文藝春秋社 江藤淳著:小熊英二著「民主と愛国」に江藤淳が取り上げられていたのだが、この早熟な秀才をどう読んだらいいのか扱いかねていた。ひとつには柄谷行人が若いころ江藤の文体を学ぶため、その著作を筆写して訓練したと聞いていたからだ。柄谷の著作は若いころ、法政大学教授ということもあって随分と挑戦したものだったが、とにかく難解でなんの収穫も得られなかった苦い思い出がある。そんな柄谷が心服する江藤淳であったから、なおさら遠ざけていたのだろうとも思う。それと東京にいたころは周囲には左派系の人たちに多かったという事情もあり、大江健三郎なんかはもてはやされていたのだが、保守系の江藤に関して話題に上ることはほとんどなかった。それでも本音を言わせてもらえれば、大江に関してもいくつかその作品を読んでみたけれど、多元的宇宙がどうのこうの、トリック・スターが云々とか、とりたててインパクトもない語句を挙げ、時代の先端をいくかのような錯覚だけの世界観にどうしても同調することはできなかった。同時代の作家では安倍公房「砂の女」や、倉橋由美子「パルタイ」のほうが衝撃的だった記憶がある。
さて、本書「落葉の掃き寄せ」では江藤は大江にたいして批判めいたことを口にしている。「やつは敵だ。敵を殺せ」。戦後民主主義を絶対化し、自分たちが無謬だと主張する人々。大江もまた次第にそういったひとたちになびいていく。江藤はそんな大江の態度を民主主義の原則とは無縁な、擬装された陰惨な左翼全体主義以外のなにものでもない、といって批判している。
勿論「沖縄ノート」を書いた大江であるし、護憲の最前線に立つ大江であるからその主張に賛同する人も少なからずいるし、なにしろノーベル文学賞作家なのだからファナティックな支持者もかなりいることとは思う。
江藤にしろ、大江にしろ今となってはどちらにもつこうとは思わないけれど、人間年を重ねると次第に、保守的な姿勢になるものである。江藤のエッセイは最近の評論家には観ることができないほど美文だということは、年月を経て改めて発見した。それだけでも読むのに値するものと思う。
麹町、九段界隈の街を車で通り抜けるときの、景色の描写を書き記した一文はことのほか美しい。
さて、本書「落葉の掃き寄せ」では江藤は大江にたいして批判めいたことを口にしている。「やつは敵だ。敵を殺せ」。戦後民主主義を絶対化し、自分たちが無謬だと主張する人々。大江もまた次第にそういったひとたちになびいていく。江藤はそんな大江の態度を民主主義の原則とは無縁な、擬装された陰惨な左翼全体主義以外のなにものでもない、といって批判している。
勿論「沖縄ノート」を書いた大江であるし、護憲の最前線に立つ大江であるからその主張に賛同する人も少なからずいるし、なにしろノーベル文学賞作家なのだからファナティックな支持者もかなりいることとは思う。
江藤にしろ、大江にしろ今となってはどちらにもつこうとは思わないけれど、人間年を重ねると次第に、保守的な姿勢になるものである。江藤のエッセイは最近の評論家には観ることができないほど美文だということは、年月を経て改めて発見した。それだけでも読むのに値するものと思う。
麹町、九段界隈の街を車で通り抜けるときの、景色の描写を書き記した一文はことのほか美しい。