先日の研修会の講話の続きです。(お待たせしてすみません)
次に、講師の山本先生ご自身が
信心に目覚められ、教師を志すまでをお話くださり、

さらに
四代金光様のお取次ぎを頂かれたときのことなどに触れながら
信心の稽古ということについてお話くださいました。

山本先生が教師になって何年か経ったある日、
講師のお父様である教会長先生の代わりに
四代金光様にお届けをさせていただくということがあったそうですが、
先生はその時うっかり、肝心の御献備を忘れてしまわれたそうです。
 
すぐに教会へ電話をし、立て替えてお届けさせていただくと
四代金光様が
「これは?」とお尋ねになられ、
事の次第を申し上げると、
四代金光様は、
「忘れたという事に気づかせてもらった、そのことにお礼を申しましたか?」
と仰られ、返答に困っていると
「あんたは、ここまで来る間のところで気づかせてもらったから、(ここに)来させて頂けた。
気づかなかったら、ここへきても何の用も果たせなかった。
気づかせてもらったということにお礼を申しましたか?」と教えてくださったそうです。

そうやって教えて頂いたことに対して、自分の中で、
素直に受ける心と、いや、そうはおっしゃられるけど・・・という心がある。

ある時、御本部の岡成先生に
「毎日ありがたい気持ちになりたいと思っていても、なれないことが多いし、
不足を言っては、また後戻ったりしますよね。」と言う山本先生に
岡成先生は
「四代金光様の御歌に
くりかへす 稽古のなかにおのづから 生れ来るなり新しきもの
というのがあります。
金光様ご自身も繰り返し稽古される中で、段々と変わってこられるところがあったのでは?
と思いながら頂くと、元気がでませんか?」
とおっしゃって下さったそうです。

四代金光様は、
28歳の時からお亡くなりになられた81歳9ヶ月の間に、
44,763首もの歌をお詠みになっておられます。
そのなかで、先述の「忘れたことに気づけた御礼を ・・・」ということについての御歌があります。

「ものわすれ よくするわれとなりにけり
         今日も忘れしこと 思ひいづ」(「土」第三集)

「伝へんと 思ひゐしこと忘れては
        思ひ出せぬと妻に言ひにけり」(「土」第五集)

「こんなこと忘れゐしかと ものわすれ
        よくするわれのつぶやきにけり」(「土」第七集)

「気づかねばぼや大火事となる道理
        気づきしことはありがたきかな」(「土」第十二集)

「些細なることなりといへ 気づきしこと
         先づ感謝をと思ひつぶやく」(「土」第十三集)


年齢を重ねて変遷していく四代金光様の御歌を読ませて頂くと
金光教で 「信心の稽古が大切」と言われる中身はこういうことであるなあと感じさせて頂きました。

その四代金光様がご帰幽になられる数日前に、病床で

「出来ないと悲しむよりも出来ること
         よろこぶべきとまたしても思う」(「土」第十九集)

という歌を詠まれたそうです。

この歌について、金光様の友人の歌人の方が
「これは金光さんの生涯を貫いた内容だった」とおっしゃったそうです。

昨日はありがたい心になれていても
今日そうなれるとは分からない
いやなことがあるとなかなかありがたい心になれなくなり
すぐ悪いほうに考えてしまうわたしであるけれど、

神様に一心に縋らせて頂きながら
そこを稽古させて頂く中に
神様がよりよき道をつけて下さることに気づかせて
いただくことが出来るのではないかと思います、ということでした。

(まだまだ続きます)