2007年08月
2007年08月20日
復刻版;焼け跡のエネルギー 4 (人々は「知」に飢えていました。)
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よろしくお願いします。
統制は、主食を除いて、殆ど解除されました。
でも、物は、不足しています。
紙も、不足。新聞は、タプライド版2ページです。
本も紙不足で、出版部数は、少ないです。
焼け跡に古本屋が、何軒もできました。
本の扉の後ろに、鉛筆で書かれた数字が、何回も、書き直してあります。
物価の上昇にスライドしています。
おじじは、本が大好きです。本屋や古本屋によく行きます。
おじじは、繁華街で、吉川英治「宮本武蔵」6巻を見つけきて、読んでいます。
私は、2巻から読み始めて、いきました。
武蔵の「ゆるしてたもれ」と欄干に掘った言葉が、印象てきでした。
Mちゃんの伯父さんは本屋の大番頭でした。円に、「マクベス」「リア王」を下さいました。その、嬉しかったこと、何回も読みました。
戦時中、本の統制・検閲で戦争賛美の本なので、読まない先から結論がわかっていました。
戦争文化以外は、排除でした。
ですので、その頃、人々は「知」に飢えていました。
T家でも、「知」に飢えていました。
だから、岩波文庫の発売日には、行列でした。
Tiちゃんの中学の兄さんは、やっとのことで、漱石2冊文庫で買ってきました。
円は、Tiちゃんと遊ばず、その本を読みおえて、ヾ(^_^)BYEです。
Se叔父・YY叔母の本は「人間」「改造」難しすぎるので、Se叔父の部屋にある田村泰次郎「肉体の門」「面白倶楽部」などなどを読みます。
おじじは、円を杖代わりにして、繁華街の本屋に行きます。
おじじは、自分の買いたい本を我慢して、円の本を買ってくれました。
2学期、班学習に代わりました。Tiちゃんが病気で長欠しました。
0月、2日間風邪で休んで、教室にくると、見慣れない絵が貼ってあります。
転校生のM・Hさんのです。円の隣に座っています。
M・Hさん、Uちゃんも本が好きなので、貸し借りして三人で、帰りの電車の中で読みっこしました。
でも、どうしてか、私は、M・Hさんと話していると、心や頭がレントゲンで見透かされる気がして、気味悪くなります。
優しい方なのに、近づき難い品?を感じた初めての友でした。「ちゃん」付けで、呼ぶことのできない友です。
M・Hさんは、電車が、雪で、2時間ほど遅れたときは、泣くUちゃんと円をお母さんのように励ました呉れました。
この、M・Hさんは、今でも円の一方的な相談相手です。
11月3日、O県の式典「日本国憲法発布」に学校から出席しました。
雨の中太陽の射す不思議な天気でした。
1月末、ゼネ・ストをやる決定が、発表されました。
日本国中の工場・鉄道・会社の労働者が、ストライキをするのです。
先生方はしません。
私達、通学者は大騒ぎです。
1/31,2/1の宿泊先の確保はできました。
しかし、G・H・Qの停止命令で、空前のゼネ・ストが中止になりました。
楽しかった、I国民学校は5年生だけ。
やはり、別れは、辛かったです。
4月から、円の母校のHa国民学校に帰ります。
Ha国民学校は4月から新しい校舎に移ります。
6年生になれば、4年時の友達の会えるのが、待ち遠しいです。
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━━━( ´_ゝ`)━━━!!
M・Hさんは、この7月30日急逝されました。次回書きます。
2007年08月15日
復刻版=空襲警報のサイレンは止んだ(皆泣いた玉音放送・空と川は青かった)
空襲警報のサイレンは止んだ(皆泣いた玉音放送・空と川は青かった)
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よろしくお願いします。
異様な緊張と暗さが7日から日常に覆いかぶさってきました。
8月14日夜、「明日、正午に天皇陛下が国民に玉音放送されるので、ラジオのある家に集まるように」との達しがありました。
8月15日、朝からNa家に近所の人が続々集まってきたので、8畳2間の上の方に、聞き取れにくい「ナナオラ」のラジオを据えました。
皆、正座して待っていた12時です。君が代に続いて「玉音放送」が始まりました。甲高い、難しい天皇陛下(現人神)の肉声に聞き入りました。
終わったトタン「日本が負けた」すすり泣きの合唱、頭をたれ、途方に暮れた人。声なく消沈して人々は家に帰っていきました。
日本がこの戦争に敗れたのを、天皇陛下が国民に詔 書を神の声として国民に下されたのを私は知りました
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」は後で有名になりましたが、「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」で負けたのでした。
私は、姉のように軍国少女でありません。姉のように涙はありません。
だって、中尉のD叔父が、「O市が空襲に遭えば、日本は負ける」と言ったのを信じていたモノ。
それより、「もう空襲警報のサイレンに怯えなくても良いのだ」と嬉しくなったのですが、泣き声の中では黙っていました。
3時頃、母、姉、私の三人はO市のおばばのトタン小屋へ向かいます。
鉄橋を渡っていると、汽車がきたので、避難所に入りました。憲兵も一緒でした。
憲兵に「日本が負けたがけ」母はオソレズに聞きました。
彼は咎めずに黙っていました。アレ!威張らない!やっぱり。
オチャメな母のだめ押しでした。
避難所の足元から見えるJI川の流れはあくまで青く深かった。空も明るく澄んで青かった。広かった。今も、くっきりと覚えています。
おばばのトタン小屋には、トタンを集め、ムシロで器用に床を作っていました。
4人は座れます。井戸におばばの作った蓋があり、井戸水が無性に美味しかったです。
ひょうたんの形の池(泉水と言っていた)は湧水で、水をたたえています。
灯油があります。
手作りのカマド、焼けて変形したお鍋、茶碗などあり、日常生活は、恐ろしさを達観して居れば、一応出来ます。
おばばは、毎日焼け跡の片付けをしていて、地面に野菜を植えれるよう、耕してありました。
焼け跡の臭い、シビトの臭い、真っ黒な縄?、見渡す限り続く焼け跡、それでも、私は、ただ、なつかしく、おばばと居りたかったのを、思いだします。
でも、言い出せませんでした。
前に言いましたように、お寺に疎開していた他の家族が、間もなく、O市のS軍需工場の社宅に移って来るそうです。
敗戦の知らせをおばばは、D叔父からの連絡で、私達より速く知っていたようでした。
今夜から、空襲警報のサイレンがなく、ゆっくり眠れます。何年ぶり?
私は、この1945年8月15日は決して忘れないでしょう。
今度は、焼け跡から腸チウスが流行ってきました。
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<(_ _)>
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異様な緊張と暗さが7日から日常に覆いかぶさってきました。
8月14日夜、「明日、正午に天皇陛下が国民に玉音放送されるので、ラジオのある家に集まるように」との達しがありました。
8月15日、朝からNa家に近所の人が続々集まってきたので、8畳2間の上の方に、聞き取れにくい「ナナオラ」のラジオを据えました。
皆、正座して待っていた12時です。君が代に続いて「玉音放送」が始まりました。甲高い、難しい天皇陛下(現人神)の肉声に聞き入りました。
終わったトタン「日本が負けた」すすり泣きの合唱、頭をたれ、途方に暮れた人。声なく消沈して人々は家に帰っていきました。
日本がこの戦争に敗れたのを、天皇陛下が国民に詔 書を神の声として国民に下されたのを私は知りました
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」は後で有名になりましたが、「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」で負けたのでした。
私は、姉のように軍国少女でありません。姉のように涙はありません。
だって、中尉のD叔父が、「O市が空襲に遭えば、日本は負ける」と言ったのを信じていたモノ。
それより、「もう空襲警報のサイレンに怯えなくても良いのだ」と嬉しくなったのですが、泣き声の中では黙っていました。
3時頃、母、姉、私の三人はO市のおばばのトタン小屋へ向かいます。
鉄橋を渡っていると、汽車がきたので、避難所に入りました。憲兵も一緒でした。
憲兵に「日本が負けたがけ」母はオソレズに聞きました。
彼は咎めずに黙っていました。アレ!威張らない!やっぱり。
オチャメな母のだめ押しでした。
避難所の足元から見えるJI川の流れはあくまで青く深かった。空も明るく澄んで青かった。広かった。今も、くっきりと覚えています。
おばばのトタン小屋には、トタンを集め、ムシロで器用に床を作っていました。
4人は座れます。井戸におばばの作った蓋があり、井戸水が無性に美味しかったです。
ひょうたんの形の池(泉水と言っていた)は湧水で、水をたたえています。
灯油があります。
手作りのカマド、焼けて変形したお鍋、茶碗などあり、日常生活は、恐ろしさを達観して居れば、一応出来ます。
おばばは、毎日焼け跡の片付けをしていて、地面に野菜を植えれるよう、耕してありました。
焼け跡の臭い、シビトの臭い、真っ黒な縄?、見渡す限り続く焼け跡、それでも、私は、ただ、なつかしく、おばばと居りたかったのを、思いだします。
でも、言い出せませんでした。
前に言いましたように、お寺に疎開していた他の家族が、間もなく、O市のS軍需工場の社宅に移って来るそうです。
敗戦の知らせをおばばは、D叔父からの連絡で、私達より速く知っていたようでした。
今夜から、空襲警報のサイレンがなく、ゆっくり眠れます。何年ぶり?
私は、この1945年8月15日は決して忘れないでしょう。
今度は、焼け跡から腸チウスが流行ってきました。
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2007年08月08日
夫婦別姓の実現の方向が見えてきました。次の国会で「民法の改正案」参院で可決すれば
衆院で自民の夫婦別姓制議員が声をあげれば、自民の党議拘束をはずせば・・・成立するのに
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↑よろしくお願いします。
21回参議院議員選挙が7月29日に行われるのに伴い、mネットは民法改正に関する政党アンケートを行いました。
■設問1 民法改正を参議院選挙の公約に掲げているかどうかについて「掲げている」と回答したのは民主党、公明党、共産党、社民党で、「掲げていない」と回答したのは自民党と国民新党でした。
■設問2 改正すべき民法の内容について
・「改正すべき内容がない」と回答したのは自民党と国民新党でした。離婚後300日以内に出産した子を前夫の子とする民法の規定について「見直す」と回答したのが民主党、共産党、社民党で、公明党はすぐに民法の改正ではなく、救済措置の創設を主張しています。この規定の見直しについては各党が詳しく回答しています。
・「嫡出でない子の相続が嫡出子の2分の1とする条項を廃止する」と回答したのは民主党、共産党、社民党でした。
・ 「再婚禁止期間を短縮する」と回答したのは民主党、公明党で、廃止まで踏み込んだのは共産党と社民党でした。
・「選択的夫婦別姓制度を導入する」と回答したのは民主党、公明党、共産党、社民党でした。
婚姻年齢を「男女とも18歳とする」と回答したのは民主党、共産党、社民党でした。
:::設問3〜7問中略::::
≪離婚後300日規定についての各党の考え≫
【民主党】戸籍事務の特例と民法の原則の両面から見直しを検討し、実態に即した合理的な制度へと改善します。
【公明党】「離婚後300日」問題については、無戸籍の子どもたちの早期の身分安定のため、離婚前懐胎のケースを含め、議員立法での救済措置の創設を主張しています。
【共産党】法務省通達で救済されるのは、離婚後の妊娠だと証明される場合だけです。結婚が事実上破綻している場合も対象にするなど、救済枠を広げることが必要です。772条の規定の見直しは、検討を進めるべき課題だと考えています。
【社民党】民法772条に第3項を追加し「嫡出の推定が及ばない事情」による適用除外規定を設ける。
ここから夫婦別姓について書きます。 このアンケート回答から、
「選択的夫婦別姓制度を導入する」と回答したのは民主党、公明党、共産党、社民党の議員。合計は民主党109・共産党7・社民党5・公明党20、無13の半分で147とすると、公明党を除く128議員で過半数以上になります。
参院で「民法の改正案」は可決できます。問題は衆院の自民党の党議拘束だけです。自民党にも夫婦別姓に賛成の議員も多くいます。民主党にも夫婦別姓に反対の議員はいます。
1996年・2002年法務省の「民法改正案」は自民党の一部反対で国会未提出、野党の「民法改正案」7回参院提出→継続審議→廃案の流れを変えます。
私は、一日も早い選択的夫婦別姓制度を待ち望んでいます。
7月にある選択的夫婦別姓の会のワークショップに参加しました。そこでは多数が通称(旧姓)使用でした。事実婚もいます。夫婦同姓が性差別の源と考える人もいました。
障害者のAさん(通称使用)は、苦労しながら発言されました。
「私の夫は、妻の私や息子の世話をしましたし、息子を公園で遊ばせていました」。このAさんの場合、戸籍の筆頭者が夫で、世帯主はAさんです。男女平等夫婦の原点です。750条の夫婦同姓制と戸籍だけが、夫婦の平等を妨げています。
Bさんは「事実婚です。私は姓を3つ持っています。親からの姓A、最初の結婚で改姓Bです。二人の子もBです。再婚して、生まれた二人はC姓なので、C姓も使います。結婚=婚姻届ではありません。婚姻届を出せば、同一姓を強制させられます。勿体ない!簡単に自分の姓を棄ててしまわないで!!」」。Bさんも夫婦同姓制と戸籍が事実婚を選ばせています。
ここで、ワークショップに参加されていた三井マリ子さんと、参加者とのやりとりを簡単に記します。
この会の資料「民法改正に関するアンケート回答」にあるO立候補予定者の
「行き過ぎた個人主義優先という戦後の風潮の中で・・」と「家族の絆」の記載について、
三井マリ子さんから次のような意見がありました。
『別姓は「家族の絆」を弱める。個人の尊重を毛嫌いし、家族主義回帰をねらうこの思想は
標準家庭(全世帯の1/3)を基準にしている。このことこそが、世の中をおかしくしていくのかなと思う。そのパターンに合わない人は
生きにくい社会になる。今の閣僚たちの意見と大半の年配の方たちは、そうゆう日本を作りたがって
いる。これからは競争が当たり前で、弱いものいじめ(弱い無戸籍の高校生は修学旅行不参加など)、
自殺、精神の病む人とかが職場に多くなっていくのでないでしょうか』
これを受けたCさんとDさん「バック・ラッシュは標準家庭(全世帯の1/3)を基準にした
政府の家族政策から起こってきたのですね」
「家族が社会単位ではなく、一人ひとりが単位になる社会を願っています」
と締めました。
私はその明るい熱気に感動しました。
今度こそは、参院の多数議員をバックに選択的夫婦別姓制実現できないかと願います。
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21回参議院議員選挙が7月29日に行われるのに伴い、mネットは民法改正に関する政党アンケートを行いました。
■設問1 民法改正を参議院選挙の公約に掲げているかどうかについて「掲げている」と回答したのは民主党、公明党、共産党、社民党で、「掲げていない」と回答したのは自民党と国民新党でした。
■設問2 改正すべき民法の内容について
・「改正すべき内容がない」と回答したのは自民党と国民新党でした。離婚後300日以内に出産した子を前夫の子とする民法の規定について「見直す」と回答したのが民主党、共産党、社民党で、公明党はすぐに民法の改正ではなく、救済措置の創設を主張しています。この規定の見直しについては各党が詳しく回答しています。
・「嫡出でない子の相続が嫡出子の2分の1とする条項を廃止する」と回答したのは民主党、共産党、社民党でした。
・ 「再婚禁止期間を短縮する」と回答したのは民主党、公明党で、廃止まで踏み込んだのは共産党と社民党でした。
・「選択的夫婦別姓制度を導入する」と回答したのは民主党、公明党、共産党、社民党でした。
婚姻年齢を「男女とも18歳とする」と回答したのは民主党、共産党、社民党でした。
:::設問3〜7問中略::::
≪離婚後300日規定についての各党の考え≫
【民主党】戸籍事務の特例と民法の原則の両面から見直しを検討し、実態に即した合理的な制度へと改善します。
【公明党】「離婚後300日」問題については、無戸籍の子どもたちの早期の身分安定のため、離婚前懐胎のケースを含め、議員立法での救済措置の創設を主張しています。
【共産党】法務省通達で救済されるのは、離婚後の妊娠だと証明される場合だけです。結婚が事実上破綻している場合も対象にするなど、救済枠を広げることが必要です。772条の規定の見直しは、検討を進めるべき課題だと考えています。
【社民党】民法772条に第3項を追加し「嫡出の推定が及ばない事情」による適用除外規定を設ける。
ここから夫婦別姓について書きます。 このアンケート回答から、
「選択的夫婦別姓制度を導入する」と回答したのは民主党、公明党、共産党、社民党の議員。合計は民主党109・共産党7・社民党5・公明党20、無13の半分で147とすると、公明党を除く128議員で過半数以上になります。
参院で「民法の改正案」は可決できます。問題は衆院の自民党の党議拘束だけです。自民党にも夫婦別姓に賛成の議員も多くいます。民主党にも夫婦別姓に反対の議員はいます。
1996年・2002年法務省の「民法改正案」は自民党の一部反対で国会未提出、野党の「民法改正案」7回参院提出→継続審議→廃案の流れを変えます。
私は、一日も早い選択的夫婦別姓制度を待ち望んでいます。
7月にある選択的夫婦別姓の会のワークショップに参加しました。そこでは多数が通称(旧姓)使用でした。事実婚もいます。夫婦同姓が性差別の源と考える人もいました。
障害者のAさん(通称使用)は、苦労しながら発言されました。
「私の夫は、妻の私や息子の世話をしましたし、息子を公園で遊ばせていました」。このAさんの場合、戸籍の筆頭者が夫で、世帯主はAさんです。男女平等夫婦の原点です。750条の夫婦同姓制と戸籍だけが、夫婦の平等を妨げています。
Bさんは「事実婚です。私は姓を3つ持っています。親からの姓A、最初の結婚で改姓Bです。二人の子もBです。再婚して、生まれた二人はC姓なので、C姓も使います。結婚=婚姻届ではありません。婚姻届を出せば、同一姓を強制させられます。勿体ない!簡単に自分の姓を棄ててしまわないで!!」」。Bさんも夫婦同姓制と戸籍が事実婚を選ばせています。
ここで、ワークショップに参加されていた三井マリ子さんと、参加者とのやりとりを簡単に記します。
この会の資料「民法改正に関するアンケート回答」にあるO立候補予定者の
「行き過ぎた個人主義優先という戦後の風潮の中で・・」と「家族の絆」の記載について、
三井マリ子さんから次のような意見がありました。
『別姓は「家族の絆」を弱める。個人の尊重を毛嫌いし、家族主義回帰をねらうこの思想は
標準家庭(全世帯の1/3)を基準にしている。このことこそが、世の中をおかしくしていくのかなと思う。そのパターンに合わない人は
生きにくい社会になる。今の閣僚たちの意見と大半の年配の方たちは、そうゆう日本を作りたがって
いる。これからは競争が当たり前で、弱いものいじめ(弱い無戸籍の高校生は修学旅行不参加など)、
自殺、精神の病む人とかが職場に多くなっていくのでないでしょうか』
これを受けたCさんとDさん「バック・ラッシュは標準家庭(全世帯の1/3)を基準にした
政府の家族政策から起こってきたのですね」
「家族が社会単位ではなく、一人ひとりが単位になる社会を願っています」
と締めました。
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