小淵沢の冷蔵庫

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原村では夏の間、屋外で映画祭があります。今年はラ・ラ・ランド、メルー、そして昨晩はジャニス:リトル ガール ブルーを観ました。メルーとジャニスは、メジャーの配給では無いため、上映館が少ない作品です。そしてどちらも完全なドキュメンタリーフィルムです。良くも悪くも「作り込まれたエンタテイメント」であるラ・ラ・ランドと「迫ってくる」ドキュメンタリー2作品を観ることが出来たので、今年は良い夏でした。
 
 ジャニス:リトル ガール ブルーは、貴重な記録映画だと思いました。ジャニス ジョプリンほど、多くのロックボーカリストに影響を与えた人は少ないと思います。ましてや、ビッグネームの女性歌手にとっては絶対に無視して通ることができない人物でしょう。ジャニスが好きか嫌いかではなく、おそらく、誰もが気持ち、心を揺さぶられるからです。日本の女性歌手も例外ではなく、古くは、カルメン マキ。寺田恵子。最近では越智 志帆などが思い浮かびます。
 僕は普段、ほとんどジャニスを聴くことはありません。理由は明確です。ジャニスを聞きながら「何かをする」ことが不可能だからです。自動車の運転などもってのほか。危険すぎます。部屋でジャニスを聞きながら雑誌を読むこともできません。 歌が入り込んできて、何もできなくなるのです。 そのような曲、歌声は、当然聴く機会が少なくなってしまいます。 この映画を機会に、じーーっと1日ジャニス ジョプリンという日を作ってみようかなぁ と、ふと思いました。

 

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僕が日本の近代史について多少なりとも勉強したのは、1980年の9月から1981年の1月までです。人生の内、この時だけ。 たった5ヶ月です。 中学校でも高校でも、まともに習った記憶がありません。ましてや、この本の表紙にあるように歴史という教科は、古い順に進むので、当然近代、現代は後回しで時間切れという始末。はっきりいって、縄文時代だとか安土桃山時代だとか江戸時代とか、そんなものは、興味のある人が大学に入ってから学べばよいと思っています。今の国の形、生活の仕方、周りに山積する問題、課題はほぼ、明治以降の歴史の中にあると僕は思っています。そのことを学ぶ時間の少なさは、結果として国を危うくすると感じます。近代の政治、戦争、産業のありかたこそが、10代の内に学ぶべき大切な知識だと思います。文科省もそのことには意識があるのでしょうが、とにかく改革は進みません。大学入試改革や英語教育よりも近代史教育の「時間をたくさんとる」という事に舵をとっていただきたいと考えます。
 五ヶ月間だけ、少し勉強した理由は、財閥の成立と金融システムに与えた影響について、論文を書かなければいけなかったからです。

 戦争の真実は当然ながら、近代の歴史を学ばないとまったくわかりません。そして、その先の未来さえ想像が出来ないのです。

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少年ジャンプ創刊号と、1994年に最高部数を記録したジャンプ。復刻版がセブンイレブン店頭にあったので、思わず買ってしまいました。マンガの内容もさることながら、当時の広告、懸賞記事など、ものすごく興味深い内容です。653万部の勢いって、すごいなと納得させられる内容です。

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台風の雷雨。今日は正樹さんから休みましょうとのメール。甲府で映画を観てきました。ハクソーリッジという戦争の映画です。 沖縄戦の幾つかの激戦の中でも特に壮絶だったと言われる「前田高地」が舞台です。前田高地は、侵入経路が少なく、150メートルちかい断崖絶壁がありました。(今は開発で地形も変わっています)写真は、アメリカ軍の公式資料で、戦車が火炎放射をしていますが、大型の武器、戦車などの侵入はきわめて難しかったと言われています。結果として、陸軍歩兵の熾烈な戦いとなり、双方とも多くの死者を出しました。主人公は、そんな戦闘に参加した若い衛生兵です。

 エドモンド・ドス。実在の人物の実話です。銃を持つことをかたくなに拒否し、この戦闘で多くの兵士を助けました。日本兵すら助けようとしていたのです。衛生兵とて、戦場では敵からの攻撃に備えて銃を持つのはあたりまえ。そのことを彼は拒否し続けました。誰からも、変人、臆病者よばわり。しかし、沖縄戦の功績で、トルーマン大統領から勲章をもらいました。 映画の最後に生前の彼の写真、インタビューが流れます。 エドモンド・ドスを演じたアンドリュー・ガーフィールドがほっそりした優しそうなドスとそっくりなのに驚きました。監督、メル・ギブソン さすがです。

 僕が畑で仕事が無い今日、この映画を観ようと思ったのは、映画の評判がよかったからだけではありません。 
 前田高地で戦った日本軍は、第62師団と第24師団です。人数としては沖縄戦に投入された部隊の中で、24師団が最多。いずれも歩兵連隊を従え、おそらく疲弊しきって、銃弾もつきていたと思われます。24師団は、北海道出身者が主力で、満州国境警備から沖縄へ急遽移動してきた部隊です。最後に指揮をとったのは山形出身の連隊長 北郷格郎大佐です。 この部隊に兄弟が多かった私の父の長兄が居ました。 戦死しました。

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石塚真一氏のマンガ「ブルージャイアント」を一気読み。たぶん、彼の代表作の一つになると感じるすばらしい作品です。音楽をジャンル分けするのは本来意味のないことなのですが、ジャズというスタイルが存在し、音楽全体に大きな影響力を持っている事は間違いありません。僕は学生だった頃、友人の家で聞いたキース・ジャレット、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンスなどに衝撃を受けました。レコードを聴く機器も無く、ましてや、レコードを買うお金も無く、友人のレコードをカセットテープに録音して聴く日々でした。
 ジャズは、なんといってもトリオが面白いと感じます。もちろん名人のソロも良いのですが、指揮者の居ないトリオの掛け合いにジャズの真骨頂があります。これはクラシックの弦楽四重奏と似たところがあります。10巻からなるこのコミックは、ジャズに魅せられて疾走するティーンエイジャーの物語です。音楽を題材にしたマンガは、のだめカンタービレ、ピアノの森、などヒット作はありますが、泥臭く地に足が付いた感じの作品として、この「ブルージャイアント」は異色と言えます。音楽のエネルギーが聞こえてくる感じがするのです。多くの人に読んで欲しいとともに、このマンガをきっかけにジャズを聞く人が増えることを願います。

 作品とは関係ありませんが、ひょんなことから石塚真一さんの事を知人が話しだしたことがあります。 彼の出世作「岳(がく)みんなの山」が幾つかの賞を受賞した頃のことです。時々テニスをする小柄な女性(めちゃくちゃ上手くて僕はまったくかなわない)とテニスコートで最近読んで面白かったマンガの話をしていた時です。 「岳、面白いですよね」と僕が言うと、彼女は言いました。 「うん、だけど小林さん、学生時代の友達とこの前話していたんだけど、石塚くん、だいじょぶかなぁ、って。このあと書くことあるのかなぁって。」 「はあ?」僕。 「だって、あのマンガ、彼の大学時代の体験そのものなんだもの。それ書いちゃったから。」 
 なんと彼女は、アメリカの大学で山ばかり登っていた石塚氏と同級生。お友達だったのでした。彼女の心配は杞憂に終わりました。

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僕はジャコメティの盲目的、熱狂的ファンです。とかくキュビズムとの関係を強調されますが、それはとても狭い一面的な見方だと思います。彼は、目の前の人を、きちんと素描した人だと思うのです。あまり言葉がありません。2006年の葉山の企画展の時に書いたブログを再度掲載。本当に今回も、同じ思いでした。
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ジャコメッティの作品を一気にたくさん見れました。楽しく、たいへん嬉しく感じました。イサムノグチを横浜美術館で見た後だったので、なおさら感慨深かったような気がします。

イサムノグチの作品が、作品の大小に関わらず、ランドマーク、道祖神であると、わたくしは思いましたが、 ジャコメッティは、その彫刻作品を含めて、全てが「素描」であることに気付き、感心いたしました。 素描とは、ラフなスケッチという事なのですが、作品の完成に至る作者の集中力とセンスにおいて、素描と呼ばれない世に言う「大作」と比べても引けを取るとは思いません。

彼の鉛筆による素描のすばらしさは、言わずもがな、彫刻、油絵とも、それは「素描」としかいいようのない「何か」です。 「素描」という日本語にこじつければ、これは、対象の「素(す)」を「描いた」もの というのが正しいのではないでしょうか。

彼の評価を定めている1940年代以降の作品の中に、矢内原伊作をモデルにした未公開作品も今回展示されており、興味深いものでした。 サルトルのようなスーパー理屈っぽい言葉オタクと、ジュネのような、これも言葉のテクニックによって現実を浄化する破天荒な天才達に愛されながら、ひたすら身近な人物だけを直視した作品を作り続けたこの作家を、ぼくはたいそう気に入っています。

※初期作品のチューと半端なキュビズム作品とか、ぜんぜん上手くない浮世絵の模写とかも見れておもしろかった。

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清里の谷あい深くに写真を専門に展示するミュージアムがあります。ここで行われるヤングポートフォリオ展を10年間必ず観ています。その他にも興味深い企画展、巡回展もあります。これほどの設備が山奥にあるのには、理由があります。 運営母体の宗教法人「真如苑」の開祖はカメラ、写真マニアで現在の北杜市長坂町出身、その妻は北杜市高根町出身なので、その縁でここに立派な施設があるのでしょう。宗教団体がこのようなお金の使い方をするのは、個人的にはありがたいことです。政治活動を行うより、僕にとっては極めて好ましい事です。
 ヤングポートフォリオ展は、写真を芸術分野として職業にすることを志す35歳までのフォトグラファーのコンテストで、入選作はミュージアムが買い取ります。レベルは高く、そして10年も観続けていると、時代の移ろいを感じる選考の変化も感じられます。 話は変わりますが、私がかつて所属していた企業では二つの生産工場が実質閉鎖されていました。その工場跡地の再開発に私は多少関わっていました。二つの生産工場とは、東京都立川の村山工場と神奈川の座間工場です。古い自動車工場というのは、堅牢な基礎構造と土壌汚染対策などの問題からなかなか買い手が付きません。 そんな時、村山工場敷地のほとんどを740億円で買い取ったのが立川に本部を置く真如苑です。

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ローランギャロスの決勝の翌週はル・マンがスタート。その後ツールとウィンブルドンが始まります。モトGPのヨーロッパラウンドも熱戦つづき。
今年のル・マンは、トヨタ渾身の雪辱戦。トップを走りながら、23時間57分でストップ、リタイアした昨年のル・マン。章男ちゃんも現地へ乗り込むかもね。

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今日は映画を観てきました。池坊専好(初代)を主人公とした映画です。もう、華道池坊グループが全面バックアップしているので、その映像は素晴らしいものです。実在の人物なのですが、フィクションとして見るべきでしょう。が、 これはありえると思う面白い脚本でした。
 戦乱の世の中に、華道、茶道、そして能などが、武士に好まれた理由を僕は本当には理解出来ません。ただ、それは研ぎ澄まされた政治の中にも、美学があったということかもしれません。

金澤翔子さんの題字、すばらしい。京都ロケの幾つかは見覚えのある場所です。

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”Annales Geophysicae” というヨーロッパの科学誌に掲載された研究論文について、5月14日の日本経済新聞が報じていました。論文の題名は、”Solar 27-day rotational period detected in wide-area lightning activity in Japan”です。 日本において広域で雷が発生する事が太陽の自転周期27日と関係があるという論文なのです。 僕はけっこう衝撃を覚えました。「来たか!」って感じです。
この論文は、理化学研究所、北海道大学、国立極致研究所、武蔵野美術大学の研究者の共同研究として投稿されたものです。 ん? 武蔵野美術大学? 論文の執筆者、筆頭に名前があるのが武蔵野美術大学准教授 宮原ひろ子さんです。 一般向けのおもしろい本も出している研究者です。

この分野の研究は日の当たらないもので、研究者も少ないと聞いています。つまり研究予算がなかなか出ないのです。太陽の研究、活動そのものは観測技術の著しい進歩と物理学の成果によってかなり解明されてきたと言われています。しかし、太陽の物理的な活動変化が地球環境、気象などに及ぼす影響については、ほとんど目覚ましい成果がありません。意外です。誰が考えても、お天道さまは、暑さ、寒さに関係があるし、寒い夏や、温かい冬など、良いことはありません。ところが、そのような現象を、太陽の活動と結びつける定説と成るような研究成果は少ないのです。わかりやすく言えば、中学校や高校の教科書に載せられるような研究成果はまだありません。なぜ、そんなことを僕が言えるのかと言えば、それはもちろん僕の知見ではなく、その分野の研究者から直接そんなお話を伺ったことがあるからです。一人は、神奈川大学の桜井邦朋名誉教授。そしてもう一人は、国立天文台野辺山の柴崎清登教授です。
 気象現象は、地球の上で、もしくは地球の中で起きている事の影響しか、科学的に証明できていません。つまり、海水と雨を中心とする水の循環、火山活動などの地殻変動、植物や人間活動による酸素や二酸化炭素の濃度変化など、地球上で起きている事に起因するメカニズムしか明らかになっていないのです。そこに、今回の論文です。太陽の自転周期と雷が関係があると観測データは示しているのです。この研究がなにかの突破口になって欲しいと思います。

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中央自動車道の高速バスの出発時間まで一時間ほどあったので、新宿駅南口の高島屋にある紀伊国屋の洋書専門店に寄ってみました。洋書というと、まあ僕の世代ですと、丸の内の丸善を思い浮かべるのですが、最近では蔦屋の新しい店舗など、扱うお店が増えているように感じます。僕は洋書などほとんど買いませんが、洋書店は好きです。海外のスポーツ雑誌の記事などには変わった特集があったり、日本では売っていないスポーツマテリアルが見られるからです。また、写真集、専門書なども日本では手に入りづらいものがずいぶんとあります。
 さて、今回はじめて行ったこの「Books Kinokuniya Tokyo」には驚きました。まず、その規模にびっくりです。それと品揃えにとても特徴があるように思いました。そのいくつかを書き留めておきます。

その1
人物、それも大昔の偉人とかではなく、比較的近年、いろいろな分野で功績があった人にフォーカスした書籍が豊富なこと。それもかなり目立つ場所にあります。例えば、ジョン・F・ケネディ、ヨハン・クライフ、など。 その他著名人の自伝も豊富です。これは他の洋書店、もちろん日本の本屋さんとはかなり雰囲気が違います。

その2
これは、僕の趣味、嗜好から、ことさら「そう見えた」のかもしれませんが、建築関連の書籍、写真集がこれでもか、という品揃え。ため息。

その3
一般の人や、子供向けの学習参考書が、日本の本屋さん並のスペースをとって豊富。 これも他の洋書店にはない品揃えだと感じました。外国の方が日本語を勉強するための参考書、ノウハウ本もたくさんありました。

その4
日本のマンガの品揃え。びっくりです。ジブリコーナーなど大きなスペースをとっています。

その他にも学術専門書なども目をみはる品揃えなのですが、これについてはまったく僕には知見がなく、日本で洋書を扱う場合の鉄則なのかもしれません。あくまでも、ぼくのイメージ、主観なのですが、丸善は、洋書を必要としている日本人が行くお店という感じ、この紀伊国屋の店舗は、どこか、外国の街にある大型の本屋さんがそのまま新宿に出現したような感じがしました。英語、ロシア語、フランス語の会話が僕のまわりで飛び交っていました。

 僕は、10年前まで農業に関わるなどとまったく想像できませんでした。今でもプロとして土や農業に関わっている訳ではありません。友人の手伝いを少ししているだけです。でも、さすがにものすごく馬鹿ではないので、知識は少し増えました。ラウンドアップなどという製品はサラリーマン時代、全く知りませんでした。それはモンサントというアメリカの会社の製品です。実は横浜の実家の通路の除草に使っている製品です。
 テレビCMが最近たくさん流れています。不気味な感じがするのです。
 
 モンサントは、今や巨大企業です。除草、害虫駆除などを薬剤で実現しました。同時にその薬剤に耐性のある作物を遺伝子工学で作り上げてきました。アメリカのトウモロコシ畑にはトウモロコシしかはえていません。雑草ゼロ。 そこを巨大コンバインが収穫していきます。小麦畑も同じです。

 このような技術がたくさんの人々の生存を保証し、人類の栄養を支えてきたことは間違いありません。それは、軍事技術、発電技術、などと同じく、必要だったと誰もが認めざるを得ません。

 ただし、モンサントの技術がベトナム戦争において、ゲリラ戦の対抗策として植物を枯れさせて、視界を広げる為に使われたことが、この会社の起源だということはきちんと認識しなければなりません。その結果、ベトナムの人々に奇形の子どもが激増したことを、今の若い世代の人は知らないかもしれません。 

 僕達が生きていくために作物を作っている技術は、極めてギリギリの理性の産物です。僕はまったくそのことを否定しません。だって、その技術によって僕たちは飢えを乗り越えてきたことが事実だからです。

 無農薬、自然農法とかを無条件にありがたがる人なんか、僕はまったく信用していません。
 だって、世界がそんなことしたら、食物は僕達のもとに届かないのですから。

自衛隊が軍隊ではない、という前提が、自衛隊の行動を制御してきたことを「良かった」という論説がリベラルを標榜する知識人の立ち位置です。 僕は、まったくこの立場を否定しています。自衛隊は軍隊です。 その組織は私達の生活を守る事を目的としているので、そのことを「動きづらい」変なイデオロギー、というか戦後の「しばり」をどう考えるのか。 戦争の渦中に僕達が巻き込まれるのは避けてほしいが、そのような状態をきちんと想像できることがとても大事なことだと思います。実は、現実として想像できない極めて楽観的なテクノクラートの態度は、疑問です。

国家は軍隊によって国を守るのが前提です。

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This exhibition is curated by Designmuseum Danmark and Michael & Mariko Whiteway.
見ごたえがありました。なぜ日本人は北欧デザインに惹かれるのか? まあ、日本人は、と言い切るほどの理由があるわけではありませんが、少なくとも僕の遊び仲間、飲み仲間、古い友人、ほんの少しだけ知っている知人などなど、みんな北欧デザインが大好きです。 ということで、日本人は北欧デザインが大好きだと僕は思っています。 ぼくも大好きです。ミニマル、シンプル、自然素材、手仕事感、などなど、なんとなく説明できそうなのですが、うまく言えません。

根拠無く思うのですが、きっと北欧の人達も日本の伝統デザインが好きなのではないでしょうか。 北欧デザインのスキーウェアを買いたいのですが、なんとも高額で手が出ません。とほ

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山手公園には巨大なヒマラヤスギがたくさんあります。明治初期にジャパンヘラルドの社員がインドから種子を持ち込んだそうです。公園の一番高いところにテニス発祥記念館があります。いろいろな方から寄贈されたと思われる古いテニスラケット、ボール、様々な写真、資料が展示されています。山手に来るとなんとなく寄ってしまいます。 渡辺功氏、石黒修氏、柳恵誌郎氏 等々がテニスコート上に並んで写っている写真の説明に、一人だけ名前が紹介されていない人が居ます。説明員の方が「先日、坂井利郎さんがお見えになって、これは僕です、と教えていただいたので写真の説明文章を今度書き換えます」と言っていました。
 かつてテニスを始めた頃、使っていたカワサキのオールマンが展示してありました。
 いつも静かな小さな記念館です。


https://www.youtube.com/watch?v=hr4GaRPX6cM
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近年、僕が感動した音楽の中でも最高のもの。 韓国のヒュゴ。 このふっきれた、言葉は悪いかもしれないけどマネではない洋楽テイスト。自分の土壌など関係なく、純粋にかっこいい要素を消化したような音楽。これはこれで、本当に凄いと思います。 オリジナリティーとか、個性とか、そんなことよりも、かっこいい要素を組み合わせるセンス。 唖然。

ルーツが感じられない。 突然出てきたいいとこ取りの才能。 実は、アートの本質に近いと感じます。

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FISアルペンスキーワールドカップが終了しました。男子は不動の王者、マルセル・ヒルシャーが6度目のクリスタルトロフィーを手にしました。女子は、この3月に22歳になったばかりのシフリンが初の総合優勝となりました。彼女は15歳でワールドカップデビューを果たした天才スラローマーです。大きな怪我が今後無ければ、たくさんの勝利を重ねるでしょう。いろいろな記録を塗り替える可能性もあります。 彼女の家族と、いつも明るいアメリカチームが、彼女を支えてくれることでしょう。

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諏訪大社下社春宮を訪れたのは、もう10年前。 僕は震えました。 龍脈の結界、つなぎ目だとすぐにわかったからです。 久しぶりに訪れました。その感覚は昔とかわりません。 これほど龍脈を感じる場所を僕は知りません。 この場所、特に境内横を流れる浮島社、川の中の島が本当のポイントです。この地を、もし誰かが意図せずに壊すと、もしくは壊れてしまうと日本列島は間違いなく崩壊すると僕は感じます。それほどの強い気を感じます。 なにか不安な感じもします。 今日は隣の秋宮でお祓いをしてもらいました。 僕の予感が当たらないことを祈ります。

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僕は、評判の良い洋画を公開間もなく見ることなどほとんどありません。多くは何年か後にテレビで放映されて初めて見るというのが相場です。例外は、音楽がらみの映画。 LA LA LAND 観てきました。
過去のミュージカル映画へのリスペクトを散りばめた脚本、音楽の素晴らしさ、評判どおりのすばらしい映画でした。

僕は、若い頃から「生まれ変わったらどうなりたい?」という話題になると、回答は決まっていました。「場末のレストラン、バーでジャズピアノを弾く人」です。なんとか食べていける給料をもらい、お酒はタダで飲める冴えないピアニストです。その望みは今でも変わっていません。まあ、生まれ変わったら、生後3日で死んでしまう野良猫のほうが、可能性は高いのですが。

この映画、ライアン・ゴズリングが、そんなピアノマンとしていきなり出てくるので、もうそれだけでおいちゃんはワシづかみです。3ヶ月のレッスンであんなに弾けるようになるというのも驚き。役者根性ってすごいです。

映画を見ながら、僕は映画の中に身を置きながら、マルチチャンネルで昔の事をずいぶん思い出していました。

学生時代、僕は文学部の授業に忍び込んで無断で受講していました。その文学部にあるスロープの下にミュージカル研究会というサークルの部室がありました。練習場所でもあり、公演もそこでやっていました。僕はなんどもそのサークルの公演を観ています。当時、脚本、作曲などをしていたのは、一年先輩の政治経済学部の男子でした。耳にのこる名曲を数々残しています。僕は無意識に口ずさんでいたほどです。 彼は普段から旧漢字、旧仮名使いで文章を書く変な人でした。 缶は「罐」と書き、ひらがなも「ゐ・ゑ・ヰ・ヱ」などの文字を使う人でした。彼のミュージカルを僕はいつも楽しみにしていました。

下北沢の本多劇場の地下にあった「Stage Door」には、いつもボトルをキープしていました。慶應義塾のOBたまりばみたいな店でしたが、居心地がよく通っていました。

「コーラスライン」は映画館で3回観ました。新宿で2回。札幌のススキノで1回。

そんなことを思い出しながらLA LA LANDを観ていました。アメリカ人は変な大統領を選びましたが、こういう映画を見ると、「やっぱアメリカ、あなどれないな」と単純に思ってしまいます。よい映画です。

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世界の「音楽」を俯瞰し、比較し、その音楽と人間との関係についてフィールドワークを通じて、これほど深く考察した人物は、小泉文夫氏を除いて居ないと思います。僕がこの本を手にとったのは、1986年です。中森明菜、少年隊、チェッカーズなどがヒットチャートを賑わせていた頃、なぜこの本を読んでいたのか、理由は忘れてしまいました。 ただ、なんとなく感じるのは坂本龍一や武満徹の周辺にある情報を読み漁って居た時に小泉文夫という名前が良く出てきたからだと思います。小泉氏の著書はどれも面白いのですが、対談などに出てくる例えがけっこう面白くて笑えます。

「いま手鞠唄が唄われなくなったのはね、それは手鞠がゴムボールになったからですね。だってゴムボールはポンポン撥ねて速いリズムになっていく。これでは手鞠唄は合いません。あれは糸を巻いてつくったものなんですから」
「ピンキーとキラーズの『恋の季節』はね、あれは何だと思います? 『あんたがたどこさ』なんですよ。ラドレミソラのね」
「観世流の弱吟(よわぎん)は民謡と同じコンジャンクトからディスジャンクトに移っているところに特徴があるんですよ」

「松任谷由実のブリザード、あれはソーラン節ですね」※すみません。これは僕が言ったことです。

西洋クラシック音楽こそが「教養」であり「文化の象徴」であるかのごとき、当時の日本の風潮を鋭く批判し、音楽教育の方向性を明確に提示した数少ない人物の一人でした。

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カエターノ・ヴェローゾの曲が深夜に聞こえてきました。菊地成孔さんが、藤村俊二さんへの追悼の思いを込めて、ヴェローゾが歌うSo in Loveを自身のラジオ番組で流したのです。菊地さんのセンス、感受性にはいつも感心、驚かされます。 ああ、確かにこれは藤村俊二さんだ、と。
 昭和9年生まれの芸能人には良い意味でクセのある人が多いように思います。藤村さんもそんな一人でした。

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私にはひとつだけ思いつめていることがありました。ピアノに触れてみたかったのです。買うなどとんでもないことでした。そこでうまい手を考えつきました。紙の楽器を作ったのです。正確に同じサイズで銀盤を描きました。折りたためるので、どこへでも持ってゆきました。私は長いことそれを弾いていました。のちにピアノは手に入れました。でも私の物言わぬ銀盤からは、ずっとたくさんの音が鳴り響いていたように思います。

武満氏の言葉は、僕を強く揺さぶるのですが、絶望的に落ち込ませます。音楽の神様に愛されてこの世に生まれてきた人と、そうではない人の差を思い知るからです。

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国家というのは、古代より人の移動の結果出来上がったものです。先住民を駆逐して築かれてきた歴史があります。アメリカ合衆国という国家は、近代になってから移民の流入によって出来上がった、とても珍しい例です。州ごとの自治を認めたのは、広大な移民国家を統一制御することの難しさを示し、国家の理念を保ち外交と戦争に備えるシステムとして、大統領に大きな権力を与えました。きわめて賢明な仕組みだと思います。 

近代移民国家としての歴史をかかえ、その複雑な軋轢を耐えてきたのがアメリカの本質です。それを否定する場合。国家の「成り立ち」そのものを否定することになりかねません。

そのことを、本当に今の大統領は冷静に分析できているのでしょうか? 国の成り立ちを軽んじるというふうに、国民が判断した場合、アメリカという国は危ういと思います。 独善的な移民国家は、さまざまな問題を世界中に広げてきましたが、それを収束する方法を誤るかもしれないと、僕は心配です。

ピーナッツの愛すべきキャラクターの全ては、もちろんそれら移民の子孫です。

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吉本隆明という人は、ものすごく頭が良いのですが、実は芸術とは距離がある人だと僕は思っています。彼の論説の説得力は、なにかモゾモゾした心理に訴えるものではなく、きわめて冷静な、悪く言えば冷たい論理だからです。 久しぶりに読み返しましたが、このベストセラー小説、マンガを論じた本は、すばらしいものです。 いきなり「沈黙の艦隊」論 ですからね。

吉本氏は、明確に、そして誰もが否定出来ない言葉を巻頭に残しています。

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「沈黙の艦隊」の世界は劇画として三島由紀夫の行動思想とおなじ世界をつくりだしている。この魅力は抗しがたいほど大きい。
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男の子の論理は女子とはまったく異なります。 ルールを破って、すまし顔 が一番かっこいい男の子。女子は多くの場合、戦争を起こしません。

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「将来にわたって多くの人に長く見続けられる」と思える映画作品に出会うことはまれです。「この世界の片隅に」という作品に対して僕はまったく予備知識がありませんでした。公開間もない11月に、この映画を観る機会がありました。アクションというマンガ雑誌に連載されていたこと、テレビドラマもつくられていたことなど、映画を見てから知りました。「戦争」を描いたアニメ作品であることは、誰の目にも明らかですが、何か説明しきれないものが、自分の中の何かにひっかかり、それを拭い去ることができないこの感覚はなんなのだろうと、今も思います。戦争というのは起きてはいけない非日常ですが、表裏一体となった日常もたしかに存在します。そんなことは「あたま」ではわかっているのですが、そんな日常を、淡々と、真面目に、普通に、必死に生きていくという事の、大切さ、可笑しみ、そして悲しさなどに、僕は圧倒されました。 この映画を観た多くの人もそう感じたのではないでしょうか?  この映画のことをもっと「的確な言葉」で批評、説明する人もたくさんいるでしょう。僕にはうまく表現できません。 僕の「出会えてよかった映画10本」に入る作品でした。

若くして、広島から呉に嫁いできた絵が上手でのんびり屋の主人公、北條すずのセリフ。

「すぐ目の前にやってくるかと思うた戦争じゃけど、今はどこでどうしとるんじゃろ」

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50年の歴史を持つ銀座、数寄屋橋交差点のソニービル。 来年の取り壊し、建て替えを前にとても魅力的なイベントが行われています。ソニー製品を時系列に並べているのです。 若者文化を牽引した雑誌などとともに。 僕は、この展示について書き始めるとたぶんとんでもなく長い文章になってしまう予感がします。思い入れのある製品がてんこ盛りだからです。ラジオ、カセットデッキ、オーディオ機器、MD、パソコン、携帯電話、テレビ、そして、ゲーム機を発売したころから僕はソニー製品と縁が無くなりました。 

ソニーのゲーム機、プレイステーションの心臓の設計思想を作ったのは僕の高校の同級生、友人です。

 このブログは自制して、すんなり終わります。ソニーの製品はすばらしい工業デザインと機能を持っていました。それは、その製品を買う事によって、すこしだけ、いままでと違った生活シーンを想像させるものでした。その訴求力というか、僕達を引きつけた「もの」がたくさん展示されています。ソニーはかつて、僕達にスタイルを提示していました。

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 公益財団法人鉄道弘済会義肢装具サポートセンターという名は多くの人にとってあまり耳にしない組織だと思います。僕も数年前までは知りませんでした。この組織で30年以上にわたり義肢の製作、開発を行ってきた臼井二美男(うすいふみお)さんの著書を読みました。
 義肢、義足の歴史はそうとう古いらしいのですが、この著書では詳しく触れられていません。ただ、近代の戦争などがその需要を大きくしたことは容易に想像できます。義肢製作を目的に創業した会社、他の製品製作から参入してきた会社、医療機関をルーツとするところ、人形製作から参入した会社もあるそうです。その中でも臼井さんが勤務する鉄道弘済会装具サポートセンターの起源は、すこし変わっています。鉄道弘済会は旧国鉄が、鉄道事故で負傷した人、またそのことによって収入を絶たれた遺族の働き口を提供する目的で作られた組織です。鉄道弘済会売店、今のキオスクはそのような目的で作られました。売店以外では、手足が不自由になった人々が義手、義足づくりをすることを仕事にする場所として設立された東京身体障害者福祉センターが弘済会によって作られました。それが臼井さんの職場のルーツです。

 「転んでも大丈夫」という本は、2016年8月に臼井さんが出した初めての本です。小学生高学年くらいの読者を想定してだと思いますが、漢字が少ない平易な文章です。漢字にはルビがふられています。
 いまでこそマスコミに登場することがある(ほんとうに時々)臼井さんですが、彼の仕事が知られるようになったのはごく最近だと思います。彼は、様々な顧客の要望に応えながら長い間「一般生活用の義足」を作ってきました。いまでも臼井さんの本業は生活用義肢づくりですが、欧米で使われだした「走れるスポーツ用義肢」の開発を日本で最初に手がけたのが臼井さんです。 スポーツ用の義肢開発と選手とのかかわりを中心に書かれたのがこの本ですが、臼井さんの本当の意図は明確です。 パラリンピックで活躍するような、一見華やかな義肢を装着したスポーツマンを通して、家に閉じこもりがちな多くの身体の不自由な人に希望を与え、外の世界との接点を多くもってほしい、ということ。 それはスポーツでなくとも、旅行でも、写真をとることでも、もちろんさまざまな仕事でも、そのことを後押しするきっかけになれば、と痛切に思う臼井さんの気持ちが伝わってきます。 臼井さんが小学校六年生の時のこと、彼が大好きだった担任の高橋浩子先生が、夏休みが終わってもなかなか学校に出てこなかったそうです。10月になって、やっと高橋先生が学校に来ましたが様子がすこし変でした。左足を引きずるようになっていました。高橋先生は明るい女性で「先生、こっちの足が義足になっちゃいました」と言って、ズボンの上から義足に触れさせてくれたそうです。骨肉腫によって大腿部から下を切断したのです。紆余曲折がありながらも、高橋先生との出会いがなければ、臼井さんは義肢づくりを職業に選んではいなかったろうと語っています。

 先日、ラジオ番組にゲスト出演した臼井さんの話をたまたま聞きました。おもしろかった。 生活用の義肢とスポーツ用の義肢、難しいのは圧倒的に生活用の義肢だと言うのです。「スポーツ用の義肢は目的が明確なので、その目的に向かって装着する人ともコミュニケーションが取りやすく、結果の満足を共有できる。しかし一般生活用の義肢は、使用する人の目的、満足が非常に微妙で繊細なので、よかれと思ったチューニングが不評だったり、些細な注文が限りなくでてくる傾向がある。それに寄り添って応えていくのが仕事であり、やりがい」
 さらに「こんな義足ができればいいな、という夢がありますか?」という質問に答えて、「神経ですね。神経。 指を動かそうと思うだけで動く義足、親指で踏ん張ってバランスをとろうとすると、そのように動く義足です」 僕は「やはり最先端の職人はすごいな」と思いました。それはもう攻殻機動隊に出てくる「義体化」ですから。
 ラジオではこんなやり取りもありました。「健常者に混じってもオリンピック代表になれるような記録を出すパラリンピック選手が出てきましたが、それに対し、カーボンファイバーの強い反発力をつかって健常者並の記録を出したり、将来、健常者の記録を破るようなことになるのはフェアーではないのではないか、という意見もあるようですが?」と投げかけられて、臼井さんは淡々と話していました。「健常者の記録を抜くということは無いと思います。また健常者の記録に迫るパラリンピアンが出てきたと言っても、世界中の障害を持った人達から、一人か二人がやっとその域まできたということでしかありません。僕はパラリンピックに出場するような選手を間近に見ています。トレイニングそのものの厳しさ、苛酷さ、練習環境を確保することの難しさ、資金の調達、どれもが並大抵のことではありません。転ぶことの危険性も健常者の比ではありません。」 臼井さんはそこまでしか言いませんでしたが、僕はもう少しで臼井さんは口から出かかったのではないかと思うのです。「義肢を利用し扱うことを、ドーピングみたいに言わないで欲しい」と。

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鎌倉には名刹が多くあります。こじんまりしたお寺が多いのが特徴です。雪が積もった昨日、雪の鎌倉というのも趣があろうと思い、東慶寺に立ち寄りました。東慶寺は長く「縁切り寺」として尼僧が住職を務めてきた歴史があるお寺です。明治以降は、男性住職となっています。比較的小さな敷地ですが雰囲気のあるお寺で、僕は好きです。 東慶寺の一番奥は急峻な崖のような地形となっており、それを背に小さな墓所があります。 どのような経緯、縁があってのことかはわかりませんが、日本近代の著名な人々のお墓ばかりなのです。夏でもひんやりするような苔むした墓所も僕は大好きです。
 お墓の中を歩いていて、いつも感慨深く思うのは、西田幾多郎、和辻哲郎、谷川徹三のお墓が近い場所にあることです。 西田幾多郎は京都学派と呼ばれる哲学の流れを作った人物ですが、同じく京都大学で学んだ和辻、谷川はその後輩にあたる哲学者です。 中学生の時、僕は背伸びをして父の本棚にあった西田幾多郎の著作「善の研究」を読みました。あまりのわからなさに頭が痛くなって爆発しました。 後年、ほんのすこし賢くなった僕は「善の研究」を読み返したのですが、やはり理解できたとは言えません。ただし、ものすごく面白かった。 そして「禅問答みたいだな」とも思いました。西田を慕った哲学者の多くが仏教に造詣が深いのもなんとなく納得できます。 和辻と谷川は、最後の場所を西田先生の近くにと考えたのも不思議ではありません。 ちなみに、谷川徹三は谷川俊太郎の父さんです。
 もう一つ、この墓所の中で立ち止まってしまう場所があります。至近距離に安宅弥吉(安宅産業創業者)と出光佐三(出光興産創業者)のお墓があるのです。安宅弥吉は、東慶寺を拠点とした仏教学者鈴木大拙の支援者だったそうですが、出光佐三との接点があったのかどうかはよくわかりません。名門総合商社 安宅産業は僕が大学生の頃、倒産しました。
 お墓の人物と東慶寺の「縁」、人物相関に関する講演会を東慶寺主催でやってくれないかなぁ。それほど有名人てんこ盛りの墓所です。

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「聖の青春」は、大崎善生氏のノンフィクション作品です。将棋雑誌の編集などを手がけた人で、少女漫画通。彼が間近に見た棋士、村山聖さんを描いた実話が映画化されました。羽海野チカさんのコミック「3月のライオン」の二階堂くんは、村山聖九段がモデルです。
 映画では松山ケンジさんが、役作りの為に激太りをして、迫真の演技。羽生善治役の東出昌大さんも最高でした。村山vs羽生の最後の対局、NHK杯は僕もテレビで見ていました。村山さん、究極のチョンボ(敗着)で優勝を逃した場面がリアル過ぎてドキドキしました。

https://www.youtube.com/watch?v=RKhXhv1bPsg&t=7s

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 JR北海道が「全路線の半分は維持できない」と発表した新聞記事を見て徒然に思うことを書いてみます。 

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 ヤクルトスワローズという球団名は、名前だけ見るとプロ野球球団の中で一番強そうではない気がします。なぜ、小さな渡り鳥が球団名になっているのか。その理由を若い方々はもう知らないかもしれません。JR、かつての国鉄の特急の名称、マークが「つばめ」であり、国鉄野球部が母体となってできた球団「国鉄スワローズ」が現スワローズの起源だからです。僕は特定のプロ野球チームのファンではありませんが、親しみ、思い入れがあるのはスワローズです。子供の頃、年始の挨拶などで、我が家を訪問してくれた電電北海道野球部の若松勉さんが、その後スワローズの選手となり、首位打者になる度に、記念ペナントや祝いの品を送ってくれたからです。

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 僕は、小学生の時、札幌から東京の蒲田へ転校してきました。僕は、国鉄の列車のことをどうしても「汽車」と呼んでしまい、よく笑われました。札幌駅のホームに入ってくる列車の半分くらいは、まだ蒸気機関車が引っ張っており、半分がディーゼルでした。 電車というのは札幌の路面電車を指す言葉であり、国鉄の線路を走っているのは僕にとって「汽車」でした。 Steam Locomotiveが客車や貨物列車を引っ張るのが僕の常識。「汽車」というと、みんなから笑われました。蒲田のホームに入ってくるのは明らかに電車だったからです。 その後、北海道だけが大幅に鉄道の電化が遅れた地域だと知りました。それともう一つ。どうしても「手袋を履く」と言ってしまうのもよくからかわれました。手袋は「はめる」のだそうです。 履くのは靴下と靴だけらしい。

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 横浜の実家を設計したのは僕の従兄です。当時、札幌で設計事務所を経営していました。彼の父(叔父)は北海道の国鉄マンで、かつて銭函の駅長でした。 幾春別が実家だった私の父は、岩見沢西高校から北海道大学へ進みましたが、炭鉱労務者だった祖父は早くに身体を壊し、とにかく貧乏でした。父は銭函の叔父を頼り、銭函から札幌へ通学していました。 僕が子供の頃、父から叔父の話を聴いたことがあります。 叔父が若き国鉄マンの頃、昭和新山が突然噴火、隆起しだしました。 北海道の若い国鉄マンが集められました。叔父もその一人でした。 新山の隆起、噴火に伴い線路の場所を何度も変えなくてはいけなかったので、線路の敷設、保線作業に追われたそうです。石炭輸送の主要路線だったからです。

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 今回の新聞記事。JR北海道はもう立ち行かない状態です。これは、JRの民営化、分割時点で誰もが予想していた事態です。国鉄が全国組織であった時期は全体の収益から、地方の保線費用などが配分されていたのだと思います。 北海道の人口は540万人。そのうち200万人が札幌に住んでいます。 広い大地にこの人口。さらに札幌集中ですから鉄道網を維持するコストはまかなえません。JR北海道は、相次ぐ車両のトラブル、線路の検査データの改ざんなどが明るみに出てニュースになりました。鉄道を維持できる人員もお金も「無い」というのが、実情なのでしょう。 自治体にもJRから路線を引き継ぐ余力はないでしょう。 低コストで運営できる公共交通、貨物輸送のアイディアはどこかにあると思います。知恵の出しどころですね。
 

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ジェーン・スーさんのエッセイを読みました。ほとんどが彼女のブログに掲載されたものだそうです。僕はラジオのパーソナリティーとして彼女を知りました。おもろいオバハンです。とにかく各章の表題で既に笑えます。

・貴様いつまで女子でいるつもりだ問題
・女子会には二種類あってだな
・ていねいな暮らしオブセッション
・私はオバさんになったが森高はどうだ
・三十路の心得十箇条
・エエ女発見や!
・カワイイはだれのもの?
・メガバイト正教徒とキロバイト異教徒の絵文字十年戦争
・隙がないこと岩の如し
・ファミレスと粉チーズと私
・ブスとババアの有用性
・ババアの前に、おばさんをハッキリさせようではないか。
・ピンクと和解せよ。
・三十代の自由と結婚
・食わず嫌いをやめる
・歯がために私は働く
・限界集落から始めよう
 etc

軽快で笑える表現なのですが、世の女性がかかえる問題との付き合い方がよくわかります。そしてそれはほぼ男性にもあてはまります。一気に読んでしまいました。

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「紅の豚」をテレビで見ていました。豚に変身してしまった飛行艇乗りポルコが主人公。 とにかく僕は乗り物の中で一番好きなのが飛行艇です。前回の観艦式では、同年4月に新明和のUS2が事故を起こし、原因調査中ということで不参加でした。 がっくり。
 それはさておき、ポルコが壊れた愛機をミラノのピッコロ社へ運び修理するシーン。男はみな出稼ぎで町を出ており、飛行艇を直すのはみんな女性。さらに、映画終盤の居酒屋でも、職がない男たちがポルコに向かって「あんたの腕ならまた軍隊で雇ってもらえるだろう。おれたちはアメリカにでも行くしか無いかなぁ」(うるおぼえですが)というシーンがあります。
 ハッとして、映画が終わるとすぐに神奈川大学の藤村先生が配ってくれた資料を引っ張り出しました。1908年から1924年の間、国籍別にアメリカへ移住した人の数、帰国した人の数の統計資料です。移住(移民)人数でダントツ一位がイタリアです。つづいてユダヤ、ポーランド、イギリス、ドイツ、スカンジナビア、アイルランド・・ とつづきます。 
 第一次世界大戦は1914年から1918年です。 紅の豚の設定は第一次世界大戦後のイタリア、アドリア海です。 イタリアは戦勝国ながら不景気のどん底、ムッソリーニが民衆の支持を集めだした時代です。 移民統計資料は、まさに「紅の豚」の時代とダブリます。 アメリカへの移民数ナンバー1のイタリアですが、その帰国率もダントツの55%。 他の国籍の人達、特にユダヤ人、ドイツ人、アイルランド人の帰国が少ないのに比べるとこれも際立っています。 つまり、イタリア人の多くは、母国へ仕送りをしながらアメリカで働き、そして帰国するというパターンが多かったということです。移民、移住ではなく長期出稼ぎ先としてアメリカを選んでいたことがよくわかります。 藤村先生の講義を聴く前までは、ポルコの活躍した時代の背景について、僕はあまり考えずにこのアニメを観ていました。

藤村先生が専門とする「移民論」は、まだ駆け出しの学問分野だそうです。移民を考察する場合の多面的な視点、同時に共通するメカニズム、ディアスポラとして定着する文化、コミュニティーとしての側面、などなど、たいへん勉強になりました。

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運慶の無着像は西行がモデルだと言われています。彫刻家、仏師としてこれほどのリアリティーを追求した人が運慶です。接ぎ木と呼ばれる技法で、中が空洞の木彫です。一木造り、円空仏などに代表される技法とはまったく異なる手法です。現代彫刻に用いる人は、吉田氏以外ほとんど居ません。彼の作品を横浜の岩崎博物館で見る機会がありました。岩崎とは、洋裁の専門学校として横浜に設立された岩崎学園が所有する洋館です。

運慶の技法を学んだ吉田氏の作品は、まさに運慶作品と言えるほどのリアリティーに満ちています。運慶は仏師だったのかと、たぶん吉田氏は疑ったのかもしれません。運慶の模刻、彫刻の修復を専門分野として学んだ彼の作品を見て、僕は彼を運慶直系の仏師だと確信しました。

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元来、詩や物語と音楽は分かちがたいものです。大昔の叙事詩に遡るまでもなく、もともと文字をもたないアイヌ、エスキモー、ネイティブアメリカンなどの口述によって伝承される物語など、あきらかに「節」や「抑揚」と一体となっていて、歌の原型、詩の本来の形を残しているように思います。そのようなことを踏まえると、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞することは不思議ではないのですが、大きな違和感を僕は感じます。ノーベル賞の事務局は、彼と連絡が取れず、そのことを断念したと報道されています。もちろん本人のコメントも無し。さて、彼がとる対応について、3つの可能性があると思います。

 ー賞を辞退する。
◆ー賞式に出席してステージで歌う。
 授賞式には出ず、コメントもせず、賞金だけもらう。

,呂泙彩気い任靴腓Αサルトルみたいに屁理屈を言って受賞を辞退するなどというのはミュージシャンの取る態度ではありません。ましてやボブ・ディランには似合いません。
△浪椎柔はあると思います。やってほしいです。そして、ビートルズのイエローサブマリンをカバーして観客をしらけさせる。その時多くの人が、ノーベル文学賞というものに違和感を覚えるでしょう。これが、僕が一番望むシナリオです。
が最も可能性が高いと思います。時間を割いて授賞式に出る必要は無いし、大金をもらえるのなら、それはありがたくもらいましょう、というのが一番彼に似合ったやり方に思えるからです。

ボブ・ディランは、ミュージシャンです。歌詞を「読んで欲しい」などとは絶対思ってはいません。文学賞の意味など考えないし、興味も無いはずです。

川端康成の小説を読んで人生を考えたり、生き方に影響があった人など世界中に何人いるのでしょうか? タゴールの難解な詩を読んで元気になったり、勇気が出た人がどれだけ居るのでしょうか?

ボブ・ディランやビートルズの楽曲でちょっと救われたり、元気になった人は数知れません。ならば、なぜ今、彼に文学賞なのか。 ひねくれている僕は、政治的な意図を感じます。考えすぎでしょうか。

佐野元春が言うように、現代において最も影響力のある詩人はソングライターです。そんなことは誰もが知っていることなので、いまさら・・・  と思ってしまいます。

2011年初版の本「灘中 奇跡の国語教室」を読みました。著者の黒岩氏は2011年から神奈川県知事を務めています。県知事当選後、すぐに出版されたことになります。まあ、たまたまでしょうが。 僕は、2012年のちょうどいまごろ、秋らしい季節になってきた10月に、岩波文庫版「銀の匙」を初めて読んで、とても感動しました。明治から大正にかけて、小説家がまだ、口語での表現に四苦八苦しながら文章を紡ぎだしていた時代の小説です。 中勘助はこの小説で人気作家となりました。 とても美しい平易な日本語で、少年時代を回想するような私小説です。

そして、僕は黒岩氏のこの本を手に取るまで、「銀の匙」だけを国語のテキストとして授業を行ってきた橋本武という人物のことを知りませんでした。恩師である橋本先生のユニークな国語授業の内容が書かれているのが本書です。銀の匙は、授業のテキストですが、実際の使われ方は「物事を考えるきっかけ」として使用されていたことがよくわかります。 また、文章をとにかく「たくさん書くこと」「古典文学に親しむこと」なども橋本先生の授業の特徴だったようです。橋本先生は、2013年の9月に101歳で他界されましたが、その直前まで精力的に講義をされたり、執筆をされていたとのことです。

「遊ぶ」と「学ぶ」は同義である。「答えは後回し。疑問を持つことが第一歩」「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」 などなど、橋本武氏の言葉は身にしみます。 そしてなによりも「国語は生きるチカラそのものである」と。

余談になりますが、先日、宇宙物理学者の桜井邦朋氏とお話する機会があり、「ああ、やはりそんな風に考え、感じているのか」といたく共感した出来事があります。 桜井先生は、すこしひとりごとのようにぼそぼそと話していました。 「なぜ、人間だけが知性を持ち得たのか、もちろん他にも知性は存在するかもしれないけれど、まだ見つかってはいない。僕にも知性を持ち得た理由はわかりません。永遠にわからないかもしれない。 ただ、言葉がそれをもたらしたと僕は感じているんだ。」

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「人間原理」とは、科学者、特に物理学者が必ず通過する、もしくはハマる、もしくは無視して進む、などの態度を示す究極の思考の過程です。僕は今、桜井 邦朋さんの授業を毎週受けています。高エネルギー宇宙物理学の分野ではノーベル賞ものの業績を残しているおじいさんです。83歳とは思えないエネルギッシュな講義です。
 人間原理とは、知的な生命体が存在しなければ、「宇宙」という存在やそれを成り立たせる様々な物理現象、理論などが生まれなかったという事実をふまえて行う思考です。つまり人間が存在するから宇宙が認識できるという事実から、宇宙の発生、進化の過程は人間を含む知的生命体を生む、存在させる構造になっていた、という考え方です。 実は、僕は十代のころからそう思っていました。やっとその本質にせまる人の話を聞ける機会を得ました。

 アインシュタインをはじめとして、多くの理論物理学者が、「神」という言葉を使うことに躊躇しません。それは、「自分が認識できる、わかろうとしている事」と同じく、「そのような自分がどうして存在するのか」という問題に突き当たるからです。 理論物理学の最先端を走る人の言葉が宗教家とおなじになってしまう例を僕は何百と知っています。そのことを桜井さんに聞いてみたいと思います。

 このような機会を与えてくれた神奈川大学に感謝です。

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やっとわかりました。昨年の夏、僕は東京工業大学地球生命研究所に行きました。ある講演を聴くためです。その時、キャンパスを歩いている学生さん達やキャンパス内のカフェで談笑する人達を見て感じました。 普段生活している時には全く経験がない風景なのです。 頭、正確に言えば髪の毛を布で覆った彫りの深い容姿の女性がものすごく多いのです。 そのことについて僕はあまり深く考えませんでした。 イスラム圏には理工系の優秀な大学がないのかなぁ くらいに思い、思考停止。今思えば、イスラム圏にも高度な教育、研究を行っている大学はたくさんあります。それなのに、なぜ?

さきほど、桜井啓子(早稲田大学国際学術院教授)が書いた記事を読んで、やっとわかりました。その理由が。 女性の優秀な頭脳の行き場所が、イラン、(もしかしたらイスラム圏、これは僕の想像ですが)に無いのだそうです。 

※ http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/international_160829.html

僕は、小淵沢で生活している時、ほぼ100% 昼間点灯でクルマを運転しています。晴れていてもです。なぜかというと、ここの周辺はコーナーミラーで確認しながら曲がる交差点が非常に多いからです。僕はこのような場所がとても怖いです。従って少なくともこちらの存在を知らせる為に常時点灯します。また、歩道のない田舎道なので、コーナーに限らず歩行者に僕のクルマに早く気づいてもらうことも必要です。ところが、しょっちゅう対向車にパッシングライトをあびます。ヘッドライトが点いているぞ、と注意しているつもりのようです。 まったくその意味がわかりません。少なくとも横浜ではそのような経験をしたことはありません。 常時点灯をルールとしているタクシー会社、運送会社は多く、郵便局の配送車両も常時点灯です。 僕にパッシングする人は、それらのクルマにもいちいちヘッドライトが付いているぞと警告するのでしょうか? 僕はずいぶん以前から常時点灯を義務化すべきだと思っています。そのような国はたくさんあります。 ましてや、キセノンヘッドランプ、LEDヘッドランプが多くなっている現在、これらのランプ寿命は常時点灯してもクルマの寿命より長いのですから。

二輪車と鉄道は昔から常時点灯。四輪だけ例外というのはおかしいと僕は思っています。

尚、都会の運転者ほど常時点灯に違和感が無く、それ以外の地域の人に違和感があるのは。しょうがない気がします。 小淵沢では、真っ暗闇の道を照らす為にヘッドランプを点けるという感覚が当たり前です。 都会では、夜でも街灯、建物の明かり、看板の明かりなどで街は明るいままです。点灯せずとも運転はできます。 それでも点灯するのは自分の存在を周りのクルマや人に知らせないと危ないからです。 まったく意識が違うのです。 これはある程度理解できます。

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先日、ある女性から「一年間だけ違うところに住むとしたら、どこ?」と聞かれました。 ニューヨークと答えても、サンモリッツと答えても、ロンドンと答えてもよかったのですが、僕は自然に、なんとなく「小樽」と答えました。 その理由はあくまでも後付の感が否めませんが、僕にとって小樽は特別な場所だったとあらためて思います。

僕にはルーツと呼べるような場所はありません。金融機関で営業職だった父は、頻繁に転勤をしました。僕が生まれたのは東京都世田谷区。正確には渋谷の日赤の病院です。その後、平均して3年で引っ越しを繰り返しました。 父が横浜へ家を建て、その後子会社へ出向。やっと定住したという感じです。ところが、いまや横浜にも少ししか居らず、山梨県の小淵沢で多くの時間を過ごしています。

なぜ、「小樽」と答えたのでしょう。僕は小樽の高校へ入学する1週間前に下関から引っ越して来て、卒業と同時に札幌へ行きました。もっとも、大学入学が決まったので、札幌の自宅にはほとんどいませんでした。

たった3年間の小樽の生活でしたが、僕にとっては、たぶん今の生活や人格が出来た大きな3年間だったのだと思います。僕の暮らしていた小樽と今の小樽はずいぶんと違っていると思います。そんな違いや、違っていないところを僕は懐かしんで1年間だけ暮らすとしたら「小樽」と答えたのでしょう。

学校をさぼって、小樽築港の埠頭で寝転んでいたこともたくさんありました。 テニスばかりしていました。 当時と比べて僕が変わっているのは、怖くてうまく滑り降りることができなかった天狗山のスキー場を今は、たぶんそこそこのスピードで滑り降りる事ができることです。 同じ年齢、学年に北照高校スキー部 大高君がいました。 彼は今でもスキーの世界で生きています。 当時、僕は彼の滑りを見て「人間業ではない」と思いました。

僕の家は船見坂の一番上(当時)にありました。小樽の港を見下ろす場所で、イカ釣り船の明かりもよく見えました。今は、当時住んでいた場所よりも上に住宅地が広がっているそうです。三井不動産に就職した友人が、ずいぶん昔に教えてくれました。

高校の大先輩伊藤整の小説「青春」の序文を最後に


人の生涯のうち一番美しくあるべき青春の季節は、おのずから最も生きるに難かしい季節である。神があらゆる贈り物を一度に人に与えてみて、人を試み、それに圧し潰されぬものを捜そうとでもしているかのように、その季節は緑と花の洪水になって氾濫し、人を溺らせ道を埋めてしまう。生命を失うか、真実を失うかせずにそこを切り抜ける人間は少いであろう。
  
 人の青春が生に提出する問題は、生涯のどの時期のものよりも切迫しており、醜さと美しさが一枚の着物の裏表になっているような惑いにみちたものだ。モンテーニュが、人は年老いて怜悧に徳高くなるのではない、ただ情感の自然の衰えに従って自己を統御しやすくなるだけである、と言っているのは多分ある種の真実を含む言葉である。青春には負担が多すぎるのだ。しかもその統御しやすくなった老人の生き方を真似るようにとの言葉以外に、どのような教訓も青春は社会から与えられていない。それは療法の見つかるあてのない麻疹のようなもので、人みながとおらなければならぬ迷路と言ってもいいだろうか。
  
 もし青春の提出するさまざまな問題を、納得のゆくように解決しうる倫理が世にあったならば、人間のどのような問題もそれは、やすやすと解決しうるであろう。青春とは、とおりすぎれば済んでしまう麻疹ではない。心の美しく健全なひとほど、自己の青春の中に見出した問題から生涯のがれ得ないように思われる。真実な人間とは自己の青春を終えることの出来ない人間だと言ってもいいであろう。

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庵野秀明氏が、「シンゴジラ」という映画のセリフの詳細、演出にどのようにかかわったかはわかりませんが、過去の彼の仕事から想像すると、彼は深く関わっていたと感じます。この映画には名セリフがたくさん散りばめられています。

この映画はエポックメイキング、と言える傑作だと思います。その解釈は今後様々なメディアで語られることでしょう。東宝の特撮空想映画史上、シンゴジラ前 シンゴジラ後と語られる素材だと確信しました。 言葉のつらなり、早口 テロップ。バックグラウンドの効果音としての言葉。 映像やストーリー、言葉についても多くの人が語ってくれると思います。 僕はこの映画の「詩」のようなリズムが大好きです。
巨大不明生物災害対策本部(巨災対)のトップを任された若い政治家、内閣官房副長官・矢口蘭堂  が、同じく若くして与党の中枢にいる泉修一:政調副会長に、巨災対の人選を依頼するシーンが大好きです。

泉 : 首を斜めに振らない奴らだ。
矢口: 骨太を頼む。

首を斜めに振らない、という日本語はありません。 縦に振る(同意する、従う) 横にふる(拒否する、自信がない)。 斜めに振るというのは、曖昧にして責任を取らない態度の象徴です。泉は、そんな奴は人選しないと言っているのです。それに対し矢口は、さらに「骨太」 つまり、折れない人格を求めます。 チームとしてはこのような人選はとてもリスキーです。 でも理想でもあります。
僕はこのシーンが大好きです。

最後になりますが、なんといっても「ゴジラ」がかっこよくて「怖い」

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茅野市美術館は、茅野市の駅前開発で2006年に出来た茅野市民館の施設の一部です。JR駅とつながった市民会館施設など見たことがありませんし、さらにこれが素晴らしいデザインの施設なのです。その中にある小さな美術館へ僕は時々行きます。今回の展示はこの地域にルーツがある4名の作家の展示です。僕は4名とも、まったく知りませんでした。
下諏訪町出身の概念芸術家、松澤宥(1922-2006)
岡谷市出身の画家・版画家、辰野登恵子(1950-2014)
諏訪市出身の画家、宮坂了作(1950-)
岡谷市出身の画家、根岸芳郎(1951-)

辰野登恵子さんの作品にたいへん感動して、立ち尽くしました。 美しい構図のリトグラフやシルクスクリーン。 美しいだけではなく、一般的には、とかくのっぺりと平板な感じになるこれらの手法の作品が、彼女の手によって、奥行きや立体感を持つのです。素晴らしい作品群でした。写真は生前の彼女のアトリエです。

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北海高校 決勝進出。 まったく予想していなかった。 札幌のリトルリーグ出身者が主力のチーム。

北海高校 5期 野球部主将は藤野昇という一塁手でした。 甲子園ベスト8。 喜んでいると思います。 僕の母親の弟です。 早世でしたが、僕は彼の子供たちに今もお世話になっています。

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僕は最近良くわかりました。そして愕然としたことも確かです。 早い時期、つまり若い頃、具体的には20歳代までに「あっ、これが好きだ」と感じた時から何も好みが変わっていません。新たに好きな事、モノがあまり加わってはいないのです。 進歩していない。 何も変わっていないのです。

花はエゾムラサキ。小さいころ小川のほとりにたくさん咲いていました。
猫が近くに居れば幸せ。 生まれて15年間いっしょに育った猫が居たので。
ジャズはトリオ。ビル・エヴァンス。 今でも聴き続けています。
クラシックのピアニストは、サンソン・フランソワ。それと指揮者になる前のアシュケナージ。
交響曲はラフマニノフ。オーケストレーションの極致。
クルマはカルマンギア。憧れです。
ピストルは、モーゼルミリタリーモデル。
バーボンは、オールドグランダット。
遊びはスキー。
小説は村上龍。
随筆は須賀敦子と白洲正子。
マンガはピーナッツ。
全食、スクランブルエッグとチーズとアスパラでも大丈夫。
服はジャージ。高校から大学まで7年間、99%ジャージでした。
絵はモディリアーニとブラック。
練習したい楽器は、アコーディオン。
好きな歌。ボサノバの「おいしい水」

無限に書いてしまうので、そろそろ終了。そして、全て20歳代の好みのまま。

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起承転結、物語の筋などというものは、ありません。 結論も無く、救いも無く、絶望のようなもやもやした何かを感じながら、それでも生きる意思を疑うわけではありません。 詩でも小説でもなく、歌でもなく、

これは、不条理なラップだと思う。 社会の制度、枠組みには縛られながら、田舎医者は、しょうが無く、地域医療を担当して、そして自分の立ち位置を自覚しながら絶望する。

暗くはならない。まったくこれを読んで暗くはならない。 なぜなら、これこそがリアルな現実だからです。どこまでが虚偽で、だまされたのかさえ定かではなく、自分の立場は保持されている。むなしいのではなく、これが現実です。だれもが、 カフカが描く田舎医者の類型でしかないと、思うかもしれません。 絶望は常に横にあり、そして不条理に満ちた人生は続くという真実を目の前に見せるカフカの異常ともいえる筆致に声をなくします。

チェコ、ボヘミア王国の寒い冬に、馬車が走る。 そして、その馬さえも馬であるかどうかさえ定かではない。

オリンピックの事を少し考えなおしたのは、神奈川県スキー連盟の指導員研修会でのことでした。猪谷千春氏が講演をしてくれた時のことです。 彼の事は説明するまでもないと思います。 なぜ彼の講演で僕が考えなおした、大げさかもしれませんが猪谷さんの深い理解を知ったのかを説明することは、とても簡単です。 彼はオリンピックのことを終始、「オリンピック運動」と言い続けたのです。 これは一般的には違和感のある言葉です。 オリンピックのことをオリンピック運動などと言う人は居ません。 彼だけです。 それは、彼が長くIOC委員を努め、自らが国の枠を超えて、そして国の枠に厳しく縛られ、さらには、その国があるからこそスポーツを全うできた数少ない当事者だったからです。スキーは、個人スポーツの最たるものです。 自分の才覚、自分の環境、自分の社会的な位置によって成り立つのですが、彼がIOC委員として学んだのは、その歴史と矛盾だったと思います。 オリンピックは正々堂々とした個人スポーツの祭典ではないのです。 なぜオリンピック運動なのか、Olympic Movementなのか。 それは、国家の軋轢を超えて、という事に他なりません。それは国家という単位を前提とした、政治的な運動でもあるのです。政治的なという言葉が不適切ならば、言い換えましょう。 その国が個人を尊重してスポーツを正しく、普及、後押しすることが大前提のMovementなのです。 個人の世界選手権では無いということを、猪谷氏は深く理解しています。 

ロシアは、Olympic Movementの考え方のもとでは、排斥される条件を満たしていると思います。 日本のバスケットボールが、その組織運営のあり方を問題視され、オリンピックの出場権うんぬんという話題になったのも、その原点はオリンピックの成り立ち、オリンピック憲章の精神にあります。国家の代表であるかどうかという事がオリンピック出場者の大前提であり、そして、その国家がオリンピック憲章にふさわしいかという事。それが「オリンピック運動」という言葉の意味なのだと、僕は猪谷氏から学びました。良い悪い、ということではなく、それがオリンピックというものなのだと思います。

http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2011.pdf

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マクラーレンとホンダが組んでF1に参戦するというニュースは、僕にかぎらず誰にとっても夢のある、そしてわくわくするニュースだったと思います。しかし、それは2015年のシーズン開始前には大きくしぼみました。僕もこの欄で2015シーズンを、既にホンダは捨てていると書きました。それは、一部の関係者からの情報もあり信憑性のあるものでした。それほどマクラーレン・ホンダのマシンはひどかったのです。とはいっても、とはいってもです。マクラーレン・ホンダです。多くの人は、期待して2016年シーズンを見守っていました。ところが、莫大な費用と人材を投入して「改善」のレベルにすぎないマシンにはがっかりさせられました。初年度はホンダエンジンのチョンボに近いトラブルつづきでしたが、今年はそれほどではなく、まあ、良くなったけどそこそこ壊れないというレベル。実はマクラーレンの車体も大したことないとわかってしまいました。 かつて、マクラーレン・ホンダが伝説を作った時は、レギュレーションの範囲、というか盲点をついて革新的な事をたくさんやってきました。そして、それを使いこなすパイロットが居ました。現在、このチームに居るパイロットは超一流。どのようなテクノロジー、新たな挑戦にも応えられる人材です。 ところが、マシンを作る人達がパイロットと同じレベルで戦えていないというのが現状だと思います。 マクラーレン・ホンダは2016年には表彰台を一度くらい狙えると僕はなんの根拠もなく期待していましたが、今は良くて5シーズンはかかるでしょう。さらには、勝てずにホンダは撤退するかもしれません。 ホンダは既にF1という舞台を楽しめるような企業ではなくなったのかもしれないと、最近は思います。 頑張ってほしいという思いの裏返しの皮肉な表現をお許し願いたいと思います。 

 本音では、このチームは解散すると感じています。

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 山下達郎氏のラジオ番組、サンデーソングブックは、もう四半世紀つづいている東京FMの長寿プログラムです。大滝詠一氏が亡くなったのは、2013年の年末でした。もうスキーシーズンに入っていました。大滝氏が亡くなって何週目かの放送で、山下氏が以下の発言をしました。 冷静な口調、いつもの物腰ながら、明らかに激昂していたと僕は思います。

「近いうちに大瀧詠一さん追悼の番組を企画する予定でありますが、大瀧さんが亡くなってから後ですね、番組宛に“早く追悼特集をやれ”とかですね、“大瀧さん追悼はあまり誰も知らないレアなアイテムをかけろ”、あるいは“最低でも半年は放送するべき”という意見のハガキが少なからず舞い込んでおります。またTwitterなどインターネット上でも私はそういうのは興味がありませんのでそれを見ないですがそういった発言があると聞きます。そうしたファンとかマニアとかおっしゃる人々のですね、ある意味でのそうした独善性というのものは大瀧さんが最も忌み嫌ったものでありました。親とか兄弟の関係を他人に説明できないように、僕と青山君、僕と大瀧さん、そうした個人的関係は第三者に説明できるものではないし、説明したいとも思いません。追悼番組の迅速性や密度とかは私は基より、全く関心はありません。そこのところ、あらかじめご了承頂きたいと思います」

※※ 発言にある「青山君」とは、大滝氏が亡くなる少し前に亡くなったドラマーの青山純氏のことです。山下氏が全幅の信頼を寄せていた名ドラマーでした。


 「一目置く」という言葉は、囲碁用語です。 囲碁では先手が有利。最初に一目置く、ということは相手の実力を認めて敬意を払うことを意味します。山下氏は大滝氏に対し、いつも一目置いていました。 その理由をすこしばかり納得できる謎の音源ばかりのアルバムをクルマの中で聞いています。


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 先日、青山のギャラリーで駒形克己さんの絵本、彼の娘さんがデザインしたTシャツなどを見てきました。鎌倉のメッゲンドルファー(仕掛け絵本専門店)に立ち寄ると、いつも手にとってしまう駒形さんの本。 色や陰影に特徴のあるステキなデザインの仕掛け絵本。買いそうになるのですが、値段を見て、なかなか購入できずにいます。

 青山のギャラリーにある小さな部屋の中で、WOWOWで放送された「手話絵本」制作のドキュメンタリーを見ました。駒形さんが、動物を表すフランスの手話を絵本として制作する話です。駒形さんの本のファンは世界中に居るらしく、フランス人からの依頼だったようです。 このドキュメンタリーは、エミー賞にノミネートされたそうです。なるほどたいそう面白い。 鮮やかな動物の絵、そして絵本のページには手話の手の形が隠されています。最初の形と最後の形。つまり二コマの手の絵。これだけなのですが、聴力の無い子どもたちは、絵を見ながら楽しそうにその動物の手話を繰り返します。笑いながら、その動物になったつもりで。 この絵本を作る過程、顛末を記録したのがこの番組です。 番組の内容そのものが素晴らしいのは言うまでもありませんが、僕は変なことに気付きました。
 " No wonder "

 僕は、才能もないのにテニスやスキーを長く続けています。他に、これほど長くやっていることは、呼吸と飲酒くらいです。 さすがにスポーツを長くやっていると、技術のことを考えてしまいます。考えるきっかけは必ず視覚からです。人のプレイ、技術解説書、専門誌、動画などを見て、なるほどなるほどと感心し、そして考えながら納得するものです。 そんな瞬間が来るきっかけは、写真やイラストである場合が多いのです。普通は、動いている様子を見るほうが「わかりやすい」と思うのですが、なぜか写真、分解写真、イラストに、はっとさせられる事がしばしば。 スポーツを通じて知り合った仲間にそのことを聞いたことがあります。 みんな、「そうそう、そうだよね」と言うのです。手話絵本は、たった二コマなのですが、子どもたちは楽しそうに活き活きとその動きを繰り返します。 手の動き、速さ、そしてそこにある時間や空間などは、子どもたちの頭の中で瞬時に組み立てられているのです。だから、人それぞれ必ずほんの少し違うモノが生まれていると思います。でもそれは「納得できた本当のこと」です。

 動画や、実際に動く様子は確かにインパクトがあり印象が強いものです。しかし、自分が動くことを頭の中で「想像」する余地を写真やイラストは与えてくれます。目に見える「絵」の前後の空間や時間を自分の想像で「埋める」のです。 だから、あっ なるほど そうか、 と納得するのだと僕は思います。


※ ただし、写真やイラストには落とし穴があります。写真やイラストを「自分の動き」として想像することは、そのスポーツについて、ある程度「訓練」を経た人にしかできません。 訓練不足の人は「フォームをマネする」ことに専念してしまって、きちんと動けない場合が多い、と感じます。

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 猪谷千春氏の著書は少なく、1994年初版の本著を僕は初めて読みました。 スキーのみならず、写真、著作でも才能を発揮した父親の六合雄(くにお)氏の本は名随筆として有名です。僕は中学生の時に東京都大田区の図書館で借りた「雪に生きる」を読みました。
 「わが人生のシュプール」の前半は、六合雄氏の著作にもある戦中、戦後にかけてのエピソードをなぞりながら、息子の立場で書いた内容。 あらためて、一般の人には想像できないような、雪を求めて移り住む生活に驚くばかりです。
 後半は千春氏を取り巻く恩人への感謝、ダートマス大学時代の青春、AIUでのビジネスマン生活、IOC委員(この本が出版された時、著者は現役IOC委員)時代の話などがつづきます。この本で初めて知る事も多く、興味深く読みました。
 「目標を持って、そしてやり抜く」と言ってしまえば、一言ですんでしまう事を、人生の終盤に自信を持って「自分はそれを、きちんとやりました」と言い切れる人は、本当に一握りの人だと思います。 両親や多くの恩人、友人に感謝を込めて、猪谷千春氏はこの著書で、それを語っています。うらやましい清々しさです。

六合雄氏の著書にある写真を一枚。 65年前のティーンエイジャーのツリーラン。 唖然!!
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