年明けから手巻き煙草を嗜むようになった。
好みの銘柄の切らしてしまい買い求めようと
うだるような暑さのある昼下がり。
行きつけの煙草屋を訪れた。
その店は煙草愛好者には知られた場所で
「この前八つ目うなぎ食ったらギンギンになっちまって
女房が帰る前に独りでAV見ちまったよ」などと
日がな油を店先で売る初老の男がたむろしているような店だ。

そこに筋者のラ・マンでもやってそうな20代後半の女が
白いブラウスを身に纏い、しゃれた日傘を畳みながら自動ドアを開け入って来た。
「あのうシガリロありますぅ?わたし吸ってみたいんですけど…」
私はてっきり筋者への贈答品を買い求めに来たものばかりだと傍観していたのだが、
その瞬間背筋が伸びた。
シガリロとは葉巻とタバコの中間品で煙草通に言わせると
葉巻にもならない、かといって煙草にするには
中途半端に贅沢な葉を使用しているものだという。

女の声を聞きつけ
銘柄をロクに覚えようとしないで私に叱責されてしょげていた
ボンクラ中年アルバイト店員を押しのけ、
奥からエキスパートの店主が女の好みを選り分けて
「これなんかいいんじゃないですかね?」と女にいくつかウインドウケースから
シガリロを見せている。

私はこの女がどうしてシガリロという代物を吸ってみようと思ったのかの
事の真意を知りたくなった。

電話が掛かっていたあからさまな小芝居を打ち素早く店先に出て
シガリロの女が出てくるのを待つ。
満足そうなその顔が通り過ぎようとするタイミングで電話をポケットにしまい
「お姉さん、シガリロ吸うなんて素敵だね。良ければシガリロについて
涼みながら話さない?」と真っ向から勝負に出たのである。

日傘に隠れた顔を正面から見ると
高級クラブで働いていそうな夜の匂いがした。

女は間髪入れずこう言った。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「暑いからさお茶でも飲みながら…」
「はいっ。大丈夫です」

女はきっと中途半端なシガリロのような私を
夜に培った審美眼で見抜いたのだろう。
振り返りもせずに横断歩道を渡った。

私は願わくばシガリロを燻らす姿だけでも一目見ることさえ許されず、
急な坂道を登りながらボヘミアンホテルへと戻ることにした。


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ドン引きですね?こんばんは。


随分とブログというメディアで意志表示をするのは久しぶりな感じがする。
3・11以降、何かを意志表示する手段として
Twitterやボヘミアンホテルから気ままにお届けしてきた
ラジオ的USTをほぼ週2回ペースで配信。
そこでは必要とされるだろう情報と「寓話と女」なロクデモない日常と
自らの所信を現わしてきたのだが、
どうも腰を据えて文章を綴るというブログでの所作に日常のスピード感の早さと
ブログのじっくり感がジャストフィットしなかった。

まあそれを人は怠慢とも呼ぶのかもしれない(笑)。

ざっとブログ不在の間の自身の動向を検証してみる。
一部批判と取られる可能性もこれから書くことで受け取られることもあるだろうが、
私の中の事実だから仕方ない。

昨年の今頃から企画を温めようやく今春に開花させた
芸人・BBゴロー氏とのコラボレイト
「季節はずれのKAIDAN。見ないとわからない」のデジタル配信。
3・11の影響でリリースが延期になった。
止む無し!だが、

プロジェクトがスタートしてからリリース元の担当者の
あまりにも私の経験や概念からは逸脱する職務進行の遅さ、
数々のあり得ないコミュニケーション・ブレイクダウン。。。
そんなこともあり、現状満足な伝わり方とは至っていない。
笛吹けど踊らず。

それでも発案者として強引に舵を切り船を進めるしかない。
世間が自粛なぞというマヤカシの時期にリリース記念となるはずだったイベントを
「リリース延期記念ライブ」と銘打ってみた。

そしてリリース記念イベントは
久しぶりに随分と残念な気持ちが残ってしまった。
一晩は悔しい想いでいっぱいだった。
もう消えているが。
自由に好きに精一杯演じることとただ自己陶酔で周囲を顧みないものは
表現物として異なるものだ。
それは本当のプロフェッショナルではなく、
ただの三文役者の自意識過剰であることを知った。
ふと気が付くとやけに喜怒哀楽が激しい日々が続いてしまっていた。
特に怒がだ

そんな志半ばの一連のプロジェクトを挟む形で参加したイベントでは
これまでと何ら変わらぬ表現方法でFlight Of Ideaを走らせているだけなのに、
気恥ずかしくなるほどの称賛を浴びた。

いつかの日に私の関わる表現が受け入れられる日が来るとするなら、
それは世の中の価値観などが180度転換される時だろうと
半ばあきらめで思ったことがあった。

どうだろう。

現状の日本は私が夢想した状況に陥落しているではないか。

ならば少しの追い風、納得出来るものかもしれない。
吉凶半ばのものではあるが。



ふと気が付くとデジタル配信という形のない作品以外に
新たな意志表示をする作品を発信していなかった。

これまで2枚の作品をバンドとして発表するも
当時のメンバーは私以外すべて入れ替わっている。


幾度かのメンバーチェンジを経て、
それぞれの役割と人間関係は今がベストだ。
願わくばベストな状態でエターナル・トレインに乗り続けたいものだが、
これに限らず未来はわからない。

このブログの古い読者なら多少の予備知識はあるだろうが、
会ったこともないロシア美女dariyaとの出会いをモチーフにした妄想を
作品化するという閃光が春先に脳内を走った。

アルバムについてはおいおい説く必要があるが、
私の妄想往復書簡をまだ見ぬ地ロシアの写真で重ね合わせ、
楽曲自体も結果的にコンセプチュアルなまとまりに至った「Blue Colours」という
アルバムがあれよあれよという間に完成した。
foi-bluecolours-jk

この作品は既にライブ会場では入手出来る代物。
2枚のアルバムで大手ディストリビューターを通して流通させたのだが、
結果的に大きな痛手を個人的には負ってしまった。

作品の評価とは裏腹に敢えて言うが時代にとって早すぎる作品ゆえ、
思うような販売結果には結びつかず
録音時のメンバーが去って新たな仲間が集っても
そのマイナス部分は責任者である私が当然すべて被ることになる。
生活状況が不安定な個人的事情ではかなり負担の大きい対価だった。

しかし約4年掛かり丁度そのマイナスが解消されるタイミングで
うまいこと「Blue Colours」が解き放たれたという訳だ。
だから「Blue Colours」を一枚一枚、富山の薬売りのように
どこかの誰かに届けることもこれまで以上にしなければならない。

それが既にHP、TWITTER等で発表している
明日からの2年ぶりに全国行脚するソロ興行に出掛けるひとつの理由なのである。

久しぶりゆえ随分と饒舌になり長く書き過ぎた。

より私の中に内在する旅に出る理由は次の項で。

つづく