小淵沢の冷蔵庫

はんでめためたごっちょでごいす! このブログは、IE(Internet Explorer)で閲覧しないことをお勧めします。 "Google Chrome" "Firefox"で最適化するよう編集しておりますので、 IEでは表示が乱れます。「小淵沢の冷蔵庫」というタイトルをクリックすると最新50件の日記が表示されます。              

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歴史に残る漫画家ではないと思うのですが、彼ほどオヤジの美少女趣味を体現している人は少ないと思います。 ポップな美少女を描かせたら世界一。 ところが、彼のマンガ作品はギャグマンガばかりで、それもけっこう中途半端。 おもしろいんだけど、完結しない。 あっ そうか。 今わかった。完成していない、完璧ではない、もしかするとどこかに居るかもしれない美少女なんだ。 江口寿史の描く女性は・・・

僕には喘息と加齢黄斑変性症という病があります。それぞれありがたいことに対応する技術があって、なんとか暮らしています。

目のヤマイのことについて、僕は過去、父の言葉を忘れる事ができません。 僕は父、母とも会話が少ない子供でした。 大人が嫌いだったのです。 それが、いまや58歳。

高校生の時、父とのたわいのない会話が忘れられません。 「盲目と、音が聞こえないという状態、どちらを選択するとしたら俺は盲目をとる。目が見えるだけなら、きっと人を疑う気がする。 声が聞こえるだけなら、その声で、その人を信用して生活できる。」

父は生真面目な人でした。声を信用するという父の言葉を僕は忘れません。

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チャールズ・モンロー・シュルツが亡くなって、もう15年以上が経ちます。彼が描き続けたピーナッツコミックは、アメリカという国家の「良い面」だけを抽出した名作です。実際にアメリカで生活をしたことがある僕の多くの友人は、アメリカという国のダークサイドもきちんと見ていて、けっして手離しのアメリカ好きという人はいません。僕のアメリカはピーナッツの中にだけあるので、僕は単純なアメリカ好きになってしまいました。 カリフォルニアのサンタローザという町は、白人の多い小さな都会。 大金持ちも居なければスラムも無い平和な町。 シュルツの描くアメリカは、この町なくしては語れないと感じます。 いつか行ってみたいと思います。シュルツの父親はドイツからの移民で床屋さん。 チャーリー・ブラウンの父親の職業が床屋であることを知っている人は意外と少ない。

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今、僕は勉強をしたいという気持ちが強くなっています。 なぜかはわかりませんが、やはりかつて大学生であった時代が影響していると思います。 僕はきちんとした学生ではありませんでした。 スキーばかりしていて、アルバイトで稼いだお金はスキーの道具とお酒になっていました。それでも、僕が師事したY教授や、周りに居た人達には影響を受けました。 学問をする という人に初めて出会ったからです。 そして、そのような人達が世の中に必要だと認識できた事が僕に与えた影響はとても大きいものでした。

Y教授は、太平洋戦争、世界大戦と言われる戦争の時、学徒動員の選抜から国の指示で外された人でした。 当時の政府は優秀な学生までも戦地に送る決断をしましたが、それでも各大学毎に戦地に送らない若い学生、大学院生を選抜していました。 その一人がY教授でした。 彼は戦後、消費者金融、信用創造理論のパイオニアとして実績を残した学者です。 彼の元、僕はバカながら勉強をする羽目になりました。 これはけっこうツライ修行でした。 英語のテキスト。 超優秀な先輩や仲間の中で僕は思い知りました。 「なるほど、学問を志す人というのはこんな人達なのだ。学ぶ事に執着する人は、世の中に必要だな」と思いました。 それが分かった事こそが、僕が大学生だったことの価値、理由だと思っています。

僕は勉強はできませんでしたが、卒業時に書いた論文のようなものをY教授は高く評価してくれました。岩岳のスキー場でその半分くらいを書いていました。 悩みながら書いていたので、その内容は今でもよく覚えています。 財閥と言われる組織の成り立ちと、金融機関として戦後果たした機能、功罪についての文章でした。

Y教授の「名前」の効果だけで銀行への就職が可能な時代でしたが、僕は銀行マンにはなりませんでした。

知的であるかどうかという事を定義する5つの項目を紹介するページを知人の情報で知りました。全てごもっともで、納得の内容です。そして、ちょっと自慢なのですが、僕は彼の二つ目は、中学2年生の時に既に知っていました。 というか、今でもこれこそが僕が人物を見る時の最大の判断基準なのです。 気付けば、こういう人だけが、僕の周りに居ます。 彼の二つ目の意見はこうです。

「知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない。」

たぶん、これ同じ考えを、僕は中学2年生の時に強く思い、そして今に至っています。当時思っていたこと、そして今も信じて疑わない事は、 「自分がわからない事をわかる人が賢い人」という思いです。

僕はいつでも知ったかぶりをします。 たいして知識も無いのに。 でも、知らないということには自覚的な方だと思います。 知らないという事をきちんと整理して、もしくは本能的に、自覚できる人が賢いということなのだと思います。 「知っている」という態度の人は、とても疑わしい。 知らない、わからないから、さて どうしようか? という人こそが賢い、信じられる人です。 幸運にも僕の周りには、きちんと「知らない」事を自覚する人が多いのです。 僕は彼らを信用します。 知ったかぶりの僕を、僕は一番信用していません。

井戸は車にて網の長さ一二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゅうひゅうと吹ぬきの寒さ。おお耐えがたと竈の前に火なぶりの一分は一時にのびて、

大つごもりの冒頭、天才だな樋口一葉

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19歳のノート。 「くるかもしれぬ 独りの時のために」 本当にこの人は19歳なのか?

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元素表が好きです。 世の中の事を整理して目の前に示すというのは何時の時代でも大切な事です。元素表は、現代科学、物理学的にはとても単純な論理で作成された表です。元素組織の法則性に忠実に作られたものです。その美しさから、科学を志す人は一度はこの周期表に自分の痕跡を残したいと思うのではないでしょうか。 理化学研究所が113番目の空白を埋めました。 

元素表は曼荼羅です。 

曼荼羅は狭義の宗教絵画。 広義では宇宙の世界観を示すものです。 

僕は、僕の小さな宇宙の空白を埋められるのだろうかと、いつも虚しく考えます。

  二十億光年の孤独


人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした



※ ※ ※ ※ ※ ※

1950年 谷川俊太郎19歳 ノートに書き込んだ言葉が人の目に触れ、翌年に詩集として発表されました。 思想や意図を持たず、感傷的な要素が無い谷川氏の詩は、最初の一編から既に完成されており、そして今も変わりません。 詩が語りかけるのではなく、人は谷川の詩に入り、つつまれて、もう一度自分を見て、そして許すのだと思います。たぶん。



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文字とそれを組み合わせた言葉や文章が、人の感情、思想、論理、風景などを記録として書きしるす役割をはたしていること。 言い換えれば、「なにか言いたいこと」が先にあり、そして文字を書くことによって記録され誰かに伝えること、その価値について、10日前に書きました。

僕は文字を書くということには、それ以外にも多くの異なる意義や動機があると考えてきました。その一つ二つを思い出しながら書いてみます。 小さいころ人は文字を最初に習う時、抽象的な意味を示す記号であるとは意識しないものです。 不思議な形を絵として写しとります。 僕は標準的な子供よりも文字を覚えるのはたいへん遅かったと記憶しています。それでも不思議で魅力的な形を写しとるのは嫌いではありませんでした。長い時間熱中することはありませんでしたが、手を動かして写しとる作業には、しばし集中して我を忘れることがありました。そして、その感覚、感情、集中力などを、大人になっても持ち続ける人は少なくありません。 「手を動かしながら集中する」「集中して手を動かす」事は、他にもたくさんあります。 そのような資質を持つ人には何か共通点があるのですが、にわかにそれを言い表す術を僕は持っていません。 集中して文字を「自分の手で」書くという行為には、感情や思想や論理を構築するという「脳の中の作業」と回路がつながっている事は確かです。手の動き、描かれる文字や言葉、脳の中の働きには強い回路があり、何かが行き来しているのでしょう。 僕にもそのような感覚がありました。 ありました。 というのはかつてはあった、ということです。 今はほとんどありません。そのような作業回路が意識できたのは、20歳頃まででした。 今では、そのような感覚はほぼありません。

手の動き・描かれる文字・脳内の反応、 この3つが(それぞれ三角形の頂点だとすると)が強いリンクを持って働いているというのが、たぶん、たぶんですけど正常なのではないでしょうか? ところが、僕はだいぶ異なります。 多くの人にとって、今や文字を書くという作業は、キーボードを打つ作業と同一だと思います。 僕は、キーボードで文字を打つことをかなり早くから始めました。それだけならなんてことは無いのですが、僕は文字を書く(タイプする)時、脳から指先へ向かってなにかが伝えられる感覚が極めて希薄です。全く無いとは言いませんが、希薄だとしか言いようがありません。
まず、指先の動きから脳へ向かって信号が送られ、創りだされる文字が脳と同期しています。つまり、文字をタイプする為に動いている指先が「考えている」という感覚がきわめて支配的です。今もそうです。 そのせいかどうかはわかりませんが、書いたという行為の記憶や書いた文章の内容を脳が全く忘れてしまっていて、後日、それを読んで「馬鹿なやつが居るねえ、誰だこんなこと書いたのは」とか「おや、いいこと言うねぇこいつ、誰が書いたんだ?」と思う事がしばしばあります。物忘れが激しくなったとか、認知症とはたぶん違うと思います。 記憶力が今より格段によく、元気だった若いころからそうだったからです。その場その場で「指」が「考えている」ので、脳がぼやっとしていると忘れてしまうのだと思います。

「だからなんだ?」 と言われると、この話に結論もオチも無いのですが、ひとつ言えることはあります。 「脳の働きと、脳から送られる信号によって、人は行動し、生きている」のは事実でしょう。しかし、脳が人の全てを「支配している」という考えや感覚に、僕は同意できません。 僕だけなのかもしれませんが、僕が文字を書く時は、指先の動きで作られる「文字」が同時に脳に書き込まれ、けっして脳の中に出来上がったものを指先を通じて文字にしているのではないからです。

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暗いステージに浮かぶ一台のコンサートグランド。 ライブ前の、この風景この雰囲気を僕は大好きです。

矢野顕子さんの年間ライブ活動は、年末のこの時期、鎌倉芸術館で締めとなります。 このソロライブのファンは多く、僕もその一人です。 フォーククルセダース、大貫妙子など、久しぶりに聴く曲。 最新アルバムからも。

「女性の作った曲は、ほとんど歌わない。タマネギをむいてもむいても、"私" しかでてこない。男性の作った曲は包み込まれる容器、バスケットの様な感じがする。」という彼女の言葉の意味を、僕は深く理解できる訳ではありません。 ただ、それは裏返すと、女性の本質的な強さを示していると感じます。

「なにかが降りてくる人 」というのが世の中には居るようです。 矢野顕子さんの歌声、ピアノ演奏を間近に聞くと、彼女はそんな選ばれた一人だと信じざるを得ません。

※ 無造作に貼られたセットリスト
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 かつて読んだ世阿弥元清氏の著書、「風姿花伝」に関する松岡正剛氏の書評を読む。
あくまでも書評なのですが、松岡氏の書評はやりすぎ。 読んでしまったような気分にさせる書評は、ある意味 毒 だ。

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『花伝書』はそれぞれの能楽の家に口伝として記憶されたまま、半ばは【文字のない文化】の遺伝子として能楽史を生々流転していたのだということになる。『花伝書』は現在では各伝本とも七章立てに構成されているが、その各章の末尾に秘密を守るべき【大事】のことが強調されているのが、その、文化遺伝子を意識したところである。「ただ子孫の庭訓を残すのみ」(問答)、「その風を受けて、道のため家のため、これを作する」(奥義)、あるいは「この条々こころざしの芸人よりほかは一見もを許すべからず」(花修)、「これを秘して伝ふ」(別紙口伝)といった念押しの言葉が見える。
 こうした秘密重視の思想の頂点にたつのが、別紙口伝の「秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり」である。やたらに有名になって人口に膾炙してしまった言葉だが、その意味するところは、いま考えてみても、そうとうに深い。加うるに、このあとにすぐ続いて「この分目を知ること、肝要の花なり」とあって、この分目{わけめ}をこそ観阿弥・世阿弥は必ず重視した。このこと、すなわち「秘する花の分目」ということが、結局は『花伝書』全巻の思想の根本なのである。この根本にはふいに戦慄をおぼえる。
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 風姿花伝は驚愕の芸術論。 見え方ではなく、見る人の心の動きを論じる芸術論を僕は他に知りません。

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本の整理が大の苦手です。横浜の自宅には父の蔵書も含め物置は本だらけ。小淵沢の本を3分の1まで整理したものの、まだ一つの本棚へ収まりません。新しい本棚を買う決心をしました。まだ買ってもいない小さな本棚に、これから買う本をすこしづつ並べ始める事を想像するのは、すこし幸せな気分です。

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文字を書く「動機」という事を時々考えます。数字を含む文字と、文字によって構成される言葉というのは、たぶん人間の最大の発明です。 触れられる具体的な「人やもの」を指すだけではなく、抽象的な「なんらかの集合や概念」を示しながら、その曖昧な意味を他の人に伝えることが出来ます。 それは、魔法です。
 「私」という言葉は、私の姿と存在ですが、一方、私の感情、生きてきた時間、私の生活などの領域全体を示す曖昧な概念でもあります。 「闇」という言葉は、光の届かぬ場所、空間、時間であると同時に、人に内包される不安、人智の及ばぬ不可視の世界、光が象徴する善に対する悪を示すこともあります。 ある程度の教育と人間としての社会生活経験を経て、人々はこの、とらえどころのない曖昧な意味を含む言葉の連なりに、ある程度の共通の理解を示し、また全く違う解釈をも与えるという事を繰り返します。 
 かつて湯川秀樹は、「単純な法則で動き、調和している現実(たぶん科学的な、法則、真実を指しているのでしょう)を洞察し発見するのは詩人のみである」と言う意味のことを語っていました。(あいまいな記憶ですが)科学の真実を詩人のみが発見する、というのはどういうことか? ノーベル物理学賞を受賞した天才は何を言いたかったのでしょう。 僕の解釈は明確です。 抽象的な概念を示す言葉を連ねて、真実に近いもの、もしくは神が支配するかもしれない領域に立ち入るのが詩人の仕事です。 理論物理学者である彼が成したことは、究極の抽象言語である数字と数式によって調和する世界を示したことですが、それは彼にとっては詩人の振る舞いと同じだと思えるのです。

 さて、「文字を書くということ」の意味のひとつは人間の知性の所産である言葉を駆使した高度な思考なのですが、一方、それとはすこし違う角度から見ると、示された内容よりも「書く」という行為そのものにも、意味がありそうです。 そのことについては次回。

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祖母から嫁入り道具として母が受け継ぎ、いまだに、普通に使っているというのが、すごい。

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初冬のこの時期、僕はかならず葉山一色海岸を散歩します。 10年間かかさず来ています。 夏の喧騒はとうに過ぎ、雨のあとの澄んだ空の時ならば海の光、雲、望む富士山にしばし癒やされます。 この地は、葉山御用邸からつづくかつて高松宮家別邸があった場所です。 今は僕が大好きな超モダン建築「鎌倉近代美術館葉山別館」と「葉山しおさい公園」になっています。

 海岸線の後方はすぐに切り立った山の斜面で、古い民家が散在します。一方海岸沿いは、どれだけ固定資産税を払ったら維持できるのか?と想像してしまう巨大な邸宅や、シーカヤック、ウィンドサーフィンボードが並ぶ小奇麗なマンションが立ち並びます。 海には広いデッキとキャビンを備える大型のヨットが浮かんでいます。 冬山へこもってしまう直前、僕がここへ来るのは「縁のない別世界を見たい」という気持ちが心の隅にあるからかもしれません。

 海岸へのアプローチは決まっています。 鎌倉近代美術館葉山別館の垣根と、しおさい公園の塀に挟まれた細い道。 道の出口にいつものように光る海が見えます。 ただ、今年の景色は少し違っていました。 

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六本木から横浜へ戻る途中、クルマのオーディオからはジャミロクワイが流れています。 リピートモード。 「次アルバム」ボタンを押すと竹内まりやに。 僕の大好きなアルバム「Denim」。 湾岸線、花の大田市場を横目に見るあたりで4曲目の「みんなひとり」が流れてきました。 大切なともだち、というフレーズ。 大切なともだち・・ ともだち ってなんだろう? わからない。 どこからともだちで、どこまでがともだちなのか。 そんなことはわからない。
 大切な友達、大切な親、大切な恋人、大切な兄弟、大切な仲間、大切な先輩・・・ 関わり方で括る様々な言い方。 大切な「人」でいいんじゃないだろうか? 呼び方などどうでもいい。 皆、大切な人。 自分が思うたくさんの大切な人が居ればいい。 その人達から僕がどう思われても。

 僕は自分の為にだけ生きてきました。他の人を育むことも、助けることも出来るチカラはありません。たぶんこれからも。 ただ、いままでどおりで良いのか? と言う内なる声。

 何かの偶然で出会ってしまったたくさんの人達。 その人達と対峙して、もういちど真剣に「自分の為」とは何かを考えること。

 そしてなにより、今、目の前に居る人をきちんと見て生きていくこと。
  首都高速湾岸線にて

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入選作の意図的な割り振りが発覚したスキャンダルを経て、2回目の日展。 応募作は減少したものの、新規の入選者が増加しているとのこと。 それは良いことだと思うのですが、この巨大な公募展が日本のアートシーンに影響力があるのか? と問われれば、極めて否定的にならざるを得ません。 作品のレベルは高く、だからこそ僕は毎年見ています。 ただ、突出した新たな才能をこの公募展で探すことはできません。 日展が担ったそのような役割はとうの昔に終わっているのでしょう。
 否定的なコメントとなってしまいましたが、日展入賞作のすばらしさ、価値を僕は認めています。毎年足を運ぶのですから。  大学入試センター試験上位ではなく、インディーズデビューを目指す才能に突出したものがあるのは、この時代、当然と言えば当然なのでしょう。

※ 工芸美術の漆作品は、やっぱレベル高い。 洋画と日本画、セグメントが分離されている理由がもはや無い。 

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インタビュー、対談などの録音を書きおこして作られる本には、時々ものすごく面白いものがあります。 もちろん、その話の内容がおもしろいという事は当然なのですが、聞き手の素養、リズム、そして最終的に「編集」する技術に負うところが多いとも感じます。 村上春樹氏の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」は、今回再読。 小説家でこれほど音楽を語れる人はたぶん、今日本で彼くらいだと思います。 小澤氏のすこしユーモラスで飾らない素顔、音楽のルーツなど、やはり面白かったです。 
 それともう一つ、ごく最近出版された春日太一氏の「市川崑と『犬神家の一族』」。題名に犬神家の一族、とありますが内容としては市川崑監督「総論」もしくは「市川映画のどこが凄いか辞典」みたいなもので、たいへん面白かったです。 春日氏は僕よりも二回りも下の世代ですが、たぶん映画を見だした時期は近いのだと思います。 「1950年代、60年代に活躍した映画監督を巨匠と呼びますが、僕が映画を見始めた頃、活動していた最後の巨匠が市川監督と黒澤監督でした。黒澤監督は晩年近く、趣味に走ってしまいましたが、市川監督は最後まで興行的にも成果のあった大作を作り続けました。」 まさにそのとおり。 「どうしても市川作品ベスト3をあげろ」と言われた場合、春日氏が選ぶのは、「炎上」「悪魔の手毬唄」「細雪」だそうです。
 ちなみに僕の市川監督作品との最初の出会いは、子供の頃、父に連れられて映画館で見た「東京オリンピック」でした。
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ヒマラヤのチャムラン峰を単独登山中だった、山梨県北杜市大泉町西井出の今井健司さんの捜索が昨日中止されたそうです。ザック、靴などが発見されたとの報道もあります。 人気のあるイケメン山岳ガイド。
パタゴニアブランドのクライミングアンバサダー。つまりブランドの広告塔として機能すると判断され、サポートされているということです。 パタゴニアがサポートする日本人クライマーは4名。 横山 勝丘、谷口 けい、花谷 泰広、今井 健司、です。 実績、実力はもちろん、皆「花」があるクライマーです。 そして、全て山梨県北杜市在住なのです。 これには明らかに理由があると思います。 皆、山岳ガイドが本業ですから八ヶ岳、南アルプスへのアプローチが容易な場所が商売上有利です。首都圏からの集客が期待できる絶好のポジション。 北アルプス、立山などへの玄関までも2時間以内。 海外遠征の為に羽田、成田へも行きやすい場所です。 プロモーション、スポンサーとの打ち合わせはもちろん東京ですが、気軽に日帰りできる距離です。従って優秀なアルペンクライマーが北杜市に集まるのだと思います。

これからの活躍が期待されたクライマーでした。

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内山選手の初優勝で全日本は終了。 これは順当。 第二シードの内山選手は明らかにチカラをつけて来ています。 以前にも書きましたが「全日本」という名前を冠するスポーツ大会で日本のトップ選手が参加していないのはテニスだけです。特に女子にその傾向があります。フェデレーションカップという女子の国別対抗戦の代表は一人も全日本選手権に出場していません。男子のデビスカップ代表も半分しか全日本には出場していません。 つまり、テニスで「食っていく」為に全日本のタイトルには意味が無いということです。 全日本選手権で優勝しても、ATP,WTAのポイントが得られないので、多くのトップ選手はこの時期、海外の大会に出場しています。 全日本の優勝は、いまや日本の若い選手にとっては「卒業」を意味します。 内山選手、まずはWTAランキング二桁を。

※ 余談。 内山選手。 実は鈴木貴男選手以来の北海道出身優勝者。 北海道ではインドアの大会が多く、その多くはペースの速いサーフィスです。 当然攻撃的な選手が有利となります。

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ルクセンブルグのWTAツアー初優勝おめでとうございます。2010年の全日本優勝以来、国内では試合を見ることはほとんど無くなりましたが、それまで僕は熱心な土居選手ウォッチャーでした。 決して体格に恵まれているわけではありませんが、いままでの日本の女子テニスプレイヤーの中では最強のフィジカルの持ち主ではないかと僕は思っています。フィジカルは勝負事の一つの要素でしかありませんが、最も重要な要素でもあります。 この2,3年の内に世界ランキング20位以内を目指して欲しい逸材だと思います。期待しています。

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最近、高野秀行氏の著作を読んでいます。冒険、探検記の類が多いのですが、「ワセダ三畳青春記」は、ほぼ僕の事が書かれているのかと思うほど驚きました。三畳間に住んだことがある人というのは少数です。ましてや、僕の年代では学生時代も裕福な奴が多く、体育の授業で一緒だった四国から来たやつなんて、近所の高級マンションに住んでいたし、友人の多くが自宅から通っていたのでアルバイトで稼いだお金は使い放題でした。僕はスキーの道具を「つけ」で買って、シーズンオフにぎりぎり返済という生活。 高野氏の三畳間生活と僕の三畳間生活の違いは、彼の方が三畳間人生が僕よりも長期間だったこと、彼の住んでいた三畳間が早稲田正門前で、僕は高田馬場だったこと。高野氏の部屋が月1万二千円であったのに対し、僕の部屋は1万6千円だったこと。
 テレビも炊飯器も粗大ゴミの置き場から拾ってきて使っていたのも同じ、バイトで稼いだお金を持って高田馬場のカモシカにリュックを買いに行ったのも同じ、超ヘンテコな住民とドタバタ暮らしていたのも同じ。 貧乏なのに酒ばっか飲んでいたのも同じ。 キャンパスまで歩いていけるので、たどり着いてから私鉄のストで休講だと知るのも同じ。

 三畳間を出てスーツを嫌イヤながら着る生活に入る時の高野さんの気持ちの描写があまりにも生々しく、僕は彼の文章が大好きになりました。 スーツ生活25年の後、この11年くらいスーツを着ていません。結婚式に呼ばれても、Tシャツに麻のジャケット。これがぎりぎりの妥協です。 葬式に喪服は着用しません。そういうコードから退避したからです。 今は部屋は広いけど僕はもう一度「三畳間」に潜り込んでいるのかもしれません。

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僕は美術館が大好きです。 普通は展示される美術品の鑑賞が好きなのかと思われるのですが、実はちょっと違います。 展示物、企画展などはもちろん好きなのですが、美術館そのものが好きなのだと思います。 従って僕の大好きな横須賀美術館とか、鎌倉近代美術館葉山別館などは、「喫茶店」「レストラン」だと思っているフシがあります。大好きなモダンでコンテンポラリーな美術館とはひと味違うのが根津美術館です。3年以上建て替えの時期がありましたが、かつての根津美術館の良い所をきちんと踏襲して、とても良い場所になりました。

根津美術館は、個人の収集家による美術館です。根津さんの収集は膨大で、それをテーマ毎に展示するというのがこの美術館のスタイルなのですが、まあ、はっきり言って、中国の青銅器などはどうでもよくて、茶器、水差し、香炉、その他茶道具は絶品。 

庭園内のカフェが最高です。

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ツアンポー渓谷という地名すら、この著作を読むまでは全く知りませんでした。中国のチベット自治区にある渓谷なのですが、人が住んでいる場所も少なく、そもそも入り込むことすら困難な秘境なのだそうです。驚異的な水量が世界一の標高差を駆け下る渓谷であり、その規模はグランドキャニオンを遥かに凌ぐそうです。 ただアプローチの困難さが尋常ではなく、そのことに反して「あまり注目されない」のでニュースになりません。 エヴェレストに登頂した、K2に登頂した、という方がニュースバリューがあることは僕にも直感的にわかります。 それでも、命がけで秘境に踏み入っていく人というのは何時の時代にも居るものです。 この渓谷に魅せられた人たちの挑戦の歴史と著者自身が未知の地域を探索した記録をつづったのがこの著作です。 普通の人には説明がうまく出来ない衝動によって、無茶をする人の心境がよく分かる本です。 実際には、本当は良くわからないのですが・・・・
 氷壁をよじ登る人、素潜りで海に潜っていく人、手漕ぎで外洋に出て行く人、宇宙に行く人、極地を歩き続ける人、雪崩に追いかけられながらスキーで下る人、それはそれは「とても頭の悪い人たち」なのですが、 広義の ”Explorer” は、人が踏み込まなかった領域に入っていく人という意味です。 つまりノーベル賞を受賞するような人達の資質と無茶な探検、冒険をする人の資質は、どこかでつながっているような気もします。

※早稲田大学の探検部という小さなサークルは変な人をけっこう輩出していて、角幡さんもその一人。彼の先輩、同じく探検部出身の高野秀行さんの著作を最近読み始めました。

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彼の「しかけ絵本」の魅力は、いまさら僕が言うことではなく周知の事実。 今日は小さな本を買ってきました。彼の作品には冬をテーマにしたものも多いのです。
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雪の結晶です。とても複雑な造形になっています。
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凍った池でスケートをする少女です。本のページを開ける角度によって、少女が回転します。


とにかく、あの店(メッゲンドルファー)に入るのは危険です。 「星の王子様」(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupery)とか、Antonio Placido Guillermo Gaudi y Cornetの作品の「建築しかけ絵本」とかもあり、思わず買いそうになるのですが、さすがに値段を見て思いとどまります。

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八ヶ岳という山はありません。同じく阿蘇山も大雪山もありません。大きな一つの山塊が壊れて幾つかのピークになったと判断される場合、その全体を一つの「山」として地名にするのが、なんとなく慣習のようです。 ただ、阿蘇山も大雪山も巨大カルデラ形状、つまり山の真ん中が吹っ飛んで外輪山が綺麗に残っているのですが、八ヶ岳はそのような形状にはなっていません。ネットで調べると、八ヶ岳の崩壊は何回もの噴火によるものであることは確実なのですが、まだ謎が多いと言われています。
 よく知られている「富士山と八ヶ岳の背比べ」という民話には科学的な根拠があるそうです。同じような形をした富士山と八ヶ岳が「自分の方が高い」と主張してゆずらず、トイを掛けて水を流したところ、水は富士山の方に流れたという話です。 八ヶ岳の崩壊があって今は主峰の赤岳の標高は2900メートルですから、富士山より1000メートルは低くなっています。崩壊前の八ヶ岳主峰は「古阿弥陀岳」3400メートルです。 ん 富士山より低い。 ところが、ところが、民話は正しかったというのが今では定説です。 古阿弥陀岳が存在していた大昔、富士山は成長の途中でまだ今の高さになっていなかったのです。 
 さて、この記述を以前読んだ時、僕は「なるほど」と気づいたことがありました。 僕は八ヶ岳南麓に暮らしているのですが、八ヶ岳の山々にはほとんど登ったことがありません。 登ったことがあるのは編笠山(南八ヶ岳)北横岳(北八ヶ岳)そして先日登った天狗岳(北八ヶ岳)だけです。それでも、誰もが言うように南八ヶ岳と北八ヶ岳では山の様子がずいぶん異なるという事は実感としてわかります。 南は険しい岩山という感じ。 北はちょっとなだらかで林の中を歩く感じです。 つまり、古阿弥陀岳が吹っ飛んで出来たのが南八ヶ岳の山々で、北八ヶ岳の山はまったく違った歴史があるということなのだと思います。納得しました。
 写真は霧ヶ峰から見た八ヶ岳。 南麓側から見る八ヶ岳とはまったく違う姿。

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洋梨のシャーベットを食べました。 んんんんん すると、思い出しました。 実はかつてあったアンナミラーズのメニューに洋梨のシャーベットがあり、それがものすごく美味しかったので僕はよくアンミラに行っていました。 主に駒沢店と自由が丘店でしたが、アンミラは急激に店舗を閉鎖して今は高輪の1店舗のみです。 いやー セクシーユニフォームのお姉さんを横目で見ながら、おいしいシャーベットを食べるというのは至福。 洋梨のシャーベットと多店舗展開、復活してくれないかなぁ。 ちなみに写真の本が、横浜の図書館にあったのでネットで予約。最寄りの図書館へ配送中。
 本の題名がベタ ですよね。 「ティファニーで朝食を」をパクった制服オタクの森さんの本。 

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ドイツの個人コレクションを中心としたピカソ展。 必見なのは言うまでもありませんが、美術の教科書でしかピカソを知らないキュビズムの大作を期待するような人にはオススメではありません。
 宮城県美術館所蔵の「サロメ」と和歌山県立近代美術館の「サルタンバンク」という銅版画が展示の初っぱなにあり感激。これが美術館のキュレーターのセンスだとすると山梨県立美術館はなかなか侮れない。 とにかく、銅版画、リトグラフ、木版などの版画の点数が半端ない。さらにテーマが決まっている連作の見応えにため息です。 版画というと普通は完成を目指す作品ですが、ピカソの版画は、デッサンのスピード感。 版の原盤展示も多く、そのスピード感が増します。

さらに、一部のマニアの人にオススメなのが、膨大なピカソをモデルとしたポートレイト。つまり写真です。これは素晴らしい。 この辺が個人コレクションの真骨頂です。 9月30日まで清里フォトアートミュージアムで展示されているアメリカで活躍したフォトジャーナリズムの源流となる写真家の作品の数々と、このピカソ展のポートレイトを連続して見る事をオススメします。 つまり、ヨーロッパで活躍した「フォトジャーナリズム」の潮流の中に居た写真家のコレクションとして、とても価値のある展示なのです。

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「消えゆく熱帯雨林の野生動物」という本を出した松林尚志さんのお話がとても興味深いものでした。松林さんは、東京農業大学の准教授。もともとは遺伝子工学分野の動物研究者だったのですが、博士課程に進む時、「もともと動物好きが高じて選んだ分野だけど、やっぱり実際の生きた動物を見る研究をしたい」と思い、熱帯雨林の生物研究者となったのだそうです。朴訥な話し口で面白い話がたくさんあったのですが、2つの話が印象に残りました。
 一つ目は、オランウータンの話。熱帯雨林の中で動物たちが塩分を採る「塩場」という場所の重要さを証明し、マレーシア政府に森林の保護を働きかけた時の話です。赤外線センサーを使い動物がその塩場へ来るとシャッターが切れるカメラトラップを設置して動物の写真を撮り続けました。様々な動物が訪れる中にたくさんのオランウータンが居たのです。複数の個体が同時に居る場合も多く、雄はものすごく長い時間そこへ留まることがありました。さらに交尾する姿も写っていました。このことを論文にまとめ、日本で発表したところ、霊長類研究者にあまり信じてもらえなかったというのです。「オランウータンはほとんどの時間を木の上で生活し地上にほとんど降りない」「母子などを除けば単独行動」というのが霊長類研究者の常識だったからです。 そのことについて松林さんは、控えめな調子で言いました。「日本の霊長類研究は世界のトップレベル。研究者は自分の目で確かめるフィールドワークを重要視しています。自分の目で確かめようとすると、気配を感じて野生のオランウータンは木から降りてこないのではないでしょうか。」 言われてみれば、そりゃそうだ。
 二つ目は著書の表紙にもなっている野生の牛「バンテン」の話。ボルネオのバンテンは、家畜との交雑があり、保護動物に指定されていませんでした。 松林さんは交雑を示す研究資料やDNAサンプルなどを必死になって探しました。 ところがどうしても見つかりません。 それでもバンテンの交雑は「常識」となっていたので、誰も取り合ってくれませんでした。 そこで、自分でバンテンの糞のサンプルをたくさん採取しDNAの解析をしたところ、交雑の痕跡が無いばかりか、他の熱帯雨林に居るバンテンとも異なる「新種」である可能性が出てきたというのです。
 このような話は、科学研究の分野ではよくあるらしいのですが、謙虚に目の前のものを見る松林さんの姿勢がよくわかる興味深い話でした。

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ジェリー・アンダーソンという天才プロデューサーの代表作であるサンダーバードというテレビシリーズが出来たのは1965年ですから、なんと50年前。イギリスでの放送が始まって間もなく、日本でもNHKが放送したので、僕は小学生の時夢中で見ていました。 2号と5号のプラモデルはすぐに買ってもらいました。 CGでの新作が始まったのに伴って、オリジナル版の放送もやっています。 この歳になって、あらためてこのオリジナル版の凄さに驚きます。 メカのかっこよさ、セットの作りこみ、スーパーマリオネーションと言われる人形浄瑠璃的なテイスト、などなどどれも感嘆します。加えて気付くのは、長期滞在型の宇宙ステーションを既に設定していること、飛行メカがヘリコプターではないVTOL(Vertical Take-Off and Landing)であること、監視捜索のためのメカにドローンを使っていること、台風、火災、地震、様々な事故に加え、放射能汚染までテーマにしていること。ジェリー・アンダーソンの慧眼と言うべきでしょう。

ちなみに彼の作品で、サンダーバードの次に僕が大好きだったのは、ジョー90。 あまり人気は無かったようですが、 マトリックスを初めて見た時「おーー ジョー90だぁ」と思わず言ってしまったおいちゃんでした。

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もう " Fall Line " が発売される季節になりました。 広告のページも含めて美しい写真満載のバックカントリー、ビッグマウンテン系のスキー、スノーボード雑誌。どのページも美しいのですが、僕がなんとなく引っかかる写真は、いつも人物が大きく写っている写真です。 2016シーズン Vol1で気になったのは、ニセコのチューンナップショップの写真と、海岸から立山ハイクアップ決行の人々。いいですよね。

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僕は素数が大好きでして、現在のクルマのナンバーが素数であり、構成する数字も全て素数であることにすぐに気づきました。 素数オタクです。 久しぶりに「素数ゼミの謎」を読みました。 セミの発生周期は素数です。 なぜか? 最大公倍数の出現確率が素数のほうが少ないからだと言われています。素数の最大公倍数が他の整数より発現確率が小さい為、結果としてアメリカに氷河期を生き延びたと言われる13年とか17年などという周期のセミが発生するという仮説です。  セミという昆虫は、ものすごく長い期間、地中にとどまる能力があります。その結果、「なんか地上が騒がしいな」とか「雨多すぎるし」とか、「寒すぎ。やば」とかいう時に、無理に地上に出ず、みんなと一斉に快適な時に飛び出す方が生存確率が高くなるということです。 周期の最大公倍数頻度が高い場合、捕食者に出会う確率が高く、仲間も少ないということになります。 ということで長期素数周期のセミが生き延びたという素敵な仮説。

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20年前に発表された、東野圭吾氏の小説の映画化。 東野氏はおいちゃんと同い年。 今でこそ東野の新刊というだけで、買う人が居るほどの人気作家ですが、20年前は、やっと売れ出した中年作家。 僕はこの小説を読んだことが無いのですが、映画化された作品を見て驚愕。 この根深い、深刻な課題を当時このように描いたのですから驚きです。映画なりの脚色はありますが、ほぼ正確に日本の原発問題を描いていると感じました。 感動しました。

ただ、最後に一つ。 時間とお金をかけていないので、映像、その他ディテイルとしての完成度はイマイチです。 ハリウッドがこのテーマで真面目にやれば、ものすごい映画になるような気がします。

映画出演が久しぶりのモックンが、超存在感。 さすがです。

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「アートとは」とか「アートを定義する」などというのは、まあどうでもよいことですし、時代が移れば解釈も変わるものです。 とは言っても時々納得出来ないことが起きたり、言われたりすることがあり、「そもそもは」と考える事があります。
芸術が定義されるきっかけは、それが職業として成り立ち始めたことにあると思います。素朴に、ただ何かに絵を描くとか、思いつくままに何かを歌う、という段階とは異なるということです。 極論ですが、世界中の美術館、博物館などに所蔵されている作品を全て並べたとします。 おそらくそのほとんどは、誰かが誰かに作成を依頼したものです。 つまり、依頼主が特殊な技能のある人に報酬を提示して作らせたものを、私たちは後年、芸術作品と言っています。「依頼主からの受注によって作られる」という様相が薄まってきていることは事実ですが、それはたかだかこの100年くらいのことではないでしょうか。 現在でも真に個人の自発的な行動として、全ての作品が生まれている訳ではありません。
芸術作品が生まれる「そもそも」の手順、つまり依頼主の意向、報酬を伴う発注と受注、特殊な技能に長けた人の制作、という形が明確に残っているのが「建築」と一部の「工芸」分野だと僕は思っています。

※ 写真は、一度は行ってみたい秋田の国際教養大学図書館。重鎮、仙田満氏の作品です。 ちなみに山梨県立科学館も彼の作品。

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横浜の自宅からクルマで出発すると、すぐにこのような立体の交差点があります。 鎌倉街道の交差点です。 左に進めば横浜、右に進めば鎌倉です。 単純な十字路ではないので、どちらに行く場合でも本線に合流することになります。 さて、高速道路ならば、誰もが左(横浜方面)へ行く場合、右へ合流なので右へウィンカーを出します。 右(鎌倉方面)でも同じです。つまり左通行なのでクルマの合流は、常に右へウィンカーを出して合流の意思表示をするのが道路交通法上のルールです。

私は法律を守って右へウィンカーを出します。そもそもそうしないと、ウィンカーが本線のクルマから確認できません。 ところが、ところがです。  横浜方面へ行くクルマは、私のクルマを除いて、全て左のウィンカーを出します。 謎です。 さらに謎なのは、鎌倉方面へ行くクルマの4割くらいは右にウィンカーを出すのです。 どうしてでしょう?  謎です。 どなたか解説をお願いします。

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デザインコンペにおいて立て続けに、2つの勝利したデザインが白紙に戻りました。言うまでもなく新国立競技場とオリンピックエンブレムの事です。作品の性格、撤回のいきさつには違いがあるものの、この不手際の責任はデザイナーにはなく、全て審査する側にあります。 コンペである以上、ルールがあり、基準が示され、それに沿ってデザイナーが応募し、そして選ばれたのです。 僕は審査委員長が全責任を負うべきだと思います。 エンブレムの審査委員長は、永井一正氏。 グラフィックデザインの世界の大御所。 どちらかといえば「職人的」なデザイナーだと僕は感じます。 しかし、審査委員長の仕事はきちんと出来ませんでした。 永井氏の札幌オリンピックのシンボルマークを僕は大好きです。

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「おかしな奴だった」

でも、自分によく似ていたな、と猫は思った。
あんなに似ている奴に出会ったのは、初めてのことだ。

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友人夫婦からの電話で、リゾナーレ八ヶ岳へ。 「すこし早いけど、誕生日プレゼント」と彼らが言って渡されたのは、小淵沢の小さな新しいドメーヌ 「ドメーヌ・ミエ・イケノ」のシャルドネです。
僕の猫好きを知っていて、これは本当に嬉しい贈り物。 畑を開墾する際、猫の足跡がたくさんあったので、会社名が「猫の足跡」

このワイン 美味しいのは知っているのですが、おいちゃんワインで悪酔いするので、飲むタイミングは、慎重に・・・・

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実は、日曜美術館の再放送を見る為に午前中の仕事を休ませていただきました。録画機能が無いもんで。 オディロン・ルドンというフランスの画家を武満徹が語った1980年の放送の再放送。これは見逃せません。 武満は、色彩の無い世界と華やかに着色された世界、音のない世界と騒音がこだまする世界を対立させて考えない不思議な能力の持ち主でした。ルドンという鬼才を武満に語らせるというNHKのプロデューサーの企画は秀逸でした。  彼は「西欧的、合理的」なものを否定はしなかったものの、 西欧的秩序を持たない異界へ足を踏み入れる事が出来た稀有の才能でした。

※かつて読んだ武満の著書「音、沈黙と測りあえるほどに」からの一節

 1948年のある日のこと、ぼくは混雑した地下鉄の狭い車内で、調律された楽音のなかにちょっとした騒音をもちこむことを思いつきました。それとともに、作曲するということはきっとぼくをとりまく世界を貫いている「音の河」にどんな意味を与えるかということだろうと確信できた。
 そのころ、しばらく前から音楽は孤立していました。人々は音楽を聴くことに苦しんでいた。いつからこんなことになったのだろうかと思いますが、それがわからない。とくに日本人としてそれがわかりにくくなっています。
 たしかに音楽は数理的な秩序のうえに成り立っているものでしょう。けれどもそれはヨーロッパの音楽ということであって、その規則とはべつにぼくは音のなかで生活し、太陽を見てくしゃみをし、地下鉄の振動をみんなとともに感じつつ、作曲の着想を得てきたのです。もともと音楽は持続であって、瞬間の提出です。ですから、便宜的な小節構造に縛られているのはあまりにむなしいのです。
 ぼくは地下鉄を降りて広場に出て、そこに犬の彫刻が置いてあったのを見て、どうして吠えない犬を置いているのだろうと思いました。これではその広場はいったい何をもたらしいのか、わからない。

 それから15年ほどたったころ、ぼくは北海道の原野を歩いていたのですが、自分が都会の舗道の敷石にとどまっていることをふいに知らされます。
 都会は末梢神経こそ肥大させたかもしれないのですが、四〇キロも見渡せる原野の知覚のようなものをもたらさない。このときぼくは、音は沈黙と測りあえるほどに深いものでなければならないと知ったのです。
 その数日後、ぼくは宮内庁で雅楽を聴くことになりました。驚きました。ふつう、音の振幅は横に流されやすいのですが、ここではそれが垂直に動いている。雅楽はいっさいの可測的な時間を阻み、定量的な試みのいっさいを拒んでいたのです。
 これは何だろうか、これが日本なのだろうかと思いましたが、問題はヨーロッパの音楽からすればそれが雑音であるということです。雑音でなければ異質な主張です。そうだとすると、ぼくという日本人がつくる音楽は、これを異質な雑音からちょっとだけ解き放って、もっと異様であるはずの今日の世界性のなかに、ちょっとした音の生け花のように組み上げられるかどうかということなのです。
 このとき、日本という文化があまり人称にこだわらないということがヒントになりました。そう、人称なんていらないのです。音が鳴るたびに「私は」「僕は」と言わないように音を並べたい。
 そうなのです、ぼくは発音する音楽をつくりたいのです。吃りだったからそんなことを言っていると思われるかもしれませんが、それもありますが、それよりも、どんな石にも樹にも、波にも草にも発音させたいのです。ぼくはそれを耳を澄まして聴きたいだけなのです。ぼくの音楽があるのではなく、音楽のようなぼくがそこにいれば、それでいいのです。
では‥‥、さようなら。

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武満徹は、世界的に認められた数少ない日本の作曲家です。 彼は音楽の専門教育を受けたことがありません。 商業的、コマーシャルな仕事も数多く、独特のオーケストレーションを見せる現代音楽は当初、理解されませんでした。 

1996年、かれの訃報は世界を駆け巡りました。 武満作品に出会うまでは現代(前衛)音楽などほとんど演奏しなかったウィーンフィルをはじめ、世界の名だたるオーケストラが武満作品の追悼演奏会を行いました。 このことは、実は日本ではあまり報道されませんでした。

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1985年8月12日前後のことは、とてもよく覚えています。僕は9日に愛車サファリ(型式160)を層雲峡の駐車場へ止めてロープウェイで大雪山黒岳を目指しました。200センチの小賀坂ユニティーを担いでいました。 ところが、稜線に出ると人生で初めて経験する強風。爆風とでもいうのでしょうか。スキーなど持っている場合ではありません。漬物石くらいの石が風で転がっているのです。スキーを登山道の脇に置いて、大きな石で埋めて翌日取りに来ることにしました。 避難用の石室まで這ってたどり着くと、テントを飛ばされた登山者で石室はごった返していました。 翌日、風がやんだので、スキーを取りに引き返し、石室から2時間ほど歩いた雪渓の上部にオンボロの一人用テントを設営。そこで3泊。 登山、散策ルートから外れた場所なので、人間には一度も会いませんでした。 すこしだけ雪渓でスキーをし、ほとんどの時間は本を読んだり、ラジオを聞いたり、流れ星を数えたり、ただゴロゴロしていました。 13日は旭川のビジネスホテルを予約していたので、12日が雪渓最終日。 50メートルくらい離れた所を200キロ?300キロ? くらいの巨大なヒグマが僕のことなど全く無視して雪渓を横切っていきました。こちらは、ちょービビリ。

13日、旭川のビジネスホテルにチェックインし、近くのレストランで久しぶりのマトモな夕食。 置いてあった新聞を手に取ると、カタカナの名前が紙面を埋め尽くしているのです。 羽田から伊丹に向かった日航機123便の乗客名簿でした。 

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設立されて2年、専用の研究施設が出来たばかりの東京工業大学地球生命研究所「Earth-Life Science Institute」において、廣瀬所長の話を伺う機会がありました。
総合的、学際的という言葉は、ずいぶんと昔から使われていますが、実際には、高度に専門化した研究成果や研究者を取りまとめながら、画期的な成果を出すというは生易しいことではありません。廣瀬さんは、半世紀に一度あるかどうかと言われる地球の構造上の大発見をしたことで世界的に有名です。「地学(高圧地球科学)」が専門分野です。 この人のもとに、宇宙工学、生命科学、惑星形成、ゲノム、物性物理、光合成などなどの研究者が集結しています。研究の最終目的は「地球生命の特殊性と普遍性の理解」です。

この研究所のいまのところの仮説は、今までの「生物の起源、生命科学」の潮流とはすこし違います。海中、さらには深海の熱水噴出孔などでのRNA合成だとか、隕石が生命の起源となる物質を運んできたとか、諸説ある中、ELSIは、地上で原初の生命が生まれたという立場をとっています。 豊富な二酸化炭素、紫外線、さらに塩水ではない水が供給される条件が生命誕生に有利と考えているからです。

公開のイベントだったので、最後に質問の時間がありました。 8歳の男の子の質問が鋭くて、おいちゃん悶絶しました。 「どうして海の水はショッパイのですか? 海がショッパイ事は生き物に必要だったのですか?」 廣瀬氏が答えました。 「海が塩辛いのは、岩石に含まれた塩が溶け出したからです。また、昔の海は、今の3倍くらい塩辛かったと考えられます。実は生き物が生まれる条件としてナトリウムはあまり必要ありません。むしろ不利です。 より必要なのはカリウムなのですが、そのような条件を考えると最初の生き物は海ではなく地上で生まれたと私達は考えています。」

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ツァイ・グオチャン 蔡國強 の展覧会。最新の作品が並ぶ。 ぼくと同い年の中国屈指の現代アートの人気者。 火薬を 使った派手なパフォーマンスしか知りませんでしたが、この人はけっこう危ない橋を渡っている気がします。日本初公開の「壁撞き」は、狼の群れが透明のガラスの壁に群となって突っ込み、崩れ落ちながらも次から次へ、立ち向かう情景。 英語の題名は、Head On
実物大のオオカミの中を歩くと、身の危険を感じるほどです。 言論の分野ではない為、弾圧は免れているものの、アートに生きる人のど根性を感じます。 当局はわかっていても、国際的な評価の高いこのおっさんのあぶない作品をさばくすべはありません。 天から降りてくる巨大な朝顔のオブジェ Morning Glory も さすがです。 感動しました。
 
狼は犬の祖先です。 しかし、 まったく犬とは違う生き物です。 かつて僕の仕事に協力してくれた企業の社長は、茨城県に馬を飼育、訓練する牧場を持っています。 仕事の合間に見学させていただきました。 40メートル四方くらいの大きなケージに3頭のアメリカ狼を飼っていました。 飼い主を見ると大喜びで、その場で人の高さくらいまで垂直飛び。 しかし、僕の顔を見ると歯を食いしばって唸り声。 このケージに入ると食われると思いました。 狼は 犬ではありません。 その時の恐怖を今でも覚えています。

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行けなかったのですが、僕にとっては夢のようなライブがブルーノート東京で先日ありました。秋吉敏子&マンデー満ちる。 そのライブパフォーマンスがどうだったかなどということはどうでもよくて、僕は長年、秋吉敏子さんと秋吉満ちるさん(マンデー満ちるさん)親子の大ファンだからです。ただのミーハーです。
さすがにこの歳になると昔話が多くなりますが、これはとっておきの思い出です。30年以上前のこと、秋吉敏子さんが来日したのですが、ほぼ、シークレットライブ的に池袋のライブハウスでトリオの演奏をしました。 このチケットが取れたのは全くの偶然でした。超マイナーな地下のライブハウス。ぎゅうぎゅう詰め。 当時、彼女は50歳台で米国ジャズ界の重鎮にしてスター。それもピアニストにしてビッグバンドジャズを率いるという今後絶対出てこないような逸材として尊敬を集めていました。彼女のバンドは、ほぼ毎年、米国のジャズ専門誌の最高評価でした。既にレジェンド。 池袋地下のトリオライブは最高で、僕は、「なるほど、この才能はアメリカに住んでいないと発揮できないな」と思いました。 ピアノの横3メートルくらいの壁際、エキゾチックな顔立ちの少女がスチールの折りたたみ椅子に座って演奏を聞いていました。 彼女がデビューして初めて僕は気付きました。 あの時の少女が満ちるさんでした。 満ちるさんのオーソドックスな色っぽいジャズボーカルを2回だけですが、ライブハウスで聞いたことがあります。 ファンです。

敏子さんはもう80歳を超え、満ちるさんも50歳くらいか?  あーーー ブルーノート行きたかったぁぁ

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清里フォトアートミュージアムの夏の展示は、写真報道にとって(あえて報道写真とは区別してこう言います。)重要な展示内容だと思います。 展示の題名が仰々しくて「未来への遺産 写真報道の理念に捧ぐ」となっています。 さすがにこれは如何なものか とは思いましたが、展示写真を実際に見ると、すこし納得せざるを得ません。
展示内容は、1968年に出版された“The Concerned Photographer” をベースにしています。これはコーネル・キャパの企画によります。 作品は1900年初頭から1950年代までのものです。 コーネル・キャパの編集意図は、本展示の冒頭に並ぶアンドレ・ケルテスの言葉に集約されていると思います。

「カメラは私の道具であり、私はその道具を使ってすべてのもの、身の周りで起こるすべての事に理由をあたえようと試みる。すべてが主題となる。すべての主題にリズムがある。 そのリズムを感じる事が、”存在理由” にほかならない。 写真とは本来、持続するそうした”存在理由”の固定された一瞬である。」

“The Concerned Photographer” とは、時代に寄り添い、関わり続ける写真家の覚悟 のような気がします。 僕は、あと2回は見に行くと思います。

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実は、僕の棲家の目の前にホテルが出来ました。 小さなホテルですが、まあ 2年くらいの工期の間、現場の人たちが滞在して居ました。 つまり、プレハブの仮設住宅に誰かが住む期間があったということです。 猫が、目立つようになりました。

さて、おいちゃんの経験というか、日常だったのは、東京都の汐留開発です。 JR新橋駅から東銀座に歩いていくということを25年間やったのですが、1990年位から15年くらい、通勤の途上にある汐留の旧国鉄の土地について巨大開発計画があり、さらに、その進捗が極めて遅かったのです。 鹿島ですかねぇ これ主導していたのは?  巨大開発なので、プレハブの住居に住む人が入れ替わりながら十数年居ました。 このような場合、確実に猫が増えます。 猫というのは、餌と水を与えておけば、好き勝手に生き延びるので、工事現場の人たちには好都合のペットです。 棲家ではない常駐の人間が15年も居れば、猫天国になります。 現場の従業員にとっても格好の癒しアイテムなのです。
汐留開発がある程度完成した頃、僕が職場からJR新橋駅に歩いている夜遅く、街路樹がライトアップされている新しくなったオサレな歩道。その木々に子猫がたくさん登って、ライトアップされながら、僕達を眺めていたのです。 その光景はものすごく魅力的で、誰もがスマホで写真を撮っていました。しかし、残念ながら、彼らが住みやすい環境、気ままに暮らせた時代が終わってしまった事の象徴でした。 もう、汐留には猫は居ません。

近所のホテル建設は終わり、建設に関わった人たちは居なくなりますので、猫さん達も微妙に生活パターンを変えなければいけません。

ちょっと憂鬱なニュースは、あふれていますが最近気になる憂鬱ニュース上位5つに入ってくるのが、東芝の不正会計問題です。 企業が決算数字を操作するなどあってはならない事です。 下世話なことになってしまいますが、上場しているような規模の企業が売上をごまかす事は、かなり困難です。すると、不正の手口は、利益飛ばし、経費・コスト操作、ということになります。 前者がオリンパス。後者が東芝です。 オリンパスは、「会社ぐるみ」では無かったという判決になりました。 複数の部門に渡って経費・コスト操作をするということは「会社ぐるみ」でしか出来ませんので、東芝の問題の方が根が深いでしょう。 

東芝の監査法人は「新日本有限責任監査法人」です。業界最大手。 僕もちょっと付き合いがありました。 さて、新日本有限責任監査法人は今回の事件に関して第三者委員会の調査に全面協力していることでしょう。 自身の存続にも関わりますし、金融庁とは仲良くしなければなりません。 しかし、監査法人の責任は逃れられない案件だと感じます。

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