20180704-6




1: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:22:31 ID:3kK
あっても著作権的に厳しいかもしれんが



2: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:24:19 ID:AMR
やってみよーうー



3: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:24:50 ID:3kK
>>2
著作権切れてそうなところでやってみるか



4: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:25:22 ID:AMR
ワイはさっぱりわからんけど
そういうの好きな勢はおんjに結構いるとおも



5: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:26:18 ID:3kK
>>4
マジか
ホンマは哲学書でやろうと思ったんやが



7: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:27:00 ID:Txw
歴史系ならやって見たかったかも
でも英語で書かれてたらさっぱりやけど



10: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:29:29 ID:3kK
>>7
何語なら行けそう?



8: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:27:29 ID:lWn
パンセでやってほしいわ



12: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:30:48 ID:3kK
>>8
フランス語出来へんしなぁ…



9: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:28:35 ID:AMR
とりあえず人いるうちにちょっとやってみたら



12: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:30:48 ID:3kK
>>9
ほな青空文庫から探してくる



13: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:34:22 ID:3kK
ほならお試し版やし短いのでやってみるか

三木清 人生論ノート
https://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/1914_63525.html



14: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:34:52 ID:3kK
「死について」



15: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:35:19 ID:3kK
 近頃私は死というものをそんなに恐しく思わなくなった。年齢のせいであろう。以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。



16: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:36:16 ID:3kK
 思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。この数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。そして私はどんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来ることを目撃した。
墓に詣でても、昔のように陰惨な気持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但ただし語原学には関係がない)と呼ぶことが感覚的な実感をぴったり言い表わしていることを思うようになった。



17: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:37:54 ID:3kK
 私はあまり病気をしないのであるが、病床に横になった時には、不思議に心の落着きを覚えるのである。病気の場合のほか真実に心の落着きを感じることができないというのは、現代人の一つの顕著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病気の一つである。



18: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:38:18 ID:3kK
ここまでで一区切りやね
難しいところは今のところ無かったと思う



19: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:39:48 ID:PyN
イッチが感想言うてくの?



22: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:41:14 ID:3kK
>>19
うーんワイよりみんなの感想のがええんちゃう
ワイは難しいところを考察しながら読んでいこうと思ったんやが



20: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:39:57 ID:AMR
三木清のプロフィールほちい



23: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:41:47 ID:3kK
>>20
哲学者。京大卒業後ドイツ・フランスに留学し、ハイデッガーらに師事。
帰国後、マルクス主義哲学、西田哲学を研究。1930年治安維持法違反で起訴される。1945年再度反戦容疑で逮捕され、終戦を迎えたが釈放されず、獄中で亡くなった。著作に「人生論ノート」「哲学ノート」など。



24: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:42:10 ID:AMR
>>23
サンキュー



26: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:42:32 ID:3kK
次のパラグラフからが難しいから、そこはちょっと説明できる範囲で説明しようと思う



27: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:42:32 ID:sXK
年取って死を実感し始めたんやなーて思ったで



28: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:42:37 ID:Txw
この文章戦前のなんやな
そう感じなかったわ



29: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:42:53 ID:lWn
この前まで入院してたからわかるんやが、たしかに何もせずに横になるっていうのはなんだか安心するという感覚はあったから、共感できたで。



31: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:43:36 ID:3kK
ええな
みんなの感想聞く方が面白いわ



33: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:43:51 ID:lWn
あ、でもこの場合の病床は死の床やからちょっと違うんかな



34: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:44:04 ID:MeC
>病気の場合のほか真実に心の落着きを感じることができない(…)

グサッとくるな



37: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:45:36 ID:bp2
年寄ほど死を平気で冗談にできるからな



39: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:45:47 ID:AMR
若くて死ぬまでまだ余裕ある方が死が恐ろしいってなんか不思議やね



41: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:46:20 ID:lWn
>>39
むしろ余裕があるからこそじゃないんか?



44: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:48:02 ID:bp2
>>41
子供のころは大人たちがとても凄い人達と思えたのに
大人になるとそうでもないと知るようなもんかな

遠いものほど大きく見えるのかも



48: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:49:30 ID:lWn
>>44
精神の成熟やろね



36: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:45:31 ID:3kK
ほな次貼っていくで~



40: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:46:06 ID:3kK
2.
  実際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病気の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなかろうか。
これは青年の健康感とは違っている。恢復期の健康感は自覚的であり、不安定である。健康というのは元気な若者においてのように自分が健康であることを自覚しない状態であるとすれば、これは健康ということもできぬようなものである。
すでにルネサンスにはそのような健康がなかった。ペトラルカなどが味わったのは病気恢復期の健康である。そこから生ずるリリシズムがルネサンス的人間を特徴附けている。
だから古典を復興しようとしたルネサンスは古典的であったのではなく、むしろ浪漫的であったのである。新しい古典主義はその時代において新たに興おこりつつあった科学の精神によってのみ可能であった。ルネサンスの古典主義者はラファエロでなくてリオナルド・ダ・ヴィンチであった。
健康が恢復期の健康としてしか感じられないところに現代の根本的な抒情的、浪漫的性格がある。いまもし現代が新しいルネサンスであるとしたなら、そこから出てくる新しい古典主義の精神は如何いかなるものであろうか。



42: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:47:20 ID:MeC
リリシズムってなんぞ



43: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:47:55 ID:3kK
>>42
感情をあらわす感じやな



45: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:48:56 ID:AMR
急に難しくなったンゴ



46: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:48:59 ID:3kK
これはニュアンスは分かっても言葉が難しいかな



47: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:49:19 ID:MeC
「健康が恢復期の健康としてしか感じられない」ってのを虚しいって断ずるかと思いきや
ロマン持ち出してくるとはたまげたなぁ



49: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:50:12 ID:Txw
健康を感じる時が病気の回復期だけやとすると
普段の状態をゼロとして見てるんかなぁ



51: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:50:40 ID:3kK
ここで古典と浪漫、健康と病気の恢復が対になってるんやろね



52: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:51:00 ID:MeC
抒情的、浪漫的性格ってのがプラス評価なのかマイナス評価なのか現時点でわからん
著者がどういう思想的立ち位置にいるかによるかな



54: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:52:02 ID:Txw
哲学ってむずいンゴねぇ



56: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:54:00 ID:Sqt
これはもうちょい読み進めたほうがええんやないかね



57: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:54:05 ID:3kK
一応逐一見ていくと
 「実際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病気の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなかろうか。
これは青年の健康感とは違っている。恢復期の健康感は自覚的であり、不安定である。健康というのは元気な若者においてのように自分が健康であることを自覚しない状態であるとすれば、これは健康ということもできぬようなものである。」

 健康ってのは、本来若者がそうであるように、自覚的なものじゃない
だが今日の我々は、健康というものを「病気からの快復」として感じてしまっている
→これってどうなん?



59: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:54:55 ID:lWn
>>57
問題提起やね



58: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:54:16 ID:lWn
ペトラルカ・ラファエロとリオナルド・ダ・ヴィンチも対比になっとる



60: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:56:01 ID:AMR
普段そこにあるものは認識できないみたいな?



61: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:56:27 ID:hpw
青年の健康感とは違っているって言ってんのやし

今の人間は若さが足りないって言ってるんじゃない?



62: 名無しさん@おーぷん 2018/07/03(火)23:59:25 ID:3kK
「すでにルネサンスにはそのような健康がなかった。ペトラルカなどが味わったのは病気恢復期の健康である。そこから生ずるリリシズムがルネサンス的人間を特徴附けている。
だから古典を復興しようとしたルネサンスは古典的であったのではなく、むしろ浪漫的であったのである。新しい古典主義はその時代において新たに興おこりつつあった科学の精神によってのみ可能であった。ルネサンスの古典主義者はラファエロでなくてリオナルド・ダ・ヴィンチであった。
健康が恢復期の健康としてしか感じられないところに現代の根本的な抒情的、浪漫的性格がある。いまもし現代が新しいルネサンスであるとしたなら、そこから出てくる新しい古典主義の精神は如何いかなるものであろうか。」

ルネサンスは、病気からの快復として健康を感じてしまう時代だったんや(現代と同じ?)
だからルネサンスは「抒情的・浪漫的」だったのであって、「古典的」となったのは科学のおかげなんや(ダ・ヴィンチがその象徴)
するとルネサンスと現代が同じだとすれば、現代における「古典」は何によって担われるんやろなぁ?

こんな感じやろか



63: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:00:55 ID:QNR
なるほど、科学か
思いつかんかったわ



67: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:01:32 ID:IZN
「古典的」ってなんや?



71: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:03:14 ID:Qqv
>>67
次のパラグラフで一応説明されるはずやけど、事前知識いるかも



70: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:02:31 ID:IZN
予備知識の要求レベルが高くて下手に読むと誤読だらけになりそうでこわE



73: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:03:35 ID:QNR
新しい古典主義と称しとる時点でただ古いものを尊ぶという意味でないのはわかるんやが



78: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:05:18 ID:Qqv
一般的にルネサンスって古典復興だから、普通に考えたら「古典的」な筈なのに、ここで通説の逆を言ってるんやね
実は「浪漫的」だったと
この言葉の意味が問題やねぇ
ちょっと待って



81: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:06:30 ID:QNR
古典主義と浪漫主義は対立するものとして捉えるべきものなんやな。
ほんで、古典主義はどちらかというと理性的であることを尊重すること、浪漫主義はどちらかというと情緒的であることを尊重することって理解でええやろか?



82: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:06:53 ID:Qqv
>>81
その解釈でええと思うで!



83: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:07:46 ID:QNR
>>82
サンガツ
確かに古典を復興しようとする運動には少なからず古代への憧憬が含まれとる気がするわ



87: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:09:53 ID:IZN
キリスト教に染まる前のアリストテレスあたりのギリシアあたりの文化に価値観見いだしてたこと考えると
確かにここでの古典主義は理性信奉と捉えてよさそうやな…
サンガツ>>81ニキ



90: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:12:07 ID:QNR
>>87
なんか恐縮やわ
楽しもうで



86: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:09:09 ID:Qqv
現代語っぽくするなら、ここでの「浪漫」はメンヘラで、「古典」が真っ当な感じやね
古典はだから健康で陽で、浪漫が病的で陰な感じやろな



88: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:10:13 ID:O5s
理性と感情の対立みたいな?



89: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:11:39 ID:Qqv
>>88
まあ今はそんな感じやで
だから、最初に出てきた「健康」と「死」の対比構造がそこと関連してるんや



91: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:12:51 ID:Qqv
第2パラグラフに時間掛けすぎたわ次貼るわ



92: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:13:13 ID:IZN
難しかったからしゃーない



93: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:13:19 ID:aBx
健康って自分のなかで心身がベストの状態を表すから
体調不良で健康のありがたみが分かるっていうのは分かるようで分からん



95: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:13:59 ID:Qqv
>>93
根本的なええ質問やと思うで!



100: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:16:37 ID:Qqv
次長いから2つに分けるわ



101: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:16:57 ID:Qqv
3.1
 愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに従って、死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる。生れてくる者よりも死んでいった者に一層近く自分を感じるということは、年齢の影響に依るであろう。
三十代の者は四十代の者よりも二十代の者に、しかし四十代に入った者は三十代の者よりも五十代の者に、一層近く感じるであろう。
四十歳をもって初老とすることは東洋の智慧を示している。それは単に身体の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味している。この年齢に達した者にとっては死は慰めとしてさえ感じられることが可能になる。
死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られている、今も私の心を捉とらえて離さないパスカルにおいてさえも。
真実は死の平和であり、この感覚は老熟した精神の健康の徴表である。どんな場合にも笑って死んでゆくという支那人は世界中で最も健康な国民であるのではないかと思う。



102: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:17:41 ID:Qqv
3.2
ゲーテが定義したように、浪漫主義というのは一切の病的なもののことであり、古典主義というのは一切の健康なもののことであるとすれば、
死の恐怖は浪漫的であり、死の平和は古典的であるということもできるであろう。死の平和が感じられるに至って初めて生のリアリズムに達するともいわれるであろう。
支那人が世界のいずれの国民よりもリアリストであると考えられることにも意味がある。
われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん、といった孔子の言葉も、この支那人の性格を背景にして実感がにじみ出てくるようである。
パスカルはモンテーニュが死に対して無関心であるといって非難したが、私はモンテーニュを読んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。最上の死は予あらかじめ考えられなかった死である、と彼は書いている。
支那人とフランス人との類似はともかく注目すべきことである。



103: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:18:37 ID:QNR
30代の年齢観→20代に近い
40代の年齢観→50代に近い
っていうのははぇ~って思った



107: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:21:05 ID:IZN
死の「平和」って表現が印象的やな
ここでは単に「受容」くらいの意味でとらえてええんやろか



108: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:21:51 ID:Qqv
>>107
今のところワイもそう思う
死の平和ってのは用語としてちょっとビビるわね



109: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:23:05 ID:QNR
理性(古典主義)と感情(浪漫主義)の対立構造が明確になってきたんやな
死ぬということに対する恐怖は明らかに感情的なものやけど、死を受容して安楽の下に身を晒せば生きていることが理解できるってことやろか?



110: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:23:22 ID:QNR
生のリアリズムってなんやろ



112: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:25:44 ID:Qqv
>>110
思うに、(死の)恐怖に駆られて生きているって言うのは生きていることそのものを知らないのだ、死は平和だと知ることで恐怖から解き放たれて生そのもの(生のリアリズム)を知ることができるってことちゃうかなぁ



116: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:28:29 ID:QNR
>>112
なるほどな~
サンガツ



119: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:29:56 ID:Qqv
次が第4パラグラフ
ここ結構爆弾発言してると思う



120: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:31:21 ID:Qqv
4.
 死について考えることが無意味であるなどと私はいおうとしているのではない。
死は観念である。そして観念らしい観念は死の立場から生れる、現実或あるいは生に対立して思想といわれるような思想はその立場から出てくるのである。
生と死とを鋭い対立において見たヨーロッパ文化の地盤――そこにはキリスト教の深い影響がある――において思想というものが作られた。
これに対して東洋には思想がないといわれるであろう。もちろん此処ここにも思想がなかったのではない、ただその思想というものの意味が違っている。
西洋思想に対して東洋思想を主張しようとする場合、思想とは何かという認識論的問題から吟味してかかることが必要である。



122: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:33:04 ID:QNR
死をあるべきものとして受容すればそら死ぬ時も笑顔になれるわな
そこに恐怖はないんやし
モンテーニュがいう予定されなかった死も同じようなもんやな



123: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:34:51 ID:Qqv
読み進めるなら、ここで一旦区切った方がパラグラフの意味のつながり的に良さそうやわ



124: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:36:37 ID:Qqv
正直ここで「思想」という語で何を言おうとしてるのか分からへんな…
読み進めなアカンのやろけど



125: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:37:06 ID:QNR
ようわからんが、
ヨーロッパ→生と死の対立構造による思想の構築
中国→生と死の対立がない、西洋思想と東洋思想はその意味するところが違う
ってことやろか?



126: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:38:04 ID:Qqv
>>125
うんそうだと思う
ただどう意味するところが違うかはここで分からへんな



128: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:39:28 ID:QNR
>>126
サンガツ
確かにその差異の内容には触れてへんな



127: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:38:42 ID:IZN
観念らしい観念は死の立場から生れる がよー分からん
読み進めたらわかるんかなぁ…



130: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:40:47 ID:Qqv
>>127
これは予想なんやが、死とは感情の話じゃないってことだと思うから、
観念と感情が対比的である以上、死とは観念の話だ(死の立場から生まれる)ってことになるんちゃうかなぁ



152: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)01:27:22 ID:Qqv
>>130
やっぱこの解釈ちゃうと思うわ
単純に、現実と観念(思想)の対比構造と生と死の対比構造が重ねられてるんやと思うわ

あと>>126もやっぱり読みが甘かったと思うわ
西洋では生と対立する死の立場から「思想」が生まれるなら、その意味での「思想」は「いずくんぞ死を知らん」と述べる東洋には存在しないと言えるが、
実際は西洋のとは違う意味での思想というものが存在しているのだ、って話やと思う



129: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:40:12 ID:QNR
イッチは何を以って爆弾発言やと思ったんや?



131: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:42:14 ID:Qqv
>>129
ワイとしては、死とは観念であるってとこやね
ストア派とかはそういうこと言ってた気がするけども



135: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:44:49 ID:QNR
>>131
はぇ~
ワイ哲学全然わからんからどう衝撃的なんかわからんわ
まず死が観念であるってどういうことなんやろ?



136: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:46:11 ID:Qqv
>>135
哲学と言うより、ワイの実感として「死は観念」って違和感あるだけなんや
つまり「死なんて頭の中のイメージにすぎへんねんで~」ってことやろし



138: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:49:23 ID:QNR
>>136
ああ、そういうことか
確かに死って起きているものだって考えるもんな
ワイも死をイメージとして捉えるなんて難しいわ



139: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:51:06 ID:Qqv
>>138
うん
死なんて経験しないままになるから、死というものはどうしてもイメージで語るしかないってのは確かなんやけどね…
むじゅかしい



142: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:53:23 ID:QNR
>>139
経験として捉えられる死は一生の最後しかないし、ワイらが「死」を考えられるのは観念としてのものでしかないってことなんやな~
サンガツ
そしておつやで



137: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:48:16 ID:Qqv
今更ながら講読じゃなくて読書スレって題にしておけば良かった
内容的にはそういう感じやし



140: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:51:48 ID:Qqv
まあとりあえず読み進めるのは今日はここまでかなぁ
まだ半分あるしねぇ
「死について」だけは終わらせますわ
その後は、読みたい内容のがあったらって感じかな
拙くてスマン



141: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:53:17 ID:IZN
頭使うおんJスレとか久々に参加したわ
サンガツ ほな、また…



145: 名無しさん@おーぷん 2018/07/04(水)00:54:18 ID:Qqv
付き合ってくれたみんなサンガツ
乙やで~