フレッチャー留学生紹介の第42弾!

今回はイラク人のAliさん(Ali Rashid)をご紹介させていただきます!

イラクの首都バグダッド生まれ。2歳のとき湾岸戦争が起こり爆撃のある日々となり恐怖から吃音症に。14歳のときにイラク戦争が開始。政府勤務のお父様は7年間も牢屋に入れられ、お母様と妹さんと一緒にシリアへ避難、難民として暮らします。自分と同じイラク難民に何かしたいと高校生の頃に国際的なNGOのInternational Medical Corpsでボランティア。シリアのダマスカス大学で法律を専攻するも、シリア内戦が激しくなり、イラクに戻って法学部に編入。大学卒業後、高校生の頃のボランティア経験が買われて、International Medical Corpsの正職員に。今度は逆にシリア難民向けの医療活動の管理、報告業務を担当。フレッチャーでは紛争解決と国際的な人権などにフォーカスして学び、将来は中東地域の人権、正義、平等の促進に関わる仕事を目指されています。

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<Aliさんにインタビュー>

1. Before Fletcher ?


イラクの首都バグダッドで生まれ(1989年)で、父と母ともにイラクの省庁で勤務の中流階級の家庭で育ちました。2歳のとき(1991年)湾岸戦争が始まってバグダッドは頻繁に爆撃がある日々になり、恐怖から吃音症になりました。幼少期は戦争の背景なども分からず、なぜ自分たちの街が爆撃の対象にされるのか、イラクの他の人たちも同じなのかなどと考えさせられました。

14歳のとき(2003年)にイラク戦争が始まり省庁勤務の父は旧制府(野党側)と認識されて牢屋に入れられました。3月20日から4月9日の戦争に間で建物が爆撃で壊されるばかりではなく、人々の憎悪の感情、犯罪も増えて社会全体が壊されていくのを目の当たりにしました。

父が牢屋に入れられるほど身の安全が危なくなったため、母と妹と家族で車で14時間かけてシリアのダマスカスに難民として避難しました。父の友人でレバノン在住の人が生活費、学費などの金銭面のサポトをしてくれました。当時、自分は高校生で、同じアラビア語でもイラクとシリアは方言が違うので、最初はクラスに溶け込むのが大変でした。

シリアにはイラクから難民がたくさん来ていて、自分自身も難民であることから、イラク難民に何かしたいと考えました。Syrian Arab Red CresentというNGOで、パートナー先であるアメリカ系国際NGOのInternational Medical Corpsのプロジェクトでボランティアする機会を得ました。International Medical Corpsはダマスカス市内に散らばるイラク難民に向けて、巡回診療車で医療サービスを提供していました。

無実の父は7年間イラクで牢屋に入れられたのちに釈放。病気を患って退所後の数年後に他界しましたが最期は自由でした。自分はシリアのトップのダマスカス大学の法学部に進学しましたが、シリアの内戦の状態がひどくなり、家族でシリアからイラクに戻って、Erbilという街の大学で同じく法学部に編入しました。

故郷のバグダッドに8年ぶりに短期訪問しました。イラク軍で占拠され、建物が壊されているなど戦争の爪痕も色濃くあり、生まれ育った街のイメージから変わり果てていて大きなショックを受けました。

大学在学中、自分のレジュメを人材派遣会社に登録して就職活動をしていたところ、International Medical Corps(IMC)から声が掛かりました。高校生のときにシリアの同団体でボランティアをしていた経験が買われました。自分が加入した当時のイラクの同団体は10人程度の小規模。現在では900人以上の職員が勤めていますが自分は数少ない初期メンバーでした

International Medical Corps(IMC)はイラク国内のシリア難民キャンプに対して診療所での医療サービスの提供、精神的ケア、ジェンダーに基づく暴力の防止活動などを行っていました。自分はそれらの活動のモニタリングおよび評価、アメリカの本部への報告活動などに従事しました。

2. Why Fletcher ?

自分は同性愛者です。家族にカミングアウトした際に母は号泣して妹から病院に行ったほうがいいと言われるなど辛い経験をしました。イラクでは違法ではないものの民兵組織などに同性愛者が殺されたり理由なく牢屋に入れられるケースもあります。家族には同性愛者であるのは自分の一部分に過ぎないと説明して徐々に受け入れてもらいました。

IMCで勤務していたころアメリカ人のパートナーに出会いました。同性愛者としてイラクで働くのが大変だと感じていたのと、前から留学したいと思っていたため、アメリカの大学院を探し始めました。1か月の休暇を取って、留学への一歩と思い、オランダのハーグのサマースクールに参加したところ、その際の先生がフレッチャースクールを紹介してくれたんです。大学で法律を専攻しており、法律も外交も国際関係も学べるフレッチャーは第一志望で夢が叶ったかたちです。

アメリカへのビザはヨルダンで申請しました。空港で別室で質問を受けるなどありましたが、良い人ばかりで、ボストン、フレッチャーという環境の中ではイラク出身だからという理由での差別は受けていません。

フレッチャーでは、紛争解決学、国際交渉学、また国際的な人権にフォーカスして学んでいます。フレッチャーは同分野で本当に素晴らしい授業ばかりで、Diana Chigas教授による交渉学の授業は特に面白かったです。今学期は、Dyan Mazurana教授のジェンダーに関する授業も非常に実り多いです。

3. After Fletcher ?

卒業後は中東地域の人権に関わる仕事がしたいと思っています。具体的には女性やLGBTQなどマイノリティーの人権のアドボカシー活動など。イラクではISによって女性がレイプや暴行を受けるケースもあり、フレッチャに来る前はそうした女性を救うMADREというプロジェクトでコンサルタントもしていました。

自分は国家という概念よりも、International Citizensとして理想の国際社会の一員というアイデンティティーを持っています。国家という人々を分ける仕組みが紛争を助長している側面はあると思っています。アメリカはイラクよりも多様性を受け入れる点が好きで、現在Green Cardを申請中です。同性愛者であること、イラク難民としてシリアで過ごしたこと、多様で国際的なフレッチャーでの学びなど、自分のユニークさや今までの経験を活かして、自分らしく所属するコミュニティーの人権、正義、平等を促進する一助になれればと思っています。

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Aliさんの話はあまりにパワーに満ちていて、その壮絶な半生に圧倒されました。

イラクの好きなところTop 3を聞くと、「難しい質問だね」と一瞬答えを考えたのちに、①首都バグダッドの歴史と文化、成長する町としての勢い②メソポタミア文明発祥の地として7,000年の歴史ある土地③羊や鳥などの肉料理、ケバブ、お米などのイラク料理、とのことでした。

Aliさんという素晴らしい学生に出会えたことにフレッチャーという多様な環境で学べる醍醐味があるような気がしました。高校生時代にテレビのニュースで目にしていたイラク戦争という歴史が、イラク出身の学生から「生」の話を聞くと、胸に迫るものがありました。

悲しい歴史を繰り返さないために、自分の人生で何ができるのか、問われるようなインタビューでした。


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