20171010-9




1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:10:34.16 ID:cht6NBr70.net
こいつ現代にいたらツイッター炎上してそう




2: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:14:06.87 ID:NykAg3ma0.net
ただの独り言を後世の人間が無理やり覗き見てるみたいなもんやししゃーない




10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:20:34.14 ID:px1KkVNiM.net
>>2
他人に読ませるの前提で書いてるんだよなあ




3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:14:45.68 ID:NE+nyFrF0.net
清少納言は源氏物語なw




4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:15:24.63 ID:0oUebIlNa.net
>>3
紫式部だけど
何が面白いの?それ




5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:15:47.83 ID:cht6NBr70.net
墓でも参ろうかと思ったがさすがに不明なんだな




9: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:19:16.21 ID:wm6L2jnF0.net
>>5
そもそも、なんで少納言っていうのかすら不明だからな




12: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:21:34.02 ID:cht6NBr70.net
>>9
割りと謎多い人物だし仕えていた定子もお家騒動で身分凋落していくんだよなぁ

藤原 定子(ふ じわら の ていし/さだこ、貞元2年(977年) - 長保2年12月16日(1001年1月13日))は、平安時代、第66代一条天皇の皇后(号は中宮、のち皇后宮)。脩子内親王・敦康親王・媄子内親王の生 母。通称は一条院皇后宮。『枕草子』の作者清少納言が仕えた女性である。

永祚元年(989年)父方の祖父である摂政兼家の腰結いで着裳、 その時はじめて歴史の表舞台に登場する。正暦元年(990年)1月25日、数え14歳の春に、3歳年下の一条天皇に入内し、まもなく従四位下に叙せられ、 ついで女御となる。局は登華殿(一説に梅壺、または両方とも)。
同年10月5日、皇后に冊立され「中宮」を号した。なお、定子は一条天皇の皇后と して「中宮」を号したのであり、立后の詔にも「皇后」と明記された。正暦元年当時、律令が定める「三后」のうち、太皇太后は3代前の帝の正妻・昌子内親 王、皇太后は当帝の生母・藤原詮子、中宮は先々代の帝の正妻・藤原遵子で 全て占められていた。道隆はその中に割り込んで定子を立后させるために、本来皇后の別名である「中宮」の称号を皇后から分離させて定子に与え、また遵子に 付属した「中宮職」を改めて「皇后宮職」とし、「中宮職」を定子のために新設した。その結果、「往古不聞事」である皇后四人の例を作り出して世人の反感を 招いたという(『小右記』)。また、道隆は弟の藤原道長を中宮大夫に 命じて定子を補佐させようとしたが、道長は父の喪中を理由に立后の儀式を欠席している。のちに道長が「皇后」と「中宮」の区別を利用して「一帝二后」を謀 り、定子を窮地に追いやることになるのだが、その元を作ったのが定子の父道隆であることになる。同じ年の5月には、父・道隆が祖父兼家の亡き後を継いで摂 政・氏長者に就任しており、道隆一族は栄華を謳歌する事となった。
<抜粋>
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原定子




13: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:22:35.60 ID:wm6L2jnF0.net
>>12
まぁ、道長が敵だったからしゃーない




6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:17:25.06 ID:JqxvSZ+00.net
日本最古のあるあるネタ芸人




8: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:19:12.42 ID:cht6NBr70.net
>>6
あるあるネタと自虐風自慢ばっかやなこいつ




7: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:18:12.07 ID:cht6NBr70.net
清少納言みたいな上流階級が春はあけぼのなどと呑気に言いながら優雅な宮中暮らししてる傍ら、
平民はつらい生活を強いられていたのだなぁと思うと悲しくなる




11: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:21:10.43 ID:W0jh2oRDK.net
ほとんどは焼死やか停止に送った手紙をまとめただけなんやろ




14: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:22:44.17 ID:cht6NBr70.net
>>11
定子様すごい→定子様に寵愛されてる私すごい
みたいなノリや




15: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:23:54.60 ID:wm6L2jnF0.net
>>14
定子さま凄E→定子一派の教養高い→周囲「はぇ~、やっぱ定子さん一派凄いんやなぁ」
ってのが狙いだからね




19: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:26:43.78 ID:cht6NBr70.net
>>15
やっぱりおんなっていつの時代もおんなだわ




21: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:28:44.05 ID:wm6L2jnF0.net
>>19
そもそも炎上させるスタイルは、清少納言が仕えた定子の大姑の道綱母からのスタイルなんだよなぁ




16: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:24:44.90 ID:TcgBh2Iy0.net
いつの世も人間は変わらないんや
今はブログやツイッターフェイスブックで同じことやっとる




17: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:24:47.05 ID:WkjcYCWk0.net
昼に吠える犬が興ざめするってどういう意味なんすかね




18: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:26:19.63 ID:JqxvSZ+00.net
>>17
遠鳴きは夜の方がかっこいいじゃん




20: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:27:47.46 ID:wm6L2jnF0.net
>>17
古語の「すさまじき」ってのは、単に「興ざめ」って意味だけじゃなくて
「(場違いで)興ざめ」っていうニュアンスがあるんや

んで、犬が遠吠えするのは基本夜だから、昼に鳴くのは「すさまじき」ことなんやで




29: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:34:17.77 ID:WkjcYCWk0.net
>>20
おー、ええやん。




24: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:30:24.28 ID:cht6NBr70.net
はえ~…詳しいなぁ
ワイもWikipediaで勉強するンゴ




26: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:32:14.29 ID:wm6L2jnF0.net
>>24
枕草子の注釈書ですら、各本で訳が揺れまくりだから
Wikiとか、たぶんクソクソアンドクソやで




22: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:28:58.04 ID:YQfYkTyaM.net
この時間って謎の博識J民湧くよな




23: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:30:19.35 ID:JqxvSZ+00.net
まだ少女漫画描いてた紫式部のがマシだわ




26: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:32:14.29 ID:wm6L2jnF0.net
>>23
なお、紫式部日記




27: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:33:11.91 ID:cht6NBr70.net
>>26
おすすめの本とかあったら教えてクレメンス




34: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:38:37.71 ID:wm6L2jnF0.net
>>27
枕草子でか?
だったら、全注釈とかじゃないけど有斐閣の『枕草子入門』とか




38: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:40:46.35 ID:cht6NBr70.net
>>34
サンガツ




25: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:31:13.84 ID:2ztYdfRf0.net
紫式部の清少納言disが2chの糞レスレベルなのが笑える




30: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:34:23.80 ID:wm6L2jnF0.net
>>25
紫「清なんたらってのは漢字が読めるとか言ってるけど、女のクセにほんと知ったかぶりや」

紫「私は弟が勉強するのきいてたから、漢籍を読めすぎて父上に女のクセにって叱られるくらい読めちゃうの(ててぺろ)」




28: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:33:55.98 ID:L/lYZYcy0.net
あるあるネタと自虐風自慢が当時の生活や史実を垣間見るための一級資料になっているという現実
こんなん読み込まなアカン歴史研究者も大変やわ

まぁ別の時代やとホ○のホ○セ○クス日記を読まなアカンとかあるし、まだマシか




31: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:37:12.99 ID:6hM77LJv0.net
紫「和泉式部とかいうクソビッチ」


20151112-3

和泉 式部
(いずみ しきぶ、天元元年(978年)頃 - 没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘の間に生まれる。はじめ御許丸(おもとまる)と呼ばれ太皇太后宮・昌子内親王付の女童だったらしい(母が昌子内親王付きの女房であった)が、それを否定する論もある。
長保元年(999年)頃までに和泉守・橘道貞の妻となり、夫と共に和泉国に入る。後の女房名「和泉式部」は夫の任国と父の官名を合わせたものである。道貞との婚姻は後に破綻したが、彼との間に儲けた娘・小式部内侍は母譲りの歌才を示した。帰京後は道貞と別居状態であったらしく、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が世に喧伝されるが、身分違いの恋であるとして親から勘当を受けた。紫式部は和泉式部を評して「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と『紫式部日記』に記されている。

恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。才能は同時代の大歌人・藤原公任にも賞賛された。
<抜粋>
https://ja.wikipedia.org/wiki/和泉式部




32: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:37:36.36 ID:ukqSAzhzM.net
清少納言も紫式部も上級国民や




35: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:38:42.32 ID:sJkTMNx60.net
いや源氏物語より好きやわ




36: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:39:51.95 ID:wm6L2jnF0.net
???「源氏物語の続き読みたいンゴ。仏掘ってお願いするンゴ」




41: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:43:24.81 ID:JqxvSZ+00.net
>>36
???「法華経読むんだよあくしろよ」




44: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:47:18.20 ID:wm6L2jnF0.net
>>41
???「物語読むために仏様にお願いしたけど、上洛したから仏教はポイーで。私にも王子様はよ!」


20151115-4

『更級日記』
(さらしなにっき / さらしなのにき)は、平安時代中ごろに書かれた回想録。作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女菅原孝標女。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母である。作者13歳の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている。全1巻。平安女流日記文学の代表作の一に数えられる。江戸時代には広く流通して読まれた。

東国・上総の国府に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したので寛仁4年9月京の都(現在の京都市)へ帰国(上京)するところから起筆し、源氏物語を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子内親王家への出仕、30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の夫の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教傾倒までが平明な文体で描かれている。製作形態としてはまとめて書いたのだろうと言われている。
源氏物語について最も早い時期から言及していたとされ貴重な資料となっている。光源氏物語本事に伝えられる、定家本にはない逸文からは譜と呼ばれる、おそらく注釈書のようなものの存在も知られる。
<抜粋>
https://ja.wikipedia.org/wiki/更級日記




40: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:42:54.23 ID:39bt32100.net
クイズ大会で調子こいた相手チームボコってやったわww
とかいう小学生並の自慢話




42: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:44:16.49 ID:wm6L2jnF0.net
>>40
定子様の旦那様である一条天皇のバッバ様は古今和歌集を完全に覚えてたンゴ
凄いやろ(ドヤァ




43: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:46:11.30 ID:ukqSAzhzM.net
一般国民がせっせと働いてる中、特権階級が知識自慢大会とかう○こな世の中やな




45: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:49:45.06 ID:wm6L2jnF0.net
>>43
結局、野良武士から成り上がった奴らも、政権とったら文化的なことやり始めるんだよなぁ
むしろ、武士とかやってて教養がなかったからこそ、コンプレックスになってやるっていう…




46: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:51:57.62 ID:2ztYdfRf0.net
>>43
今も一緒やんけ
荘園経営してる金持ちがセレブ生活をFacebookにアップしてるだけや




47: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:53:05.03 ID:1xjf9pJDE.net
源氏物語が芥川賞受賞して紫式部が自称文学通に叩かれる




49: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:55:33.94 ID:wm6L2jnF0.net
>>47
現代に当てはめるなら、源氏物語は直木賞やろ
芥川賞は方丈記とか。




58: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:58:10.73 ID:px1KkVNiM.net
>>49
そういや方丈記もたいがいやな
「ワイは子供の頃から頭よくって大人論破してたわ」

『方丈記』(現代語表記:ほうじょうき、歴史的仮名遣:はうぢやうき)は、鴨長明(かものちょうめい)による鎌倉時代の随筆。日本中世文学の代表的な随筆とされ、約100年後の『徒然草』、『枕草子』とあわせ「日本三大随筆」とも呼ばれる。

漢字と仮名の混ざった和漢混淆文で書かれたものとしては、最初の優れた文芸作品であり、詠嘆表現や対句表現を多用し、漢文の語法、歌語、仏教用語を織り交ぜる。慶滋保胤の『池亭記』を手本としていることが指摘されており、かつてはこれを根拠の一として偽書説も唱えられていた。隠棲文学の祖や、無常観 の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半には自 らの草庵での生活が語られる。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定する。
<抜粋>
https://ja.wikipedia.org/wiki/方丈記




51: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:56:24.75 ID:2ztYdfRf0.net
しかし他所の国ってこのくらいの時代ってわりとまだクソみたいな神話書いて喜んでたと思うとやっぱり清原も紫もセンスあるようには思う




54: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:56:56.14 ID:XDoAo0wv0.net
糸お菓子wwwwwwwwww




55: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:57:30.12 ID:TcgBh2Iy0.net
2chの過去ログも1000年後には歴史的資料になるんやで




57: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:58:02.99 ID:wm6L2jnF0.net
???「赴任先で娘が死んで悲しいから女のフリして日記書いたろ!」

なぜなのか




61: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:59:57.74 ID:7iKanI3R0.net
>>57
この時代に男が記録を残すんは漢文だったからやで
仮名文で日記を書くなら女性として書くのがええやろっていう判断や
あとは客観視やな


20151112-5

『土佐日記』
(とさにっき)とは、平安時代に成立した日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を虚構を交えて綴ったもので、成立は承平5年(935年)頃といわれる。古くは『土左日記』と表記されていた。

日本文学史上、おそらく初めての日記文学である。紀行文に近い要素をもっており、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。
延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけての時期、貫之は土佐国に国司として赴任していた。その任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を、書き手を女性に仮託し、ほとんどを仮名で日記風に綴った作品である。57首の和歌を含む内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである。諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を多く用いていることも特筆される。
<抜粋>
https://ja.wikipedia.org/wiki/土佐日記




60: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 05:58:48.96 ID:ukqSAzhzM.net
紫式部ってオタクの走りみたいな人やな
いやむしろ和泉か




63: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 06:02:54.77 ID:JqxvSZ+00.net
>>60
和泉は娘いるのに不倫するクソドビッチやぞ
紫はどっちかっていうと書く側でオタクとしては菅原孝標女が有名




67: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 06:08:09.11 ID:ukqSAzhzM.net
>>63
せやせや和泉ちゃうくてタカ娘だったな源氏オタクは




64: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 06:03:53.30 ID:1xjf9pJDE.net
日本の文語は江戸時代までは漢文やからなー

特に平安時代やったら枕草子も源氏物語も今で言うケータイ小説みたいなもんやったんやろか




65: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/12(木) 06:05:27.51 ID:6hM77LJv0.net
最高権力者「続きマダー?」