Ryo

















暗くなりすぎない程度に暗い話ですw

私って本当に智に出会うまではどんだけ心がカラッカラだったんだろうって思うんです。
もちろんカラッカラでも、息子の笑顔とかは私に元気をくれましたけど...足りない、満たされない渇きがいつも残り続けていたんです。

先日の記事で私はアダルトチルドレンだと思うと書きました。

これはきっと当たっているのでしょう。
人は自分以外の誰か(私の場合は親)に「期待」を抱いた時、それが大きければ大きい程に損なわれると「落胆」と「絶望」も比例して大きくなります。

これが私の場合は親に対して、自分への愛情なり、自分への関心だったり...。

親は子供の「自分を絶対守ってくれる」という期待には愛情を持って答えるのが当然だと思っていたから...。

まぁ今は落胆も絶望も通り越して達観しておりますので、だいぶ気持ち的に大丈夫になりましたけどね。望むだけ無駄だとさすがに悟りましたわ。( ̄▽ ̄;)

ただこれはアカの他人に対して同じ様な状態になるのはまったくもって本当に基本無駄だと思うのです。

私が思うに、息子ができたからこそ判るのですが、親は子供の欲しがる愛情を与えるのが親であって愛情だと思うんです。
ううん。そもそも「与える」だなんて思ったりもせず、無意識に愛して子供が自分の人生を豊かに歩んで行けるように守るのが親だと思っています。
なので自分の親がそういう親じゃなかったと結論が出た時の絶望は深かったです。

でも他人に対してはこれはまったく別で、何かを期待して損なわれたら...それは仕方がない。
その相手には相手の考え方や生き方があって、それは他人の為に変えるべきものではないから。

「期待」をするのは、その人の自由です。

でも他人である相手に、その期待と自分の望む結果を求めたら、それは時に相手から「自由」を奪う「枷」となります。
期待に答えて貰う為には、自分に対する相手の「信頼」と「愛情」を分かち合っているという前提が必要です。
これがある、揺るぎの無い信頼関係においては「期待」して「答えて貰う」のを望むのはアリですよね。

私は基本“見返りを求める”のはキライです。
自分がして欲しいから“してあげる”のもキライです。

“してあげたい”からする。

これで気持ちが完結しないと結局は自分の望んだ「結果」が出ない!とイライラモヤモヤするだけです。

嵐を応援していると私は自分がこうでありたいと思っている自分に近づく気がします。
心の渇きが潤ってくる気がします。

智を応援したいからする。

このスタンスはこれからも変えずに...。


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