20180515-16




1: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:48:46 ID:oTB
この手のスレはじめてやから見にくいかもしれへんが勘弁な

ワイの始めてをお前らに




2: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:49:48 ID:l2q
ありがとうやで
たのしむでー




3: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:49:55 ID:oTB
事例・ルワンダ

ルワンダでは放牧民のツチ族が財産たる牛を保有し農耕民のフツ族が牛を借りて
農業を営むなど一種の共存関係にあった。

また牛と言う資産を持つツチ族が支配する王国が存在していたがツチ族とフツ族
はそこまで厳密に区別されておらず、民族間の結婚や財を成したフツ族がツチ族
の仲間入りする事もあった。

あの日までは…




4: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:50:46 ID:oTB
(*^O^*)「ルワンダを支配するベルギーなんだ」

彡(゚)(゚)「?」

(*^O^*)「お前なんて下品で醜いんだ!フツなんだ!」

彡(゚)(゚)「ファッ!?」

(´・ω・`)「…どうしたの?」

(*^O^*)「お前は肌の色も薄く上品なんだ!ツチなんだ!」

1933年、ベルギー当局は植民地のルワンダにて全国的な身体測定を実施。
やせ形、肌の色が薄く、唇が薄い、つまり白人に近い特徴を持つ者をツチ族とし
ずんぐり、肌の色が濃い、唇が厚い、つまり黒人特有の特徴を持つ者をフツ族と
して身分証を発行、人種的にルワンダの人々を完全に分断した。




7: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:53:26 ID:oTB
その後、人種的に優れているとしてツチ族に高等教育や行政の要職を提供した。
一方、フツ族は二級市民として扱われ強制労働と重税に苦しんだ。

彡(。)(;)「ハァ…ハァ…こんな重労働きついわ…」

彡(>)(<)「少し休ましてクレメンス」

J(´-`)し 「きびきび働かんかいゴルァ(ごめんなさいね、これも仕事なの)」

彡()()「あああああああああああああああああああああああああああああああ」

(´・ω・`)「ベルギー様、今月の分でございます。」

(*^O^*)(憎まれ役はツチ族に押し付けて楽ができるんだ。)

ツチ族とフツ族の共存関係は消え失せ、ベルギーの代行人たるツチ族がフツ族を
搾取しベルギーに利益を献上する間接的支配体制が確立されたのである。




8: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:55:55 ID:l2q
離間の策は、現代でも有効なんやなあ




10: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:57:12 ID:oTB
1959年

彡(●)(●)「ルワンダはフツ族の国や!ツチ族は皆殺しじゃ!」

(´×ω×`)「ぎゃー」

(*^O^*)「に、逃げるんだ!」

フツ族の怒りが遂に爆発しフツ族を中心とする暴動がルワンダ全土で発生。
さらに植民地維持の困難もありベルギーはルワンダの独立を容認した。
ベルギー人が撤収する事になりツチ族は後ろ楯を失う事になり1962年の独立後も
フツ族によるツチ族への虐殺事件が相次ぐ。




11: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:57:47 ID:lse
ベルギーくんはコンゴでもひどいことしたよね




12: 名無しさん@おーぷん 2015/11/09(月)23:59:38 ID:l2q
>>11
ダイヤモンド採掘のために、時代的にはあまり容認されなくなっていた、
奴隷を酷使したんだっけか




26: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:19:26 ID:cwI
>>11
ベルギーはフランスと共に虐殺中のルワンダで政府軍つまりフツ族側を支援して
たからな、ヨーロッパは基本的にどこも畜生やで




13: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:02:20 ID:cwI
1973年
彡(゚)(゚)「ワイが新しい大統領や、フツもツチも仲良くするんやで。」

(´・ω・`)(助かった…)
彡(゚)(゚)「忘れてるもんあるやる…」

(´・ω・`)つ$(仕方ないよね…)

混乱が続く中、フツ族出身のハビャリマナ国防大臣によるクーデターが発生。
ハビャリマナ大統領はツチ族との融和を呼び掛けてツチ族からの支持を得る一方
で腐敗した独裁体制を20年維持した。

ハビャリマナがツチ族を擁護した理由の一つは経済である。
植民地時代、高等教育を受ける機会のあったツチ族には優秀な人材が多い。
今までの騒動の混乱で優秀なツチ族の人材は欧州などに移住した。
彼らからルワンダの親族に送られる仕送りがルワンダの数少ない外貨獲得の手段
であった。




14: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:04:39 ID:cwI
1990年代
アメリカ松「民主主義が一番だぞ」

国際世論「Vやねん、民主主義!世界制覇まったなし!」

ソ連崩壊後、勢いに乗る西側はアフリカなど第三世界にも民主化推進を呼び掛け
援助という飴と経済制裁という鞭で民主化を迫った。
ハビャリマナ独裁体制のルワンダも国際社会の圧力から民主化を受け入れる姿勢
を表面的に見せる事にした。
具体的には政治活動の規制緩和や報道の自由の容認である。




15: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:04:52 ID:tY8
教育格差か、現代じゃ、教育の有無は、何をするにも大きい影響あるよなあ




16: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:07:02 ID:cwI
彡(●)(●)「今度こそルワンダをフツ族の手に取り返すんや!」

新聞社「フツ族は、ツチ族にこれ以上情けをかけてはならない。」

(´・ω・`)(…あかん)

ルワンダの人口比はフツ族約85%、ツチ族約14%とフツ族が圧倒的である。
またハビャリマナ独裁体制をツチ族が支持していた事もあってフツ族の政治活動
はツチ族叩きに向かう。
当然、新聞社やラジオもツチ族叩きを行った。
フツ族のツチ族への不満が民主化を契機に爆発したのである。
さらに民主化を受け入れ始めたハビャリマナ政権は圧倒的多数のフツ族に媚びる
ように反ツチ族的な政策を実施し始める。

不穏な状況がルワンダ全土を覆う。




17: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:09:36 ID:tY8
新聞までもが敵に回ったのか
これはまずい




18: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:10:41 ID:cwI
1994年
彡(゚)(゚)「ワイはルワンダ大統領のハビャリマナや。」

彡(^)(^)「隣国ブルンジの大統領と同じ飛行機に乗ったろ!」


20180515-14

ルワンダとブルンジ両大統領が乗った航空機が何者かに撃墜される事件が発生。

大統領の暗殺は当然、ルワンダ情勢の不安定化を意味した。




19: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:12:40 ID:tY8
ブルンジの大統領、とんだとばっちり




20: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:13:35 ID:cwI
彡(゚)(゚)「ラジオでもつけようか。」ッポチ

ラジオ「ツチ族はゴキブリや!駆除せなあかん!」

彡(゚)(゚)「…最近のラジオは過激やな。」

彡(^)(^)「ほなツチ族のカス、殺しに行くか!」

J( 'ー`)し「ムッスコよ!クズのツチ族の首もって帰ってくるのよ。」

彡(^)(^)「任しとき!」

94年の春から初夏にかけてフツ族系のラジオ局がルワンダ全土でツチ族の虐殺を
呼び掛けるようになり、これに呼応して大規模な虐殺がルワンダ全土で発生。

わずか百日でツチ族はもちろんツチ族のシンパとされたフツ族の市民、約80万人
が虐殺されたと言われる。

また虐殺の間、ツチ族の首を売りさばく行為も横行、キャベツ売りと呼ばれた。

これが教科書にも記載されているルワンダ大虐殺である。




21: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:15:10 ID:suf
こんな大虐殺が平成に起きてた事実




22: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:15:35 ID:cwI
この虐殺は隣国ウガンダの支援を受けるツチ族主体の反政府勢力が首都キガリを
制圧するまで頻発する事となる。


虐殺の要因となった航空機撃墜に関してツチ族主体の反政府勢力の犯行説または
フツ族過激派の犯行説があるが犯人は不明なままである。

ルワンダ編~完~




23: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:15:46 ID:tY8
>>ツチ族の首を売りさばく行為も横行、キャベツ売りと呼ばれた。

キャベツ?なんでキャベツなんやろ
でも売り捌くって、怖すぎやろ
積年の恨みって感じがするわ




24: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:17:33 ID:cwI
>>23
人の頭がキャベツみたいに見えるからな。




25: 名無しさん@おーぷん 2015/11/10(火)00:19:13 ID:tY8
>>24
その理由でええのか
キャベツのように売り買いされるのが、豚や牛の頭でも怖いのに、
人の頭とはなあ・・・
食ったり、ボールのように使ったりしたのかな・・・・




30: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)22:51:53 ID:XKL
事例 ブータン(及びシッキム)

幸福の国と言われるヒラヤマの神秘の王国ブータン
だがブータンにも民族問題が存在する。
そして歴史的背景には大国に翻弄される小国の悲しい歴史があった。




31: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)22:59:26 ID:XKL
1985年

彡(●)(●)「なんやて!ワイから国籍を剥奪するやと!」

(´・ω・`)「うん、君達は不法滞在者だから出ていってもらうよ。」

彡(。)(;)「そんな…殺生な…」

1985年、ブータン政府は国籍法を制定、定住歴の浅い住民から国籍を剥奪した。
背景はブータンの人口構造とその歴史的経緯がある。
ブータン人口構造は約5割がチベット系民族集団ドゥクパ、約4割がネパール系
であるがこの人口構造には歴史的背景がある。
ブーダンはかつて外交や軍事の決定権をイギリスに委任する保護国であり内政や
経済でもイギリスの影響力を大きく受けていた。
ネパール系は19世紀末から20世紀初頭にイギリス支配下の茶園での労働力として
イギリスによって移民が推奨されブーダン南部に定住化した人々の子孫である。
ドゥクパからすれば余所者の新参者である。




32: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:03:07 ID:XKL
(*^○^*)「ブータンはドゥクパの伝統文化を守らないといけないんだ!」

(´・ω・`)「そうだね、伝統文化は重要だもんね。」

(*^○^*)「なのにネパール人は新参者のくせに態度がでかいんだ!」

(´・ω・`)「本当だよ。」

彡(●)(●)「なんやお前ら!さっきから!ふざけるなぁ!ボケェ!」

1980年代、ブータン政府は国家の統一性を高めるとしてドゥクパの伝統や文化に
基づく国家統合政策を推進し始めた。

南部に住むネパール系はネパールの文化を固持する生活スタイルを維持しようと
したためにドゥクパから偏見の目を向けられる。
また宗教面でもチベット仏教の一つドゥク派を信仰するドゥクパとヒンドゥー教
が主な宗教のネパール系と大きな溝が存在した。
そして1990年に入るとネパール系の反政府運動が活発化。
ブータン当局との抗争もありネパール系が難民化、諸説あるが約10万人の難民が
発生したと言われている。




34: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:05:20 ID:XKL
なぜブータンはネパール系を目の敵にするような政策を実施したのか?
これにはかつてブーダンの隣国として存在したシッキム王国が関わってくる。




35: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:09:21 ID:XKL
1950年

J( 'ー`)し「イギリスの保護国であったシッキムは我々インドが面倒見るわ。」

彡(^)(^)「よろしくやでインドマッマ!」

(´・ω・`)「…よろしく」

J( 'ー`)し「シッキムの外交や国防はインドが担当し補助金も出します。」

彡(^)(^)「頼もしいな!」

(´-ω-`) ホッ(イギリスの保護国時代とかわらないな…)

J( 'ー`)し「ただ内政面では民主化のため議会を置いてもらいます。(威圧)」

(´・ω・`)「!?」

彡(^)(^)「これでワイらネパール系も政治に参加できるでサンキューマッマ!」

議会設置はシッキム王国の王室を含む支配階層たるチベット系に衝撃を与えた。
シッキムもブータン同様にイギリスが主導した移民によってネパール系が流入。
だが比率がブータン以上に問題となった。
人口構造はネパール系75%、チベット系25%とネパール系が多数派であり普通に
選挙すればチベット系が権力を失うのは明らかであった。




36: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:15:05 ID:XKL
(´-ω-`)(弱小国の我々がインドに敵うはずはない…要求を受けよう…)

(´-ω-`)(ただ王政を維持できるようなシステムが必要だ…。)

(´・ω・`)「…議会を設置しました。」

彡(^)(^)「楽しみやな。」

(´・ω・`)「以下が内訳です。」

シッキム議会
計17議席

チベット系選出議席6議席
ネパール系選出議席6議席
国王任命議席5議席

彡(^)(^)「…」

彡(●)(●)「なんやこれ!ネパール系が明らかに不利やろ!ボケェ!」

J( 'ー`)し「…認めます。」

彡()()「エェ…」

シッキム議会の人口比率を無視し民族別に公平に分配される民族選出議席制度や
国王が任命する非選挙議席の存在にネパール系は不満を持った。
しかし当時の国王タシ・ナムゲルは親インド路線であったためインドはこれ以上
の要求はしなかった。




38: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:17:18 ID:XKL
1963年

タシ・ナムゲル崩御

パルデン・トンドゥプ新国王即位

(*^○^*)「父の親インド路線は間違いなんだ!」

(*^○^*)「シッキムは独立した国になるべきだと思う!」


皇太子時代からインドの保護国である現状に反発していたパルデン・トンドゥプ
は反インド・独立志向は明らかでありインドとシッキムは緊張していく。




39: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:19:07 ID:dv5
これは紛争の予感・・・




40: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:21:17 ID:XKL
1967年

パルデン・トンドゥプ即位後初のシッキム議会選挙

親インド、反国王のネパール系政党シッキム国民会議派が第一党へ

彡(^)(^)「よっしゃ!ワイらシッキム国民会議派が大勝やで!」

彡(゚)(^)「当然、首相は国民会議派総裁のワイや!国王でも民意は無視できんやろ! 」

(*^○^*)「首相を任命するんだ!」

(o'ω'n)「え!?おんちゃんが首相!?」

彡(●)(●)「ファッ!?ワイの政敵の幹事長を任命したやと!」

(o'ω'n)「国王を支持するおん!」テラノヒクルー

彡()()

パルデン・トンドゥプの奇策でシッキム国民会議派は総裁派と幹事長派に分裂。
これによりネパール系の足並みが乱れ次の1970年の議会選挙では親国王派が圧勝
しパルデン・トンドゥプ国王の政権は磐石かと思われた。




41: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:29:08 ID:XKL
1973年
パルデン・トンドゥプ即位から三度目の選挙

(*^○^*)「今回の議会選挙も親国王派の圧勝だ!」

彡(●)(●)「もう我慢ならん!民族分配議席を廃止しろや!」

彡;(-)(-)(ネパール系の有力政党が潰しあった結果、選挙負けたのは内緒やで…)

(*>○<*)「首都で大規模デモ!?農村地帯では武装蜂起!?」

J( 'ー`)し「お困りのようね。」

(*>○<*)「インド…このままだと革命で殺される助けてェ」

J( 'ー`)し「いいわよ…でも分かってるわよね(ニッコリ)」

選挙制度に対するネパール系の不満が遂に爆発し全土での暴動に発展。
パルデン・トンドゥプは遂にインドに助けを求めた。
インドは瞬く間に混乱を収めたが見返りとして民族分配議席の廃止と国王の権限
の大幅縮小を要求、パルデン・トンドゥプはこれを認めることとなる。
しかし彼は諦めていなかった。




42: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:41:57 ID:XKL
1975年

新生シッキム議会「30議席中29議席がネパール系やで」

彡(●)(●)「Vやねん!民主化まったなしや!」

バキューン

彡(>)(<)「グエー」



(*^○^*)「まだシッキムで唯一の軍事組織・王室親衛隊があるんだ!」

(*^○^*)「これで議会の連中を…」

インド軍「こんにちはニキwwwww」

(*^○^*)「!?」

突如、シッキムの王宮にインド軍が突入した。
シッキム議会は王室親衛隊が民主化を要求するデモに対して発砲しているとして
インド政府に軍事介入を要請したのである。
王宮を制圧したインド軍は王室親衛隊を武装解除さらにパルデン・トンドゥプを
拘束し幽閉した。

この軍事介入に関してはパルデン・トンドゥプが武力で権力を奪還しようと企て
ている事にインド政府が激怒し軍事介入したと言われている。




43: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:43:41 ID:dv5
議会がインドと手を結んだか




44: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:47:30 ID:XKL
国王幽閉後、シッキム議会はインドへの併合を満場一致で採択。
その後の国民投票でもインドへの併合が圧倒的多数で賛成された。
こうしてインド領のシッキム州が誕生しシッキム王国は滅亡した。
補足だがパルデン・トンドゥプはアメリカに亡命し1982年に死去。

こうして隣国の滅亡を見たブータンが国家統合政策に邁進。
ネパール系の排除に乗り出したのである。

現在、ブーダン政府は国際社会の圧力により態度を軟化させネパール系への弾圧
は以前より少なくなっているが国外の難民など問題は山積みである。

ブーダン及びシッキム編~完~




45: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:51:24 ID:XKL
終わりやで
読んでくれた人ありがとうございます。

移民問題はフランスなど先進国だけの問題やないんやで
後、中東だけではない諸悪の根元イギリス




47: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:52:31 ID:dv5
>>45
参考文献とか、あったら教えてくれへんか?




49: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:58:44 ID:XKL
>>47
ルワンダ編はエイミー・チュア著書の「富の独裁者」

20180515-15

ブーダン及びシッキム編は
ここのサイトとwiki




50: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:59:45 ID:dv5
>>49
サンキューやで
ワイは西洋近世だから、このあたりのこと詳しくないんで、参考になるわ




46: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:52:12 ID:dv5
議会が親インドになってしまったんやな
おつやで




48: 名無しさん@おーぷん 2015/11/23(月)23:53:22 ID:dv5
あ、今わかった
ネパール系はヒンドゥー教徒だから、親インドか




51: 名無しさん@おーぷん 2015/11/24(火)00:01:54 ID:Npv
シッキムはイギリスがインドからチベットへの玄関口として保護国化したんやが
逆もしかりで共産中国がチベットから攻撃してくる恐れを感じたインドが手元に
置いておきたかった説もあるんやで




53: 名無しさん@おーぷん 2015/11/24(火)00:03:20 ID:rmL
>>51
なるほど
どちらにせよ、大国の板挟みになった国は、ほんと哀れやね・・・