小淵沢の冷蔵庫(⬅クリックすると最新50件表示)

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 友人が江東区の門前仲町に引っ越してきました。 下町情緒というと紋切り型ですが、とてもいい雰囲気の町です。 夕方からすこし飲んで、友人が教えてくれた旅館に泊まりました。翌日に六本木の国立新美術館に行く予定があったからです。 この古い日本旅館が最高でした。 たたみ六畳の小さな部屋。とても清潔で調度品も昭和感満載。置いてある人形なども趣味が良い。 お風呂やトイレは共同なのですが、なんの不便もありません。 翌日の朝、宿泊代金を支払った後に、旅館のご夫婦と立ち話。
 この旅館は随分古くからやっているのですか? 40年くらいです。 でも調度品とかねじ式の鍵とか、もっと古い建物に見えたのですが。 旦那さんが、奥さんに、まあ旅館は40年だけどあんたが生まれて70年だからな。 あ なるほど、 奥さんの実家を改造して旅館にしたらしいのです。 
 僕の知人に下町育ちで、「ひ」と「し」が逆になってしまう江戸弁の人が居たのですが、もうそんな人居ないですよね。 と言うと。 奥さん曰く。 そんな人(しと)この辺にはたくさん居ます。私も朝日新聞をあさし新聞と言います。そんなしとだらけ。 え、でも 今最初は アサヒって言いましたよね。 それはね小林さん、朝日という漢字を思い浮かべてから冷静に言うとアサヒって言えるのですが、普段はアサシなんです。はは 
 門前仲町、大好きになりました。
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 NHKの日曜美術館は安藤忠雄さんを取り上げました。独学で建築家となっためずらしい人です。小淵沢から一番近い安藤作品は小海町高原美術館です。もちろん、施工、建築は小海の新津組。新海誠さんのお父さんが経営しています。

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 穂高を愛した男という短いドキュメンタリーをかつて録画していたのですが、今日初めて見ました。彼は穂高山荘の山番として有名でしたし、山岳写真、特に夜空の写真に晩年までのめり込みました。そのきっかけが谷口けいさんが亡くなった事だとこの番組で知りました。この短い番組で多くの時間、谷口さんの思い出を語っています。彼女は山梨県北杜市、おいちゃんの家の近くに住んでいました。笑顔がかわいい小柄な女性でした。そして世界で屈指のアルペンクライマー。僕は2回だけ会ったことがあります。多くの登山者、そしてプロの男性クライマーがパートナーに選ぶほどの人でした。
 宮田さんも谷口さんも、周りの人たちが信じられないというくらいの事故で早世してしまいました。

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貧乏学生にとって江戸というのはこんなにたのしそうなことがたくさんあるのか、と思いながら読んでいたぴあ。 もちろん、有名人のコンサートや演劇など行くお金はなかったけど、ぴあで妄想していました。ただ一度だけ、アルバイトで稼いだお金でアルゲリッチのピアノを聞きに行きました。会場に入る時、不審な感じで見られたのですが、ドレスコードはなかったので入れました。アディダスのジャージだったからです。

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おいちゃんが乗っていたクルマで印象が強かったクルマはフィアットA112アバルトでした。小さなFF車なんですが、回転を上げて高速になるととたんにビシッと安定するという変なクルマでした。

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 僕はたった3年間だけ小樽に住んでいました。短かったけれど大げさに言えば僕の人生の中でももっとも貴重な時間だったかもしれません。今は建て替えられているのでしょうが、大好きだった花園の小樽図書館。 なんの意味もなく本棚から取り出した本を眺めていました。 エジプトの歴史の書物を見ていて、何度も「トゥト・アンク・アメン」という王様の名前が出てきて、ふーんと思っていました。ツタンカーメンの事だと気づいたのは半年後でした。 僕はこのアーリーアメリカン調の古い図書館が大好きでした。

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 恥ずかしながら、僕は建築設計をするのがひそかな夢でした。中学生の頃は図書館で見つけた日本の古い建築物などを模写したりしていました。ところが、高校生の頃はまったく勉強もせず、なりゆきで入ってしまった大学でも適当に貧乏学生をやって、なんとなくサラリーマンになってしまいました。横浜にある実家は札幌で設計事務所を営んでいたおじさんの設計です。この家を作っている時、彼は近隣にある家をよく見ていました。40年前のことですが、この住宅地には既にたくさんの家がありました。彼が注目していた家が今の実家の目の前にありました。それは明らかにフランク・ロイド・ライト風の家で、今でもあります。ご近所のお宅の写真を載せるわけにもいかないのですが、水平の立方体を組み合わせた見事な造形です。
 写真はロイドの代表作、落水荘です。 ご近所の家はこれのミニチュアみたいな家です。

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 駅の伝言板。小学校で東映アニメを上映していたこと。 僕の世代の人しか知らないだろうな。たぶん。一番大好きだったのは安寿と厨子王。 転校ばかりしていたので、違う小学校で2回見ました。

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 君主論は、僕が衝撃を受けたいくつかの本の一つです。40年ぶりに読みました。僕はこの本で知識としての国家論を知りました。知識としてのという理由はかつては実感が無かったからです。
 マキャベリズムという言葉は知っていました。彼が自分の言葉では書いていませんが、彼の思想の本質は「国家とは戦争をする単位」だと言うことです。この歳になってその意味がすこしわかり始めました。遅かったけど。

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 文房具好きという人はとても多いです。男子中心かと思いきや、女子にもとても多いのが実態です。大型の文房具店などに行くと店舗から出られなくなります。文房具の範囲はものすごく広くて、定義もあいまいですが、絶滅危惧種、いや絶滅というものが一つあります。計算尺です。僕の世代でさえ、もう中学や高校の教育からは外れていました。でもなぜ記憶に残っているのかというと、小さい頃、住宅設計をやっていた叔父さんの家にあったのを覚えているからです。その後「あっ 計算尺だぁ」と心の中で叫んだことが2回ありました。映画「アポロ13」とジブリの「風立ちぬ」を見ていた時でした。アポロ13では、コンピュータの軌道計算を急いで検算するシーンです。コンピュータより計算尺!。風立ちぬ、ではもちろん零式戦闘機の設計。

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 人に勧められた本を読了したことがほとんどありません。 つまり親しい知人でも、僕が勧めた本を面白いと思って読んだ可能性は低いと思います。 その理由ははっきりわかりませんが、ユン・チアンの「ワイルド・スワン」やソルジェニツィンの「収容所列島」に僕が感動したからと言って、人に勧めることはしませんでした。
 一方、映画は僕が勧めたものも、勧められたものもほぼ100%両者は満足します。それはなぜでしょうか? たぶん、興行として成功をおさめる為に商品化されたからかもしれません。 多くは娯楽として上質な商品だからだと思います。 僕が初めて映画館で観たのはディズニーの「ファンタジア」です。そして市川崑監督の「東京オリンピック」。 いずれも小学校低学年の頃です。 父が僕を映画館に連れていきました。 誰にでも勧められる作品だと思っています。 その後映画館で映画を観るのは大学生として東京へ出てきてからなので相当なブランクです。
 先日、「蒲田行進曲」を久しぶりに観ました。 伊丹十三作品も見返しています。初めて観たときと同じように、いや、それ以上に面白かったかもしれません。 今の若者は恵まれていますよね。 いろいろな媒体でたくさんの映画を観ることができるのですから。 うらやましい。

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 僕が住んでいる横浜の住宅地は、野村不動産が大きな開発をした丘陵地で大規模な分譲を行った場所です。地盤もしっかりしていて丘陵地なので災害に出会ったことはありません。一方、隣町の上大岡は開発されて人がたくさん住み始めたのも早く、沼地と大岡川の氾濫でしょっちゅう洪水だったようです。それでも横浜でも有数の繁華街、住宅地になったのには湘南電気鉄道、現在の京浜急行の駅ができてからだったようです。この湘南電気鉄道の駅ができる前から野本養魚場はありました。
 沼地を利用して鯉や金魚などを養殖して小売店へ卸していたそうです。現在は小売専門ですが、100年以上の歴史のあるお店で、金魚マニアにとっては有名なお店だそうです。大洪水の時は養殖した魚が街なかに流れ出してみんな大喜びだったみたいです。昭和初期から大岡川の治水がすすみ、地下水路で川の水を逃がせるようになってからは洪水は無くなったようです。
 野本養魚場では年に何回かイベントがあり、その時は金魚ファンで長蛇の列になります。図書館で郷土の資料を読むのはなかな面白いです。

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地下鉄の海へ流れ込む人の流れに身をまかせ
今日も流れゆく流れゆく心のぬけがら
互いに誰もがまるで人のいない砂漠をゆくように
うまくすり抜けてすり抜けて触れあわず流れゆく
突然袖引かれ見れば
息をきらしてる笑顔
なんてなつかしい、と汗かいて
忘れたい忘れないあの日の女
南三条泣きながら走った
胸の中であの雨はやまない
南三条よみがえる夏の日
あの街並はあとかたもないのに
流れてゆく人の流れ何ひとつも知らなくて
ただ二人は親しそうに見えるだろう

会いたかったわ会いたかったわと無邪気はあの日のまま
会いたくなんかなかったわ私は急ぐふり
どこまでゆくのと
背中で眠る赤子を揺りあげながら
私ふけたでしょうあなたより年上みたいねと
なにも気づいてないのね
今もあの日と同じね
もしもあなたなんか来なければ
今もまだ私たち続いたのに
南三条泣きながら走った
胸の中であの雨はやまない
南三条よみがえる夏の日
あの街並はあとかたもないのに
ほんとは違うわかっているの私と切れて後のことだと
でも憎まずにはいられなかったの

この人なのよと呼び寄せた男に心当たりはなく
そんなはずはないあの人と幸せになったはず
戸惑う私に気づいて教える屈託のない声で
あなたの知ってるあの人とは間もなく切れたわと
そんなこと知らなかった
彼といると思ってた
ずっと憎んで来た無駄な日々返してと
何を責めればいいの
南三条泣きながら走った
胸の中であの雨はやまない
南三条よみがえる夏の日
あの街並はあとかたもないのに
許せないのは許せなかったのは
あの日あいつを惚れさせるさえできなかった自分のことだった

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 僕にとって札幌の南三条は路面電車が最初の記憶です。 南17条西7丁目に住んでいた小学生の頃、中島公園をとことこ歩いてすすきのに抜けると、そこが南三条でした。 夜に三回、補導されました。補導って言葉、今の若者に通じるのかなぁ。 それから何年後でしょうか、札幌の地下鉄にある女性と乗っていました。
 自分のことのように地下鉄の改札風景が蘇ります。僕の大好きな曲、そして聞く勇気が必要な曲です。

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 年寄りは昔話をしがちですが僕も例外ではありません。備忘録だと割り切って書くことにします。お許しを。
 千葉ロッテマリーンズの井口監督が成績不審を理由に退任することを発表しました。40歳代ですから野球の世界で活躍する場はまだたくさんあると思います。彼は国学院久我山高校時代、巧守、巧打、俊足のスター選手でした。 かつて、僕は職場の友人たちと甲子園を目指す彼の東京都予選の応援に行っていました。 彼のお父さんが、僕と同じ職場で目の前にいた事と、勤務していた会社の野球部出身者がまわりに何人か居たことがキッカケです。 彼のお父さんは陸上選手としてのキャリアがあり、スタイルのいいハンサム。 そして息子さんもお父さんとそっくりでした。(息子さんはプロになってからふっくらしましたけど) 井口選手はその後、日本、アメリカで活躍し、監督としても実績を残しました。 彼は早くから野球を職業にしたいと思っていたと思いますが、僕は知っています。「父さんみたいに、会社と家を行き帰りする生活はちょっと嫌だなぁ・・・・」と言っていたティーンエイジャーを。 うっ  また余計な事を書いてしまいました。

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 「やわらかなボール」という清水善造さんについて綴った本を先日読みました。ただ、この本はその題名とはちょっと離れて大正から昭和にかけての日本の様子や世界のテニス事情を知るにはとても良い本でした。筆者が新聞記者出身ということもあるのかもしれません。 この本に一番たくさん登場する名前は清水善造さんと熊谷一弥さんです。二人とも世界に通用するテニスプレイヤーでした。清水さんは後の三井物産、熊谷さんは後の三菱銀行に勤務するサラリーマンで、海外勤務が長く、その間にテニス選手としても活躍していました。同じ時期、北海道の小樽は商業都市として発展し、その礎は三井、三菱の財閥のチカラでした。三井銀行の小樽支店や運河などは、いまでも貴重な史跡として当時の繁栄をしのばせます。
 さて、写真はヨーロッパの古い町並みにある建物ですが、僕が小樽の高校生だった頃、似たような建物が家の近くにありました。三井倶楽部という三井グループの保養施設でした。既に老朽化して管理している年配のご夫婦が居るだけでしたが、僕はこの建物にしばらく通うことになりました。高校のテニスコートの土を入れ替えて補修するために練習場所がなくなり、顧問の先生が探してきたのがこの三井倶楽部でした。建物の真ん中にあるトンネルを抜けると大きなケヤキが木陰を作るテニスコートが一面だけありました。コートはあまり使われておらずなんとか整備して練習に使いました。夏から冬にかけての短い期間だったと思います。洋館のトンネルを抜けてテニスコートに向かう感じがとても素敵で、大好きでした。今はたぶん、取り壊されて何軒もの住宅になっていることでしょう。

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 この本は、先日横浜山手のテニス発祥記念館に行くまで知りませんでした。1986年の本ですからテニスブームの頃の著作です。上前氏は朝日新聞の記者から作家になった人です。今の若者はほとんど知らないでしょうが、と言っても僕も以前、本で読んだ知識ですが、大正時代から昭和初期にかけて、日本はテニス強国の一つで世界ランク上位がゴロゴロ居ました。その一人が清水善造さんです。清水さんはこの本の表紙にあるように「厚いバックハンドグリップ(清水さんが長くやっていた軟式テニスのバックハンドグリップ)」のまま、左足を前にステップしてフォアハンドを打つという超変則テニスでした。打球は遅いのですが、変な回転がかかり、すばしこく拾いまくるというテニスだったそうです。ウィンブルドンで、当時のスーパースター、アメリカのチルデン相手に善戦。 チルデンが足を滑らせて転倒した時、ゆるいボールをチルデンに返球し結果としてチルデンがポイントを取り、清水さんは試合に負けます。その後日本では「美談」として語られるのですが、 上前氏によると、チルデンは足を滑らせましたが転倒までには至らなかったこと、清水さんのボールはそもそもいつもゆるいボールだったこと、チルデンがバランスを崩したのは認識したものの、清水さんはいつもの配球を選んだこと、ましてやわざと相手を思いやって返球したわけではないということをこの本で明らかにしています。さらにさらに、舞台はウィンブルドンではなくアメリカでのデビスカップが真実なのだそうです。 昭和8年にこの話がウィンブルドンでの美談として教科書に掲載され有名になりましたが、事実は上前氏の著作にあるとおりのようです。

 同時代に活躍したフランスの名選手、ルネ・ラコステのあだ名が「クロコダイル」だったので、ラコステのポロシャツにワニが付いていることをこの本で知りました。

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 JR石川町の元町出口から商店街に入る手前、すぐに右側の丘を登って行くと山手の高級住宅街です。かっこいい住宅に停まっているクルマには「スリーポインテッド・スター」が付いている場合が多く、日本のクルマには大きな「L」の字が付いています。この丘を登りきって横浜女子学院のテニスコートを左折、しばらく進むとフェリス女学院が見えてきます。フェリスの手前を右に曲がった奥に山手公園があります。ここにテニス発祥記念館があり、久しぶりに訪問しました。山手公園にはかつてイギリス人が持ち込んだ大きなヒマラヤスギが木陰をつくり、記念館がここに作られた理由となる由緒あるテニスクラブがあります。
 日本テニスの発祥地にあるこの記念館は小さいながらテニスの歴史を学べる楽しい施設です。ずいぶん前に訪問した時のこと、渡辺功さんや柳恵誌郎さんなど6人のレジェンドがテニスコートに並んで写っている写真を見ながら、その説明文を読んでいました。6人のうち5人の名前しか記載がなかったので記念館の職員の女性に「この一番右の方の名前が書いてありませんが、どなたでしょう?」と訊ねてみました。「実は先日、坂井利郎さんが写真を見て、これは僕です、と教えてくれたので今度説明文に加えておきます」と言っていたのを思い出し、写真の説明文を見ると坂井さんの名前がちゃんと加わっていました。 最近はテレビで放映されるテニス大会の解説者として息子さんがよく出てきます。
 今日は前回見ていなかったテニス関連の著作や記録の棚からいくつかの本を取り出し、めくってみました。村上龍の「テニスボーイの憂鬱」があるのがご愛嬌。 1983年にSEIKO社が作った日本プロテニス協会のオフィシャルハンドブックを手に取り椅子に座りました。この本がつくられた当時は個性的なテニス選手がたくさん出てきて、テニスブームみたいな時期で、セイコーワールドスーパーテニスという大きな大会が日本で行われていました。僕は友人に誘われてラインジャッジのアルバイトをしていて、ボルグ、レンドル、ゲルレイティスなどの試合を担当していた事を思い出します。コナーズの試合は担当できませんでした。この本にある大会のドローを見ると、たぶん1979年の大会だったような気がします。 ゲルレイティスのテニスがかっこよくて僕はファンでした。 ふと思いました。「テニスボーイの憂鬱」は、たしかにセイコーワールドスーパーテニス時代の日本のテニス事情、そして、横浜郊外のちょっと浮かれた感じを良く描いている小説でした。
 全日本テニス選手権の決勝戦の記録が羅列されているページを眺めていると、あることに気づきました。九鬼潤さんがプロの参加が認められた以降、最もたくさん決勝戦に名前が載っています。そして優勝はたった一回です。34歳の時、神和住さんとの対戦でした。九鬼さんは強かったけれど、同世代の神和住さんや年下の福井さんほど人気はありませんでした。たぶんルックスやテニススタイルがあまりカッコ良くなかったからだと思います。九鬼さんがこのブログを読まないことを祈ります。 九鬼さんには2つの思い出があります。 小樽の高校に入学してテニスを始めた僕は、その年に札幌の中島公園にある体育館で、九鬼vs神和住の試合を観戦しました。初めて見るプロ選手のテニスにいたく感動し、翌日の練習では下手くそなのにやたらとハードヒットしていたことを思い出します。 そして40年たったある日、僕は職場のスキースクールで受付をしていました。受講のために書いていただく用紙を男性のお客様から受け取って名前を見てビックリ。「九鬼潤」。 用紙から目を離すと九鬼さんがいました。「テニスの九鬼さんですよね。高校生の時、札幌で試合を見ました。」と言うと、「あ、そうですか、なつかしいですね、はは」と明るく答えてくれました。職場の仲間が「小林さん、レッスンすれば?」と言ってくれましたが断りました。 テニスの話ばかりしてスキーのレッスンにならない可能性があったからです。 が 今となっては担当してお話すれば良かったかなと思います。

 まだ夏の日差しが残る中、元町の商店街をトボトボ歩いて帰路につきました。

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 マテウシュ・ウルバノヴィチさんはポーランド出身のイラストレーターです。以前、新宿の紀伊国屋書店で見かけてもうちょっとで買いそうになったのですが、なぜかその時は思いとどまりました。4日前に横浜図書館の検索ページで探したところ、貸出中でした。すぐに予約。本日、貸出できますとのメールがあり図書館へ。 東京に現存する少し古いお店の表情を水彩で描いた画集であると同時に、東京という街の成り立ち、そのお店を運営してきた人達、お店を利用する住民を想像させる「絵本」です。ポーランドからはるばるやって来て、このように「東京情緒」(お店のまわりにあるであろうマンションや首都高速道路の匂いを含めて)を描くことができるとは素晴らしい才能だと感じます。お店の様子や、ディテイルの解説も楽しい読み物になっています。 江ノ島近くの古い民家にお住まいとのことなので、是非「鎌倉店構え」も作ってほしいものです。
 
 「君の名は」というアニメ映画で、日本家屋の細部や背景の町並みの美しさに驚かされましたが、マテウシュさんはこの作品の背景を描いたスタッフでした。そして、個人的にちょっとびっくりしたのは、昨日、友人からもらったおいしい佃煮を売っているお店が本の表紙になっていたことです。図書館の窓口で本を渡された時、うひゃっ と言ってしまいました。

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 町田市が神奈川県であると思っている人は意外と多いらしく、なぜ東京都なのだろう?と思っている人はもっと多いと思います。そもそも町田の北側は広い多摩丘陵で、その向こう側に町田以外の東京が広がります。町田の中心地から町田以外の東京へ歩いていくのはけっこう大変ですが、神奈川県は歩いてでもすぐそこです。「町田」が東京所属であるために、東京都も神奈川県も妙な形になっています。
 先日、「ブラタモリ 町田」の再放送を観ました。番組冒頭の解説と映像が面白すぎて、笑ってしまいました。
●町田市を走っているバスはほとんど「神奈川中央交通」・・・バスの映像
●町田市には「横浜銀行」がたくさんある。・・・銀行の看板映像
●東名高速道路のインターチェンジ名は「横浜町田」・・・インターの標識映像
●町田市図書館の郷土コーナーには「神奈川県」の本棚がある。・・・図書館郷土コーナーの映像
「じゃぁ、神奈川でいいじゃない!」というタモリさんの発言で番組が始まります。
その後、歴史、地形、地質などの解説で番組は進み、最後に明治時代にきわめて政治的な理由でむりやり東京都になった経緯が説明されます。結局「町田は神奈川である」ということを説明する番組となってしまいました。 はは

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 みゆきちゃんは、幼稚園に入園したその日から泣いてばかり。虫もヤギもいろいろなお遊びも苦手な泣き虫さん。 でも、みゆきちゃんは みえこ先生やお友達に助けられながら・・・・・

 子供向けの絵本が好きなので、図書館で時々借ります。絵本コーナーの本棚は背が低く、棚の上には表紙が見えるように置いてある本がいくつかあります。評判が良い本なのか、図書館職員の方が選ぶ本なのか、それはわかりません。 今日、「なきむしようちえん」が棚の目立つところに置いてありました。手にとって開くと最初のページには見たことのある風景が! 思わず椅子に座って読み始めました。 みゆきちゃんは幼稚園生活を元気に過ごし、一年後、新しい子どもたちが入園してくるところで物語は終わります。
 幼稚園の建物から、下にある園児の運動場まではけっこう高低差がある段差があり、そこに滑り台が設置されています。幼稚園の門から建物までは緩やかなスロープになっています。 これはとても珍しい名前(僕の家の近所にしか見かけない名字)の友人が園長をしている幼稚園にしか見えません。 園長は卒園式で涙もろくなってしまう「なきむしようちえんちょう」です。
 本の最後には、作者と画家の紹介文に添えて謝辞があります。

【この絵本を作るにあたって、横浜市の「金井幼稚園」のご協力をいただきました。記して感謝します。】

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 この本は「暮しの手帖」に連載されていた荻上チキさんのエッセイとエッセイの章ごとに描かれたヨシタケさんの漫画作品を集めたものです。
 荻上氏は若手の評論家です。僕は彼の言動を信頼しています。あえて「言動」というのは、過去すでに名を成している評論家はその著作が主な実績である場合が多いのですが、彼は「言動」、すなわちラジオなどでの「発言」とそれに関連した「活動」によって評価されているからです。ヨシタケ氏を僕は知りませんでした。彼の絵を見たことはあるのですが、とても有名な絵本作家、イラストレーターであることを今回この本で知りました。
 このエッセイ集は統一感があるものではありません。隔月刊の雑誌に連載された文章の寄せ集めですから、ある時は時事問題、ある時はプライベートな事柄、ある時は取材情報などなど、雑多ながら荻上氏の思考、言動について興味深く読みました。

●大小に関わらず、社会運動、言論、思想、政治運動、人権、民族に関わる課題、あまたの戦争などは全て「対立する欲求、敵対する立場、相容れない思想」などが複数存在することで生まれます。あたりまえと言えばそれまでですが、そんな中でも「今の立場にとらわれない思考方法もあるはず」というのが彼の立場です。これが彼の言動の底流にあると思います。

●彼の離婚や、うつ病の発症などに関するなまなましい記述がある中、彼は「上手に依存する」という事が必要だと強調しています。僕は本当にその通りだと思います。難しいけれど大切な方策だと、多くの人が思い当たる経験があるのではないでしょうか。 それともう一つ。さまざまなストレスは、ストレスの原因と全く関係のない場所、方法で解消することは難しいと僕は感じます。荻上氏はそこまで具体的には言及していませんが、そんな表現が見てとれます。 「ストレス解消」などという名目で趣味に興じる人が、解消に成功した例を知りません。

●「仕事の一部」にしか見えないのですが、彼は長期の休暇を全て海外での取材旅行に当ててきました。つまり休暇らしい休暇を取っていないのです。結果として彼の旅行後の文章やラジオ番組の内容はきわめて興味深い内容になります。「自分にとってのインプット(取材、読書、調査、ゲーム、映画鑑賞など)」を「仕事」として認識していない様子は彼の際立った特徴です。

●彼はアウシュビッツ博物館の初代館長が若者に向けて言った言葉を紹介しています。「君たちに責任は無い。でもそれを繰り返さない責任はある、」 日本の義務教育における近代史教育の中に、この思想が本当にあるだろうか。僕は疑問です。

「評論家」という職業はシニカルに使われる場合がよくあります。「感想を勝手に言って、実際の役には立たない」と言う意味ですよね。特に日本では。行動を起こす為の根拠とヒントを提示しているという意味で、荻上氏は大切な仕事をしています。見かけたらちょっと「つまみ食い」していただきたい本です。

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 東京ポッド許可局はTBSラジオの番組です。もともとは自主制作のポッドキャスト番組でしたが、2013年からラジオ番組になりました。僕はラジオ番組開始からのリスナーですが、ポッドキャスト時代からのファンも多く居るようです。「役に立たない話題」「屁理屈エンターテイメント」を標榜する、ラジオ史に残る・かもしれないプログラムです。パーソナリティはマキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3名です。オフィス北野所属でしたが、事務所解散後フリーに、現在はワタナベエンターテイメント所属です。いわゆる「芸人」です。みなさん、芸人としてはあまり売れているとは言えません。

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 山梨県山梨市出身 52歳。 ピン芸人。 音楽、映画、缶詰などに造詣が深く、いろいろなミュージシャンの「作詞作曲ものまね」は絶品です。その芸だけでイベントを実施しています。近年は俳優としても映画やテレビドラマで引っ張りだこです。個性的だけど絶対いそうなオジサンを演じたら絶品です。芸名は実家のスポーツ用品店名。高校時代地元では一目置かれる剣道部員だったこともあり、剣道解説、評論は音楽解説と並んで とても鋭い。

プチ鹿島
 長野県千曲市出身 52歳。 ピン芸人。 新聞各紙、週刊誌の熟読度合いが半端ではなく、その記憶力には誰もが驚嘆します。 野球、プロレスに始まり、政治、経済、大きなイベントなどなど、「あっ、それは〇〇〇〇年〇〇月ですね」とさらっと言います。 オヤジジャーナルという造語のもと、スポーツ紙、タブロイド版までおよぶ新聞各紙の熟読を通して「新聞報道の比較文化論」(僕の造語)とも言うべき分野の論客です。 新聞社社内での講演を依頼されるほどです。 テレビ、ラジオ番組のコメンテイター、文筆業でも活躍中。

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 東京都杉並区出身 46歳。 漫才コンビ 米粒写経のツッコミ担当。 早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文化専攻修士。日本語学者。 落語、仏像、バスケットボール、もちろん日本語にも詳しく、立川談志論、NBAの歴史、戦術解説などは秀逸です。 早稲田大学、一橋大学、成城大学の非常勤講師。著作多し。落語イベントの企画などもこなします。 広辞苑の編纂にもたずさわっており、主にサブカルチャー、アニメなどを担当。 広辞苑第七版では「二次元」という単語の意味に「アニメキャラクター」を追加。 3名のパーソナリティの中に居ると、先輩オジサンにツッコまれることが多い。 僕は彼が推薦する古語辞典を思わず買ってしまいました。
 
 深夜枠の番組ですがパソコンや携帯のラジオアプリのおかげでいつでも聞けるようになったのはとてもありがたいです。 ギャラクシー賞(テレビ、ラジオの優秀作品賞)を受賞してほしいと願う今日この頃です。

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 「戦場カメラマン」という呼び名は、ご自身で言い出したのか、それともテレビ出演など増えた一時期に、誰かが物珍しさを強調して作った造語なのかはわかりません。とてもかっこ悪い呼び名ですが、彼のキャラクターがそれを救っているとも言えます。 ロバート・キャパもデヴィッド・シーモアも沢田教一だって、戦場カメラマンなどと呼ぶ人はいません。 優秀なフォトジャーナリスト、報道写真家と言われるだけだと思います。もちろん渡部陽一さんもその系譜です。
 彼は言います。
 ●紛争状態の中にもある「日常」を写す。特に子供。
 ●精神的にも肉体的にも「一歩下がる」。つまり気持ちも体勢も逃げる事を前提にする。
 ●「時間の経過」を記録する。持続するものごとの一部として写真を撮る。
これらはフォトジャーナリストの本質だと思います。

 2015年に開催されが清里フォトアートミュージアムの “The Concerned Photographer” は、ロバート・キャパの妹、コーネル・キャパが編纂した写真集をベースとしたもので、報道写真の本質を見せてくれたすぐれた展示でした。 http://blog.livedoor.jp/freeride1/archives/52041681.html

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 村上春樹の短編小説が原作となっている映画を観ました。もちろん脚本は映画の為に作られたオリジナルなので、背景、ストーリーは 小説とは異なりますが、原作の「空気」と原作者が描いた人物の「人となり」、そして誰もが抱えている孤独感が驚くほど再現されていると感じました。「カンヌ国際映画祭 脚本賞受賞」が映画の宣伝コピーですが、もちろん濱口監督の力量を十分示しています。観るべき映画だとおすすめできる作品です。ネタバレにならない程度に些細なことをいくつか。

その1
 主人公(舞台俳優 兼 演出家)の愛車は、小説では黄色のカブリオレですが、映画では赤いクーペです。サーブ900といえば、1980年代、スノッブな人が乗っていたクルマという印象が僕にはあります。 いい意味でも悪い意味でもです。僕は映画で使われた赤いクーペの方が作品にあっていると思いました。

その2
 主人公が運転を人に頼むことになった原因は、小説も映画も同じです。ちょっと影のある若い女性ドライバーを主人公に紹介するのは、小説では長くこのクルマの面倒を見てくれている整備工場のメカニックですが、映画では演劇フェスの主催者、プロデューサーの裕福な感じの韓国人です。僕は整備工場のメカニックと主人公の会話が好きだったので、ちょっと残念。

その3
 映画のラストシーンは、濱口監督の完全なオリジナルで、謎の多い、というか完全に映画の観客に解釈を委ねたものです。 それまでのストーリーとラストシーンをつなぐものは何も示されていません。女性ドライバーが主役の数十秒のビデオクリップのような作りになっています。このラストシーンをどのように解釈するかが「観客の人柄」を示すのかもしれません。

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2010年に放送されたNHKの「日曜美術館」の再放送を見ていました。先日亡くなった三宅一生氏がゲストでした。ルーシーのボタンを作品に使うほど大ファンだった三宅氏が彼女の思い出を語るこの番組を僕は当時テレビで見ていました。2005年以降、ルーシーの企画展示がけっこう開催された時期があり、何度か観に行きました。ロンドンで活動していたすばらしい陶芸家でした。
 ファッションなど縁遠いぼくでも白洲正子さんをモデルに使ったISSEY MIYAKEコレクションの写真はインパクトがありました。 蛇足ながら、この時期なので一言。 三宅一生氏は広島出身の被爆体験者です。
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 三山ひろしさんは、ケン玉歌手として有名になりましたがその趣味の広さがすごくて、その一つにプラモデルがあります。僕はこのプラモデルを見て驚愕しました。昔々の日産サニートラックロングボディですが、ドア、リアゲート、内装、アンテナなどは自作の傑作です。そして、極めて限られた人にしか響かないと思いますが、これは各地域にたくさんある自動車整備工場(主にメーカー系列以外)にクルマの部品を供給している「部品商」という業態の配送車です。写真では小さくて見えませんがリアゲートに「自動車部品のことなら」と書いてあります。 感動!

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 分数まではなんとなくわかりました。分数を足すとか、引くとか、掛けるまではなんとなくわかりました。ところが分数を分数で割算をするというところでわからなくなってしまいました。
 2分の1を4分の1で割る場合の計算は、分母(割る数)である4分の1を「1」にするために、分子(割られる数)にも同じ数を掛けます。こうすると分子が計算の答えとなります。これは分母の4分の1を逆さまにして掛け算をしても同じことです。 とはいえ、この計算にどんな意味があるのかは理解できません。 この計算に限って言えば、「2つに切り分けたリンゴを4つに切り分けた大きさにすると二人にあげることができる」とも言えます。 しかし、他の分数ではそんなに単純な説明はできません。 こうして僕は算数嫌い、さらに数学もまるでダメな人になってしまいました。

 追伸
 学生の頃、歩いていける距離に高校時代の知人が下宿していました、彼の下宿に転がっていたノートを開くと、そこには謎めいた数式がびっしり並んでいました。 この人は僕とは違う生物だと思いました。彼は後にヘテロジニアスマルチコアと呼ばれるコンピュータの頭脳を生み出す研究の先頭に立ちました。

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 先日、住吉美紀さんのラジオ番組に国枝慎吾さんがゲスト出演しました。興味深いお話がたくさんあり、たのしく聞きました。 車椅子テニス界では若くして「レジェンド」となった国枝さんは、技術、メンタルとも称賛されることが多い選手です。 「メンタルの強さ」に関する彼の話で、なるほど と感じたことがあります。 「言葉にする」というやり方です。 良い状況、悪い状況、ピンチの時など、声に出す、出さないに関わらず「予め準備している言葉」を唱えるのだそうです。競技生活の中でその種類は増えていったとのことですが、多すぎるのも弊害がありそうだということで増やさなくなった時期があるそうです。メンタルの強さに自信のない彼は、なにかを言葉に置き換えて自分にフィードバックすることで精神的な「間」をとり、そのことをルーティンにして、むしろ「考える」とか「感情的になる」ことを回避しているようなのです。 たしかに強靭なメンタルの持ち主のやり方ではありません。
 もう一つ、住吉さんと国枝さんの会話で印象に残った場面があります。彼女は、東京パラリンピックでメディア通訳というボランティアを行っていました。 選手、メディア関係者との会話、そして実際の練習、試合を見た経験から住吉さんは「私はとかくスポーツをする時、基本はなにか、とか正しい方法を教わるという意識があります、パラリンピックの選手と話したりプレイを見ていると、自分にあったオリジナルのやり方を追求する姿勢を強く感じます。」と言いました。障害を持ってスポーツに挑む選手についてはことさらその印象を強く持ったのでしょう。 これに対する国枝さんの対応、というか雰囲気に僕はすこし笑ってしまいました。彼は彼女の言ったことを肯定しその重要さを極めてさらりと語りましたが、その雰囲気は「なぜこの人はそんな当たり前のことを言っているのだろう?」という感じでした。

 あらゆる大会で優勝してきた国枝さんは今年、初めてウィンブルドンに優勝しました。彼はかつて、芝の王者フェデラーに「どうしたらウィンブルドンで勝てるのでしょうか?」と、ド素人みたいに聞いたそうです。フェデラーは「攻め続けることかな」と言ったそうです。この物怖じしない素直さも彼の魅力です。

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 iichikoの深夜60秒テレビCMをあまり見かけなくなりました。 iichikoのCMが大好きな僕にとってはすこし残念です。 大分の麦焼酎メーカーが現在の地位にあるのは、もちろんその製品の魅力にあるのですが、河北秀也氏とそのスタッフのアートディレクションが担った役割を疑う人はいません。商品企画から宣伝広告に至るまで、iichikoは河北ファミリーに一任してきました。
 iichikoのテレビCMはどれも好きですが、ひとつ選べと言われれば、ニュージーランドのワナカでロケを行ったクロスカントリースキーです。 ❤❤❤
 そして河北氏は、とにかくビリーバンバンが大好き。

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 猪谷六合雄(くにお)氏の「雪に生きる」と猪谷千春氏の「わが人生のシュプール」を読み返しました。前者を最初に読んだのは中学生の時、後者は千春氏がIOCの委員を降りてしばらく経ってから読んだので20年以上前になるでしょうか。いずれも自伝的エッセイですが、視点、アプローチが全く異なるので、続けて2冊を読むことには特別な感慨がありました。 六合雄氏は名エッセイストとして著作も多く、この代表作はいわゆる太平洋戦争末期、日本の戦況はきびしく、学徒出陣、学童の疎開、空爆などを経て戦後に至る時代に、雪とスキーを求めて放浪する家族(六合雄、サダ、千春)の記録です。 信じられないほど当時の戦争にはほとんど触れられていません。 雪山を移り住み、小屋を建てて暮らし、ベートベンやモーツァルトのレコードを聞き、写真を撮り、執筆をし、スキーの道具や技術を研究し、(スキー用に開発した「猪谷靴下」の詳しい編み方も記載されています)と言う一部始終が書かれていますが、悲惨な時代背景を全く感じさせない、むしろ浮世離れした世界です。 移り住む先々で変人扱いされるかと思いきや、人々に愛され、幸せそうな暮らしぶりに唖然とするばかりです。 「お金に困った事」がまったく無いように見えるのですが、その事情はこのエッセイから読み取れません。
 一方、千春氏の自伝エッセイは前半の一部こそ子供の頃の父、母との暮らしに触れていますが、そのほとんどは、スキーの研鑽、スキー競技(国内、米国、オリンピックなど)、アメリカ留学の思い出、ビジネスマンとしての生活、IOCの仕事などについて書かれています。 スキーでもビジネスでも国際機関での活躍でも、ほぼ頂点を極めた千春氏の努力と才能には驚くばかりです。
 僕は猪谷千春氏のお話を伺う機会が一度だけありました。明瞭でクールな話しぶりが印象的でしたが、それ以上にオリンピックの事を一度も「オリンピック」とは言わず「オリンピック運動」と言っていたことが気になりました。 家に帰って調べました。 これは国際オリンピック委員会が定めたオリンピック憲章にある「オリンピックムーブメント=オリンピック運動」を指す言葉です。

※※※ オリンピック・ムーブメント(Olympic Movement)は、スポーツを通じて、友情、連帯、フェアプレーの精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動。※※※

 競技としてのオリンピックは、この運動の一つの形でしかない、という千春氏の意識の高さが伺えます。 オリンピックの誘致に躍起になる人、税金は自分のお金だと勘違いしている政治屋、戦争をしかける人などによく考えてほしいと思う今日この頃です。

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 東京には銀座と品川にキャノンギャラリーがあります。プロのフォトグラファーの展示が中心ですが、アマチュアのコンテスト入賞作が展示されることもあります。見ごたえのある展示が多く、無料なので気軽に繰り返し見に行くこともできます。記憶に残っている展示は「日本の古民家」「カナダのアウトドアシーン」「猫」「オリンピックの記録」などなど。
 今回、品川のギャラリーの展示はチャーリー古庄さんの旅客機の写真でした。普段見ることのないメカのアップ、内装が装備される前の機体内部などで展示が始まり、中盤以降は良くも悪くもコマーシャルな美しい写真。 最後のスライドショーは航空機や航空会社の歴史を感じさせるものでした。
 それともう一つの展示

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 前田真三さんの写真です。 生誕100年記念の小さな展示でしたが、気持ちの良い作品群でした。前田さんは、今やプロ、アマ問わず、風景写真としては定番とも言える「北海道美瑛の丘」を、まさに発見した写真家です。 ディープフォーカス、いわゆるベタピンの美しい風景写真です。

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 田中達也さんを初めて知ったのはNHKのドラマ「ひよっこ」のオープニングタイトルバックでした。身の回りにあるモノを何かに見立てて作られるミニチュアのジオラマのような風景に驚かされたのは僕だけではないと思います。昨日、彼の仕事場やご家族を取材した番組が再放送されたのをきっかけに作品を見返しています。サラリーマン時代に始めた趣味をインスタに公開し始めたことをきっかけに彼は知られるようになり、その後プロに。 写真はそのころの作品だと思います。
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 彼はミニチュア写真家を名乗っているので、その作品は写真ですが、何年か前、横須賀美術館で行われた「センス・オブ・スケール展」で実物を見る機会があり、もちろんびっくりしました。 クリップを椅子に見立てた待合室、空港でしょうか。
 NHKの番組で彼は「モノを何かに見立てるとすぐにメモをとる」と言っていました。その数は莫大で、一生かかっても作りきれないと言っていました。
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 今日、インスタにアップされた作品です。 先月、静岡の展覧会に展示されたエイリアン。いつ、どんな作品を見ても必ず楽しくさせてくれる田中さんです。

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 かつて秋吉敏子は日本でピアノトリオのライブを行いました。池袋の小さなライブハウスでした。1980年頃だったと思いますたぶん。僕はまだ学生でした。このステージ以降、アメリカでビッグバンドジャズの巨匠として名声を得ていた彼女のトリオは実現していないと思います。
 僕は混み合った最終ステージを立ったまま聞いていました。あの時ベーシストの右後方のパイプ椅子に座って母親のピアノ演奏を聞いていた端正な容姿のティーンエイジャーが”Monday 満ちる” でした。その後、ソングライター、シンガーとして魅力的な活動を続けています。知的でジャンルにとらわれない彼女の音楽を僕はずっと好きです。

 日本人で一番好きな女性ボーカリストは誰かと問われれば、僕は”弘田三枝子”と答えます。圧倒的な歌唱力。JAZZ、R&Bの名手。その才能は”Gift”としか言いようがありません。海外の歌手のカバーでオリジナルよりも良いと思われるものがたくさんあります。そして、スキャットを歌わせたら、未だに日本人で彼女を超える人を知りません。

 今日は、”Monday 満ちる” と ”弘田三枝子” を聞きました。偶然ながら、どちらも1999年発売のアルバムです。Micoのミニアルバムはピチカートファイブの小西康陽さんの「東京27時」手塚治虫のアニメ、ジャングル大帝のテーマソング「レオの歌」が入っている貴重な一枚です。

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 JR関内駅の北口を出て、大岡川、野毛方面に歩くとすぐ吉田町(よしだまち)に入ります。吉田町通りの片側は、古い4階建ての集合住宅が長屋のようにつながっており、独特の景観になっています。上部は住宅、下部は商店や事務所となっていて、そうとう古いお店から、今どきのオシャレな飲食店までが軒をつらねています。 たぶん、10年くらい前にこの集合住宅の一階に「Archiship Library&Cafe」というお店が出来ました。もう何十回もお店の前を歩いて通り過ぎてきたのですが、今日初めて入ってみました。このお店、一階が建築関係の書籍だけが何千冊も並ぶブックカフェ、二階が設計事務所になっています。500円の飲み物を頼めば後は本棚の本は読み放題です。ほとんどが英文の本なので、おもしろそうな日本語の本を一冊選びました。「ル・コルビュジェの全住宅」というTOTO出版の本です。  この本、特定の著者がいるわけではなく、東京大学工学部建築学科安藤忠雄研究室の出身者や学生が作った住宅模型と、おこした図面を年代順に並べて解説したものです。監修が安藤忠雄さんです。 これがものすごく面白い本で、冷たい抹茶一杯で1時間半もねばってしまいました。と言っても飛ばし読みでしたが。 この本の出版と同時に南青山の「TOTOギャラリー」で本書にあるものすごい数の住宅模型の展示があったらしいのです。行きそびれました。残念!!

※※※ 追伸 南青山のTOTOギャラリー「間」(ま)は、とても魅力的な展示を数多く実施しています。TOTOとはもちろん、あのトイレや洗面器の会社です。 建築、家具、人と住いのかかわりあいなどをテーマとした展示はいつもすばらしく、そしてほとんどのイベントは無料です。

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 散らかり放題の机や本棚を整理していました。 すっかり存在を忘れたいたスイスから送られて来た郵便を見つけました。 封筒には手紙と小さな本が入っています。手紙にある日付は2006年5月です。手紙では、zai ski がいかにすばらしいかとか、zaiとはタフという意味であること、本を送れたこと、zai ski に興味をもってくれたことのお礼が書いてあります。(もっとも僕の英語力ではこまかいところはよくわかりません。) 当時、雑誌かインターネットで、スイスの新興スキーメーカーが販売促進用に小冊子を作り希望者に無料で郵送すると書いてありました。だめもとで住所や名前を送信したら、あっという間にこれが送られてきました。送られてきた小さな本がものすごく良くできていて驚きました。前半は町や山の写真とともに、このスキーメーカーが生まれた経緯やその哲学が語られます。後半は、製造工程やテクノロジー、製品について書かれています。とても美しい本です。
 久しぶりにこの本を眺めて思ったのは、はたしてこのメーカーは今も生き残っているのか?ということです。 ネットで検索。 生き残ってます。そして製品はカッコいい。 12ページと13ページに「詩」のようなものが掲載されています。作者はレオ・トゥオール。左ページは謎の言語、右ページは英語です。段落の切り方から同じ詩が左右に掲載されていることはわかりました。そして今回、調べに調べて、左の謎の言語が「ロマンシュ語」であることを発見しました。このメーカーが設立された地域に残っている少数の人しか使わない言葉です。そして、なんとドイツ語、フランス語、イタリア語と並んで、スイスの公用語!!

 そして、かつてこの本が送られてきたことによって、僕は一つ知識が増えたことを思い出しました。「なぜヨーロッパ車ファンの中、特にイタリア車とかフランス車に乗る人の中に”CH”というステッカーを貼る人が居るのか?」。
スイスはまたの名を ”Confœderatio Helvetica” であることをこの本で知りました。


※※※ スイスからの本にあった詩が”ロマンシュ語”であることがわかったのは、作者のレオ・トゥオールに関してネット上にドイツ語で以下の解説があったからです。
Fuhrte sich 1988 mit seinem Erstling Giacumbert Nau als eigenwilliger, entlarvender Autor in die romanische Literatur ein. Arbeitete 19 Sommer im Hochgebirge als Hirt und war neben der Schriftstellerei in Chur als Dokumentalist beim Ratoromanischen Radio und Fernsehen tatig.

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 父の書棚にあった新田次郎の短編集を読みました。この本の横に有名な「孤高の人」がありましたが、これは長編過ぎて今の集中力では読みきれないと思い、短編集を手に取りました。この短編集には10篇の短編が収められています。全て山での遭難事故を描いたものです。表題作「冬山の掟」は 八ヶ岳 硫黄岳が舞台です。
 ところで、意外だったのは、10篇のうち4篇がスキーツアーの遭難に関する作品だったことです。山岳小説と言えば傑作をたくさん残した大御所 ”新田次郎” ですが、スキーを扱った作品というのはあまり聞きません。というか全然知りませんでした。
 スキーツアー遭難の作品は、「滑降」(菅平高原 根子岳)、「遭難者」(場所不明)、「おかしな遭難」(山田牧場 笠岳 熊の湯)、蔵王越え(蔵王 苅田岳)の4篇です。 父はもともと山登りやスキーで山の中を歩く人でしたので、関連するガイドブックもありました。それを見ると根子岳、笠岳、苅田岳などは、今でもスキーツアーの人気スポットらしいですね。
 新田氏は諏訪の出身。もちろんスキーの経験はあったでしょうし、職業柄、スキーツアーについて取材する知り合いもたくさん居たことでしょう。

※写真は山田牧場側から見た笠岳です。

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 山田参助氏によって2013年から連載が開始された「あれよ星屑」という漫画を再読しました。戦後すぐの混沌として、やるせなく、逞しく、陽気でもあり、悲しくもある東京を舞台に、中国戦線から復員した二人の男の物語です。戦後の東京と中国戦線の記憶が交錯しながら物語は進みます。僕よりも一回り以上若く、当然、僕と同じく戦中戦後の記憶などとは無縁の作者が、これほどなまなましい会話をつむぐ漫画を僕は他に知りません。
 最終第7巻で、班長と呼ばれていた川島軍曹と部下だった黒田一等兵は、戦地で彼らの第三分隊を見殺しにした岡部中尉と出会うことになります。 班長は死んでいった第三分隊員の名前が書かれた小石を「部下の位牌」だと言って岡部の前に差し出します。 そして・・・・・

●●沖縄戦で戦死した父の長兄の名前が書かれた袋に小石が入っています。父の仏壇の中に入っていました。遺体はもちろん、遺骨の回収すらままならない状況で、小石だけ誰かが持ち帰ったのでしょう。山田氏の漫画のラストと呼応します。
●●僕は1958年(昭和33年)に東京で生まれました。この漫画の舞台となった終戦直後から、たった12,3年しかたっていない時です。なにかため息が出るほど不思議な感じがします。この年、東京タワーが完成しました。

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 僕はスクールバスを利用した経験はありません。父の仕事の都合から常に都市部で育ったため、歩いていける範囲に学校があり、スクールバスは運行していませんでした。ただ、スクールバス通学には漠然とした憧れがありました。理由は定かではありませんが・・・・・
 【スクールバス事情】
スクールバスは都会でも地方の町でも増えていると思います。子供が減っていく中、学校の統合などにより通学距離が伸びていることが原因だと思います。また、スキー場周辺、スキー場内に住居があるご家族と知り合いになる機会が増えるにつけ、スクールバスが子どもたちの生活のリズムになっている光景を見るようになりました。 都会で一番見かけるスクールバスは幼稚園バスでしょう。幼稚園バスも運行範囲が徐々にひろがっていると聞きました。そして横浜の自宅近辺では昔から特別支援学校のバスをよく見ます。身体にハンデがあったり、知的な障害がある子供達にとって、安全を確保するとともに、バスは学校の一部のようなものかもしれません。
 【スクールバスとの出会い】
スクールバスを知ったのはチャールス・モンロー・シュルツのピーナッツコミックでした。小学校6年生の頃でした。チャーリー・ブラウンやルーシー達が乗っている大きなボンネットバスでした。このバスが黄色いと知ったのはそれからしばらくしてからでした。コミックはカラーではなかったので。 アメリカのテレビドラマや映画に出てくるスクールバスを見て、「あ、黄色なんだ」と思いました。 そして今でもアメリカのスクールバスは黄色いボンネットバスなんだそうです。(アメリカ生活の長かった友人談)

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 昨年末に発売された田中れいかさん著の『児童養護施設という私のおうち』という本を読みました。田中さんは、児童養護施設で育ち現在はモデルとしての仕事と同時にケアリーバー(養護施設出身者など)をサポートする活動など幅広く活躍されています。本書は児童養護施設(かつては孤児院とよばれていました)の生活や卒園後(多くの施設が何何園という名称なので彼女はこう言います)の困難さ、と同時に希望をもって進むことの大切さなどが書かれています。児童養護、ケアリーバーに関する入門書として多くの人に読んでほしいと思います。 
 10年前、僕は6歳のスキー初体験の子供3人にスキーを教えました。その中の一人の女の子Mちゃんが養護施設で生活している子でした。 その時のことをこのブログに僕は書きました。一部を再度掲載します。
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「施設の子と心理療法の先生、それから××さんと来ました。 スキー楽しいのでまた来たいけど、お金があればまた来れるかもしれない。でもわからない。」  
 Mちゃんは、一番スキーが上手で、いつも他の2名を先に行かせて、一番後ろから滑ってくれました。 僕はたいへん助かりました。 彼女は、一番後ろから滑るということが、僕のレッスンの効率を上げることを明らかに理解していました。 めったに転ばないMちゃんが転び、足がからまって起き上がれません。 僕は彼女のスキーウェアを引っ張るようにして体勢を変えようとしました。 その時彼女は本気で怒りました。「ひっぱっちゃだめーー、ほかの施設から借りてきた服なの、ひっぱっちゃだめーー 」 
 彼女から家族、肉親の話はひと言もありませんでした。 毅然とした態度で、スキーの練習に集中していました。  養護施設に暮しながら、4月から小学校に通うそうです。
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 ※ 児童養護施設の入園期限は通常高校生までです。上記は10年前に書いたものなので、Mちゃんの施設生活はまもなく終わるのでしょう。

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 5月に来日したフィンランドのマリン首相が岸田首相との会談にあたり、彼女の第一声に僕はすこしギクッとしました。マリン首相は、会談の「まくら」としてこう言いました。
 「ロシアと国境を接している両国にとって・・・・」と話し始めたのです。 大きな国土のロシアと国境を接している国はたくさんありますが、中立を固持してきたフィンランド首相が、アメリカの属国として生きてきた日本の首相に「国境を接する両国」という言葉を投げかける意味を僕は少しだけ心に留めました。
 かわぐちかいじ氏のコミック「空母いぶき」は中国からの軍事攻撃を題材にしたものです。第二部はロシアからの北海道攻撃を題材にしています。 いづれのコミックもウクライナ紛争以前に開始されたものです。 

 藤木幸夫さんは、浜のドンと言われて来ました。まあ、今も。NHKのドキュメンタリー見ていました。港湾労働者を束ねて、その後横浜財界と政治の世界で強い影響力を持っています。 菅さんは、彼に「やめろ」と言われて十日後に辞任しました。

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 家畜という定義はとても広くて、別に食用の牛や豚に限らず愛玩用の犬やネコ、馬、一部の鳥など人間との生活を前提にしている動物を家畜と言います。 野生動物について以前、鳥の専門家が話していました。「一番身近にいる野生動物は鳥です」  たしかにそのとおりだと思いました。

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ルシアベルリンの小説を買いました。みごとなほど起承転結がないのです。でも、感動して読みました。訳者のちからも大きいと思います。ただの日記、雑文にも見えますが。とても強烈な印象でした。

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 ひさしぶりにKさんと話ができました。彼女は退屈だったかもしれませんが、僕はとても楽しい時間でした。早稲女はやっぱ頭いいです。

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 僕は会社勤めを始めるまで漫画雑誌というものを一度も買ったことがありませんでした。友達の家に行った時にそこにあるジャンプとかマガジンを手に取ることがありましたが自分が買うことはありませんでした。 その後仕事を始めてから最初に買うようになったのはプチフラワーでした。萩尾望都、吉田秋生、岡野玲子などの連載があったからです。女子中学生などに混じって汚いおじさんがこの雑誌を買うのはすこし変な光景だったでしょう。その後、コミックモーニングを買い始めました。モーニングの最初の頃はものすごく質の高い漫画が多かったのです。さて最近はビッグコミックです。ジャズと山登りと戦争の漫画が面白いからです。

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 だれも妄想すると思うのですが、高額宝くじが当たったら。
 ということでおいちゃんは縁側のある平屋の日本家屋がほしいです。 防音設備のあるピアノの部屋も。縁側で飼い猫といっしょにお茶を飲みながら。 完全にジーさんになってます。

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 世田谷文学館の谷口さんの展示には冬の仕事があり行けませんでした。残念。 その反動で、「歩くひと」を買ってしまいました。彼の作品は多く読んでいますが、持っているのは写真にある3作品です。 「論」というほどの見識は無いのですが。 彼の画力に異論がある人は居ないと思いますが、僕が注目してきたのは、背景の描写です。 背景の中に「人」が居ます。 主人公が何処に居るのかという描写が実は現実の生活を描きます。 僕はいつも彼の絵をそんなふうに見ています。

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 薮内さんの美術館から定期的に案内があります。彼の作品数は膨大なので展示を差し替えるのはある意味容易で、そして難しい作業でしょう。
 ネコ科ということにこだわらず、そして学術的な動物の分類に関係なく、動物は二種類に別れます。木に登れるか登れないかということです。木に登れるのは手のひらをつけることができるのが条件となります。人、ネコ、クマ、などです。登れないのは犬、馬、牛などです。そんな変な分類でいうと人はネコよりです。

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 私はとにかく服装とかファッションに興味がありません。人生の大部分をジャージですごし、会社員時代でも他社の人と会う時以外は、工場の作業着でした。銀座の本社でしたが。 唯一真剣に選ぶのはスキーウェアくらいです。
 ただ、頭では理解できることもあります。私の叔母、母の妹はもう仕事は引退しましたが、長年、帽子のデザインナーでした。個人で顧客別に制作していました。彼女の仕事の質はわかりませんが、ひとつだけ納得できることがありました。「帽子はその下にあるファッションを決める、支配する」という言葉です。
 ロイヤルスコットという競馬の観客席は華やかなファッションの人々、特に女性の帽子。そしてその帽子にはどうしてもそれに見合う服装が要求されるのでしょう。叔母はそのような世界を理想としていたのでしょう。

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 八ヶ岳南麓では植林したカラ松が高くなることはあっても、幹の太い巨木はありません。高いカラ松も強風で倒れるようなすこしひ弱な感じです。小淵沢には唯一、高さ50メートル、幹の全周も5メートル以上、樹齢500年という巨木が一つだけあります。もみの木です。 今日の朝、久しぶりに行ってきました。 中央高速道路のインターチェンジからすぐの場所なのですが、この林の中には行楽シーズンでもほとんど人は入ってきません。 もみの木のある場所は豊富な湧水で川ができている場所です。かつて初めて訪れた時、なんとなくへんな地形だなぁ と思いました。 平らに整地されたような場所があるのです。それは数百年前にあった小井誥神社跡のようです。読みがわかりません。「こいつ」かな。  ちいさな「ほこら」があり、御札がひとつ。 おそい初詣をしてきました。

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