2014年09月

2014年09月17日

集団的自衛権について。なかにし礼さんはすぐに詩を書きました。

集団的自衛権について。
毎日新聞の求めに応じて、なかにし礼さんはすぐに詩を書きました。7月10日夕刊に載りました。


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二0一四年七月一日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない

かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう

ああ、若き友たちよ!

巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか?
国のため? 大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか

若き君たちよ!

君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいてないからだ
世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者(ひきょうもの)?そうかもしれない

しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか
怖(おそ)れるものはなにもない

愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれ出た時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命より大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない
が 殺してもいけない

だから今こそ!

もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはやならない
平和のために!

http://m.youtube.com/watch?sns=fb&v=I116mJ-5Q1Y

私は、動画を見ていて、この詩を捜していました。
書いて下さって有り難うございます。

第2次大戦の時、レジスタンス文学や芸術・映画など密かに伝わり励まし、戦後溢れ出たそれらに夢中になって、読んだ。鑑賞した私。今ご老体。
いつかきた道より原子力やITある分嶮しいかな?

なかにし礼さんに感謝します。

だから、秘密ネットと集団的自衛権反対の声は全国に広がって、いくよ。

【東京デモクラシークルー」若者たちは、戦後の民主主義を保守したいオシャレなデモ、(朝日新聞9月13日)自分たちの社会だ。そんな確信と希望拡散するのが役割と
政権批判デモの主宰高橋若木さん。いいね、広がってくださいな。・・・・・・・・           

でも。3・11以来さがしていた自分たちの社会が私自身だったんだ。だからこその命の悲鳴・笑いなんだよ。若木さん。

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free71 at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年09月03日

クラス会みんなの旧姓の名札が輝いています。

旧姓の名札が輝いています。


私は、ある高校の教師をしておりましたソウナ
今年のお盆に2つクラスある科の同窓会に招待されました。
私ともう一人の担任に名札が渡されました。
55歳の生徒たちに囲まれた私ともう一人の先生には先生冥利に尽きると思いました。


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幹事は私の事を「別姓訴訟でご活躍です」と紹介しました。

乾杯の音頭を取らされた私は、生徒の名札に目が。皆さん学生時代と同じ名前の名札でした。
私は嬉しさの泪で飲み干しました。

55歳ともなれば、人生経験が豊かになっていて、シングル、シングルマザー、離婚、事実婚、別姓婚、家庭内離婚、老人介護家族、幸セ家族、心身障害家族など人生いろいろ。

旧姓の名札が輝いていま

二人の幹事も苦労多くして、人生から色々学んでいるのでしょうか。豊かな心で、芯のあル成熟した女性と思いました。幹事さんの想いに深く感謝

あの頃、女性差別撤廃条約ができ高橋展子大使が政府調印に漕ぎつけたので、私は夫姓ではなく塚本協子先生になれるかもと話したのを覚えていたのかも。

時代が変わりました。「夫婦別姓」の言葉は、広く知られてる。


私も、あの時、教育方針を変えて、【みんなの生徒に分かる授業を】進めた第1歩の学年でした。
100点取るまで試験して、生きる自信をつけるため、私と生徒たちと泣きながら、笑い合って勉強した忘れがたい3年間を遙かな思い出として。
目の前に陽子が座っています。退学にナル生徒を夜中のタクシーに乗って、やつと卒業になった生徒です。陽子の口から【先生、ありがとう」恥ずかしそうに言われ、照れて嬉しい私。

私、高校の教師をしておりましたソウナン。
人生の尊い青春時代の生徒相手に良くやれたナ。
卒業生アルバムがあるから、それは事実。ナノ。


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