寓話と女が夜に来る

日本唯一の‘ポエトリーロックバンド’ Flight Of Idea (フライト・オブ・イディア)の首謀者、 詩人・東雄一朗のカジュアルかつブルースな日常思考。 東京に居ながら記す東京の旅記録。 虚実入り混じった都会の寓話。ドン引きなんて云わないで! いや、言わなきゃわからない。

Flight Of Idea Info→http://travelinword.com/ SHIBUYA-FM78.4「EVERYBODY KNOWS?」→http://ameblo.jp/everybodyk ※毎月第1&第2日曜日18〜19 O.AのY.AZUMAがワンマンスタイルでお届けするレギュラーRADIOプログラム。1997年2月〜現在まで連続700回以上放送の長寿番組。 出演ゲストはJOE STRUMMER、JAMES CHANCEをはじめとした国内外の大物ミュージシャンがフラっと立ち寄り、時には貴重なスタジオLIVEも行われる。 最近は好評シリーズ「街の定点観測シリーズ」や選曲中心の「KEYWORD FOR MUSIC」といった新展開も。日本一フレキシブルな1時間。 YUICHIRO AZUMA ON TWITTER→http://twitter.com/yuichiroazuma

SHIBUYA-FM 一時放送休止番組21〜23まで

2013年年明け早々に私のTWITTERでは随時アナウンスしていましたが、

私が長く関わってきたSHIBUYA-FMが本日1/10(木)23時を以て
諸事情により一時放送停止となります。

96年12月の準備期間を経て、97年2月よりご愛顧して頂きました
「EVERYBODY KNOWS?」も先般1/6(日)の放送を以て
一旦の最終回を迎えました。

いつも以上に多くのリスナーが全国各地、ワールドワイドに聴取してくれたようで、
スタートさせた当初に目したことは奇しくも最後には
ある部分で果たせたのではないかと思っています。
たくさんのリスナー、多くのゲスト出演者、スタッフのおかげです。
心よりの謝辞を胸に秘めています。有難うございました。

時代の変遷で逃れられなかった現状に至るまでの経緯は、
一番組担当者を越えて関わっていた者として多くを把握していますが、
今は語るに及ぶ必要はないことです。


ただ形を変えて、必ず復活するものであると思っています。


さて
今夜21〜23まで

しばしのお別れの放送が行われます。
現状番組に関わってきた出演者、縁のある方々が
多数集ういわば「SHIBUYA-FM ALL STARS」。

未来へ向けての放送と語ると綺麗事な物言いになってしまいますが、
新しいSHIBUYA‐FMに変わる為の第一歩の放送として
そっとラジオに寄り添ってもらえたら嬉しいです。

78.4MHZのラジオ本体、カーラジオでの受信はもちろんのこと
shibuyafm.co.jp
もしくはスマートフォンアプリTUIN RADIOにて
どこからでも受信可能です。


私も短く参加しますが、こういう全体論が感じれる機会はないので
是非ともご視聴頂けますようよろしくお願い申し上げます。



東 雄一朗

孤独を目一杯引き受けて観念を感性で引き戻すこと

【SOTTO】
心を亡くしてしまった私の遠くでいつかに何かを刻んでいた男たちが
自らを蓮の咲く水面の下に埋葬してしまった
三人もだ 人知れず

一人はバイクで走る道が見つからずに
一人は空回りしてふと転び
一人はふてぶてしく異国の地で地上を嘲笑うかのように
消えていったのだ
刺激をもっと頂戴と静かに秘めながら

オレを消してくれ オレを消したいと
オレは消えている オレは消えている

心亡くして忘れられるのが怖かったのさ

始発電車がもう少しで夜明けの合図を鳴らすのを待ち切れなかった

孤独を目一杯引き受けて観念を感性で引き戻すこと
間に合わなかった
やりきれない風がそっと頬を撫でて
そっと そっと そっと そっと寄り添って

本当は何もいらないし 何も持っては旅に出れないし
そっと そっと そっと そっと寄り添って

温まろうか
気まぐれに猫でも飼ってさ

心を亡くした者たちを
悲しむことはしない

孤独に寄り添うことをまだしなくちゃいけないからね

2012/12/22
photo

新しい地図は沖縄から

相変わらずの公約違反の拙blogですが、
本日で43歳也。

本来は42歳の地図を描き終えて沖縄で新しい地図を描こうと目論むも、
独自の勘と諸事情でYAZUMAこと私の新しい音楽とコトバの旅は
沖縄4Days興行からはじまります。
変わらずいい加減でデタラメですが
これはもうビョーキなので治りそうにない(笑)。

出来たばかりのソロ作
「RUDE BEATNIK」を鞄に詰め込んで。

今回の旅は昨年FOIでもサポートして頂いた
鍵盤の魔術師・LittleMasta氏の全面サポートによるものです。
もう何から何まで。

新しい何かを獲得することが出来たらいいな。
初心に戻って。

このYAZUMAソロシリーズ昨年は稚内まで到達、
今年は沖縄。


燻り続けているいる東京の日常に変化をもたらす旅であることを願って。
YAZUMA 2012_HP

ラストショウ

終りながら新しく続いてゆくもの。
何もなかったように続いてゆくもの。
何もなかったように終ってゆくもの。

今年の夏はそんなことを考えさせる
身辺のマイナーチェンジが静かに取り巻いている。

2000年4月〜私の拠点であったSHIBUYA-FMのスタジオが
渋谷駅から連結しているマークシティから移転するという。
(番組は継続しますが)
ラジオのリスナーにはスタジオの中のこと知る由もないだろうが、
私にとっては数多くのミュージシャンをはじめとする人々との
出会いの場所であり、音楽の創作の場であり、
伝えたいコトバと音楽を発信する場所であった。
渋谷東交番前のスタジオ、代官山鎗ヶ崎交差点スタジオから
換算すること15年。SHIBUYA-FMを媒介にしてすれ違った人々は
1000人は下らないだろう。


移転の話を聞いた時には通い慣れた学校がなくなるような気持ちがしたが、
終わってゆくものに対するセンチメンタルな感情は、
すぐに消えてなくなることに気付いた。
歳を重ねてゆくにつれ感情の力点は
一点に留まることを望まないということなのかもしれない。
日々の中ではすぐに良悪問わない次の何かが訪れるだけなのだ。


人との別れ、場所の消失etc
私たちは通り過ぎるものの中で暮らしてゆくのが常なのだという
だいぶ達観した捉え方ではあるが。


【ラストショウ】
運動不足解消
お酒とお食事とラテンダンスを
打ち水を放った路上に
夕張りが溶け込んだ頃に
ひとりのコロニーの中に
今夜もゆっくりと入ってゆく
誰もいない惑星の中に降り立って

人は人を許さない
人が人を許せない
すれ違って

服の先がすれ違ったら
男がこう言った
舌打ちをしながら
その舌打ちが・・・・
ビルの間と間に
ビルの間と間に ビルの間と間に ビルの間と間に 
ビルの間と間に響き渡って
今夜も知らない間に
東京にスコールが舞い降りて涼しくなって
その熱気がゆっくりと立ちあがって蒸した空気がとても気持ちの良くない
そんな煙の雲が射している
だから
運動不足解消
お酒と食事とラテンダンスを
ゆるく楽しめば誰かと誰かを許すことが出来るかもよ

ある時に咲いた花は
短い時間で枯れてしまい
ある時に朽ちた木は
誰かのためになって
ひとつの輝いた時間が終わっても
次の新しい…


人は消えるし
場所はなくなるし
物はどこかへ消えてくし
僕たちは毎日何かを食べて生きていかなきゃいけないから
ワントゥスリーハー!

ありのままを受け入れて
さようならは新しい挨拶の言葉
ありのままを受け入れて
さようならは新しい挨拶の言葉

君とは壁を一枚挟んで
君とはモニターを一枚挟んで
この声が届けばいいなんて思いながら

消えてゆく夏の夕方
打ち水が沁みて蒸気に上がってゆくように
声も消えてゆく
さようならは新しいはじまりで
そろそろ幕を閉じて次にいこうかね
ありがとう

2012/08/12


★マークシティスタジオでお送りした最後の「ERVERYBODY KNOWS?」で
Flight Of Ideaのメンバーと今年初めて揃って顔を合わせて
いつものように生セッションを交わした。
ベースのタカアキは不在だったが、
平松慎吾のアコギと広川晴基の打ち込みと三人で。
一期一会の即興セッションは成形、継続楽曲に至るかは分からないが
その時の即興詩を書き起こしてみた。
たまにブログを開くと多弁になってしまうのだが、
最近の思考はやはり詩の中に内包されているのだと思う。

FOI20120812

Photo By金子山

今年は人と音を交えることなく地味な日々だったが、
会わないメンバーと大した会話することなく、
音楽で会話するのはやはり健全なコミュニケーションだなと。

これからはじまるゆっくりと長い旅になりそうな予感がしている準備として
YAZUMAのソロアルバムは、最終仕上げ場所として
ひっそりマークシティスタジオで構築させてもらっていた。

これからソロ作を作り続けられるかは未知数だが、
マークシティスタジオを去る前に完成に至ったことに
感謝している。

014


由あって夏の旅は沖縄だけ。

そのことについては出来るだけはやくに。

42歳の地図〜Nonesense In My Life〜予告編

長い沈黙に別れを告げるには、新しい旅の準備に入る必要があった。
以前なら意気揚々と残してきた寓話もそうは起こらない。
何から話せば良いのか分からないが、昨夏の旅の終りから
延長戦で京都、仙台へ短い演奏旅行に出掛けた後から、
音楽表現に関しては敢えて何も取り組まないことにしていたのだ。

少しは?気にかけて頂いている方もいるかもしれないが、
これだけあまたのエセ表現が鳴っていると
何も語りたくない気持ちであったことだけは確かだ。

何か内側にあるならば、それはこういう簡易な場で吐露する必要はもはやない。

曲がりなりにも覚悟を決めて「表現者」であることを選択したならば、
渦巻く邪悪な事象や人々や社会に対して呟くのはどうにも「みっとも良く」ない。
要は己の所有するカメラを磨いて写し出すことが重要なのだと思う。

春先まで自身の中で決まりをつけなければならぬ作業に大方メドが立った。
これは足掛け四年の時間を必要とした。
巨大な得体の知れぬ憑きものが取れた気がした。
その辺りから短期的なヴィジョンしか作って来れなかった私にしては珍しく
長期的に作品を作るプランが湧き上がった。
Flight Of Ideaの活動はこれゆえ私の行動開始待ちにしているのは
忍びないが、ゆっくり始めます。

並行してやはり取り組むべきは、新しい旅を始めることだとやはり思ったのだ。

一年が過ぎると、
旅で世話になった出逢った人々の人生も当たり前に変化する。

ある男はこの春、人知れず世を去った。
優し過ぎた真面目な人は生きるのがきっと辛かったんだろうな。

ある男は大病を患い何とか彼岸から還ってきた。
また男の明るさに触れたいと思った。

ある男は夏に所帯を持つという。
ある男には最近子供が生まれたという。
ささやかに祝いを述べたいと思っている。

ある女は旧い夏の約束などなかったことにしている。
新しいアイデアは葬られた。
時間は熱い気持ち冷ますものだ。

ある女は都会の光に憧れながらも山の町に留まるしかないようだ。
アヤシイ男に興味を持ちながらも…

少しずつリハビリする時間をおしまいにしないといけない。
また会える人、もう会えない人、新しく出会う人との物語を作ることにした。

07年夏からの旅も今年で5度目。

今年はこれまでのような7/末〜北から南までを周回するものではなく、
盆明けより関西以西〜沖縄までの旅になる予定だ。
各所、水面下で進めている段階ではあるが、
8/30〜9/2までは沖縄にてYAZUMA興行を行うことだけは確定している。


それに合わせて前後の予定を立てつつ、
60%程度完成しているYAZUMA 1stアルバムを完成させたいと考えている。
アルバムタイトルは
「Nonesense In My Life(デタラメな私の人生)」。
二度と再現できない全て無学で触って弾いている楽器と言葉の音楽。

ツアータイトルもそれに掛けるのとこれまでのシリーズの延長ということで
「42歳の地図。〜Nonsense In My Life〜」と銘打つつもりである。

これまで短期集中で旅をしてきた弊害が
東京での生活に支障をきたしてきたし、
夏以降もせっかく作品を制作するので、
断続的に各地に寄れたらというのが、私が所望していることである。

新シリーズ開始に伴い、昨夏の旅の尻切れな物語もいくらか時間があるので、
この場で補完したく思うので、期待せずにたまに覗いてみて下さい。

細かくアナウンスすべき事項はもっとあるはずだが、
まずはこんなご挨拶から。

東京にいると私のような非社会人は
ときにうとまれ、ときに興味を持たれるも
本人無自覚ながら以前以上にドン引き岬からみな私を見ているようだ。

貞子を遠くから見るのはいいが、
3Dで接近すると遠巻きになってしまうようにね(苦笑)。

DVC00018


ならば世間のその違和感はやはり表現で解消して、
わづかに拾ってもらえる場所や人に生かすしかない、
と改めて腹を決めるしかないということなのです。


まあ真面目にデタラメに一生懸命生きようかと考えているのです(笑)。
DPP_8224

ファウストは今だ正体不明である

IMG_1340

沈黙の熔解を。

【ホーミー博士】

平日の昼間に私は取り調べ室にいる
機械になることを拒んだからだ

夢の中に懐かしい人が出て来たら電話をしてみよう
困ったことにその人は茶色い涙を瞳のダムに浮かべていて
美しい裏切りばかりを繰り返す
そんな泥水を除けようとアスファルトに美しい光が照らし出されて
雑踏の中で私は沈黙を繰り返す
饒舌は邪魔だから影を消そうとするのだが
人々には益々その影が邪魔で仕方ないという
自分の影を見たくない人々はあてのない影を標的にして今夜も飽食を貪ろうとするのだ
隣人が泣いているのも気づかずに

こうしてどんな悲劇も喜劇として延々と時間は過ぎてゆく

箱庭を覗くといつでもホーミーが聞こえるよ
HO HO HO
博士はいつもそう呟いていた
取り調べ室と研究室を行き来しながら
パイプをゆっくりと燻らす
HO HO HO
正当な理由の旗を掲げながら
立つ土地を必死に守ろうとする人たちにあきれながら
笑顔を裏で悪意に変えながらいる人に哀しみながら

アイ・ドン・ライク・ユー
ユー・ドン・ライク・ミー
ボタンを押せばいつでも景色は変わる
アイ・ドン・ライク・ユー
ユー・ドン・ライク・ミー

博士は今夜もホーミーを嘆きと共に呟く
ウォホーウォホーウォホーウヲホー
ライオンの頭を玄関に置くのをためらいながら
2012/04/23

ラジオ

7/27いわきからスタートした4度目の全国ソロ行脚
「41歳の地図〜ATO-YAKU GOLDRUSH!」
現在までいわき、仙台、盛岡、弘前、青森、札幌、北見、旭川と順調にLIVEを楽しんでいます。
なかなかツイッターでの速報ばかりでblogネタ溜まるばかりですが
今夜は22時〜さっぽろ村ラジオというコミュニティFMにて札幌在住の友人mew sugoi君の番組にて1時間ゲスト出演します。

こちらからPCにて御視聴出来ます。
旅の途中のお話なぞお楽しみ下さい。

さっぽろ村ラジオ
http://www.sapporomura.jp/
「KILLER TUNES!」
今夜22〜23

http://www.nzfm.jp/ →こちらからアクセスしてください。

では。

7/26〜27 ボヘミアンホテル〜いわきダイジェスト

0608d567.jpg旅に出る理由はいくつかあったんだけど
旅に出てしまったら理屈はどうでもいいものになってくる。

でも最初に少しだけ。

前回のブログでは表現活動的な理由を記した。

今回は個人的な理由をね。


2年前の「39歳の地図」の旅は
今振り返ると何かを終わらせるには必要な旅立った。

めくるめく魅惑の旅の後、
東京に帰ると
家族のようなものは跡方もなくなくなっていた。

それはとても残酷な結末だった。
悲喜劇としてだけどね。

朦朧と一年以上、東京で暮らしていても
何か表す行為だけはやめなかった。

だから今年に入って2つの作品を小さな力で
世の中に送り出すことができた。


2年前の旅の成果ともいえる。
「季節はずれのKAIDAN。見ないとわからない」

「Blue Colours」。


3・11以後、
より気持ちが強くなった。

何の正義感もない。
何の同情もない。

すべてをどう受け入れて
何者でもない己を生かす方法は
また旅に出ることだった。

一人の偉大なミュージシャン荒井ABO誠さんの訃報を受けた。

2度しか会ったことないけど
心の支えの言葉をもらっていたから
北海道の地でせめて墓前に花でも添えたいなと。


その道すがらは東北をいくつか経由したいと思った。
しなければならないという奢りはない。

町の人々の本当の声を集めて
北から南、小さな声を伝えたいと思ったんだ。


7/26
ボヘミアンホテル屋上にてYAZUMA出発前夜祭。
友人ら15名ほどでパーティを催した。
派手なアナウンスもないのに嬉しかった。


翌晩はギタリスト稲留春雄君とLITTLE MASTA先生と
ボヘミアンホテルスタジオからUSTでつま弾く音のセッション。
翌朝は
24歳団長君という青年に重い荷物を少し手伝ってもらいながら
田町駅から日暮里経由で常磐線に乗り込み
2度目のいわきへ。


前回は無謀なワンマンライブでのツアースタート地点。
お客さんは80人くらいのキャパで2人だった。
今回はNPO福島復興支援の方々がオープンライブに混ざり
にぎやかに過ごさせてもらった。

前回の2人のお客さんの一人がお見えになっていて
「あの時は金返せと思ったんだけどまた来たのか(笑)」と
軽いプレッシャー。

現場にいらわきの敏腕ミュージシャンのサポートで
フリーキーに自身の幕を上げた。

その客さんは演奏途中で野次を飛ばした。
「やめちまえ」と。

それは悪意あるものでなく
「続けろよ」と私には聞こえた。

終わってからステージまで駆け寄ってきて
「2年前と変わってねえなぁ」と言われたけど
「俺にはこれしか出来ないんですよ」と言い返してみた。

少し前の私なら平謝りしていただろう。

彼は「嫌だけどもし次ぎ来たら3回目来ちゃうかもなぁ(笑)」と
言い残して帰って行った。

本当に嫌いならそんなこと言わないで帰る筈だから
来て良かったのだ。

音を合わせてくれたミュージシャンたちは
この4カ月楽器を触る気持ちも暇もなかったという。

本当に彼らの想いとシンクロ出来たかは私にはわからない。
でも楽しかった。
それだけで十分だった。

共演前に赤津さん室井さんという二人のミュージシャンが
どこかで私の活動に興味を抱いてくれていたという。


目に見えずとも潜在的にネット社会では情報が伝わっているのだなと
嬉しかった。


その夜は主催者側に近い方、
いわき市議会議員の赤津さんのお宅に泊めて頂いた。

一枚ラッキーカードを使った。

深夜築70年のお宅の居間で眠りに就くも、
先祖代々の10枚ほどの遺影が私を見つめていたから(笑)
浅い眠り。それで十分だった。

24時間前には想像もできないことが
YAZUMA旅の特徴だからスタートは上々。


そしてほどなくすると
赤津さんの奥さんは朝ごはんを私に賄い、
園長をなさっている保育園へ出かけた。
出会ったばかりの私は留守番を任された。
オープンハウス。


9時前に東京からこれまでの旅も随所で後方支援をしてくれている
車掌地蔵さまが998号(クルクルパー)で東京から直接いわきまで
迎車。

車掌地蔵は今も昔も最強のサポーターである。
感謝してもし切れない。

ほどなくすると赤津家長男慎太郎君が立ち寄り、
いわき沿岸域の状況を見せに車を走らせてくれた。

少しずつ前夜にいろんな人たちから窺った
町の現実を肌で感じた。

昼過ぎにいわきBAR QUEENの加藤さんとランチの席で
よりディープな東京に居てはわからない
3・11〜現在までの現状をお聞きした。

非常にデリケートな部分もあるので
ベラベラとここに記すのは憚られる。
憚りながら「後藤組長」である。


二人に別れを告げ
遠くない再会を期し、

いわきを跡にして
998号で仙台へ向かったのだ。


有難うございました。
いわき。
加藤さん。

また立ち寄ります。

レイ・ハラカミと伊良部秀輝がこの世から別れを告げたんだって?
だいぶ悲しい。



つづく


※最新情報と最新映像中継はTWITERにて告知されます。
このブログは行程の記録とまとめとなります。




見知らぬ私は

シガリロの女

年明けから手巻き煙草を嗜むようになった。
好みの銘柄の切らしてしまい買い求めようと
うだるような暑さのある昼下がり。
行きつけの煙草屋を訪れた。
その店は煙草愛好者には知られた場所で
「この前八つ目うなぎ食ったらギンギンになっちまって
女房が帰る前に独りでAV見ちまったよ」などと
日がな油を店先で売る初老の男がたむろしているような店だ。

そこに筋者のラ・マンでもやってそうな20代後半の女が
白いブラウスを身に纏い、しゃれた日傘を畳みながら自動ドアを開け入って来た。
「あのうシガリロありますぅ?わたし吸ってみたいんですけど…」
私はてっきり筋者への贈答品を買い求めに来たものばかりだと傍観していたのだが、
その瞬間背筋が伸びた。
シガリロとは葉巻とタバコの中間品で煙草通に言わせると
葉巻にもならない、かといって煙草にするには
中途半端に贅沢な葉を使用しているものだという。

女の声を聞きつけ
銘柄をロクに覚えようとしないで私に叱責されてしょげていた
ボンクラ中年アルバイト店員を押しのけ、
奥からエキスパートの店主が女の好みを選り分けて
「これなんかいいんじゃないですかね?」と女にいくつかウインドウケースから
シガリロを見せている。

私はこの女がどうしてシガリロという代物を吸ってみようと思ったのかの
事の真意を知りたくなった。

電話が掛かっていたあからさまな小芝居を打ち素早く店先に出て
シガリロの女が出てくるのを待つ。
満足そうなその顔が通り過ぎようとするタイミングで電話をポケットにしまい
「お姉さん、シガリロ吸うなんて素敵だね。良ければシガリロについて
涼みながら話さない?」と真っ向から勝負に出たのである。

日傘に隠れた顔を正面から見ると
高級クラブで働いていそうな夜の匂いがした。

女は間髪入れずこう言った。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「暑いからさお茶でも飲みながら…」
「はいっ。大丈夫です」

女はきっと中途半端なシガリロのような私を
夜に培った審美眼で見抜いたのだろう。
振り返りもせずに横断歩道を渡った。

私は願わくばシガリロを燻らす姿だけでも一目見ることさえ許されず、
急な坂道を登りながらボヘミアンホテルへと戻ることにした。


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ドン引きですね?こんばんは。


随分とブログというメディアで意志表示をするのは久しぶりな感じがする。
3・11以降、何かを意志表示する手段として
Twitterやボヘミアンホテルから気ままにお届けしてきた
ラジオ的USTをほぼ週2回ペースで配信。
そこでは必要とされるだろう情報と「寓話と女」なロクデモない日常と
自らの所信を現わしてきたのだが、
どうも腰を据えて文章を綴るというブログでの所作に日常のスピード感の早さと
ブログのじっくり感がジャストフィットしなかった。

まあそれを人は怠慢とも呼ぶのかもしれない(笑)。

ざっとブログ不在の間の自身の動向を検証してみる。
一部批判と取られる可能性もこれから書くことで受け取られることもあるだろうが、
私の中の事実だから仕方ない。

昨年の今頃から企画を温めようやく今春に開花させた
芸人・BBゴロー氏とのコラボレイト
「季節はずれのKAIDAN。見ないとわからない」のデジタル配信。
3・11の影響でリリースが延期になった。
止む無し!だが、

プロジェクトがスタートしてからリリース元の担当者の
あまりにも私の経験や概念からは逸脱する職務進行の遅さ、
数々のあり得ないコミュニケーション・ブレイクダウン。。。
そんなこともあり、現状満足な伝わり方とは至っていない。
笛吹けど踊らず。

それでも発案者として強引に舵を切り船を進めるしかない。
世間が自粛なぞというマヤカシの時期にリリース記念となるはずだったイベントを
「リリース延期記念ライブ」と銘打ってみた。

そしてリリース記念イベントは
久しぶりに随分と残念な気持ちが残ってしまった。
一晩は悔しい想いでいっぱいだった。
もう消えているが。
自由に好きに精一杯演じることとただ自己陶酔で周囲を顧みないものは
表現物として異なるものだ。
それは本当のプロフェッショナルではなく、
ただの三文役者の自意識過剰であることを知った。
ふと気が付くとやけに喜怒哀楽が激しい日々が続いてしまっていた。
特に怒がだ

そんな志半ばの一連のプロジェクトを挟む形で参加したイベントでは
これまでと何ら変わらぬ表現方法でFlight Of Ideaを走らせているだけなのに、
気恥ずかしくなるほどの称賛を浴びた。

いつかの日に私の関わる表現が受け入れられる日が来るとするなら、
それは世の中の価値観などが180度転換される時だろうと
半ばあきらめで思ったことがあった。

どうだろう。

現状の日本は私が夢想した状況に陥落しているではないか。

ならば少しの追い風、納得出来るものかもしれない。
吉凶半ばのものではあるが。



ふと気が付くとデジタル配信という形のない作品以外に
新たな意志表示をする作品を発信していなかった。

これまで2枚の作品をバンドとして発表するも
当時のメンバーは私以外すべて入れ替わっている。


幾度かのメンバーチェンジを経て、
それぞれの役割と人間関係は今がベストだ。
願わくばベストな状態でエターナル・トレインに乗り続けたいものだが、
これに限らず未来はわからない。

このブログの古い読者なら多少の予備知識はあるだろうが、
会ったこともないロシア美女dariyaとの出会いをモチーフにした妄想を
作品化するという閃光が春先に脳内を走った。

アルバムについてはおいおい説く必要があるが、
私の妄想往復書簡をまだ見ぬ地ロシアの写真で重ね合わせ、
楽曲自体も結果的にコンセプチュアルなまとまりに至った「Blue Colours」という
アルバムがあれよあれよという間に完成した。
foi-bluecolours-jk

この作品は既にライブ会場では入手出来る代物。
2枚のアルバムで大手ディストリビューターを通して流通させたのだが、
結果的に大きな痛手を個人的には負ってしまった。

作品の評価とは裏腹に敢えて言うが時代にとって早すぎる作品ゆえ、
思うような販売結果には結びつかず
録音時のメンバーが去って新たな仲間が集っても
そのマイナス部分は責任者である私が当然すべて被ることになる。
生活状況が不安定な個人的事情ではかなり負担の大きい対価だった。

しかし約4年掛かり丁度そのマイナスが解消されるタイミングで
うまいこと「Blue Colours」が解き放たれたという訳だ。
だから「Blue Colours」を一枚一枚、富山の薬売りのように
どこかの誰かに届けることもこれまで以上にしなければならない。

それが既にHP、TWITTER等で発表している
明日からの2年ぶりに全国行脚するソロ興行に出掛けるひとつの理由なのである。

久しぶりゆえ随分と饒舌になり長く書き過ぎた。

より私の中に内在する旅に出る理由は次の項で。

つづく



史上初の試み!?

http://www.ustream.tv/channel/everybody-knows1

今夜も進化するUST間もなくはじまります!
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