前回に引き続き、映画とは少し離れますが、ニジンスキーについて触れたいと思います。

先週、英BBCでバレエ・リュスの映像が発見されたという報道があり、わたしも興味深くその映像を見ました。

BBC News - Ballets Russes

ニジンスキーの伝説の舞台の映像がもし残っていたら、と思うバレエファンは多いと思います。そんな中、ふとしたきっかけでロモラ・ニジンスキー夫人との接点を持ち、貴重な交流を持った日本人がいました。
臨床心理学者、そしてジャンルを超えて多くの仕事を残された河合隼雄先生です。

河合先生はユング派の分析家の資格を取るためにチューリッヒに滞在中、自らの分析家から日本語を習いたいというハンガリー人を紹介されます。それがなんと、ロモラ夫人だったのです。
そこでロモラ夫人自らの声で、ニジンスキーや夫人に関することを聞く機会を得ます。

ロモラ夫人はとても華やかで、外向的そのものの人物だったそうで(ハンガリーを代表する大女優の令嬢でもありました)、ニジンスキーがハンガリーに公演に来たときに舞台上の彼を見て、「この人と結婚する」と決意し、その後バレエ・リュスに入団し、求婚するプロポーズする機会を伺っていたとのことです(すごい行動力です・・・)。

そして、運命の時がやってきます。水を嫌うディアギレフが乗船していない、南米行の船の中で、ついに彼女は二人きりになり、ニジンスキーに求婚します。ニジンスキーは部屋に閉じこもりますが、なんと、その求婚を受けたのでした。

しかし、二人の婚約を知ったディアギレフは当然激怒(ディアギレフは同性愛者でもあり、深くニジンスキーを愛していたようです)、二人にとって迫害の日々が始まります。

その逆境の中でも、彼らは自らのバレエを追求しますが、ある日、召使が夫人のもとにやってきます。

「本当に言いにくいことなのですが、ご主人は精神の病を病んでおられます」

もちろん、夫人には認められません。しかし、召使の次の言葉に愕然となります。

「以前お仕えした旦那様と同じ行動をなさいます」

前に使えていたのは、フリードリッヒ・ニーチェだったのです(有名な話ですが、彼も発狂しています)。

そして、夫人は当時の高名な精神医を回り始めます(フロイト、ユング、アドラー、ブロイラー、ビンスワンガーetc・・・)

結局、ニジンスキーは治ることがありませんでしたが、発病後に2度だけ喋ったそうです。
一度は、バレエ・リュスで一緒だった演出家、ミハイル・フォーキンが訪ねてきたとき、二度目はナチスの難をぎりぎり逃れ、病院にソ連兵が入ってきたときだそうです。

また、ニジンスキーは日本に大変興味があったようで、自宅で歌舞伎役者の真似をしたりして、日本にはいつか行きたい、と話していたそうです。

そして、河合先生の帰国の時が迫り、別れる時がやってきました。
最後に、華やかなロモラ夫人の顔から笑顔が消え、こう聞かれたそうです。

「ニジンスキーはディアギレフと同性愛の関係を続けることで踊り続けられたのではないか。そこに自分が入り込むことで彼は魂を病んでしまったのではないか」と。

河合先生がどうお答えになったのかは、本書をお読みください。

未来への記憶―自伝の試み〈下〉 (岩波新書)
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この本を上梓されたのは2000年で、それまでこのエピソードは封印していた、と河合先生もおっしゃっています。
筆者もかつて河合先生に師事したことがあり、物故された今となってはこのおはなしをもう少し聞けたら、という思いもあります。

一方で、このような出逢いがもたらされたことからくる、エピソードとして後世に残された、という事実に感謝したいと思います。

そして、改めて、人間の奥深さ、そして、そこから生み出さる芸術の深淵さに思いを馳せるのでした。