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浦和MFモーベルグの波乱万丈のキャリア。監督や先輩に反抗、「打ちのめされた」英国での挫折、クラブの英雄に「あんた誰?」

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今季から浦和でプレーするスウェーデン人MFダヴィド・モーベルグが、初めてヨーロッパを飛び出してプレーする日本で存在感を発揮している。切れ味鋭いドリブル突破を武器にチャンスメークとフィニッシュの両面に絡むそのプレーはサポーターを魅了。ピッチの外に目を向ければ、納豆を食すなど日本の生活も満喫しているようだ。

キャスパー・ユンカー、アレクサンダー・ショルツとともに北欧トリオを形成して人気を博している28歳のアタッカーは、日本に来る前のキャリアは決して順調ではなかった。ここでは、スウェーデンのサッカー誌『Offside』(2018年3月)および地元紙『Göteborgs-Posten』(2022年2月)のインタビュー記事をもとに、モーベルグのこれまでの歩みを紹介したい。

1994年にスウェーデン西部のマリエスタードで生まれたモーベルグは、地元クラブのIFKマリエスタードでサッカー選手としてのキャリアを本格的にスタートさせ、14歳のときにトップチームでデビュー。スピードとドリブルを前面に押し出したスタイルで徐々に頭角を現わすと、2009年にU-17代表に招集される。モーベルグのプレーにはフルアムやサンプドリアを含めた複数の国内外クラブが興味を示したが、本人が選んだのは子供の頃から応援していた母国の名門IFKヨーテボリだった。

持ち味のスピードとドリブルはヨーテボリでも十分通用することを証明し、クラブ加入から1年も経たないうちに17歳でトップチーム昇格を果たす。余談だが、あるチームメイトが「ダヴィド・モーベルグ・カールソンはメッシより速い」と冗談交じりにツイートしたというエピソードが残っている。

一方で、その頃のモーベルグは大きな問題を抱えていた。精神的に未熟過ぎたのだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/67a2fa2af185ec4590483d13c9c48f30a649c577

「イングランドでの苦労は尋常じゃなかった」


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ある日の練習では指示を無視したことで怒鳴られると、我を失ってミカエル・スターレ監督目掛けて思い切りボールを蹴ったことがあった。また当時のヨーテボリにはいわゆる上下関係が存在し、若手選手が練習や食事の片付けをしなければならなかったのだが、そういったルールに納得できなかったモーベルグは先輩選手に対して怒鳴り散らしたこともあったという。上下関係の是非はさておき、スターレは「当時の彼は反抗的だった」と振り返っている。

練習後に指揮官からさまざまな助言を受けても耳を傾けず、我流を貫き通そうとした。自らの道を行くと言えば聞こえは良いが、サッカー選手として大成していない若者が取るべき態度ではないことは言うまでもない。傲慢な振る舞いのせいで構想外になってもおかしくなかったが、若手選手を辛抱強く育てるスターレのおかげもあってプレー機会を得ることができた。

1年目こそ途中出場2試合のみだったが、3シーズン目の2013年には8試合に先発出場して2得点をマークしている。モーベルグの抱える問題が表面化したのは、その後のことだった。

13年夏、将来性を見込まれたモーベルグはサンダーランドへの移籍を果たす。意気揚々とサッカーの母国に乗り込んだが、そこでは大きな試練が待ち構えていた。

加入後まもなくパオロ・ディ・カーニオ監督が解任され、その後暫定的にチームの指揮を取ることになった人物は、プレシーズンマッチでトッテナム相手にゴールを決めたこともあって王様気分だったスウェーデン人アタッカーに対してトップチームではなくU-21チーム行きを言い渡す。

納得できないモーベルグは「絶対に嫌だ。いったいあなたは誰なんだ?」と言い返した。その相手は、サンダーランドでは英雄視されているケビン・ボールだった。

後悔先に立たず、である。それからはモーベルグにとって辛い日々が続いた。ボールからは将来性を否定され、練習ではトラップミスをするとチームメイトの前で嘲笑されたこともあったという。

当時サンダーランドに所属していた同胞のセバスティアン・ラーションからアドバイスを受けても従わなかった。当時スウェーデン代表で地位を確立させていた大先輩は、口ごたえをするのではなくプレーで証明すべきだと諭したが、モーベルグは耳を貸さなかった。

「セバスティアン・ラーションは、監督から酷い扱いを受けた場合にどうすればよいか話してくれた。『こうすれば大丈夫だ』といった風にね。振り返ってみると、ラーションの言う通りにしていれば乗り越えることができたと思う。だけど当時は、彼のアドバイスを受け入れることができなかった。自分のやり方でやろうとしたんだ。その結果、失敗した」

結局、プレミアリーグのピッチに立つことなく失意のうちにサンダーランドを去ったモーベルグは、その後キルマーノック(スコットランド。レンタル移籍)とノアシェラン(デンマーク)で再起を図ろうとする。だが、イングランドで受けたダメージは大きかった。

「イングランドでの苦労は尋常じゃなかった。打ちのめされた気分だった。サッカーに対する喜びを取り戻すのに3年はかかったよ」

「以前から自分のことを知っている人は、自分がどれだけ練習してきたか、どれだけサッカーを愛していたかを知っている。そうしたパッションがイングランドで無になってしまったんだ」

とはいえ、悪いことばかりではなかった。ノアシェラン時代になって、自身の生意気な振る舞いはマイナスでしかないことに気づき始めたのだ。そして16年夏、IFKノルショーピンに加入して風向きが変わる。3年ぶりの母国リーグ復帰だった。モーベルグ自身の内面に変化に加えて、居心地の良い環境がプラスに働いた。

「ノルショーピンは、心に傷を負った選手に対してそれぞれのペースでやらせてくれた。クラブは本当に良くしてくれて、とても感謝している」

また、家族の存在も大きかった。

「子供が生まれてからすべてが変わった。世界は自分中心に回っていないということを強く感じたんだ。信じられないかもしれないけど、それまでは自分中心に物事を考えていたんだと思う。だけど子供を授かって、日々の生活は一変した。前はテレビゲームで遊ぶだけだったんだ」

人生の節目となるライフイベントのおかげもあってか、モーベルグはノルショーピンで躍動する。18年シーズンはチーム最多の10ゴールを記録。試合の中継では実況に「1対1が大好きな選手」と形容されるなど、ドリブラーとしての地位を確立させた。17年には国内リーグの選手を中心に構成される代表チームでもプレーし、スロバキア戦で代表初得点をマークしている。

チェコの強豪スパルタ・プラハではヨーロッパリーグでもプレーした


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ノルショーピンで飛躍を遂げたモーベルグは、再び国外挑戦を決意。18年シーズンが終了した後、チェコの強豪スパルタ・プラハと契約を結ぶ。ちなみに、アーセナルのファンであるモーベルグは、かつてガナーズで活躍し、現在は同クラブでスポーツダイレクターを務めるトマシュ・ロシツキが契約締結に関わったことを知って大喜びしている。

代理人ペール・ヨンソンが「1対1に関してはリーグ屈指」と評価するなど、持ち味であるドリブルはチェコでも十分に通用した。19−20シーズンには国内カップ戦を制覇。翌シーズンにはヨーロッパリーグで母国の英雄ズラタン・イブラヒモビッチを擁するミランとも対戦した。

一方で苦い経験もしている。戦術変更によりBチームでのプレーを余儀なくされたことがあった。ある指揮官の下では理不尽な理由で怒鳴りつけられることもあったという。またスパルタ・プラハでの最後の半年間は、クラブとの契約延長を拒否したこともあって出場機会が減った。

そうした状況のもとでは、かつてのモーベルグであれば大きな問題が起きてもおかしくなかった。実際、置かれた状況についてスウェーデンメディアのインタビューで不満を口にしたことが原因で、クラブから注意を受けてしまう。

だが、サンダーランド時代のような最悪の事態にはならなかった。日々黙々と練習に取り組み、指揮官に逆らうことはしなかった。過去の失敗が活きたこともあるのだろう。だが何より、サッカーはあくまでも人生の一部に過ぎないと悟ったことが大きかった。

「(スパルタ・プラハでの辛い日々について)最初は個人攻撃だと捉えた。その時期は辛かったから、生活にも悪い影響が出たよ。嫌なことばかりだった。自分の子供と遊ぶことさえ難しい時期がしばらく続いたんだ。だけどすぐにこの状況を変えた。

サッカーが子供を上回ることはない。自分にとって何より大事なのは子供なんだ。そして、サッカーは自分のアイデンティティのすべてではないと気づいた。自分の一部ではあるけど、自分そのものではない。そうわかったおかげで、とても救われた。妻と子供たちは、ありのままの自分を愛してくれている。友人も、アルスベンスカン(スウェーデン1部リーグ)でゴールを決めるからじゃなく、人間としての自分を知ったうえで付き合ってくれているんだ。だけど、今より若い頃はサッカーがすべてだと思っていた。まさに、サッカー選手としてのダヴィドという世界で生きていたんだ」

今では他人の意見にも積極的に耳を傾けるようになったというモーベルグ。日本に来る前のサッカー人生について、こう振り返っている。

「ポジティブなことしかない。とても辛い時期もあったけどね。だけどそういうことは人間誰しもあること。上司のことが嫌いだと思うのは何もサッカー選手に限ったことじゃない。自分にとって、(悪いことも含めて)全部必要なことだったんだ。人間として成長できたし、そのおかげでサッカー選手としても進化することができたんだ」

「(キャリア初期の振る舞いについて)ある種のエゴイズムが原因だった。物事は自分を中心に回っていると思い込んでいたんだ。プレーできない時はこう考えた。『ベンチを温めるなんて、恥ずかしいことこの上ない』といった風にね。だけど、ダヴィド・モーベルグ・カールソンが出場しようがしまいが誰も気にしちゃいないんだよ。今だったら、若い選手がかつての自分みたいな態度を取ったら怒る。当時の自分が理解していなかったことをわかってもらうようにするよ」

新外国人に対する入国制限により浦和への合流が遅れていたモーベルグは、入国が可能になるまで古巣ヨーテボリで練習を積んでいたのだが、奇しくもクラブの監督はスターレだった(21年より再びヨーテボリを指揮)。スターレは、約10年ぶりに再会した教え子のことを最初は誰だかわからなかったという。昔と違って今は髭を生やしていることもあって、外見が変わったこともあるのだろう。だが一方でそれは、モーベルグが苦難を乗り越えて人間的に成熟したことの証なのかもしれない。

ここまでリーグ10位の浦和はこの後19時より12位ガンバ大阪と対戦する。
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コメント一覧

    • 1
    • Posted by
    • 名無し
    • 2022年07月02日 15:18
    • ID:RVsZhwYS0
    • ふーん

      良い記事じゃん
    • 2
    • Posted by
    • 名無し
    • 2022年07月02日 15:38
    • ID:bjwqtP1g0
    • モーさんだから浦和なのかぁーーーっていう記事だな
      ユンカーもスペすぎるから浦和なのか!って思ったし
      北欧の選手は勿体ない精神状態肉体状態な選手の宝庫だよな
      まあみんなJに来いや、と優しく接するで!と
    • 3
    • Posted by
    • 名無し
    • 2022年07月02日 16:20
    • ID:cQDLto9u0
    • 20代後半の準代表クラスはまだまだ狙い目の選手多そうだよな
      あとはオルンガみたいなアフリカ系をうまくスカウトして欲しいわ、まだまだJのスカウト能力は足りない
    • 4
    • Posted by
    • 名無し
    • 2022年07月02日 17:00
    • ID:yMayW5Xe0
    • 日本人は海外に出たがらないからな。
      日本は快適すぎる。
      日本語以外を喋る気にはならない。
    • 5
    • Posted by
    • 名無し
    • 2022年07月02日 18:37
    • ID:VOcHfbIP0
    • 精神的成長は、必ずしも肉体的成長に伴ってバランス良く添加されていくわけでは無いからな。終わりよければ全て良しだと思う。レッズで成功してくれる事を願うよ。
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