2017年04月

2017年04月25日

母の遺言『言葉は嬉しい金言』

母の遺言『言葉は嬉しい金言』



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私は、51歳から糖尿病に罹ってから17年、散歩と食事?で
どうにか、血糖値を正常に保ってきましたが、怪我で3年間、散歩中止。
去年2月から再開して、毎日歩き続けています。

今日も、朝の散歩をしていました。
今晩、音楽会を聴きに行くので、夫の夜のお弁当を買って、リズミカルに振っていたようです。

向こうから、知らないおばあさんが来て、笑いながら「貰うよ」と「お弁当」に手を掛けようとします。
私はオドケて除けて、二人で笑い合いました。

その、おばあさん「ごめんね」
私、「その手編み素敵!」
おばあさん、「する事無いから、沢山編んで、持ってる」
私、「それ、頂戴!」
で、笑い合いながら別れました。

今度は、そのおばあさん交差点で待ちながら、30代の男の子をからかっています。
きっと、誰かと話しかったのでしょう。
きっと、自分なりの生き方をしてきた方でしょう。

それを見ながら、私は母の遺言を想いました。
その遺言「言葉は嬉しい金言」を写します。

 『私は、20歳で結婚し、25歳で夫に先立たれました。
その時、無言の夫に「必ず二人の子は私の手で育てます。安心して下さい」
と、生後2ヶ月の娘を抱きながら、涙の中で誓いました。
 家族は義父母と小姑5人、それに私達母娘3人の合計10人でした。
小姑たちは、目まぐるしく、賑々しく、明るく、それぞれ巣立っていきました。

 終戦のとき、上の娘が逝きました。
このときは、どんなに辛かったことか、仕事で苦しみををわすれようと、3人〜8人の店員を雇って、
八百屋経営を拡大しました。毎日、多忙な日々を過ごして参りました。

光陰矢のごとし。80歳を迎えました。
平成3年2月、店を閉めました
30坪余の店は、ガランとしてたくさんのお客様もきて下さっていたのが、夢のようです。

栄枯盛衰。

寂しさが、ひしひしと私を囲みます。
天が落ちたと思う程、涙がでました。 
レジの所の机・椅子だけ残っております。

椅子に座って、お客様を待っております。
毎朝、出勤するように、朝の支度を終えると、店に出て通りかかるお客様を見ております。
毎日、何人かのお客様を見ております。
毎日、何人かのお客様が、
「おばあちゃん、おはよう」
「おばあちゃん、元気?」
「おばあちゃん、昨日見えなかったけど どうしたの?」
と、交々に声を掛けて下さいます。金言とも言いたい嬉しい言葉です。

店を辞めて4年経ちました。今は、人の温かさに浸りつつ死ぬ果報を喜んで おります。
亡き夫や娘に会えるでしょう。
ありがとうございました。』

母の何十年間の日記、まだ、私の手元にあります。

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free71 at 16:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)