2014年12月
2014年12月28日
月の砂漠(再)
月の砂漠
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夫の母が逝って2年たった。
母は正月から脳の発作や肝性の昏睡などから意識が次第に失われていった。
ベットに横たわったまま、突然、謡や唱歌が響き出す。
私が見舞うと「月の砂漠」や「埴生の宿」などを次々と歌う。
私も楽しく唱和した。
義母にとって、女学生時代が人生で一番の華だったのだろう。
亡くなる20日程前に、昏睡状態になった。
意識がないとヘルパーさんがいったけれど、私には信じられなかった。
呼んでも、撫でても。握っても反応がなかったので、最後に耳元で「月の砂漠をはるばると・・・」と歌ってみた。
するとオー、オー、胸の中から吠えるような叫びが起こった。届いている。
見舞うごとに、「月の砂漠をはるばると・・・」オー、オーのこえ。嬉しかった。
意識不明の時でも、心に焼き付いているものは失われないことを知った。
夫の弟妹達に伝えても、「意識不明です」として見舞いは止めた。
二月末の深夜、危篤となる。
義父は必死に人工呼吸をしている。
私は、義父に言われて、耳に口をつけて「ツキノサバクヲ」「ハニューのヤドハ」の声を送った。夫は「かあちゃん かあちゃん」と呼び戻そうとする。三人に見守られて、未明、心電図は止まった。享年76歳。
最近、何となく娘と一緒に義父の前で「埴生の宿」を合唱した。
義父は涙をためて聞きいっていた。そのとき、私は、二年前のあの思いを義父とともに心に描いていた。
私は、義母の死後、義父の窶れ方が酷いので、土曜ごとに、手作りのお総菜を2年以上持っていった。
「月の砂漠」はこの時のもの。
義父は86歳で入院。夫と私の二人だけの介護。
私の69歳の暮れ、病院の1人部屋で逝去。享年94歳。
45年程の長い付き合いのなかで、心が通じ合ったのは、この義母の死後、僅か2年余であった。
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夫の母が逝って2年たった。
母は正月から脳の発作や肝性の昏睡などから意識が次第に失われていった。
ベットに横たわったまま、突然、謡や唱歌が響き出す。
私が見舞うと「月の砂漠」や「埴生の宿」などを次々と歌う。
私も楽しく唱和した。
義母にとって、女学生時代が人生で一番の華だったのだろう。
亡くなる20日程前に、昏睡状態になった。
意識がないとヘルパーさんがいったけれど、私には信じられなかった。
呼んでも、撫でても。握っても反応がなかったので、最後に耳元で「月の砂漠をはるばると・・・」と歌ってみた。
するとオー、オー、胸の中から吠えるような叫びが起こった。届いている。
見舞うごとに、「月の砂漠をはるばると・・・」オー、オーのこえ。嬉しかった。
意識不明の時でも、心に焼き付いているものは失われないことを知った。
夫の弟妹達に伝えても、「意識不明です」として見舞いは止めた。
二月末の深夜、危篤となる。
義父は必死に人工呼吸をしている。
私は、義父に言われて、耳に口をつけて「ツキノサバクヲ」「ハニューのヤドハ」の声を送った。夫は「かあちゃん かあちゃん」と呼び戻そうとする。三人に見守られて、未明、心電図は止まった。享年76歳。
最近、何となく娘と一緒に義父の前で「埴生の宿」を合唱した。
義父は涙をためて聞きいっていた。そのとき、私は、二年前のあの思いを義父とともに心に描いていた。
私は、義母の死後、義父の窶れ方が酷いので、土曜ごとに、手作りのお総菜を2年以上持っていった。
「月の砂漠」はこの時のもの。
義父は86歳で入院。夫と私の二人だけの介護。
私の69歳の暮れ、病院の1人部屋で逝去。享年94歳。
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