ギャラリー美凛

自宅にギャラリーを作ってしまうほどの美術品愛好家で作家さんへの応援が生きる原動力になっています。

2014年08月

数日前から粟嶋神社脇の水辺に まるで飼いならしたような白鳥が愛嬌を振りまいている。

散歩の途中で立ち止まる人達の目の前(手が届く距離)まで近づき、まるで餌をねだるような仕草を見せる。

このまま留まってほしい反面、危害が及ばない間に立ち去って欲しい気もする。

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これまでに見た山陰の画家が描いた好きな絵というと

最初に思い浮かぶのは布部の加納美術館にある加納莞蕾が描いた「朝靄」



ネット画像で探すと小さくてよくわからないが、実物では未だ薄暗い庭の梅の木?に二羽の小鳥が来て枝に止まっている様子が描かれている。
問題はその梅の木の古木が生えている環境だが、見方によっては完全な密閉空間で、出入り口は小鳥が入ってきた小さな小窓しかないように思える描き方がしてある。
この絵の持つ意味は
幽閉され 出ることも出来ず、外界と遮断された空間にひとり置かれ、打ちひしがれた身には、明け方の薄暗がりの中、偶然小窓を探し当て訪れてくれた小鳥が唯一の希望と映る・・・というのが私の持論(笑)

もうひとつの作品は島根県立美術館に所蔵されている矢田清四郎の「支那服の少女」



美術館に行く度に長時間絵の前に立ち尽くすので一時期不審がられたこともある。

朝靄はともかく、支那服の少女の絵は時によっては展示されていないこともあるので事前に確かめてから訪問していただきたい。
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先日、ある記事で益子学司という画家を知った。

今年、肖像画で内閣総理大臣賞を受賞された方だ。



この方は全日本肖像美術協会に所属されている栃木県の方で現在61歳になられる。

この方が画家になられたのが40歳の時と説明にあった。

そうすると今年で既に画家として20年を越えておられるが、プロとしては失礼ながらこの歳になってやっと自分から売り込まなくても注文は断るほど舞い込む境遇になられたと、私は推察した。

目の覚めるような素晴らしい絵を描かれる方だが、メディアが紹介してくれるまで私はこの方の存在すら知らなかったからそう推察したのだが・・・。

それは、日本では油彩などというものはそれほど需要がないのではなかろうか?と思わざるを得ない。

この世界は高齢化が進み(つまり目立たない 食っていけないから若者は興味を示さないから?)、この苦節20年が待てない方も多数お見受けする。

近辺の展示施設を見渡せば焦るあまりの頻繁な展示会がしょっちゅう催され、それに間に合わそうと無理をして出来合いの作品(荒い仕上げ 急ぎ働き)の提出が目立つ。

結果、会にも そして自分自身にも失望してしまい じっくり辛抱して素晴らしい作品に出来上がる時を待つことがばからしくなり待てなくなる。

悪循環 

しかしながらもっと悲しいことは高齢化すれば少なからず身体の不具合、殊に認知症と戦わざるを得ない。

真剣に考えたくとも思考が安定しない、下手な努力を繰り返せば眩暈となって自分の身体に帰ってくる。

ましてや気力を維持することなど無理に近い。

こうなってはもはや画家で食べていくなど夢の夢。

残り少ない時間なればこそ、一生に一度だけでも世界と戦える作品を残さねばならなかった、その時間すらこのような環境下では無駄に浪費してしまうことになる。

それでもあえて絵に向かうのは「見果ての夢」でも見なければ生きる希望すら失うから?

もう3年も小さな小さな同じ絵の一部だけをつつきまわして自我に問う。

いったい私は毎日この部屋で何をしているんだろう?

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最初にこの場所を紹介された時は、現在の庭先にある広大なBSSゴルフスクエアー跡地は一面緑の絨毯だった。

だが、ギャラリー建設が始まって間もなく、そこは全て太陽光パネルに覆われてしまった。

そして去年暮れから犬の散歩道として重宝していた海岸線の粟嶋神社までの他の湿地帯までも太陽光パネルに覆われることになったのには少々幻滅した。

当然、隣接する水鳥公園の鳥たちの遊ぶ地区も変わってきた。

昨年までなら粟嶋神社脇の水辺には多くの水鳥が餌を求めて集まり遊んでいたが、今は工事車両の騒音に怯え寄り付きもしない。

彼らの飛翔地域も、かつてギャラリーの上空は、建設が始まった当初の頃は彼らにとって避けて通る場所だったものが、今 粟嶋近辺が危険と知ってか、こちらを通路として使っている様子。

以前はこの当たりの湿地帯を根城にし、年々数を増やしていた雉。

去年まで庭先に遊びに来てくれていたその雉も湿地帯から追いやられ、今は姿を見ることはなくなった。

広大な人間の手の入らなかった湿地帯に棲んでいた動物たちはどうなってしまったんだろう?

こうまで公園と人間社会との緩衝地帯を無用の長物と捕らえてしまうと近い将来、公園に水鳥も飛来しなくなるような気がする。

天皇 皇后両陛下がわざわざ境港から大山に向かわれる途上の経路を変更されてまで立ち寄られ、今後の成り行きを懇願していかれた、その直後に隣接地の乱開発とは・・・

表の顔と裏の顔はかくも違うものなのかな~


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一時期、梅津洋子先生の作品をお預かりしてギャラリーに掲げていましたが、今はお返しし、購入させていただいた浜野洋一先生の作品を、前回購入分も含めギャラリーに常設展示しております。
以下がその作品群です。



青木島 灯ともし頃 M30号
島根半島の七類港の隣に法田という小さな漁港があります。
この絵はその港からイカ釣りのための漁船が夕暮れ迫る中、湾入り口の青木島付近を通過し、半島の先端 美保関を経て名和は御来屋沖の漁場に向かう情景が描かれています。

この絵は山陰に魅せられ、神奈川県から米子市に移住されて油彩を始められた初期の頃の作品で、島根半島の法田の沖合いに漁り火がともる夕暮れ時を目掛けて付近の山に登り、空が茜色に染まり、沖合いにイカ釣りの漁り火がともり、落陽が青木島を僅かに照らし、西の彼方に没しようとする哀愁の漂う瞬間、そんな美しさに魅せられ描かれたものだと伺っています。
この作品、夕焼けの中を沖に出漁する漁船が描かれていることで全体のバランスが取れていると思いますが、当初の風景中にこの漁船は存在せず、構図の都合上、あとから苦心して同一の場所で出漁の漁船を待って描き足したと伺っています。
その 未だ無冠だった頃に既にこの才能と努力があった点に注目しながらご覧ください。
ちなみに、私どもが最初に購入した作品はこの項の最下部の作品、美保関灯台ですが、個展会場で最初に欲しくて手に取った作品はこの出漁風景でした。散々迷った挙句に美保関を購入した理由は価格の差だったと記憶しています(笑)
※ 画像をクリックしていただくと拡大します。



日野川から望む笹苞山 P10号
鳥取県日野郡伯耆町(旧溝口町)の脇を流れる日野川から日本最古の鬼伝承の山 鬼住山と並び称されるもう一方の雄 笹苞山(さすとやま)の早春の情景が描かれています。

春のひと雨のあと、山々に光が戻ってきた情景と日野川が先の雨で濁りながらも何処と無くその清らかさを失わない様子を再現した微妙な色使いに着目してご覧ください。



美保関 ともし火競う M10号
美保関灯台の駐車場付近から見た夕闇に光を放つ灯台が描かれている作品で県外の展示会では大好評を得ており、当ギャラリーが最初に購入した作品です。

当ギャラリーが最初に購入した作品がこれです。南部町(旧会見町)の喫茶ココで最初にこの絵を見たときは、あまりのリアルさに驚愕したものでした。灯台入り口から漏れる灯りに周囲の木々が染まる様子など、とても驚きでした。殊に私どもが気に入っている点は灯台下の鬱蒼たる潅木群 なるほど、心静かに観察すればこのような枝ぶりに見えますが、これを描こうとすると生半の素人には到底出来ません。そんな潅木でも隅々まで丁寧に描かれています。潅木、いわゆる脇役であったにしても一筆一筆丁寧に細部まで描きあげてあるところなど、熱意のほどが感じられ、殊に丁寧さゆえの発色が素晴らしいと思い、衝動買いしてしまいました。
これは余談ですが、同じ会場に境港の4万トン岸壁に係留され深夜、王子製紙向けのチップの荷降しをしているロシア船籍と思われる貨物船を描いた絵がありました。人工燈に照らし出される巨大な哀愁を帯びた船体・・・欲しいながら購入を躊躇した作品でしたが、今日聞けば福山市の某医院様が購入されたとか。もう手が届かない場所に行ってしまったと思うと残念でなりません。


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