浄土宗の真言:『抜一切業障根本得生浄土陀羅尼』(往生呪)のご紹介

抜一切業障根本得生浄土陀羅尼

ばついっさいごうしょうこんぽんとくしょうじょうどだらに

 

南無阿弥多婆夜 (な・も・あ・み・だ・ば・や)  

哆他伽哆夜(だ・た・ちぇ・だ・や

哆地夜他(だ・でぃ・や・た

 

阿弥利都婆毘 (あ・み・り・と・ば・ぴ

 

阿弥利哆(あ・み・り・だ

悉耽婆毘(し・たん・ば・ぴ

 

阿弥利哆(あ・み・り・だ

毘迦蘭諦(ぴ・じゃ・らん・でぃ

 

阿弥利哆(あ・み・り・だ

毘迦蘭哆(ぴ・じゃ・らん・だ

 

伽弥膩(ちぇ・み・に

伽伽那(ちぇ・ちぇ・な

枳多迦隸(ず・だ・じゃ・り

 

莎婆訶(さ・ば・は

 

 

抜一切業障根本得生浄土陀羅尼

ばついっさいごうしょうこんぽんとくしょうじょうどだらに

1.
この真言は『阿彌陀經不思議神力傳』

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0368_,12,0351c16&key=%E9%98%BF%E5%BD%8C%E9%99%80%E7%B6%93%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E7%A5%9E%E5%8A%9B%E5%82%B3&ktn=&mode2=2

に記載されています。中国の浄土宗の日課では、いつも、「阿弥陀経」または「無量寿経」など浄土宗の経典を唱えた後に、この陀羅尼を三回または七回唱えます。それから、念仏します。この呪文は「往生呪(おうじょうしゅ」とも呼ばれて、浄土宗の重要な呪文です。「阿弥陀経」などでは、経文で深密な義理を顕かに説いているので、顕教に属します。この「往生呪」を持する(唱え続けること)だけで極楽浄土へ往生できるので、中に深密(じんみつ、意味道理が深すぎて、浅学者では理解できないこと)な義理を含まれていて、つまり「密教(この「密」は深密の意味で、「秘密」という意味ではありません、仏法には秘密がありません)」に属します。経文と真言を合わせて、一緒に唱えることによって、「顕密円通(顕教と密教は説く方法が違うが、不二であって、障礙がなく、円満自在に通じあうこと)」が示され、顕密双修(密教と顕教両方を取り入れた修行)でもあります。もちろん、経文だけ、または往生呪だけを唱えるのも構いません。なぜなら、顕密円通だからです。

 

2.障は三つあります:煩悩障(惑、迷惑、縁);業障(業、行い、因);報障(苦、受報、果)。「煩悩」は業の因であり、「報障」は業の果であり、「業」つまり業障には、必ず因があって、必ず果報を招くので、業障は他二つの障を包摂します。業障は自性への悟りの障礙になります。この呪文を持する(つまりこの呪文を唱え続けることによって、自分の妄想や雑念を抑え止められ、これは持するといいます)ことによって、煩悩が起こらなくなり、業障の根本()を抜き出すことができます。

例えば:一日
24時間の中で、4時間毎に、21回ずつこの呪文を唱えること(身心ともの清浄を保つことができ)により、五逆罪(死後阿鼻地獄に堕ちる五つの極めて重い罪です:父親を殺す;母親を殺す;阿羅漢を殺す(今の時代は、倫理道徳正法を教える聖者を殺すも同罪です);出仏身血(すいぶつしんけつ、仏身を傷つけ出血させること。今の時代では、悪意で仏像を壊すことも同罪です)、破和合僧(はわごうそう、六和敬を修める正法僧団を仲違いさせることですと謗法罪(釈迦さまが教える仏法を誹謗すること。ちなみに、仏法のすべての法門は釈迦さまが教えたものだから、どの法門を誹謗することも、歴然としての謗法です、むやみに他の法門を批判することは是非慎むべきです)などの罪を滅罪させることができます。

 3.業障があるから、娑婆世界で輪廻してしまいます。業障を消滅させることができれば、つまり、穢土の因がなくなり、願通りに極楽浄土へ往生できます。つまり、煩悩を断ずることにより、業障が消滅させられます。浄土念仏法門では、特に殊勝であり、なぜなら、煩悩を断じなくても、発作しないように抑えることがさえできれば、極楽浄土へ「帯業往生(たいごうおうじょう、本当に心から懺悔し・念仏し続けて、切に極楽への往生を願うであれば、過去(過去一日・過去一秒・過去一念)の業障を持ったまま極楽浄土へ往生できること、これは阿弥陀仏の極楽浄土だけできることで、他の浄土への往生では煩悩を断じ、業障を消滅させないといけません)」ができます。しかし、念仏しながらも、貪(例え:欲望、自己中心)・瞋(例え:嫉妬、怒り)・痴(例え:善悪区別できない)・傲慢(例え:人を差別する・見下す)・疑(例え:因果応報や仏法への疑い)などの煩悩が顕わになり、全然抑えなくて、これだと、極楽浄土へいけません。つまり、現在に発作している業を持って極楽浄土へいけません。だから、必ず、心から懺悔して、断悪修善しながら、念仏して極楽浄土へ往生しましょう!

 
4.善なる(親孝行し、師を敬い、五戒十善を守れる)男子と善なる(親孝行し、師を敬い、五戒十善を守れる)女人が、この呪文を唱えると、阿弥陀仏は常に彼らの頭上にいて、昼夜に彼らを守り、彼らは現世の安穏を得て、臨終の際に、極楽浄土へ往生できます。

5.
しかし、この往生呪を唱えるよりも、阿弥陀仏と念仏するほうか断然よいです。この往生呪を30万回唱えると、阿弥陀仏に会えますが、「阿弥陀仏」を念仏すると、一日で、一心になれば、阿弥陀仏に会えます。だから、この呪文の功徳は他の呪文より優れていますが、念仏の功徳はこの呪文よりさらに優れています。真心で一回念仏すれば、80億劫の生死重罪を消滅させることができます。阿弥陀仏は自性の名号で、「阿弥陀仏」と念仏することは、つまりすべての諸仏の名号を唱えることになり、功徳無量です。

6.
従来は、真言の意味を翻訳しません。真心で唱えれば、自然にご利益を得られます。しかし、ここで、簡単に大意を紹介します。

南無阿弥多婆夜 (な・も・あ・み・だ・ば・や)(一)

大意:帰命無量寿(無量寿仏はつまり阿弥陀仏、「阿弥多婆夜」は阿弥陀仏、無量寿、無量光です

 

哆他伽哆夜(だ・た・ちぇ・だ・や)(二)

大意:如来

(一)と(二)は仏号(南無阿弥陀仏)です

 

哆地夜他(だ・でぃ・や・た)(三)

大意:呪文を言います。つまり、この後ろから、呪文の本文に入ります

 

阿弥利都婆毘 (あ・み・り・と・ば・ぴ)(四)

大意:「阿弥利都」は無量、「婆毘」は光明、つまり、無量光です。これも阿弥陀仏様の名号です。

 

阿弥利哆(あ・み・り・だ)(五)

大意:無量

 

悉耽婆毘(し・たん・ば・ぴ)(六)

大意:「悉耽」は「一切義成」、つまり、すべての教義と教理が円満に成就します。「婆毘」は光明です。

 

阿弥利哆(あ・み・り・だ)(七)

大意:無量寿仏

 

毘迦蘭諦(ぴ・じゃ・らん・でぃ)(八)

大意:多義であり、ここでは、「無礙行」と訳します。つまり、華厳経に説いている「理事無礙、事事無礙」のように、仏菩薩が十法界中で、融通無碍に善巧方便の方法を使って、すべての衆生を済度することです。

 

阿弥利哆(あ・み・り・だ)(九)

大意:無量

 

毘迦蘭哆(ぴ・じゃ・らん・だ)(十)

大意:上の「毘迦蘭諦(八)」との意味は似ていて、少し違うのは、「毘迦蘭哆(十)」の最後に「真如不退」の意味があります。だから、すべての衆生が極楽浄土へ往生したら、みんな阿鞞跋致菩薩(37品の無明を断じ、無生忍を証した、第7地の遠行地(おんぎょうじ)菩薩の位以上に相当する階級の菩薩)になり、つまり、円満に三種類の不退転(位不退(二度と六道輪廻する凡夫の位に引き下がらない、つまり、六道輪廻から脱出して、二度と三悪道に堕ちません)、行不退(小乗の位に引き下がらない、つまり大乗菩薩になります)、念不退(円教の初住位(十住なかの一番下の階位、発心住)の菩薩以上になります)を証します。

 

伽弥膩(ちぇ・み・に)(十一)

大意:極楽世界、弥陀浄土、安養国

 

伽伽那(ちぇ・ちぇ・な)(十二)

大意:これは讃嘆のための比喩です。この比喩の意味は虚空、または天界、六道では「天道」といいます。つまり、はるかに高く、広大無辺(こうだいむへん 広くてはてしがない)であるだと極楽浄土を称讃しています。

 

枳多迦隸(ず・だ・じゃ・り)(十三)

大意:多義であり、一つの意味は:「諦往」です。「諦」は真実、「真諦(しんたい)」で、つまり、すべての衆生が極楽世界へ往生するのを願うのは最も真実(絶対不変の真理、究極の真実)で、この往生する道は真理です;そして、もう一つの意味は:非常に歓喜に、喜んで極楽へ往生するのを願います。

 

莎婆訶(さ・ば・は)(十四)

大意:すべての呪文の最後は、この「莎婆訶」が付きます。意味は、「迅速に円満にする」です。つまり、私達の願いは一日も早く、円満に実現できるように願います!

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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