小淵沢の冷蔵庫

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僕は、小淵沢で生活している時、ほぼ100% 昼間点灯でクルマを運転しています。晴れていてもです。なぜかというと、ここの周辺はコーナーミラーで確認しながら曲がる交差点が非常に多いからです。僕はこのような場所がとても怖いです。従って少なくともこちらの存在を知らせる為に常時点灯します。また、歩道のない田舎道なので、コーナーに限らず歩行者に僕のクルマに早く気づいてもらうことも必要です。ところが、しょっちゅう対向車にパッシングライトをあびます。ヘッドライトが点いているぞ、と注意しているつもりのようです。 まったくその意味がわかりません。少なくとも横浜ではそのような経験をしたことはありません。 常時点灯をルールとしているタクシー会社、運送会社は多く、郵便局の配送車両も常時点灯です。 僕にパッシングする人は、それらのクルマにもいちいちヘッドライトが付いているぞと警告するのでしょうか? 僕はずいぶん以前から常時点灯を義務化すべきだと思っています。そのような国はたくさんあります。 ましてや、キセノンヘッドランプ、LEDヘッドランプが多くなっている現在、これらのランプ寿命は常時点灯してもクルマの寿命より長いのですから。

二輪車と鉄道は昔から常時点灯。四輪だけ例外というのはおかしいと僕は思っています。

尚、都会の運転者ほど常時点灯に違和感が無く、それ以外の地域の人に違和感があるのは。しょうがない気がします。 小淵沢では、真っ暗闇の道を照らす為にヘッドランプを点けるという感覚が当たり前です。 都会では、夜でも街灯、建物の明かり、看板の明かりなどで街は明るいままです。点灯せずとも運転はできます。 それでも点灯するのは自分の存在を周りのクルマや人に知らせないと危ないからです。 まったく意識が違うのです。 これはある程度理解できます。

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先日、ある女性から「一年間だけ違うところに住むとしたら、どこ?」と聞かれました。 ニューヨークと答えても、サンモリッツと答えても、ロンドンと答えてもよかったのですが、僕は自然に、なんとなく「小樽」と答えました。 その理由はあくまでも後付の感が否めませんが、僕にとって小樽は特別な場所だったとあらためて思います。

僕にはルーツと呼べるような場所はありません。金融機関で営業職だった父は、頻繁に転勤をしました。僕が生まれたのは東京都世田谷区。正確には渋谷の日赤の病院です。その後、平均して3年で引っ越しを繰り返しました。 父が横浜へ家を建て、その後子会社へ出向。やっと定住したという感じです。ところが、いまや横浜にも少ししか居らず、山梨県の小淵沢で多くの時間を過ごしています。

なぜ、「小樽」と答えたのでしょう。僕は小樽の高校へ入学する1週間前に下関から引っ越して来て、卒業と同時に札幌へ行きました。もっとも、大学入学が決まったので、札幌の自宅にはほとんどいませんでした。

たった3年間の小樽の生活でしたが、僕にとっては、たぶん今の生活や人格が出来た大きな3年間だったのだと思います。僕の暮らしていた小樽と今の小樽はずいぶんと違っていると思います。そんな違いや、違っていないところを僕は懐かしんで1年間だけ暮らすとしたら「小樽」と答えたのでしょう。

学校をさぼって、小樽築港の埠頭で寝転んでいたこともたくさんありました。 テニスばかりしていました。 当時と比べて僕が変わっているのは、怖くてうまく滑り降りることができなかった天狗山のスキー場を今は、たぶんそこそこのスピードで滑り降りる事ができることです。 同じ年齢、学年に北照高校スキー部 大高君がいました。 彼は今でもスキーの世界で生きています。 当時、僕は彼の滑りを見て「人間業ではない」と思いました。

僕の家は船見坂の一番上(当時)にありました。小樽の港を見下ろす場所で、イカ釣り船の明かりもよく見えました。今は、当時住んでいた場所よりも上に住宅地が広がっているそうです。三井不動産に就職した友人が、ずいぶん昔に教えてくれました。

高校の大先輩伊藤整の小説「青春」の序文を最後に


人の生涯のうち一番美しくあるべき青春の季節は、おのずから最も生きるに難かしい季節である。神があらゆる贈り物を一度に人に与えてみて、人を試み、それに圧し潰されぬものを捜そうとでもしているかのように、その季節は緑と花の洪水になって氾濫し、人を溺らせ道を埋めてしまう。生命を失うか、真実を失うかせずにそこを切り抜ける人間は少いであろう。
  
 人の青春が生に提出する問題は、生涯のどの時期のものよりも切迫しており、醜さと美しさが一枚の着物の裏表になっているような惑いにみちたものだ。モンテーニュが、人は年老いて怜悧に徳高くなるのではない、ただ情感の自然の衰えに従って自己を統御しやすくなるだけである、と言っているのは多分ある種の真実を含む言葉である。青春には負担が多すぎるのだ。しかもその統御しやすくなった老人の生き方を真似るようにとの言葉以外に、どのような教訓も青春は社会から与えられていない。それは療法の見つかるあてのない麻疹のようなもので、人みながとおらなければならぬ迷路と言ってもいいだろうか。
  
 もし青春の提出するさまざまな問題を、納得のゆくように解決しうる倫理が世にあったならば、人間のどのような問題もそれは、やすやすと解決しうるであろう。青春とは、とおりすぎれば済んでしまう麻疹ではない。心の美しく健全なひとほど、自己の青春の中に見出した問題から生涯のがれ得ないように思われる。真実な人間とは自己の青春を終えることの出来ない人間だと言ってもいいであろう。

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庵野秀明氏が、「シンゴジラ」という映画のセリフの詳細、演出にどのようにかかわったかはわかりませんが、過去の彼の仕事から想像すると、彼は深く関わっていたと感じます。この映画には名セリフがたくさん散りばめられています。

この映画はエポックメイキング、と言える傑作だと思います。その解釈は今後様々なメディアで語られることでしょう。東宝の特撮空想映画史上、シンゴジラ前 シンゴジラ後と語られる素材だと確信しました。 言葉のつらなり、早口 テロップ。バックグラウンドの効果音としての言葉。 映像やストーリー、言葉についても多くの人が語ってくれると思います。 僕はこの映画の「詩」のようなリズムが大好きです。
巨大不明生物災害対策本部(巨災対)のトップを任された若い政治家、内閣官房副長官・矢口蘭堂  が、同じく若くして与党の中枢にいる泉修一:政調副会長に、巨災対の人選を依頼するシーンが大好きです。

泉 : 首を斜めに振らない奴らだ。
矢口: 骨太を頼む。

首を斜めに振らない、という日本語はありません。 縦に振る(同意する、従う) 横にふる(拒否する、自信がない)。 斜めに振るというのは、曖昧にして責任を取らない態度の象徴です。泉は、そんな奴は人選しないと言っているのです。それに対し矢口は、さらに「骨太」 つまり、折れない人格を求めます。 チームとしてはこのような人選はとてもリスキーです。 でも理想でもあります。
僕はこのシーンが大好きです。

最後になりますが、なんといっても「ゴジラ」がかっこよくて「怖い」

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茅野市美術館は、茅野市の駅前開発で2006年に出来た茅野市民館の施設の一部です。JR駅とつながった市民会館施設など見たことがありませんし、さらにこれが素晴らしいデザインの施設なのです。その中にある小さな美術館へ僕は時々行きます。今回の展示はこの地域にルーツがある4名の作家の展示です。僕は4名とも、まったく知りませんでした。
下諏訪町出身の概念芸術家、松澤宥(1922-2006)
岡谷市出身の画家・版画家、辰野登恵子(1950-2014)
諏訪市出身の画家、宮坂了作(1950-)
岡谷市出身の画家、根岸芳郎(1951-)

辰野登恵子さんの作品にたいへん感動して、立ち尽くしました。 美しい構図のリトグラフやシルクスクリーン。 美しいだけではなく、一般的には、とかくのっぺりと平板な感じになるこれらの手法の作品が、彼女の手によって、奥行きや立体感を持つのです。素晴らしい作品群でした。写真は生前の彼女のアトリエです。

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北海高校 決勝進出。 まったく予想していなかった。 札幌のリトルリーグ出身者が主力のチーム。

北海高校 5期 野球部主将は藤野昇という一塁手でした。 甲子園ベスト8。 喜んでいると思います。 僕の母親の弟です。 早世でしたが、僕は彼の子供たちに今もお世話になっています。

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僕は最近良くわかりました。そして愕然としたことも確かです。 早い時期、つまり若い頃、具体的には20歳代までに「あっ、これが好きだ」と感じた時から何も好みが変わっていません。新たに好きな事、モノがあまり加わってはいないのです。 進歩していない。 何も変わっていないのです。

花はエゾムラサキ。小さいころ小川のほとりにたくさん咲いていました。
猫が近くに居れば幸せ。 生まれて15年間いっしょに育った猫が居たので。
ジャズはトリオ。ビル・エヴァンス。 今でも聴き続けています。
クラシックのピアニストは、サンソン・フランソワ。それと指揮者になる前のアシュケナージ。
交響曲はラフマニノフ。オーケストレーションの極致。
クルマはカルマンギア。憧れです。
ピストルは、モーゼルミリタリーモデル。
バーボンは、オールドグランダット。
遊びはスキー。
小説は村上龍。
随筆は須賀敦子と白洲正子。
マンガはピーナッツ。
全食、スクランブルエッグとチーズとアスパラでも大丈夫。
服はジャージ。高校から大学まで7年間、99%ジャージでした。
絵はモディリアーニとブラック。
練習したい楽器は、アコーディオン。
好きな歌。ボサノバの「おいしい水」

無限に書いてしまうので、そろそろ終了。そして、全て20歳代の好みのまま。

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起承転結、物語の筋などというものは、ありません。 結論も無く、救いも無く、絶望のようなもやもやした何かを感じながら、それでも生きる意思を疑うわけではありません。 詩でも小説でもなく、歌でもなく、

これは、不条理なラップだと思う。 社会の制度、枠組みには縛られながら、田舎医者は、しょうが無く、地域医療を担当して、そして自分の立ち位置を自覚しながら絶望する。

暗くはならない。まったくこれを読んで暗くはならない。 なぜなら、これこそがリアルな現実だからです。どこまでが虚偽で、だまされたのかさえ定かではなく、自分の立場は保持されている。むなしいのではなく、これが現実です。だれもが、 カフカが描く田舎医者の類型でしかないと、思うかもしれません。 絶望は常に横にあり、そして不条理に満ちた人生は続くという真実を目の前に見せるカフカの異常ともいえる筆致に声をなくします。

チェコ、ボヘミア王国の寒い冬に、馬車が走る。 そして、その馬さえも馬であるかどうかさえ定かではない。

オリンピックの事を少し考えなおしたのは、神奈川県スキー連盟の指導員研修会でのことでした。猪谷千春氏が講演をしてくれた時のことです。 彼の事は説明するまでもないと思います。 なぜ彼の講演で僕が考えなおした、大げさかもしれませんが猪谷さんの深い理解を知ったのかを説明することは、とても簡単です。 彼はオリンピックのことを終始、「オリンピック運動」と言い続けたのです。 これは一般的には違和感のある言葉です。 オリンピックのことをオリンピック運動などと言う人は居ません。 彼だけです。 それは、彼が長くIOC委員を努め、自らが国の枠を超えて、そして国の枠に厳しく縛られ、さらには、その国があるからこそスポーツを全うできた数少ない当事者だったからです。スキーは、個人スポーツの最たるものです。 自分の才覚、自分の環境、自分の社会的な位置によって成り立つのですが、彼がIOC委員として学んだのは、その歴史と矛盾だったと思います。 オリンピックは正々堂々とした個人スポーツの祭典ではないのです。 なぜオリンピック運動なのか、Olympic Movementなのか。 それは、国家の軋轢を超えて、という事に他なりません。それは国家という単位を前提とした、政治的な運動でもあるのです。政治的なという言葉が不適切ならば、言い換えましょう。 その国が個人を尊重してスポーツを正しく、普及、後押しすることが大前提のMovementなのです。 個人の世界選手権では無いということを、猪谷氏は深く理解しています。 

ロシアは、Olympic Movementの考え方のもとでは、排斥される条件を満たしていると思います。 日本のバスケットボールが、その組織運営のあり方を問題視され、オリンピックの出場権うんぬんという話題になったのも、その原点はオリンピックの成り立ち、オリンピック憲章の精神にあります。国家の代表であるかどうかという事がオリンピック出場者の大前提であり、そして、その国家がオリンピック憲章にふさわしいかという事。それが「オリンピック運動」という言葉の意味なのだと、僕は猪谷氏から学びました。良い悪い、ということではなく、それがオリンピックというものなのだと思います。

http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2011.pdf

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マクラーレンとホンダが組んでF1に参戦するというニュースは、僕にかぎらず誰にとっても夢のある、そしてわくわくするニュースだったと思います。しかし、それは2015年のシーズン開始前には大きくしぼみました。僕もこの欄で2015シーズンを、既にホンダは捨てていると書きました。それは、一部の関係者からの情報もあり信憑性のあるものでした。それほどマクラーレン・ホンダのマシンはひどかったのです。とはいっても、とはいってもです。マクラーレン・ホンダです。多くの人は、期待して2016年シーズンを見守っていました。ところが、莫大な費用と人材を投入して「改善」のレベルにすぎないマシンにはがっかりさせられました。初年度はホンダエンジンのチョンボに近いトラブルつづきでしたが、今年はそれほどではなく、まあ、良くなったけどそこそこ壊れないというレベル。実はマクラーレンの車体も大したことないとわかってしまいました。 かつて、マクラーレン・ホンダが伝説を作った時は、レギュレーションの範囲、というか盲点をついて革新的な事をたくさんやってきました。そして、それを使いこなすパイロットが居ました。現在、このチームに居るパイロットは超一流。どのようなテクノロジー、新たな挑戦にも応えられる人材です。 ところが、マシンを作る人達がパイロットと同じレベルで戦えていないというのが現状だと思います。 マクラーレン・ホンダは2016年には表彰台を一度くらい狙えると僕はなんの根拠もなく期待していましたが、今は良くて5シーズンはかかるでしょう。さらには、勝てずにホンダは撤退するかもしれません。 ホンダは既にF1という舞台を楽しめるような企業ではなくなったのかもしれないと、最近は思います。 頑張ってほしいという思いの裏返しの皮肉な表現をお許し願いたいと思います。 

 本音では、このチームは解散すると感じています。

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 山下達郎氏のラジオ番組、サンデーソングブックは、もう四半世紀つづいている東京FMの長寿プログラムです。大滝詠一氏が亡くなったのは、2013年の年末でした。もうスキーシーズンに入っていました。大滝氏が亡くなって何週目かの放送で、山下氏が以下の発言をしました。 冷静な口調、いつもの物腰ながら、明らかに激昂していたと僕は思います。

「近いうちに大瀧詠一さん追悼の番組を企画する予定でありますが、大瀧さんが亡くなってから後ですね、番組宛に“早く追悼特集をやれ”とかですね、“大瀧さん追悼はあまり誰も知らないレアなアイテムをかけろ”、あるいは“最低でも半年は放送するべき”という意見のハガキが少なからず舞い込んでおります。またTwitterなどインターネット上でも私はそういうのは興味がありませんのでそれを見ないですがそういった発言があると聞きます。そうしたファンとかマニアとかおっしゃる人々のですね、ある意味でのそうした独善性というのものは大瀧さんが最も忌み嫌ったものでありました。親とか兄弟の関係を他人に説明できないように、僕と青山君、僕と大瀧さん、そうした個人的関係は第三者に説明できるものではないし、説明したいとも思いません。追悼番組の迅速性や密度とかは私は基より、全く関心はありません。そこのところ、あらかじめご了承頂きたいと思います」

※※ 発言にある「青山君」とは、大滝氏が亡くなる少し前に亡くなったドラマーの青山純氏のことです。山下氏が全幅の信頼を寄せていた名ドラマーでした。


 「一目置く」という言葉は、囲碁用語です。 囲碁では先手が有利。最初に一目置く、ということは相手の実力を認めて敬意を払うことを意味します。山下氏は大滝氏に対し、いつも一目置いていました。 その理由をすこしばかり納得できる謎の音源ばかりのアルバムをクルマの中で聞いています。


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 先日、青山のギャラリーで駒形克己さんの絵本、彼の娘さんがデザインしたTシャツなどを見てきました。鎌倉のメッゲンドルファー(仕掛け絵本専門店)に立ち寄ると、いつも手にとってしまう駒形さんの本。 色や陰影に特徴のあるステキなデザインの仕掛け絵本。買いそうになるのですが、値段を見て、なかなか購入できずにいます。

 青山のギャラリーにある小さな部屋の中で、WOWOWで放送された「手話絵本」制作のドキュメンタリーを見ました。駒形さんが、動物を表すフランスの手話を絵本として制作する話です。駒形さんの本のファンは世界中に居るらしく、フランス人からの依頼だったようです。 このドキュメンタリーは、エミー賞にノミネートされたそうです。なるほどたいそう面白い。 鮮やかな動物の絵、そして絵本のページには手話の手の形が隠されています。最初の形と最後の形。つまり二コマの手の絵。これだけなのですが、聴力の無い子どもたちは、絵を見ながら楽しそうにその動物の手話を繰り返します。笑いながら、その動物になったつもりで。 この絵本を作る過程、顛末を記録したのがこの番組です。 番組の内容そのものが素晴らしいのは言うまでもありませんが、僕は変なことに気付きました。
 " No wonder "

 僕は、才能もないのにテニスやスキーを長く続けています。他に、これほど長くやっていることは、呼吸と飲酒くらいです。 さすがにスポーツを長くやっていると、技術のことを考えてしまいます。考えるきっかけは必ず視覚からです。人のプレイ、技術解説書、専門誌、動画などを見て、なるほどなるほどと感心し、そして考えながら納得するものです。 そんな瞬間が来るきっかけは、写真やイラストである場合が多いのです。普通は、動いている様子を見るほうが「わかりやすい」と思うのですが、なぜか写真、分解写真、イラストに、はっとさせられる事がしばしば。 スポーツを通じて知り合った仲間にそのことを聞いたことがあります。 みんな、「そうそう、そうだよね」と言うのです。手話絵本は、たった二コマなのですが、子どもたちは楽しそうに活き活きとその動きを繰り返します。 手の動き、速さ、そしてそこにある時間や空間などは、子どもたちの頭の中で瞬時に組み立てられているのです。だから、人それぞれ必ずほんの少し違うモノが生まれていると思います。でもそれは「納得できた本当のこと」です。

 動画や、実際に動く様子は確かにインパクトがあり印象が強いものです。しかし、自分が動くことを頭の中で「想像」する余地を写真やイラストは与えてくれます。目に見える「絵」の前後の空間や時間を自分の想像で「埋める」のです。 だから、あっ なるほど そうか、 と納得するのだと僕は思います。


※ ただし、写真やイラストには落とし穴があります。写真やイラストを「自分の動き」として想像することは、そのスポーツについて、ある程度「訓練」を経た人にしかできません。 訓練不足の人は「フォームをマネする」ことに専念してしまって、きちんと動けない場合が多い、と感じます。

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 猪谷千春氏の著書は少なく、1994年初版の本著を僕は初めて読みました。 スキーのみならず、写真、著作でも才能を発揮した父親の六合雄(くにお)氏の本は名随筆として有名です。僕は中学生の時に東京都大田区の図書館で借りた「雪に生きる」を読みました。
 「わが人生のシュプール」の前半は、六合雄氏の著作にもある戦中、戦後にかけてのエピソードをなぞりながら、息子の立場で書いた内容。 あらためて、一般の人には想像できないような、雪を求めて移り住む生活に驚くばかりです。
 後半は千春氏を取り巻く恩人への感謝、ダートマス大学時代の青春、AIUでのビジネスマン生活、IOC委員(この本が出版された時、著者は現役IOC委員)時代の話などがつづきます。この本で初めて知る事も多く、興味深く読みました。
 「目標を持って、そしてやり抜く」と言ってしまえば、一言ですんでしまう事を、人生の終盤に自信を持って「自分はそれを、きちんとやりました」と言い切れる人は、本当に一握りの人だと思います。 両親や多くの恩人、友人に感謝を込めて、猪谷千春氏はこの著書で、それを語っています。うらやましい清々しさです。

六合雄氏の著書にある写真を一枚。 65年前のティーンエイジャーのツリーラン。 唖然!!
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 文藝春秋7月号に「オバマは広島で私を抱きしめた」という森重昭氏の手記が掲載されました。すばらしい手記だと思います。10ページ程度の短く、そして平易な言葉で綴られたこの手記は、内容が興味深いという事だけでは言い尽くせない「重さ」がありました。 森氏はオバマ大統領が広島へ訪問する前日にアメリカ大使館からの電話で、直接「明日の献花式へ出席していただきたい」と連絡があった事をこの手記に書いています。電話は彼の妻が受話器をとり、大使館からの依頼を聴き始めていました。近くに居た森氏には、その内容が聞こえました。 その瞬間 ”With pleasure!” と彼は叫んでしまったのです。
 恥ずかしながら、この手記を読むまで、森重昭氏の事を僕はまったく知りませんでした。テレビ中継された広島での献花式(僕はテレビで見ていました)の後、オバマ大統領が一人目の被爆者の方に近づき、握手をしながらやや長く話をしました。そして二人目の被爆者、メガネをかけた白髪のご老人とは極めて短い会話の後、大統領は彼を抱きしめました。 その人が森重昭氏です。 手記は、その瞬間に至るまでの彼の40年間の「想い」が重たく迫ってくる内容です。

 
 オバマ大統領の広島スピーチの冒頭部分をテレビで見ていた僕は、「これは、よく錬られた良いスピーチになるなぁ」と感じました。冒頭部分を引用します。

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆
 71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
 なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
 私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
 私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
 彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。
  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 この冒頭部分にある「12人のアメリカ人捕虜」とは、撃墜された米軍機に乗っていて日本軍の捕虜となり、広島へ移送された12人の米軍人のことです。戦後、彼らの情報はアメリカ国内でも明らかにされなかったと言われています。アメリカ軍は当時、その情報網を駆使して広島にはアメリカ人が居ない事を確認し、そして原爆を投下しました。 つまり「爆心地から400メートルも離れていない憲兵隊司令部で被爆して亡くなったアメリカ人のこと」など、アメリカでは掘り起こしてはいけない地雷のようなものだったかもしれません。
 その彼らに関する少ない情報をかき集め、パズルのようにつなぎ合わせ、さらには遺族との信頼関係をも築いていったのが、アマチュア歴史研究家、森重昭氏の40年間の業績です。12名が原爆死没者として登録されたのは、2009年のこと。森氏の尽力によるものでした。
 彼は献花式の末席から遠くオバマ大統領を見ながらスピーチを聴けるだけでもありがたいことだと思っていたそうです。しかし、当日、彼は広島市長よりも前の最前列に案内されました。そして、大統領は、スピーチの冒頭で彼の仕事の業績に言及しました。 

 是非多くの人に読んで欲しい手記です。

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 旧御射山社(もとみさやましゃ)は、霧ヶ峰、八島ヶ原湿原の南の端にあります。僕は諏訪大社の中でも下社春宮が大好きなのですが、その次に好きなのは大社の摂社(正しくはかつて摂社だった跡)旧御射山社です。梅雨入り後の昨日、三回目の訪問をしてきました。 ものすごく幸運なことに、小さな壱之御柱を立てている最中でした。小さいながら綺麗に皮を剥がし、きちんと冠落し(柱の先端を尖らせること)を施された柱を数人のオジサン達がワイワイガヤガヤ、和やかな雰囲気で立てていました。
 御射山社の歴史は古く、平安時代にまで遡るそうです。その名の通り山野の動物を生け贄とするための狩猟地、神事の場所だったのでしょう。 鹿やキジを奉納する神事は今でも諏訪大社で行われています。 鎌倉、室町時代を経て江戸時代まで、この山奥の窪地(湿地)で神事は行われ、全国から氏子、巫女、武士達が集まる一大イベントだったようです。この写真の場所の右側の丘は段々畑のような地形になっていて、以前から不思議に思っていたのですが、先ほどネットで調べて合点がいきました。なんとその段々畑は、全国から集まってきた神事参加者の宿泊施設跡なのです。びっくり。

 秋、ススキが霧の中に揺れる日に、また行ってみたいと思います。

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 僕は十年くらい前から小説、随筆、月刊雑誌のたぐいを、もっぱら図書館で借りるようになりました。横浜図書館の品揃えは素晴らしく、ネットで予約すれば近所の栄図書館へ配送してくれるからです。 買うと本の置き場所が無い、というのが一番の理由ですが。
 先日、長野県富士見町の本屋で、ひさしぶりに衝動買いをしました。

【花森安治のデザイン】
 花森安治。 言わずもがな、大橋鎮子氏とともに「暮らしの手帖」という雑誌を作った創業編集者ですが、僕にとっては一人のグラフィックデザイナーです。 この本には、彼が手がけた全ての表紙原画、写真、コラージュ、さらには挿絵、書籍装丁、手書き文字、線画などの膨大なグラフィックが掲載されています。 そして秀逸なコピーライティングも。
 もうずいぶん前になりますが、彼の表紙原画(たぶん全点)が世田谷美術館へ寄贈された際、同美術館で行われた企画展に行きました。内容としては、その企画展に匹敵する本です。 本を開くと、いきなり花森氏の写真です。 東麻布、暮しの手帖社スタジオの壁に、笑顔で手を組んで寄りかかっている花森安治さん。 長髪。白いカッターシャツから覗くスカーフ。 昭和27年にこんな41歳が存在していたこと自体が不思議です。 大橋鎮子氏もあとがきで触れていますが、彼は「暮らしと結びついた美しさが、ほんとうの美しさ」と常に考え、生活の中の実用品に美を見出してきました。時代は異なりますが、寸分違わず全く同じことを言っていたのが柳宗悦です。しかし、花森の「暮らしの手帖」と柳の「民芸運動」について、僕には重なる部分が見当たりません。 「民芸運動」がどちらかと言えば「日用品の美」だけを強調しがちだったのに対し、「暮らしの手帖」は、快適で、ちょっとすてきな生活の小道具として日用品を扱ったからだと思います。 この本には、花森氏の「ちょっとすてきな生活」が満載です。

【ENGINE 7月号】
 新潮社の月刊クルマ雑誌「ENGINE」。この雑誌は、ときどきおもしろい特集を組むのでよく立ち読みをしますが、買ったのは初めてです。7月号の特集は「写真とクルマ」です。クルマの雑誌というのは、そもそもカッコいいクルマの写真満載です。しかし、クルマを被写体として、または背景、風景、小道具として活用した「写真作品」を特集として編集するというのは、きわめて珍しい事だと思います。
 特集の最初、いきなり、ジャック・アンリ・ラルティーグです。さらに、アンリ・カルティエ・ブレッソン、木村伊兵衛、ロベール・ドアノー、石元康博、森山大道・・・・ 巨匠の作品がつづきます。もうびっくりです。
 特集中盤、クルマといっしょに被写体となっている人々の写真も興味深いものばかり、オードリー・ヘップバーン、ジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、ブリジット・バルドー、プリンス、ボブ・ディラン・・・・
 最後の方には、興味深いレースシーン、コマーシャルフォトなど。
 永久保存版です。

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初夏から真夏にかけて、日本のような低い緯度の地域で、標高3,000メートルに満たない場所に雪渓が残っているということは、実は世界的に見れば極めて稀な事です。 ヨーロッパの国々から見れば、日本のある北緯36度付近の地域は「温暖な南の国」、のはずなのですが日本の大部分は豪雪地帯です。この稀な、ある意味奇跡的な地理、気候条件に恵まれて私たちはウィンタースポーツを楽しむ事ができます。
 僕は若い頃から、なんとなく雪渓でスキーをしてきました。 なんとなくです。 お気楽に登れる雪渓に、お気楽に入れる季節(5月以降)に限ります。 大雪山、立山などでも何度か滑った経験がありますが、なんといってもお気楽雪渓スキーと言えば乗鞍岳大雪渓の右に出るものはありません(日本語として誤った使用方法ご容赦)。 2002年以前は、乗鞍岳大雪渓直下まで、6月初旬からクルマで行けました。標高2600メートルの雪渓下に自家用車で横付けできるのですから、週末は大混雑でした。 2003年からは三本滝のゲートから先がマイカー規制となり、シャトルバスで雪渓に入るとこになりました。このことでスキーヤーが激減しました。 近年はテレマークスキーや、アルペンクライミングタイプのスキーがちょっとブームになってきたことから、クライミングスキンをソールに貼り付けて登る人が増えました。  っていうか、アルペン用のスキーブーツつぼ足でスラローム用の板を担ぎあげている人は、いまや僕だけになってしまいました。若い頃から何度となく訪れている乗鞍の雪渓。今年は、僕の乗鞍雪渓スキーの記憶の中で一番残雪が少なく、まだ5月だというのに頂上直下の稜線からバス停までギリギリ雪がつながっている状態でした。 
 
 僕はほとんど毎回一人で来ています。 スキー仲間と同行したのは、この30年以上の間、4回だけです。 悲しいことですが、2回めに同行した友人と4回目に同行した友人の内の一人が既にこの世に居ません。 彼らのことを少し思い出しながら、今年もゆっくり雪渓を登りました。 さて、僕はあと何回この雪渓を登ることができるだろう? と考える年齢になりました。

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何度読んでも、見ても、軽い戦慄を覚えます。 18歳の男子が大学ノートに丁寧に書いた詩の文字。
この数ページ後に、2年後出版される彼の処女詩集の題名となった詩があります。
「二十億光年の孤独」

この大学ノートの詩の多くが処女詩集へ掲載されました。
18歳のノートの中に、今を生きる「谷川俊太郎」が、まぎれもなく、そのまま居るという事実に僕はいつも軽い戦慄を覚えます。

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タフではないプロスポーツなどありませんが、テニスにおいては、やはりこの大会が最もタフネスを必要とする大会だと思います。 赤土のクレーコートでファイブセットマッチを7回勝たなければ優勝できないのです。 ちなみに僕は5セットマッチという試合を一度もやったことがありません。 かつてスリーセットマッチ日没延長試合というのはやりましたが。
 フェデラー欠場。 決勝までジョコビッチ、ナダルと当たらないドロー。 錦織にとっては確かにチャンスのあるフレンチオープン。 なんとかメジャー制覇を。

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松本市美術館に久しぶりに行きました。草間彌生さんの常設展示。80歳をゆうに超えてこの創作エネルギー。おそらく2002年に書かれた彼女の詩。僕は彼女の作品の本質はこの詩にあると思っています。


【落涙の居城に住みて】

やがて人の世の終末に巡り会う時がきたら
年を重ねた月日の果てに
死が静かに近寄って来る気配が、
それにおののいているとは私らしくないはずだったのに。
最愛の君の足音の影に悩みはまたしても夜半に訪れて
わが想いをあらたにす
君をこそ恋したいて「落涙の居城」の中に
籠っていた私は今こそ人生の冥界への道標の
指示すところへさまよい出てゆこうか
そして空が私を待ちかまえたくさんの白い雲をたずさえている。
いつも私を元気づけていた君のやさしさに打ちのめされて
心の底から私は「幸福への願望」を道ずれに
探し求めてきたのだった
それは「愛」という姿なのだ
あの空を飛び交う鳥たちに叫んでみよう、聞いてみよう
わたしのこの心をこそ今こそ伝えたい
私の久しい年月を芸術を武器にして
踏みしだいてきたのだったが
その「失望」と「虚しさ」をそして「孤独」の数々を胸に秘めて
生きながらえてきた日々は
人の世の花火が時として「華麗」に空に散りばめられていた
五色をもって夜空に舞っていく花火の粉末を全身に
散りばめている感動の瞬間を私は忘れない
今こそ最愛の君に捧ぐ
人生の終末の美しさとはすべて幻覚の幻だったのか
あなたに聞きたい
心のすべてを捧げて時を生き抜いてきた今
美しい終末の足跡を残したいと
祈っている今日の日々を
傷めないでそっと生きていたい私が
受け取ったあなたへの愛のことづけ

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この話題を書くのは2回目だと思います。
僕はラヂオが好きで、なんとなくパソコンやスマホでラヂオ番組を流している事が多いのですが、音楽番組と呼べるプログラムで、必ず聞く番組というのは、たった一つだけです。 TBSラヂオ、金曜夜24時〜25時に放送される「菊地成孔の粋な夜電波」です。 彼は優秀なジャズサックス奏者であり、さまざまなジャズミュージシャンとセッションしていますが、ジャズの枠を超えて彼との共演を望むミュージシャンがとても多いのです。 紋切り型の言い方をすれば「引き出しが多い」ということになるのですが、どうもそんな「言い方」はしっくりきません。 音楽に限ることではありませんが、あらゆる物事、特にアートの分野においては、まったくオリジナルなどというものはありえず、常に過去、現在のあらゆる物事に(ここでは音楽について言っていますが)影響を受けながら進化し、派生し、時には逆戻りし、停滞し、突然変異も正常進化も常に同時進行で起こっていきます。 菊地氏は、その大きな全体像をあるときは「天空の城ラピュタ」から俯瞰し、有るときは海に沈んだ蛸壺から見上げたりできるきわめて稀有の能力の持ち主だと感じます。 この一時間番組でかかる曲は、多くて5曲。3曲くらいのこともあります。 この番組で僕が聞いたことがある曲がかかる確率は5%くらいです。 ほぼ、知らない曲ばかりなのですが、かならず僕のなにかに「引っかかり」ます。

彼は、日本のミュージシャンの中で最も質の高い文章を大量に書く人でもあります。 その資質に関して言えば、最も音楽のことを書ける小説家、村上春樹氏と通ずるところがあるかもしれません。

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すこし前まで、僕は皆川明さんという人の名前も、ましてや彼の職業、作品すらまったく知りませんでした。 ある女性から、行きたいお店があると言われ、辻堂の「mina perhonen koti」というお店に行きました。美しいテキスタイルで作られた品々がある、素敵なお店。 床、壁、インテリアにもこだわりが感じられて心地のよい空間でした。 そこが皆川さんという人のお店だったのです。 僕はなるほど、皆川さんという人はなかなかセンスのよいセレクトショップを作る人なんだなぁ と思いました。

代官山の新店舗オープンを記念して、店舗の隣りにある蔦屋書店でトークショーがあるので、是非行きたい、とその女性が目を輝かせて言うので、行くことにしました。もちろん、僕は知らない人の話を聞くのが大好きです。

本当に行って良かった。まず、代官山のお店。 彼女はこのブランド「ミナ・ペルホネン」の夏物が欲しいらしく目を輝かせて服を見ていたのですが。僕はやっぱり、お店のデザインとテキスタイルそのものに興味を持ちました。 まあ、たしかに只者ではないと感じました。そして、なんとその時はじめて、彼が女性服のデザイナーであることを知りました。 夕方から始まったトークイベントは50名ほどしか入れないスペースで。彼女が2名分のチケットを確保してくれたのは、そうとう頑張ったのだと思います。男性は僕を含め4名か5名くらい。 そして、当日に皆川さんの職業を知ったのは、まちがいなく僕だけです。

生い立ち、ブランドの立ち上げ、お店づくり、人との出会い。1時間以上の話はとても興味深いものでした。 僕は女性の服などまったく興味はありませんが、彼のファンになりました。 彼は服飾デザイナーという職業で生計をたてていますが、僕が強く感じたのは、彼の本質は、アスリートであり、建築家だという事です。 そうとしか思えません。

後世に名を残すような建築家、作曲家、服飾デザイナーの多くはなぜか「男性」です。それは、男性が本能として「物語」を作ろうという資質が強いからだと思います。 一方、「女性」には、強く共感する能力や、無条件に愛情を注ぐチカラを感じます。世の中とは、たぶん、そうやって成り立っているのだと、かってに納得した一日でした。

写真は、彼女に「連れて行け!」と命令されている松本のお店です。

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大切なことを本当に気づくことが難しい。 それは本当に難しく、そして大切なことなのだと思う。僕にはできるのだろうか? 

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状態は、あまりよろしくないが、横浜の物置を整理していたらこんなものが。1972年作成の藤川清写真、亀倉雄策デザインの、B1版札幌オリンピック公式ポスター。モデルは鳥取の大山が生んだスキーヤー 大杖正彦さん。買った記憶がないので誰かにもらった物だと思います。 覚えていない。大切にせねば。

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なんとなく、読みたかった本。 やっと読めました。 これは小説ではありません。 詩ともいえません。もちろん、映像ではないのですが、脳の中にあるイメージを露出したような、不思議なものです。

僕は興味深く読みました。というか、辛かった。こういう感覚が僕にもあるからです。それは、僕の子供の頃の記憶に結びついているからかもしれません。

札幌の僕の親戚の隣に住んでいた純ちゃん。 小学生の時、よく遊びました。僕よりも2つくらい年上で、優しい男の子でした。 海水浴にもいっしょに行きました。 脳腫瘍レベル4との診断。 

診断から一月くらいで、亡くなりました。 十数年の短い命でした。

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驚きました。とにかく驚きました。富士ゼロックスがこれほど素晴らしい版画や写真のコレクションを持っているということを僕は全く知りませんでした。コレクションにある作家。アニ・アルバース、ジョセフ・アルバース、ジャン(ハンス)アルプ、ヨーゼフ・ボイス、アレクサンダー・コールダー、エドゥアルド・チリダ、ジャン・デュビュッフェ、ライオネル・ファイニンガー、サム・フランシス、ナウム・ガボ、ジャスパー・ジョーンズ、ドナルド・ジャッド、ヴァシリー・カンディンスキー、モシェ・クプファーマン、ジョン・マクラフリン、ラースロー・モホイ=ナジ、ルイーズ・ニーヴェルソン、ブリンキー・パレルモ、パブロ・ピカソ、ジャクソン・ポロック、ゲアハルト・リヒター、エドワード・ルーシャ、ヴォルス、一原有徳、井田照一、加納光於、駒井哲郎、草間彌生、中西夏之、野田哲也、斎藤義重、菅井汲、若林奮、マティス、ベンヤミン、レイ、デュシャン、ウォーホールもう書ききれません。これらのコレクションから500点ちかくを展示、一部が横浜美術館の所蔵品でした。

「アウラの衰退、芸術家たちの挑戦」という展覧会のキャッチ。複製技術による作品に焦点をあてたコレクション。 誰がどのように収集したのか極めて興味深く、最高の選択がなされていると感じました。 美術の教科書や美術史の本でしかみたことのなかった、マティス、デュシャン、カンディンスキーの作品もありました。 版画、写真に興味のある方には必見の展示です。

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さて、猫ブームだそうです。 はあーーっ って感じです。 僕なんか生まれた時から猫と一緒に育っていたので、生まれた時から猫ブームなんですけど。

横浜そごう美術館で猫の浮世絵の展示。 つまり、猫ブームというのはメディアの露出のことであって、江戸時代も猫ブームだったということらしいです。 写真、動画のネットへの投稿と出版によって商業的に猫が使われているのですが、別に猫と暮らす人が2倍になったわけではありません。 たぶん。

この展覧会。 僕がかつて読んだ遺伝子研究の本の内容を証明していました。 僕が子供の頃でさえ、明確なブチのミケとか、尻尾の短い猫が今よりものすごく多かったのを覚えています。今は、手足、しっぽの長いかっこいい猫がたくさん。そして美しいブチのミケがいません。 遺伝子を研究している人が、このことを1980年代には既に指摘していて、それを読んでいた僕は激しく納得しました。

東南アジアルーツのボブテイル(短いシッポ系)が日本の猫のルーツで、そのなかに三毛も多くいたのですが、他地域の猫のDNAの影響から急激にボブテイルと三毛が少数化しているとのこと。

江戸の浮世絵にはボブテイルと綺麗な三毛が描かれているのです。 

ジャパニーズボブテイル というのは、今や人気の「品種」だそうです。 アメリカ人が交配して商業化した結果です。

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野中真理子さんは、特に親しい友人というわけではありませんが、学生時代のサークルの仲間です。
もう10年以上前に彼女の作った映画の上映会に行きました。「トントンギコギコ図工の時間」という小学生の図工の時間を撮ったドキュメンタリー映画です。なにかの賞を受賞した時の記念上映だったと思います。すばらしい映画でした。その後、さらにトントンギコギコ以前に作られた「こどもの時間」にも感心して見入ってしまいました。一見、平凡な日常の生活の中で、彼女自身が突き動かされる「何か」を見出して切り取る、その集中力は才能としか言いようがありません。当時、僕はサラリーマン生活24年目にして退職を決断した時期だったので、なおさらその上映を良く覚えているのかもしれません。
その後、山梨県で友人が営んでいる農園でテレビ番組の撮影がありました。その時、製作会社のクルーとの会話中に野中さんの名前が出てきて驚いたのを覚えています。「野中真理子さんと仕事をしたことがある」と言われました。

さて、まだ見ていない映画の事を書くのもおかしな話ですが、先日友人から彼女の新作、「ダンスの時間」を見てきたとの知らせがありました。ダンサー村田香織さんを撮ったドキュメンタリー映画。とても素晴らしいと友人は言っていました。 トントンギコギコの野中が作ったのだから、そりゃあ良い映画に違いないと僕は思いました。 友人から「どこかで見た風景がでてきたぞ」とのコメント。それが上の写真です。 

村田さんが踊っているのは、八ヶ岳を望む「八ヶ岳あおぞら農園」という場所です。 びっくり! 一般の上映が始まるのは8月とのこと。

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僕のジャズ体験の最初は、キース・ジャレットでした。ピアノソロです。オスカー・ピーターソン、小曽根、秋吉敏子、渡辺貞夫、・・・・・ 次々と聞いていって、最近は上原ひろみ なのですが、ここに至って、おいちゃんの保守的な好みに愕然とします。 オーソドックスすぎるジャズファン。 きわめつけは、ビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアン のトリオ好き。

軽々とやっている感じのトリオのジャズが、綿密に計算されているのを知ったのは20年前。 ビルのオタクっぷりを自分で書いた文章があり、コピペしてブログに載せたら、世界中から大反響。 ビルの文章があまりにも評論家っぽい書きぶりで、自身が書いたと思えないものだったので、

ほんとうにごめんなさい。あれは僕の文章ではありません。 っていうか 英語で文章書けないし。

ビートルズのカヴァーで一番好きなのは、カーリー・サイモンのブラックバード。



Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise

Blackbird singing in the dead of night
Take these sunken eyes and learn to see
All your life
You were only waiting for this moment to be free

Blackbird fly, blackbird fly
Into the light of the dark black night

Blackbird fly, blackbird fly
Into the light of the dark black night

Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise
You were only waiting for this moment to arise
You were only waiting for this moment to arise

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東京グローブ座でのライブの行き帰り、新宿サンパークホテルの前を歩いて通りました。 住所は百人町。名前の由来を調べると伊賀組百人鉄砲隊という江戸の警備にあたる部隊の屋敷があったとあります。 ところで、今では日本最大のコリアンタウンとなっているこの地域にはちょっと違和感がある日本庭園と仰々しい門が、このサンパークホテルにあはります。石灯籠の巨大さも驚くほど。僕はこれ以上の灯篭を見たことがありません。
気になったので先ほどホテルの名前でググったところ、すぐに納得がいきました。 このホテルは「三平グループ」の一つだったのです。 三平グループは、新宿最大の地権者企業です。 大きな再開発、巨大施設の建設には必ず名前が出てきます。 三平グループの創業オーナーは、小林平三氏。上諏訪の古い宿場町、金沢宿出身。 新宿で飲食業を始めたのをきっかけに三平グループを大きくした伝説の新宿サクセスストーリーの人物です。 三平は、平三を逆にしたものです。

ちなみに、諏訪地方の人はこの人の名前をどこかで見たな、と感じる人が多いはずです。諏訪大社本宮大鳥居など諏訪大社にいろいろ寄贈していて、名前が刻まれているからです。

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キース・エマーソン氏が亡くなりました。 僕のヒーローの一人でした。
Emerson, Lake & Palmer,( ELP)は、1970年代の短い期間に輝かしい作品、ライブパフォーマンスを示したスーパーグループでした。キース・エマーソン(キーボード)、グレッグ・レイク(ベース)、カール・パーマー(ドラムス)の3名によるブリティッシュプログレッシブのロックグループは、ロックというセグメントにとどまらず、音楽史上に明記されるべき楽曲を残したと、僕は思っています。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」をアレンジした同名アルバムに僕は衝撃を受けました。ハモンドオルガンとシンセサイザーを中心としたキーボードアレンジは秀逸です。レイクのベース、パーマーのドラムスも素晴らしい。 ライブのアンコールナンバーとして良く演奏されたチャイコフスキーの「くるみ割り人形」も大好きです。テクニックだけなら、今では高校生でも彼らを凌ぐ人達が居ます。 しかし、何にも似ていない何か、を作り出す事ができるのは、今でも選ばれた、限られた人達です。

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横須賀美術館と、神奈川県立近代美術館葉山をはしご。こういうのはとても良くないのですが、ついやってしまいました。 作品を見るには集中力が必要なので、安易にはしごなどすべきではありません。

ただ、僕はなんとなく残り時間が少ない感じがして、つい急いでしまいます。 嶋田しずさん、もう90歳を過ぎていながら、この明るいエネルギー。 磯見さんの暗い版画作品も、暗さだけではなく、生きる力がみなぎっていました。

フィンランドの人、ヘレンの絵を葉山で見ました。 女性の強さは、たぶん 母性。 そして、弱さも。 晩年、エル・グレコに傾倒した意味を、僕は少し涙ぐんで彼女の絵を見ていました。

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「人工知能は人間を超えるか」という松尾豊氏の著書はたいへん興味深いものです。松尾正剛氏の書評を引用します。これ以上、この著書の特徴を表現する能力が僕には無いからです。

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人間の知性や知能は、現実の対象の全貌を知ったうえでシンボルを理解しているのではない。いつのまにか「リンゴ」や「極楽」や「時間がたつ」というシンボル操作ができるようになっている。人間は心象の内部で対象を動かしているからだ。心的に想起されているからこそ、シンボルが動くのである。
 しかしコンピュータやゲームプログラミングやロボットでは、このシンボル操作がなかなかできない。そこで仮想空間をつくって、エージェントの内部にシンボルについての知識操作ができるようにする。それには地形であればナビゲーション・データを埋め込み、オブジェクトであればパラメータを添付したスマートオブジェクトをつくらなければならない。
 とはいえだからといって、コンピュータが実世界に接地できたわけではない。これをさらに有効にするにはどうすればいいのかというのが「シンボル・グラウンディング問題」なのである。スティーブン・ハルナットが提起した難問だった。


シンボルグラウンディング問題(松尾豊・講義資料より)
私たちは犬という言葉を知らない赤ちゃんの頃から犬のさまざまな特徴から「犬らしさ」(一般化された概念)を取り出している。その後「犬らしさ」に「犬」という言葉を対応させる。これが名づけ(ラベリング)。これにより犬という言葉を聞くだけで犬の特徴を脳内に作りだすことができるが、コンピュータはそうはいかない。
 シンボル・グラウンディングはエルンスト・カッシーラーやスザンヌ・ランガーの『シンボルの哲学』『シンボル形式の哲学』このかた、ぼくがずっと気にしてきた問題でもあった。シンボルは象徴や表象のことだけれど、たいへん人間くさい「思い浮かべ」なので、なかなか論理的な説明や数理的な落とし込みがやりにくいのだ。
 だいたいシンボルは夢の中にも出てくるし、想像の中にも頻繁に出入りする。古代中世の神話や説話や昔話は怪物やら不思議な光りものやら妖精やら、シンボルだらけである。「となりのトトロ」「バットマン」「モノリス」もみんなシンボルだ。
 そのためシンボルについては、エリアーデは神の発生にまで立ち戻らないとわからないものとして、カール・ユングは集合的無意識のようなものをともなうものとして、フロイトはコンプレッックスの中に畳み込まれたものとして、ホワイトヘッドは認識作用のプロセスまるごとの中に作用しているものとして、チャールズ・サンダース・パースは記号そのものの本質が受けもつものとして、それぞれ議論した。
 ジャック・ラカンの精神分析学のように、シンボルは「自己」の内部の鏡像過程に生じているとみなしている見方もある。
 こんなふうに、定義しようとしたり、どこかに位置付けしようとすればするほど、掴みどころがなくなってくるシンボルなのだが、ふだんのわれわれはシンボルにもアイコンにも、アレゴリーにもメタファーにもちっとも困らない。とくにアーティストたちは大胆自在にシンボルばかりをあらわしてきた。
 シンボルの正体はまだわかっていないのだ。こんなわけなので、そういうシンボルを意識的に扱うには、いったんシンボルが湧いてくるプロセスのことと、それが投影される場面とを分けて考えなければならないだろうと、ぼくはずっと思ってきた。
 そこで編集工学では、シンボルや象徴的な意味論を扱うにあたっては、それが発祥する分母像(地=グラウンド)とそこから派生する分子像(図=フィギュア)とを適宜入れ替えながら進む動的なプログラムをテストすることを推奨してきたのである。

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このシンボル・グラウンディングというのは、僕が以前から何度も書いている「抽象化」という人が持つ能力そのものです。抽象化とは「名付け」です。そしてその究極の形が数学的な表現です。数学的な表現は、実は何かに名前をつけて、共有できる「思い」を表現する方法です。ん と思う人が居るかもしれませんが、その本質において、数学と詩は「同じ土俵」にあると言えると僕は常に考えています。

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山屋と呼べる知人、友人が僕には3人居ます。 公開されたエベレスト、神々の山嶺(いただき)という映画を見て改めて思います。 この映画は夢枕獏の山岳小説を原作とし、傑作コミックともなっています。 本当の傑作山岳小説です。 カメラマン深町を除けば、全て実際のモデルとなる実在の人物が登場人物となっています。

山屋とは何か? 難しい定義ですが、山に登る事が自分が生まれた理由だと思っている特殊な人達です。

僕の友人には3人の山屋が居ます。二人はもうこの世に居ません。 一人は「落ちた」のですが、奇跡的に助かりました。 なぜ、そこまでするのか?  それは僕にはわかりませんが、彼らの生きる理由は否定できません。 それが 山屋という 超超超ばかばか人間だからです。

興味の有る方は是非この小説、コミックを読んでください。いつでも貸し出します。

遊ぶ子の群かけぬけてわれに来るこの偶然のやうな一人を抱けり


僕はこの一句が大好きです。川野里子さんの処女歌集「五月の王」に納められた歌です。おそらく彼女自身の子供を歌った若かりし頃の作品でしょう。 子供は、当然のように母親を見つけ、喜んでかけてきます。 しかし、そうした時間も永遠には続きません。 その子と居ることの偶然を思うとはかなくも感じます。 また、それは子供だけではなく、どのような人との出会いでも、偶然のように群れ駆け抜けて自分のもとに来てくれたのかもしれません。

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歴史に残る漫画家ではないと思うのですが、彼ほどオヤジの美少女趣味を体現している人は少ないと思います。 ポップな美少女を描かせたら世界一。 ところが、彼のマンガ作品はギャグマンガばかりで、それもけっこう中途半端。 おもしろいんだけど、完結しない。 あっ そうか。 今わかった。完成していない、完璧ではない、もしかするとどこかに居るかもしれない美少女なんだ。 江口寿史の描く女性は・・・

僕には喘息と加齢黄斑変性症という病があります。それぞれありがたいことに対応する技術があって、なんとか暮らしています。

目のヤマイのことについて、僕は過去、父の言葉を忘れる事ができません。 僕は父、母とも会話が少ない子供でした。 大人が嫌いだったのです。 それが、いまや58歳。

高校生の時、父とのたわいのない会話が忘れられません。 「盲目と、音が聞こえないという状態、どちらを選択するとしたら俺は盲目をとる。目が見えるだけなら、きっと人を疑う気がする。 声が聞こえるだけなら、その声で、その人を信用して生活できる。」

父は生真面目な人でした。声を信用するという父の言葉を僕は忘れません。

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チャールズ・モンロー・シュルツが亡くなって、もう15年以上が経ちます。彼が描き続けたピーナッツコミックは、アメリカという国家の「良い面」だけを抽出した名作です。実際にアメリカで生活をしたことがある僕の多くの友人は、アメリカという国のダークサイドもきちんと見ていて、けっして手離しのアメリカ好きという人はいません。僕のアメリカはピーナッツの中にだけあるので、僕は単純なアメリカ好きになってしまいました。 カリフォルニアのサンタローザという町は、白人の多い小さな都会。 大金持ちも居なければスラムも無い平和な町。 シュルツの描くアメリカは、この町なくしては語れないと感じます。 いつか行ってみたいと思います。シュルツの父親はドイツからの移民で床屋さん。 チャーリー・ブラウンの父親の職業が床屋であることを知っている人は意外と少ない。

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今、僕は勉強をしたいという気持ちが強くなっています。 なぜかはわかりませんが、やはりかつて大学生であった時代が影響していると思います。 僕はきちんとした学生ではありませんでした。 スキーばかりしていて、アルバイトで稼いだお金はスキーの道具とお酒になっていました。それでも、僕が師事したY教授や、周りに居た人達には影響を受けました。 学問をする という人に初めて出会ったからです。 そして、そのような人達が世の中に必要だと認識できた事が僕に与えた影響はとても大きいものでした。

Y教授は、太平洋戦争、世界大戦と言われる戦争の時、学徒動員の選抜から国の指示で外された人でした。 当時の政府は優秀な学生までも戦地に送る決断をしましたが、それでも各大学毎に戦地に送らない若い学生、大学院生を選抜していました。 その一人がY教授でした。 彼は戦後、消費者金融、信用創造理論のパイオニアとして実績を残した学者です。 彼の元、僕はバカながら勉強をする羽目になりました。 これはけっこうツライ修行でした。 英語のテキスト。 超優秀な先輩や仲間の中で僕は思い知りました。 「なるほど、学問を志す人というのはこんな人達なのだ。学ぶ事に執着する人は、世の中に必要だな」と思いました。 それが分かった事こそが、僕が大学生だったことの価値、理由だと思っています。

僕は勉強はできませんでしたが、卒業時に書いた論文のようなものをY教授は高く評価してくれました。岩岳のスキー場でその半分くらいを書いていました。 悩みながら書いていたので、その内容は今でもよく覚えています。 財閥と言われる組織の成り立ちと、金融機関として戦後果たした機能、功罪についての文章でした。

Y教授の「名前」の効果だけで銀行への就職が可能な時代でしたが、僕は銀行マンにはなりませんでした。

知的であるかどうかという事を定義する5つの項目を紹介するページを知人の情報で知りました。全てごもっともで、納得の内容です。そして、ちょっと自慢なのですが、僕は彼の二つ目は、中学2年生の時に既に知っていました。 というか、今でもこれこそが僕が人物を見る時の最大の判断基準なのです。 気付けば、こういう人だけが、僕の周りに居ます。 彼の二つ目の意見はこうです。

「知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない。」

たぶん、これ同じ考えを、僕は中学2年生の時に強く思い、そして今に至っています。当時思っていたこと、そして今も信じて疑わない事は、 「自分がわからない事をわかる人が賢い人」という思いです。

僕はいつでも知ったかぶりをします。 たいして知識も無いのに。 でも、知らないということには自覚的な方だと思います。 知らないという事をきちんと整理して、もしくは本能的に、自覚できる人が賢いということなのだと思います。 「知っている」という態度の人は、とても疑わしい。 知らない、わからないから、さて どうしようか? という人こそが賢い、信じられる人です。 幸運にも僕の周りには、きちんと「知らない」事を自覚する人が多いのです。 僕は彼らを信用します。 知ったかぶりの僕を、僕は一番信用していません。

井戸は車にて網の長さ一二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゅうひゅうと吹ぬきの寒さ。おお耐えがたと竈の前に火なぶりの一分は一時にのびて、

大つごもりの冒頭、天才だな樋口一葉

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19歳のノート。 「くるかもしれぬ 独りの時のために」 本当にこの人は19歳なのか?

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元素表が好きです。 世の中の事を整理して目の前に示すというのは何時の時代でも大切な事です。元素表は、現代科学、物理学的にはとても単純な論理で作成された表です。元素組織の法則性に忠実に作られたものです。その美しさから、科学を志す人は一度はこの周期表に自分の痕跡を残したいと思うのではないでしょうか。 理化学研究所が113番目の空白を埋めました。 

元素表は曼荼羅です。 

曼荼羅は狭義の宗教絵画。 広義では宇宙の世界観を示すものです。 

僕は、僕の小さな宇宙の空白を埋められるのだろうかと、いつも虚しく考えます。

  二十億光年の孤独


人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした



※ ※ ※ ※ ※ ※

1950年 谷川俊太郎18歳 ノートに書き込んだ言葉が人の目に触れ、翌年に詩集として発表されました。 思想や意図を持たず、感傷的な要素が無い谷川氏の詩は、最初の一編から既に完成されており、そして今も変わりません。 詩が語りかけるのではなく、人は谷川の詩に入り、つつまれて、もう一度自分を見て、そして許すのだと思います。たぶん。



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文字とそれを組み合わせた言葉や文章が、人の感情、思想、論理、風景などを記録として書きしるす役割をはたしていること。 言い換えれば、「なにか言いたいこと」が先にあり、そして文字を書くことによって記録され誰かに伝えること、その価値について、10日前に書きました。

僕は文字を書くということには、それ以外にも多くの異なる意義や動機があると考えてきました。その一つ二つを思い出しながら書いてみます。 小さいころ人は文字を最初に習う時、抽象的な意味を示す記号であるとは意識しないものです。 不思議な形を絵として写しとります。 僕は標準的な子供よりも文字を覚えるのはたいへん遅かったと記憶しています。それでも不思議で魅力的な形を写しとるのは嫌いではありませんでした。長い時間熱中することはありませんでしたが、手を動かして写しとる作業には、しばし集中して我を忘れることがありました。そして、その感覚、感情、集中力などを、大人になっても持ち続ける人は少なくありません。 「手を動かしながら集中する」「集中して手を動かす」事は、他にもたくさんあります。 そのような資質を持つ人には何か共通点があるのですが、にわかにそれを言い表す術を僕は持っていません。 集中して文字を「自分の手で」書くという行為には、感情や思想や論理を構築するという「脳の中の作業」と回路がつながっている事は確かです。手の動き、描かれる文字や言葉、脳の中の働きには強い回路があり、何かが行き来しているのでしょう。 僕にもそのような感覚がありました。 ありました。 というのはかつてはあった、ということです。 今はほとんどありません。そのような作業回路が意識できたのは、20歳頃まででした。 今では、そのような感覚はほぼありません。

手の動き・描かれる文字・脳内の反応、 この3つが(それぞれ三角形の頂点だとすると)が強いリンクを持って働いているというのが、たぶん、たぶんですけど正常なのではないでしょうか? ところが、僕はだいぶ異なります。 多くの人にとって、今や文字を書くという作業は、キーボードを打つ作業と同一だと思います。 僕は、キーボードで文字を打つことをかなり早くから始めました。それだけならなんてことは無いのですが、僕は文字を書く(タイプする)時、脳から指先へ向かってなにかが伝えられる感覚が極めて希薄です。全く無いとは言いませんが、希薄だとしか言いようがありません。
まず、指先の動きから脳へ向かって信号が送られ、創りだされる文字が脳と同期しています。つまり、文字をタイプする為に動いている指先が「考えている」という感覚がきわめて支配的です。今もそうです。 そのせいかどうかはわかりませんが、書いたという行為の記憶や書いた文章の内容を脳が全く忘れてしまっていて、後日、それを読んで「馬鹿なやつが居るねえ、誰だこんなこと書いたのは」とか「おや、いいこと言うねぇこいつ、誰が書いたんだ?」と思う事がしばしばあります。物忘れが激しくなったとか、認知症とはたぶん違うと思います。 記憶力が今より格段によく、元気だった若いころからそうだったからです。その場その場で「指」が「考えている」ので、脳がぼやっとしていると忘れてしまうのだと思います。

「だからなんだ?」 と言われると、この話に結論もオチも無いのですが、ひとつ言えることはあります。 「脳の働きと、脳から送られる信号によって、人は行動し、生きている」のは事実でしょう。しかし、脳が人の全てを「支配している」という考えや感覚に、僕は同意できません。 僕だけなのかもしれませんが、僕が文字を書く時は、指先の動きで作られる「文字」が同時に脳に書き込まれ、けっして脳の中に出来上がったものを指先を通じて文字にしているのではないからです。

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暗いステージに浮かぶ一台のコンサートグランド。 ライブ前の、この風景この雰囲気を僕は大好きです。

矢野顕子さんの年間ライブ活動は、年末のこの時期、鎌倉芸術館で締めとなります。 このソロライブのファンは多く、僕もその一人です。 フォーククルセダース、大貫妙子など、久しぶりに聴く曲。 最新アルバムからも。

「女性の作った曲は、ほとんど歌わない。タマネギをむいてもむいても、"私" しかでてこない。男性の作った曲は包み込まれる容器、バスケットの様な感じがする。」という彼女の言葉の意味を、僕は深く理解できる訳ではありません。 ただ、それは裏返すと、女性の本質的な強さを示していると感じます。

「なにかが降りてくる人 」というのが世の中には居るようです。 矢野顕子さんの歌声、ピアノ演奏を間近に聞くと、彼女はそんな選ばれた一人だと信じざるを得ません。

※ 無造作に貼られたセットリスト
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 かつて読んだ世阿弥元清氏の著書、「風姿花伝」に関する松岡正剛氏の書評を読む。
あくまでも書評なのですが、松岡氏の書評はやりすぎ。 読んでしまったような気分にさせる書評は、ある意味 毒 だ。

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『花伝書』はそれぞれの能楽の家に口伝として記憶されたまま、半ばは【文字のない文化】の遺伝子として能楽史を生々流転していたのだということになる。『花伝書』は現在では各伝本とも七章立てに構成されているが、その各章の末尾に秘密を守るべき【大事】のことが強調されているのが、その、文化遺伝子を意識したところである。「ただ子孫の庭訓を残すのみ」(問答)、「その風を受けて、道のため家のため、これを作する」(奥義)、あるいは「この条々こころざしの芸人よりほかは一見もを許すべからず」(花修)、「これを秘して伝ふ」(別紙口伝)といった念押しの言葉が見える。
 こうした秘密重視の思想の頂点にたつのが、別紙口伝の「秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり」である。やたらに有名になって人口に膾炙してしまった言葉だが、その意味するところは、いま考えてみても、そうとうに深い。加うるに、このあとにすぐ続いて「この分目を知ること、肝要の花なり」とあって、この分目{わけめ}をこそ観阿弥・世阿弥は必ず重視した。このこと、すなわち「秘する花の分目」ということが、結局は『花伝書』全巻の思想の根本なのである。この根本にはふいに戦慄をおぼえる。
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 風姿花伝は驚愕の芸術論。 見え方ではなく、見る人の心の動きを論じる芸術論を僕は他に知りません。

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本の整理が大の苦手です。横浜の自宅には父の蔵書も含め物置は本だらけ。小淵沢の本を3分の1まで整理したものの、まだ一つの本棚へ収まりません。新しい本棚を買う決心をしました。まだ買ってもいない小さな本棚に、これから買う本をすこしづつ並べ始める事を想像するのは、すこし幸せな気分です。

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