2007年01月

2007年01月25日

焼け跡のエネルギー 5 (頭や襟元に噴射器で粉をかけられ真っ白。近所が、復興していく。1947年)

焼け跡のエネルギー 5 (頭や襟元に噴射器で粉をかけられ真っ白。近所が、復興していく。1947年)

人気blogランキングへ
ボチッをよろしくお願いします。

4月、Ha小学校に戻りました。6年2組です。
新校舎で、空襲以来の友達に再会。ただ、嬉しさで一杯でした。
円の学年は空襲まで、3クラスでしたが、疎開先から帰らない友、空襲で亡くなった方などで、2クラスに減っています。担任はYa先生です。

教室が少ないので、二部制です。教室を午前の部と午後の部に分けて、教室を2クラスで使います。だから、1週間は、午前中4時間で、放課です。午後は宿題と遊びとお手伝いです。2週目は、午後4時間で、午前中は空いています。

4月、授業初日の帰り際、頭や襟元に噴射器で粉をかけられ真っ白になりました。DDTで、シラミと蚤退治のためです。それから、2・3度DDTが、かけられました。シラミが、いなくなりましたが、蚤退治に家の中にもDDTがまかれました。★(次回に解説)
焼け跡の蚤は、それから3年間ほど、夏の朝4時頃、蚤に食われて痒いので、血を吸ってお尻の膨れて、鈍くなった蚤を退治してからまた、眠りに就きました。母はもう出かけています。

円は、5年生の2学期から、学校で、分数・小数点の計算やソロバン・暗算を習いました。
円は、店の手伝いが出来るようになりました。たまに簡単なお客さんなら応対できました。

母は、朝4時に起きて、農家の注文の古着を用意して、郊外を回り、新鮮で、安い野菜を仕入れます。ついでに、古着を売りその注文を聞いたり、自家用のお米を野菜の下に隠して、持って帰ります。お米の統制がきびしく、Ji橋のたもとで警官に没収されるからです。

帰ってから、朝飯です。雑炊ではなく、ご飯に近いお粥になっていきます。
円の登校後、母は今度は、青果市場で、仕入れです。乾物・缶詰などの卸屋さんも、店を再開していて、おばわが、注文して仕入れます。

母が青果市場から帰ると、おばわは、ニートさんと大工仕事です。
円が午後から学校の時は、よくおばわのお手伝いをします。
店の壁を塗ります。おばわは、柱と柱をつなぐ貫(ぬき)に格子状に竹を縄で編み込んで下地をつくります。その上に土を、粗塗り・中塗り・上塗り(仕上げ)と塗り重ねて作られていくのですが、おばわは、中塗りまでします。円か壁泥踏みです。
トタン屋根のコールタールも塗りました。マンガにあるように、降りる所を最後に塗るのを忘れて助けて貰ったこともありました。面白い作業なので、黙々とおばわの作業を手伝っていると、向かいのKeちゃんが学校へ誘いに来ます。すぐ、足を洗って、登校です。

午前中の学校の時、2時頃、奥の家で、30分ほど家族みんな、店を開いたまま、お昼寝しました。おばわは、店を開いたままで寝て、朝4時頃に母が気づいたこともありました。貧しいけれど、おおらかな面がありました。

母の支度した夕飯が終わると、母は、おじじの火鉢の前に座ります。
母は、朝からの仕入れ先とその金額を一つ一つ報告して、おじじが、現金出納簿に付けていきます。昨夜に貰った現金の残高をおじじに渡し、明日の仕入現金を母は貰います。一円の間違いもゆるしません。店の売り上げは、戦前と同じようにおじじが、整理して、利益は、母には1円も当たりません。

このような母の姿を見ていると、「嫁」の悲しみと疑問が湧いてきます。
これが、「女も人間です」との心の叫びとなって、円の心の深淵に焼き付いていきました。母の娘を失った、苦しみを忙しさで、紛らわそうとしても出来ないことは出来ません。心の救いを求めて迷い続ける母を、円は潜在意識で感じていたようです。

それから、例の製材所の一室で、おばちゃん達と古着の売買と世間話して、母のお小遣いを稼ぎ、ストレスを発散していました。
例の製材所の一室から、すぐ、母を中心に戦後の婦人会が準備されていきます。

T家の並びの酒屋やその隣の白山さんが、その向かいの燃料屋さん、T家の向かいのKeちゃん家など、疎開先から帰って急ごしらえの家々が、建っていきました。

白山さんは3人も空襲で失って、20台の兄妹二人です。ここに町内の若者が集まり、青年団や町内の民主化が進められていきます。

このように、近所が、復興していく中で、YY叔母が幼稚園で子どもと遊んでいる姿を一目惚れされました。I幼稚園を辞め、大企業の技師の「嫁」になって行きました。家族は、5人に減りました。


blogランキングへ
ぽち━━━( ´_ゝ`)━━━ん!!









free71 at 16:43|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2007年01月20日

焼け跡のエネルギー 4   (人々は「知」に飢えていました。)

焼け跡のエネルギー4(人々は「知」に飢えていました。)

人気blogランキングへ
よろしくお願いします。

統制は、主食を除いて、殆ど解除されました。
でも、物は、不足しています。
紙も、不足。新聞は、タプライド版2ページです。
本も紙不足で、出版部数は、少ないです。

焼け跡に古本屋が、何軒もできました。
本の扉の後ろに、鉛筆で書かれた数字が、何回も、書き直してあります。
物価の上昇にスライドしています。

おじじは、本が大好きです。本屋や古本屋によく行きます。
おじじは、繁華街で、吉川英治「宮本武蔵」6巻を見つけきて、読んでいます。
私は、2巻から読み始めて、いきました。
武蔵の「ゆるしてたもれ」と欄干に掘った言葉が、印象てきでした。
Mちゃんの伯父さんは本屋の大番頭でした。円に、「マクベス」「リア王」を下さいました。その、嬉しかったこと、何回も読みました。

戦時中、本の統制・検閲で戦争賛美の本なので、読まない先から結論がわかっていました。
戦争文化以外は、排除でした。

ですので、その頃、人々は「知」に飢えていました。
T家でも、「知」に飢えていました。
だから、岩波文庫の発売日には、行列でした。

Tiちゃんの中学の兄さんは、やっとのことで、漱石2冊文庫で買ってきました。
円は、Tiちゃんと遊ばず、その本を読みおえて、ヾ(^_^)BYEです。

Se叔父・YY叔母の本は「人間」「改造」難しすぎるので、Se叔父の部屋にある田村泰次郎「肉体の門」「面白倶楽部」などなどを読みます。

おじじは、円を杖代わりにして、繁華街の本屋に行きます。
おじじは、自分の買いたい本を我慢して、円の本を買ってくれました。

2学期、班学習に代わりました。Tiちゃんが病気で長欠しました。
0月、2日間風邪で休んで、教室にくると、見慣れない絵が貼ってあります。
転校生のM・Hさんのです。円の隣に座っています。
M・Hさん、Uちゃんも本が好きなので、貸し借りして三人で、帰りの電車の中で読みっこしました。

でも、どうしてか、私は、M・Hさんと話していると、心や頭がレントゲンで見透かされる気がして、気味悪くなります。
優しい方なのに、近づき難い品?を感じた初めての友でした。「ちゃん」付けで、呼ぶことのできない友です。

M・Hさんは、電車が、雪で、2時間ほど遅れたときは、泣くUちゃんと円をお母さんのように励ました呉れました。

この、M・Hさんは、今でも円の一方的な相談相手です。

11月3日、O県の式典「日本国憲法発布」に学校から出席しました。
雨の中太陽の射す不思議な天気でした。

1月末、ゼネ・ストをやる決定が、発表されました。
日本国中の工場・鉄道・会社の労働者が、ストライキをするのです。
先生方はしません。
私達、通学者は大騒ぎです。
1/31,2/1の宿泊先の確保はできました。
しかし、G・H・Qの停止命令で、空前のゼネ・ストが中止になりました。

楽しかった、I国民学校は5年生だけ。
やはり、別れは、辛かったです。

4月から、円の母校のHa国民学校に帰ります。
Ha国民学校は4月から新しい校舎に移ります。
6年生になれば、4年時の友達の会えるのが、待ち遠しいです。



人気blogランキングへ
━━━( ´_ゝ`)━━━!!


free71 at 01:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2007年01月14日

焼け跡のエネルギー3(初めての女性選挙権・1946年)

焼け跡のエネルギー3(初めての女性選挙権・1946年)

人気blogランキングへ
よろしくお願いします。


4月から、I国民学校5年生になりました。
近くのHa国民学校が焼け跡に建つまでの間、YY叔母・Mちゃん(3年)と3人で電車に乗って、通学することになりました。
近所の同級生のTiちゃんとそのお兄さん(6年)も、YY叔母のコネで、一緒です。

O市街の全部の国民学校は、皆焼けたので、O市最大の製造会社の寄宿舎・宿泊所に、集まって、木や教壇で仕切ったにわか学校の、にわか教室で授業をしていました。徒歩30分以上で、遠いし、学校設備もありません。
I国民学校は鉄筋3階建てで、焼けてません。

円とTiちゃんは5年3組になりました。担任は、師範学校を出たてのバリバリの明るいNi先生です。(YY叔母の耳打ち)
クラスで、紹介されると、クラスメートとすぐ、融け込めるほど開放的で、さっぱりした感じです。

同じO市街から、Uちゃんも同じ電車に乗ります。
授業が終わると、円・Tiちゃん、Uちゃん、Mちゃんと電車時間が来るまでI幼稚園で遊びます。

私達が、I国民学校を電車通学し始めた頃、市内中騒がしくなっています。
4月10日総選挙が、あるそうです。女も投票できるそうです。
選挙戦の真っ最中です。
市内の電柱という電柱には、選挙ポスターが貼ってあります。
「社会党」「自由党」「進歩党」「協同党」「共産党」無所属などと書いてあります。O県では、定員6人に19人も立候補し女の人もいます。

トラックの荷台に沢山の人が乗って、選挙演説が始まり、大勢の人が群がって聞いています。熱いヤジや質問が飛び交います。何処にでもこのような風景が見られました。朝早くから、夜遅くまで多くの選挙トラックが走ります。
O県中有権者になった男女は、何処ででも、政治・選挙の話です。ラジオでは、街頭録音が大人気です。みんなが政治家です。誰もうるさいとは言いません

母に「共産党の字はいいな」というと「アカだからダメ。特高に捕まるから恐い」と言いました。
おじじは、戦後、初の総選挙で、投票所の立会人になって、ご満悦です。

古着売買のおばさんたちが、5・6人集まる例の所で、円は、聞き覚えの
「言論の自由」
「男女同権」
「サンジセイゲン」と言いますと、皆、転げ回って笑います。
おばさんたちも政治家でした。
毎日がインフレと物資不足の生活とのたたかいです。
でも、おばさんたちは逞しい。家業の利益は、姑に取られるので、内職でのお金を稼ぐようになって生活防衛をしているんですから。

夏休みになりました。
Mちゃんの亡父の母(おばあさん)が、迎えに来ました。
それからは、転校し、土、日だけ遊びにきて、T家の家族で無くなりました。

9月、材木が、返ってきたので、道路沿いに20坪の店を建てました。
中2階付きです。そこは、食品大口組合に勤めたSe叔父の部屋になりました。

おばわは、また、店の帳場に続けて、自分の大工仕事で、一部屋建て増して、自分の仕事場兼寝室にしました。通路を挟んだ向こう側にはお得意の納屋を建て増しです。

YY叔母は、幼稚園から帰宅すると、3人の同僚の悪口を母に言いい、相変わらず、
母にヒスを起こしています。
家が広くなったのに、家族は、6人に減りました。


人気blogランキングへ
━━━( ´_ゝ`)━━━!!



free71 at 01:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2007年01月05日

焼け跡のエネルギー2 (ご近所の様子)

焼け跡のエネルギー2 (ご近所の様子)

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


人気blogランキングへ
よろしくお願いします。


円は再びT家に帰れたので嬉しくってなりません。
春休みの間、焼ける前と同じように、ご近所を回ります。

T家の左隣から。
おばあさん二人が、家の井戸で焼死しました。疎開していたおじいさんが、3匹の子豚のお兄さんのような藁の家を後ろの方に建てて住んでいました。
夏頃、おじいさんの4男が復員してきました。前の方に6本の柱に屋根を付けただけの建物?を作りました。
自転車パンク修理屋です
そこにあるのは、水をいれる金たらい、軽石、接着剤、チューブ、空気入れ、
です。子どもの遊び場になりました。

その隣の本妻が、よく暴れに来ていた、文具屋を覚えておいでしょうか。
その家のおかあさんだけが、焼死して、4人の子どもたちは疎開していました。
末の女の子は、おかあさんとその旦那との婚外子でした。
その旦那は、4人姉兄弟妹のために下2部屋、上2部屋の2階建ての家を造りました。でも、姉兄が住みました。2階は勤務医の家族に貸しました。

その隣は酒屋です。kuちゃんを焼夷弾の直撃で失った家族3人は疎開したままで、焼け跡の整理だけ、してありました。
2階が髪結いのSrさんは、おかあさん、円と同じ年の女友達の二人を失って、焼け跡の整理だけ、してありました。
角の塩屋さんは、バラックを建てて、おかあさん、ニートのおにいさん、京大・医学部の学生の弟がいます。

円の右隣の製材屋の一級下の「いさおちゃん」のおかあさんが円を呼びにきました。
「いさおが円ちゃんとならお風呂にはいると言うからお願い」
小さなバラックの後ろにドラム缶のお風呂があって、おかあさんが、火をくべています。いさおちゃんと二人でドラム缶の中で、歌を歌います。

そのお隣のHaさんは、奥深い私の家に、沿ってバラックを建ててあります。
私の家の蔵とHaさんの蔵は隣り合っていて、蔵の土台を利用していました。
Haさん家の整理した焼け跡には、向かいの材木屋の皮の着いた材木が堆く積んであります。ここも遊び場です

その隣の蔵が助かったMaさんちは、蔵を利用して、2部屋ほど作って、畳の上に衣料品を売っていました。
前の空き地にに野菜が育っています。一級下の「あおちゃん」や中性のおにいさんや近所の子どもたちと衣料品屋の空き地で、よく遊びました。

棗の家の防空壕を借りていたUさんちは、おじいさんと一級上のよっちゃんとそのおにいさん、4歳のMちゃんだけ助かりました。防空壕に3年ほど頑張りました。広い空き地に野菜の緑が生き生きしています。

角の豆腐屋さんは、樵のおとうさん、高等師範の学生のYoちゃん、一級上のあっちゃんで▲型のバラックに住んでいます。あっちゃんとは、よく海水浴に行ったのですが、嫁いだ姉に貰われていきました。

真向かいの幼稚園に一緒に通った、Kちゃんちは四角い材木が積んであり、間もなく家が建つ模様です。

O材木屋の大きな製材所は1日中、製材の歯車の音が、焼け跡の復興のシンボルのように、けたたましく鳴り響いています。

8月の空襲の焼け跡から、たった、半年での、近所だけでも、目覚ましい復興ぶりです。


blogランキングへ
━━━( ´_ゝ`)━━━!!



free71 at 21:12|PermalinkComments(4)TrackBack(0)