すめらぎいやさか

カテゴリ:Ishikawa > 日本文化

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ishikawa
です。

今回から、日本にある芸術を私が拙いながら、紹介をしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

それでは、早速こちらをご覧ください。

 


『「飛べなくなった人」    石田徹也   1996年 静岡県立美術館蔵』


 石田徹也1


 


『「燃料補給のような食事」  石田徹也   1996年 静岡県立美術館蔵』

 

 石田徹也2


石田徹也氏の作品です。
石田氏の簡単な略歴を紹介したいと思います。

-------引用ここから--------

石田 徹也
1973(
昭和48)年、静岡県焼津市生まれ。画家。
幼少の頃から絵を描くのが好きで、「絵の徹っちゃん」と呼ばれていた。
1992(平成4)年に武蔵野美術大学視覚伝達デザインに入学し、
当時はイラストレーターを目指していた。
在学中に応募した公募展「第6回グラフィックアート『3.3m2展』」でのグランプリ受賞をきっかけに、就職をせず画家として生きる決意を固める。
アルバイトをしながら制作を続け、多くの賞を受賞し注目を集めるが、
安定した収入につながらず苦しい生活を送る。

ギャラリー主催のチャリティーや書籍の装画、海外のアートフェアへの参加など意欲的に取り組んでいたが、2005年5月23日、踏切事故により死去(享年31)。


「石田徹也ノート」 求龍堂 より

 
-------引用ここまで--------

 


石田徹也氏の絵画は、見る人が見ればユーモアに富んだ作品に見え、また、見る人が見ると物悲しくも感じる作品です。

石田徹也氏の自身の絵についてこう語っています。

 


-------引用ここから--------

「石田徹也ノート」求龍堂 P168



僕が求めているのは、悩んでいる自分をみせびらかすことでなく、
それを笑い飛ばす、ユーモアのようなものなのだ。
ナンセンスへと近づくことだ。

他人の中にある自分という存在を意識すれば、自分自身によって計られた重さは、意味がなくなる。

そうだ、僕は他人にとって、10万人や20万人といった多数の中の一人でしかないのだ!

そのことに、落胆するのではなく、軽さを感じること。

それが、ユーモアだ。


--------引用ここまで--------

 


-------引用ここから-------- 
 

「石田徹也ノート」求龍堂 P267

1999年4月頃のアイデア帖より

最初は自画像に近いものだった。
弱い自分をギャグやユーモアで笑えるものにしようとした。

結果は、笑えるものだったり、余計かなしいものができたりして、
見る人によっては、風刺や皮肉と受け止められることもあった。

そうやって続けていく過程で、自分自身が消費者、都市生活者、労働者、と拡がってきて、自分の感じる社会問題も意識するようになった。

僕が、強く感じることができるのは、人の痛み、苦しみ、不安感、孤独感などなどで、そういったものを自分の中で消化し、独自の方法で見せたい。


--------
引用ここまで--------

 


彼の作品を通して自分の中で消化されていない「痛み」を「ユーモア」へと昇華できたらいいな、と思い紹介させていただきました。





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ishikawa
です。

今回も日本にある名言、あるいは、考えるヒントになる言葉を紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。


それでは、早速、田中美知太郎氏のこちらの名言をご覧ください。

-------引用ここから-------- 

どんな議論に関しても、ただ結論を求めるというだけではなくて、すぐに実践的な帰結を出せと迫る性急家がいる。

「それなら、われわれはどうすればよいのだ。それを教えてくれ」

というわけである。
こういうふうに、すぐ命令を受け取りたがる人が多いので、とんでもない命令家が出現したりする。


--------
引用ここまで--------



しかし、冷静になってみて考えてみますと、
この
だけを追い求めてる、ということに慣れてしまいますと、
自分自身の
「考える力」「問う力」を衰退させてしまうのではないか?

また、違う弊害も出てくるのではないか?

田中氏の指摘でそう思うようになりました。

 


そして、そんな考えの中、私は、自分自身の「考える力」「問う力」を衰退による弊害を指摘したのが小林秀雄氏のこの言葉を発見しました。

 


--------引用ここから--------

『学生との対話』


小林 秀雄

新潮社


P46


現代は非常に無責任な時代だと思います。
今日のインテリというのは実に無責任です。
例えば、韓国の或る青年を救えという。責任を取るんですか。取りゃしない。

責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。


信じるということは責任を取ることです。


僕は間違って信じるかもしれませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信じることなのです。

信じるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから集団的なイディオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イディオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。


本居宣長を読んでいると彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。
彼の言う「物知り人」とは、今日の言葉でインテリです。
ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。
左翼とか、右翼とか、保守とか、革新とか、日本を愛するなら、どうして徒党を組むんですか。日本を愛する会をこさえたがる。無意味です。
日本というものは僕の心の中にある。諸君の心の中にみんなある。

インテリはそこに気がつかない。自分の都合のいいことだけ考えるのがインテリです。反省がないんです。反省がないということは信ずる能力を失ったということです。

小林秀雄「信ずることと知ること」


--------
引用ここまで--------


小林氏の指摘する無責任なインテリに誘導されてしまう。

そして、無責任な言説に沿って誤った行動、判断をしてしまう可能性が高くなります。

 


自分自身の「考える力」「問う力」、「信じる」という感覚。

 


それでは、どのようにすれば、それらの感覚が養えるのでしょうか?

 


この問いに関して私は、明確な回答は出来かねますが、私は樋口恒晴氏(常磐大学国際関係学部教授)のこの言葉にヒントがあるのではなかろうかと思い、紹介させていただきます。

『絶対的な「善」を考えるのではなく、「マシ」ということを考えましょう。』

早急に結論を出したい、或いは、早く問題を解決するにはどうすれば良いか。

そんな焦燥心に煽られそうになった時、樋口氏のこの言葉が処方箋になるのではないかと思っております。


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ishikawaです。

今回から、日本にある名言を発信していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

それでは、こちらをご覧ください。

 --------引用ここから--------

『草枕』 青空文庫

夏目漱石

智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。


 --------引用ここまで--------

 夏目漱石の『草枕』の冒頭です。
読んでいて、思わずうなずいてしまう言葉です。

大方の意味合いと致しましては、

「自分自身の『智』を表に出しすぎると、事が荒立つ。
他人に同情心を持ちすぎると、 自分自身が流されてしまう。
自分自身の意地を通そうとすると、思うようにいかない。
ともかく人間世界は生きにくい。」

となるかと思います。

そして、『草枕』はさらにこう続きます。

--------引用ここから--------

『草枕』 青空文庫

夏目漱石


住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。

どこに越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり、向う三軒両隣にちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国に行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりなお住みにくかろう。

越す事ならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、

寛容で、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

 --------引用ここまで--------

私たちが住んでいる「人の世」を住みにくい、と感じていても、
その「人の世」を作ったものは神でも鬼でもない。

私たちと同じ、ただの人です。


そして、その「人の世」でうまく生きていくには、 越す事ならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容で、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

自分自身で束の間の命を、束の間でも住みやすくしようと思わなければならない、と指摘しています。

人生、とにかく色々なことがあって「人の世は住みにくい」と感じることが多々ございますが、
そんな時、夏目漱石の『草枕』のこの言葉が処方箋になるのではないかなと思います。  


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はじめまして、ishikawaと申します。

浅学な私ではございますが、
徒然なるままに日本について感じることを投稿し、
また、ブログを通して日本について少しでも理解を深めたい
と思っておりますのでよろしくお願いします。




それでは、さっそくこちらを御覧ください。

--------引用ここから--------


「古今和歌集」


題しらず 詠み人しらず



わが君は千世にやちよに


さざれ石の巌となりて


苔のむすまで


--------引用ここまで--------

この和歌は、今日では「君が代」

国歌として親しまれています。


そして、驚くべきことに、この和歌は、
歴史に名前を残していない天才が詠んだ和歌なのです。


日本には、歴史に名前を残していない天才がいた。
それも1000年以上も昔に、です。

しかし、この歴史に名前を残していない天才は、
なにもこの和歌を詠んだ方だけではありません。

たとえば、皇居。

--------引用ここから--------

『学生との対話』

小林 秀雄

新潮社

P109

皇居は、実に美しく、堂々たる建築で、僕は、文化だと思うが、木と石でできています。
中はもちろん近代的な鉄骨ですけれども、あの美しさは木と石から来ている。
外国人もずいぶん拝観しに来て、
とりわけスウェーデンの建築家が驚愕したのだそうです。
それで、スウェーデン政府がこれだけの細工をする大工さんを
ぜひ招待したいと言い出したのだが、
僕を案内してくれた人が、すぐ断った。

「これを作った大工さんはもう七十歳以上の人ばかりだ。
名人といわれている大工さんばかりだが、そんな名人たちを
スウェーデンなんかへ連れていったら、飯食わせないだろ?パンだろ?
みんな駄目になりますよ。」

--------引用ここまで--------

皇居は、素晴らしい建築物であることは、知ってはいますが、
皇居を誰が作っているか、どんな大工さんが作ったかを知っている人はあまりいないと思います。

国歌として親しまれている「君が代」を作った詠み人知らず、
皇居を作った名人と言われた大工の方々。

もちろん列挙した方々だけではなく、日本には歴史に名前を残していない天才は、
今もなおたくさんおられます。
そして、その方々一人一人が私たちの知らないところで日本を支えている。

現代も過去も。
そして、もちろん未来も。



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