20180601-7




1: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:33:42 ID:VjS
義輝→義昭で完全にいなかったものとされる模様
任期短いし残当




2: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:34:32 ID:xAr
誰?w




4: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:35:18 ID:VjS
>>2
ほんそれ
せめてなんか業績ないんか




3: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:34:43 ID:bVY
ここらへんの将軍はほんとわけわからん
いやわからんまんまでもいいのかもしれんが




5: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:36:30 ID:VjS
>>3
剣豪将軍からの手紙将軍の流れがわかりやすいしね
しゃーない




6: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:37:06 ID:8f0
存在したという事実以外は確かな記録が何一つない模様




7: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:37:51 ID:PF7
細川家に居ても将軍になれないしゲームに出す意味がわからん




8: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:38:37 ID:XRI
義栄「我が名を上げよ雲の上まで(懇願)」




9: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:41:00 ID:paC
ぼく義ひで




10: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:41:48 ID:bVY
普通に病気で死んだん?
将軍になるなら多少摂生しろや




12: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:43:28 ID:8f0
>>10
将軍になる前から病気で京都に入ることすらなく死んだやで




13: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:44:35 ID:VjS
>>10
一年ももたん模様




18: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:51:21 ID:VjS
>>10
傀儡にするため、病気を押して三好に無理やり将軍にされたんやろなぁ




11: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:42:47 ID:zQC
正直言って三好とか松永とかあの辺りの傀儡って印象しかない
てか、一応京を抑えてたのに三好も影薄いよな




14: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:48:42 ID:XRI
>>11
鬼十河とかあの兄弟それなりにキャラ立ってるはずやけど、松永さんのインパクトがなあ




15: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:48:51 ID:zQC
調べたら背中に腫れ物があったが為に養生してて京まで移動出来ず、信長の侵攻から逃れるために移動したら腫れ物が悪化して死んだって書いてあるわね
腫れ物怖い




22: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:02:35 ID:K0C
>>15
ガンちゃうの?




16: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:50:39 ID:DfF
日本史史上最も漫画チックに死んだ人物って
足利義輝か松永久秀よな




17: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:51:17 ID:iHR
>>16
燃え盛る寺で自害して果てた信長もかっこええぞ




19: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:52:56 ID:VjS
>>16
>>17
あそこら辺、ロマンありすぎるわ
なお、家康。天ぷらで無事死亡とかどういうことや




20: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:54:40 ID:DfF
>>19
天ぷらは原因じゃないらしいが、ガンで死亡だとしてもインパクトが少し弱いかも




21: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)22:58:49 ID:VjS
>>20
武田信玄←あそこで死んでなければ
上杉謙信←便所でwwwwww
死亡時のエピソードって大事よね、




23: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:06:22 ID:DfF
>>21
前田利家みたいに最後まで傾奇っぽく死ぬのもいいけど
島津歳久みたいに神様になって死ぬのもいい




25: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:13:09 ID:VjS
>>23
結局、本人とは関係なく後続がうまく舵取りできたかって面があるわな




26: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:14:35 ID:tRi
前田って死ぬ直前に息吹き返して遺産分配計算してから逝ったんやろ?




27: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:16:27 ID:VjS
>>26
事実かどうかはさておき、そういうのがのこる




28: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:17:45 ID:VjS
>>26
そういうのが残る時点で名君なんやろな
なお、足利義栄




29: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:17:56 ID:MVA
武田は信玄本人もそうやが信繁が川中島で死ななかったらってのはある




30: 名無しさん@おーぷん 2018/05/31(木)23:19:01 ID:tRi
家宝が算盤やしそういうエピソードあるのはおかしくない




31: ■忍法帖【Lv=5,ビッグホーン,sD2】 2018/05/31(木)23:33:46 ID:VjS
将軍ってだけでビッグネームやのに、スルーサレルッテよっぽどやで?


足利 義栄(あしかが よしひで)
天文7年(1538年)、足利義冬の長男として阿波国那賀郡平島の平島館で生まれる。生年は天文9年(1540年)説もある。初名は義親(よしちか)または義勝(よしかつ)。
永禄8年5月19日(1565年6月17日)の永禄の変で従兄弟の13代将軍・足利義輝が三好三人衆と松永久通らに殺害されると、三人衆によって、中風で将軍の任に堪えられないであろうとされた父・義冬の代わりに、将軍候補として擁立された。

永禄8年11月から三人衆と松永久秀が権力抗争を開始すると、久秀討伐令を出した。永禄9年(1566年)6月、三人衆方の篠原長房・三好康長らに擁されて淡路国に渡海、9月23日[1]には摂津国越水城に入城した。そして冬の12月5日には摂津国富田の総持寺に、12月7日には普門寺城に入った。

将軍就任を争う足利義昭に半年遅れの永禄9年12月24日に従五位下・左馬頭への任官許可が出され、永禄10年(1567年)1月5日に正式に叙任された。同時に義栄と改名した。
永禄10年11月、朝廷に対して将軍宣下を申請したが、朝廷の要求した献金に応じられなかったために当初は拒絶された。その後交渉が進展し、永禄11年2月8日(1568年3月10日)、朝廷から将軍宣下がなされ、第14代将軍に就任した。
しかし、三人衆と久秀の抗争が止まず、義栄自身が背中に腫物を患っていたため将軍に就任しても入京せず、富田に留まった。

永禄11年(1568年)9月、足利義昭を奉じて織田信長が上洛の動きを見せた。三人衆は畿内で信長に抗戦したが、敗れて畿内の勢力を失い、阿波に逃れた。その直後、以前から患っていた腫物が悪化して病死した。享年は29または31。
https://ja.wikipedia.org/wiki/足利義栄