20191005-1




1: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 16:59:18.94 ID:Mspia5+9d
曹操軍100万は嘘やろ?




2: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:00:08.98 ID:dsETFiTDM
史実やと全部周瑜の手柄って聞いて草はえた
孔明さん…w




5: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:00:28.66 ID:Mspia5+9d
>>2
東南の風は…?




3: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:00:09.56 ID:Mspia5+9d
孔明が呉の重臣達を説得したのはどうなんや?




4: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:00:15.52 ID:xkJZHr46M
諸葛亮が風を出したのとビーム出してたのは本当やで




6: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:00:53.39 ID:Mspia5+9d
>>4
さすが天才軍師やね




22: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:06:11.05 ID:bD5k6tDBa
>>4
凄い石ぶん投げてなかった?




7: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:01:20.30 ID:Mspia5+9d
劉備たちはどこまで関わっとったんや




37: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:11:40.53 ID:pySRszwCd
>>7
なんか端っこの方でペチペチやってた




8: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:02:10.60 ID:uu7Hg43Za
100万は嘘だぞ
孔明が言ってたからな




9: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:02:11.36 ID:WgwX94di0
赤壁って戦いの後に名付けられたのに
赤壁で向かえうつというタイムパラドックス




12: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:03:38.49 ID:6SK3VADS0
>>9
カッコええからしゃーない




10: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:02:33.62 ID:8QdBMIbza
劉備は1万の兵を借りて戦ったって感じだから、一助っ人部隊って感じやろな
有能な将軍はおったわけやし普通に孫権軍からしてもありがたかったやろ
なお荊州




11: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:03:27.26 ID:O1bvndkz0
公害が無知で打たれたのは?




13: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:03:49.61 ID:djhlXxxt0
孫権降伏してた方が良かったんちゃう?




16: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:05:12.70 ID:UJOwag0a0
>>13
孫権有能やし豪族まとめる役割で生かされてたと思う




14: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:04:04.05 ID:8p88+xz/6
まぁ20万くらいだったとは聞く




15: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:04:38.38 ID:yKX4ioeh0
連環の計からの火刑コンボがほんとにあったのかどうかだけ気になる




18: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:05:19.26 ID:8p88+xz/6
>>15
それっぽいことはしたんやろうけど全滅はしてへんのやろ多分
元寇みたいなもんで




30: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:09:24.67 ID:djhlXxxt0
>>18
鉄や銅が貴重品やったんやろ
鎖が調達出来んのとちゃう?




19: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:05:44.11 ID:igJeznU+0
いうほど火計できるか?




17: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:05:16.31 ID:8QdBMIbza
劉備がきたっておかげで抗戦派も強弁になれた部分はあるやろな
あの劉備が力を貸してくれるっていう論拠で




20: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:05:50.28 ID:x9oOe43Pr
蒼天のただの疫病で撤退説はなんなんや




27: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:08:05.32 ID:UJOwag0a0
>>20
史実やろ
周瑜伝とかに曹操軍で疫病流行って戦ったらすぐに撤退したみたいなこと書かれたはず




21: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:06:09.15 ID:8QdBMIbza
曹操って史実で命からがら抜け出す事多くね?




24: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:07:00.87 ID:yKX4ioeh0
>>21
勝つときは圧勝して負けるときは完敗するのが曹操や




23: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:06:37.16 ID:lo8M3/op0
曹操「劉備に負けた」




25: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:07:21.55 ID:Cm5TZvVRp
当時の合戦って兵站まで含めるとマックス何万人くらいまで関わってたんや




32: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:09:39.63 ID:8p88+xz/6
>>25
この頃の戦場って兵士と同数以上に商人、給仕、洗濯女、娼婦etc.がついてきてたらしいし結構な数関わってるやろな




26: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:07:48.89 ID:O1bvndkz0
孔明は現実は矢を10万本だか調達したくらいがせいぜい




28: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:08:07.08 ID:8p88+xz/6
黄蓋が主に女の子を標的にキン肉バスターしてたのも本当や




29: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:08:55.86 ID:ZBawziZO0
大敗(主要武将の死亡0)




35: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:11:08.42 ID:8QdBMIbza
>>29
南郡の太守は死んだやろ
主要ではないかもしれんけど役割的には主要やろ




31: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:09:30.80 ID:wCHXN1Sz0
戦すら起こってないで
準備中にびっくりして逃げただけや




33: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:10:15.57 ID:lH2POjKg0
明の太祖朱元璋が陳友諒を打ち破った鄱陽湖の戦いがモデル




34: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:11:03.19 ID:b82bdeu6d
羅貫中「1000年も前の話やしちょっとくらい盛ってもわからんやろw」




36: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:11:19.26 ID:cFeay1BAd
曹操がエッ●大好きなのは創作?




38: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:11:40.70 ID:8p88+xz/6
>>36
むしろエッ●嫌いな奴なんかおるんかこの時代




40: 風吹けば名無し 2019/10/02(水) 17:12:11.89 ID:D0jKHxt/0
周瑜が凄いのは赤壁よりも
その後曹仁倒して江陵切り取ったとこやろ


赤壁の戦い(せきへきのたたかい、簡体字:赤壁之战、繁体字:赤壁之戰)は、中国後漢末期の208年、長江の赤壁(現在の湖北省咸寧市赤壁市)において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いである。

赤壁の戦い

数十万とも言われる兵と朝廷の権威を擁する曹操の大軍勢を前に、孫権の陣営は恐れを抱き、張昭らは降伏を説いた。しかし魯粛だけは抗戦を説き、鄱陽に出ていた周瑜を呼び戻させた。
周瑜は「中原出身の曹操軍は水軍による戦いに慣れておらず、土地の風土に慣れていないので疫病が発生するだろう。それに曹軍の水軍の主力となる荊州の兵や、袁紹を下して編入した河北の兵は本心から曹操につき従っているわけではないのでまとまりは薄く、勝機はこちらにある」と分析し、孫権に開戦を説いた。
『三国志』呉書魯粛伝によると魯粛から孫権と同盟を結び曹操と対抗するよう説かれた劉備は、諸葛亮を使者として派遣して孫権と同盟を結んだ。一方、『三国志』蜀書 諸葛亮伝によると、諸葛亮が孫権との同盟を献策し、劉表の弔問に来ていた魯粛を伴って孫権と面会したという[5]。
孫権は周瑜・程普ら数万の水軍を劉備の救援に派遣し、周瑜、程普、劉備らは疫病に悩まされていた曹操軍を、赤壁・烏林で撃破して敗走させた。
『三国志』魏書武帝(曹操)紀の原書には、「公(曹操)は赤壁に到着し、劉備と戦うが、不利だった。疫病が流行して、官吏士卒の多数が亡く なったので、撤退した」と書かれている。『三国志』魏書武帝紀の注に引く『山陽公載記』には、「曹操は軍船を劉備に焼かれ、徒歩で撤退した。劉備は曹操を 追撃して、火を放ったが、曹操に逃げられた」と書かれている。
『三国志』呉書周瑜伝には赤壁において遭遇した曹操軍を劉備軍と共に逆撃し、この際、曹操軍には疫病が流行っていた為、一戦を交えると敗走し、長江北岸へ引き上げたとある[6]。さらに周瑜の部将の黄蓋は、 敵の船団が互いに密集していることに注目し、火攻めの策を進言した。そして自ら曹操軍に対し偽りの降伏を仕掛け、曹操軍が油断した隙をつき、油をかけ薪を 満載した船に火を放ち敵船に接近させた。折からの強風にあおられて曹操の船団は燃え上がり、炎は岸辺にある軍営にまで達した。船団は大打撃を受け、おびた だしい数の人や馬が焼死したり溺死したりした。曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らも長江を挟んで対峙した。『三国志』魏書武帝紀の注に引く『江表伝』に は、戦いの日、黄蓋はあらかじめ快速船十艘を選び、乾燥した荻や柴をその中に積載し、魚膏を注いで赤い幔幕で覆い、旌旗・龍幡を船上に建てた。時に東南の 風は激しく、そこで十艘を先頭に立てて、長江の真ん中で帆を挙げた。黄蓋は火を掲げて将校たちに告げ、兵士どもに声をそろえて叫ばせた。「降服だ!」曹操 の軍人たちはみな陣営を出て立ち見したが、北軍を去ること二里余りのところで、時を同じくして火の手が挙がった。火は激しく風は猛り、向かってくる船は箭 の如く、埃は飛んで絶爛し、北方の船を焼き尽くして岸辺の陣営まで延焼した。周瑜らが軽装の精鋭を率いてその後方から押し寄せ、太鼓を雷して大いに進撃す ると、北軍は大壊滅して曹公は撤退逃走した。この時、周瑜らは渡渉し陸上から曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走したと書かれている。
『三国志』蜀書先主(劉備)伝には、「劉備は孫権陣営の周瑜・程普らと力を合わせ、赤壁で曹操を大いに破り、曹操軍の軍船を燃やした」と書かれている。
『三国志』呉書呉主(孫権)伝には、周瑜・程普を左右の督とし、各一万の兵を領させ、劉備と共に進軍し赤壁で曹操軍を大いに破ったとある。
『後漢書』(献帝)紀には、曹操は水軍で孫権を討伐したが、烏林・赤壁で孫権の部将周瑜に敗れた。
『後漢紀』には、曹操は赤壁で周瑜と交戦し、周瑜に大敗した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/赤壁の戦い










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