2007年12月10日
「家族が社会単位ではなく、一人ひとりが単位になる社会を願っています」</b>
家族主義回帰をねらうこの思想は・・・・「戸籍筆頭者・世帯主は何故あるの?」の疑問から始めれば
人気blogランキングへ
↑よろしくお願いします。
今の民法(家族法)は、中身が男性社会の大きな塊の表面に「憲法24条、両性の平等・人間の尊厳」・ 「家制度廃止」を薄く塗ったようにできているように私は思います。民法+戸籍(二世代だけ記入の改正1947)になると、戸籍には戸籍筆頭者を書きます。大抵夫になります
住民基本台帳(1967)では、世帯主は大抵夫のなります。人々には、「家制度廃止」の為ったことはわからないようになっています。ここに性差別があります。口惜しいです。
戸籍筆頭者・世帯主は夫だけでなく、妻・夫を併記にすれば「両性の平等」になります。
一人ひとりが集まって、家族になります。
社会の最小単位は、人間の尊厳をもつ一人ひとりです。韓国のように個籍ならないでしょうか?
家族は社会の最小単位ではありません。
家族フォーラムの国民運動の一回目(2007・11・18)がいま、大会議場で行われています。私は、口惜しいです。バッシュラッシュが国民運動となっていきそう??
男女共同参画社会基本法は女性差別撤廃条約から産みだされたものです。
男女の平等ですから一人ひとりを個人として尊重して欲しい。
私は私の姓を名乗り、私の姓で呼んで欲しい。
家族が居ても居なくても、私は私です。だから、個人登録票が良いです、欲しいです。
「戸籍筆頭者・世帯主は何故あるの?」の疑問から始めれば、男女共同参画社会基本法の全国ネットワークはなお強くなります。
゜・☆:.。. .。.:♪・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・☆:.。. .。:♪
最後に、三井さんとある会のワークショップの言葉でしめます。
ある会の「民法改正に関するアンケート回答」にある参院選●●立候補予定者の
「行き過ぎた個人主義優先という戦後の風潮の中で・・」と「家族の絆」の記載について、
三井マリ子さんから次のような意見がありました。
『別姓は「家族の絆」を弱める。個人の尊重を毛嫌いし、家族主義回帰をねらうこの思想は
標準家庭(全世帯の1/3)を基準にしている。このことこそが、世の中をおかしくしていくのかなと思う。
そのパターンに合わない人は生きにくい社会になる。
今の閣僚たちの意見と大半の年配の方たちは、そうゆう日本を作りたがっている。
これからは競争が当たり前で、弱いものいじめ(弱い無戸籍の高校生は修学旅行
不参加など)、自殺、精神の病む人とかが職場に多くなっていくのでないでしょうか』
これを受けたK2さんとTさん「バック・ラッシュは標準家庭(全世帯の1/3)を基準にした
政府の家族政策から起こってきたのですね」
「家族が社会単位ではなく、一人ひとりが単位になる社会を願っています」と締めました。
今度こそは、参院の多数議員をバックに選択的夫婦別姓制実現に向けて進みましょう。
人気blogランキングへ
━━━( ´_ゝ`)━━━!!
参考;榊原富士子「女性と戸籍」明石書店。二宮周平「新版戸籍と人権」解放出版社。棚村政行「嫡出子と非嫡出子の平等化」Jurist2007・6・15NO1336。
辻村みよ子「現代家族と国家・ジェンダー 男女共同参画社会の家族像」法律時報10
2006年78巻11号
人気blogランキングへ
↑よろしくお願いします。
今の民法(家族法)は、中身が男性社会の大きな塊の表面に「憲法24条、両性の平等・人間の尊厳」・ 「家制度廃止」を薄く塗ったようにできているように私は思います。民法+戸籍(二世代だけ記入の改正1947)になると、戸籍には戸籍筆頭者を書きます。大抵夫になります
住民基本台帳(1967)では、世帯主は大抵夫のなります。人々には、「家制度廃止」の為ったことはわからないようになっています。ここに性差別があります。口惜しいです。
戸籍筆頭者・世帯主は夫だけでなく、妻・夫を併記にすれば「両性の平等」になります。
一人ひとりが集まって、家族になります。
社会の最小単位は、人間の尊厳をもつ一人ひとりです。韓国のように個籍ならないでしょうか?
家族は社会の最小単位ではありません。
家族フォーラムの国民運動の一回目(2007・11・18)がいま、大会議場で行われています。私は、口惜しいです。バッシュラッシュが国民運動となっていきそう??
男女共同参画社会基本法は女性差別撤廃条約から産みだされたものです。
男女の平等ですから一人ひとりを個人として尊重して欲しい。
私は私の姓を名乗り、私の姓で呼んで欲しい。
家族が居ても居なくても、私は私です。だから、個人登録票が良いです、欲しいです。
「戸籍筆頭者・世帯主は何故あるの?」の疑問から始めれば、男女共同参画社会基本法の全国ネットワークはなお強くなります。
゜・☆:.。. .。.:♪・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・☆:.。. .。:♪
最後に、三井さんとある会のワークショップの言葉でしめます。
ある会の「民法改正に関するアンケート回答」にある参院選●●立候補予定者の
「行き過ぎた個人主義優先という戦後の風潮の中で・・」と「家族の絆」の記載について、
三井マリ子さんから次のような意見がありました。
『別姓は「家族の絆」を弱める。個人の尊重を毛嫌いし、家族主義回帰をねらうこの思想は
標準家庭(全世帯の1/3)を基準にしている。このことこそが、世の中をおかしくしていくのかなと思う。
そのパターンに合わない人は生きにくい社会になる。
今の閣僚たちの意見と大半の年配の方たちは、そうゆう日本を作りたがっている。
これからは競争が当たり前で、弱いものいじめ(弱い無戸籍の高校生は修学旅行
不参加など)、自殺、精神の病む人とかが職場に多くなっていくのでないでしょうか』
これを受けたK2さんとTさん「バック・ラッシュは標準家庭(全世帯の1/3)を基準にした
政府の家族政策から起こってきたのですね」
「家族が社会単位ではなく、一人ひとりが単位になる社会を願っています」と締めました。
今度こそは、参院の多数議員をバックに選択的夫婦別姓制実現に向けて進みましょう。
人気blogランキングへ
━━━( ´_ゝ`)━━━!!
参考;榊原富士子「女性と戸籍」明石書店。二宮周平「新版戸籍と人権」解放出版社。棚村政行「嫡出子と非嫡出子の平等化」Jurist2007・6・15NO1336。
辻村みよ子「現代家族と国家・ジェンダー 男女共同参画社会の家族像」法律時報10
2006年78巻11号
free71 at 15:01│Comments(3)│TrackBack(0)
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by 薔薇の花束 2007年12月11日 10:17
飼い犬でさえ、家族の筆頭主を見分けますからね。結局、家族の中で一番権力がある人が、家の代表として戸籍筆頭者・世帯主になる権力構造が見えないところで成り立っている。よっぽど女性が強くならないと、献身的になっていては、犬でも差別してしまう。家族の中でもヒエラルキーがある。このヒエラルキーの中で、夫の力によって夫婦別姓を拒まれている。
「北風」ではなく、「太陽」になって、戸籍制度の上着を温かく脱がせたいものです。円さま、やさしく温かく、そして強くひるむほど、「太陽」になってみてはいかがでしょうか?ご健闘願います。戸籍の捕らえ方、考えさせられます、ありがとうございます。
2. Posted by mt 2009年12月05日 07:08
円さん。こんにちは。
古い話題へのリプライで恐縮です。
「両性が平等でなければならない。」
「一人ひとりが個人として尊重されなければならない。」
このことは正しく、間違いありません。
よって、法律において矛盾があり、変更したほうが国民の利益になるならば、法律に手を加えたほうが良いというのも理解できますし、同意できます。
ですから、「戸籍筆頭者・世帯主は夫だけでなく、妻・夫を併記する。」という具体的な変更を行うことも良いアイデアかと思います。
しかし、社会の最小単位は個人ではありません。
社会とは人間と人間のあらゆる関係を指しているため、家族(または戸籍)の最小単位を1人と考えるか、複数と考えるべきかという議論とは無関係です。
つまり社会の最小単位は2人であり、これは必ずしも家族、あるいは戸籍の最小単位と一致しないのです。
たとえば、友人関係も社会であり、2人でもそれ以上でも良いですが、1人では社会(=友人関係)とは言えません。
また、戸籍法も、あくまで日本という国家の戸籍に触れているのであって、「社会とは何か」を定義しているわけではありません。
よって、「戸籍の最小単位は、人間の尊厳をもつ一人ひとりです。」と主張されるほうが理解を得られやすいと思います。
そうでなければ、「社会」と「戸籍」という似て非なる話題を混同していると、受け取られてしまい、せっかくの主張が受け入れられなくなってしまいます。
これではとても残念です。
古い話題へのリプライで恐縮です。
「両性が平等でなければならない。」
「一人ひとりが個人として尊重されなければならない。」
このことは正しく、間違いありません。
よって、法律において矛盾があり、変更したほうが国民の利益になるならば、法律に手を加えたほうが良いというのも理解できますし、同意できます。
ですから、「戸籍筆頭者・世帯主は夫だけでなく、妻・夫を併記する。」という具体的な変更を行うことも良いアイデアかと思います。
しかし、社会の最小単位は個人ではありません。
社会とは人間と人間のあらゆる関係を指しているため、家族(または戸籍)の最小単位を1人と考えるか、複数と考えるべきかという議論とは無関係です。
つまり社会の最小単位は2人であり、これは必ずしも家族、あるいは戸籍の最小単位と一致しないのです。
たとえば、友人関係も社会であり、2人でもそれ以上でも良いですが、1人では社会(=友人関係)とは言えません。
また、戸籍法も、あくまで日本という国家の戸籍に触れているのであって、「社会とは何か」を定義しているわけではありません。
よって、「戸籍の最小単位は、人間の尊厳をもつ一人ひとりです。」と主張されるほうが理解を得られやすいと思います。
そうでなければ、「社会」と「戸籍」という似て非なる話題を混同していると、受け取られてしまい、せっかくの主張が受け入れられなくなってしまいます。
これではとても残念です。
3. Posted by 円 2009年12月05日 15:33
コメント
ありがとうございます。
ありがとうございます。