小淵沢の冷蔵庫

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朝日新聞社の誤報や、その報道、編集に関する問題がニュースとなり、文字通り「新聞沙汰」になっています。 とりとめもなく、新聞のことを書きます。
8月のある日、古い友人と夕食を共にしました。 短い時間でしたが、わたしの知らない世界でプロとして仕事をしてきた人と話すのは貴重な時間です。楽しかった。 N氏は、大きな新聞社の営業第一線で働いてきた人です。 新聞を売る立場というのは僕には知識が無かったのですが、幾つかの疑問は彼との会話で納得できましたし、彼のようにIQの高い人は、僕のつまらん話も「抽象化、一般化」できることを再確認できました。 
 
実は僕はかつて彼の所属する新聞社の記者の取材を何度も受けていて、僕が調子に乗って喋ったことが、絶妙に編集され、以前の勤務先で波紋を呼んだことがあります。 それは、記者の「意図」にそったキーワードを僕が喋り、そのことが、「紙面を構成する面積」として掲載の価値があったと判断されたのだと思います。 「あれは言い過ぎだろ」という上司。 「いいんじゃね、なんか、やってる感あるじゃん」と言うさらに上司の執行役員。 その後僕は、新聞取材にはやや慎重になりました。 別に新聞に限ったことではありませんが、「編集」という作業、テクニックが何かを伝える本質だからです。 小説、詩だって同じだと思います。 僕は、新聞を読むのが好きな方だと思います。 記事の面積。何面に配置するか。 見出し。 社説。 コラム。 双眼鏡を向けて焦点をあわせる方向と観察者(記者)の力量。 そんな事ごとが、なんとなく紙面に現れるからです。
 そのような意識で読む人にとっては、この身近な報道媒体は、貴重なものです。 それはテレビとは全く比較できない影響力だと思います。 

 前述のN氏は、「新聞業界というのは、作り上げたシステムや規制に守られながらも、まちがいなく構造不況業種なんだ。」 と言っていました。 その詳細を深く理解できるわけではありませんが、彼が言うのですから真実なのでしょう。 ただ、優秀な人材を抱えていることは確かでしょうし、報道という仕事に信念を持っている人も多いと思います。 その人達が活躍する「場」をつくる道筋を作って欲しいと思います。

 さて、今、批判されている朝日新聞。 誤報道など、どの新聞社にもありますし、朝日新聞が掲載した記事が良い意味で世論となったこともありますので、朝日バッシングが行き過ぎないことを望みます。 が、 しかし、 朝日新聞は、いままでの歩みをきちんと総括する時期だとも思います。  「大衆」という読者を定義し、『権力、強者』を被告として設定して「検事調書を書く」という体質は、どうも朝日の血肉となっているのかもしれません。 自分の立ち位置を明確にすることは報道にとって必要なことだと思います。 ただ、仮想した被告を裁く態度を自ら制御する機能を持たなくては成りません。 朝日新聞には、その自覚が他社より劣ると感じます。 かつて、アメリカ合衆国を「強者、支配者」と設定した上で、中国、ソ連に寄り添った記事を書き続けた時代を僕は知っています。 今回の問題についても、同根だという感想を抱くのは僕だけでは無いと思います。

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この10年間、さらに現行デミオの発売以降、日本の自動車メーカーのエクステリアデザインにおいてマツダのクオリティーは他メーカーを凌いでいると感じます。 もちろん好みの問題はあるでしょうが、マツダデザインは世界トップレベルにあると僕は思います。 マツダのデザインチームを率いているのは前田さんというデザイナーです。 自動車メーカーのチーフデザイナークラスは、自動車メーカー間で転職、ヘッドハンティングは当たり前ですが、前田氏は生粋のマツダのインハウスデザイナーです。 さらに驚くべきことに父親は初代RX7をデザインした元マツダのデザイン本部長・・・・   来年発売予定の新型ロードスターは量産ロードスタートップブランドの地位を不動のものとするでしょう。 すばらしいデザインだと思います。
初代ロードスターを衝動買いした僕は、おおいに悩みます。

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月初め、1日は料金が割引になる映画館が多くあります。 9月1日、久しぶりに2本連続で映画を見ました。 最初は懐かしい「シャレード」。 もうこの映画に関しては、映画の出来がどうのこうの などという無粋なことはどうでもよくて、ヘップバーンとジバンシーを見るだけです。 スキーウェア、各種のコート、とにかくカッコいい。 それだけで見る価値があります。

さて、もう一つは「ルパン三世」 実はこれがとても良かった。
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ルパン三世 : 小栗旬
次元大介  : 玉川鉄次
峰不二子  : 黒木メイサ
石川五ェ門 : 綾野剛
銭形幸一  : 浅野忠信

モンキーパンチ氏の原作のイメージが定着しているので、ほとんどの人は、「ん このキャストでだいじょうぶ?」と一瞬感じると思います。 裏切られました。 ばっちりのキャスティングで、この映画、楽しめます。 原作のイメージを残しながら、単なる「モノマネ」みたいになっていないからです。 これはおすすめ

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ネットで拡散する善意は、その趣旨も拡散し曖昧なものになるのかもしれません。 善意の拡散方法は、個人の思想と行動を起源としながらも、重要なのは 「政治的な活動」「法制度の拡充」へ繋がる道筋があるかどうかだと思います。 私たちの社会は、拡散する善意だけでは絶対に動きません。 たぶん

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明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」は貧困にあえぐ「北海道旧土人」(アイヌ民族)に対する保護を名目として作られたもので、土地、医薬品、埋葬料、授業料の供与などが定められていました。この法律は、「貧困にあえぐアイヌ民族の保護」が名目ですが、実際にはアイヌの財産を収奪し、文化帝国主義的同化政策を推進するための法的根拠として活用されました。具体的には、
・アイヌの土地の没収
・収入源である漁業・狩猟の禁止
・アイヌ固有の習慣風習の禁止
・日本語使用の義務
・日本風氏名への改名による戸籍への編入
等々が実行に移されました。
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さて、次に引用する記事は、驚くべきことに2008年のものです。当時の内閣官房長官(町村信孝)の談話。

「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」に関する内閣官房長官談話
 本日、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で決定されました。
 アイヌの人々に関しては、これまでも平成8年の「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」報告書等を踏まえ文化振興等に関する施策を推進してきたところですが、本日の国会決議でも述べられているように、我が国が近代化する過程において、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたアイヌの人々が多数に上ったという歴史的事実について、政府として改めて、これを厳粛に受け止めたいと思います。
 また政府としても、アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識の下に、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」における関連条項を参照しつつ、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組む所存であります。
 このため、官邸に、有識者の意見を伺う「有識者懇談会」を設置することを検討いたします。その中で、アイヌの人々のお話を具体的に伺いつつ、我が国の実情を踏まえながら、検討を進めて参りたいと思います。



世界各国における「先住民族の権利保護に関する法律=民族としての認定」は近年のものですが、日本のそれは、先進諸国の中で極端に遅いものでした。 民族を形成する文化、なかでもそれを象徴する「言語や宗教観」において、極めて特徴的、魅力的な価値を持つアイヌが、日本国の先住民であると認定されたのは、たった6年前なのです。

文字を持たない狩猟民族であるアイヌの精神基盤は、「アイヌ神謡」によく現れています。 カムイモシリ(神の世界)とアイヌモシリ(人の世界)が存在し、アイヌモシリには、神がさまざまな形でアイヌのために提供してくれたものが存在します。 雨、雪、植物、動物、さらには病気さえも。 そして神そのものも、姿を変えてアイヌの糧となっていると考えるのが、アイヌの世界観です。 多くの動物に「神としての名前」があるのはそのためです。 神と人が上下ではなく、並存するアニミズムの原型がここにあります。

※写真は、写真家、武蔵野美術大学非常勤講師の宇井眞紀子さんが撮影したアイヌの神事(多摩川河川敷)
※官房長官、町村信孝氏の祖父は皮肉なもので、北海道開拓に尽力した北海道酪農の父と呼ばれる町村金弥氏。
※札幌市議の金子快之(やすゆき)氏(東区選出)が「アイヌ民族なんて、いまはもういない」などと「ツイッター」に書き込んだ問題で、菅義偉官房長官は8月25日の記者会見で「極めて残念だ」などと述べ、政府がアイヌ民族政策に積極的に取り組んでいることを強調した。

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紡木たくの作品「ホットロード」が実写映画化され、公開となりました。 紡木氏の代表作は、1980年代に別冊マーガレットで発表された「机をステージに」「瞬きもせず」「ホットロード」の3作だと思います。 僕は3作ともマーガレットコミック版を所有しています。 紡木作品を語る時、当時から用いられるキーワードがあります。 それは「尾崎豊」です。  異論のある人も居るでしょうが、僕は同意しています。  「尾崎的なもの」が紡木作品の基底和音となっていると思っています。
 当時、女性のマンガ作家作品は「岐路」にあった時代だと感じています。 「少女マンガ」というジャンルの定義は明確ではありませんが、「作家が少女を読者層として想定して作ったマンガ」というのが妥当でしょう。 少女マンガというと引き合いに出される「24年組み」ですが、既にこの才能に恵まれた作家群の作品の一部は「少女マンガ」の枠組みを大きく飛び出していました。 10代の頃、萩尾望都の「11人いる」を読んだ時の衝撃は今も忘れません。 宇宙空間を舞台としたサスペンスドラマで、「11人いる」を凌駕したと言える作品はまだありません。 80年代に入ると、作風はさまざまながら、女性マンガ家の作品は、装飾的な絵柄では無くなり、読者層は広がり、作家性のようなものが強くなってきたと思います。 紡木作品もそのような潮流に位置しますが、最も象徴的だったのは80年代半ば。別冊少女コミックに連載が開始された吉田秋生の「BANANA FISH」です。 この作品は当時、ほぼ絶滅していた「不良少年ものマンガ」を、新しいアプローチで復活させた名作となりました。 同じ時期、プチフラワーでは、岡野玲子の「ファンシーダンス」の連載が始まりました。 言わずと知れた「禅寺もの」の傑作です。 
 やや乱暴な言い方ですが、80年代に形成されつつあった何かがモメンタムとなったと思います。 柴門ふみ、最近ではハガレンの荒川弘など、女性マンガ家がいきなり少年マンガ誌、青年マンガ誌でデビューすることも当たり前となりました。 



※ 恥ずかしながら、おいちゃんの当時の写真を・・・・
コミック版ホットロードの表紙は、朝焼けの鎌倉由比ヶ浜交差点です。 当時、僕は早朝、この朝焼けの交差点をバイクで右折。 西湘バイパス、伊豆スカイラインを走るのが週末の過ごし方でした。
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素数の分布、発現の理論は数学における整数論の最大の難題です。 このことに関して僕はものすごく興味があり、素数論は大好きです。 今、使用しているクルマのナンバーが偶然2357だった時には大喜び。 素数の最初の4個 2、3、5、7  そして2357も素数です。 素数の定義上、 2 以降の素数は奇数となります。 さらに、整数のバリエーションが増える以上、素数の発現確率は着実に減少します。 ところが、 整数が大きくなり、発現確率が減少していくにもかかわらず、素数は、極めて近い整数に発現することをやめません。 膨張する宇宙でも、位相空間上の稠密化があるので、 これは素数論の延長線上にあるのかもしれません。 謎です。 でも ぜったいに素数論は、私たちが知らない「神」の領域につながる「なにか」だと、僕は思います。
素数論で唯一証明されているのは「素数は無限にある」ということだけです。

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今日は台風の影響で大雨。 農園の仕事はお休みです。NHK日曜美術館で「バルテュス 5つのアトリエ」の再放送を、ちょっとくやしい思いで見ました。 今年開催されていた「バルテュス展」。 行く時間はあったのに、行かなかった事を悔やんでいます。
一人の作家の作品を集めた大規模な展覧会の魅力は、作品の量であったり、作品の変遷を確認できることですが、僕の嗜好はすこし違います。 僕にとっては「習作」「デッサン」をたくさん鑑賞できることこそが、展覧会の最大の魅力です。 このことは以前にも書きましたが、うまく説明はできません。  習作、デッサンを見ていると、完成された作品と同等か、それ以上に、作家を突き動かした「なにか」に触れられるような気分になるからかもしれません。 「バルテュス展」の作品リストに掲載されている多くの習作、デッサンを見ながら「ため息」・・・・

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呪縛 恐怖 などをこれほど感じるマンガは珍しいと思います。 「モノ」が会話をする様子は、僕が時々感じる幻想のようなものを具現化するものです。 洗濯バサミ、石鹸、枕・・・・
ヒトもモノです。

震災の後、荒野と化した地の小さな家に住む少女。 情緒的とはほど遠い乾いた感じが 痛い。 そして作者は、善悪や悲劇を語ることをまったくしない。 風景への興味だけなのかもしれない。 そのことが、むしろ 怖い現実を浮き彫りにします。 傑作だと思います。

母校がもうちょっとで甲子園というニュースにびっくり、 さらに 高校時代の知人が連絡をくれました。 ほんとうにうれしい。

1970年代に、私は小樽という北海道の都市の公立高校に入学しました。 それは、きわめて偶然というか、まったく予想しなかった事でした。 私は、金融事業の営業職に居た父のもと、平均3年という父の転勤サイクルで育ちました。 小学校三つ、中学校二つ、 そして、まぐれで、高校が一つ。 下関の中学校に在学していた私は、既に福岡の私立大学付属高校と、下関の公立高校に受験願書を出した直後でした。 父が北海道の小樽へ転勤とのこと。 小樽の教育委員会に自分で電話をして願書の締め切りが過ぎていた公立高校の受験を認めてもらいました。 下関から小樽まで受験をしに行きました。 小樽のホテルから高校へバスで向かい、教室に入ると、ストーブの煙突が詰まり、教室は煙だらけ。 やっと煙が収まって、試験が始まると、試験用紙に高校の名前を書かなくてはいけないのです。 「おたるちょうりょう」 漢字で書けないので、試験監督の佐久間という(その後お世話になる英語教師)に、「漢字で書けないので教えてください」 と言ったら、 「お前は本当にこの高校を受験しにきたのか?」 と言われました。 まあ そりゃ そうだな。

私は、入学式の前日に小樽に引っ越してきました。 そして、卒業式の3日後に札幌へ引っ越しました。 もっとも卒業式の3週間前からマグレで合格した東京の大学生活の為、既に東京に居ました。 つまり 僕はその高校に、というか、小樽には3年間しか居なかったのです。 

2年前、フェイスブックで久しぶりに出会ったK君。 彼は高校時代、あの坂道の多い町をチャリンコで走っていました。 FM北海道の設立メンバーです。 ネットで会話をしていた時、 彼は「小林って、なんかちょっと 違っていた感じがしたな・・」  と言いました。  その感じは僕にはわかりませんが、 でも もしかしたら、 その地域に「根っこが無い」 通りすがりな感じだったのではないかと今 思います。 

それでも覚えていてくれる人が居て、 なによりかけがえの無い3年間は、 友人、知人のおかげです。

中学生の頃から、今のヨレヨレおじさんになるまで、僕はラジオ番組が大好きで影響を受けた知識、音楽などは、半分はラジオ。 半分は書籍だったと思います。 最近はまっているのは、TBSラジオ。
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ひとつは、荻上チキさんの、セッション22です。 平日の22時から25時に毎日放送される番組です。 荻上さんは30代前半の「評論家」です。 この肩書きを胡散臭いと思う人は多いのですが、彼は本当の評論の役割を認識している数少ない英才だと、僕は思います。 人々が判断する材料をきちんと提示し、ペシミスティックではなく、前向きに行動するヒントを示す事が評論の役割だと認識している数少ない若手の俊才だと思います。

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もう一つの番組は、「菊地成孔の粋な夜電波」 これは、同じくTBSラジオの番組です。 金曜日の夜だけ、前述の荻上さんの番組は、24時で終了。 その後菊池さんの1時間番組がはじまります。 この50歳のおっさん、番組のプロデュース、編成、すべて自分でやっています。 ちょー マニアックでつ。 彼は極めて優秀なジャズサックス奏者なのですが、その音楽の知識の幅がはんぱない。 特に現在進行形のヒップホップ、ラップ系の若手の才能に関する情報量の多さには驚愕です。 ヒップホップ、 オールドスクール、ポップス、歌謡曲、ジャズ、クラシック、なんでもありの博識。

TBSラジオがこの二人を夜の番組にセットしたのは、素晴らしい企画だったと思います。 僕にとって聞き逃せない番組です。 共通するのは、 広範な博識と饒舌。 そして「今」を前向きに捉える態度 です。 この二人のラジオ番組は、すくなくとも僕の考え方を明るくする効果があります。 

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ブルーノートレーベルのアルバムの復刻版。  マッコイ・タイナーのピアノ、エルヴィン・ジョーンズのドラム、ボブ・クランショウのベース、そして、グラント・グリーンのギター。 ジョン・コルトレーンのサックスがグラントのギターパートを演奏した「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、数多く発売されているのですが、グラントのギターがリードする演奏は、日本では初登場。
僕は、ジャズの演奏を聞いて衝撃を受けたことがたくさんあります。 ビル・エヴァンストリオのNYヴィレッジヴァンガードライヴ、キース。ジャレットのケルンコンサートライブ、マイルス・デイビスのラウンド・ミッドナイト、・・・  最近では上原ひろみのデビューアルバム「Another Mind」 などなど。

僕のジャズの趣味は、ピアノソロとピアノトリオに偏っていて、ギタリストを良く知りません。 ジャズファンにはバカにされそうですが、ノーマークだった1964年録音のグラント・グリーンのギターに ほんとにやられた。 びっくりしました。
シングル・ノート & シングル・コイル  ステキだ。 モダンジャズなのにとってもブルース。

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恵比寿へ行く機会があり、その帰り道、東横線大倉山へ立ち寄りました。 大倉山集合住宅を見てみたかったのです。 あのSANAAの妹島和世さん設計の賃貸住宅です。ほぼ、曲面だけでできているアパートで、”A”〜”I” の9戸です。 そして、なんと I(アイ)の部屋を借りているのが本屋なのです。ユニークな古書がキッチン、リビング、ダイニング、寝室などに、「なるほど」と思わせるセレクトで並びます。 この本屋の存在は知りませんでした。また行ってみます。
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写真芸術というのは、いつもビミョーな立場に居ます。 あきらかに芸術分野であることは誰も疑いませんが、なぜ、ビミョーなのでしょうか? 大上段に振りかぶれば、前提として西欧世界の芸術・美術分野を「絵画、彫刻、建築」と、ギリシャ文明が決めてしまったという現実があります。 芸術大学、美術大学という看板を掲げる場合、「絵画、彫刻、建築」学部は必須ですが、写真はその枠組みからはちょっとズレます。 建築と同様、工学としてのテクノロジーを大前提とした「極めて有効な技術」なのに、それを表現とする論理が芸術であるという一般的な理解を得るためには「理屈とそれなりの時代的なインパクト」が必要だったからだと思います。 写真家が、観念的な芸術論を立ち上げて論争をする癖があるのは、そんな背景があるからではないでしょうか?

佐藤氏の作品は、写真というテクノロジーに「偏執的」と言えるほど忠実なものです。 「光」を取り込んで写し込む、という「写真技術」の原点にこれほど執着する人は多くはありません。 そこには観念的な芸術性というものは希薄です。 ただ、「光」を取り込むことに専念した作品群です。 長時間露光やピンホールを駆使するのは、映らないものを意識的に選別する技法ですが、しかし、一方では「映らなければならないなにか」を無意識の中から浮き上がらせる効果があります。 

スキーをする人、それも「ちょっとのめりこんだ事がある人」にとって、思い描く夢とはなんでしょう? 夢というと言い方がすこし違うかもしれません。 「これをやったらスキー仲間に一生自慢できること」 それは2つあります。

その1 CMHヘリスキー
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カナダのヘリスキーツアーですが、何度も行ける人というのは、たぶん相当お金持ちです。高額料金の高級ヘリスキーツアーです。 CMHが所有するいくつもの山岳ロッジを拠点としたヘリスキーツアーなのですが、このヘリでしか行けないような場所にあるロッジが全てホテル並の設備。 レンタルスキー用具もオリジナルの高級品。 食事も豪華。コース数、ガイドの数もこれほど充実したヘリスキーは他にありません。 連絡すればプロモーション映像の入ったDVDも送ってくれます。 アメリカのIT長者、アラブの王族などは、ロッジごと貸切にすることもあるそうです。 写真はCMHのホームページから拝借

その2 オートルート(クラシックルート) ツアー
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オートルートと言ってもクルマの道ではありません。フランス語で「高い道」という意味です。様々なルートがあるようですが、一般的にはシャモニからツェルマットへ向かう山岳スキーツアーです。 これが出来れば前述のCMHヘリツアーよりも「そうとう自慢」できます。 スキーとアルペンクライミングの知識、技術、そして体力が求められるからです。 そのため、フルコースのツアーではなく、厳しいルートをパスしたり、ヘリコプターのサポートなど「おいしいとこ取り」ツアーあるようです。とはいっても敷居の高いスキーツアーです。 一日中歩いてばかりの日もあるようです(とほほ)。  写真は、小淵沢在住の女性山岳ガイド 加藤美紀さんが、山岳スキー界のビッグネーム佐々木大輔さん達と行ったトレイニングツアーの時のものです。

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伊勢崎 賢治さんの話はいつもとてもおもしろいものです。 現在は東京外国語大学大学院の教授職にあります。専門は組織論です。 なかなか変わったキャリアの持ち主ですが、一番有名なのは、国際NGOに所属しながら、紛争当事国における武装解除にかかわる仕事の実績です。 「武装解除とは、戦争犯罪を許し逆に恩恵を与えるものなので正義感ではできない」とか、「紛争当事国への軍隊派遣にはあまり意味が無い。その国に、国を守る強い国軍をつくり、市民の為の警察力を整備することが一番有効」とか、修羅場をくぐってきた人の言葉は重い。

先日、山梨日日新聞のコラムに伊勢崎氏の発言の一部が載っていました。「中東では、一部誤解もあるが 日本は戦争をしない、武器を輸出しないというイメージがあり、日本人が言うなら、と応じてくれたことがあった」 という内容です。

以前にも書きましたが、僕は改憲論者です。 伊勢崎さんは憲法九条堅持派です。 立場は異なりますが、とにかく彼の発言には説得力があります。 彼の著書はどれも興味深いものです。

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田邊さんは、植物生理生態という分野の若い科学者です。 主に極地における植物生態研究の業績で知られています。 とても珍しいキャリアで、工学から理学、それも植物生態へ研究分野を突然変更した人です。 
科学者の中には「文章を書ける人」がとても多く存在します 。それはまあ、当たり前かもしれません。 科学は研究成果を論文で公表し、評価されなければ職業として成り立ちません。 どのような言語においても「ことば」の本質は論理的であることです。 文学が情緒やリズムに流されて成り立つことはありません。 そのような印象は極めて表層の印象であり、どのような文章も構造的な論理が骨格になくては成り立ちません。 それは「詩」という形式でも同様です。 
科学者は、職業の本質として文章の訓練を毎日行っているようなものなのでしょう。

このフォトエッセイのような本には科学的な記述がほとんどありません。 しかし、工学から理学、つまり人の為の「実用」を探求する立場から、「物事の有り様」を記述する立場へ生き方を変更した科学者の気持ちがとてもよく伝わってくる魅力的な著書でした。

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ひきつけられる大好きな気配。 まあ 気配としか言いようがありません。 僕にとっては、この五町田の神社、寺、ギャラリー、墓地は、地面に吸い寄せられるような感覚と、浮遊感が混在する不思議な、貴重な場所です。 心霊の留まる場所。 富士山麓とは異なる龍脈があります。

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今日は雨で畑仕事は休み。スキージャーナルの最新号を読むために金田一春彦記念図書館へ。
ジャーナルをぱらぱらめくり終わり、図書館端末で検索すると、昨日買いそうになった安野光雅氏の絵本「天動説の絵本 ・・・てんがうごいていたころのはなし・・・」が2冊もありました。さっそく借りて帰宅。 3度繰り返して読み返しました。 1回目に読み終えてすぐに思ったこと。 「おお、これは先般読んだ宇宙物理学者、池内了さんの”宇宙論と神”を正確に解説したすばらしい絵本だ。さすが安野さん。すごいチャレンジだ!!」 とバカみたいに感動しました。 しかし、私がバカでした。 人、神、宇宙、科学、宗教に及ぶ歴史を凝縮したすばらしい絵本は、1979年に福音館書店から発行されたものです。そして、まったく同じ課題、歴史を題材とした「宇宙論と神」は、集英社から今年出た新刊です。 つまり、池内氏の著作が安野氏の絵本を解説した本だったのです。 もちろん池内氏はそんなつもりはないでしょうが、2回目、3回目とこの本を読んで、私はそう確信せざるを得ませんでした。
 
安野氏、池内氏とも著書の中で同じ事を言っています。 「地球が丸くて、動いているということを、あたりまえの事として前もって知っている現代の人達は、今に至った過程を軽んじてはいけない。 今から見ると誤った知識、迷信、呪術、魔法、かたよった宗教的教義に見えるものも、その時代の英知が築いた真実だった。 それらを多くの犠牲を払いながら乗り越えてきて今がある。 今、私たちが”真実”として疑わない事々も、未来には全く覆っている可能性は排除できない。」
 深い知識と傑出した才能がある人というのは、「同じ表現」にたどり着くのかと、唖然といたしました。 私の行き当たりばったりの読書も、こういうことがあるので、なかなかおもしろいものです。

※余談
私が高校生のころ、北海道大学工学部に名物教授が居ました。 この教授は彼が受け持つ1年生の授業で、受講生を2つのグループに分けます。一つを「地動説班」 もう一つを「天動説班」とし、プレゼンと議論をさせます。 勝負がつかない事が多く、また天動説班が勝つこともあったそうです。 つまり、いくら理系の学生でも、常識が生まれる過程に深い知見がなければ、この課題を正確に論じることが出来ないということでしょう。 

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 1年に3回くらいは、「かならずしも必要ではない」文房具を買ってしまいます。 最近ではインターネットで購入することが多くなってしまいましたが、今回は珍しく近所のリアル店舗で購入しました。  「PAPYRUS」という小さなお店です。 なんの変哲も無いノートと、鉛筆6本セットを買いました。 鉛筆はなんと、2H、H、HB、B、2B、3Bという濃さ、硬さの違う6本セットです。 このお店、不思議に「かっこいい」品揃えです。
 安野光雅さんの「天動説の絵本」  銀座伊東屋のノートに装着できる「ペンケース」 欲しかったのですが、なんとか思いとどまりました。

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 通常、六四天安門事件と呼ばれる中華人民共和国で起きた民衆への弾圧事件から25年。 この事件に関連して私が認識できることは、三つしかありません。もちろん史実としての詳細は知りません。 
 認識している案件、まず一つは、13億人を超える人口を持つこの国の国民が、いまだに「選挙」というものを経験したことが無いということ。 二つ目は、この事件の直前から、この国は部分的に資本主義的な経済政策へ舵を取り、その政策は、さまざまな「危うさ」を抱えながらも「成功」したということ。 そして、最後は、中国共産党はこの事件のずっと以前から現在に至るまで「共産党一党体制の維持」が全てに優先するということです。 

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木田真理子さんのブノワ賞、 これは快挙! この賞の審査員はきわめてプロフェッショナルなバレー「人」であり、コンテンポラリーな感覚の人々だからです。 権威 というよりは、衆目の納得性が高い賞なのです。
 木田さん。、実はクラシックのみならず、モダンが凄いnatural born dancer ! 快挙です。

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パソコンは、僕にとってワードプロセッサーの延長でキーボードで文字入力し保存できることに意味があります。検索とか、SNSとかはあくまでも付帯機能だと感じますが、「わかったような気になる近道ツール」は、多くの人の生活を変えたと思います。
スマートフォンは、電話です。 当たり前ですが 電話なのです。 持ち歩ける電話というのは、確かに生活のスタイルを変えたような気がします。
さて、kindleですが、新しい画期的な機能があるわけではありません。 普通に「本」だからです。 でも、表紙もなく、ホコリもかぶらない、場所をとらない「本」との付き合い方には、明らかな違いがあります。 「風景」としての書棚に慣れ親しんだ僕にとって、これほど魅力的で付き合いづらいがジェットは初めてです。

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NHKの朝のドラマ、 「花子とアン」 アンとはモンゴメリの「赤毛のアン」のことです。 この小説を日本に紹介した村岡さんをモデルにしたドラマです。 村岡さん、そして「赤毛のアン」という言葉を聞いた時、思ったのは、二人の女性です。 一人は、僕のテニス仲間、村岡さんが過ごした東洋英和女学院で幼少期、10代を過ごした女性です。
もう一人は、カナダ人のミュージシャン Jessica Stuartさんです。Jessica さんは、先日 僕のfacebookのタイムラインへ書き込んでくれました。 今年も日本で演奏するみたいです。 琴を弾く「赤毛のアン」です。 また、鎌倉の民家でプライベートな演奏を聞きたいです。 あの日は大雨の中、東京から鎌倉までやっとたどり着いてすぐに演奏してくれました。

ちょっと有名になっているので、もうだめかな。

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FM・Fujiというラヂオ局、日曜日の夕方に30分の番組があります。 この番組は、ちょっと変わっています。 アマチュアのチェロ好きおじさんが、自分の好きなチェロ演奏を紹介したり、自分の演奏も電波にのせてしまうというオキラクな番組。 これがなかなか楽しい番組になっています。 まあ、番組を持つくらいですから、このおじさん、たしかにやたらとチェロに詳しい。

実は以前、僕はこのおじさんと仕事上の関係で名刺交換をしたことがあります。 もちろん先方は覚えていないでしょうが。 この人は住野公一さんと言います。  クルマが大好きなのは知っていましたが、これほどチェロ好きとは知りませんでした。 オートバックスセブンという会社の創設者です。

国民にとっての法律と、国家にとっての法律は、意味が異なります。
集団的自衛権行使は憲法解釈の変更によって可能であるというのは全く論理的ではない。
ちなみに、僕は憲法改正を否定する立場には無い。改正論議には賛成です。

しかし、それとこれとは、話がちがいます。

国民にとっての法律とは、法律に規定されている範囲、また禁止されていなければ個人の自由活動は保障されるということが大前提です。 また、自由を保証することを規定することも常です。これが個人の自由を守るということです。
しかし、国家にとっての法律、もちろん憲法がその最上位にあるものですが、これは個人にとっての法律とは意味が全くことなります。 国家は、憲法、法律に明確に規定され、手順が示された事以外、絶対に実施してはいけないというのが法体系、法治の大前提です。 禁止されていないからやっても良い、ということは国家、及びその機関には絶対認められません。

そのような、きわめて基本的な法制度に対する認識に無頓着な論議は言語道断だと思います。 きちんと憲法改正論議をすべきです。 現在の日本の法律では明確に「直接日本が継続的に侵略された場合に軍事力を行使する」ということになっているからです。 手続きを法制度化しないで解釈論議にするというのは、きわめて危険な行為です。

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私が、お手伝いをしている「八ケ岳あおぞら農園」について、ブログに全く書いていないことに気付き、一応 概要を記載いたします。 「詳しくはWebで・・・」 って言うとそこで終わってしまうので、あおぞら農園のホームページに載っていない情報もすこし書きます。
事業の柱は2つです。「野菜作りの体験の為に一定面積の土地使用を契約者(契約単価は別途定める)へ許可し、指導、機材貸し出しを行う」ということと、「収穫可能な野菜について、自ら収穫を行うことについて、対価を徴収する」ということです。 通常は、「貸し農園」と「収穫体験」と言います。
 組織体制は以下のとおりです。

暫定CEO : 正樹さん (現場の意思決定を全て行う。 スティーブ・ジョブスを敬愛しているのでこの肩書き)
営業担当取締役 : かんちゃん (接客達人の働き者)
農園長 : ちゃーちゃん (唯一の農園フル常勤 ネズミ捕り、プロジェクトマネージャーの労務管理)
プロジェクトマネージャー : 小林俊一郎 (農園長のブラッシング担当。部下は居ない)

※シャドー・コミッティー : たまえさん(COO) るみさん (CFO) 非常勤だけど、実は偉い・・

リーマンショック、東日本大震災などの影響も無く、開業以来、顧客数は常に増えています。日本経済新聞は取材に来るべきです。 尚、写真は資材の運び出しを私に指示している農園長です。

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おいちゃんは、原田美枝子のファンです。 なぜ こんなことをいまさら言うのか というのは、先日、ある人に「シュンシュンは、どんな人が好みなの? たとえば誰?」 といわれた時に、酔っ払っていたのと、ちょっとどのように回答したら受けるのかと、逡巡して上手く答えられなかったからです。 おいちゃんは、原田美枝子という女優がずーーっと大好きなのです。 最新号の婦人公論の表紙に釘付けです。 

原田さんは、僕と同い年、映画デビューは15歳。 「大地の子守唄」という映画をはじめ、彼女の出演映画をたくさん見たのは、今でも高田馬場にある早稲田松竹という映画館です。 現在はもうこのような映画館は見当たりませんが、僕が10代のころは、名画座 という新作ではない映画を2本立てで見ることが出来る映画館がたくさんありました。 早稲田松竹は、現在でも千円くらいで2本見れます。 僕が通っていたころは500円だったと思います。 僕は、同じ年の女性の演技を食い入るように見ていたものです。 原田さんが、時々テレビドラマとかに出てくると、今でもちょっとドキドキします。

※ この最新号 2014年5月7月発売の雑誌には鎌田實さんと岸谷香さんの対談も掲載されています。 母親としての岸谷さんの悩みが語られている対談ですが、それより、僕はプリプリの再結成で、5億円も稼いで、東北の震災被害者へ寄付したことが、きわめて計画的、意識的であったことに驚きました。

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ほとけは常にいませども うつつならぬぞあわれなる
人のおとせぬあかつきに ほのかに夢にみえたまふ
・・梁塵秘抄・・

後白河法皇を編者とする梁塵秘抄には、さまざまな歌がありますが、池内さんがこの書物の「枕」というか、キャッチコピーとして冒頭に持ってきた歌。 科学を志し、つきつめようとする人達にとっての「ほとけ」とは、原理や法則に例えられ、必ず「ある」という信念に支えられています。 そしてそれは、時として現れ、発見されるのですが、「よっしゃ わかった」と思った先には、さらなる謎が待ち受けていて、真実と思われた原理、法則さえ「夢」のようなものだったという事が、繰り返されているのではないか、というのが、筆者の立ち位置です。  そのような立ち位置で、天文学と宇宙論を俯瞰したのが本書です。
 近年の観測技術の高度化や理論物理的なシミュレーションによって、以前と比べればめざましく解明されつつあるような「宇宙像」、 しかし、「宇宙」をどのように認識するか、ということに人間が費やしてきた時間と道筋を振り返ると、今も「その過程」であり、「ほとけ」「神」の「たくらみ」の尻尾にさえ、まだ触れていないのかもしれないと、本書を読んで感じました。

 池内さんが、「物理学者に比べると、天文学者は真面目で謙虚」と本書の中で書いていますが、なんとなくそれはわかるような気がします。 そして、ちょっと微笑ましくも思います。 確かに空を見上げ、つぶさに観測することによって成り立つ科学を志す人は、謙虚に成らざるを得ない感じがしますよね。

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深川の雪 品川の月 吉原の花  喜多川歌麿の直筆三部作の一つ、雪が発見されたことはニュースにもなりました。 おいちゃんは、ミーハーのアート愛好家なので、見に行かざるを得ません。 っていうか、岡田さんのブレインは、誰なのかはわかりませんが、マニアックな感じが 好きです。 雪を買って修復するということと、土偶の関連はまったくわかりませんが、 成金的でステキ。 お金持ちは美術館を作るべし。 と思わせる今日この頃です。

久しぶりの箱根は、パチスロバンザイ という結論でした。

金融政策というのは、通貨量の調整が「出来る」 という前提ですが、それはもはや幻想であることを誰もが知っています。 というか気付いていても、あえて語らないというのが正しいかもしれません。
かつては金利が、歯止めであり、為替に反映される貨幣の「強さ、弱さ」が有効でしたが、それがなくなりつつあるからです。 今、金融論というのが「学問」の分野なのかどうかさえ、とても疑問です。
金融政策を担う中央銀行のフォワードガイダンスを「金融政策」かのように語る専門家の解説が空虚すぎて、笑えます。 「システム」が崩壊しているのに、誰がどのようなメッセージを発するのかというフォワードガイダンスに焦点を当てて、もっともらしく言う人は、逃げ道のない袋小路で、シッポを太くしながらも強がっている猫みたいです。

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小学校6年生と中学校3年生を対象に「全国学力テスト」 正式には「全国学力・学習状況調査」が実施され、今回から学校毎の順位などが公表できるようになった、というニュースがたくさん報道されています。 公表するかどうかは各市町村の教育委員会の判断に委ねられています。 公表すべきだ、いや弊害もあるので慎重に、 などなど ニュースの論点はそのことに集中しています。 僕はこの報道を聞くにつけ、見るにつけ、「非常に釈然としないモヤモヤ気分」になります。 そこで、昨年度の調査結果資料をきちんと読んでみることにしました。 全ては読んでいませんが、半分くらいは目を通したと思います。 なかなか時間がかかりました。 学校名を含む情報は見れませんが、ほとんどはネット上で閲覧できます。
この調査は「教科に関する調査」と「質問紙調査」に分かれています。 前者が学力テスト、後者は、学習に対する関心、意欲、態度などに関して、学校と生徒に対して行われる質問形式のアンケートのようなものです。 調査結果は、それぞれの調査項目についての集計、順位づけはもちろん、クロス分析、時系列分析、さらには、「特徴のある結果が得られた学校の個別事例集」に及びます。 クロス分析というのは、複数の調査項目についてそれらの相関を分析することですが、これは特に興味深いものです。 僕は教育の現場を知りませんし子供もいませんが、これらの膨大な調査分析や個別事例集を見ると、この調査の目的である「教育レベルの底上げ」に対し充分に活用できる貴重なものであることが一目瞭然です。 なぜ、このような貴重な調査分析とその「活用」という視点でニュース報道が行われないのか? というのが、 冒頭に書いた僕の「釈然としないモヤモヤ」だとわかりました。 個人的には、学校の順位公表にどのような弊害があるのか、よくわかりません。 そんなことはどうでもよいことだと思ってしまいます。

最後に、印象にのこった調査結果を3つ。 重要というわけではなく、あくまでも個人的に目にとまったもの。
〇学科テストの成績では、秋田県が極めて良く。 沖縄県がとても悪い。
〇平日の学校以外の学習時間(塾、家庭教師含む)では、小学生で6割、中学生で7割が1時間以上。小学生、中学生とも、2時間以上と答えた人が3割 !! 僕は小学生、中学生時代、授業以外では宿題しかしたことがありません。 平日の平均だと、たぶん5分か10分くらいだと記憶しています。
〇小学生、中学生とも5割の人がまったく新聞を読まない。 僕はスポーツ欄や大きな見出しは読んでいたような記憶があります。

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Maneuvre とも表記するこの言葉。 本当の語源はよくわかりません。  僕が持っている辞書には、a planned movement of troops(soldiers) or warships, esp. a change of position in order to gain an advantage.

とあります。 先日、YouTube で宇宙ステーションのドッキング映像を見ていた時、この言葉が出てきました。 「おーー なんか 久しぶりに聞いたぞ・・」 と思いました。 僕は英語などできないのですが、妙なことを覚えている場合があります。 この単語を覚えていたのです。 サーフィンのコンテストを20年くらい前に見ていた時、コンテストのDJが「マヌーバ」と叫んでいたのです。 どうも 選手の演技、コース取り、構成などを「マヌーバ」ということだと、なんとなく判りました。  でも、辞書的には、軍事用語です。 つまり「機動戦士ガンダム」の「機動」をさす用語です。 どうしてサーフィンにだけこの用語が使われるのでしょうか。 
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ネットで調べるとこのような説明もあります。
”Skilled movement or procedure”  これなら納得です。 スポーツでも使えます。 でも スキーやフィギュアスケート、アメリカンフットボールでもマヌーバとは言いません。 戦略的ながら、機敏な判断による効果的な動きという解釈なら、スポーツ用語になってもよいのでしょうが、なぜ、サーフィンだけこの言葉を使うのかは謎です。

でも、とにかく この言葉の「響き」が大好きです。

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中央高速道路 小淵沢インターのすぐ近く、ほとんど人が入っていかない路地を数分歩いたところに八ケ岳山麓では珍しい巨木があります。 真夏の観光シーズンでも人はまばらです。 500年前に神社のご神木として植えられたと伝わる樅の木です。神社はとっくにありません。 幹の周囲は6メートル、高さ50メートル、 そんな巨木は八ケ岳山麓にはありません。 この地域は、少し土を掘れば、大きな石、岩だらけで木の根が深く延びることができません。したがって巨木が出来ないのです。  大きくなると風などで倒れてしまいます。 そのような環境の中でこの樅の木は、どうしてこんなに大きくなったのでしょうか? この巨木のすぐ下には湧水があり、この付近は小さな湿地のようになっています。 樅の木は、この環境で上手く根を伸ばすことが出来たのでしょう。 

山本周五郎さんの傑作小説の題名 ぱくりました。

※ ちょっと大きさがわからないと思います。 ちなみにこの樅の木の周辺にある唐松が写真に写っていますが、それらの木の後ろに僕は完全に隠れることができます。 そのくらいこの樅の木は巨大です。

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冨永直樹氏の展覧会が茅野市美術館で開催されています。 これは必見だと思います。 これだけ代表作を集めた展示は今後あまりできないかもしれません。 ほとんどの作品は長崎県美術館や個人所蔵のもので、まさか茅野で見ることが出来るとは思ってもいませんでした。長崎県美術館の学芸員、野中氏の解説、お話もきわめて興味深いものでした。 シャープでシンプルな造形と知的な印象を残す彼の作品ながら、ユーモラスとも言える猫のブロンズ像がこんなにあるとは思いませんでした。 奥様の実家の人々が猫好きで、その影響で孫に猫を買い与えたり、自分でも飼っていたようです。 
彼のブロンズ像は、メッセージ性が強く、公共の場に設置されているものも多いのですが、僕は、頭部の小品や身近に居る動物を題材にしたものに親近感があります。 もちろん大作の迫力ははんぱなものではありません。

さて彼の作品で最も知られているのは、これです。
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沖電気の工業意匠部門に在籍していた時の作品「国産4号電話機」です。 アメリカの会社と熾烈なコンペの結果、当時の逓信省に採用された富永氏のデザインです。

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1990年代に、僕はアトリエ・エレマン・プレザンに通う人の絵に衝撃を受けました。 
ワシリー・カンディンスキーや、ジャクソン・ポロックは、芸術作品を「作為」から遠ざける努力を、「作為的」におこないました。 それはとても画期的な業績で、彼らの作品はとても大好きです。  ところが、エレマンのアトリエにおけるダウン症の人達の作品を見て、 なにかが弾けたのを覚えています。 

僕は今でも芸術は職人のものだと思っています。というか思いたいと考えています。 安定した技術の上に芸術があるという思い込みです。 ただ 今日、図書館から借りてきた「おしゃべりな絵日記」を見ていると、 その思い込みは、 間違いであったと思わざるを得ません。

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私のブログは15年以上続いているのですが、過去、2, 3回書いたことをシツコクまた書いてしまいます。 新聞のスポーツ欄で最もレベルが高い記事を掲載しているのは、日本経済新聞です。 さらに言えば、サッカー関連記事に関しては、本当にいつも感心させられます。 ザッケローニ氏がレベルの高いメディアの論評が、サッカーには必要な要素だと言ったことがありますが、それを体現しているのは日本経済新聞だけだと私は思っています。

吉田さん、阿刀田さん、武智さん、など 執筆陣のレベルはスポーツ記者、サッカーファンというレベルを超えて、サッカーという文化と社会のかかわり、 クラブスポーツの意義、 ホイジンガーの著作にも通じる人間と遊びの本質的な考察にも及びます。  

日本経済新聞のワールドカップサッカー記事に関するアプリが無料で提供されています。 さて 今年も日本経済新聞に期待します。

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外国人力士の日本語が流暢なことは、もはや自明のことで、あまり話題にもなりません。 力士の日本語が上手な理由には、定番となっている説明があります。 まず、外国人といえども、相撲の世界に入るということは、「弟子」として若い年齢で入門することになります。 日本語しか通用しない世界、さらに組織の一番下っ端からの生活ですから、日本語が出来なければやっていけません。 当然、日本語は上達する。 という説明です。 確かに、外国人サッカー選手、外国人野球選手は、既にその世界では実績のある人ばかりです。 通訳もつけば、そのスポーツで使用する言葉は、日本でも通用します。 チャンコの材料を買いに行ったり、先輩や親方の世話をしたりする必要はありません。 でも、それにしても自然で流暢な日本語、と感じる理由としては、すこし説明が足りない気がします。

力士の日本語が日本語らしいと感じる大きな理由は、上位者、下位者、友人、後援者、マスコミなどに対して言い方を使い分けられるからだと思います。 尊敬語、丁寧な言い方、くだけた表現、、仲間内の話し方、などなどは、単に日本語が上手というだけではなく、組織、社会の中でこまかい日本語の言い回し、ニュアンスを使い分けられるということです。 これは、弟子として入門し、その世界で生きのこってきたからこそのスキルなのかもしれません。

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漫才コンビ 品川庄司の品川ヒロシさんの映画3作目。 漫才、コント、喜劇など お笑いの世界で活躍する人の中に「映像作品」を作る才能に長けた人が多いのはなぜなのか、時々考えますが、理由はわかりません。 古くはチャップリン、今では北野武。 国内海外を問わず例を挙げればきりがありません。 品川ヒロシさんもそんな一人に将来数えられるかもしれない、と思わせる作品でした。 あえて言えば、「笑い」を作るセンスは、「状況」を切り取り、設定するセンスだと思います。 おもしろい事、をやるのではなく、おもしろい状況を演じる感覚です。 それが映像表現に通じるのかもしれません。

映画冒頭シーンから釘付けでした、川崎のキャバクラで→Pia-no-jaC←の演奏。


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毎年、秀作が並ぶ写真展。 公募展ながら海外からの作品も多く、とても楽しいものです。 10年くらい前と選考された作品を比較すると、作家性 というかアートとしての作為的な表現方法をとった作品が極端に減ってきたと思います。 大雑把に言ってしまえば、リアリズム回帰なのですが、こじんまりしてきた感もあります。 とは言ってもいつも楽しい展示。 これからも長く続いて欲しいものです。

冤罪事件の悲劇的視点は、もちろん、冤罪の被害者に向けられるわけですが、 ほんとうの悲劇、本質的な問題の多くは、(もちろん冤罪被害者を軽んじるつもりはまったくありません) 冤罪によって、本当の犯罪人を摘発する行為が停止し、そのこと、つまり真相解明を後追いで実施することは不可能で、結果として真実に迫る可能性を閉ざしたことにあります。 
被害者や、その家族に「救い」がないことが、冤罪事件の本当の悲劇だと思います。

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原作の角野さん、監督の清水さん、この映画に係ったたくさんの人達には、ちょっとごめんなさい。期待していなかったのです。
 児童文学として発表された角野さんの作品はジブリ作品として脚光を浴びました。それを、あえて原作に近づけて、実写化するというのは勇気が必要だったと思います。

申し訳ありません。 本日、本屋に行ったり、床屋に行ったり、CDを買ったりしたついでに、まったく期待せずにこの映画を見ました。 瀬戸内海の島でロケを行った「魔女宅」は、まったく期待していなかったのに、おいちゃん、けっこう感動しました。 お勧めです。 とてもよい映画です。 

http://www.majotaku.jp/

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物事に対して、不満を表明したり、個人的な見解から憤り、批判をする事の多くは、実際にはあまり前向きな行いではありません。 自分が新たな行動を起こし、何かを変えることが最も効果的なやり方です。 
 僕は3.11の震災に際して、新たな行動を起こしませんでした。 しかしその時、憤りを感じた事がありました。 それは僕の生き方に関わることなので、再度言わなければならないと思います。 震災の時、スキー場も震度5でした。 横浜の母親とも連絡が取れず、不安でした。 また東北に居る友人の安否もまったくわからない状態でした。 
 山梨県の停電状態も一日続き、スキー場の営業はもちろんできません。 さて、電源が復旧し、スキー場が営業を開始した直後から、「こんな時期に、なぜスキー場を営業するのか? 自粛すべきではないか」という電話や、営業自粛を声高に主張する人々がたくさん出現しました。 そのような主張の前提にあるのは、「無知」です。「無知」とは簡単に言うと「バカ」だと言うことです。 
 さて、 スキーをすることを「自粛すべき」と主張する人にとって、震災の為にすべきこととはなんだったのでしょう。そして彼ら、彼女らはなにをしたのでしょう? それはわかりません。 ただ、その人達は、柔道や剣道の練習をする子供達に、練習を「自粛しろ」と言わなかったと思います。 たぶん。 ウィンタースポーツは、「享楽的な贅沢な遊びである」という大前提のもとに、「ちゃらちゃらあそんでるじゃねーよ」と彼ら、彼女らは言ったのだと思います。 

 僕はあっけにとられました。 そして憤りを隠せませんでした。 大きな震災、災害の際に重要なのは、たぶん、支援と、そして直接的に支援活動を行えない人が営む普段の生活、仕事を継続することです。 スキー場を営業することもその一つです。 スキーを楽しむ大人、練習を日常としている子供たちもたくさん居ます。 レジャーとして年に1度のスキーを楽しむ人も居ます。 その全ての人達の日常と、それに纏わる産業によって生活している人達が居ます。 大きな震災の復興にはたくさんのお金が必要です。それは税金です。 税金の徴収を継続することは、人々の日常生活とそれに関わる企業活動の継続が大前提です。 「自粛」を声高に叫んでいた人達は、なにを自粛したのでしょうか? 喪に服して国民が半年自粛した場合、この国の経済は破綻します。 くどいようですが、彼らは「自粛」を実践して震災復興に貢献したのでしょうか? 

 私が所属するスキースクールの校長は、自分のトラックに食料や燃料を積み込んで被災地に向かっていました。 僕は普段通り、子供たちのレッスンをしていました。 子供達にとって初めて体験した大地震について、その後の幼稚園や小学校での様子をレッスンをしながら子供達はリアルに話してくれました。 

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牧野富太郎氏は高知の生んだ異才の植物学者です。 彼の著作は著作権が既に切れているので、青空文庫や高知県立牧野植物園のホームページで無料で購読できます。 彼の文章は、ことさら魅力的とは言えませんが、植物に対する愛情と卓越した画力で、読む者をひきつけます。 今日は一日パソコンの画面で読んでいました。

さて、弥生です。 「木草弥や生ひ(きくさいやおい)」の月。 やっと草木が茂る月という美しい日本語です。

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遅ればせながら、百田尚樹氏のベストセラー小説「海賊とよばれた男」を読了しました。おもしろかったです。
出光興産と言えば、創業者出光佐三のキャラクター、武勇伝、日章丸事件、独特の社風などが話題になります。今でこそ、株式を上場しましたが、それは2007年のことでした。 僕は、いろいろな企業の方々にお世話になりましたが、出光興産もその一つです。

小説とは関係ありませんが、出光興産にはもう一つ、とても大きな特徴があります。 世界中の石油元売会社が、石油燃料の販売から事業を開始した歴史を持ちますが、唯一、出光興産は潤滑油の販売からはじめました。その影響もあると思うのですが、潤滑油の開発力、取得特許は群を抜いています。 自動車メーカーや、産業機械メーカーなどが新しいメカニズムを開発する場合、メカと相性がよく、高性能な潤滑油を探したり、時には新たな潤滑油を開発しなくてはなりません。 まず、最初に話をもちかけ、開発のパートナー候補にあがるのが「出光興産」です。小説には出てこない、もうひとつの出光の顔です。

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昨年、ナショナルジオグラフィックに「世界一の豪雪国」という特集がありました。 防災科学研究所・雪氷防災研究センター(長岡)の佐藤氏を取材したものです。 この研究所は、雪崩れ災害などがあると、すぐに現地調査へ入り、膨大なデータの蓄積があるところです。 「豪雪」の定義は、「積雪積算値が50メートル以上」というものです。 これは、積雪量を毎日測り合計したものです。 つまり、50センチの積雪が100日間あると「50メートル」となります。 そんな地域が国土の半分を占める国は日本だけです。 さらにその地域にけっこうたくさんの人が住んでいるというのは非常に特殊だそうです。 

雪氷防災研究センターの専門分野ではないでしょうが、今、予期せぬ豪雪で、こうして雪に閉じ込められていると、なんとなく考えることがあります。  300年、400年以上前、この国において、冬は「休戦期間」を意味していました。 人々は「保存食」と「備蓄燃料」で冬をやりすごすしかなかったはずです。 僕のように、物流に頼ってのほほんと過ごしている人はいませんでした。 
 さて、そろそろ食料が尽きます。            

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僕は、とにかくどんなスポーツでも見て楽しむことが大好きです。見ていて「つまらない」と思ったスポーツはいままでありません。 当然オリンピックなど大好きです。 そして、冬季オリンピックにはスポーツ観戦に加えて大きな楽しみがあります。 主に、開会式、レセプションなどで着用される各国選手団のユニフォームを見ることです。 フランス、カナダなどは、いつもカッコいいのですが、今大会では、圧倒的にアメリカがいいです。 コート、セーター、帽子、パンツなどラルフローレンが手がけたアイテムが、超かっこいい。 それと比べて・・・・ わが国の・・・・ とほほ

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ラウンドアバウトというのは、ロータリー形状の信号の無い交差点システムのことです。 このシステムの起源は古いのですが、現在の道路設計に活かされるようになったのは、まだ50年くらいかもしれません。 ロータリー内を走行する車両が「優先権」を持つ、という事だけが「ルール」です。 これは極めてシンプルですが、合理的な交差点の車両交通システムだと思います。 信号のある交差点よりも事故が少ないという統計数値もあるそうです。 「停止」を強制的に指示するシステムは、人間の判断能力を阻害する可能性が高いと思います。 ルールに従わない人を「想定」しない傾向があるからです。 ラウンドアバウトは、ルールを規定しても、それに従わない人を想定する余地を残しているので、結果として自律的な制御を促進するのだと思います。 信号交差点と比較して重大事故の減少が立証されています。 それともう一つ、決定的なメリットがあります。 停電による交通の混乱が回避できることです。

ルールが決められていないように見えるジャズセッションだってラウンドアバウトです。 ロータリーを運行している人が優先。 そこに入る人は、タイミングを判断し、ロータリーを出る人の判断にも「調和」が求められるからです。

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ニュルブルクリンク24時間レースには多くのカテゴリーがあり、個人の趣味、企業のPR、クルマのテスト、等々いろいろな思惑でたくさんのチームが参加します。 時価総額日本一の大企業を率いるオッサンもドライバーとして参戦しています。 豊田章男さんです。 リーマンショックを乗り越え2兆4000億円という過去最高の営業利益をたたき出した企業のトップにしてレーシングドライバー。

私がビジネスの世界に身を置いていた頃、幸運にも多くの知己を得ることが出来ました。 中でも、トヨタ自動車の社員のみなさんからは、多くの情報、示唆を得たと思っています。 その詳細をここで紹介するわけにはいきませんが、確かに、そこには2兆4000億円の利益を得るための「なにか」があったような気がします。

トヨタ自動車という会社は不思議な会社です。 歴代社長の半数が「豊田一族」なのに、「一族経営」と言われることがありません。 なにかを始める時、そんなに「決断が早い」わけではありません。 ただ、それを「やり続ける」かどうかの判断と、「やめてしまう」という判断は、めっぽう早いのです。 グループ、系列を崩さない経営姿勢を貫いていますが、「もたれ合い、甘え」がはびこることがありません。 どのような企業にも例外なく危機を乗り越えてきた歴史があります。 ただ、陳腐な言い方ですが、それらの経験を自身の血肉にできるかどうかは、企業の人格にかかわる問題なのかもしれません。

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「湾岸ミッドナイト」を読みかえしました。 楠みちはる という土佐の漫画家は異端です。 けして絵が上手いわけではなく、テーマも狭い範囲です。 でも、僕は彼のマンガが大好きです。 湾岸ミッドナイトというマンガは、無謀に首都高を走る「悪魔のZ」と「ブラックバード」の対決が中心テーマです。 日産製の古いスポーツカーと同じく古いポルシェのチューンドカー対決という単純な物語なのですが、けっこうこれが「深い」のです。 まず 経済環境とチューンド、という世界の関係。 クルマという工業製品が人に与える快楽のインパクト。 アスリートとしての肉体的な秀逸さとは異なるドライビングセンスのありかた。 クルマビジネスにかかわる人達の泥臭い実像。 深くかかわった世界なので、しみじみ します。

R32 GTR を走らせるレイナという女性は、アウディクワトロを駆ってWRCで活躍したミシェル・ムートンを思い出させます。  クルマのメカニズムを全く知らず、 走る感性だけでクルマを操る人というのは たしかに居ます。

改造、チューニングを行う文化は、実は大切なことだと思います。 ベースとなるモノを土台としてチューンすることは、 音楽、物理、数学、絵画、・・・・ だって あたりまえ。 

連載当時、僕は日産のZ32、BMWZ3 で首都高湾岸線で通勤していました。 理由は、JRの終電時刻に退社できなかったからです。 土曜日の湾岸。 チューンドGTR満載の中、横浜へ帰宅したものです。

そして、湾岸ミッドナイトを魅力的な作品としている、大きな理由は、ほとんどが「心理描写」に徹していることだと思います。 

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