2009年07月
2009年07月21日
戦争と夫婦別姓
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よろしくお願いします。○┓ペコリ
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仕入れのため、夜遅く帰った母は、ガランとした8畳間に、一人前の朱漆塗り高御膳で一人の夕飯を食べます。
大きな鉄鍋の底に実のない汁か少し残っていました。煮物の実は?
ただ、それを見ている私。
ただ、幼い私が母の温もりに浸っています。
それが、私の「嫁」の原風景でした。
亡父は長男で、私の生後2カ月で逝き、母は10人家族の中のただ一人の他人でた。私は成長するに従い「嫁」にならない新しい自分の生き方を模索するようになりました。途遠し。
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明治維新(1868)政府が出来ました。江戸の社会を近代国家にせねばなりません。士農工商をやめ、平民にしました。苗字をつけるよう政府が命令しましたが、苗字は普及しません。苗字の意味がわからなかったのです。
政府は明治9年 太政官指令で妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)にしました。
明治政府は「富国強兵」「殖産興業」を両輪に、天皇を中心とする中央集権国家にするため邁進しました。明治31年(1899〜1947)、明治民法が成立しました。そこで、はじめて、庶民に「家制度」が覆い被さりました。家には家長=戸主がおかれます。家人は家長に従がわねばなりません。家長を通じて戸籍が強化され、徴兵し易くなり、家は行政の末端組織になりました。国は家長=戸主を通じて人々を統治
しました。
女は嫁として夫の家(入籍)に入りました。長男の妻は嫁として、夫の両親・夫・夫の兄弟姉妹に仕え、良妻賢母・軍国の母として子どもを育て、家事全般を嫁した家風に合うよう生きねば、離縁されました。「嫁に行く」反対に「婿にいく」が結婚を意味するようになりました。
かくして、嫁で銃後の守りを固めた日本は多くの戦争をし、昭和20年(1945)日本は敗れ占領されました。
女・子どもに権利がありません。「女は三界に家無し」で相続権もありません。家に尽くすだけです。
その惨めな地位を見かねたシロタ・ゴートン・ベアテさんは日本国憲法24条「両性の平等」を入れました。
昭和22年(1947)、女を苦しめた明治憲法は廃止になって、憲法24条「両性の平等」に基づく現行民法が誕生しました。
刷急に民法の改正をしたため、明治憲法の理念が残るツギハギの条文です。
改正点?男女平等 ?夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※夫婦同姓か夫婦別姓かを巡って民法学者たちは大論争になった。女系にして、妻の姓にとの極端な意見さえでました。
※戸籍を無くして、個人身分登録票にして個人単位社会をつくろうとしたGHQに対して政府は戸籍を死守しました。戸主の代わりに家族単位社会のシンボル世帯主ができた。
?長子相続ではなく、兄弟姉妹分割相続 ?親の介護は兄弟姉妹の責任
現在、96%の妻が夫姓になっています。妻と夫は婚姻届けを出して新戸籍をつくります。でも、まだ、「嫁に行く」「婿を貰う」「戸主」「主人」などの言葉に出会うと、明治民法遺制にヒヤリ。私には、戦争の足音のように聞こえます。
欧米諸国は日本と同じでしたが、70年以降法律の改正が進み、選択的夫婦別姓で、同姓強制は日本くらいです。戦争の足音がなくなったら、すぐにでも、日本も夫婦別姓・個人単位社会になるでしょう。
夫婦別姓賛成の人は、「自分の姓(なまえ)を名乗りたいし、自分の(なまえ)で呼ばれたいだけです」「通称使用ではなく、戸籍に本名を書いて欲しい」「自分は夫の姓でも選択的夫婦別姓を認めたい」「DVの根本は加害者の被害者への所有意識で、夫婦の同姓強制はこのことに大きく加担しています」「日本のジェンダーギャップ指数世界98位。すべての分野で女性差別があります」などを訴えます。
そして、今こそ「女子差別撤廃条約選択議定書の批准」を求めましょう。
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大きな鉄鍋の底に実のない汁か少し残っていました。煮物の実は?
ただ、それを見ている私。
ただ、幼い私が母の温もりに浸っています。
それが、私の「嫁」の原風景でした。
亡父は長男で、私の生後2カ月で逝き、母は10人家族の中のただ一人の他人でた。私は成長するに従い「嫁」にならない新しい自分の生き方を模索するようになりました。途遠し。
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明治維新(1868)政府が出来ました。江戸の社会を近代国家にせねばなりません。士農工商をやめ、平民にしました。苗字をつけるよう政府が命令しましたが、苗字は普及しません。苗字の意味がわからなかったのです。
政府は明治9年 太政官指令で妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)にしました。
明治政府は「富国強兵」「殖産興業」を両輪に、天皇を中心とする中央集権国家にするため邁進しました。明治31年(1899〜1947)、明治民法が成立しました。そこで、はじめて、庶民に「家制度」が覆い被さりました。家には家長=戸主がおかれます。家人は家長に従がわねばなりません。家長を通じて戸籍が強化され、徴兵し易くなり、家は行政の末端組織になりました。国は家長=戸主を通じて人々を統治
しました。
女は嫁として夫の家(入籍)に入りました。長男の妻は嫁として、夫の両親・夫・夫の兄弟姉妹に仕え、良妻賢母・軍国の母として子どもを育て、家事全般を嫁した家風に合うよう生きねば、離縁されました。「嫁に行く」反対に「婿にいく」が結婚を意味するようになりました。
かくして、嫁で銃後の守りを固めた日本は多くの戦争をし、昭和20年(1945)日本は敗れ占領されました。
女・子どもに権利がありません。「女は三界に家無し」で相続権もありません。家に尽くすだけです。
その惨めな地位を見かねたシロタ・ゴートン・ベアテさんは日本国憲法24条「両性の平等」を入れました。
昭和22年(1947)、女を苦しめた明治憲法は廃止になって、憲法24条「両性の平等」に基づく現行民法が誕生しました。
刷急に民法の改正をしたため、明治憲法の理念が残るツギハギの条文です。
改正点?男女平等 ?夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※夫婦同姓か夫婦別姓かを巡って民法学者たちは大論争になった。女系にして、妻の姓にとの極端な意見さえでました。
※戸籍を無くして、個人身分登録票にして個人単位社会をつくろうとしたGHQに対して政府は戸籍を死守しました。戸主の代わりに家族単位社会のシンボル世帯主ができた。
?長子相続ではなく、兄弟姉妹分割相続 ?親の介護は兄弟姉妹の責任
現在、96%の妻が夫姓になっています。妻と夫は婚姻届けを出して新戸籍をつくります。でも、まだ、「嫁に行く」「婿を貰う」「戸主」「主人」などの言葉に出会うと、明治民法遺制にヒヤリ。私には、戦争の足音のように聞こえます。
欧米諸国は日本と同じでしたが、70年以降法律の改正が進み、選択的夫婦別姓で、同姓強制は日本くらいです。戦争の足音がなくなったら、すぐにでも、日本も夫婦別姓・個人単位社会になるでしょう。
夫婦別姓賛成の人は、「自分の姓(なまえ)を名乗りたいし、自分の(なまえ)で呼ばれたいだけです」「通称使用ではなく、戸籍に本名を書いて欲しい」「自分は夫の姓でも選択的夫婦別姓を認めたい」「DVの根本は加害者の被害者への所有意識で、夫婦の同姓強制はこのことに大きく加担しています」「日本のジェンダーギャップ指数世界98位。すべての分野で女性差別があります」などを訴えます。
そして、今こそ「女子差別撤廃条約選択議定書の批准」を求めましょう。
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