド」は、階名と音度名の概念を混同しています。


こちらの説明にもあるように、
階名とは「その音が音階中において他の諸音とどのような音程関係にあるか」を示す言葉です。
本来の階名法では、例えば「ド」の音は常に「ミ」に対しては長3度下あるいは短6度上、また、「ラ」に対しては長6度下あるいは短3度上の位置に置かれます。
また例えば、「ファ」は常に「シ」に対しては増4度下あるいは減5度上、また、「ド」に対しては長5度下あるいは完全4度上の位置に置かれます。

言い換えれば、階名とは、
周囲の諸音との音程関係が共通である音(東川清一氏の言い方では、音環境が共通である音)同士の共通性、
例えば長旋法の第7音(「ドレミファソラシ」のシ)と、自然短旋法の第2音(「ラシドレミファソ」のシ)と、ドリア旋法の第6音(「レミファソラシド」のシ)と、フリギア旋法の第5音(「ミファソラシドレ」のシ)、日本の陰音階のシ音(「ミファラシド」のシ)、琉球音階のシ音(「ドミファソシド」のシ)…などの共通性や、
長旋法の第5音(「ドレミファソラシ」のソ)と、自然短旋法の第7音(「ラシドレミファソ」のソ)と、リディア旋法の第2音(「ファソラシドレミ」のソ)と、ミクソリディア旋法の第1音(「ソラシドレミファ」のソ)、日本の陽音階のソ音(「ラドレミソ」のソ)…などの共通性を表す言葉であることになります。

また言い換えれば、階名とは、
ある音の音階中における「音程的脈絡」を示す言葉であり、
他方で、音程的脈絡はその音の性格を決定するための一要因であることから、
階名とは「周囲の音程的脈絡によって決定される音の性格」を表すための言葉とも言えます。

実際、上記で挙げたような長旋法の第7音と、自然短旋法の第2音と、ドリア旋法の第6音と、フリギア旋法の第5音…など(いずれもシ)の間には、
これらの音程的脈絡の共通性に由来するところの性格の共通性が感じられます。


他方で、上記の階名に対して、
音度名とは、「その音が音階中で主音から数えて何番目の位置にあるか」を示す言葉です。
例えば、長旋法の第1音=主音(「ドレミファソラシ」のド)、自然短旋法の第1音=主音(「ラシドレミファソ」のラ)、ドリア旋法の第1音=主音(「レミファソラシドレ」のレ)、ミクソリディア旋法の第1音=主音(「ソラシドレミファ」のソ)…などの共通性や、
長旋法の第5音(「ドレミファソラシ」のソ)、自然短旋法の第5音(「ラシドレミファソ」のミ)、リディア旋法の第5音(「レミファソラシドレ」のラ)、ミクソリディア旋法の第5音(「ソラシドレミファ」のレ)…などの同一性を表すための言葉が音度名だと言えるでしょう。

言い換えれば、
音度名とは、音の音階中における「主音との位置関係」を示す言葉であり、
他方で、ある音の主音との位置関係は、上記の「音の音程的脈絡」とは別にその音の性格を決定する一要因であるため、
音度名とは、上記の「音程的脈絡によって決定される音の性格」とはまた別に、
「主音との位置関係によって決定される音の性格」を言い表すための言葉
であるとも言えます。


以上のことから、
階名とは、ある音の「対・他諸音的位置」と、それによって決定される音の性格を示す言葉であり、
それに対して音度名とは、ある音の「対・主音的位置」と、それによって決定される音の性格を示す言葉である、
と要約できます。


これらの階名と音度名はそれぞれ役割が独立していて、
音楽学習の上ではどちらも重要です。

しかし、「ドレミ」が本来階名として考案され、11世紀から現在までずっと階名として用いられてきたという歴史的慣習をわきまえず、それを安易に音度名に転用してしまうと、
階名と音度名の混乱を招くことは必至です。

同じ言葉を違う意味で用いると音楽学習の場が混乱に陥ることは、
現に「固定ド」というミスリーディングな概念が音名と階名の区別を混乱させているという事実によって、
すでに証明されています。


私は、「音名ドレミ(固定ド)」の発生によりただでさえ乱れている世の「ドレミ」用語法が、
そこにさらに「音度名ドレミ」が加わることによって、
これ以上乱れてほしくないと思っています。


これらのことを、東川清一氏の言葉のパロディーで、以下のように表現できるでしょう。

私はわが国の「ミラシ半音下がり移動ド」支持者にいわなければならない。あなた方がドレミ……を音度名として使ったのでは、階名として使うべきシラブルが無くなってしまうではありませんか。それともドレミ……はあるときには音度名として使い、あるときには階名として使うというふうにしても、混乱はおきないというのでしょうか、と。(東川清一『退け、暗き影「固定ド」よ!』 音楽之友社、1981年、5頁のパロディ)

階名なり階名法が音楽生活によって必要不可欠なものであることについては、重要な問題である。そこで、私はふたたび「ミラシ半音下がり移動ド」の支持者に言わなければならない。あなた方が音度名を音楽教育に導入するのはよいとしても、階名なり階名法はいつ、どのようにして学習者に教える計画なのですか。長旋法第1音と短旋法第3音とドリア旋法第7音の共通性についてはいつ、どのように教えるのですか。常に調号の一番右の♯が階名ドレミで言うシであることや一番右の♭がファであることについては、いつ、どのように教えるのですか、と。(同著、6頁のパロディ)


誤解がないよう付記すれば、
私もたしかに、長調、短調の同じ度数の音を同じ言葉、つまり音度名で呼ぶことが有効であると考えていて、
それどころか、音度名が音楽学習上で不可欠であるとすら考えています。

ただ、そのような
音度名としては、たとえば「ⅠⅡⅢ…」を使うなどして、
「ドレミ」とは別の言葉を使ってほしいのです。



結局のところ、音楽、少なくとも調性音楽における諸音は「音名」(絶対音高を表す指標)、「階名」(対・他諸音的位置を表す指標)、「音度名」(対・主音的位置を示す指標)の三面から捉えられることとなります。

しかし、指標が3つあるということは決して過剰でありません。
音楽を理解する上で最低限必要な指標がこれら3つであり、このうちの1つでも欠いたら、
音楽学習は片手落ちとなります。

そのような当たり前のことを当たり前のこととして誰もが捉えられるよう、
「音名/階名/音度名」は、例えば「CDE/ドレミ/ⅠⅡⅢ」のように別の言葉で区別されていなければなりません。


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【主要参考文献】
・東川清一『退け、暗き影「固定ド」よ!』 東京:音楽之友社、1981年。
・村田千尋「唱法再考―望ましい唱法への展望」、『弘前大学教育学部教科教育研究紀要』 第11号、1990年、95~105頁。