以前私はこちらの記事で、階名(いわゆる「移動ド」)が異なる移調楽器の間の「共通語」であることについて書きました。
そこからさらに気付いたことを書くのが、今回の記事となります。

階名は声楽の異なる声種の間でも共通語となります。

以下はそのことについてです。

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声楽のための曲集というのはしばしば、同じ曲集であっても「高声用」「中声用」「低声用」などの声種別に本が分かれていることがあります。
例えば「イタリア古典歌曲集」や「コンコーネ」などを思い浮かべていただければ分かりやすいかと思います。
これはもちろん、学習者が自分に合った音高で歌えるようにするためです。

そして、このような声楽曲集では対象声種が異なると、同じ曲の同じ版の楽譜でもそれぞれで異なる調により記譜されることとなります。

例えば《仰げば尊し》が含まれているとすれば、以下のようになります。


① 高声用
あおげば尊し(高声用)000


② 中声用
あおげば尊し(中声用)000

③ 低声用
あおげば尊し(低声用)000


ここでは高声用が嬰へ長調、中声用がそれよりも短3度低い変ホ長調、低声用がさらに短3度低いハ長調で書かれていることが分かるかと思います。

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そして、以上の各楽譜を階名を使って読譜すると、階名が異なる声種の楽譜の間で共通語になります。

例えば、声楽のレッスンの時間に教師がピアノ伴奏役を兼ねていて、その教師の目の前にある楽譜と生徒の目の前にある楽譜とで声種が異なっているとしましょう。

実際、この状況は次のような場合に起こります(私にも経験があります)。

① 生徒Aは低声(アルト、バス)の持ち主であり、声楽の曲集も普段基本的には低声用を持っている。

② 他方で生徒Aの教師Bは高声(ソプラノ、テノール)の持ち主であり、声楽の曲集も基本的には高声用を持っている。

③ ある日、生徒Aがレッスンで見てもらうために、ある曲集の低声用を持って教師Bのところへ行く。

④ 教師Bはいつも生徒Aのピアノ伴奏をしながらレッスンを進めるので、今回も同じようにしようとする。しかし教師Bの手元には、生徒Aが持って来たのと同じ曲集は高声用しかない。したがって、教師Bがそのまま自分の楽譜で伴奏しようとすると、生徒Aにとっては高すぎて歌えなくなる。しかし、だからといって、教師Aにとっては自分の楽譜を低く移調して伴奏することも難しい。

➄ そこで教師Bは生徒Aに「君の楽譜(低声用)を貸してください。私がそれで伴奏するから。君は私の楽譜(高声用)を見ながら、いつも自分が歌っている音高で歌ってください」と言う。なお、相対音感がしっかり身に付いている生徒Aにとっては、高声用の楽譜を見ながら低声用の音高で歌うことはまったく難しくない。

⑥ 教師の手元には低声用、他方で生徒の手もとには高声用の楽譜があり、この状態でレッスンを行うこととなる。


以上①~⑥のような状況の元では結果的に、生徒と教師が互いに異なる声種の楽譜を見ながらレッスンを進めることとなります。もちろん、以上とは逆に生徒側の楽譜がより低い声用で教師側がより高い声用となる場合もあります。

さて、このような状況の元で、教師がレッスン中に曲中の特定の音を指して生徒に何か指示を与えるならば、どのように言えば合理的でしょう?
例えば、上記の《仰げば尊し》の3段目頭の音(以下譜例の矢印の音)のことを言いたい時に、教師はどのように言えば良いでしょうか?

① 教師の手元の楽譜(低声用、ハ長調)
あおげば尊し(低声用)矢印付き

② 生徒の手元の楽譜(高声用、嬰ヘ長調)
あおげば尊し(高声用)矢印付き

「そこの、先生の楽譜ではイになっているけれど、君の楽譜では嬰ニになっている音を……して」と言うのが良いでしょうか?
それとも、教師が自分の楽譜については特に言及せず「そこの、君の楽譜で言う嬰ニの音を……して」が良いでしょうか?

しかし、そもそも教師にとっては、生徒の楽譜が自分の楽譜よりも何度高くて何調であるのかということは、必ずしもすぐに分かるわけではありません。

やはりこの時こそ、階名を使って端的に「そこのラの音を…して」と言えばすぐに通じます
当の音がどちらの楽譜でもラであることについては、以下の譜例(矢印の箇所)の通りです。

①  教師の手元の楽譜(低声用、ハ長調)
あおげば尊し(低声用)階名付き

② 生徒の手元の楽譜(高声用、嬰ヘ長調)
あおげば尊し(高声用)階名付き

さて、このように言うと、「(音名であれ階名であれ)特に音の名前については言及せずに『そこの四分音符』や『3段目の最初の音』などと指示すれば良いのではないか」という意見も出てくるかもしれません。

確かに、単に即物的に特定の音を指す場合はそれでも良いかもしれません。

しかし、音の名前を言うことがそのまま音楽の構造の説明に直結するような場合は、やはり階名で指示する方が合理的です。

というのも、その場合は「そこはラの音で、主音でも属音でもないからもっと緊張感をもって歌って」「そこのラは下属和音ファラドの一部だから、主和音の時とは表情を変えて歌って」などのように言えば、音の音楽的意味と演奏上の指示内容とをスムーズに結合させて伝えることができるからです。
そして、そのように言うことで、階名を使わなかった場合よりもはるかに簡単かつ明確に、教師が伝えたいことを生徒に伝えられるからです。

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なお、以上は教師と生徒との一対一によるレッスンの場合ですが、声楽のレッスンに関連して階名が同じように共通語として機能する状況は他にも考えられます。

例えば、集団講習会などで、講習の対象となっている曲について受講生が互いに異なる声種の楽譜を持っているような状況です。
あるいは、集団レッスンなどで、異なる声種の楽譜を持っている生徒全員がユニゾンで同じ曲を歌うような状況です。

このような場合に、階名の共通語としての役割がしっかり認識され、機能するならば、生徒それぞれで持っている楽譜の声種が異なるからという理由だけで余分にコピーをする必要もありません。

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以上、声楽のレッスンでも階名を使うのが合理的であり、役に立つことがお分かりいただけたでしょうか?


以下は補足です。
もちろん階名には「役に立つ」という単なる実用主義的・功利的価値以上の、もっと音楽や音楽性の本質に関わる重要な意味や価値があります。

もっとも、最初は「役に立つ」という理由だけで使っているつもりであっても、結果としても音楽のより重要な側面の理解・習得に直接つながってくるのが階名であると言えるでしょう。

これについては例えばこちらおよびこちらのような、今までの本ブログの記事でも書いてきたことです。


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