今回の初めての海外旅行をするにあたって、ぼくはルールブックを作成した。
そこには、幾つかのルールが収まっていて、ルールのひとつには、やるべきことリストというものもあった。
そのリストの上に横線を引くことが、旅の目的の一つ。
思わぬハプニングのおかげで、リストを一つ埋めることができそうだった。
スターバックスが一番安いことに少しだけ驚いた。
この感覚は、初めて六本木に行った時以来だ。
コーヒーの横に五百円と書かれたメニューを見て、バカかよ、とつぶやき、惨めな気分で店を後にした時のことを覚えている。
ここ、コペンハーゲン国際空港の中でも、一番安く飲めるコーヒーはスターバックスだった。
もちろん、一番安いのは免税店などでチップスやジュースを買って済ませることなのだけれど。
コーヒーを啜り、レモンケーキを食べる。
芳醇な香りも、甘酸っぱい味も、日本と同じ味な気がするし、そうじゃない気もする。
海外の空気は、鼻通りや匂いも違うのかもしれないと思っていた。
コペンハーゲンの空気は、少しだけ軽く感じられた。
Le Sommelier Bar & Bistroは、魚介系の料理を出してくれるバーだった。
ぼくは、生牡蠣と、名前を覚えることもできない白ワインを飲んでいた。
フリーパンフレットを取り、コペンハーゲン市内について想いを馳せたが、立ったの1日でどれだけ見て回れるかを考えると、空港から出る気になれなかった。
ふと、視界の端から視線を感じた。
見ると、何だか見覚えのある顔。
誰だったっけ。
見覚えはあったけれど、ピンとこない。
彼女は、ぼくに気がつくと、ニコニコとこちらにやってきた。「ーーハーイ」
「ハイ」ぼくは言った。彼女の目、透き通ったブルーの光彩とゴールデンブラウンの光輪を見て、思い出した。
入国審査の際に見つめ合った警察官だ。
「これからコペンハーゲンに出るの?」彼女は言った。
「いいや。乗り継ぎで来たんだ」
「空港で泊まり?」
「フィンランドが大雪でさ」
「残念ね」
「まあね」
少しだけ間が空いた。
「君は、帰るの?」
「ええ。明日も早いから眠らなきゃ」
「そ」
また、少しだけ間が空いた。
「きみ、名前は?」
「テイラー」
「ぼくは、快。ねえ、テイラー。あのさ、素敵なバーを探してるんだけど、どこか知らないかな」不思議と、恥じらいも抵抗もなく、そんな言葉がすらすらと出てきた。
「バー?」
「うん」
「ここじゃダメなの?」
「悪くはないんだけどね、もっといいところがあるかなって」
「そうね」テイラーは、少しだけ間を置いた。「行く?」
「良い?」
「一杯奢ってよ」
ぼくは、小さく笑った。
テイラーは首で、行くわよっ、と言った。
案内された先は第3ターミナル。
その地下にある駅。
テイラーに言われるがままにチケットを買い、ホームに向かい、電車に乗る。
「嘘、18歳?」
テイラーは笑った。「こっちの台詞よ」
「信じらんないな。学校は?」
「行ってないわ。ちょっと前まで、あっちこっちの学校を一年ペースで代わる代わる通ってたんだけどね。スウェーデンとか、バルト海とか、フランスとかイギリスとかスイスとか、あとは、オーストラリアとか、スイスとか、ウクライナとか、イタリアとか、カナダとか、ルクセンブルグ、イスラエル、あと、日本にも行ったよ」
「すごいね」
「親の方針でね。それが、4歳からのことで」
「ご両親の仕事とか?」
「ううん。ただの教育方針。13カ国の学園って、全部提携グループの傘下で、それぞれ、学べることも違うからって、その学園に通う子供たちって、親の意向でそういうことさせられること多いのよ。そんで、去年、デンマークに帰ってきて、そっから、エフタスコーレっていう、なんていうのかな、専門学校みたいな感じの学校に通うことにしたの。なんだか、自分の取り柄とかがわかんなくてさ。そこって、人生に迷っている奴らが自分の生きる道を見つけるために行くような場所なのよ。あなた英語は話せる?」
「まあ、人並みには」
「なら通えるわ。一度見学にでも行ったら?」
「次の機会にね」
「それで、まあ、そこに通いながら、空港で警備員の仕事募集してたから、応募してみたわけ。なんだか好きなのよ、こういう、いろんな人が集まる空間っていうのが」
「いいね」
「あなたの仕事は?」
「ぼくは、学生だよ。観光系の専門学校にね。ホテルのレセプションになったり、通訳になったりって、そういうスキルを勉強してるんだ」
本当は、ぼくは、フリーランスのライターをやっていたが、ライターとしての収益は、月の生活費の3割ほどでしかないために、胸を張って言えるような仕事でもなかった。
ライターに加えて、ブログを書き、アドセンスやアフィリエイトやインセンティブの収益と、ホテルの清掃員のアルバイトの収入で、日々を食いつないでいた。
小学生の頃から書き続けていたブログは、年々、徐々に読者が増えており、新しく始めた二つのブログもそこそこの読者がついていたために、ブログでの収益は、十分な生活の支えになってくれていた。
電車を降りてすぐ、コペンハーゲン中央駅で電車を降りると、ぼくたちは、流れるように駅を出た。
右手には大きな公園。
チポリ公園というらしい。
テイラーは、晴れの日にベンチに座って本を読んだり音楽を聴いたり、昼寝をしたりするらしい。
少し歩くと、大きなホテルにたどり着いた。
ここが目的地らしい。
ラディソン・ブル・ロイヤル・ホテル。
広大なレセプションを抜けて連れてこられた場所は、とても、広く高級感にあふれたバーだった。
壁は、ワインレッドと白のコントラストが美しかった。
薄暗い灯り。
革張りのソファでは、高そうなスーツに身を包んだ細いフレームの資格メガネをかけた双子のサラリーマンが、グレーのカクテルを手に会話を楽しんでいた。
ぼくは、テイラーがカウンターの赤い椅子に座るのを見た。
「こっちおいでよ」テイラーは言った。
「ああ、うん」ぼくは、恐る恐る、テイラーの右側に座った。
おやおや? メニューがないぞ?
辺りをキョロキョロするぼくを見て、テイラーは小さく笑った。バーテンダーさんに指を鳴らす彼女。「すみません、こっちの紳士にメニューを持ってきてくれる?」
頭の両サイド以外の髪をすべて失ってしまったバーテンダーは、ぼくを見ると、口元を小さく笑わせ、そして、高級感あふれる黒い厚紙のメニューを差し出してきた。
ぼくは、屈辱とともにそのメニューを受け取り、そして、それを開いた途端に、飛び出してきたバネ付きのボクシンググローブに鼻柱を殴られた。
スクリュードライバーが200デンマーク・クローネ?
中に気分の良くなる薬でも入れているのかよ?
そういえば、デンマークではマリファナが合法だとかって聞いたことがある。
となると、値段的に、カクテルは全力で避けなければいけない。
ウォッカならいいかもしれない。
ピュアな味わいのウォッカなら、何か変なものを混ぜられていても、舌で触れた瞬間に気がつける。
ぼくは、静かに息を吐き、そして、すました顔とまっすぐな目で、ハゲのバーテンダーを見据えた。
「ウォッカのショットを」言いながら、メニューを彼に差し出す。
バーテンダーは、静かに頷いた。「かしこまりました」
「わたしも同じものを」とテイラー。バーテンダーににこやかな笑顔を向け、小さく頷く。バーテンダーもまた、テイラーに対して、同じような笑顔と趣向を向けた。「きっついわよ?」と、テイラー。
ぼくは肩をすくめた。「酒は強い方でね」
「いいねぇ。飲み比べする?」
「金がないんだ。ただの学生でさ」
「そう。じゃあ、飲み終わったらカジノにでも行く?」
「カジノ?」
「うん。18歳ならギリギリ入れるよ」
「こんな格好で入れるかよ」
「入れるわよ。襟付きのシャツにパンツでしょ。問題ないわ」
「一回ぐらいならいいかな」
ぼくたちは、ウォッカのショットをそれぞれ4杯ずつ決めると、席を立った。
「ここは私が払うわ」
「いや、ぼくに払わせてくれよ」と、酒に飲まれて気が大きくなっている自分に気がつくが、気づいたからといってどうなるというものでもない。ぼくは、すました顔のバーテンダーに向かって丸めた勘定書を投げつけてやりたい衝動を抑え、そして、代わりにデビットカードを差し出した。
「ありがと」
「こちらこそ」
「入場料は私が払うわ」
「いや、ぼくに払わせてくれよ」
テイラーは笑った。「ダメよ。カジノに入る時は自分で払うって決めてるの。そうじゃないとツキが逃げちゃうから」
「それなら、自分の分だけでも払うよ」
「黙ってなさい学生。私が払うっつってんの」
「君だって学生だろ」ぼくは小さく笑った。「じゃあ、頼むよ」
「そうするっての」
クロークは、ぼくのコートの下から出てきたもう一枚のコートに一瞬だけ目を丸くして、おどけるように笑った。
ぼくも笑った。
コートを脱いだぼくに残された服は、H&Mの、紺のイージーアイロンシャツ、黒のスリムパンツ、黒のスニーカー。
少しだけ涼しかった。
「完璧ね」
「ああ」
「捨てちゃえば? あの、コートの中のペラッペラのコート、ゴミみたいよ?」
「そうかな」
入場料は95デンマーク・クローネ。
テイラーは入場料を払うことなく、何かチケットを提示して、ゲートを通った。「10日券よ。毎日、仕事終わりに来るの。300クローネだけ賭けにね」
「勝率は?」
「9:1って感じかな」
「ルーレットばっかやってるんだろ?」
「大人の女はテキサス・ホールデムよ」
「ああ、あれぼくも好きだよ」
「後で行きましょう。初めは元手を稼がないとね」と、テイラーが向かう先は、ルーレットだった。
ぼくたちは300デンマーク・クローネをそれぞれチップに変えた。
始め、ぼくは赤に150を賭けた。
テイラーは、36と18の周りにチップをちりばめた。
赤の18が出た。
ぼくは300デンマーク・クローネを450に増やし、テイラーはぼくとは比べ物にならないほど多くのチップを手に入れた。
ぼくが600デンマーク・クローネを手に入れる時、テイラーは20000デンマーク・クローネを手に入れていた。
彼女の賭け方は絶妙だった。
法則は分からないが、彼女が赤に賭ければ赤が出て、黒に賭ければ黒が出る。
3分の1までの確立を、テイラーは百パーセントの確率で当てた。
彼女は数字にかける時、大穴を狙うことは滅多になかったが、彼女が1つの数字の上にチップを積み上げると、必ずその数字が出た。
神様に愛されているのだ、と思った。
ぼくは、テイラーを信じて、彼女と同じ36の数字の上に、100デンマーク・クローネを置いた。
36が出た。
信じられない気分だった。
テイラーはぼくの肩を叩いた。「勝負の前に一杯奢ってよ」
ぼくたちは、そう遠く離れていないバーカウンターに向かった。
「どうやったの?」
「何が?」
「すごくついてたじゃん」
テイラーは笑った。「あなたはもっと、ディーラーをよく見たほうがいいわ」
その時、彼女の言っていることがわかった。
ディーラーは、出る数字を操作できるのだ。
「くそっ」ぼくは笑った。「楽しいな」
テイラーは笑った。「だからやめられないの」
ぼくはスクリュードライバー2杯分の代金をチップで払った。カクテルには、ウォッカをトリプルで入れてもらった。「これはチップね」と、さらに、カウンターに置く。
「ありがとうございます」と、大人の微笑みを浮かべるバーテンダー。
「これが飲みたかったんだ」
「好きなの?」
「本当はハーヴェイ・ウォールバンガーが欲しいんだけどね」
「ハーヴェイ・ウォールバンガー?」
「スクリュードライバーの親戚だよ。知ってるバーテンダーは少ないんだけどね」
「ふうん? どんなカクテル?」
「映画の中で、注文した俳優の声が良くて、それっきり飲みたくてしょうがないんだ」
テイラーは小さく笑った。
その目は、何かを追っていた。「じゃあ、私はそろそろ本番に行ってくるから」
「そう? 頑張ってね」
テイラーは、一瞬立ち止まってぼくを見たが、すぐに、テーブルの方へ向かった。
コト、という音に視線を戻せば、ぼくの前にカクテルグラスが置かれた。
見ると、バーテンダーが微笑んでいた。
「ハーヴェイ・ウォールバンガーです」
「あ……」しっかりと話を聞かれていたらしい。「ありがとうございます。いくらですか?」
バーテンダーは首を小さく横に振った。「私の腕をご友人方に広めていただけると嬉しいです」
「ありがとう」ぼくは、オレンジ色のカクテルを一口含み、舌の上で転がした。「最高です」
バーテンダーは、満足げに頷いた。
カクテルを味わったぼくは、カウンターにチップを置いて、席を立った。
向かう先は、テキサス・ホールデム・ポーカーのテーブル。
テイラーの金色の頭は、たくさんの金髪に紛れてしまって、一見すると分からなかったが、近づいてみれば、すぐに見つけることができた。
テイラーは、大勝ちしていた。
様々な色のチップが山を作っていた。
テイラーの手元には、平たいカードまで積み重なられていた。
どうやら、ぼくはプロのギャンブラーと知り合ってしまったようだ。
現在の勝負は、テイラーとル・シッフルの一騎打ち。
テーブルの真ん中には、チップの山が置かれていた。
伏せて置かれているため、テイラーの手札は見えない。
同様に、ル・シッフルの手札も見えない。
ル・シッフルは、柔和な笑顔を浮かべていた。「こんなにワクワクするポーカーは久しぶりだよ」
「私もよ」テイラーは、同様に柔和な笑顔を浮かべた。
彼女は、オレンジ色のカクテルを一口含んだ。
テーブルには、ハートのエースが一枚とダイヤのクイーンが一枚、スペードのジャックが一枚置かれていた。
ぼくは、あまりポーカーの手札には詳しくはないが、うまくいけば、ストレートが狙える、ということぐらいは分かった。
「レイズ……」ル・シッフルは、チップを摘んだ。掴んでは、手を離し、掴んでは、手を離す。「……50000で行こうか」
「コール」テイラーは、間髪入れずに言った。「アンド、オールイン」
観客の間から、歓声が沸いた。
テイラーは、自分の手元にあるたくさんのチップやプレートを、惜しみなく、場の中央に寄せた。
ル・シッフルは、困ったように笑い、鼻の頭をこすった。「まいったな……」言葉とは裏腹に、その目は、心底楽しそうに笑っていた。「何者だ?」
テイラーはふふんと笑い、肩をすくめた。「どうするの?」
ル・シッフルは笑った。「私がどうするか?」彼は、自分の手札を見ると、少し間を置いて、テイラーよりも多いチップの山を、テーブルの中央に寄せた。「オールイン」
ディーラーを見ると、若い彼もまた、二人の手札に視線を釘付けにしていた。
「歴史に残るビッグゲームの結末、1、2の、3のコールで幕を下ろしましょうか」と、ディーラー。
観客が、声をそろえて、カウントを始めた。
乗り遅れたぼくも、スリーのカウントで、声を張り上げたが、声が裏返ってしまった。
同時にカードを見せる二人。
テイラーの役は、エースのワンペア、場のエースと合わせれば、スリーカード。
ル・シッフルの役は、ダイヤのジャックと、スペードの10、場のジャックと合わせても、ワンペアだ。
感性がぼくの鼓膜を叩いた。
テイラーとル・シッフルは、歓声の中で握手を交わした。
「気が強いお嬢さんだ」
「あなたの目は全然読めなかった」
「ご一緒にカクテルでもどうかな?」
「とっても甘いお誘いね。でも、連れがいるの」言って、テイラーはぼくを見てきた。
ル・シッフルはぼくを見ると、顔をしかめた。
何が言いたいのかはわかる。
なんだ、中国人かよ。
こんな綺麗で聡明なモデルみたいな子を金で汚しやがって。
「そんな目で見ないでほしいわ。彼は、私のトモダチよ」と、テイラーは、トモダチのところを日本語で言った。
ル・シッフルの目が和らぎ、少しばかりの動揺が見えた。
あれは、罪悪感かもしれない。
あるいは、羞恥心、あるいは、その両方かもしれない。
「いい勝負だったわ」と、ル・シッフルから手を離すテイラー。「ディーラーさん、チップを換えてくれるかしら?」おしとやかながらも芯のある強さを感じられる声で言うテイラー。
テイラーは、一番大きなチップを、場の盛り上げを頑張ってくれていた若いディーラーに渡した。
若いディーラーはテイラーにお礼を言うと、テーブルのチップを集め、コインケースに収め始めた。
しばらくすると、金額が、テイラーに耳打ちされた。
「結構」と、頷くテイラー。
「こちらへどうぞ」と、老齢のディーラーが、テイラーのそばにやってきた。
「行きましょ」と、テイラー。
ぼくは、テイラーの隣に立って、老齢のディーラーについていった。
カジノから出て、電子キーのドアをくぐり、通路を歩き、さらに分厚いドアを一つくぐると、そこには、小さな応接室があった。
豪奢なデスクと、柔らかいソファ、シャンパン、二つのグラス、そして、もう一つのドア。
テイラーがソファに腰掛けるのに続いて、ぼくもソファに腰を下ろした。
ポンッ、という高い音とともに栓が開き、シャンパンがグラスに注がれる。
「クロークのタグをいただけますか?」と、老齢のディーラー。彼は、ぼくたちのタグを受け取ると、うやうやしく一歩下がった。「しばらくお待ちください」
しばらくすると、ぼくたちの上着と荷物が届けられ、ブリーフケースに収まった大量の札束が、テイラーに届けられた。
ぼくたちは、入室に使ったドアとは別のドアから部屋を出た。
部屋を出てすぐの場所に、リムジンが停まっていた。
ぼくたちは、スモークガラスのリムジンに乗り込むと、そのまま、車に揺られてどこかへ向かった。
「よく勝てたね」
「簡単よ。彼は、演出好きなタイプに見えたから、多分、勝ち目がなくても勝負に乗ってくるタイプだろうなって思った。勝負の初めに、彼の目に浮かんだ不安がわかったの。でも、すぐに持ち直して、ハッタリを振りまき始めた。プロだとは思ったけど、でも、勝負が続くごとに、彼の目的はポーカーで勝つこと以上に、自分の羽振りの良さを周囲に見せつけることだってわかった。いいスーツ着てたしね」テイラーは、スーツのポケットから名刺を取り出した。「あとで調べてみようかしらね。いい仕事仲間になるかも。それで、私の手札にはスリーカードが揃った。彼の手には、せいぜいツーペアがいいところだって確信した。なんとなくわかるのよ。勝負の初めっから大金を賭ける奴の手に、いいカードはやってこない、これは定石」
「オーシャンズ11?」
テイラーは笑った。「あの映画のブラッド・ピットが好きなの」
「すごいね。初めっから最後までの流れが、全部頭の中に入ってるの?」
「視野が広いの」
車が停まった。
開けられたドアの向こうには、ラディソン・ブル・ロイヤル・ホテルの入り口があった。
リムジンを出たテイラーは、リムジンから出ようとするぼくを見た。「どうする?」
ぼくは動きを止めた。「何が?」
「まだ遊びたい?」テイラーは、挑発するような目をこちらに向けてきた。
ぼくは、余裕のある男を精一杯装った。「悪くないね」
テイラーは、小さく微笑んだ。
アルコールに飲まれているのかもしれない。
トリプルのウォッカが効いているのかもしれない。
そのとろんとした目が、どんな言葉でも言い表せられないほど、セクシーだった。
リムジンから降りようとするぼくの額を、テイラーが人差し指で抑えた。「今晩だけよ」
ぼくはテイラーの指を横から払い、彼女の手の平をやんわりと取った。
ベルボーイが、ぼくたちの荷物をカートに乗せた。
テイラーは、レセプションに部屋番号を伝え、カードキーを受け取り、ベルボーイに渡した。
エレベーターに乗り、向かった先は13階。
部屋は、それほど広くもなかったが、ベッドは大きかった。
テイラーは、早速、服を脱ぎ散らかしながら、バスルームに向かった。「あなた、フルネームは?」
「快土屋」
「テイラー−トリーネ−ニキータ・リュミエールよ」
「よろしく」
「よろしく。ーー」
ぼくも、服を脱ぎながら、バスルームに向かった。
いつも不思議に思う。
ぼくは、気がつけば、ぼくが気に入った女性から好かれていた。
そんなことが数多くあるわけじゃない。
でも、今までベッドを共にした女性のうちのほとんどは、ぼくが気に入った女性で、彼女たちは、ぼくの何が気に入ったのか、ぼくと共にベッドに入り、そして、一夜を共に過ごしてくれた。
何か、特別面白いコトを言ったわけでもないと思う。
魅力的な人間でいたいとは思っているので、守れるだけの礼儀やマナーやエチケットは守るように努めている。
常に、背筋を伸ばし、ゆったりとした足取りで街を歩き、鼻の柱を中心に前を見据え、そして、人と話す時は人の目を見つめて話し、人と目があった際は、ゆっくりと瞼を下ろし、ゆっくりと瞼を上げ、人と目をそらすようにしている。
でも、やっぱり、未だによくわからない。
そして、心を奪われた女性に限って、ぼくは、いつも、もたついてしまう。
そして、いつだって、彼女たちを、奪われる。