
日本人選手の海外移籍が相次いだ2021年、ほぼ無名の存在ながら、ヨーロッパで面白いようにゴールをとりまくった日本人ストライカーがいる。ヴァッカー・インスブルックIIに所属する18歳、FW二田理央(にった・りお)だ。
二田が所属するのはオーストリアの名門クラブ、ヴァッカー・インスブルックのU-23チーム。オーストリアの3部に相当する地域リーグで戦うチームにすぎない。とはいえ、二田は昨夏、サガン鳥栖からの期限つき移籍で海を渡るや、11月のウインターブレイク前までに14試合出場16ゴール。試合数を超える数の得点を量産している。
2003年生まれの二田は、いわゆる"パリ世代"。Jリーグでの実績こそ、わずか1試合出場の記録があるだけだが、彼の地で才能を開花させている二田は、東京五輪で逃したメダル獲得を目指す日本にとって、パリ五輪での秘密兵器となりうる存在だ。そんな気鋭の点とり屋に、一時帰国の機会を利用して話を聞いた――。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f111dc293a9c5e611a61e3f0332ed99b8726d25e
二田が所属するのはオーストリアの名門クラブ、ヴァッカー・インスブルックのU-23チーム。オーストリアの3部に相当する地域リーグで戦うチームにすぎない。とはいえ、二田は昨夏、サガン鳥栖からの期限つき移籍で海を渡るや、11月のウインターブレイク前までに14試合出場16ゴール。試合数を超える数の得点を量産している。
2003年生まれの二田は、いわゆる"パリ世代"。Jリーグでの実績こそ、わずか1試合出場の記録があるだけだが、彼の地で才能を開花させている二田は、東京五輪で逃したメダル獲得を目指す日本にとって、パリ五輪での秘密兵器となりうる存在だ。そんな気鋭の点とり屋に、一時帰国の機会を利用して話を聞いた――。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f111dc293a9c5e611a61e3f0332ed99b8726d25e
正直、もっと丁寧に味方につないで自分たちのボールにしてくれよ、って思う時もあるんですけど、そんなのお構いなしにどんどん前へいきますね(苦笑)

―高校卒業前にヴァッカーへ移籍することになった経緯を教えてください。
「昨年6月に(当時鳥栖の)GMの新里(裕之)さんから『オーストリアのチームからこういう話があるけど......』と聞いて、その場で『行きたいです!』と言いました。
自分としては、まずは(鳥栖の)トップチームに昇格して、そこで活躍してゆくゆくは海外へ行けたら、という夢はあったのですが、正直、トップに上がれるかどうかと思っていました。なので、『こんなことがあるのか?』とビックリしましたけど、うれしかったです」
―ちょうど同じ時期に行なわれたJ1第19節(2021年6月23日)の横浜F・マリノス戦で、2種登録ながらJリーグデビューしていますよね。
「その試合が、移籍の話を聞いた数日後でした。試合が終わって鳥栖に帰って、1週間後くらいにはオーストリアへ出発しました。とりあえずは練習参加ということで、ダメなら帰ってくることになっていたのですが、そのまま残れることになりました」
―最初に話を聞いたとき、ヴァッカーというクラブやオーストリアのリーグについて、どんなイメージがありましたか。
「何もなかったです(苦笑)。聞いたことがないクラブだったし、どんなところかも知りませんでした。
でも、オーストリアはドイツ語圏だし、自分の活躍次第でドイツのブンデスリーガや、ザルツブルクのようなオーストリアの1部リーグにステップアップできる可能性もあるって聞いて、まずはヨーロッパのサッカーに慣れようっていうところから始めました」
―実際に現地でプレーしてみた印象はどうでしたか。
「日本はうしろからしっかり攻撃を組み立てて、無駄なロストはしないで確実につなぐ、っていう感じのサッカーが多いんですけど、こっちはそれが全然なくて、縦に速い。ゴールへの意識が強いっていうか、守備も攻撃の一部として考えているので、攻守の切り替えもすごく速くて、日本とは全然違いました。
自分が鳥栖でプレーしていた時も、ボールを奪ったら、まずはマイボールにするっていう感覚だったんですけど、こっちはボールを奪ったら、すぐに縦へいく。別にそこで奪われても、また切り替えて奪い返せばいいって感じで、マイボールの時間とかを気にせずにゴールへ向かっていくんです」
―その違いに戸惑ったり、フラストレーションがたまったりすることはありませんか。
「正直、もっと丁寧に味方につないで自分たちのボールにしてくれよ、って思う時もあるんですけど、そんなのお構いなしにどんどん前へいきますね(苦笑)。
攻守の切り替えが何回もあるんで、体力的にキツい時間もあるんですけど、敵も味方もそういうことをあまり考えない。縦に速くて、チャンスがあれば裏を狙うので、横パスは少ないです」
―適応するのに苦労しましたか。
「鳥栖にいた時も奪われたあとの守備とか、攻守の切り替えはずっとやっていたことなので、確かに攻撃に移った時の意識は少し違いますが、鳥栖にいたから何とかなったっていうところがあったと思います」
―サッカーのレベルという点では、オーストリアの3部リーグはどうですか。
「レベル的には、もちろんJ1とかに比べて低いと思うんですけど、サッカーが全然違うので、得るものも全然違うというか、感じるものが全然違う。いい経験ができているっていうのは感じます。
それに環境という点でも日本では恵まれていたと、こっちに来てめちゃめちゃ感じています。芝がボコボコだったり、ロッカーも古かったり。鳥栖にいた時には、環境が悪いとか思ったことがなかったですから」
―そんな違いがあるなかでも、得点を量産できた要因は何ですか。
「チャンスがあれば縦へ行こうとするので、自分が(DFラインの)裏にアクションしたら、簡単に蹴ってくれるんです。うまく相手の前に出て得点を決めることも多かったですし、そういうやり方が自分に合っていたっていうか、自分の特長がうまく生きたことで効率よく点がとれたんだと思います。
ただ、裏に抜ければ、シュートを打ちきるところまでいけるのですが、3部リーグでもGKのレベルが意外と高くて、長身でセービングがうまい。『あ~、それが止められるのか』っていうシュートも結構ありました」
―実際に移籍してみて、海外でプレーするのに必要なことは何だと思いますか。
「プレーで頑張るのはもちろんですけど、やっぱり仲間とコミュニケーションがとれないとダメだなって思います。だから、重要なのは言葉ですね。自分は英語もそんなにできるほうじゃないんで。
今考えると、学校で英語の授業を真面目に受けていたほうがよかったなって、めちゃめちゃ思います(苦笑)。自分は授業をちょっと軽く見ていたというか、本気でやっていなかった。もっとしっかりやっておけば、英語ももうちょっと話せたのかなって。
今は2部練習がない午前中に週3回、ドイツ語のレッスンを受けているので、どっちかっていうと、今ならドイツ語のほうが少しできると思います」
―ヴァッカー・インスブルックIIのモラス雅輝監督(今季途中まで指揮。現在はトップチームを指揮)は、日本語を話せますよね。
「それは、めちゃくちゃ大きかったと思います。試合中もチーム全体への指示はドイツ語なんですけど、自分には日本語で言ってくれるので。そうでなければ、指示がわからないことも多かったと思います。前に一度、試合の途中で選手交代があった時にフォーメーションも変えたんですけど、自分だけそれがわかっていなくて、違うことをしていたっていうこともありましたから」
―違う環境でプレーしてみて、自身のプレーに変化はありましたか。
「いろんな形で点を決めてきているので、得点のバリエーションは増えたと思います。日本だったら、こんなゴールはなかったなっていうゴールもありました。今日はこういう角度からゴールができたなとか、シュートレンジが広がったなとか、新たな発見があるので面白いなと思います。
でも、今の自分の課題としては、こっちでは全然読めないタイミングでクロスが入ってきたりすることもあるので、予測もそうだし、センターバックとの駆け引きとかも含めて、それにうまく合わせられるようになればな、と思っています」
―少し話は遡(さかのぼ)りますが、そもそも大分県佐伯市出身の二田選手が、なぜ鳥栖U-18に入ったのですか。
「中学を卒業する時に選択肢はいろいろあったのですが、いくつか練習参加に行ってみて、鳥栖の練習が一番強度が高くて環境もよかった。自分は高校選手権に出ることよりもプロになりたいと思っていたので、それを考えたら、ここが一番プロに近づく道なのかな、と思って選びました」
―その頃から、いずれは海外でプレーしたいと思っていたのですか。
「鳥栖に入った時は、プロになりたいということだけでした。自分はホント、高1、高2の時は下手で、何もできなくてヒドかったんで(苦笑)。ホントにプロになれるのかなっていうぐらいで、海外とかそんなことを考えている場合じゃなかったです」
―鳥栖のアカデミーはU-15も全国優勝していますし、レベルが高いですよね。
「鳥栖のユース(U-18)は、ジュニアユース(U-15)から上がってきた人が本当にうまくて。自分はスピードとシュートっていう武器がありましたけど、それ以外のことは何もできなかった。他の技術を上げないと、シュートまでも持っていけないし、結構苦労しました。
(松岡)大起くんとか、(本田)風智くんとか、上にすごい先輩たちがいたんで、わからないことは何でも聞いて、少しずつ自分の課題を克服していったって感じです」
―同級生にも、昨年U-24日本代表に飛び級で抜擢された中野伸哉選手がいます。
「伸哉がU-17ワールドカップに出場しているのとかを見ていて、うらやましいなっていうか、すごいなっていうか。でも、やっぱり自分も入りたいっていうのがありました。だから、ホント悔しかったですね。それが頑張ろうっていうモチベーションにもなりましたし、盗めるものもありましたし、今もいい刺激になっています」
―二田選手自身も高校3年生になった昨年5月には、U-18日本代表候補にも選ばれました。
「自分も高3になって変わることができたと思います。代表は自分よりうまい人ばかりでしたけど、一度経験して周りがどういうプレーをするのかを感じられましたし、ひとつの自信にはなりました。
もちろん、天狗になってはいけないですけど、代表に入ってみたいっていう憧れはありましたし、自分も代表に入るまでになれたんだなって......、ちょっとその、うれしかったっていうか......、その気持ちはありました。オーストリアへ行ってからも、(U-18代表キャンプの動向などは)チェックしています。めちゃめちゃ気になりますね」
―3月にウインターブレイクが開け、今季の後半戦が始まりますが、今季終了後はどうなるのですか。
「鳥栖のトップチームでプレーしたい気持ちもあるし、今はいろいろと考えているところです。なので、その質問に答えるのは難しいのですが......、来季のことを決めるためにも、ただの夢じゃなくて、具体的に自分はどうしたいのか。まずは、はっきりした目標を決めないといけないと思っています」
―パリ世代のひとりとして、パリ五輪についてはどう考えていますか。
「もちろん、選ばれたい。パリ五輪に出たいっていう気持ちはずっとあります」
―東京五輪は見ていましたか。
「オーストリアにいたので1試合を通してはあまり見られなかったんですけど、ハイライトとかは見ていました」
―パリへの思いは強まりましたか。
「自分も鳥栖に入って、いろんなチームと戦ったり、いろんな選手を見たりしてきましたけど、『この人、うまいな』と思っても、あまり評価されていない人もいる。そう考えると、代表で五輪に出るって、ホントすごいなって思います。
自分が今までいろんな経験をしてきたからこそ、東京五輪を見ていてもより深く考えさせられましたし、自分もこういうふうになりたいなと思いました」
「昨年6月に(当時鳥栖の)GMの新里(裕之)さんから『オーストリアのチームからこういう話があるけど......』と聞いて、その場で『行きたいです!』と言いました。
自分としては、まずは(鳥栖の)トップチームに昇格して、そこで活躍してゆくゆくは海外へ行けたら、という夢はあったのですが、正直、トップに上がれるかどうかと思っていました。なので、『こんなことがあるのか?』とビックリしましたけど、うれしかったです」
―ちょうど同じ時期に行なわれたJ1第19節(2021年6月23日)の横浜F・マリノス戦で、2種登録ながらJリーグデビューしていますよね。
「その試合が、移籍の話を聞いた数日後でした。試合が終わって鳥栖に帰って、1週間後くらいにはオーストリアへ出発しました。とりあえずは練習参加ということで、ダメなら帰ってくることになっていたのですが、そのまま残れることになりました」
―最初に話を聞いたとき、ヴァッカーというクラブやオーストリアのリーグについて、どんなイメージがありましたか。
「何もなかったです(苦笑)。聞いたことがないクラブだったし、どんなところかも知りませんでした。
でも、オーストリアはドイツ語圏だし、自分の活躍次第でドイツのブンデスリーガや、ザルツブルクのようなオーストリアの1部リーグにステップアップできる可能性もあるって聞いて、まずはヨーロッパのサッカーに慣れようっていうところから始めました」
―実際に現地でプレーしてみた印象はどうでしたか。
「日本はうしろからしっかり攻撃を組み立てて、無駄なロストはしないで確実につなぐ、っていう感じのサッカーが多いんですけど、こっちはそれが全然なくて、縦に速い。ゴールへの意識が強いっていうか、守備も攻撃の一部として考えているので、攻守の切り替えもすごく速くて、日本とは全然違いました。
自分が鳥栖でプレーしていた時も、ボールを奪ったら、まずはマイボールにするっていう感覚だったんですけど、こっちはボールを奪ったら、すぐに縦へいく。別にそこで奪われても、また切り替えて奪い返せばいいって感じで、マイボールの時間とかを気にせずにゴールへ向かっていくんです」
―その違いに戸惑ったり、フラストレーションがたまったりすることはありませんか。
「正直、もっと丁寧に味方につないで自分たちのボールにしてくれよ、って思う時もあるんですけど、そんなのお構いなしにどんどん前へいきますね(苦笑)。
攻守の切り替えが何回もあるんで、体力的にキツい時間もあるんですけど、敵も味方もそういうことをあまり考えない。縦に速くて、チャンスがあれば裏を狙うので、横パスは少ないです」
―適応するのに苦労しましたか。
「鳥栖にいた時も奪われたあとの守備とか、攻守の切り替えはずっとやっていたことなので、確かに攻撃に移った時の意識は少し違いますが、鳥栖にいたから何とかなったっていうところがあったと思います」
―サッカーのレベルという点では、オーストリアの3部リーグはどうですか。
「レベル的には、もちろんJ1とかに比べて低いと思うんですけど、サッカーが全然違うので、得るものも全然違うというか、感じるものが全然違う。いい経験ができているっていうのは感じます。
それに環境という点でも日本では恵まれていたと、こっちに来てめちゃめちゃ感じています。芝がボコボコだったり、ロッカーも古かったり。鳥栖にいた時には、環境が悪いとか思ったことがなかったですから」
―そんな違いがあるなかでも、得点を量産できた要因は何ですか。
「チャンスがあれば縦へ行こうとするので、自分が(DFラインの)裏にアクションしたら、簡単に蹴ってくれるんです。うまく相手の前に出て得点を決めることも多かったですし、そういうやり方が自分に合っていたっていうか、自分の特長がうまく生きたことで効率よく点がとれたんだと思います。
ただ、裏に抜ければ、シュートを打ちきるところまでいけるのですが、3部リーグでもGKのレベルが意外と高くて、長身でセービングがうまい。『あ~、それが止められるのか』っていうシュートも結構ありました」
―実際に移籍してみて、海外でプレーするのに必要なことは何だと思いますか。
「プレーで頑張るのはもちろんですけど、やっぱり仲間とコミュニケーションがとれないとダメだなって思います。だから、重要なのは言葉ですね。自分は英語もそんなにできるほうじゃないんで。
今考えると、学校で英語の授業を真面目に受けていたほうがよかったなって、めちゃめちゃ思います(苦笑)。自分は授業をちょっと軽く見ていたというか、本気でやっていなかった。もっとしっかりやっておけば、英語ももうちょっと話せたのかなって。
今は2部練習がない午前中に週3回、ドイツ語のレッスンを受けているので、どっちかっていうと、今ならドイツ語のほうが少しできると思います」
―ヴァッカー・インスブルックIIのモラス雅輝監督(今季途中まで指揮。現在はトップチームを指揮)は、日本語を話せますよね。
「それは、めちゃくちゃ大きかったと思います。試合中もチーム全体への指示はドイツ語なんですけど、自分には日本語で言ってくれるので。そうでなければ、指示がわからないことも多かったと思います。前に一度、試合の途中で選手交代があった時にフォーメーションも変えたんですけど、自分だけそれがわかっていなくて、違うことをしていたっていうこともありましたから」
―違う環境でプレーしてみて、自身のプレーに変化はありましたか。
「いろんな形で点を決めてきているので、得点のバリエーションは増えたと思います。日本だったら、こんなゴールはなかったなっていうゴールもありました。今日はこういう角度からゴールができたなとか、シュートレンジが広がったなとか、新たな発見があるので面白いなと思います。
でも、今の自分の課題としては、こっちでは全然読めないタイミングでクロスが入ってきたりすることもあるので、予測もそうだし、センターバックとの駆け引きとかも含めて、それにうまく合わせられるようになればな、と思っています」
―少し話は遡(さかのぼ)りますが、そもそも大分県佐伯市出身の二田選手が、なぜ鳥栖U-18に入ったのですか。
「中学を卒業する時に選択肢はいろいろあったのですが、いくつか練習参加に行ってみて、鳥栖の練習が一番強度が高くて環境もよかった。自分は高校選手権に出ることよりもプロになりたいと思っていたので、それを考えたら、ここが一番プロに近づく道なのかな、と思って選びました」
―その頃から、いずれは海外でプレーしたいと思っていたのですか。
「鳥栖に入った時は、プロになりたいということだけでした。自分はホント、高1、高2の時は下手で、何もできなくてヒドかったんで(苦笑)。ホントにプロになれるのかなっていうぐらいで、海外とかそんなことを考えている場合じゃなかったです」
―鳥栖のアカデミーはU-15も全国優勝していますし、レベルが高いですよね。
「鳥栖のユース(U-18)は、ジュニアユース(U-15)から上がってきた人が本当にうまくて。自分はスピードとシュートっていう武器がありましたけど、それ以外のことは何もできなかった。他の技術を上げないと、シュートまでも持っていけないし、結構苦労しました。
(松岡)大起くんとか、(本田)風智くんとか、上にすごい先輩たちがいたんで、わからないことは何でも聞いて、少しずつ自分の課題を克服していったって感じです」
―同級生にも、昨年U-24日本代表に飛び級で抜擢された中野伸哉選手がいます。
「伸哉がU-17ワールドカップに出場しているのとかを見ていて、うらやましいなっていうか、すごいなっていうか。でも、やっぱり自分も入りたいっていうのがありました。だから、ホント悔しかったですね。それが頑張ろうっていうモチベーションにもなりましたし、盗めるものもありましたし、今もいい刺激になっています」
―二田選手自身も高校3年生になった昨年5月には、U-18日本代表候補にも選ばれました。
「自分も高3になって変わることができたと思います。代表は自分よりうまい人ばかりでしたけど、一度経験して周りがどういうプレーをするのかを感じられましたし、ひとつの自信にはなりました。
もちろん、天狗になってはいけないですけど、代表に入ってみたいっていう憧れはありましたし、自分も代表に入るまでになれたんだなって......、ちょっとその、うれしかったっていうか......、その気持ちはありました。オーストリアへ行ってからも、(U-18代表キャンプの動向などは)チェックしています。めちゃめちゃ気になりますね」
―3月にウインターブレイクが開け、今季の後半戦が始まりますが、今季終了後はどうなるのですか。
「鳥栖のトップチームでプレーしたい気持ちもあるし、今はいろいろと考えているところです。なので、その質問に答えるのは難しいのですが......、来季のことを決めるためにも、ただの夢じゃなくて、具体的に自分はどうしたいのか。まずは、はっきりした目標を決めないといけないと思っています」
―パリ世代のひとりとして、パリ五輪についてはどう考えていますか。
「もちろん、選ばれたい。パリ五輪に出たいっていう気持ちはずっとあります」
―東京五輪は見ていましたか。
「オーストリアにいたので1試合を通してはあまり見られなかったんですけど、ハイライトとかは見ていました」
―パリへの思いは強まりましたか。
「自分も鳥栖に入って、いろんなチームと戦ったり、いろんな選手を見たりしてきましたけど、『この人、うまいな』と思っても、あまり評価されていない人もいる。そう考えると、代表で五輪に出るって、ホントすごいなって思います。
自分が今までいろんな経験をしてきたからこそ、東京五輪を見ていてもより深く考えさせられましたし、自分もこういうふうになりたいなと思いました」

A代表に定着したのはまだいない
小久保や中井らパリ世代が歴史を変えるか