20181010-3




1: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 06:36:46.99 0
ちょっと虚しくなってきた




12: 2018/10/06(土) 07:11:46.66 0
>>1 それを使いこなす人材がいなければ、武器だけ持っていても無駄。
幕府には、豊富な人材がいたけど、それらの人が権限をもてなかった。それに対して、長州は、大村が軍のトップになり、全権を握った。
(俺が、司馬史観に毒されてるのかもしれないけど)




2: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 06:37:36.77 0
そのふたつは日本のっとりをはかる外国製力がうしろにいた




4: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 06:40:34.18 0
違うよ
無情な方だよ




6: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 06:41:22.60 0
>>4
圧倒的な差が生まれるから無情になるんだと思う




9: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 06:55:09.12 0
信長って銃は自作だったような




10: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 07:01:04.44 0
種子島に銃が入ってから1年後には国産化され量産が始まっていた
その後の日本での戦役で使われた銃は全て国産
外国から買い付けた銃は使われてない




11: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 07:08:07.37 0
英仏から武器を買い付けたのが偉いんじゃなくて
買い付ける為の原資を調達出来たのが偉いんだけどな




13: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 07:27:14.77 0
信長の頃は西洋と比べても並ばないまでも準じる国力じゃないのか
西郷どんの頃はしゃばばだろうけど




32: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 12:50:57.03 0
>>13
戦国後期にもなると世界一の銃保有国だよ




15: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 07:45:36.75 0
信長は日本製を買い込んだだけだぞ




17: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 07:48:12.72 0
辺境の種子島の領主が大枚はたいて改良するんだから新技術への対応は推して知るべし
大国になるべくしてなってる




19: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 08:23:46.08 0
日本人の体格に合わせて魔改造するのが常




14: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 07:31:35.57 0
日本はあれだけ銃が発達したんだから大砲がもっと発達してもよかったのに
持ち運びしにくいってのは日本の地形だと使い辛かったのかな?




21: 2018/10/06(土) 08:39:08.63 0
>>14 その当時、大砲は意味のある武器だったのだろうか?射程距離、殺傷能力ともに、大したことなかったと聞くけど、
我々は、大砲と聞いて、火薬が、目的地で破裂する大砲を連想しがちだけど、その当時のものは大きな玉を飛ばすだけじゃないの?




23: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 08:48:40.48 0
大阪冬の陣の時は徳川の大砲が淀殿の近くに命中して和睦とか




22: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 08:48:15.42 0
そもそも鉄砲の運用自体は信長が最初じゃない
信長がやったのは
大量に買い付けて火縄銃の弱点である
リロードの遅さを三段射撃することで弱点を克服したことにある




34: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 12:52:58.21 0
>>22
三段撃ちはできないと検証済み




31: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 10:40:48.46 0
信長の所有してた銃のほとんどは堺製なわけだが


鉄砲と戦国時代
従来、『鉄炮記』の記述により日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島より始まるとされてきた。しかし、近年では、東南アジアに広まっていた火器が1543年(天文12年)以前に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれ、伝来当初は猟銃として用いられていたとする説がある(宇田川説)。他方欧米には欧州の瞬発式火縄銃が日本に伝えられて改良発展したものが、逆に東南アジアに伝えられ、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったものとする説もある(ニッケル説、ブレーヤ説)。何れにせよ複雑な発射機構の無い鉄砲自体は遅くとも16世紀初頭に伝わっていた事が文献に残っている、関連して火薬が15世紀後半の日本で生産されており朝鮮との交易の際に輸出品となっていたことが文献から窺える。

戦国時代以降、日本では近江の国友、同じく日野、紀州の根来、和泉の堺などが鉄砲の主要生産地として栄え、多くの鉄砲鍛冶が軒を連ねた。根来のみは織田信長・豊臣秀吉による紀州攻めの影響で桃山期以降衰退したが、国友・日野・堺はその後も鉄砲の生産地として栄え、高い技術力を誇った。また城下町において、鉄砲足軽や鉄砲鍛冶が集中して居住した場所は「鉄砲町」と呼ばれ、現代でも地名に残っている。
戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国となる
https://ja.wikipedia.org/wiki/火縄銃




26: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 09:29:14.94 0
幕府側も薩長以上の財力で西洋の兵器買い付けてたはずだが




27: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 09:44:00.52 0
当時は陣立がどうであれ最後は人海戦術
一兵卒までのモチベーションを落とさないことが大事で鉄砲の音と威力はモチベーション落とすから




28: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 09:45:37.72 0
気合と根性じゃ太刀打ちできないのよねb




35: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 13:28:09.84 0
アメリカ南北戦争で余った武器をシュネルとかいう武器商人が薩長幕府両方に売り付けてたんだよな




38: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 14:04:31.78 0
銃の性能が上がったといっても西南戦争まで抜刀隊が活躍する程度




36: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 13:30:47.40 0
鳥羽伏見の戦いのときにはもうすでに幕府側にもいい武器があったみたいだな




40: 名無し募集中。。。 2018/10/06(土) 15:26:31.38 0
当時の銃の連射速度と精度だと接近戦なら刀の方が強かった
ヨーロッパで騎兵隊が19世紀末まで活躍できたのと同じ