小淵沢の冷蔵庫

はんでめためたごっちょでごいす! このブログは、IE(Internet Explorer)で閲覧しないことをお勧めします。 "Google Chrome" "Firefox"で最適化するよう編集しておりますので、 IEでは表示が乱れます。「小淵沢の冷蔵庫」というタイトルをクリックすると最新50件の日記が表示されます。              

約40年ぶりに小樽を訪れました。特に明確な動機があったわけではありませんでしたが、「どこか行ってみたい所はある?」と問われて、「小樽」と言ったのを覚えています。やっと実現しました。高校生であった3年間だけ、僕は小樽の住人でした。 ただ、良くも悪くも「僕のスタイル」を決めたのがこの3年間だったと今でも思っています。
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船見坂の一番上の方に僕の住んでいた家がありました。(今もその家はあります)当時はクルマで登ってくるのが難しいほどの雪道の坂でしたが、今はロードヒーティングでこのとおり。港が一望できましたが、高層マンションなどが増えて、今は一望とはいきません。
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船見坂の下、駅前の三角市場。佇まいは昔と変わりませんが、明らかに観光客相手の商売になっていました。僕が居た頃は普通の街の市場でした。前足が1本まるごと無い、3本足の猫が居ました。 三本(みつもと)さんと呼ばれていました。
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住んでいた家から東方向に歩いたところには、古いカトリック教会「富岡教会」があり、よく散歩しながら外から見ていました。今回初めて中に入ってみました。

 また行きます。

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3ヶ月ぶりに八ヶ岳の麓にやってきました。明日から冬の仕事が始まるからです。
夏の仕事は3人でやっています。序列で言えば、八ヶ岳あおぞら農園暫定暫定CEO浅川正樹さん。農園長チャーさん。そして僕です。久しぶりに八ヶ岳に戻ってきた朝、チャーさんが亡くなりました。小さな身体で、僕は最初子猫かと思いましたが、それ以上大きくなりませんでした。最初は農園の野菜の影に隠れていましたが、人を怖がって逃げる様子はありませんでした。農園唯一の常勤でして、一年中一人でビニールハウスに居ました。野ネズミは居なくなりました。耳や目が弱り、周りの気配を気づかなくなったのは3年くらい前でした。食欲はあったので、元気そうでした。正樹さんは冬の間も湯たんぽを差し入れていました。マイナス15度とかにもなる土地なのです。正樹さんも僕も、チャーさんには助けられました。動物病院の診察券には「浅川チャー」・・・・・ ロックな名前のおばあちゃんでした。

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竹内まりやの映画館用ライブフィルムを観てきました。
まあ、ファンが観ているので、それは大きな広がりがあるわけではありません。大ファンの僕は、映画の中で山下達郎さんが、彼女について語るシーンに、ドキッとしました。「人に対するポジティブな視線」  あ、そうか、 あ、なるほど。
 「あなたは大切な人、なんとかなると思って生きよう」と、いつも彼女の歌にはそんなメッセージがあることを、あらためて自覚しました。 

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この二人の全盛期をある程度知っている人にとってはたまらない映画だと思います。類まれな才能、まったく異なるルックスと個性、そしてなによりもこれほど異なるプレイスタイルを持ってトップを争ったのは、この二人が最後だったかもしれません。物語はボルグの生い立ちや葛藤を中心に描かれていますが、ラストの1980年、ウィンブルドン選手権決勝シーンは、同時進行でテレビを見ていた僕にとって新星マッケンローの時代を感じさせた記憶を蘇らせるものです。 試合のシーンはどのように編集し、作られているのかはわかりませんが、二人の役者は彼らのスタイルを本当によく演じていると感じました。現在の両手打ちバックハンドとは全く異なるボルグのスウィング、極端なクローズスタンスの構えから放たれる左利きのマッケンローのスライスサービスなど、涙もんです。 テニス史に残る激闘だったことは誰も否定しません。
 コート上でのマッケンローの暴言に「いいかげんにしろ小僧」みたいにコナーズがたしなめるシーンとかも超リアル。

 この映画の背景となっている同じ時期に、僕は幸運にも 多くの選手の線審(ラインジャッジ)をする機会を得ました。ボルグの試合でベースラインジャッジをしたのはよい思い出です。

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横浜の栄図書館でいくつかの本を借りてきました。貸出窓口の近くには最近蔵書として入荷した本の棚があります。その中にアイヌ民族文化財団が作った小学生向けのアイヌ民族の歴史に関する冊子があり、熟読しました。アイヌ民族は、東日本の縄文文化圏を作った人の末裔と考えられていて、西日本の日本人ルーツとはことなり、コーカソイドと言われるロシア、バイカル系のDNAだと言われています。モンゴロイドと言われる大陸系のDNAは、古くは陸続きであったこともあり、イヌイット、先住アメリカ大陸の人、そして南米の先住民も全て「平らな顔族」であり、現在の日本人とそっくりですが、アイヌは違います。
 文字文化を持たず、独特の世界観、人(アイヌ)と神(カムイ)の世界が平行世界として共存し、上下関係には無いという感覚はとても独特のものです。このようなことに言及するには「小学生対象」の冊子には無理がありますが、僕にはひとつ不満が残りました。マイノリティの権利に上手く言及出来ていないと感じました。1899年に施行された旧土人保護法は、アイヌ民族を保護するという名目のもと、強制的な同化政策と生活スタイルの規制でした。そして、その法律が1997年のアイヌ文化振興法の施行によって実質的に廃止されました。先住少数民族の権利を1997年まで認めていなかったいわゆる「先進国」は日本だけです。そのことはほとんどニュースにもなっていませんでした。マイノリティの権利問題は、少数民族に限らず、独特の宗教の信仰者、障害を持つ人達、性的マイノリティ、少数の言語や生活様式を持つ人達、の問題でもあり、日本という国は比較的均質な生活様式と言語と宗教観が支配する「平和」な国という幻想のもとに、実はマイノリティの権利保護に無頓着なのかもしれません。

 僕はもともとアイヌ神謡がとても大好きでアイヌ文化に興味を持っていました。そして、いまでも少数民族の権利になんとなく意識が傾くのは、北海道の高校生だった時期、同級生に明らかにアイヌDNA容姿の友達が居たからかもしれません。続きを読む

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食べることについて本当に困ったことはありません。居住環境は一時期を除いては困ったことはありません。どちらかと言えば、僕の周りの人達の方が、僕よりも快適な生活をしている事が多かったと感じます。
 猫を「室内飼い」を条件に譲るというのが、最近の保護猫譲渡の条件です。理由はわかりますが、僕が享受してきた「閉じた幸福」を猫に適用するのは本当に正しいのだろうかと思います。僕についてもそのような「閉じた幸福」を選んだことについて、言及してもよい年齢になったと感じます。 閉じた、とは、自分の本能に従って獲物を狩るということをしない状態です。 友人の家に居るユキちゃんという猫を思うと、僕は、じ〜っとしてなにもしていないといつも思ってしまいます。

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フェルメールは、寡作で知られる画家です。しかし、それ以上に贋作と盗難の歴史が彼の作品を有名にしたことでも知られています。現在、確認されているのは35作品。そのうち8点を見る機会がありました。僕はワイングラスという作品に釘付けでした。理由はわかりません。
 サルバドール・ダリがフェルメールを絶賛したことも、彼の作品を有名にした理由の一つだと言われています。ダリがなぜそれほどフェルメールを賞賛したのかはわかりませんが、想像出来る点はあります。ダリの作品はシュールで奇抜ですが、彼の絵は極めて古典的な写術の絵画テクニックによるものです。そのような表現技法に寄り添って、ダリはフェルメールを評価したのではないでしょうか?

 ダリ自身による画家の採点表がネット上にあります。興味深いものです。https://dali.world/other-artists/evaluation-ranking-01

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 約59年ぶりに東京タワーを訪れました。僕の家系は北海道ルーツ、さらに言えば両親とも秋田ルーツです。しかし父は仕事で目まぐるしく転勤、引っ越しを余儀なくされ、僕には故郷らしい故郷はありません。 僕は父の仕事の都合により、東京都世田谷区生まれです。正確には渋谷の日赤病院生まれ。1958年 昭和33年のことです。この年、東京タワーが完成しました。僕と同い年です。一歳と何ヶ月かの時、両親は僕を東京タワーに連れて行ったそうです。僕はその事をもちろん覚えてはいません。
 父の勤務する会社の社宅は世田谷の桜新町にありました。僕は東京タワー体験があまりにも強烈だったのでしょう。社宅にあった砂場で同い年の小さな子供と遊びながら、「とーとータータ エーベーター ジー」と何度も言っていたそうです。東京タワーのエレベーターに乗って、それが上っていく様子を言っていたのです。

 59年ぶりに東京タワーに上ってみました。

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保坂さんとは、山梨県の素敵なアイリッシュパブで3回ほどご一緒してカウンターで飲みました。その後、一年に一度くらい大泉のアトリエ兼展示スペースでお話をうかがいました。今週、小淵沢に行くので行ってみようとホームページを見ると、夏のみの開館とのこと。さらに保坂さんは昨年亡くなられていました。僕は彼の作品が大好きでした。工業デザイナーと竹職人を両立した数少ない人でした。ご冥福をお祈りすると同時に彼の作品が今後も多くの人に観てもらう機会が増える事を望むばかりです。
お元気そうだったのに、ほんとうに残念です。

http://www.bambooart.jp/works/

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BANFF MOUNTAIN FILM FESTIVAL は、既に40年の歴史があるそうです。アウトドア、という表現が正しいとは思いませんが、自然を相手にするスポーツを中心として、さらにその自然を保つ活動についても近年はショートフィルムのテーマは広がっています。徹底して人間中心主義。人間が楽しむために自然はある、という確固とした立場を感じられるイベントです。このフィルムフェスは、優秀な作品をワールドツアーと称していろいろな国で上映しています。日本で開催され始めてから僕はかかさず観ています。 正式名称は「BANFF MOUNTAIN FILM + BOOK FESTIVAL 」です。フィルム部門の外に、書籍の部門があることを今年、初めて知りました。
 このフェスティバルの英文ホームページを見ると、山岳小説や詩集、冒険旅行記、環境問題の論文や批評、ガイドブック、関連歴史資料、写真集など、多くの部門別に受賞作品があり、賞金も出ています。今年のグランプリは、ジム・ヘリントンという人が撮影した往年の登山家のモノクロポートレイト写真集「The Climbers」でした。これらの作品も是非、日本で紹介してほしいと思いました。 今度東京に行く機会に、丸善や紀伊国屋の洋書専門店を覗いてみようと思います。

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「Fall Line」という雑誌が発売されて、もう7、8年は経つでしょうか? 当時は年に1冊だけ本屋さんに並ぶ雑誌でした。今は年に2冊かな? 僕は創刊当時から買っています。 理由は、まず山やスキーヤー、スノーボーダーの写真がたいへん美しいこと。それと、僕が人生を通じて最も長く続けているスキーというスポーツとは全く異なるシーンで、スキーに向き合っている人達がたくさん出てくるからだと思います。チェアリフトやゴンドラやホテルの写真は、この雑誌にはありません。
 この雑誌でいつも楽しみにしているのが石橋仁さんの文章と写真です。「ローカルを巡る」というシリーズで、彼が住んでいる北海道帯広周辺にある一般的には人が入っていかない山へ登って滑るシリーズです。2019シーズンのこの雑誌には、「ニペソツ山の雪洞記」が寄稿されています。雪山にけっこうな量の食材を担ぎ上げて、雪洞の中で熟睡して、滑り降りる。 ハードな行程なのですが、石橋さんのユーモアたっぷりの文章にはいつも惹きつけられます。自分のことを「中途半端な半農、半スキーヤー」と言う彼の農作業やスキーは、もちろん中途半端ではありません。
 
 もっとも、僕のまわりにも「半農半スキーヤー」「半ビジネスマン半スキーヤー」「半学校の先生半スキーヤー」「半ペンションオーナー半スキーヤー」「半料理人半スキーヤー」みたいな感じの人はごろごろ居ますけどね。

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横須賀美術館の企画展は「モダンアート再訪」。福岡市美術館の現代アートコレクション展です。これほど幅広く絵画を中心にモダンアートを所蔵している美術館があるのか、と楽しく観ました。が、衝撃は、この企画展以上に常設展示場の片隅にあった中園孔二さんの展示でした。なんと中園さんの作品が美術館に展示される個展は初めてだそうです。その色彩、こだわり無く遊んでいるような筆致、なにかが「降りてきた」ような精神性、そして誰にもわかりやすい「天才」。彼が外縁と呼ぶものは、仏教における「空(くう)」と通じるものだと僕は考えました。 「空」は「無」という意味もありますが、何かを入れる「器」であり、何かを形作る「有」でもあります。外縁を形作るモノがあって、全体がある。つまり「空」は相対的なものであり、有形のものでもあり、無でもあるのです。彼は外縁を「感覚的」に描き続けていると語っています。絵として表現されるものは、そこにある風景ではなく、なにものでも無いと言います。写真でしか見たことがなかった彼の作品に出会えて幸せでした。しかし、もう新しい彼の作品には出会えません。本当の天才でした。

※ 美術手帖に掲載された「追悼文」
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/252

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美しいモノを作る人の共通点。 最近立て続けに見たのですが、それは運動神経だと思いました。運動神経って、身体の能力だと思う人が多いと思うのですが、脳、それも網膜とか鼓膜からインプットされる情報に対して身体が動く能力だと思うのです。北欧の建築家、富士吉田のブティック、伊那郡のフレームデザイナー、不思議な魅力の布で着るものをつくる人気デザイナー。みんなじーっと考えているわけでは無いと思います。手が動く。脳と手がつながっている。 それって運動神経ですよね。

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長野県伊那、天竜川の近くに中川村という小さな村があります。そこに「タクラマカン」という額縁を作るお店があります。松島拓良さんのアトリエです。知人が教えてくれて幾つかの額装を既にお願いしまして、受け取っています。今回4点を受け取りました。 ポストカード2点は「かわいい」系のシンプルなものですが、古い木材が上手に使われています。 僕の両親がネパールで拾ってきたアンモナイトの化石は、ファイルストッカーを台紙にして標本的な感じとアーティスティックな感じを上手くバランスした奥行きのある額縁に収まっています。廃校となった小学校の廃材が、見事に使われています。ナチスドイツの若い兵士のリラックスした日常の写真は厚いガラスに挟んで陰影のある映画のカットのように仕上げてくれました。拓良さんと以前話をした時、僕は言いました。「人も僕達の個性も、あるフレームに収まってから評価され、実現するものなので、作品、つまりその人の個性そのものをナマで提示しても、それは完成品では無いと思うのです」 僕の生意気な発言を拓良さんは、ただニコニコ笑って聞いていました。 彼のセンス、引き出しの多さは本物だと思います。

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実は体調不良で、ここ数日畑には行っていません。テレビをつけると後藤さんという人がたびたび出てきます。すこし滑舌が悪いのは難聴だから、らしいです。でもこの人の言葉は説得力があります。NHKのリポーターとしてパラリンピックの「広報」的な担当らしいです。聴覚について健常な人は、考えている事と話すことが直結しています。むしろ、言葉が「走る」人もたくさんいます。それは、自分の声が明確に聞こえるので、そのフィードバックが速いからだと思います。
 難聴の人が抱える困難さは、僕の想像ではわかりませんが、「自分の声」が自分の頭で咀嚼された結果であり、瞬発力ではないということなのかもしれません。僕は彼女の話のリズムにそれを感じます。

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まあ、長生きはするもので今日はあることに気づきました。僕は長い間、もう40年くらいになるかもしれませんが、ある言葉に違和感がありました。 全日本スキー連盟という組織に関わった人は、「脚」を「きゃく」と発音します。それは間違いではありませんが、通常の会話では「きゃく」なんて絶対いいません。「あし」です。SIA(日本プロスキー教師協会)の人は、ほとんど「きゃく」とは言いません。

 今日、小淵沢の馬術競技場で小さな競技会がありました。僕はぼやーっと見ていましたが、その時、関係者らしいおじさんが「きゃく」と言ったのです。僕は「きゃく、とは人の足のことですか?馬の足のことですか?」と聞きました。 おじさんは、呆れ顔で「もちろん人の足のことです。」と言いました。なんと馬術をする人も「きゃく」って言うのだそうです。自分の脚で直接なにかをするのではなく、脚でなにかに意思を伝えて操作する場合「きゃく」と言うのかもしれません。

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僕はそんなに映画を観る人ではありません。でも、僕が大好きな女優は映画がきっかけでした。北海道から東京の大学に入学した僕は、二本立ての安い映画館「早稲田松竹」によく行っていました。ある時の二本立ては「朝焼けの詩」と「大地の子守唄」でした。前者の主演が関根恵子(高橋恵子)、後者の主演が原田美枝子です。衝撃でした。同年代の美しい女性がおっぱいまるだしで迫真の演技。お二人ともいまだに、存在感のある女優、女性です。

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かつて僕が小樽の高校生だった頃、小樽の人口は18万人くらいだったと思います。今は12万人を切っているそうです。理由は色々あると思いますが人口減少は地方都市の財政を圧迫する極めて大きな問題で、市政の舵取りは難しいものとなっているのだと思います。

 小樽市長選挙が8月26日に行われます。立候補者の一人は僕の高校時代の同級生、迫(はざま)君です。特に親しかったわけではありませんが、長身の野球部員を僕は覚えています。難しい市政に挑む彼には何もしてあげられませんが、勝利して、あの魅力的な港町を支えて欲しいと願うばかりです。

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いつ死ぬかわからぬが、今は生きている。生きているうちは、いきてゆくより外はない。
※中略

いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。この日本で。

佐野洋子さんの随筆の一節でした。

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「批評とポストモダン」という柄谷行人氏の一部を引用します。

だが、アインシュタインのごとき宗教的信念が、結果的に新たな認識をもたさないと、誰が断定できるだろうか。最近通俗的な仏教関係の本を読むと、仏教の認識は現代物理学と同じでありそれを先取りしてたという意味のことがよく書かれている。私はあまりそういうことに感心しないし、仏教の意義はそんなところにはないと思っている。むしろ痛感するのは、他のどんな文化圏ともちがって、西洋文化圏には「この世界は詰む」というようなメタ情報が与えられていたのでないかということ、それゆねにそこで執拗な科学的探求が動機づけされたのではないかというこである。といっても、それは宗教的教義とは無関係であるし、また個々人が持つ進行とはもはや関係がない。また今日では、そのことはべつに西洋文化圏にかぎられたこどでもない。
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きわめて明確に正確な論評だと思います。ただ、評論家の使命は、現実社会で人々が行動するヒントを与える事にあります。その意味では「荻上チキ」という若手評論家の立ち位置に対して、柄谷の影響力は極めて小さい。そしてむなしい。

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 NHK総合テレビで、ウッチャンが司会をする「オリンピック開幕2年前特番」を見ていました。
 僕はスポーツを観るのが大好きです。ほとんどはテレビですが、野球、テニス(車椅子テニス含む)、サッカー、アルペンスキー競技、障害馬術、サーフィンだけは競技会場の現場で見たことがあります。たったこの6種目だけなのです。 僕の知人は大きく2つのグループに別れます。一つはとにかくどんなスポーツでも例外なく観るのは大好きで楽しめる人達です。もう一つは、「野球?あんなのどこが面白いの」というサッカーファンとか「相撲?どこが面白いの?」という格闘技ファンなど、特定の競技に思い入れがあって、なんでも楽しめるわけではないタイプです。もちろん、どちらでもいいのですが、僕は前者です。僕にとってはどんな競技を行っている人でも、一流と言われる人達は「超人」「スーパーマン」だからです。
 ということで、2020年東京オリンピック、パラリンピックは僕の人生で最初で最後の「超人」をたくさん観る事ができる機会となるでしょう。チケットはなかなか取れないのでしょうが、多くの競技のチケットを申し込んでみようと思っています。
 オリンピックで確率的にチケット取得の可能性が高く(あくまでも他競技と比べてということですが)興味があるのは、カヌースラローム、障害馬術(会場は僕が生まれた街)、スポーツクライミング、競輪です。チケットとれないかなぁ! もちろんテニスもサッカーも陸上も見たいです。100メートルを9秒台で走る人を目の前で見てみたいです。
 パラリンピックでは、やはり車椅子テニスかなぁ。ブラインドサッカーやバスケットボールも見てみたいなぁ。 さて、その前に2年後に僕自身が健康であることが大前提ですね。

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山梨県北杜市小淵沢町、JR小海線の踏切から大泉側を見ると緑のトンネルの中に単線が吸い込まれていきます。僕はこの風景に見覚えがあります。そして、初めて見る風景でもあります。心象風景というと一番有名な日本の絵画は東山魁夷の作品です。 現実の風景ではなく、そこには心象としての幻想、創作が重なっています。 僕がなぜ、この踏切からの風景を心象風景だと思うのでしょうか? わかりません。ただ、この風景が北海道の炭鉱町の単線なのか、廃線となった路線なのか、子供の頃見た絵本の挿絵なのか、映画のワンシーンなのか。 まったくわからないのです。 でも、僕の心の中にはこの風景が強く書き込まれているのです。 それは目の前にある小海線の風景とは全く異なるモノです。 吸い込まれるように緑のトンネルに走り込むのは、C62 という型式の蒸気機関車です。 僕の心の中では

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1500年の歴史の名刹、福光園寺(ふっこうおんじ)で、鈴木秀彰さんと中飯田明秀さんのトークセッション。人工知能と仏教。
 仏教所以の人達はやはり、悩みも深くて、出口を見つける筋道も考え続けています。大切なことを気づかせてもらった気がします。ありがとうございます。

 お寺の鐘の音をいつか聞いてみたいと思います。

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 このことを書くのは3回目だと思います。ただ自分の記憶が薄れないように、そして被害にあった、いや被害にあったという言い方はなにか違和感があります。テロ攻撃にあった何人かの知人を思い書かざるを得ません。
 1995年3月20日、朝の8時頃、私はJR新橋駅に居ました。一旦勤務先へ行ってから千葉へ向かう予定でしたが、コンタクトレンズのトラブルで目が痛く、コンタクトを外して目を洗いメガネを掛けて目の痛みの収まるのを待っていると時間が経ってしまい、勤務先には寄らずに京葉線で稲毛海岸へ向かいました。
 取引先の会社へ着くと、「小林さん! 大丈夫でしたか?」とみんなに声をかけられました。

 私が新橋駅に居た時刻に起きたテロを首謀した人物が今日、死刑になりました。 丸ノ内線、千代田線、日比谷線内で化学兵器を用いた無差別テロでした。 当時、私の勤務先の最寄り駅は営団地下鉄日比谷線「東銀座」でした。 神奈川、千葉、もちろん都内各地から通勤してくるたくさんの従業員は、丸ノ内線、千代田線などから日比谷線に乗り継ぎ東銀座にたどり着く場合が多く、ひとつの企業としては最大の被害者数となってしまいました。 このテロを、「異常な宗教団体の犯罪」と言い切って終わることが、一番恐ろしいことです。 
 この国が抱えるアンダーグラウンド、地下に潜行する病理を私達は注意深く見ていかなければなりません。アンダーグラウンドには地下鉄という意味もあるのが、いかにも皮肉で悲しい気持ちにさせます。雨が続く中、村上春樹の「アンダーグラウンド」を読み返しています。

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 僕は、モノを捨てるのが苦手です。ひと頃までは部屋がスキー博物館みたいなこともありましたが、ずいぶん整理しました。部屋の壁紙を張り替えるのをきっかけに、ブックオフに本を大量に持ち込みました。
 しかし、使わないのになんとなく捨てていないモノはまだまだあります。今日、ノートパソコンを捨てる為に初期化しました。Win95の東芝ダイナブックとWin98(me)のIBM ThinkPadです。どちらも愛着のあるマシンでした。パソコンは10台くらい購入しましたが、これで稼働していないパソコンは1台になりました。捨てられないその1台は、Power Macintosh 6100です。クラリスワークスというソフトでほとんどの仕事をやっていました。
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もう捨ててしまって悔やんでいるもの 3点
第3位 ホイジンガ著 「ホモ・ルーデンス」
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第2位 美しいノートPC デジタルハイノート
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第1位 オリベッティレッテラブラック
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 明日は甥っ子の結婚披露宴。腕が良いと評判の知人がやっている美容室で髪を切ってもらいました。
 人生初美容室です。僕は1981年に大学を卒業し、就職してから、ずーーーっと勤務先の最寄り駅にある床屋で髪を切っていました。新橋ステーションバーバーという名前だったと思います。たくさんの席があり、流れ作業でどんどん髪を切ってくれる床屋さんで、まだ今のように安いカットショップが登場する前でしたが、カット1000円。 顔剃りや、シャンプーを追加料金でやってくれるお店でした。25年間そこでしか髪を切った事がありません。会社勤めをやめた後は、当時どんどん増えてきた安いカットハウス「QBハウス」などを利用してきました。やはり1000円。 
 伸びた髪を短くすることしか考えたことがありませんでした。 ところが、今回は初美容室。なかなか快適でかっこよくカットしてくれました。今後一年に一回くらいは美容室もいいかなぁと思いました。
 ネットで探したら、新橋の床屋は駅の改修で近所のビルに移っていました。当時の写真もありました。
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「大変な晴天である。 まだ地面には雪が残っているが、冬のコートをめくって見れば裏がないみたいに春めいて来た。 周りの木に近づくと、小さなかたい花芽がしっかりツンツン天に向かって立っている。」

 佐野洋子さんは、絵本やイラストが有名で、目にする機会が多いのですが、その独特なリズムを持ったエッセイの達人でもあります。「神も仏もありませぬ」は、晩年過ごした北軽井沢での生活が綴られたエッセイです。春めいてきた北軽井沢の描写は、なんとも佐野さんらしい独特のものです。

 軽井沢とは異なり、いつも静かな感じの北軽井沢。久しぶりに行ってみたくなりました。

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 ウェス・アンダーソンは、刺激的な作品を連発する若い世代の映画監督です。 もうびっくり。ストップモーションアニメって、今どきそんな手法で長編を作るという根性がすごい。そしてその映画もすごい。情報量が半端なくて、それはマーベル映画の情報量とは質が異なります。
 映画というのはそもそも現実の「戯画化」だと思います。その結果としての作品がSFであったり、ミステリーであったり、家族物語であったり、恋愛ファンタジーであったり、それぞれは全く異なる味付けの作品になりますが、何か、誰かに置き換えた「戯画化」です。
 これほど情報量の多い戯画としての映画を僕は見たことがありませんでした。それは人間が行ってきた戦争、人種差別、宗教観、成立した権力の横暴、メディアの功罪、などなど、僕はこの映画の情報量に圧倒されました。

 現代版 鳥獣人物戯画

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ブルーノ・ムナーリという人を僕はつい最近まで知りませんでした。現代アートの作者として認識している人、絵本作家だと思っている人、優秀なアートディレクターだと感じている人、どれも全く正しいということを、迂闊にも最近知りました。手元に「きりの なかの サーカス」という絵本があります。これは、たぶん訳者である谷川俊太郎氏によるネーミングだと思います。まさしく内容はその通りです。ただ、僕はオリジナルの題名、Nella nebbia di Milano「霧の中のミラノ」になぜか寄り添ってしまいます。それは、僕が敬愛する須賀敦子さんのエッセイ「ミラノ 霧の風景」とダブルからです。須賀さんは、ブルーノの訳者としての顔もあります。 半透明のページから次のページの絵が透けて見える絶妙のデザイン、アートディレクションの巧みさに感心するばかりです。
 谷川俊太郎氏の短い「あとがき」にも須賀敦子さんが翻訳したブルーノの言葉が引用されています。
イタリアという国は、歴史的に「南北格差」の存在があります。ミラノは「北」の豊かさの象徴です。そこから霧の向こうにある「南」を透かして見ている、と解釈するのは、僕の考え過ぎだろうか?

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若き日のアニー・ファモーズが、夏の氷河トレーニングで行っている深回りのショートターンの写真。
 おそらく1960年代中頃に撮影された写真だと思います。グルノーブル大学のジョルジュ・ジュベール教授の著書「革新フランススキー」の巻頭にあるのがこの写真です。今見ても、全く古さを感じさせない良い滑りだと感じます。1968年のグルノーブルオリンピックで彼女はSLで銅メダル、GSで銀メダル。男子ではジャンクロード・キリーが3冠となった大会でした。このグルノーブルオリンピックから、次の札幌オリンピックまでの期間がフランスアルペンスキー技術系の最盛期でした。
 1972年に東京の中学生だった僕が、この本を買った理由をまったく覚えていませんが、その年に行われた札幌オリンピックをテレビで見ていたことや、オーストリアのカール・シュランツ(アマチュア規定違反で来日してから出場資格停止というひどい目にあったオーストリアのエース)のサインをなぜか、叔母からもらった事とも関係があったかもしれません。当時は写真やイラストを見るくらいで、何が書いてあるかは全くわかりませんでしたが、今読み返すと納得できる箇所がたくさんあり、びっくりします。
 ちなみに、グルノーブルオリンピックで、2種目ともアニー・ファモーズさんと一緒に表彰台に上がったのが、カナダのナンシー・グリーンさん(SL銀、GS金)。グルノーブルから50年が経ちましたが、この二人の女性は、今でもスキーの世界で元気に活躍されています。

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「岳人備忘録」という題名の本を借りて再読しました。本書は「岳人」という山岳雑誌の連載を編集したものです。この著書に登場する人々を、どのような言葉、呼び方がふさわしいのかと考えると悩んでしまいます。登山家、アルピニスト、クライマー、さらにはビジネスマンでもあり著作家、写真家も多く、なんとも悩んでしまいます。どの方も僕のような素人にとってもビッグネームです。この本は二部構成になっていて、第一部は編集者の質問に答える形のインタビュー記録。第二部は本人の意思による書き物になっています。
 内容について、僕は多くを語る事はできません。僕は山をよじ登る人を多くは知りませんし、僕自身がクライマーではないからです。 でも、僕はこの著書から多くのことを感じます。 「自分の身体」で実感したこと。「自分の意思」で決断したこと。 その体験を蓄積してきた人にしかわからない事、脳ではなくて身体が覚えている本当の感覚、その延長線上にある「確かな言葉」が、そこにあるからです。

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世の中というのは、便利を追求して進化してきたのですから、僕はそれをとても素晴らしい事だと思います。ただ、便利な道具を使う人が、その道具に見合った見識があるかどうかは別の問題です。それは僕にも当てはまります。便利な道具を使いこなせないで、人に迷惑をかけたことはあります。
 さて、僕の住む横浜の住宅地はとても坂が多い地形です。電動アシスト自転車の普及率はとても高いと思います。食品スーパーの駐輪場にある自転車の9割は電動アシスト自転車です。さてここに問題があります。この自転車は、ほぼ写真にある子供を載せて買い物に行くタイプのものです。初動の安定感、低速でのバランスは、絶対に電動アシストのほうが安全だと思います。ところが、ロードバイクをヘルメットを装着している人々は車道を走りますが、電動アシストオバサンは、歩道を走ります。そして、アシストになれてしまって、けっこう猛スピードです。僕は2回追突され、転倒。交差点でブレーキをかけたところに後輪へ激突されて転倒しました。電動アシストというメカニズムをどのように使うのかということについて、子供を載せて、買い物をするおばさんたちは真剣に考えてほしいと思います。とても便利な乗り物ですが、免許制度が必要かもしれません。原動機付き自転車なのですから。

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 月に一度、母親の補聴器の調整のためにクルマで上大岡の富士メガネ(札幌が本店の老舗)に行きます。隣がおもちゃ屋サンで、僕はそこで時間をつぶします。このお店、商品の入れ替え、レイアウト変更をけっこうマメにやっていて、楽しめます。時々、トミカのミニカーを買って帰ります。唯一いつも同じ場所に2個くらい置いてあるのがルービックキューブです。
 この時期、ルービックキューブを見ると必ず思い出すことがあります。それは、学生時代同じスキースクールでアルバイトをしていた専修大学シーファーラグルッペ(スキーサークル)のM君のことです。彼は本当にスキー名人で、ぼくなどまったくついていけませんでしたが、同学年ということもあり、なんとなく親しくしてくれました。卒業、就職を控えた四年生の春、スキーシーズンの終盤に、彼はすこし積もった湿雪に足を取られて大転倒。足を粉砕骨折する大怪我となりました。就職を予定していた故郷北海道の企業の入社を棒に振ってしまいました。彼を見舞に病院を訪ねました。大きなギブスにはお決まりの友人たちの落書き。彼は当時爆発的にヒットしていたルービックキューブを器用に揃えていました。ベッドの上では練習時間がたっぷりあったのでしょう。鮮やかな手つきでキューブを動かしていました。そんなことを思い出しました。 あれからもう37年が経ちました。

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二十数年前に購入したバイクを、僕はまったく整備したことがありません。時々タイヤの空気を入れるくらいです。それでも問題なく(前のギアチェンジがうまく出来ない事を除いては・・)日常の足として使っていられるのは、そもそも丈夫で良い自転車なのでしょう。サドルがボロボロになったので、昨日取り替えました。それと、物置の棚に、購入当時、付属品として付いてきた未使用のブルホーンバーがあったので、変則的な付け方をしました。付ける位置も変だし、そもそも右左が逆です。ただ、この付け方が乗ってみてしっくりしたのです。まあ、まじめな自転車乗りの人々には馬鹿にされそうですが。
 かつて独創的なフレームワークのダウンヒルバイクとして売り出されたこのバイクも既にビンテージの域に入ってきました。現在のダウンヒルバイクと比べれば、その性能はオモチャみたいなものに感じられますが、スタイルに古さを感じさせない僕の大切な愛車です。

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僕は中学生の時、フレドリック・ブラウンと星新一の作品を集中的に読んでいました。両作家の作品を500編は読んだと思います。59歳の現在とは集中力や持続力が格段に違う中学生時代だから出来たのだと思います。それと、彼らの作品が「ショートショート」と呼ばれる短編集で、一つの作品を読む為の時間は30分以内だったから読めたのだと思います。彼らには共通点があります。まず「圧倒的に多作」であること。SF的な要素のある作品が多いこと。そして、結末に読者を「ギョッとさせる」工夫やトリックがあることです。星新一の「きまぐれロボット」、フレドリック・ブラウンの「まっ白な嘘 (Mostly Murder)」は、いまでも僕がもっとも愛する傑作短編集です。
 先日、ひさしぶりに読みたくなり、図書館で「きまぐれロボット」を借りる際、近くにあった田丸雅智氏の「じいちゃんの鉄工所」をいっしょに借りてきて読みました。 どちらも児童書のコーナーにある本です。このような作品を平仮名を多くして、大きな文字にした「児童書」として本にすることには大賛成です。子供たちが、その集中力と妄想を開花させ、「物語」に触れる入り口になるからです。
 初めて読んだ田丸氏の作品には感動いたしました。この人こそ星新一直系の現代のショートショートの達人です。星やブラウンの作風とは異なりますが、起承転結の鋭さ、ユーモア、設定の巧みさ、見事なものです。猛烈な勢いで作品を作り続ける感じもショートショート作家のDNAなのでしょう。それとネットで検索して知ったレジェンド星新一との共通点がありました。 星新一、田丸雅智とも東京大学の理系出身なのです。納得しました。 アルゴリズム、方法論、を自分の中に構築した上で、「言葉」「単語」の放つインスピレーションを形にする作業を行っているのでしょう。それが彼らの「多作」の原動力だと感じました。 ふわっとした「雰囲気童話」も必要でしょうが、僕は星氏や田丸氏のような「妄想現実感」を、多くの子どもたちに持って欲しいと思います。

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NHKのドラマ、「どこにもない国」を見ていました。第二次世界大戦後、ソヴィエト連邦の参戦により満州に取り残された日本人の帰国に尽力した丸山邦雄氏の物語です。アメリカの占領下で、吉田茂、マッカーサーなどとハードネゴシエーションの末に、実質的にソ連占領下にあった満州の日本人の多くを救った人でした。それは、アメリカ留学経験と英語を操る能力が、結果として「ずけずけモノを言う人格」を作った結果かもしれません。
 テレビドラマの中で丸山がマッカーサーと対面する場面。僕はあの部屋に行ったことがあります。GHQ本部のマッカーサールームは、父が勤務していた日比谷のお堀の前にある堅牢な建物の一室でした。現在は第一生命館と呼ばれているかつての第一生命本社ビルです。

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彼ほど宇宙物理学を世の中に明確に広めた人はいません。僕が20代のころ、彼は既に宇宙物理学の権威でした。彼は考え続け、自分の理論に修正、疑いを持ち続けながら、けっして一つの考えに固執することなく、その不自由な身体を生きながらえながら、多くの人に物理学理論をわかりやすい言葉で広めた功績者です。ご冥福をお祈りします。僕には想像すらできません。まったく身体が動かないのに、脳の中でだけ高度な論理を構築し続けるという人生を。

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山梨大学医学部での目の検査の帰りに、話題の「ブラックパンサー」を観てきました。この映画はマーベルの映画史上、記念すべき傑作だと思いました。冒頭、アフリカの小国、農業が主産業で貧しいワカンダ王国とアメリカのオークランドのシーンでこの映画は始まります。
 ワカンダ王国。 実は高度な科学技術と鉱物資源(ヴィブラニウム:キャプテンアメリカの盾やアイアンマンのスーツもヴィブラニウム)によって、ものすごく豊かで平和な国なのです。それを国際社会に隠して、一種の鎖国状態を維持しながら国家を存続させてきたのがワカンダ王国の歴史です。 父の死によって国王となった主人公が、ヴィブラニウムのスーツによって悪者をやっつける、というと多くのマーベル映画と同じ感じがしますが、それは全く違います。鎖国状態を作って国際社会との関係を絶ち、平和を維持するという設定や、資源をめぐる抗争が多くの近代の戦争の発端だったこと、さらには国連の無力さ、大国の横暴、テロリズムが正義を標榜する欺瞞、貧富の格差を肯定する論理、富の分配をコントロールできない経済学の無力さ。などなど、もう僕の頭が爆発するくらい考えさせられました。

 ブラックパンサーというネイミングについて、マーベルは公式にはコメントしていませんが、アメリカのオークランドを拠点とした黒人公民権運動の武闘集団「ブラックパンサー党」を想起せざるを得ません。マルコムXの殺害後に活動を開始した帝国主義と人種差別的社会の破壊を目指したこの集団が、ブラックパンサーのアイディアの原点だったと、僕は全く疑いません。写真は1960年代、ブラックパンサー党メンバーの写真です。

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石内都さんは、現役の日本人写真家として最も世界的に有名な人です。彼女の展覧会としては、過去最大規模の展示が横浜美術館で見ることができます。3月4日までなので、多くの人に見てほしいです。
僕が彼女を知ったのは、横浜美術館のコレクション展示でした。彼女の初期の傑作「横須賀ストーリー」数十点を横浜美術館が所蔵し、写真展示室で常設展示しました。20年以上前のことです。僕は彼女の名前すら知りませんでしたが、ものすごく荒い粒子の白黒写真、横須賀の風景の数々に釘づけでした。 写真家としては遅いデビューだった彼女の才能を発見し後押ししたのはアラーキーこと荒木経惟氏でした。
横浜、絹、無垢、遺されたもの。 4つのセクションに圧巻の240点。常設展示の横須賀ストーリーも含めるといっきに300点近くの作品を見ることができる機会は、今後なかなか無いかも知れません。

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オリンピックは、新しい種目が「商業的」に期待される、もしくはそれを狙った種目選考が重要です。競技人口とは別に「放映権」がビジネスだからです。 そんな背景の中で、たいへんなのは中継するアナウンサーです。 あたらしい種目、もしくは新しい技術に対する知識が必要だからです。オリンピックのテレビ中継アナウンサーは、NHK,民放の選抜チームです。スポーツ中継の経験が豊富で、その中でも得意種目がある人が選ばれます。かつて、かつてというのは10年以上前ですが、スノーボードの技やその難易度に言及できるアナウンサーは居ませんでした。カーリングの戦略にコメントできるアナウンサーも居ませんでした。すべて解説者に丸投げ。 アルペンスキーもノルディックスキーでも、今回のオリンピックでは、解説者に振る前のアナウンサーのコメントが的確です。 アナウンサーの「勉強量」を感じます。 もちろんプロだから当たり前なのですが。 さて、 それに比べてその競技で選手として過ごしてきた時間がある人の解説者としての「言葉」が貧しいと思うのは僕だけでしょうか。

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今回の冬季オリンピック、日本からクロスカントリースキー競技には、男女とも一人づつしか選手が出場していません。寂しいことです。男子は吉田 圭伸選手です。今日、最初の種目であるクラシカルとフリーを15キロづつ走るアスロン競技がありました。 テレビで見ていました。 解説の今井さんは、クロスカントリーの第一人者でした。彼がテレビの解説の中で、「ネップ根性みせてほしいです!」と言ったのです。これは、ほぼスキー関係者しか理解出来ないと思います。結局、彼はクラシカルの差を縮めることができず満足できる成績ではありませんでした。

 ネップ根性とは、造語です。これは吉田選手の出身高校であるおといねっぷ美術工芸高校の生徒が作ったのだと思います。音威子府とはアイヌ語で「濁った河」という意味だそうです。村は人口800人。唯一の高校である美術工芸高校は、豊富な森林資源を活用して木工工芸を学ぶ珍しい高校です。そして、クロスカントリースキー部は二年連続でインターハイ優勝。過去から名選手を輩出しています。吉田選手もその高校の出身です。スキー部では無いのです。クロスカントリースキー部。

 冬の間、気温がプラスにならない音威子府。

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僕の音楽体験のルーツは、小学生時代の父のクラシックレコード、中学、高校、大学時代の友人のレコード。そして、東京FMのコスモポップスベストテン、とサンデーソングブックです。学生時代、僕は知人のピンチヒッター、代理でテニスクラブでアルバイトをしていました。土曜日の午後が多く、クラブハウスではいつも東京FMのコスモポップスベストテンが流れていました。サイモンとガーファンクル、ロッドスチュアート、ABBA、クイーン。 ブライアン・フェリーを知ったのもこの番組でした。その後、コスモポップスベストテンに続く時間帯に、山下達郎氏の番組が始まりました。最初はサタデーソングブックでした。土曜日の午後は、まさに僕のゴールデンタイムになりました。

 あっという間の25年。 山下氏と音楽の付き合い方を俯瞰する永久保存版の雑誌。コスモポップスベストテンの後にサンソンが流れてくるという素晴らしい体験を僕は今でも懐かしく思い、それは貴重な時間でした。

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とにかく、自分の体調をコントールすることができません。仕事仲間には迷惑をかけています。そろそろ潮時かもしれません。

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U2の名アルバムと同名のTax Mex料理のお店は、なかなか居心地がよく料理も美味しいです。小淵沢近辺には、このようなTaxMex系や、BAR(バル)系のお店が少ないのがすこし寂しい感じです。前者は安いビールにとっても合いますし、後者は安いワインに合います。つまり、お手軽で美味しい「気取らない料理」なのです。僕はどちらも大好きです。山梨大学医学部附属病院、網膜外科での診察後、立ち寄りました。きっとこの店は繁盛するでしょう。

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平成元年に亡くなった森敦氏の短編小説なのかエッセイなのか判然としないこの本を僕は衝撃をもって読みました。もうずいぶん昔の話です。今日、久しぶりに読み返しました。

 天上の尺度

56億7千万年といえば、ほとんど永劫である。しかし、この56億7千万年は弥勒菩薩のいます浄土兜率天にあっては、4千年に過ぎない。すなわち、わたしたちこの世に尺度で56億7千万年であるものも、天上の尺度にしたがえば4千年である。わたしがどの尺度にしたがって、4千年を56億7千万年とするか、56億7千万年を4千年とするかは、わたしたちがわたしたちを天上の尺度にしたがわしむるか、この世の尺度にしたがわしむるかにある。

※弥勒菩薩がこの世に現れて、私達を救うという年月が、地球の年齢に近く、その浄土の年月が、メソポタミアの最古の文字に極めて近いということに、僕は衝撃を受けました。森敦、まだ読んでいない本があるので、これから物色いたします。

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人生初のインフルエンザ。40度近い高熱が去った昨日のこと、夜はネットで昔の知り合いを探していました。僕の高校時代、北海道ではまだテニスが盛んとは言えない状態でした。そんな中、男子では札幌東高校のS君と、僕のダブルスのペアだった小樽潮陵高校のS君が2強でした。 女子は、同じく小樽潮陵高校のNさん、札幌南高校のOさん、札幌静修高校のDさんが3強だったと記憶します。

 唯一ネットで情報が何件か出て来るのは、Dさんだけです。それもそのはず、僕の同年代で彼女が唯一プロテニスプレイヤーとして活動していたからです。トーナメントで好成績を残したわけではありませんが、ずーっとプロのテニスコーチとして札幌郊外のテニスクラブに所属して活躍していました。
 活躍していました、と過去形なのは、彼女の所属クラブが開いた「Dさんを送る会」という記事があったからです。詳細はわかりませんが、ご冥福をお祈りするばかりです。

 札幌静修高校に京都から小柄な転校生が来ました。それがDさんでした。テニス部に所属した彼女の試合を見てびっくり。ほんとうに上手でした。高校2年の時、札幌中島公園のコートでダブルスの試合がありました。僕達の試合が進む中、Dさんのダブルスの試合が隣のコートで始まりました。もちろん目の前の相手に集中していたのですが、その集中力を乱してくれたのがDさんです。 彼女は自分がイージーミスをすると、大きな声でダブルスのペアに「かんにーーん!」と言うのです。僕の語彙にはそんな言葉は無く、さらにその独特のイントネーションに集中力を削がれたのをはっきり覚えています。 遠い昔の話しです。

※写真は冬の中島公園テニスコート

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小川洋子さんは、僕が好きな小説家の一人です。 もう25年近く前でしょうか彼女の短編集を買いました。彼女が大好きな佐野元春氏の曲、というよりは歌詞を扉とした短編集は今でもときどき読み返します。

 ”Christmas Time in blue”
雪のメリークリスマスタイム
揺れる街のキャンドルライト
道ゆく人の波に流れるまま
Christmas Time In Blue
街のLittle Twinkle Star
夢に飾られているけれど
かまわないさ このままで
歩き続けよう
Christmas Time In Blue
街の輝きはやがて にじんでゆく
時の流れのままに
約束さ Mr.サンタクロース
僕は あきらめない
聖なる夜に口笛吹いて
街のLittle Twinkle Star
揺れる胸のキャンドルライト
いつの日も君は輝きも そのままに
Christmas Time In Blue
いつの日も君は輝きも そのままに
Christmas Time In Blue
Christmas Time In Blue
Sha La La La La La...
愛してる人も愛されてる人も
泣いてる人も笑っている君も
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小川洋子さんは、佐野氏の歌詞につづけて物語を綴ります。

 さて、クリスマスというと僕は必ずある2つの風景を思い出します。僕は今までに34回のこの聖なる夜を迎えたわけですが、会社で残業していても、スキー場にいても、部屋でごろごろしていても、いつの間にかその2つの風景が胸を満たしてくるのです。
(※その後語られる2つの物語は、彼の母が作ったクリスマスリースにまつわる話と、クリスマスに突然亡くなった恋人の話です。)

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 僕にはクリスマスの楽しい思い出というのはあまりありません。 ただ、60歳を前にしたこの年にして、やっとおだやかに口笛を吹いてクリスマスを迎えられるようになりました。Christmas Time In Blue

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白洲正子、須賀敦子のエッセイは、ほとんど読んできました。僕の知らない「何か」に命を与えるような繊細な筆致を通じて僕は多くのことを学んだような気がします。今日は白洲正子の「風姿抄」を読み返しました。風姿抄の冒頭に、荒川豊蔵氏所有の「織部よびつぎ茶碗」の写真があります。漆と金を使って割れた陶磁器を修復する技術のことを、現在、一般的には「金継ぎ」と呼ばれることが多いのですが、僕は「よびつぎ」という言葉のほうが大好きです。白洲さんは、この著書で告白しています。彼女ほどの美意識をもつ人でも、この荒川氏の「よびつぎ」を見るまでは特に興味はなかったそうです。それは、器の持つ美しさを補修して再現したという一品ではなかったからです。荒川氏は魯山人と親交厚い古志野を復興した陶芸家です。彼の茶会で彼は、わざと白洲さんの前に「織部よびつぎ」に茶を入れて出したそうです。この織部よびつぎ、なんと継いだパーツが異なる茶碗のものなのです。それは、すでにもとの器とは異なるものです。 僕が「金継ぎ」ではなく「よびつぎ」という言葉が好きなのは、彼女の著書でこの織部を知ったからだと思います。補修ではなく創作だからです。

 「金継ぎ」を教えてくれる教室はいくつもあります。スキーシーズンが終わったら習ってみようと思います。ただ、継ぐ器がありません。 亡くなった父が買ってきた萩焼きの名品を割ってしまおうかと、本末転倒の妄想に悩まされる今日このごろです。はは

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Robert Sabuda は、絵本作家です。ポップな「しかけ絵本」(いわゆる飛び出す絵本です)は、ポップアートと言えるジャンルだと思います。僕は大好きで、鎌倉のしかけ絵本専門店でこの「クリスマス・アルファベット」を何年か前に買いました。 この季節。ついペラペラとめくります。

 AからZまで、アルファベットごとに開く、飛び出す絵本です。僕は「G」のGiftが大好きです。なぜか猫が箱から出てきます。僕は確かに猫好きですが、だからこの「G」が好きなのではありません。Giftという英語が好きなのだと思います。日本語では、才能、能力みたいな言葉がよく使われますが、どうもそのような努力の産物みたいな言葉にはある種の「重さ」がつきまといます。「Gift」というのは天賦の才、という意味なのだと思います。神様から与えられた何か、それがGift。

 それが大きなものではなくても、とても小さなものでも、与えられたGiftは誰にもあります。たぶん、僕にも。そんなことを信じて生きています。

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そんなに映画を見ない僕にとって、2017年はドキュメンタリー映画の年でした。
 「Janis :Little girl blue」「MERU」そして、最後に「Ryuichi Sakamoto: CODA」です。

Ryuichi Sakamoto: CODA

 まず、本当に僕が疑問だったのは、坂本龍一氏がこのような映画を作ることを決断したことです。それほど、彼はこのような内状告発的な映画の製作を認めるようなキャラクターでは無いからです。彼の性格の本質は、彼自身も言っていますが「作品が全て」という態度です。その製作の過程とか、気持ちの揺れとかを直接的に発言する事には彼は否定的です。それでもなぜ、この時期にこのような、「ナマの坂本」を見せたのでしょうか? 彼は監督の人柄にほだされた、みたいなコメントをしていますが、そんな馬鹿な。それは絶対ウソです。僕は思います。彼ほどの「才能」が、「信じていた音楽という言葉」に「微妙な疑問」を持ち始めたからだと思います。全てが印象的なシーンの連続ですが、僕は、津波で壊れたピアノを弾くシーンが大好きです。響かない音、戻らない鍵盤、淀んだ残響、それでもあのシーンは泣きそうになりました。それと、最後のシーン。 寒いニューヨークの部屋で、初歩的な、ほんとうに幼稚園児が弾くような練習曲のフレーズをたどたどしく弾くシーンです。毎日指を動かそうと言って、彼が言いながら映画はエンドロールに。
 よい映画でした。 けっしてこれが彼のCODAにならないことを祈って

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