20170810-12




818: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:00:21 ID:ri9
じゃあ陸遜伝の前半を始めるで



819: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:00:32 ID:ri9
陸遜、字伯言、吳郡吳人也。本名議、世江東大族。

陸遜は字を伯言と言い、呉郡呉の人である。本名を陸議といい、代々江東の名家であった。



820: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:01:23 ID:ri9
遜少孤、隨從祖廬江太守康、在官。袁術、與康有隙、將攻康。康、遣遜及親戚、還吳。遜、年長於康子績數歲、爲之綱紀門戶。

陸遜は幼くして孤独となり、従祖父の廬江太守陸康に従い、仕官した。袁術は陸康と亀裂が生じると陸康を攻めた。陸康は陸遜を遣わして親戚を呉に帰した。陸遜は陸康の子陸績より数歳年上であったので、一門を取り仕切った。



821: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:02:11 ID:ri9
孫權爲將軍。遜、年二十一、始仕幕府、歷東西曹令史、出爲海昌屯田都尉、並領縣事。

孫権が将軍となった。陸遜は齢二十一にして初めて幕府に仕え、東西の曹令史を歴任し、海昌の屯田都尉に転任し、同時に県の事も行った。



823: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:03:00 ID:ri9
縣、連年亢旱。遜、開倉穀以振貧民、勸督農桑、百姓蒙賴。

県は連年干ばつであった。陸遜は穀倉を開いて貧しい民に振る舞い、農業を勧め、百姓は皆頼れるものを得た。



825: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:03:52 ID:ri9
時、吳會稽丹楊、多有伏匿。遜、陳便宜乞與募焉。

時に呉、会稽、丹陽では隠れて暮らしていた者が多かった。陸遜は便宜を述べて募兵を請うた。



828: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:04:45 ID:ri9
會稽山賊大帥潘臨、舊爲所在毒害、歷年不禽。遜、以手下召兵、討治深險、所向皆服、部曲已有二千餘人。

会稽の山賊の総帥潘臨は昔から所在で害を為し、長年捕らえられなかった。陸遜は手下の招致した兵で深く険阻な所を討伐し、向かう所では皆服従し、部隊は既に二千人余りを有した。



829: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:05:37 ID:ri9
鄱陽賊帥尤突、作亂、復往討之。拜定威校尉、軍屯利浦。

鄱陽の賊の総帥尤突が乱を起こすと、また行ってこれを討った。定威校尉を拝命し、軍は利浦に駐屯した。



830: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:06:46 ID:ri9
權、以兄策女配遜、數訪世務。遜建議曰「方今、英雄棊跱、財狼闚望。克敵寧亂、非衆不濟。

孫権は兄孫策の娘を陸遜に配偶させ、度々政務のことを訊ねた。陸遜は建議して言った「まさに今英雄が割拠し、狼が窺い見ております。敵に勝ち、乱を安んずるのは兵が少ないと為せません。



831: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:07:42 ID:ri9
而山寇舊惡、依阻深地。夫腹心未平、難以圖遠。可大部伍、取其精銳」權納其策、以爲帳下右部督。

山賊は昔より悪さをし、険阻な地に拠っております。その腹心を(悩ます山賊を)平定しない限り、遠くを計るのは困難でしょう。大部隊を編成して、そこから精鋭を選りすぐるのです」孫権はその策に納得して、帳下右部督とした。



832: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:08:49 ID:ri9
會丹楊賊帥費棧、受曹公印綬、扇動山越、爲作內應。權、遣遜、討棧。棧支黨多而往兵少。

その折丹陽の賊の総帥費棧が曹操から印綬を受け、山越(※)を扇動して内応させた。孫権は陸遜を遣わして費棧を討伐させた。費棧の支持者は多く、(陸遜と)行った兵は少なかった。

※南方の異民族



833: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:09:45 ID:ri9
遜、乃益施牙幢、分布鼓角、夜潛山谷間、鼓譟而前、應時破散。

陸遜は大将旗をたくさん立たせ、太鼓、角笛を分けて布陣すると、夜に山谷の間に潜ませ、太鼓を騒がしくさせ、時に応じて散々に破った。



834: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:10:38 ID:ri9
遂、部伍東三郡、彊者爲兵、羸者補戶、得精卒數萬人。宿惡盪除、所過肅清。還屯蕪湖。

遂に東三郡で部隊を作り、強者を兵士とし、弱者を戸籍に入れて、精兵数万人を得た。悪者を掃討し、通過する場所で粛清した。蕪湖に帰って駐屯した。



836: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:11:33 ID:ri9
會稽太守淳于式、表、遜枉取民人、愁擾所在。遜、後詣都、言次、稱式佳吏。

会稽太守淳于式が上表して陸遜は道理を曲げ人民を(軍に)取り、住民は憂いていると言った。陸遜は後に都に行くと、ついでに淳于式は素晴らしい吏だと称賛した。



839: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:12:32 ID:ri9
權曰「式白君、而君薦之。何也」遜對曰「式意、欲養民、是以白遜。若遜復毀式、以亂聖聽。不可長也」

孫権は言った「淳于式は君(の罪を)を明らかにしているのに、君はこれを推薦した。何故だ」陸遜は答えて言った「淳于式の意は、民を養おうとし、私を明らかにしたのです。もし私が再び淳于式を毀損すれば、天子の御耳を乱しましょう。長く続けるべきではありません」



843: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:13:14 ID:ri9
權曰「此、誠長者之事。顧人、不能爲耳。」

孫権は言った「これは誠に長けた者のやり方だ。人々を顧みても出来ない者ばかりだ。」



845: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:14:06 ID:ri9
呂蒙、稱疾詣建業。遜、往見之、謂曰「關羽接境、如何遠下。後、不當可憂也」蒙曰「誠如來言。然我病篤」

呂蒙は病と称して建業に行った。陸遜はこれを見に行って、言って曰く「関羽と国境を接しているのに、どうして遠く下られたのですか。後のことを、憂いるべきではないのですか」呂蒙は言った「誠に言葉通りだ。しかし、私の病は篤い」



849: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:15:10 ID:ri9
遜曰「羽、矜其驍氣、陵轢於人。始有大功、意驕志逸。但務北進、未嫌於我。

陸遜は言った「関羽はその強さを誇り、人を侮ります。以前に大功があって、意は驕り志は逸します。ただ北進に務め、未だ我らを嫌がらないでしょう。



853: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:17:59 ID:Kq4
>>849
関羽「侮ったとかそんな事ないぞ。黄忠と馬超?うーん、そんな奴らと並ぶ形にされたくないw」



855: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:19:29 ID:ri9
>>853
諸葛亮「めんどくさいからお前が一番ってことにしとくで(髭殿には張飛ですらおよびません)」



859: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:20:12 ID:T6W
>>855
関羽、手紙をみてはしゃぐ



857: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:19:49 ID:Sca
>>853
おかげで劉備以外は侮ってるレベルの印象になってんだよなぁ…



851: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:16:52 ID:ri9
有相聞病、必益無備。今出其不意、自可禽制。下、見至尊、宜好爲計」

(呂蒙が)病と聞き入れれば、必ず無防備になります。今その不意に出陣すれば、おのずと捕らえられます。下って至尊(孫権)に会い、計を為すのがよろしいでしょう」



852: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:17:49 ID:ri9
蒙曰「羽、素勇猛、既難爲敵。且、已據荊州、恩信大行。兼始有功、膽勢益盛。未易圖也」

呂蒙は言った「関羽の素質は勇猛で、既に敵するのは難しい。かつ、荊州に拠り、恩徳を大いに行っている。重ねて以前に功があり意気盛んである。未だ計りがたい」



854: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:18:46 ID:ri9
蒙至都、權問「誰可代卿者」蒙對曰「陸遜、意思深長、才堪負重、觀其規慮、終可大任。而未有遠名、非羽所忌、無復是過。

呂蒙は都に到り、孫権は問うた「誰が卿の代わりとなるべきだ」呂蒙は答えて言った「陸遜は思慮深く、才は重責を負うに堪えられ、謀略を見るに、大任を全う出来ます。さらに遠方では名が通っておらず、関羽も忌むことなく、これに過ぎる者はないでしょう。



856: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:19:42 ID:ri9
若用之、當令外自韜隱、內察形便。然後可克」權乃召遜、拜偏將車(※)右部督、代蒙。

もしこれを用いるなら、外面では才を隠し、内面では形勢を観察するようにしてください。しかれば、後に勝てるでしょう」孫権は陸遜を召して、偏将軍、右部督に拝命し、呂蒙と変代えた。

※原文ママ
 偏将軍の間違いであろう



858: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:20:12 ID:lon
呉将の登竜門とも言える山越討伐やけど、陸遜は数多く経験しとるな
そんだけ不服従民族と漢族が交じり合って生活してたんやろうなぁ



862: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:21:55 ID:ri9
>>861
陸氏自体は名家だからそれはないと思うけどそういう想像も面白いな



860: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:20:41 ID:ri9
遜、至陸口、書與羽曰「前承、觀釁而動、以律行師、小舉大克、一何巍巍。敵國敗績、利在同盟、聞慶拊節。

陸遜は陸口に到ると、書を関羽に送って言った「以前(命を)承ると、隙を見て動き、規律をもって軍を率いられ、寡兵にて大軍に勝ち、一体何と高く大きいのでしょう。敵国は敗績し、同盟に利があり、慶事を聞けば手を叩きます。



864: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:22:04 ID:ri9
想、遂席卷、共獎王綱。近、以不敏、受任來西。延慕光塵、思稟良規」

思うに、世を席巻し、共に天子に規律を勧めるでしょう。最近、頭の回転が遅い私は任を受け西に来ました。光るような貴方を慕っており、良き規範を授かりたく存じます。



865: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:22:32 ID:Kq4
これは褒め殺し戦法か?



867: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:23:20 ID:ri9
>>865
まさにそれ
関羽の油断を誘ってる



866: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:22:42 ID:ri9
又曰「于禁等見獲、遐邇欣歎。以爲、將軍之勳足以長世。雖昔晉文城濮之師、淮陰拔趙之略、蔑以尚茲。

また言った「于禁らを捕らえるのを見て、遠近は大いに喜び感嘆しております。これによって将軍の勲功は長い世代に伝わるに足ります。昔、晋の文公が城濮で軍を率いたこと(※1)や淮陰の韓信が趙を抜いた策略(※2)でも今は蔑ろに出来ます。

※1春秋時代の晋の文公が城濮で楚と戦った時のことを指す
 文公は楚軍を敗北の振りで誘い込み、挟撃して敵を殲滅した
※2漢の高祖の将軍韓信が趙を攻めた時のこと
 韓信は水を背に陣を敷いて(兵法では逃げ場がなくなるこの布陣を下策とする)敵を城から誘き出し、別働隊を使って敵の城を奪った



869: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:24:08 ID:ri9
聞、徐晃等、少騎駐旌、闚望麾葆。操、猾虜也、忿不思難、恐潛增衆、以逞其心。

聞くところによりますと、徐晃らは少数で駐屯し、総帥旗と羽蓋車を窺い望んでおります。曹操は狡猾で、憤って困難だとは思わず、恐らく密かに兵を増やして、その心の思う通りにします。



870: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:24:57 ID:ri9
雖云師老、猶有驍悍。且、戰捷之後、常苦輕敵、古人杖術、軍勝彌警。

師は老いたといえども、なお勇猛でございます。ですが、勝ち戦の後は常に敵を軽んじやすく、古人の術では、軍は勝っても警戒すべきそうです。



873: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:25:50 ID:ri9
願將軍、廣爲方計、以全獨克。僕、書生疏遲、忝所不堪、喜鄰威德、樂自傾盡。

願わくば将軍よ、広く計を為し、一人で勝ちを全うしてください。私は書生でゆっくりしており、面目なくも任に堪えられず、隣の(関将軍の)威徳を喜び、自ら傾け尽くすことを楽しみます。



875: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:26:43 ID:ri9
雖未合策、猶可懷也。儻明注仰、有以察之」

未だ協力していないとはいえ、懐いております。よろしければ注視して、これをお察しください」



876: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:26:57 ID:Sca
ここまで言われたら逆に疑うんだよなぁ…



877: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:28:00 ID:ri9
>>876
関羽は元から傲慢だしここまで褒められて当然と思ってそう



878: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:28:07 ID:ri9
羽、覽遜書、有謙下自託之意、意大安、無復所嫌。遜、具啓形狀、陳其可禽之要。權、乃潛軍而上、使遜與呂蒙爲前部。至、卽克公安、南郡。

関羽は陸遜の書を見て、謙譲し自らを託す意があったので、大いに安らかになり嫌がる所がなくなった。陸遜はつぶさに現状を申し、関羽を捕らえる要点を述べた。孫権は密かに軍を挙げて陸遜と呂蒙を前線に遣わした。そうすると、すぐに公安、南郡で勝った。



879: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:28:59 ID:ri9
遜、徑進、領宜都太守、拜撫邊將軍、封華亭侯。備宜都太守樊友、委郡走、諸城長吏及蠻夷君長、皆降。遜、請金銀銅印、以假授初附。是歲、建安二十四年十一月也。

陸遜は宜都太守に進み、撫辺将軍を拝命し、華亭侯に封ぜられた。劉備の宜都太守樊友は郡棄てて逃亡し、諸城の長吏及び蛮族の君長は皆降伏した。陸遜は金銀銅印を請うて初めて付き従った者に仮に授けた。この年は建安二十四年(219年)十一月であった。



881: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:29:47 ID:ri9
遜、遣將軍李異、謝旌等、將三千人、攻蜀將詹晏、陳鳳。異、將水軍。旌、將步兵。斷絕險要、卽破晏等、生降得鳳。又、攻房陵太守鄧輔、南鄉太守郭睦、大破之。

陸遜は将軍李異、謝旌らを遣わして三千人を率いさせ、蜀将詹晏、陳鳳を攻めさせた。李異は水軍を率いた。謝旌は歩兵を率いた。険阻な要衝を断絶してすぐに詹晏らを破り、陳鳳を生きたまま降伏させた。また、房陵太守鄧輔、南郷太守郭睦を攻め、これを大破した。



885: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:30:43 ID:ri9
秭歸大姓文布、鄧凱等、合夷兵數千人、首尾西方。遜、復部旌、討破布凱。布凱脫走、蜀、以爲將。遜、令人誘之。布、帥衆還降。

秭歸の豪族の文布、鄧凱らは異民族の兵数千人を糾合し、西方と連合した。陸遜はまた謝旌を部隊に入れ、文布、鄧凱を討伐して破った。文布、鄧凱は逃亡し、蜀は将とした。陸遜は人を使ってこれを誘った。文布は兵を率いて帰ってきて降伏した。



886: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:31:11 ID:lon
もっともこのお手紙は最後の一押しでしかなく、
関羽の油断を誘ったのは複合的な策の積み重ねと思うけどね
関羽はプライド高いの確かやろうけど、同世代に悉く畏れられている将帥である事は事実



891: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:32:52 ID:ri9
>>886
呂蒙も病気のふりしてたしそもそも関羽は于禁に大勝して少し調子に乗ってたからな



900: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:36:11 ID:lon
>>891
于禁を破った時期に呂蒙が病床に伏した
これだけなら、まだ弱いけど同タイミングで孫権が実際に合肥を攻めとる
勿論前後のいきさつ考えればこれは魏との八百長に近かったと思える
関羽を嵌めるためにコレだけやっとんやから、騙す方も騙される方も大したもんやと思うで



905: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:39:17 ID:ri9
>>900
これ考えると誰も見抜けんわ



888: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:31:44 ID:ri9
前後、斬獲招納、凡數萬計。權、以遜爲右護軍、鎭西將軍、進封婁侯。

前後に捕らえて斬り招致して糾合した者はおおよそ数万を数えた。孫権は陸遜を右護軍、鎮西将軍とし、婁侯に進め封じた。



890: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:32:41 ID:Kq4
>>888
陸遜さん、出世or異動スピード早いンゴねぇ



892: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:33:00 ID:T6W
良くも悪くも飛び抜けた将であった事が関羽の敗因の一つかもな



896: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:35:19 ID:ri9
>>892
中途半端だったらこれほどまでに警戒されないからな



893: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:33:02 ID:ri9
時、荊州士人新還、仕進、或未得所。遜上疏曰「昔、漢高受命、招延英異。光武中興、羣俊畢至、苟可以熙隆道教者、未必遠近。

時に、荊州の士は新たに帰り、仕えたが(任を)得る所がない人が居た。陸遜は上表して言った「昔、漢の高祖が天命を受け、英才異才を招致しました。光武帝は漢を中興すると、多くの俊才が遂に到り、仮に道理と教義を興したので遠近より必ず来ぬものはおりませんでした。



895: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:34:17 ID:ri9
今、荊州始定、人物未達。臣愚慺慺乞、普加覆載、抽拔之恩、令並獲自進。然後、四海延頸、思歸大化」權敬納其言。

今、荊州は定まりはじめて、人物が到達しておりません。私は愚かにも謹んで請うに、あまねく全てに抜きん出た恩を加え、並んで自ら進達を得てください。そうした後、四方の人は首を垂れ、大いなる徳に帰服するを思うのです」孫権はその言葉を敬服し受け入れた。



897: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:35:40 ID:ri9
黃武元年、劉備率大衆來向西界。權命遜、爲大都督、假節、督朱然、潘璋、宋謙、韓當、徐盛、鮮于丹、孫桓等、五萬人、拒之。

黄武元年(222年)、劉備は大軍を率いて西にやって来た。孫権は陸遜に命じ、大都督、仮節として、朱然、潘璋、宋謙、韓当、徐盛、鮮于丹、孫桓ら五万人を督させ、これを拒んだ。



901: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:36:39 ID:ri9
備、從巫峽、建平、連圍至夷陵界、立數十屯、以金錦爵賞、誘動諸夷。使將軍馮習、爲大督。張南、爲前部。輔匡、趙融、廖淳、傅肜等、各爲別督。

劉備は巫峽、建平から夷陵の境を幾重にも囲み、数十の駐屯地を立て、金、錦、爵位、褒賞にて諸々の異民族を誘い動かした。将軍馮習を大督とした。張南を前部とした。輔匡、趙融、廖淳(廖化)、傅肜ら各々を別督とした。



904: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:38:43 ID:Kq4
>>901
異民族使って嫌がらせかぁ
当時としては、よくある戦略戦術なんかな
まずは様子見!物見!みたいな



908: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:40:25 ID:ri9
>>904
蜀はこれ以外にも諸葛亮や姜維が蛮族使って攻撃してるのがそれぞれの伝に載ってるで
わりとポピュラーなんちゃう?



910: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:41:16 ID:Kq4
>>908
まぁ、自分の勢力兵士は簡単に使いたくないわな
今でいう外注みたいなもんか



923: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:45:34 ID:lon
>>904
異民族というか不服従民族はいたる所に住んでるからな
中原以外に異民族がいない場所なんてないんちゃう?

ちなこの時は馬良が武陵蛮てのを帰属させとる
演義では鉄疾黎骨朶って凶暴な得物を使う沙摩柯が率いてる連中やね



903: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:37:46 ID:ri9
先遣吳班、將數千人、於平地立營、欲以挑戰。諸將皆欲擊之、遜曰「此、必有譎。且觀之」備、知其計不可、乃引伏兵八千、從谷中出。

先に呉班を遣わし、数千人を率いさせ、平地に軍営を立てさせ、戦に挑ませた。諸将は皆これを討とうとしたが、陸遜は言った「これには必ず偽りがある。見ているだけでよい」劉備はその計が出来ないと知ると、伏兵八千を率いて谷中より進軍した。



906: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:39:28 ID:ri9
遜曰「所以不聽諸君擊班者、揣之必有巧故也」

陸遜は言った「諸君が呉班を攻撃するのを聞かなかったのは、必ず巧みな策があると推し量ったからである」



909: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:40:41 ID:ri9
遜上疏曰「夷陵、要害、國之關限。雖爲易得、亦復易失。失之、非徒損一郡之地、荊州可憂。今日爭之、當令必諧。

陸遜は上表して言った「夷陵は要害で、国の関門です。得やすいといえども、また失いやすくあります。これを失えば、いたずらに損なえば一郡の地だけでなく、荊州も憂いることとなります。今日のこの争いは必ず和らげねばなりません。



912: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:41:49 ID:ri9
備、干天常、不守窟穴而敢自送。臣、雖不材、憑奉威靈、以順討逆、破壞在近。

劉備は天の常を犯し、洞窟の穴を守らず敢えて自らを送ってきました。私は人材にあらずといえども、慰霊を奉り、順を以て逆を討ち、近くにある(劉備)を打ち砕きます。



915: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:42:39 ID:ri9
尋備前後行軍、多敗少成。推此論之、不足爲戚。

劉備の行軍の前後を尋ねるに、敗北は多く成功は少ないのです。これを推し量って論じるに、心配するに足りません。



917: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:43:27 ID:ri9
臣初嫌之水陸俱進、今反舍船就步、處處結營。察其布置、必無他變。伏願、至尊高枕、不以爲念也」

私は初め、水陸共に進軍するのを嫌がっておりましたが、今や船を捨てて徒歩で来て、処々に軍営を立てております。その布陣から察するに、必ず他に変化はないでしょう。伏して願わくば、至尊は枕を高くして懸念されませぬように」



919: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:44:21 ID:ri9
諸將並曰「攻備、當在初。今乃、令入五六百里、相銜持經七八月、其諸要害皆以固守。擊之必無利矣」

諸将は並んで言った「劉備を攻めるべきは初期にあった。今になって五、六百里に入られ、対峙して七、八カ月となり、その諸所の要害は皆固められた。これを攻撃するのは必ず利が無いだろう」



920: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:45:10 ID:ri9
遜曰「備、是猾虜、更嘗事多、其軍始集、思慮精專、未可干也。

陸遜は言った「劉備は狡猾で、更にかつてから事業を多くこなし、その軍は初めは集まり、思慮は専念して、犯すべきではない。



924: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:46:15 ID:ri9
今住已久、不得我便、兵疲意沮、計不復生。犄角此寇、正在今日」乃先攻一營、不利。

今既に久しく留まり、我らを攻められず、兵は疲労し意気はおろそかで、計も再び生まれない。この賊を前後から攻めるのは、正に今日である」こうして一つの陣営を攻めたが、利は無かった。



927: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:47:10 ID:ri9
諸將皆曰「空殺兵耳」遜曰「吾已曉破之之術」乃、敕各持一把茅、以火攻拔之。

諸将は皆言った「虚しく兵を殺しただけだ」陸遜は言った「私は既にこれを破る術を明らかにした」こうして、各々に一把の茅を持たせ、火で攻めてこれを抜いた。



939: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:50:37 ID:lon
>>927
この発言負け惜しみしか聞こえなかっただろうな
下の武将の突き上げと反抗は相当なものだったろうし、陸遜もここで死力を振り絞ってたんだろう



931: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:48:13 ID:ri9
一爾勢成、通率諸軍同時俱攻、斬張南、馮習、及胡王沙摩柯等首、破其四十餘營。備將杜路、劉寧等、窮逼請降。

一斉に攻勢が成り、通達して諸軍を率いて共に同時に攻め、張南、馮習及び異民族の王沙摩柯らの首を斬り、四十余りの陣営を破った。劉備の将杜路、劉寧は困窮して降伏を請うた。



934: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:49:28 ID:ri9
備、升馬鞍山、陳兵自繞。遜、督促諸軍四面蹙之、土崩瓦解、死者萬數。備、因夜遁、驛人自擔、燒鐃鎧斷後、僅得入白帝城。

劉備は馬鞍山に登り兵に言って周りを囲ませた。陸遜は、諸軍を促して四方からこれを縮め込ませ、土が崩れるように瓦解し、使者は数万となった。劉備は夜に遁走して、駅舎の人が自ら担当して饒(楽器の一種)と鎧を焼いて後続を断ち、わずかに白帝城に入れた。



940: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:50:37 ID:Kq4
>>934
駅舎の人って書かれるとJRの駅員が劉備助けたみたいで草
関所みたいなやつか?



944: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:52:17 ID:ri9
>>940
駅舎は宿駅のことや



938: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:50:34 ID:ri9
其舟船器械水步軍資、一時略盡、尸骸漂流、塞江而下。備、大慚恚、曰「吾乃爲遜所折辱、豈非天邪。」

その船や武器、水軍、歩兵の物資は一時にしてことごとく略奪され、骸は漂流し、長江を塞ぎつつ下った。劉備は大いに恥じて怒り、言った「私がこうして陸遜に辱められたのは、どうして天命ではないといえようか。」



942: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:51:10 ID:ri9
初、孫桓、別討備前鋒、於夷道、爲備所圍、求救於遜。

その前、孫桓は別働隊で劉備の先鋒を討ち、夷陵の道において劉備に囲まれる所となり、陸遜に救援を求めた。



958: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:57:50 ID:lon
>>942
夷陵の大MVPの孫桓
劉備本体を引きつけて陣で粘ること半年、遂に一転攻勢で劉備を撃破した
窮地を脱した劉備は「わしがかつて呉を頼ったとき、まだ小僧に過ぎなかった孫桓如きに今はこれ程までに追いつめられるとは」と嘆息したという

なお目と鼻の先に呉軍本体がいて一向に救援を得られなかった事を相当苦々しく思ってた模様、残当



960: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:58:31 ID:7YK
>>958
まあ陸遜も陸遜で追い詰められてたからな



945: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:52:29 ID:ri9
遜曰「未可」諸將曰「孫安東、公族、見圍已困。奈何不救」

陸遜は言った「今はすべきではない」諸将は言った「孫安東(孫桓)は公族で、包囲され困窮しております。どうして救わないのですか」



947: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:53:31 ID:ri9
遜曰「安東、得士衆心。城牢糧足、無可憂也。待吾計展、欲不救安東、安東自解」及方略大施、備果奔潰。

陸遜は言った「安東は兵士の心を得ている。城内に兵糧は十分で、憂いるべきではない。私の計の展開を待てば、安東を救おうとしなくとも、安東はおのずと解放されよう」計略が大いに施されるに及び、劉備は果たして潰走した。



949: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:54:49 ID:Kq4
>>947
劉備追いつめる&壊走とか、陸遜すごe



952: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:56:12 ID:ri9
>>949
軍略に関していえばこの時代でも並ぶものがいないからな
曹操、司馬懿、諸葛亮、周瑜などと比べられるレベル



950: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:55:11 ID:ri9
桓、後見遜曰「前、實怨不見救。定至今日、乃知調度、自有方耳。」

孫桓は後に陸遜に見えて言った「以前は実に見捨てて救わないのを恨んだ。今日定まるに至って、こうして指示を知り、方策がわかった。」



953: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:56:21 ID:ri9
當禦備時、諸將軍、或是孫策時舊將、或公室貴戚、各自矜恃、不相聽從。

劉備を防がんとする時、諸将軍は、あるいは孫策の旧将が、あるいは公室の貴族の親戚が、各々矜持を持ち、それぞれ支持を聞き入れて従わなかった。



955: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:57:16 ID:ri9
遜、案劍曰「劉備、天下知名、曹操所憚。今在境界、此彊對也。諸君、並荷國恩、當相輯睦、共翦此虜、上報所受。而不相順、非所謂也。

陸遜は剣を手にして言った「劉備は天下に名が知られ、曹操も恐れる。今国境にあり、この強者と対峙している。諸君らは並んで国の恩を担い、互いに睦まじくし、共にこれを捕らえて滅ぼし、上に受けた恩に報いるのだ。互いに従わないのは、言語道断である。



957: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:57:49 ID:7YK
劉備とかいう相手が本当に悪い人物
幸運なのか不運なのか



961: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:59:07 ID:ri9
>>957
実力はあるんやけど相手が強すぎるせいで過小評価されている模様



959: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:58:08 ID:ri9
僕、雖書生、受命主上。國家、所以屈諸君、使相承望者、以僕有尺寸可稱、能忍辱負重故也。

私は書生といえども主上の命を受けたのだ。国家が諸君らを部下にし、迎合させているのは、私に少しばかりといえ、重責を負うに耐えられるからである。



962: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)19:59:17 ID:ri9
各在其事、豈復得辭。軍令有常、不可犯矣」及至破備、計多出遜、諸將乃服。

各々に仕事があるのに、どうして文句を言うことがあろうか。軍令は常にあり、犯してはならない」劉備を破るに至り、計は陸遜から多く出て、諸将はこうして敬服した。



963: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:00:14 ID:ri9
權聞之、曰「君、何以初不啓、諸將違節度者邪」

孫権はこれを聞き、言った「君は何故、諸将で節度に違えた者を初めから言わなかったのか」



966: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:01:21 ID:ri9
遜對曰「受恩深重、任過其才。又此諸將、或任腹心、或堪爪牙、或是功臣、皆國家所當與共克定大事者。臣、雖駑懦、竊慕相如寇恂相下之義、以濟國事」

陸遜は答えて言った「恩を深く受け、任はその才を過ぎていました。また此度の諸将は、ある者は腹心に任じられ、ある者は爪牙となり、ある者は功臣で、皆国家が共に大事を定める者であります。
私は知恵も無く惰弱で、密かに藺相如(※1)、寇恂(※2)がへりくだった義を慕い、国事を済ましたのです」

※1戦国時代の趙の政治家
 秦の昭王の難題に対し見事な対応で趙の体面を守った功により上卿に任命されるも、常に前線で戦っていた将軍の廉頗に口先だけで出世したと不服を買う
これを知った藺相如は自分と廉頗が不仲だと敵に知れると敵の侵攻を助長すると考え、敢えて廉頗を避けた
※2後漢初期の人物
 法によって賈復の部下を殺したことで賈復恨みを買ったが、藺相如、廉頗にならい賈復を避けた



967: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:01:37 ID:lon
ちなみに夷陵の戦いの時点で魏呉のにわか同盟を切れてて、いつ攻められてもおかしくなかった
1年以上の持久戦やった訳やけど、呉は本当神経すり減らしてたと思うわ



969: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:02:34 ID:ri9
權、大笑稱善、加拜遜輔國將軍、領荊州牧、卽改封江陵侯。

孫権は大いに笑って善いと称賛し、加えて輔国将軍に拝命し、荊州牧を領させ、即座に江陵侯に改めて封じた。



970: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:03:48 ID:Kq4
>>969
荊州牧を領させ、即座に江陵侯に改めて封じた。

戦後直後の荊州治めるんかぁ
名誉ではあるけどストレスもやばそう



976: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:05:43 ID:ri9
>>970
陸遜の人生ってホント苦労の一生って感じ



973: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:04:15 ID:ri9
又備、既住白帝。徐盛、潘璋、宋謙等、各競表言備、必可禽、乞復攻之。

また、劉備が白帝城に留まった。徐盛、潘璋、宋謙らは、劉備は必ず捕らえられるから、再び攻撃することを請うと各々競って上表して言った。



977: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:05:53 ID:ri9
權、以問遜。遜、與朱然駱統以爲、曹丕大合士衆、外託助國討備、內實有姦心、謹決計、輒還。無幾、魏軍果出、三方受敵也。

孫権は陸遜に問うた。陸遜は朱然、駱統と共に曹丕が兵士を大いに集め、外面ではこちらを助け劉備を討とうとしているが、内実に邪な心があり、謹んで計を決め、速やかに帰るべきだとした。幾ばくもなく、魏軍は果たして出陣し、三方で敵対を受けた。



979: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:06:53 ID:ri9
備、尋病亡、子禪襲位。諸葛亮秉政、與權連和。時事所宜、權輒令遜、語亮。

劉備がしばらくして病死すると子の劉禅が位を継いだ。諸葛亮が政務を束ね、孫権と連盟した。時事の便宜について孫権はそのたびごとに陸遜を諸葛亮と語らせた。



981: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:07:28 ID:ri9
權、每與禪亮書、常過示遜、輕重可否、有所不安、便令改定、以印封行之。幷刻權印、以置遜所。

併せて孫権の印を刻み(※)、陸遜の所に置いた。孫権は劉禅、諸葛亮に書を送るたび、陸遜に示して、良いか悪いかを問い、不安のある箇所は改めさせてその印で封をして書を行かせた。

※自分の名前の入った印を渡すことは、その名前を悪用される可能性もありよほど信頼されていないと行われないはずである
 陸遜の妻が自分の姪であるとはいえ、破格の待遇であろう



983: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:08:06 ID:ri9
予想以上に速いペースで終わってしまった
このまま後半やろうかと思うんやけどええか?



984: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:08:19 ID:Kq4
>>983
ええで



988: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:09:11 ID:ri9
じゃあ後半やるで


七年。權、使鄱陽太守周魴、譎魏大司馬曹休。休、果舉衆入皖。乃召遜、假黃鉞、爲大都督、逆休。休、既覺知、恥見欺誘、自恃兵馬精多、遂交戰。

黄武七年(228年)。孫権は鄱陽太守周魴を遣わして魏大司馬曹休を罠にかけた。曹休は兵を挙げて皖に入った。こうして陸遜を召し、黄鉞を仮し、大都督とし、曹休を迎え撃たせた。曹休は既に知覚して誘き出されたのを恥とし、兵馬の精強で多いことを頼んで遂に交戦した。



991: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:10:19 ID:ri9
遜、自爲中部、令朱桓全琮爲左右翼、三道俱進。果衝休伏兵、因驅走之、追亡、逐北、徑至夾石。

陸遜は自ら中軍となり、朱桓、全琮を左右の軍として、三道より共に進軍した。果たして曹休の伏兵を突き、これを追い払い、逃亡を追って北に駆逐し、ただちに夾石に到った。



992: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:11:22 ID:ri9
斬獲萬餘、牛馬騾驢車乘萬兩、軍資器械略盡。休、還、疽發背、死。

斬首捕獲は一万余りとなり、牛、馬、騾馬(ラバ)、驢馬(ロバ)、車両は一万両、軍事物資と武器はことごとく略奪した。曹休は帰ると背中に腫物を発して死んだ。



994: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:12:35 ID:ri9
諸軍振旅、過武昌。權、令左右、以御蓋覆遜、入出殿門。凡所賜遜、皆御物上珍、於時莫與爲比。遣還西陵。

諸軍は旅(軍の単位)を振るって武昌を過ぎた。孫権は従者に命じて陸遜に着物を着させ、殿門に出入りさせた。おおよそ陸遜に賜った物は、皆上等で珍しい物ばかりで、その時比べられる物はなかった。西陵に遣わされて帰った。



997: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:15:13 ID:ri9
黃龍元年、拜上大將軍、右都護。是歲、權、東巡建業、留太子皇子及尚書九官。徵遜、輔太子、並掌荊州及豫章三郡事、董督軍國。

黄龍元年(229年)、上大将軍、右都護を拝命した。この年、孫権は東の建業に巡行し太子、皇子及び尚書九官を留めた。陸遜を召し出して太子を補佐させ、並んで荊州及び豫章三郡の事を掌握させ軍と国のことを取り締まらせた。



6: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:17:08 ID:ri9
時、建昌侯慮、於堂前作鬭鴨欄、頗施小巧。遜、正色曰「君侯、宜勤覽經典、以自新益。用此何爲」慮、卽時毀徹之。

時に建昌侯孫慮は堂の前に闘鴨のための囲いを作り、すこぶる精巧に施されていた。陸遜は顔色を正して言った「侯は経典をご覧になり、自分に新しく利益を生むのに勤しまれるのがよろしいはずです。このようなことをしてどうするのです」孫慮は即座にこれを撤廃した。



8: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:17:26 ID:lon
陸遜伝では夷陵から一気に石亭の戦いに飛ぶんだな
曹丕による魏オールスター三路侵攻戦では意外だが、陸遜は後方に留まって出陣していないんだよな



11: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:19:17 ID:ri9
>>8
そういえばそうやな
内容被らんようにしての配慮かな?



9: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:17:58 ID:ri9
射聲校尉松、於公子中最親、戲兵不整。遜、對之髠其職吏。

射声校尉孫松は公子の中で最も親愛され、戯れて兵を整えなかった。陸遜はこれに対してその職吏を髠刑(※)に処した。

※髪を剃る刑罰
 古代中国において髪は生命の象徴として扱われていたため、髪を切ることが刑罰として存在していた



12: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:19:28 ID:ri9
南陽謝景、善劉廙先刑後禮之論。遜、呵景曰「禮之長於刑、久矣。廙以、細辯而詭先聖之教。皆、非也。君、今侍東宮、宜遵仁義、以彰德音。若彼之談、不須講也。」

南陽の謝景が劉廙の先刑後礼の論を良しとした。陸遜は謝景を呵責して言った「刑罰より礼が長ずるようになって久しい。劉廙は小さき発言で先人の教えを危ぶんだ。皆正しくない。君は東宮に侍り、仁義を遵守し、徳を顕彰するのだ。このような談義は講じるべきではない。」



14: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:20:26 ID:ri9
遜、雖身在外、乃心於國、上疏陳時事曰「臣以爲、科法嚴峻、下犯者多。頃年以來、將吏罹罪、雖不慎可責、然、天下未一、當圖進取、小宜恩貸、以安下情。

陸遜は身は外にあるといえども、心は国にあり、上表して時事を述べて言った
「私は法律が厳しくなると、罪を犯す者が多くなると思います。この頃では吏が罪を犯し、慎まず責めるべきであるとはいえ、天下は一つとならず、まさに自ら物事の取り組みを図るべきで、少しばかり恩を貸して下々の情勢を安定させるのがよろしいでしょう。



36: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:34:36 ID:lon
>>14
この発言に見えるけど、陸遜は法家に懐疑的であり、かなり保守的だった
その証左に224年に孫権が豪族出身の多すぎる&無能な官を首切りする改革を行おうとしたけど、
陸遜を初めとした名門出の臣下の強行な反対で頓挫してる
だから陸遜は国家の利益より豪族とのバランス調整を優先してると言える



39: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:35:59 ID:ri9
>>36
そうなんか
それは初めて知ったで



46: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:41:40 ID:lon
>>39
正直、陸遜は天下統一には興味ないし
孫権や周囲との反目も一度や二度やない
二宮で一方的な被害者とはとても言えない
そう思ってる



48: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:43:28 ID:ri9
>>46
ワイは呉の伝にはあまり詳しくはないから陸遜って一方的な被害者かと思ってたわ
そういう見方もあるんやね



18: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:21:28 ID:ri9
且、世務日興、良能爲先。自不、姦穢入身、難忍之過、乞、復顯用、展其力效。此乃、聖王忘過記功、以成王業。

さらに、世の務めは日々発生するので、有能な人材を優先させるべきです。自ら邪悪な行ないに身を投じ、忍び難き過ちを犯したものでなければまた用いてその力を発揮させるのを請います。こうして、聖王は過去を忘れ功を記すことで王業を成せるのです。



19: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:22:34 ID:ri9
昔漢高、舍陳平之愆、用其奇略、終建勳祚、功垂千載。夫、峻法嚴刑、非帝王之隆業。有罰無恕、非懷遠之弘規也。」

昔漢の高祖は陳平の過ちを捨て(※)その策略を用い、終いには天子の勲功を立て、功を長い年月に残しました。それは、峻厳な刑法は、帝王のすべき業ではありません。罰があって思いやりがないのは、遠方を懐かせる規則ではありません。

※陳平は過去に兄嫁と姦通していたがそれでも高祖は彼を用いた



21: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:23:16 ID:ri9
權、欲遣偏師、取夷州及朱崖、皆以諮遜。

孫権は一部隊を遣わして夷州及び朱崖を取ろうとし、皆陸遜に相談した。



22: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:24:09 ID:ri9
遜、上疏曰「臣愚以爲、四海未定、當須民力、以濟時務。今、兵興歷年、見衆損減。

陸遜は上奏して言った「私が愚かにも思いますに、天下は定まっておらず、民の力を借りて務めを果たすべきです。今、兵を長年興し、兵は減っていると見えます。



23: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:25:10 ID:ri9
陛下、憂勞聖慮、忘寢與食、將遠規夷州、以定大事。臣反覆思惟、未見其利。萬里襲取、風波難測、民易水土、必致疾疫。

陛下(孫権のこと)は寝食を忘れ、遠く夷州を見て大事を定めるご憂慮をされておられます。私が何度も考えますに、その利は見えません。万里を襲うに、難破は予測しづらく、民は水や土が変わると、必ず疫病にかかるでしょう。



25: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:26:05 ID:ri9
今驅見衆、經涉不毛、欲益更損、欲利反害。又、珠崖絕險、民猶禽獸、得其民不足濟事、無其兵不足虧衆。

今、人々を見るに、渡っても不毛で、利益を欲して更に損し、利を欲してかえって害となります。また珠崖は断絶された険阻な土地で、民は禽獣のようであり、その民を得ても事を成すに不足し、その兵が居なくては人々が不足するわけではありません。



26: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:27:06 ID:ri9
今、江東見衆、自足圖事、但當畜力而後動耳。

今、江東の人々を見るに、事を図るのに足りるので、力を蓄えた後に動くだけです。



27: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:27:42 ID:ri9
昔桓王創基、兵不一旅、而開大業。陛下承運、拓定江表。

昔桓王(※)が創業を成したとき、兵は一旅(五百人)ですらありませんでしたが、大業を開きました。陛下は運を受け、江表を定められました。

※孫策のこと
 孫策は死後、孫権によって長沙桓王の位が贈られた



29: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:28:22 ID:ri9
臣聞、治亂討逆、須兵爲威、農桑衣食、民之本業、而干戈未戢、民有飢寒。

私が聞きますに、乱を治め逆賊を討つには兵の威力でします。しかし、農業と衣食は民の本業で、干戈が止まねば、民は飢えと寒さに苦しみます。



30: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:29:15 ID:ri9
臣愚以爲、宜育養士民、寬其租賦、衆克在和、義以勸勇、則河渭可平、九有一統矣」權、遂征夷州、得不補失。

私は愚かにも思いますに、兵士と民を養育し、租税と賦役を和らげ、民衆と和し、義をもって勇を勧め、こうすることで黄河、渭水を平定し、九州(※)を統一するのです」孫権は遂に夷州を征伐し、得たものは損失を補わなかった。

※三国時代では大陸は十四州に分かれているが昔の制度で九州に分かれていたのでこの呼称が用いられている



31: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:30:26 ID:ri9
及公孫淵背盟、權欲往征。遜、上疏曰「淵、憑險恃固、拘留大使、名馬不獻、實可讎忿。蠻夷猾夏、未染王化、鳥竄荒裔、拒逆王師。

公孫淵が盟に背くに及んで孫権は征伐に行かせようとした。陸遜は上奏して言った「公孫淵は険阻な地に拠り堅固さを恃んで大使を拘留し、名馬を献上せず、実に憤ります。蛮族でありながら中原に攻めて来て、王の徳に染まらず、鳥のごとく辺境に逃げ、王の軍を逆に拒みます。



32: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:31:23 ID:ri9
至令陛下、爰赫斯怒、欲勞萬乘汎輕越海、不慮其危而涉不測。方今、天下雲擾、羣雄虎爭、英豪踊躍、張聲大視。

陛下に一万の軽い船で海を越える労を呼び起こし、その不測の危機がある渡航の憂慮をしないまでに激怒させてしまいました。今天下は乱雲のごとく、群雄が虎のように争い、英雄豪傑は躍り出て、声を張って目を見開いております。



33: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:32:19 ID:ri9
陛下、以神武之姿、誕膺期運、破操烏林、敗備西陵、禽羽荊州。斯三虜者、當世雄傑、皆摧其鋒。聖化所綏、萬里草偃、方蕩平華夏、總一大猷。

陛下は神武の姿で、胸に機運を生み、烏林で曹操を破り、西陵で劉備を敗れさせ、荊州で関羽を捕らえました。その三人の捕虜は、当世の英雄豪傑で、皆その切っ先を砕いたのです。聖なる徳が安んじられる所となれば、万里は教化され、中原は平定され、遠くまで統一されましょう。



34: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:33:20 ID:ri9
今不忍小忿、而發雷霆之怒、違垂堂之戒、輕萬乘之重、此臣之所惑也。臣聞、志行萬里者、不中道而輟足。圖四海者、匪懷細以害大。

今、小さき憤りを忍ばずに、雷のような怒りを発し、垂堂の戒(※)に違え、万の重責を軽んじられるのは、私の惑うところです。私が聞くに、万里の志を行く者は道半ばで軽々しく足を運んではならないそうです。天下を計る者は、細かいことで害を大きくしてはなりません。

※瓦が落ちて来るような危ない場所には近づいてはならないという戒め
 『漢書』に由来する



35: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:34:20 ID:ri9
彊寇在境、荒服未庭、陛下乘桴遠征、必致闚窺。慼至而憂、悔之無及。

強い賊が国境にあり、荒くれて朝廷に服さず、陛下が筏に乗って遠征すれば、必ず隙を窺うでしょう。憂いが起こってから憂い、後悔しても及ばないでしょう。



38: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:35:19 ID:ri9
若使大事時捷、則淵不討自服。今乃、遠惜遼東衆之與馬、奈何獨欲捐江東萬安之本業而不惜乎。

もし大事の時を成し遂げれば、公孫淵は討たずとも自ら服します。今、遠く遼東の兵馬を惜しんでおりますが、どうして江東を万全にする本業を捨てて惜しまないのですか。



40: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:36:23 ID:ri9
乞息六師、以威大虜、早定中夏、垂耀將來」權用納焉。

六つの師団を休息させるのを請い、威をもって大いに捕らえ、早く中原が定まれば、将来に輝きを残せます」孫権は納得して(この方法を)用いた。



41: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:37:22 ID:ri9
嘉禾五年、權北征、使遜與諸葛瑾攻襄陽。遜、遣親人韓扁、齎表奉報。還、遇敵於沔中、鈔邏、得扁。

嘉禾五年(236年)、孫権は北に遠征し、陸遜と諸葛瑾を遣わして襄陽を攻めさせた。陸遜は親しくしている韓扁を遣わして上表を持たせ奉らせた。帰りに沔中において敵に遇い、巡察中の敵に(書を)かすめ取られて、韓扁は捕らわれた。



42: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:38:19 ID:ri9
瑾聞之甚懼、書與遜云「大駕已旋、賊得韓扁、具知吾闊狹。且水乾、宜當急去」

諸葛瑾はこれを聞いて甚だ恐れ、書を陸遜に送って言った「天子の乗り物は既に帰られた(孫権が帰還した)が、韓扁を捕らえ、つぶさに我らの状況を知っている。さらに川も乾いているので急いで去るべきだろう」



43: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:39:14 ID:ri9
遜、未答、方催人種葑豆、與諸將弈棊射戲、如常。

陸遜は答えず、人々とカブラナ、豆の種まきを催し、諸将と囲碁、的当てをして、いつもの通りであった。



44: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:40:14 ID:ri9
瑾曰「伯言、多智略。其當有以」自來、見遜、遜曰「賊知大駕以旋、無所復慼、得專力於吾。

諸葛瑾は言った「伯言(陸遜)は知略が多い。訳あってこうしているのだろう」自ら来て陸遜に会うと、陸遜は言った「賊が天子の乗り物が帰ったのを知れば、憂いることなく我らに専念するだろう。



45: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:41:16 ID:ri9
又已守要害之處、兵將意動。且當自定以安之、施設變術、然後出耳。

また既に要害の地を守り、兵は動揺するだろう。我らが平然とすれば彼らも安心し、臨機応変の術を施し、その後脱出するだけだ。



47: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:42:13 ID:ri9
今便示退、賊當謂吾怖、仍來相蹙、必敗之勢也」乃密與瑾立計。令瑾、督舟船。遜、悉上兵馬、以向襄陽城。

今撤退を示せば、賊はまさに我らが恐れたといい、皆迫ってやって来て、必ず敗北の形勢となるだろう」こうして密かに諸葛瑾と計略を立てた。諸葛瑾に船団を督させ、陸遜は兵馬のことごとくを挙げて襄陽城に向けた。



50: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:43:39 ID:ri9
敵、素憚遜、遽還赴城。瑾便引船出、遜徐整部伍、張拓聲勢、步趨船、敵不敢干。

敵は平素より陸遜を恐れており、急遽帰って城に赴いた。諸葛瑾はすぐさま船を率いて出航し、陸遜はおもむろに部隊を整えて勢いよく声を張り上げて、徒歩で船に小走りで進み、敵は干渉しようとしなかった。



53: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:44:40 ID:ri9
軍到白圍、託言住獵、潛遣將軍周峻、張梁等、擊江夏新市、安陸、石陽。石陽、市盛、峻等奄至、人皆捐物、入城。城門、噎不得關、敵乃自斫殺己民、然後得闔。

軍が白囲に到ると、猟をする言葉に託けて、密かに将軍周峻、張梁らを遣わして江夏、新市、安陸、石陽を攻撃した。石陽の市は盛んであったが、周峻らがたちまちやって来ると、人々は皆物を捨て入城した。城門はつかえて閉められず、敵は民を切り殺して、その後蓋をした。



55: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:45:37 ID:ri9
斬首獲生、凡千餘人。其所生得、皆加營護、不令兵士干擾侵侮。

(戦闘が終わり)斬首、捕獲はおおよそ千余りとなった。生き残った者には皆軍営で保護を加え、兵士には狼藉をさせないようにした。



57: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:46:34 ID:ri9
將家屬來者、使就料視。若亡其妻子者、卽給衣糧、厚加慰勞、發遣令還。或有感慕相攜而歸者。

家族を率いて来た者には世話を見させた。妻子が亡くなった者にはすぐに衣服、食料を与え、厚くねぎらいを加え、帰るよう命令を発した。ある者は感じ入って慕い、皆を引き連れて帰順した者もいた。



59: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:47:32 ID:ri9
鄰境懷之、江夏功曹趙濯、弋陽備將裴生、及夷王梅頤等、並帥支黨來、附遜。遜、傾財帛、周贍經恤。

国境の隣でも懐く者がいて、江夏の功曹趙濯、弋陽を守備する将裴生、異民族の王梅頤らが並んで部下を引き連れて陸遜についた。財貨、布帛を傾けて周りを哀れみ助けた。



71: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:54:03 ID:lon
>>59
この一連の戦いも正史では好意的な書き方だが、裴松之に死ぬほど批判されてるな
「そもそも民衆に多くの被害が出たのはテメーが急襲したからだろう
 自分で攻めて自分で保護するなんて悪行マッチポンプしてイイ気になってるから孫の代で一族が途絶えたんだよ!」
うーんこの発狂ぶり



73: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:55:17 ID:ri9
>>71
裴松之はかなり手厳しいからね
今回は裴注載せなかったからわからんだろうけど



61: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:48:34 ID:ri9
又、魏江夏太守逯式、兼領兵馬、頗作邊害。而與北舊將文聘子休、宿不協。

また、魏の江夏太守逯式は兵馬を率い、すこぶる辺境を害していた。しかし北の古参の将文聘の子文休とはかねてより不仲であった。



64: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:49:37 ID:ri9
遜、聞其然、卽假作、答式書云「得報懇惻。

陸遜はそれを聞いてすぐに偽の手紙を作り、逯式への返信として書くには「懇切な報せを受けました。



66: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:50:54 ID:ri9
知與休久結嫌隙、勢不兩存、欲來歸附、輒以密呈來書表聞、撰衆相迎。宜潛速嚴、更示定期」

文休と久しく嫌い合っているのを知り、勢力はお互い保てず、帰順されたいのなら、ただちに書を送って上表し、人を選んで歓迎させましょう。密かに素早く用意し、期日を示されますよう」



67: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:51:47 ID:ri9
以書置界上、式兵得書、以見式。式惶懼、遂自送妻子還洛。由是、吏士不復親附、遂以免罷。

書を国境の上に置き、逯式の兵は書を拾って逯式に見せた。逯式は恐れ入り、遂に自ら妻子を洛陽に帰した。こうして吏や兵士は親しく付き従うことがなくなり、遂に罷免された。



69: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:52:55 ID:ri9
六年、中郎將周祗、乞、於鄱陽召募。事下問遜。遜以爲、此郡民易動難安、不可與召、恐致賊寇。

嘉禾六年(237年)、中郎将周祗が鄱陽で募兵するのを請うた。この事は陸遜に尋ねられた。陸遜はこの郡の民は動じやすく安定しづらく、募兵すべきでなく、恐らく賊が襲ってくると言った。



70: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:53:49 ID:ri9
而祗固陳取之。郡民吳遽等、果作賊殺祗、攻沒諸縣。

周祗は頑なにこの意見を入れるよう述べた。郡民呉遽らは果たして賊となって周祗を殺し、諸県を攻め落とした。



74: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:55:24 ID:ri9
豫章廬陵宿惡民、並應遽爲寇。遜自聞、輒討、卽破。遽等相率降、遜料得精兵八千餘人、三郡平。

豫章、廬陵はかねてより民が悪く、揃って呉遽に応じて賊となった。陸遜はこれを聞き、ただちに討伐し、すぐに破った。呉遽らは皆を率いて降伏し、陸遜は精兵八千余りを得て、三郡は平定された。



75: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:56:26 ID:ri9
時、中書典校呂壹、竊弄權柄、擅作威福。遜、與太常潘濬、同心憂之、言至流涕。後、權誅壹、深以自責、語在權傳。

時に中書典校呂壱が密かに権力を弄び、人々をほしいままに従わせた。陸遜は太常潘濬と心を同じくしてこれを憂い、言葉を交わしては涙を流した。後に孫権は呂壱を誅殺し、深く自責して、話は孫権伝にある。



77: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:57:33 ID:ri9
時、謝淵、謝厷等、各陳便宜、欲興利改作。以事下遜。

時に謝淵、謝厷らは各々便宜を述べ、利を改めて興そうとした。このことを陸遜に尋ねた。



80: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)20:58:42 ID:ri9
遜議曰「國、以民爲本、彊由民力、財由民出。夫、民殷國弱、民瘠國彊者、未之有也。

陸遜は建議して言った「国とは民を根本とし、強さは民の力により、財は民から出ます。そもそも民が盛んで国が弱く、民が痩せて国が強かったことは未だありません。



84: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:00:00 ID:ri9
故爲國者、得民則治、失之則亂。若不受利而令盡用立效、亦爲難也。

ゆえに国政をするものは、民を得れば即ち治まり、これを失えば即ち乱れます。もし利を受けさせずして用いて効力を尽くさせようとしても為すのは難しいでしょう。



87: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:00:54 ID:ri9
是以、詩歎『宜民宜人、受祿于天』乞垂聖恩、寧濟百姓、數年之間、國用少豐、然後更圖。」

これは詩経が歎じる『民よく人よければ、恵を天より受ける』で、聖なる恩を施し、百姓を落ち着かせ救済し、数年の間には国費は少しは豊かになり、その後改めて図りますように。」



90: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:01:56 ID:ri9
赤烏七年、代顧雍、爲丞相。詔曰「朕以不德、應期踐運、王塗未一、姦宄充路、夙夜戰懼、不惶鑒寐。

赤烏七年(244年)、顧雍に代わって丞相となった。詔に曰く「朕は不徳で期に応じて運よく帝位に就いたが、王道によって統一できず、邪な者が満ち溢れ、一日中戦を恐れ、寝ることも出来ない。



92: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:02:55 ID:ri9
惟君、天資聰叡、明德顯融、統任上將、匡國弭難。夫、有超世之功者、必應光大之寵。懷文武之才者、必荷社稷之重。昔、伊尹隆湯。呂尚翼周。

ただ君は生まれつき聡明で、徳を明らかにし、上将として任を統べ、国を助け難を取り除く。そもそも世を越えた功のあるものは、必ず大きく輝くような寵愛に応
じる。文武の才を抱く者は、必ず社稷(※1)の重責を担える。昔、伊尹は湯王を盛り立てた。呂尚は周の翼となった。(※2)

※1社は土地神を祭る祭壇、稷は穀物神を祭る祭壇のことで即ちこれらを祭る国家の代名詞となった
※2伊尹は殷の成立に貢献した軍師、呂尚は別名太公望といい、周の文王に乞われて軍師となった
 二人の名は名軍師の代表としてよく用いられる



95: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:04:38 ID:ri9
內外之任、君實兼之、今以君爲丞相、使使持節守太常傅常、授印綬。君其茂昭明德、脩乃懿績、敬服王命、綏靖四方。

内外の任を君は兼ねて実行しており、今君を丞相とし、使持節、守太常傅常を遣わして印綬を授ける。君はその明るい徳を茂らせ、良き功績を修め、王命に敬服し、四方を安んじよ。



96: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:06:10 ID:ri9
於乎、總司三事、以訓羣寮、可不敬與、君其勖之。其州牧都護領武昌事、如故。」

ああ、三公(※)の事を統べて、幕僚たちを教え諭し、注意深くならず、君はこれに努めてくれ。州牧、都護、武昌を領する事は今まで通りにするのだ。」

※司徒、司空、太尉の三つの役職
 丞相はこの三つの役職を廃止して一つとしたもの



97: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:06:59 ID:ri9
先是、二宮並闕、中外職司多遣子弟給侍。

これより先に二つの宮殿(二人の太子)が並び立ち、内外の役人の多くがその子弟を遣わして侍らせた。



98: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:08:03 ID:ri9
全琮報遜、遜以爲、子弟苟有才、不憂不用、不宜私出以要榮利。若其不佳、終爲取禍。且聞、二宮勢敵、必有彼此、此古人之厚忌也。

全琮は陸遜に報じると陸遜は子弟がもし才があれば、用いられない憂いはなく、個人的に出て栄利を必要とするのはよろしくない。もし優れていなければ終いには禍を得る。そして聞くに二宮の勢力は匹敵しており、必ず二つに分かれ、これは個人の忌み嫌ったところであるとした。



100: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:09:02 ID:ri9
琮子寄、果阿附魯王、輕爲交構。遜、書與琮曰「卿、不師日磾、而宿留阿寄。終爲足下門戶致禍矣」琮既不納、更以致隙。

全琮の子全寄は果たして魯王にへつらい従って軽々しく交流をした。陸遜は全琮に書を与えて言った「卿は金日磾(※)を師とせず、阿寄(全寄)を(魯王の元に)留めている。終いには足下の門戸に禍を招くだろう」全琮は納得せず、更に仲が悪くなった。

※前漢の政治家で金旋の祖先
 息子が武帝に寵愛されたことを恃んで悪行を重ねているのを見ると自らこれを殺した



101: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:10:10 ID:ri9
及太子有不安之議、遜上疏陳「太子正統、宜有盤石之固。魯王藩臣、當使寵秩有差。彼此得所、上下獲安。謹叩頭流血、以聞」

太子に不安があるとの議論になると、陸遜は上奏して述べた「太子は正統で、盤石に固めておくのがよろしいでしょう。魯王は藩臣で、寵愛の順序をつけるべきです。皆得る所があり、安心します。謹んで流血するくらい頭を叩きつけますので、聞き入れますよう」



102: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:11:21 ID:ri9
書三四上。及求詣都、欲口論適庶之分、以匡得失。

書を三、四回上表した。求められて都に行き、庶子のわきまえを口論して得失を助けることを求めた。



103: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:12:17 ID:ri9
既不聽許、而遜外生、顧譚、顧承、姚信、並以親附太子、枉見流徙。太子太傅吾粲、坐數與遜交書、下獄死。

聞き入れてもらえず、さらに陸遜の外戚の顧譚、顧承、姚信は揃って太子に親和しており、無実の罪で流刑にされた。太子太傅吾粲は陸遜と何度も書を交換していたことを罪に問われ、獄死させられた。



105: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:13:14 ID:ri9
權、累遣中使、責讓遜。遜、憤恚致卒、時年六十三、家無餘財。

孫権は何度も使者を遣わして陸遜を責めた。陸遜は憤ったことで亡くなり、時に齢は六十三で、家に余財は無かった。



108: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:14:14 ID:ri9
初、暨豔、造營府之論、遜諫戒之、以爲必禍。

当初、暨豔が営府の論を作った時、陸遜はこれを戒めて諫言し、必ず禍となるとした。



109: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:14:17 ID:hi9
あぁ‥
かなC



111: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:15:14 ID:ri9
又、謂諸葛恪曰「在我前者、吾必奉之同升。在我下者、則扶持之。今觀君、氣陵其上、意蔑乎下、非安德之基也」

また諸葛恪に言って曰く「私に前任者が居る時は、私は必ず同じく昇任するよう奉った。私に部下にいる時は、すなわちこれを助けた。今君を見るに、気は上を凌ぎ、意は下を蔑ろにし、身を安んずる徳の基本ではないであろう」



112: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:16:13 ID:ri9
又、廣陵楊竺、少獲聲名。而遜謂之終敗、勸竺兄穆、令與別族。其先覩、如此。

また、広陵の楊竺は幼くして声名を得ていた。しかし陸遜は終いには敗れると言い、楊竺の兄楊穆に勧め、族を分けるようにさせた。その先見の明はこのようであった。



113: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:16:54 ID:T6W
国の英雄に対してあまりにも無念過ぎる最後や



115: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:17:11 ID:ri9
長子延、早夭。次子抗、襲爵。孫休時、追諡遜、曰昭侯。

長男陸延は若くして死んだ。次男陸抗が爵位を継いだ。孫休の時代に陸遜は追諡され、昭侯といった。



118: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:18:33 ID:ri9
評曰。劉備、天下稱雄一世所憚。陸遜、春秋方壯、威名未著、摧而克之、罔不如志。

評曰く。劉備は天下に雄を称され一世に憚られた。陸遜は年代が壮年になっても威名は著しくなかったが粉砕してこれに勝ち、志のようにならぬものはなかった。



119: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:19:38 ID:ri9
予、既奇遜之謀略、又歎權之識才、所以濟大事也。及遜忠誠懇至、憂國亡身、庶幾社稷之臣矣。

私(陳寿)は陸遜の謀略を素晴らしく思い、また孫権の才識をもって大事を成すことに感嘆する。そして陸遜の忠誠が懇切に至り、国を憂いて身を亡ぼしたのは、社稷の臣であらんことをこいねがったからである。



120: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:20:40 ID:ri9
以上で陸遜伝は終わりや
ここまでお付き合いしてくれてサンガツ
次はまた三ヶ月後くらいに今依頼されてる人物訳してまた紹介すつもりやで



121: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:21:21 ID:Sca
面白かったわサンガツ



122: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:21:51 ID:hi9
面白かったでー
また宜しく



148: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:39:24 ID:ri9
じゃあワイはそろそろ落ちるわ

今までありがとうございました
また機会があったらそのときはよろしくお願いします
ほな、また



149: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:39:35 ID:Sca
おつやで-



150: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:39:50 ID:pyT
おつおつ



151: 名無しさん@おーぷん 2017/08/10(木)21:40:19 ID:T6W
サンキューイッチ
体に気をつけてな~