【はじめに(お断り)】
本記事におけるドレミという言葉については、階名してのドレミ(いわゆる「移動ド」)であるか音名としてのドレミ(いわゆる「固定ド」)であるかは問わない。

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なぜ、絶対音感を持たないのに「固定ド」唱法を選ぶ生徒が後を絶たないのか?

どう考えても「自殺行為」であるのに。【1】

このことについて不思議に思う読者は多いかもしれない。

実は、その根本的な原因が、音大受験教育の現場にいる私にはよく分かっている。
それは、以下①~③のような勘違いが生徒の間に蔓延しているからである。

① 「視唱というのは必ずドレミを言いながら歌わなければいけないものだ」という勘違い
② 「特に試験の視唱では、どのような歌い方をするのであれドレミを言うことは大前提だ」という勘違い
③ 「ドレミを言うことが視唱の目的だ」という勘違い


以下、それに関する話をしたい。

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音大受験生の中には、音楽を小さな頃から習っている生徒ばかりではなく、中学生・高校生になってから習い始める生徒も多い。
中には、 入試の数か月くらい前になり、入試科目にあるからということで「駆け込み」でソルフェージュを習い始める生徒もいる。
当然、彼らの多くは経験が浅いため、ソルフェージュが(レッスン開始時点では)あまり得意ではない。

私が見たところ、彼らのような初心者やソルフェージュが苦手な生徒ほど「固定ド」唱法を選ぶという大変奇妙な事態が、今の日本の音楽教育の現場では起こっているのである。

しかも、必ずしも(よく非難されるように)教師が「固定ド」唱法を押し付けているというわけではない。【2】
また、生徒の中に階名唱法(いわゆる「移動ド」唱法)という概念や発想がないというわけでもない。【3】

それどころか、教師が階名唱法という概念や選択肢を生徒にしっかり提示しているケースすらある。
それにも関わらず、生徒が自らすすんで「固定ド」唱法を選ぶのである。
中には、教師が階名唱法を積極的に勧めているにも関わらず、「自分は『固定ド』でやりたい」と頑なになる生徒までいる。【4】

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そもそも、中学生・高校生になってからソルフェージュを始めるような初心者が「固定ド」唱法を選択するというのは、二重の意味でおかしい。

まず、そもそも彼らは通常は絶対音感を持っていない。
他方で、絶対音感を持たない生徒は、「固定ド」唱法で学習してもいつまでたっても楽譜から音高・音程を取れるようにならない。
したがって、「固定ド」唱法により彼らの読譜力が育つことはない。
また、「固定ド」唱法により相対音感が育つこともない。
これらについては、こちらの記事に詳しく書いた通りである。
楽典の学習も、「ヘ長調ではファがドになる(?)」「ト音記号はの音を示す(?)」【5】 などのような、初心者には不親切極まりない分かりにくいものとなる。
要するに、「固定ド」を介した時点で、彼らのような初心者にとっては音楽学習が音楽学習として機能しなくなるのである。
こちらのブログでも指摘されているように、まさに彼らにとって「固定ド」とは「音楽的に無意味で何の訓練にもならない呪文」である。

また、彼らには、幼少期から「固定ド」を刷り込まれ、その固定観念で既にガチガチに固まっている生徒とは異なり、今後「音名ハニホ」と「階名ドレミ」を別物として習得できるチャンスがまだ残されている。
それにも関わらず、彼らはわざわざ「固定ド」という階名ドレミを音名に流用したメソッドを使うことにより、せっかく与えられたチャンスを放棄するのである。
将来階名を使用できる可能性をなくし、音楽家としての可能性を自ら狭めるのである。

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以上の話を読んで、多くの読者は次のように思うであろう。
これは自ら火事場に突っ込んでゆくような「音楽的自殺行為」ではないか? なぜわざわざ?

しかし、信じられないような話であるかもしれないが、以上のことは本当である。
現実に、初心者であるからこそ、あるいはソルフェージュが苦手だからこそ「固定ド」唱法を選ぶという矛盾した現実が、今の日本の音大受験教育の現場には見られるのである。

誠にゆゆしき事態である。
これを放置することは許されない。

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では、なぜ彼らはわざわざ「固定ド」唱法を選ぶのか?

それは、彼らが「入試の視唱では必ずドレミを言うべきだ」と思い込んでいるからである。
また、彼らが「ドレミを言うことが視唱の目的だ」と思い込んでいるからである。

すなわち、彼らは、視唱では音高・音程を正確に取って歌うことよりもドレミを言うことの方が優先順位が高く、必須であると勘違いしているのである。

しかし実際は、視唱では音高・音程を正確に取ることが目的であり、ドレミを言うことはそのための手段にすぎない。

したがって、ドレミを言っているけれども肝心な音が取れていない視唱というのは、まったく意味がない。
他方で、ドレミは言っていないが「ラララ」などの無歌詞唱で音が取れている視唱というのは、視唱の目的を果たしており、意味がある。

しかし、彼らはそれを倒錯して考え、ラララで歌えていても「そもそも」ドレミが言えてなければ意味がないと考えているようである。
少なくとも、ドレミを言うことは視唱の目的の(すべてとはいわないまでも)一部であり、視唱を行う上での大前提であるかのように考えているようである。

これらについては、こちらの記事にも書いた通りである。

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実際、この勘違いが根強いことについては、私の指導経験からも裏付けられる。

1年ほど前、私がある生徒(それまで別の先生の元でソルフェージュを習っていた生徒)の初回レッスンを行った時、実力試験のつもりで彼に視唱課題を与えた。
その際に、私は彼に「この課題を、ドレミなどを付けずにラララで視唱してください」と言い、歌い方を明確に指定した。

すると、その生徒は、私の言葉を聞かなかったかのように「ドレミ~」で歌い始めた。
(あれ、私は確かに「ラララで歌って」と言ったのに???)
おそらく、この生徒の頭の中では、視唱といえばドレミを言うことが当然になっていたので、私の言ったことを理解できなかったのだろう。
あるいは、理解はできていたが、「視唱のレッスン・試験の場で歌う」といえばドレミを言う癖が既に付いていて、体がついてゆかなかったのだろう。

また、私の予備校では、夏期講座などの時には集団授業として私が普段担当していない生徒たちをレッスンすることもあるのだが、その時にも私は生徒たちに「ラララで歌ってください」と指定したことがある。
すると、生徒たちの中にはキョトンとしたり、「え、先生、何言っているの?」と言わんばかりの顔をした生徒が少なくなかった。
もっとも、その後生徒たちはしっかり「ラララ」で歌ったが、どこか歌いにくそうな様子であった。

また、私がかつて出会った生徒の中には、「ドレミを言わなければどうしても歌いにくい…」と言っていた生徒もいる。

東川清一氏の本の言葉を借りれば、まさに彼らは、手段と目的が倒錯したドレミの「奴隷」になっているようである。【6】

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さて、彼らの中に、ドレミを言うことが目的だという誤解が根を張っているとどうなるか?

すると、彼らは、本来適切なドレミの使い方である「移動ド」よりも、本来不適切であるとはいえ、ひとまず(五線譜から)手っ取り早くドレミを読み取れる「固定ド」唱法を選択する方向に流れる

というのも、彼らのような「初心者であり、かつ入試を間近に控えている生徒」にとっては、「試験場でひとまず形をつくる(そして、とにかく受かる)」ということに関心が向かいがちであるためである。
しかも、彼らが「形を作ること」イコール「どのような歌い方であれ、音高・音程を正しく取ること」ではなく、「形を作ること」イコール「音高・音程がどのようであれ、ドレミを言うこと」だと誤解しているためである。


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続きは記事を改めて書きたい。
ひとまず小まとめとして、日本の唱法教育の実態をあらわすキーワードを3つ挙げるとすれば、次のようになるだろう。

① 本末転倒
② 目的と手段の倒錯
③ 固定観念だらけ

(続く)


【関連記事一例】
【音大受験生向け】 「固定ド」唱法の方がいいのかな…と思い始めている生徒へ
実践と準備運動を混同するな ― 重要な補足
絶対音感の有無と、「固定ド」教育の無意味さ


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注)
【1】 実際は、「固定ド」唱法は絶対音感の有無とは関係なく無意味なメソッドである。ただし、絶対音感を持たない人にとっては、「固定ド」唱法で教育されてもいつまでたっても楽譜を読めるようにならない、それも、「形の上」でさえも楽譜を読めるようにならないという点で深刻である。詳しくはこちらの記事を参照されたい。
【2】 もっとも、このケース(大いに非難すべき)が多いことも事実であるが。
【3】 もっとも、階名唱の概念のない生徒が多いこと(これも大問題)も事実であるが。
【4】 もちろん、私のレッスンでは、初心者の生徒のこのような「言い分」は聞き入れない。(もちろん、生徒のためを思うからこそである)
【5】 正しくはそれぞれ「ヘ長調ではがドになる」「ト音記号はの音を示す」と言うべき。
【6】 こちらの記事での紹介した以下の本の63頁には、次のような一節がある。(強調は原著)

トニック・ソルファ法では、生徒にいつも階名つきで歌わせてはいけないとされています。さもないと生徒は、階名を発音することなしには音が取れないという、いわゆる「階名の奴隷」になってしまうからである、といわれるのですが、私たちも、このことを忘れてはならないだろうと思います。

移動ドのすすめ
東川 清一
音楽之友社
1998-12-10