ギャラリー美凛

自宅にギャラリーを作ってしまうほどの美術品愛好家で作家さんへの応援が生きる原動力になっています。

2015年01月

 記事には20代の呼吸器系医師と書かれていた。

そうすると一般的には研修医か研修を終わって間もない医師のはずで、

今回の患者は足の痛みを訴えた小児であるので、

まず救急外来の受付と患者の親に最初に問題がある。

診察・処置系列に外れた患者を受け入れて責任を医師に任せるのは職務権限外である。

この場合、相手を納得させて別の病院等を案内するのは、まず受付の仕事で

もめたとしても、苦情処理は受付の段階で行うべきである。

呼吸器系でしかも研修医に近い身分の医師が、今回の小児の外科系患者の件で

例えば整形外科の医師を夜間に不必要なのに呼び出すことは出来ない。

受け付けること自体が許されていないからだ。


恐らくこの医師は夜勤当日のこの日、昼間も当然勤務して当直についている。

そして、翌日もどんなに早くても深夜帯にならなければ

病棟の自分の受け持ち患者の処置を終えなければ帰ることは出来ない。

これを何時間勤務とお思いか? あなたなら黙って出来るのか?

死に物狂いで勉学に励み、

自己の欲望を極限まで抑えることが出来る強い意志を持ったものだから出来ること。


当面の処置を終えて患者の親に対し「昼間に・・・」と説得しているにも関わらず

相手は意味不明の激怒を繰り返したと思われる。

ひょっとして入院を迫ったかもしれないが、これなどは内科医の権限外である。

疲れと憤りからつい「死ね」発言が口をついて出たと思う。

行き過ぎだった事は私にだって解かるが・・・

精神と肉体の限界で仕事をしている医師を周囲はもっとサポートすべきである。

一番悪いのは患者で、その程度の知識も無いにも関わらず、

昼間に容態に沿った病院の医師の診察を受けず、

緊急性も無いのに救急外来に飛び込んだ無鉄砲さだ。

子供の身体を治す気持ちはそこには無く、我を通すことに汲々としている。

人事だと思うかもしれないが、救急外来勤務の長かった私から言わせてもらうと

連絡もせずに飛び込んできて喚き散らす人の大半はこれだし、

救急外来に来られる人の大半が混まなくて便利だからと言う人が多いのは事実である。

専門外の医療(救急外来)は医師にも患者にも危険伴う行為であること

命に関わる患者も中には存在することを救急外来利用者はもっと自覚して欲しい。

それ以前に自己管理はもっと大切であることを先進国を名乗るなら自覚して欲しい。
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 毎朝、雨の日も雪の日も休まず餌を撒き続けておよそ2年

今日も庭をたまころのように丸々と太った雀たちが埋め尽くし餌をついばんでいる。

その中にキジバトや時にはキジ、セキレイに渡り鳥も混じるが

今朝は白鷺まできた。





庭に撒くのは主に雀用の餌だから白鷺の口には合わないと思うのに

じっと庭を見つめて動かない でも絵になるし心休まる風景にもなる。

白鷺の目的は庭の脇を流れる水路に棲むザリガニや小魚だが平穏な庭にも興味を持ったよう

出来れば毎朝、元気に顔を出して欲しいものだ。

彼らのために水路にザリガニや小魚を増やす方法はないものだろうか?



瞬間、数羽の雀と白鷺が出揃った!
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 陶風舎の近年の作品はナメシを施さない牛皮で器を作ったようなグレー系の作品が特徴で、

松本さんも どちらかと言うとこの系列に力を注いでおられる。

カップの取っ手の部分には一部ナメシ革を使いひと針ひと針縫って容器に留めてある。

そう想わせる陶器の持つ冷たさを極力排除したような作品だ。

そんな中で旧来の作品も、その思考が大変面白い。





上段の写真は私達が陶風舎さんを最初に訪問した2年以上前の作品

一見すると抹茶器とも思えるが、私達は食器として使っている

見た目以上にたっぷりと入る、他の食器と並べると小さく華奢に見えるところが好きで、

底の部分に綺麗な緑がかった透明な釉薬がほのかにあるところが清楚に見え気に入っている。


下段の作品は今回の陶器市で購入したカップ

使用目的は朝のポタージュを入れる器

粉を入れてお湯を注ぐだけのインスタントポタージュでも

オーブンにかけて焼き色を付けたような凝った味わいを出せる。

肌目も焦げたような香りを感じさせてくれる。

このカップだが、口径12.5cm 高さ6.5cmとグラタンにも最適

価格は財布にうれしい1.944円だった。
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 ギャラリー美凛に頻繁に足を運ぶ女性がいます。

その方の目的は展示してある作品に触れ、それらの話をすることです。

私達は機会を見計らって作者さんの自宅をご案内しますから、直接話してみられては?と

水を向けますが、曖昧な返事が返ってくるだけで決して首を縦には振りません。

「訪問すれば買わなくちゃいけないようになる」が表立っての理由

それほどにお金が無いか、その作者が嫌いかと言えば 有り余っていて作者も憎からず・・・

彼女は

デパートの展示会等で憂さ晴らしにコピー商品などを買いあさって自慢げに部屋に掲げています。

価格帯はせいぜい2万どまり、しかし頻繁にです。 そしてさりげなく自慢しに来ます。

自慢の話は次第に展示してある作品との比較になってしまいます。

こちらは自慢されても返す言葉が無い。

しかし彼女曰く「天満屋で売っているということは贋物じゃない」から良かったと。これより良かったと。

本音は人と違うことをすれば変な目で見られる それが怖いが、

超有名な人が作ったものならコピーだろうと贋物だろうと世間は「天満屋」を拒否出来ないだろうと。

彼女が怖がるならと旦那さんを誘ってみたところ同じ曖昧な答えが返ってきました。

玄関に掲げてある 「この作品ね、京都に行ってデパートで10万で・・・いいでしょう?」

それは可愛らしい像のイラストでコピー 4号程度の作品ですが

「有名なその人のサインが入ってるんです」だって

コピーはシルクスクリーンなどではなく普通紙にコピーしたものです。


作者が渾身の気持ちをこめて作った作品を出向いて買うような人とは

結局世間の目をはばかる必要のなくなった一部の人たちだけで

もし、買われるとするならば一般的には互助会で売買される記念品的な価格帯のものか

”鼻紙か包装紙程度の軽い気持ち”を好む人が気晴らしに手にとる品物に限定される。

これらの成り立ちは

一旦事が起これば大八車に家財道具一式を積んで闇夜にまぎれて引っ越す

身の回りは出来る限り簡素に、世間様に指さされぬよう 肌身離さず金品を・・・

先祖伝来の家屋敷は財産とは思わず書画骨董の類はゴミとしか映らない

そういった文化は今も昔も変わらないんじゃなかろうか?

大量に書画骨董などが置かれている様をご家族は「ゴミの山」と評される

鑑定団などの番組でも客席から大らかにご家族親戚等が同様の発言をされるから間違いなかろう。

この民族に向かってたまさか 

この品物高価にて売れるであろうなどと皮算用しながら創るまいぞ!
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 昨日、米子天満屋の陶器市に出かけ 工房のつのカップを購入した。

昨年も同じようにコーヒーカップと抹茶碗を購入しているが、

その折に野津さんがこれからは絵付けに専念しようと思うとおっしゃってたのが気にかかっていた。

今回購入したカップと昨年購入したコーヒーカップを今朝見比べてみたのが下の写真だ。



向かって左側が今回購入したカップで(別ページ 工房のつのプロフィール参照)

右側が昨年購入したコーヒーカップだ。

私もそうだが初心者の絵はどうしても外郭線を先に描いて中に影をつけてしまう。

だから輪郭線が最後まで残ってしまってリアルさに欠ける。

こういった描き方は、未だ陶芸家の域を出ていない 勢いだけで描く古い陶芸家の描き方だ。

そういった描き方が今回は影を潜め、かわりにリアルな表現がそこここに出ている。

画家が物体を描くとき、端々まで輪郭線風な墨を入れないで途中をぼかしたりする、

しかし、ある部分を強くしっかりと描くことで途中のぼかし部分を含めつながって見える(目の錯覚)。

慣れてくるとそれを無意識で描くが、画家の場合は間違わないように一度軽く描いた線を後に消せる。

陶芸家はそれが出来ない。

だから事前に何度もスケッチを繰り返すことで

実際面では空(完成の空想)で描きながらそれを陶器に狂いなく写す必要がある。

それに行き着いた工房のつは陶芸家でありながら絵師としてもきっと一流になると思う。
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